イスラーム勉強会ブログ

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預言者伝【番外編3】

2015年04月24日 | 預言者伝関連
  信徒の母、アーイシャ(アッラーの御満悦あれ)についてはいうまでもありません。アブー・アブディッラー・シャムスッ=ディーン・アル=ザハビーがその知られた『保持者たちの書き置き』の中で彼女について言及しています:

  『彼女は教友たちの中でもっとも偉大な法学者だった。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の教友の法学者たちは(不明なことがあると)彼女に質問した。クバイサ・ビント・ズアイブが次のように言ったと伝わっている:アーイシャは人々の中でもっとも知識のある人で、名門の教友たちが彼女に質問していました。アブー・ムーサーは次のように言った:ムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)の教友たちの間でハディースの理解に問題を見つけると、アーイシャにたずねたものです。すると必ず、彼女のもとに彼女が彼から得た知識を見出すことができました。ハッサーンは次のように言った:アーイシャ以上に、クルアーン、義務の行為、ハラール、ハラーム、詩、アラブの歴史、系譜について知る人を私は見たことがありません。』

  代わって彼女の人格的長所、高い意気込み、寛大さ、慰謝について。彼女の寛大さについてなら、ヒシャームがその父親から伝えた話で充分でしょう:ムアーウィヤがアーイシャに10,000(のディルハムまたはディーナール)を送ったのですが、アッラーに誓って、一月も経たないうちに彼女はそれを分配したのです。彼女の召使の一人が言いました:あの中から1ディルハム分の肉を私たちのために買ってくだされば良かったのに。アーイシャは言いました:思い出させてくれたらよかったのに。彼女は斎戒していました。

  “多妻婚の問題”はムハンマド様(アッラーの祝福と平安あれ)が生きておられたときに生まれましたが、それらは西欧の研究者や東洋学者のペン先をにぎわしました。同時に多妻婚に関する疑問も増えましたがその原因はまずアラブとイスラーム法とイスラームが出現した時代における結婚生活を西欧の道徳観や認識や慣習と比べたため、そして西欧の秤りや尺度(これらはアッラーによって権力を与えられたものではなく特定の文明かつ特定の社会の産物にすぎません)を健全な人間の天性とアラブの環境、道徳的・社会的利点を促すもの、アッラーが許可し給うことにけしかけたためです。これらは西欧思考と西欧こそが秤でありそれと違うすべてのものに厳しい裁定を下す西欧の考え方における弱点です。そのため彼らは問題を作り出し、そして解決しようとします。しかしそれは彼らの高慢さ、西欧的理想と道徳を過多に神聖視した結果に過ぎません。英語で預言者伝を著したR.V.C. Bodley は西欧が持つ預言者(アッラーの祝福と平安あれ)の人生における多妻婚に寄せている感情に対する批判において公正かつ大胆でした。彼は自身の著作『使徒ムハンマド』の中で次のように言っています:

  ”ムハンマドの結婚生活を西欧の尺度ではかる必要はないし、西欧においてキリスト教が慣習化させた伝統や規則に基づいて裁定する必要もない。かの男たち-アラブ人-は西欧人でもキリスト教徒でもなかったのだから。むしろ彼らは独自の道徳的秩序が広がっていた時代と国に生まれ育ったのである。以上にもかかわらずアメリカや西欧の道徳的秩序がアラブの道徳的秩序に優るとは正当化できないのである。まことに西欧人は自分らの道徳的秩序と生活スタイルを他より好評価するためにまだまだ詳細な研究と大きな吟味が必要だ。そのためには彼らはまず他宗教と他都民への批判を避けなければならない。”

  (西欧が想像しその子孫たちが熱心に信仰し、自明で疑いの余地のない真実であるとみなし、作家たちや法律制定者が形を作り上げた)多妻婚の“醜さ”は時代や世紀を超えた常時なるもので、定着した科学的根拠または健全なる人間的天性に基づいているわけではありません。むしろそれは熱心で強力なプロパガンダの結果である感情的かつ空想的な醜さですが傾向や経済状況や社会状況や教育状況の変化と時間の経過とともに軽減したり消え去る可能性があるものです。

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P413~415)

悔い戻る者たちの道しるべ【4】-(2)罪を知ること/欲望が圧倒すること/罪人の種類/罪人の状態

2015年04月10日 | 悔い戻る者たちの道しるべ
”打ちのめされた者”としてアッラーに背く者についてお話します。つまり自我に負けてしまった人のことです。油断している間に罪を犯してしまったためにこの人は泣き、後悔します。ここで私は吉報を伝えましょう。罪を後悔しているあらゆる人には赦しがあると。預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は次のように言われました:
≪後悔は改悛である。≫(アッ=ティルミズィー、アハマドがイブン・マスウードから伝承)

かの罪人たちは一体どの種に属する罪人なのでしょうか。高慢に、自信満々にアッラーへの服従に背く者たちの一人なのか、それとも弱さのために背いた人たちの一人なのか。

【罪を知ること】
人間は己を知って、己を清算しなければなりません。さて自分は高慢にアッラーに背いたのか、それとも打ちのめされてしまったゆえに背いたのかを。
彼らについてアッラーは明快かつ素晴らしい聖句の中で述べ給いました:

「醜行をなしたり、わが身に不正をなしたりした時にアッラーを思い出し、己の罪の赦しを乞う者-アッラーのほかに罪を赦す御方がおろうか-、知った上でなしたことに留まりはしない者。」(イムラーン家章135節)

【欲望が圧倒すること】
イブン・アル=カイイムという威厳ある学者がこの意味について素晴らしい言葉を残しています:
”至高なるアッラーは、欲望や自然の力に負けてしまうという形で罪に陥ってしまったしもべを赦し給う。つまりその罪の中にある欲望の強さのために、それを嫌悪し、己の中でそれに固執しているわけでもないのに罪を犯してしまう場合。このような者にはおそらくアッラーの御赦しと御放免と赦免が期待される。なぜなら至高なるアッラーは彼の弱さと彼が欲望に負けてしまったことを御存知だからである。また罪人は罪に忍耐出来ずいる時毎に、罪に陥る時は畏縮し、主に服従した者として恐れ、胸は震える。罪ある自我の欲望を持った信仰心は彼が罪に陥ることを嫌うので、彼は自我の呼びかけに応じたり、信仰の呼びかけに応じたりする。代わって罪を止めず、恐れることもなくアッラーのために欲望を捨てることもなく、喜び、罪を勝ち取った際には大きく笑う者。この者こそが己と悔悟を隔てられて、悔悟できないことが心配される者である。”

この威厳ある学者の言葉続きます:
”至高偉大なるアッラーに背くことに喜びを得ることは、それを激しく欲していること、背いた相手の身分(つまりアッラー)について無知であること、罪がもたらす結果の悪さやその危険の大きさについて無知であることの証拠である。彼が罪に寄せる喜びはそれらすべてを覆ってしまっている。そのため彼が罪に寄せる喜びは彼が罪に陥ることよりも彼にとってはるかに害である。罪によって喜びを感じることは罪を犯すこと自体よりも危険である。信仰者は罪で快楽をけっして得ないし、それによって喜びが増大することもない。むしろ罪をなす時は必ずや悲しみが伴っている。誰でもこの悲しみを心に感じず罪によって幸福感と歓喜が強くなる者は己の信仰を疑い己の心の死を泣かなければならない。もし心が生きているなら罪を成すことに悲しみと怒りを感じ、(その行為を済ますことを)難しいと思うだろうが、心がそのように感じずにいるなら:傷は死人に痛みを与えないということである。”

さて彼は欲望に負けてアッラーに背いたのか、それとも弱かったためなのでしょうか?代わって高慢に喜びの中アッラーに背く者は違います。信仰者の欲望は罪によって達成されません。なぜならアッラーを畏れているからです。私は自我が弱いために油断している間にアッラーに背いてしまった後悔し、泣き、この罪に陥らなければよかったと願う人たちに吉報を伝えます。アッラーの御赦しが近く彼らにあることを。

【罪人の種類】
イブン・サンマークが次のように言ったのをアル=バイハキーが伝えています:“被造物は3集団となった:罪から悔悟する集団で、罪から逃げて落ち着いており、罪の一つにでも戻ることを望まない集団。これこそが無罪とされる者である。そして罪を犯して後悔し、罪を犯して悲しみ、罪を犯して泣く集団。同情され、心配される。そして罪を犯して、後悔せず、悲しまず、罪を犯して泣くこともない集団。楽園の道から火獄に外れた者である。”
一つの罪を犯して、しっかりとした悔悟をする人は安泰です。そして罪を犯し、また罪を犯す人は心配ですが、(悔悟すれば)アッラーに受け入れられます。そして罪を犯し、何も感じず、後悔もせずアッラーに戻ることもない者は、楽園から火獄に移る者です。

【罪人の状態】
司会:先生、”あなたはどれに属する罪人でしょうか?”が今回の質問でした。罪には位があると言えば良いでしょうか。いずれにせよ誰に対して背いているのかという点から訓戒が得られます。つまりあなたは至高偉大なるアッラーに背いていると。罪から悔悟する者は常に後悔の念と悲しみの状態にあります。それ以外の人はアッラーの道しるべから逸脱した人であって、彼がしっかりと悔悟しない限り悔悟も赦しも望まれません。
次回は罪と悔悟の話を続けます。まず始めに悔悟の前置きがどのようなものであるか、条件は何かを知りたいと思います。
最後に一言だけ残しておきます:罪で喜ぶことはそれを犯すよりも酷いものである、と。

http://nabulsi.com/blue/ar/art.php?art=7187&id=205&sid=801&ssid=882&sssid=895

預言者伝【番外編2】

2015年04月02日 | 預言者伝関連
≪重婚について≫
  アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はその人生の半分である25年を独身者としてすごしました。それは若者が持つべき最良の条件、徳性を備えた期間でした。彼の25年間はアラブの健全な青年期の良い例でした。街の諸悪から遠い田舎暮らしのおかげで得ていたのは健康で、またすぐれた騎士道と男らしさを身につけていました。彼の最大の敵さえも彼に非の打ちどころがないことを知っていました。それは彼が預言者になる前も、預言者になってから今日に至ってもです。そのため彼は清廉さ、貞節、高潔、無罪、彼に相応しくないあらゆる事柄から遠ざかっていることにおける模範でした。

  アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は25歳になってハディージャ・ビント・フワイリドと結婚しました。彼女は未亡人で40歳、かつて二人の男性と結婚したことがあり、子どももいました。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)と彼女の間には15歳の差があるという説が有力です。彼女の後に-50歳を超えてから-サウダ・ビント・ザアマと結婚しました。彼女の前の夫はエチオピアに移住してムスリムとして亡くなりました。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が結婚した女性の中でアーイシャ・ビント・アビーバクルだけが処女でした。またアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の結婚はイスラーム宣教における何らかのメリットや、公共利益、甚大な社会的危険の防御のためだけになされました。この結婚によって生まれた血縁や姻戚関係にはアラブ部族社会に大きな影響を与え、ほかの共同体にはない価値がありました。またこの姻戚関係はイスラーム宣教と理想的イスラーム社会に影響を与え、流血を防ぎ、アラブ諸部族の問題からの回避にもつながりました。

  またアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)と彼女たちの生活は、一般の女性たちが望んでいると多くの人が思い込んでいる贅沢で高価なものを飲食したりというものではありませんでした。むしろ慎ましく質素で利他主義で節制した暮らしで、昔の人も現代の人も、男も偉大な清貧家でも耐えられないものでした。その一部分については次の聖句を読むだけで十分に分かるでしょう:「預言者よ、おまえの妻たちに言え、「もし、あなたがたが今生とその装飾を望んだら、来るがいい。あなたがたに生活費を与え、美しい離別で別れよう」。「だが、もしあなたがたがアッラーとその使徒と来世の住まいを望んだなら、まことに、アッラーはあなたがたのうち善を尽くした者たちには大いなる報奨を用意し給うた」。(部族連合章28~29節)

  この貴重、高尚、そして深い教育的意図の影響の一つが妻たち全員-アッラーが彼女たちに満足し給い、アッラーが彼女たちを満足させ給いますように-が例外も緩慢もなく、アッラーとその使徒と来世の住まいを選択したことです。アーイシャ-アッラーが彼女に満足し給いますように-の言葉が例として十分でしょう。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がこの聖句をお読みになって彼女に:≪両親に相談して、答えを急ぐ必要はない≫と言われて、彼女は言いました:このことについて両親に相談するというのですか。まことに私はアッラーとその使徒と来世の住まいを望みます。アーイシャは、他のアッラーの使徒の妻たちも同様にしたと言いました。

  重婚やそれがもたらす心理的、経済的、社会的忙しさはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が宣教の義務、奮闘努力、質素な生活、理想的な生き方、重大諸事を実行することを邪魔することはありませんでした。むしろ重婚は彼にさらなる活力を与えました。妻たちはアッラーが彼に恵み給うた宣教という務め、信託された諸事の実践、男・女信徒たちの教育といった活動に協力しました。戦の際は彼に同行し、けが人や病人を看病したり、吉報を伝えたり、厳しい時には慰めたりしました。実に宗教-彼の家庭生活や親交に関わる規則や多くの法規定-の三分の一は彼女たちによってもたらされました。信徒たちは彼女たちからそれらを学び、保持し、広めたのです。

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P411~412)