イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

預言者伝60

2014年02月27日 | 預言者伝関連
188.親愛の預言者・慈悲の使徒:
  アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は続けて言われました:クライシュの衆!私がおまえたちに今から何をすると思う?
  人々は答えました:善きことでしょうか、寛大な兄弟、寛大な兄弟の息子であるあなた!
  彼(アッラーの祝福と平安あれ)は言われました:私は、ユースフがその兄弟に言ったことをおまえたちに言おう:「今日、おまえたちが責められることはない。さあ、行きなさい。おまえたちは自由の身である」。

  そしてビラールにカアバに上って、アザーンをするよう命じました。クライシュのリーダーたちや貴族たちは、アッラーの御言葉が高められるのを聞いていました。そしてアザーンの音によりマッカ中が震えました。

  アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は、いとこであるアリーの姉妹のウンム・ハーニーの家に入り、沐浴を済ませ、8ラカアに及ぶ勝利の礼拝を、アッラーへ感謝を捧げるために行いました。

189.アッラーの掟の実行に差別はない:
  この出来事が起きている時、あるマハズーム族のファーティマという名の女が盗みを働いてしまったのですが、彼女の一族がウサーマ・イブン・ザイドに援助を求めて集まってきました。なぜならアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がウサーマを可愛がっていたため、彼に執り成してくれるよう望んだからです。ウサーマがアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)にこの件を話すと、彼は顔色を変えて、言われました:アッラーの掟に関係することを何とかしてほしいと言うのか。ウサーマは言いました:アッラーの使徒さま、私のためにアッラーに赦しを乞うてください!

  夜になると、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は説教のためにお立ちになりました。まずアッラーを讃え、続けて言われました:さて。かつて、おまえたち以前の時代の人間は滅ぼされたが、その中の貴族が盗みを働くと放置し、弱者が盗みを働くと刑を下したからである。ムハンマドの魂をその御手にされる御方に誓うが、ムハンマドの娘、ファーティマが盗みをもし働いたら、その手は切断されるだろう。

  そしてアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はかの女の手の切断を命じたことにより、女の手は切られました。その後、女は悔悛し、結婚しました。

190.最悪の敵に対する恩赦:
  ムスリムたちがマッカに無事入場して落ち着き、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)も町の人たちに安全をもたらしましたが、例外としてカアバの覆い布の中に隠れているところを見つけた場合でもある9名の殺害を命じました。彼らの中には、背教した者もいれば、ムスリムを欺いて殺した者、風刺の詩を作るのに忙しく、それを人々の間で広めていた者などがいました。

  その一人、イクリマ・イブン・アビージャハルはイスラーム国を嫌ったため、また自身の安全確保のためにイエメンに逃げました。逃げた後、彼の妻がアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に夫が安全で居られるよう求めたところ、確かにアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は、現世で最大の敵である男の息子であるイクリマに身の安全を与えました。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は現れたイクリマが来たのを知ると、上着をその肩にかける間もないほど早く彼に進み寄りました。イクリマの事を嬉しく思い、歓迎したためです。そこでイクリマはイスラームに帰依しました。このことでもアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は非常に喜びました。イクリマはムスリムとしての信仰に磨きをかけていきました。彼はその後、背教の戦やシャームでの戦で活躍することになります。

  他に指名手配されていたのは、ジュバイル・イブン・ムトゥイムの奴隷であるワハシーです。彼はアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の父方のおじであり、アッラーとアッラーの使徒の獅子と別名のあるハムザ・イブン・アブドゥルムッタリブを殺害した男です。ワハシーは後にイスラームに帰依し、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)も彼の帰依を受け入れました。ハッバール・イブン・アル=アスワドも然り。かれはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の娘、ザイナブが移住しようとしているところを邪魔して、彼女を岩の上に転げ落ちてしまうよう、倒したため、ザイナブは流産してしまいます。ハッバールは逃げましたが、その後、イスラームに帰依し、善き信仰を持つ男になりました。

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P340~342)
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70章解説【3】

2014年02月20日 | ジュズ・タバーラカ解説
23.彼らは己の礼拝を履行する者たちであり、
24.また己の財産において一定の権利(貧者の取り分)が存在する者たち、
25.乞い求める者と禁じられた者(生活手段を断たれた者)の(権利として)。
26.また、宗教(裁き)の日を真実と認める者たち、
27.彼らの主の懲罰から不安を抱く者たちである。
28.まことに、彼らの主の懲罰は安全ではない。
29.また彼ら、己の陰部を守る者たち、
30.ただし、己の妻たち、または己の右手が所有するもの(女奴隷)に対しては別である。まことに彼らは非難を免れた者である。
31.それでその先を求める者、それらの者たちは法を越えた者である。
32.また彼ら、己の信託物や約束を守る者たち、
33.また彼ら、己の証言を果たす者たち、
34.また彼ら、己の礼拝を履行する者たち。
35.それらの者たちは楽園にいて、厚遇を受けている。

続いてアッラーは、先ほど除外し給うた礼拝する者たちを描写して仰せになります:「彼らは己の礼拝を履行する者たちであり」この聖句は、五回の礼拝の履行と、畏敬やアッラーに純粋に気持ちを向けるといった礼拝の権利を全うすることを意味しています。礼拝を継続して行うことは、心を繊細にし、心がかたくなってしまうのを防ぎます。また、礼拝者を貧者を救済しようという気持ちに向けます。そのために至高なるアッラーは礼拝者たちの描写として次の言葉を続け給います:

「また己の財産において一定の権利(貧者の取り分)が存在する者たち」

聖クルアーンは、義務のザカーを「一定の権利(貧者の取り分)」と表現しました。なぜなら、信仰者はザカーがアッラーに属する権利であることを知っているため、それを履行し、それを受け取るに相応しい人たちの権利から差し引いたりすることはないからです。またクルアーンはザカーを:「乞い求める者」のものとしました。乞い求める者とは、足りないものを人々に求める者です。また「禁じられた者(生活手段を断たれた者)」のものともしました。禁じられた者とは、誰にも何も求めず、また貧しさが知られていないような控えめな貧者のことです。または、大災害に遭った結果、財産を失ってしまった者、または糧を与えられずにいる者を指します。このように、禁じられた者にもザカーにおいて乞い求める者と同等の権利があります。

クルアーンは人々の間にみじめな者や禁じられた者が残ってしまわないように、この立法によって、社会的公正と社会連帯の設立を目指します。ザカーの義務は、履行者である富者が好めば払ったり払わなかったり、というような自我の意志によって決定されるものではありません。ザカーは、アッラーが富者に与え給うたお金における貧者の権利であるため、その履行は義務なのです。そのため、預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)はザカーを回収し、追従者たちに富者からそれを集めるよう命じておられたのです。しかし彼の死後、アラブの一部がザカーの放棄を宣言したため、後継者であるアブーバクル(アッラーの御満悦あれ)が彼らが宣言を撤回するまで戦ったという歴史が残っています。

アッラーによる信仰者の描写は続きます:「また、宗教(裁き)の日を真実と認める者たち」死後の審判の日に甦りと報復が起こることを認めているということです。報復の日を真実と認めることは、人生の軸であり、それによって秤が真っすぐになります。その日を真実と認めない人は、現世の生活こそがすべてであることを基に行動するので、罪に浸り、アッラーの権利に対する怠慢や過失をなんとも思いません。代わって報復の日を真実と認める人は、この生活は死後に続く、至福となるか罰となるかの永遠に消えない命の始まりであると理解した上で、己の行動を量ります。

信仰者の特徴には次のものが挙げられます:
「彼らの主の懲罰から不安を抱く者たちである。まことに、彼らの主の懲罰は安全ではない。」

信仰者たちは、自分らの主の懲罰から「不安を抱く者たちである」つまり、怖れているということです。なぜならどんなに服従していたとしても、誰もこの懲罰から安全で居られることはないからです。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は常にアッラーに対する畏れの念を抱いておられましたが、アッラーからの慈悲なしでは己の行為のみで楽園に入れることはないと確信しておられました。彼はかつて教友に次のように言われました:《誰も己の行為で楽園に入ることはない。》あなたさまもですか?アッラーの使徒さま。彼は言われました:《アッラーがその御慈悲の徳で私を覆ってくださらないかぎり、私も同じである》。(アル=ブハーリーとムスリムが伝承)

信仰者の特徴として次のものも挙げられます:
「また彼ら、己の陰部を守る者たち、ただし、己の妻たち、または己の右手が所有するもの(女奴隷)に対しては別である。まことに彼らは非難を免れた者である。それでその先を求める者、それらの者たちは法を越えた者である。」

信仰者は貞操を守り、妻か、己が所有する女奴隷としか交わりません。彼らはこのことにおいて非難されることはありません。しかし妻以外の女性や女奴隷と交わる者たちは、合法を通り越して禁止を犯しています。

ここで、奴隷に関するさまざまな疑問に答えるために少し立ち止まりましょう。夫婦関係は、どこの習慣でも法律でも存在している制度です。「または己の右手が所有するもの(女奴隷)」つまり所有する女奴隷については少し解説が必要かもしれません:

イスラームが到来した当時、奴隷制度は世界的に存在していました。戦争捕虜を奴隷にすることも国際的な制度として定着していました。そのため敵たちと常に争っていたイスラームがこの制度を消し去ることはできませんでした。ムスリムの捕虜は敵の許で奴隷にされるのに、イスラームは捕らえた敵の捕虜を自由の身にする、ということはできないからです。

そこでイスラームは、捕虜が平等扱われる制度が人類上に誕生するまでは、戦争捕虜以外の奴隷誕生の根源を基から絶ちました。イスラームの野営地に女性捕虜が連れて来られた場合、彼女を奴隷にすることにおいて同等の決まりが則られます。この奴隷化に伴うこととして、彼女らの地位は妻と同等にまで上昇しないということがあります。イスラームは彼女らと妻のように交わることを合法としたことで、女奴隷たちに恩恵を与えました。なぜなら彼女たちの尊厳はイスラーム以外の土地では売春婦のように望む者の欲しいままにされていたからです。(大抵の場合、これが戦争捕虜女性達の行く末でした。)イスラームは女奴隷を彼女たちの主人だけの所有物とし、彼以外誰も彼女たちに手を出す者はいないようにしたのです。

また女奴隷はさまざまな手段で自由の身になることが出来ました:出産がそうです。己の主人の子を産むと、産んだ子が彼女を自由の身にする、つまり、彼女は子の売られることのない母となり、主人の死の直後に自由の身になります。

他には:奨励行為としての奴隷解放や、罪の償いが挙げられます。また、女奴隷が主人にある金額支払うことを主人が合意すれば、彼女のがその金額を完済することで自由の身になります。

もちろん、イスラームはザカーの配分先の一つを、奴隷の解放のためと定めてもいます。また、奴隷の解放を奨励しており、それがしもべをアッラーに近付ける最も偉大な行為であることも解明されています。それだけでなく、ある罪の償いとして奴隷の解放を定めてもいます。わざと断食斎戒を破った者は奴隷を解放しなければなりませんし、誓いを破った者も奴隷を解放しなければなりません。また巡礼の儀礼を間違えたら奴隷を解放しなければなりません。このように、イスラームは奴隷解放が長期間に渡って容易に進むための法を制定したのです。

またイスラームは奴隷に至誠を尽すよう何度も言付けてもいます:預言者(アッラーの祝福と平安あれ)は言われました:
《おまえたちの兄弟は奴隷である。己の手元に兄弟がいる者は、己が食べる者を彼に食べさせ、己が着るものを彼に着せなさい。また彼らに負えられないことを課してはならない。彼らに何かを課すときは、援助しなさい》。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP66~71)
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預言者伝59

2014年02月13日 | 子供向けイスラーム道徳
184.小競り合いの発生:
  また、(まだイスラームに帰依していなかった)サフワーン・イブン・ウマイヤ、イクリマ・イブン・アビージャハル、スハイル・イブン・アムルとハーリド・イブン・アル=ワリードの仲間の間で小競り合いが起き、多神教徒側に12人程の男たちが死に、多神教徒側の負けで終わりました。事前にアッラーの使徒(祝福と平安あれ)は追従者たちにマッカに入るときには、襲われる時以外、戦ってはいけないと言付けていました。

185.聖域を偶像から清める:
  アッラーの使徒(祝福と平安あれ)が到着し、人々も落ち着くと、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はカアバに出かけて行き、その回りを回りました。その手には弓がありました。館の周りとその上には360の偶像があったのですが、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は、《真理は下り、虚偽は消え去った、本当に虚偽は消える定めにある、虚偽は何らその後創造することもなくまた再び繰返すこともない》と言いながらそれらを一つずつ弓で壊していきました。そして偶像は壊れて崩れおちて行きました。
  また、カアバの中にあった絵や像も壊してしまうよう命令しました。

186.今日は親切と忠誠の日:
  アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はタワーフ(カアバの周りを回る)を終えると、ウスマーン・イブン・タルハを呼んで、カアバの鍵を彼から受け取り、カアバが開かれ、彼はその中に入りました。かつて、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)がマディーナに移住する前にも鍵を渡してもらえるよう依頼したことがあったのですが、当時のウスマーンはまだイスラームに帰依していなかったこともあり、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)にきつい口調で応答しました。しかしアッラーの使徒(祝福と平安あれ)はウスマーンの態度を怒ることなく受け止め、言いました:《ウスマーンよ、いつの日か、この鍵が私の手の中にあるのをおまえが見る日が来るかもしれない。私は鍵を望む場所に置けるのだ》ウスマーンは答えました:「そんな日が来たら、クライシュが滅び、虐げられる日となることだろう」アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は言われました:《いいや、そうではなく、クライシュが繁栄し、栄光を得る日となる》このアッラーの使徒(祝福と平安あれ)の言葉はウスマーンに影響を与え、実際にそのような日が来るかもしれないと思わせました。
  カアバの鍵を手にしたアッラーの使徒(祝福と平安あれ)がカアバから出てくると、アリー・イブン・アビターリブがやってきて言いました:われわれに巡礼者たちへの奉仕をさせてください。アッラー使徒(祝福と平安あれ)は言われました:《ウスマーン・イブン・タルハはどこだ?》ウスマーンが呼ばれると彼はまた言われました:《ウスマーンよ、おまえの鍵を返そう。今日は親切と忠誠の日。さあ鍵を受け取りなさい。おまえたちにそれがずっととどまるよう。不正な者以外がそれを取り上げることは今後ないだろう》。

187.イスラームは唯一神信仰と統一の教え:
  アッラーの使徒(祝福と平安あれ)がカアバのドアを開いた時、彼がこれから一体何を成すのだろうと待っているクライシュの人たちでマスジドは埋め尽くされていました。アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はクライシュの人たちを下に、ドアの二つの柱に手をかけて言いました:《アッラーの他に神はない。彼は唯一であられ、彼には協力者もいない。彼は約束を確かに実現させ、そのしもべを勝利させ給い、おひとりで部族連合軍を負かし給うた。すべての仇、借金、血は、館の管理と巡礼者たちへの(水を給付するという)奉仕以外はわたしのこの両足の下に埋められる》。
  《クライシュの衆、まことにアッラーは、無明時代の面子や先祖の誇大化を払拭し給うた。人間はアーダムから来、アーダムは土から来たのだ》。そして次の聖句を読み上げました:
  【人々よ、われらはおまえたちを男性と女性から創り、おまえたちを種族や部族となした。おまえたちが互いに知り合うためである。まことに、アッラーの御許でおまえたちのうち最も高貴な者は最も畏れ身を守る者である。まことに、アッラーはよく知り通暁し給う御方。】(49章13節)

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P338~340)
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預言者伝59

2014年02月08日 | 預言者伝関連

184.小競り合いの発生:

  また、(まだイスラームに帰依していなかった)サフワーン・イブン・ウマイヤ、イクリマ・イブン・アビージャハル、スハイル・イブン・アムルとハーリド・イブン・アル=ワリードの仲間の間で小競り合いが起き、多神教徒側に12人程の男たちが死に、多神教徒側の負けで終わりました。事前にアッラーの使徒(祝福と平安あれ)は追従者たちにマッカに入るときには、襲われる時以外、戦ってはいけないと言付けていました。

 

185.聖域を偶像から清める:

  アッラーの使徒(祝福と平安あれ)が到着し、人々も落ち着くと、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はカアバに出かけて行き、その回りを回りました。その手には弓がありました。館の周りとその上には360の偶像があったのですが、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は、《真理は下り、虚偽は消え去った、本当に虚偽は消える定めにある、虚偽は何らその後創造することもなくまた再び繰返すこともない》と言いながらそれらを一つずつ弓で壊していきました。そして偶像は壊れて崩れおちて行きました。

  また、カアバの中にあった絵や像も壊してしまうよう命令しました。

 

186.今日は親切と忠誠の日:

  アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はタワーフ(カアバの周りを回る)を終えると、ウスマーン・イブン・タルハを呼んで、カアバの鍵を彼から受け取り、カアバが開かれ、彼はその中に入りました。かつて、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)がマディーナに移住する前にも鍵を渡してもらえるよう依頼したことがあったのですが、当時のウスマーンはまだイスラームに帰依していなかったこともあり、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)にきつい口調で応答しました。しかしアッラーの使徒(祝福と平安あれ)はウスマーンの態度を怒ることなく受け止め、言いました:《ウスマーンよ、いつの日か、この鍵が私の手の中にあるのをおまえが見る日が来るかもしれない。私は鍵を望む場所に置けるのだ》ウスマーンは答えました:「そんな日が来たら、クライシュが滅び、虐げられる日となることだろう」アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は言われました:《いいや、そうではなく、クライシュが繁栄し、栄光を得る日となる》このアッラーの使徒(祝福と平安あれ)の言葉はウスマーンに影響を与え、実際にそのような日が来るかもしれないと思わせました。

  カアバの鍵を手にしたアッラーの使徒(祝福と平安あれ)がカアバから出てくると、アリー・イブン・アビターリブがやってきて言いました:われわれに巡礼者たちへの奉仕をさせてください。アッラー使徒(祝福と平安あれ)は言われました:《ウスマーン・イブン・タルハはどこだ?》ウスマーンが呼ばれると彼はまた言われました:《ウスマーンよ、おまえの鍵を返そう。今日は親切と忠誠の日。さあ鍵を受け取りなさい。おまえたちにそれがずっととどまるよう。不正な者以外がそれを取り上げることは今後ないだろう》。

 

187.イスラームは唯一神信仰と統一の教え:

  アッラーの使徒(祝福と平安あれ)がカアバのドアを開いた時、彼がこれから一体何を成すのだろうと待っているクライシュの人たちでマスジドは埋め尽くされていました。アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はクライシュの人たちを下に、ドアの二つの柱に手をかけて言いました:《アッラーの他に神はない。彼は唯一であられ、彼には協力者もいない。彼は約束を確かに実現させ、そのしもべを勝利させ給い、おひとりで部族連合軍を負かし給うた。すべての仇、借金、血は、館の管理と巡礼者たちへの(水を給付するという)奉仕以外はわたしのこの両足の下に埋められる》。

  《クライシュの衆、まことにアッラーは、無明時代の面子や先祖の誇大化を払拭し給うた。人間はアーダムから来、アーダムは土から来たのだ》。そして次の聖句を読み上げました:

  【人々よ、われらはおまえたちを男性と女性から創り、おまえたちを種族や部族となした。おまえたちが互いに知り合うためである。まことに、アッラーの御許でおまえたちのうち最も高貴な者は最も畏れ身を守る者である。まことに、アッラーはよく知り通暁し給う御方。】(49章13節)

 

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P338~340)

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70章解説【2】

2014年02月06日 | ジュズ・タバーラカ解説
15.断じて。まことに、それは炎熱(火獄)である、
16.頭皮を剥ぎ取るものである(炎熱である)、
17.それは呼び招く、(真理に)背を向け、背き去った者を、
18.そして、(財産を)集め、溜め込んだ(者を)。
19.まことに、人間は気短に創られた。
20.災厄が彼に触れると、嘆き、
21.また幸福が彼に触れると、物惜しみする(者である)。
22.ただし、礼拝者たちは別である。

アッラーが描写し給う罪は以下になります:
「断じて。まことに、それは炎熱(火獄)である、頭皮を剥ぎ取るものである(炎熱である)、それは呼び招く、(真理に)背を向け、背き去った者を、そして、(財産を)集め、溜め込んだ(者を)。」

「断じて」:罪人が、地球の生き物すべてを償いとして差し出しても、それは決して受け入れられないことを指します。「まことに、それは炎熱(火獄)である」اللظى(Al=ladha)炎熱は、炎を意味する火獄の名称の一つです。不信仰者を燃料にして燃えていることから、この名が付きました。「頭皮を剥ぎ取るものである」الشوى(As=shawa)は、手や足や頭皮など人間の体の各部分を指します。この火はその熱さで不信仰者たちの体の肉や頭の皮を剥がします。「それは呼び招く、(真理に)背を向け、背き去った者を」つまり彼らを火獄に連れて行くことを指します。また、「呼び招く」という意味の他に、「滅ぼす」という意味とも言われます。つまりこの炎は、アッラーへの服従とアッラーの書をおろそかにしたり背いたりする者を滅ぼすということです。「そして、(財産を)集め、溜め込んだ(者を)」つまり、財産を集めて、それを隠して、貯めることです。أوعى(Auaa)という動詞は、ものを器に入れるという意味ですが、財産はその数が膨大でない限り、箱や収納室を必要としないため、この聖句が描写する人間は財産を施さないことが分かります。そしてここには、ケチでお金を出そうとせず、それを集めるのに必死になってその一部を善き道のために使わないで、ザカーもせず、アッラーに課された、貧者や必要とする人たちへ施しに出さない者に対する激しい脅迫が込められます。

つづいてクルアーンは、人間が生来より持っている性質と、人間がどのように善と悪に対面しているかの描写に移ります:

「まことに、人間は気短に創られた。災厄が彼に触れると、嘆き、また幸福が彼に触れると、物惜しみする(者である)。ただし、礼拝者たちは別である。」

「気短」と訳されたアラビア語、الهلع(hal')は、注意、退屈、嘆き、忍耐のなさといった意味を持ちます。そのため人間は、「災厄が彼に触れると、嘆き」つまり貧困や病などが自分を襲うと、ひどく嘆く、つまりそのことに耐えられない、ということです。「また幸福が彼に触れると、物惜しみする」財産が増えて裕福さを得ると、手にあるものを出さず、ひどく吝嗇になるということです。

代わって信仰者はこういった性質から遠くかけ離れています。気短であることはなく、状況が厳しいときも嘆かず、また幸福のときに吝嗇になることもありません。なぜなら自らの主にしっかりとしがみついているからです。信仰者とは、アッラーがこの聖句の中で例外とし給うた、礼拝を捧げる者たちに入ります:「ただし、礼拝者たちは別である」礼拝を介して信仰者は創造主と繋がります。至高なるアッラーと繋がる者は現世の生活の諸試練やそれらの厳しさを容易であると見なせられるようになり、また忍耐することで苦しみが喜びに変わるため、結果的に嘆くことはありません。なぜなら、アッラーにとっては自分から害を取り除くことは可能であると、そして自分に降りかかって来た試練に対して報奨を与えてくださると信じているからです。以上は厳しい状況についてでしたが、恩恵の状態ではどうかというと、創造主と繋がってアッラーが恵んでくださった恩恵や自分に命じ給うた善行をしっかりと思い起こす者は、吝嗇という性格そのものが彼から消えるため、善の道のためにその財産を施します。それはアッラーの御命令に従うことであり、また報奨を願う行為であり、施したものを返還してくださるとの確信なのです。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP64~66)
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