イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

食べる時・飲むときのマナー

2013年02月26日 | 子供向けイスラーム道徳
食べる時・飲むときのマナー
イスラームには、食べる時と飲む時に気を付けると良い素敵なマナーがあります。
預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が教えてくださったこのマナーは私たちの生活にとてもたいせつで、マナーを守ることでアッラーに近付け、また預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)を真似たことになります。
ほかに、マナーを守ることは、私たちにルールや、アッラーが私たちに恵んでくださった素晴らしいものを思い出させてくれます。
さらに、私たちがマナーを大切にすることで、アッラーが私たちの食事を祝福してくださります。

●食べたり飲む前に、「ビスミッラー」と言うこと。
 ビスミッラーの意味は、アッラーのおなまえで始めます、です。
 他の人にも聞こえるくらいの大きさの声で言うのが良いです。そうすることで周りの人にもビスミッラーを言うことを思い出してもらえます。
 
●右手で食べ、飲むこと。
 預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は言われました:
 「誰でも食べる人は右手で食べ、飲む人は右手で飲みなさい。本当に悪魔は左手で食べ、左手で飲むからです。」(ムスリム)

●食べてはいけないものや飲んではいけないものを避けること。
 アッラーがゆるしてくださったものだけを食べ、飲みましょう。
 そしてアッラーが禁じたものをさけましょう。
 例えば、豚肉や、お酒です。

●目の前にあるものから食べること。
 他の人と一緒に食べている時、その人の目の前にあるものを取ると、嫌がられるかもしれませんし、悪く思われるかもしれないからです。

●食べ物に文句を言わないこと。
 預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は絶対に食べ物について文句を言ったことはありませんでした。
 好めば食べ、嫌ったら文句を言わずに食べ残していました。

●食べた後や飲んだ後に、アルハムドゥリッラーということ。
 アルハムドゥリッラーの意味は、称讃はアッラーに属する、です。
 私たちは、食べ物や飲み物を私たちのために準備してくださったアッラーに感謝の気持ちを伝えなければなりません。
 私たちには食べ物を存在させることなど出来ないからです。

●食事の前後に手を洗うこと。
 移る可能性のある病気から身を守るためです。
 スィワーク(歯をきれいにする木の枝)や練り歯磨きを使って歯ブラシで口を洗うことも良いです。
 清潔であることは、ムスリムの特徴の一つだからです。

●食べ過ぎない・飲み過ぎないこと。
 胃の三分の一を食べ物、そして飲み物、そして空気で満たすことが良いです。

●食事に人を呼ぶこと。
 皆で食べるご飯には祝福があります。
 教友たちが預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に、「私たちは食べてもお腹がいっぱいになりません」と訴えたことがありました。
 預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は答えました:「皆で食事をし、アッラーの御名前を唱えなさい。そうすれば食事が祝福されるでしょう」

●金や銀で作られた食器を使わないこと。
 預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は言われました:
 「金と銀の器で食べたり飲んだりする人は自分のお腹に地獄の火を引きずりこんでいる」(ムスリム)
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74章解説【2】

2013年02月26日 | ジュズ・タバーラカ解説
8.それで角笛が鳴らされた時、
9.そうなれば、それこそは、その日、苦難の日である。
10.不信仰者たちにとっての(苦難の日)、容易ではない(日である)。
11.おまえはわれをわれが一人きりに創った者と共に、構わずおくように。
12.そしてわれは彼に拡張された(豊かな)財産を与え、
13.また側に控える息子たちをも(与えた)。
14.またわれは彼に(富と名望を)整然と整えた。
15.その上、彼はわれが追加することを(不当にも)期待する。
16.断じて(そのような期待には応じない)、彼がわれらの諸々の印に対し頑迷であったからには。
17.いずれわれは彼に険しい坂道を負わせよう。
18.彼が(クルアーンについて)熟考し、(それを如何にして貶められるかと)推し(すいし)量ったからには。
19.それで彼は殺された(呪詛(じゅそ)の言葉)。いかに彼は推し量ったというのか。
20.それから、彼は殺された(呪詛(じゅそ)の言葉)。いかに彼は推し量ったというのか。
21.それから、彼は眺め・考え、
22.それから、眉をひそめ、顔をしかめた。
23.それから、彼は(信仰に)背を向け、思い上がった。
24.そして、彼は言った、「これは言い伝えの魔術にほかならない」。
25.「これは人間の言葉にほかならない」。
26.いずれ、われは彼を猛火にくべるであろう。
27.そして猛火とは何かを何がおまえに知らせるのか。
28.それは残さず、捨て置かない。
29.(それは)皮膚を黒く変える(焼き焦がす)ものである。

 アッラーは不信仰者たちに審判の日と彼らを待っているその日の成り行きを思い出させます:
 「それで角笛が鳴らされた時、そうなれば、それこそは、その日、苦難の日である。不信仰者たちにとっての(苦難の日)、容易ではない(日である)。」角笛が鳴らされると死者が甦り、魂たちはその身体に帰ります。不信仰者たちにとってこの日は困難であり、うまくいくことは何もありません。なぜならその日、行いが清算され、左手に行為が記された書簡が手渡され、罰が来るのを待つ間、その顔が黒くなるからです。

 続いてクルアーンは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の使命を嘘であるとする男、アル=ワリード・イブン・アル=ムギーラというクライシュの貴族、お金持ち関して述べます。彼は預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に危害を加え、クルアーンを攻撃する一人でした。アッラーは仰せになります:

 「おまえはわれをわれが一人きりに創った者と共に、構わずおくように。そしてわれは彼に拡張された(豊かな)財産を与え、また側に控える息子たちをも(与えた)。またわれは彼に(富と名望を)整然と整えた。その上、彼はわれが追加することを(不当にも)期待する。断じて(そのような期待には応じない)、彼がわれらの諸々の印に対し頑迷であったからには。いずれわれは彼に険しい坂道を負わせよう。」

 至高なるアッラーは預言者(祝福と平安あれ)を慰め言葉をかけ給います:「おまえはわれをわれが一人きりに創った者と共に、構わずおくように」つまりおまえの使命を嘘だと主張している者とわれをふたりきりにするように、そしてその者のことをわれに任せるように。その者への復讐はわれが行うので充分。または、われは彼を金も子供もない一人きりの状態で創った、という意味になります。「そしてわれは彼に拡張された(豊かな)財産を与え」多量と成長によって拡張する多くのお金。「また側に控える息子たち」マッカにおいて、そばにいてくれる息子たちを眺めることで彼の目は喜び、金儲けのために彼らは父親から離れることはない。「またわれは彼に(富と名望を)整然と整えた」指導力、幅広い名望を彼に用意した。「その上、彼はわれが追加することを(不当にも)期待する」この嘘つき呼ばわりはその激しい欲からわれが彼に与えた恩恵が増加することを欲している。「断じて」その欲を退けよう。「彼がわれらの諸々の印に対し頑迷であったからには」まことに彼はわれがムハンマドに下した啓示を信じなかった。この嘘つき呼ばわり者に:「いずれわれは彼に険しい坂道を負わせよう」安楽のない苦しみを彼に負わせよう。厳しい山道を登る者のように。

 続いてアッラーは、この嘘つき呼ばわり者の心の様子とクルアーンを魔法だと言うときの表情を描写し給います:
 
「彼が(クルアーンについて)熟考し、(それを如何にして貶められるかと)推し(すいし)量ったからには」つまり考え、クルアーンについて自分が言っていることを推測した。
 「それで彼は殺された。いかに彼は推し量ったというのか」呪われてしまえ、如何にあのような中傷を推し量ったのか。
 「それで彼は殺された。いかに彼は推し量ったというのか」激しい驚嘆を示すための繰り返し表現。
 「それから、彼は眺め・考え」クルアーンを何で突き刺そうかと。
 「それから、眉をひそめ、顔をしかめた」顰め面になり、顔色が変わった。
 「それから、彼は背を向け、思い上がった」真実に背を向け、真実に追従することを卑しく見て、高慢な態度を取った。
 「そして、彼は言った、「これは言い伝えの魔術にほかならない」」このクルアーンは他人より伝えられた魔法にほかならない。
 「「これは人間の言葉にほかならない」」クルアーンはアッラーの御言葉ではなく、人間の言葉だ。

 以上は、クルアーンが言及した、真実を知り、昼間の太陽のようにはっきりとそれを目で見ているにもかかわらず名声を優先し、社会的地位を保つために真実を追おうとしない数名の心情の描写です。宗教を変えるだけで民より敵対の態度が向けられ、また彼らより離れる必要が生まれるので、導きよりも迷いを優先するのです。真実を知っていながら自分の意見を公言することに勇気を持てなかった者たちの結末は、アル=ワリード・イブン・アル=ムギーラの結末と同じになるでしょう。アッラーは彼をこのような軽蔑の心を誘う描写で表現し給い、そしてその直後に彼が来世で受けるであろう罪について仰せになりました:
 「いずれ、われは彼を猛火にくべるであろう。そして猛火とは何かを何がおまえに知らせるのか。それは残さず、捨て置かない。(それは)皮膚を黒く変える(焼き焦がす)ものである。」

 アッラーはこの嘘つき呼ばわり者を近いうちに猛火の中に入れ給います。「سقرサカル」は罪人たちが苦しめられる数ある地獄の名の一つです。「そして猛火とは何かを何がおまえに知らせるのか」サカルが何であるかをおまえに教えるのか。それは人間が想像できないほどに激しく燃えます。「それは残さず、捨て置かない」それは投げ込まれたものを残さず破壊し、中にあるものを生きた状態にしておかない、しかし彼らの身体が再生するたびに再び焦がします。「(それは)皮膚を黒く変える(焼き焦がす)ものである」「بشرバシャル」は皮膚「بشرة」の複数形で、身体の表面にあります。この火は皮膚を焦がし、黒くします。

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP121~124)
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預言者伝41

2013年02月21日 | 預言者伝関連

アル=フダイビーヤの和議
ヒジュラ歴6年ズ・ル・カアダ月
128.預言者(祝福と平安あれ)の正夢と信徒たちによるマッカ進入の準備:
  アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は、ある夜、ご自身がマッカに入り、カアバ神殿でタワーフする夢を見ました。ただそれがいつなのか、日時がはっきりした夢ではありませんでした。この詳細については、勝利章27節に解説があります。
  アッラーの使徒(祝福と平安あれ)が、夢を見たことを教友たちに伝えると、彼らはとても喜び、その夢を吉報と捉えました。彼らはマッカとカアバに長く慣れ親しみ、イスラームによって、そのつながりはさらに強化され、彼らの心の中にあるマッカへの憧れは日を追うごとに深くなっていたのでした。また人々はカアバの周りを巡回することを懐かく思い、切望していました。

  マッカから移住して来たムハージルーンたちは、特に強い愛情をマッカに寄せていました。かの地で生まれ育った彼らは、残念なことにそこから隔たれてしまっていたためです。そんな中、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)がご自身の見た夢を彼らに伝えると、彼らは、それがきっと今年中に実現すると確信し、またそうなることを強く望みました。マッカを懐かしむ気持ちと胸の奥深くにあった愛情が目を覚まし、人々は少数を除き皆、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)と共に出発する準備に取り掛かりました。

129.長い時を経て、マッカへ:
  アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は1500名と共に、ズ・ル・カアダ月に-戦闘目的ではなく-小巡礼者としてマディーナを出発し、アル=フダイビーヤを目指しました。犠牲の家畜を共に連れ、小巡礼のために禁忌状態に入ったのは、自分たちがアッラーの館の訪問するためであることを周りに知らしめるためでした。

  アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は、フザーア族の中から一人をスパイとし、マッカにいるクライシュについてこっそり探らせました。アサファーン近くまでやって来ると、彼が戻り、次のように知らせました:カアブ・イブン・ルアイがあちこちから男らを集めてあなた様を攻撃しようとしております。彼らはあなた様を館に入れないよう阻止してくるでしょう。
アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はそのまま彼らが下りてくる丘の上まで進みました。そこに彼(祝福と平安あれ)のラクダが腰を下ろしました。それを見た人々は:カスワーゥ(預言者(祝福と平安あれ)のラクダの名前)が座った!座った!と言いました。アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は言われました:「カスワーゥは座ったのではない。(マッカ侵入を妨げられたアブラハの)象を阻止した原因がカスワーゥを座らせたのだ。私の魂をその御手にされる御方にかけて、アッラーが神聖と成し給うた事や、家族の絆を繋げる事を、彼ら(クライシュ)が私に求めて来たら、必ずや私はそれらを彼らに差し出そう。」
そう言うと彼(祝福と平安あれ)はラクダを立たせ、丘からクライシュのところへ行く計画を変更し、アル=フダイビーヤの端の方を目指しました。そこには少し水が溜まっている所がありました。共にいた人々がアッラーの使徒(祝福と平安あれ)に喉の渇きを訴えたため、彼(祝福と平安あれ)は弓入れから一本の弓を取り出し、それを水溜りの中に入れるよう命じました。すると、アッラーの奇跡により、人々が出発するまで、そこには水が溢れるようになったのでした。

130.ムスリムたちがマッカに入ったことを恐れるクライシュ:
  クライシュはアッラーの使徒(祝福と平安あれ)が自分たちのところにやって来たことを恐れました。そこでアッラーの使徒(祝福と平安あれ)は彼らに教友の中から一人の使者を送ることにしました。ウマル・イブン・アル=ハッターブを呼びましたが、彼は言いました:アッラーの使徒様!マッカには私の親戚であるアディー・イブン・カアブ家の人間がいないので、私の身に何かあったときに助けてくれる人がおりません!マッカに親戚のいるウスマーン・イブン・アッファーンをお送りになるのはいかがでしょう。彼ならあなた様の望むことを実行するでしょう。そこでアッラーの使徒(祝福と平安あれ)はウスマーンを呼び、彼をクライシュに送りました。アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はウスマーンに言いました。「我々は戦うためではなく、小巡礼のためにやって来たと彼らに伝えなさい。そして彼らをイスラームに導きなさい。」他にも、マッカに住んでいる男と女の信徒たちのところに行って、勝利の吉報を彼らに伝えること、また至高偉大なるアッラーがマッカ内で信仰が隠されることがなくなるよう彼の宗教を現し給うことを伝えるようにと、ウスマーンに言付けました。

(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P273~275など)

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74章解説【1】

2013年02月14日 | ジュズ・タバーラカ解説

1. 身を包んだ者よ、
2. 立って警告せよ。
3. そしておまえの主の偉大さを称えよ。
4. そしておまえの衣服を清めよ。
5. そして不浄(偶像)を避けよ。
6. そして(施したもの)より多く(の見返り)を求めて施しをするな。
7. そしておまえの主のために耐えよ。
8. それで角笛が鳴らされた時、
9. そうなれば、それこそは、その日、苦難の日である。
10. 不信仰者たちにとっての(苦難の日)、容易ではない(日である)。

 この章は、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)に:
1)自分の民を警告すること、
2)彼から発せられるに相応しくない事柄の放棄、
3)アッラーからいただいた恩恵を否定する者の放棄
を勧めています。また、罪人たちの特徴や審判の日における彼らの結末についても言及します。

 この章はクルアーンの啓示の中でも初期のものです。「読め…」で始まる啓示を大天使ジブリールが預言者ムハンマド(祝福と平安あれ)に伝えた際に、彼は大きな影響を受けました。大天使ジブリールは、ムハンマド(祝福と平安あれ)が落ち着き、啓示に愛情を寄せられるまでしばらくの時間を置きました。ジャービル・イブン・アブドゥッラーは啓示が途切れていたことといかにそれが再来したかに関してアッラーの使徒(祝福と平安あれ)から聞いたと伝えています:アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は言われました:私は歩いていると天より音がしたので頭を天に向けて上げるとヒラーで私の前に現れた天使が天と地の間で椅子に座っているのを見ました。私は驚き、彼に恐怖を覚え、帰りました。私は:私を覆ってくれ、覆ってくれと言ったので皆が私の身を包んでくれました。そしてアッラーが啓示し給いました:
「身を包んだ者よ、立って警告せよ。そしておまえの主の偉大さを称えよ。そしておまえの衣服を清めよ。そして不浄(偶像)を避けよ。」

 アル=ムッダッスィルとは、寝るためや温もりを得るために衣服を身にまとう人を指します。
 アッラーは彼の預言者を「身を包んだ者よ、立って警告せよ。」と呼びかけ給いました。つまり、衣服で身をくるんだ者と言う意味です。または:預言者性と神に関する知識の衣に包まった者よと言う意味とも言われます。「立って」おまえの寝床から起き上がりなさい。神意はまことにおまえを崇高な位と教えの伝搬のために指名したのだから。「警告せよ」おまえの民を脅しなさい。そして帰依しなければ罰があるだろうと警戒させなさい。ここには、
1)もし迷いに浸かりっぱなしの者たちが帰依しないままでいるならば近く起こるであろう危険があるとの警告と、
2)イスラームへの呼びかけに彼らが応えなければならない
との勧告があります。

 アッラーは続けてその使徒に語りかけ給います:「そしておまえの主の偉大さを称えよ」つまり彼おひとりだけに偉大さを限定させよ、強さ・称讃を彼のみに属させよという意味です。このような神の位に関する描写は預言者(祝福と平安あれ)の心を強くし、全ての陰謀とそれに反する全ての力を弱くします。そして預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)へは勝利を確信しながら、また困難を楽観視しながら教えを伝搬します。アッラーこそが人々を崇拝行為に導きます。彼こそが他のどんな大きなものよりも大きく、他のどんな力のあるものよりも力があります。ムスリムはアッラーフアクバル(アッラーは偉大だ)と唱えてその意味を思い起こすことで、あらゆる困難も容易となり、どんな危険も乗り越えるのです。

 続いてアッラーは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に仰せになります:「そしておまえの衣服を清めよ」つまり、あなたの衣服についた汚れを水によって清めなさい、と言う意味です。かつて多神教徒は清潔ではありませんでしたので、至高なるアッラーはムハンマド(祝福と平安あれ)に清くあるよう、そしてその衣服も清めるよう命じ給うたのです。また:低俗な性格、間違った信仰、罪から魂を浄化せよとの命令である、とも言われます。アラブの習慣として、「あの人の衣服は清浄である」との言葉で、罪業や悪い性格のない清い魂を指していました。逆に行いの汚い人のことを、あの人は汚れた服を着ている、と表していました。ただムハンマド(祝福と平安あれ)は否定的な性格があるとか何か罪を犯したことがあると知られたことは全くないため、この聖句は彼の民に向けられた、罪と低俗な性格から清まりなさいとの指導であると理解出来ます。

 そしてアッラーは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に仰せになります:「そして不浄(偶像)を避けよ」つまり、アッラーの罰に繋がるものを避けなさいとの意味です。「ルジュズ」はもともと罰ですが、やがて罪に繋がる全てを指すようになりました。多神崇拝、偶像崇拝、罪を犯すことなど。またこの聖句にある忠告は預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が多神崇拝で穢れていたとか、恥ずべきことがあるとか、罪を犯していたことを指しているわけではありません。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は召命前に偶像に一度も跪拝したことがないこと、良くない性格を持っていなかったこと、どんな罪も犯したことがないことが確かな情報として伝わっています。アッラーが以上のように奨励したのは、ただ預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が今持っている崇高な性格を保ち続けるためだけであり、またこのことについて自分らで話し合い、また聖句の内容を実践してあらゆる罪を放棄するようにとの彼の共同体に対しての呼びかけでもあります。

 そしてアッラーは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に仰せになります:「そして(施したもの)より多く(の見返り)を求めて施しをするな」アラビア語の動詞「منّマンナ 」には、他人のためにする善行を数え(てその徳をさげ)ることをいいます。聖句の意味:おまえは宣教のために多くのことをこれから行うが、おまえは宗教上の知識を人々に教えたことをわざわざ口にするな。つまり自分が皆に行っていること(ここでは教えの伝搬)が多いのだ、と言うことです。または:自分が行ってことを数え上げる者のように、主に捧げる崇拝行為を数え上げてはいけない、とも言われます。また「منّマンナ 」は与えるという意味もありますので、自分が施したものよりも多くのものを得ようと考えて何を施してはならない、と言う意味にもなります。

 また次のようにも仰せです:「そしておまえの主のために耐えよ」つまり、おまえの主の御満悦のためにおまえの民の迫害に耐えなさい、アッラーのために行う義務・服従行為の遂行に耐えなさい、そして人生におけるあらゆる困難に耐えなさいと言う意味です。忍耐は、アッラーがその使徒に託した遺言なのです。なぜならそれはアッラーへの誘いに必要な武器だからです。伝道者はその道において迫害され、嘲笑されますが、忍耐なしには伝道活動を続けることなど出来ず、また目標を達成することも出来ません。

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP119~121)
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道におけるマナー

2013年02月13日 | 子供向けイスラーム道徳
道におけるマナー
アッラーの使徒(S)が教友に言われた:皆さん、道に座り込んではいけません。皆が答えて言った:私たちが話す場所になっていますがいけませんか。彼(S)は言われた:どうしても座り込むなら、道にその権利をあげなければなりません。道の権利とは何ですか?視線を落とすこと、害を防ぐこと、善を命じ、悪を禁じることです。(ムッタファクアライヒ)
【道のマナー】:
視線を落とすこと、害を防ぐこと、挨拶を返すこと、善を勧め悪を制すること、中庸にまた謙遜の態度で移動すること、道の横端を使うこと、ゆっくりとそして急がないこと、交通ルールや他のマナーを守ること。

●視線を落とす:ムスリムは、アッラーが見てはいけないと禁じたものから視線を外します。
●害を防ぐ:ムスリムは、道を歩く人に迷惑をかけません。また道で用を足したり、けんかをしたり、道を狭めたり、混雑させたりしません。逆に道を害するガラスや石が落ちていれば拾います。
●挨拶を返す:挨拶はムスリムが目指すものであり、自分がムスリムであることのしるしです。そのため出会う人に挨拶を自分からして、挨拶をされたらきちんと返します。
●善を勧める:ムスリムは善を勧め、善が実現し、安全が社会に広がるためによい性格を広めることでがんばります。
●悪を禁じる:ムスリムは悪を禁じ、悪と戦います。それはアッラーとその使徒に従うことです。アッラーの使徒(S)は言われた:皆さんのうち誰かが悪を見たら、手でそれを変えなさい。出来ないなら舌で、出来ないなら心で。それはもっとも弱い信仰です。(ムッタファク・アライヒ)
●中庸にまた謙遜の態度で移動する:ムスリムはアッラーの命令に従いますから、高慢な態度で歩きません。アッラーは仰せになりました:「また横柄に地上を歩いてはならない。あなたがたは大地を裂くことも出来ず,また(背丈が)山の高さにもなれない。」(夜の旅章37節)、「歩き振を穏やかにし」(ルクマーン章19節)
●道の横端を使う:ムスリムは事故を防ぐため、道の真ん中ではなく横端を使います。
●ゆっくりとそして急がない:ムスリムは道を渡るとき、ゆっくりします。アッラーの使徒(S)は言われました:ゆっくりすることはアッラーから。急ぐことは悪魔から。(アッティルミズィー)
●交通ルールや他のマナーを守る:ムスリムは交通ルールの違反をしません。むしろムスリムであるなら進んで守りましょう。
●他のマナー:道の清潔に心がける、必要以外で大声を出さない、食べながら移動しない
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