イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

79章解説【1】

2012年01月19日 | ジュズ・アンマ解説

بسم الله الرحمن الرحيم

1.(不信仰者の魂を)力任せに引き抜く者(天使)たちにかけて、

2.また(信仰者の魂を)やさしく取り出す者(天使)たちに(かけて)、

3.また(空中を)泳いで飛ぶ者(天使)たちに(かけて)、

4.また、先んじて先を行く者(天使)たちに(かけて)、

5.また、事を処理する者(天使)たちに(かけて)、

6.(復活の前の死滅を告げる天使の角笛で)震動するもの(大地、あるいは万物)が震動する日、

7.それには次に来るもの(復活を告げる第二の角笛の響き)が続く。

8.心はその日、おののき震え、

9.その(心の所有者の)目は伏せられる。

10.彼らは言う、「なんと、まことにわれらが原状に戻される者であるのか」。

11.「腐朽した骨となった時にか」。

12.「それ(戻されること)は、そうなれば、損な帰還である」と彼らは言った。

13.だが、それ(戻されること)はまさしく一声の叱声に過ぎない。

14.すると途端に彼らは地表にいる。

 

 この章は死後に起きる復活と、その後に起きる報復を内容として扱い、また現世と来世における罪深い人々の行く末をフィルアウンとその民に起きたことを提示しながら解明します。

 

 まず、次の事柄をもって復活がやってくることに関する誓いの言葉から章は始まります:

 

 「(不信仰者の魂を)力任せに引き抜く者(天使)たちにかけて、また(信仰者の魂を)やさしく取り出す者(天使)たちに(かけて)、また(空中を)泳いで飛ぶ者(天使)たちに(かけて)、また、先んじて先を行く者(天使)たちに(かけて)、また、事を処理する者(天使)たちに(かけて)、」

 

 「(不信仰者の魂を)力任せに引き抜く者(天使)たちにかけて」وَワ:誓いのために使われます。引き抜く:力を込めてものを引っ張ることを指し、度を越していることを意味します。魂が体からなかなか離れようとしないため、天使たちは不信仰者の魂を強制的に引き抜きます。どの不信仰者も魂が体を離れる前に地獄の光景を見せ付けられ、恐ろしいものを死の直前に見た魂は体の奥深くに引っ込んでしますが、それを激しく荒々しく死の天使が掴むのです。

 

 「また(信仰者の魂を)やさしく取り出す者(天使)たちに(かけて)」نشط は、仕事を速やかに、軽やかに行うことを意味します。信仰者の魂は聖なる世界への飛来を待ちわびているため、死の天使は信仰者の魂を優しくそして容易に引き抜くことをここでは指しています。つまりどのような信仰者も死ぬ間際には自分に与えられる天国での場所を目撃するため、魂が体外に早く出たいと欲するのです。信仰者の魂が身体に依存していないために死の天使は彼らの魂をやさしく引き抜くことができるのです。

 

 「また(空中を)泳いで飛ぶ者(天使)たちに(かけて)」この天使達は天からアッラーの命令に応じて降りてきますが、その様子はまるで泳いでいるかのようです。

 

 「また、先んじて先を行く者(天使)たちに(かけて)」アーダムの子(人間)よりも先に善行を行う天使達を指すと言われています。

 

 「また、事を処理する者(天使)たちに(かけて)」地に住む人たちにアッラーより受けた命令を実行する天使達を指すと言われています。

 

 見積もって見えてくる誓いの答えは:きっとおまえたちは復活させられ、清算されるだろう、です。根拠は、誓いの数節の登場の後にクルアーンが述べた審判の日の特徴です:

 

「(復活の前の死滅を告げる天使の角笛で)震動するもの(大地、あるいは万物)が震動する日、それには次に来るもの(復活を告げる第二の角笛の響き)が続く。心はその日、おののき震え、その(心の所有者の)目は伏せられる。」

 

ラージファ(راجفة)とは、大地が混乱し、生き物が死す第一声です。それは第一の角笛の響きと表現されます。ラーディファ(رادفة)は、第二の角笛の響きであり、万物の主のために人々が墓から生きて出てきます。クルアーンはその様子を次のように描写しています:「そして、角笛が吹かれ、諸天にいる者も地にいる者も、アッラーが御望み者を除いて気絶した。それからもう一吹き吹かれると、すると途端に、彼らは立って眺める。」(3968節)

 

 この偉大な光景は私たちの心を沈黙させ、当惑させます。「心はその日、おののき震え」心はかの日の恐ろしさのため、怖がりますが、不信仰者の心をここでは指します。「その(心の所有者の)目は伏せられる」その目は敗北感に覆われて低められます。

 

 続いてクルアーンは、不信仰者たちが言い慣れていた蘇りの否定やそれに対する嘲笑について述べます:

 

 「彼らは言う、「なんと、まことにわれらが原状に戻される者であるのか」。「腐朽した骨となった時にか」。「それ(戻されること)は、そうなれば、損な帰還である」と彼らは言った。」

 

 不信仰者たちは嘲笑しながら次のように言っていました:「なんと、まことにわれらが原状に戻される者であるのか」つまり死んだ後に生きた状態に戻るのか?という意味です。「腐朽した骨となった時にか」朽ち果てた骨になった後に?という意味です。「「それ(戻されること)は、そうなれば、損な帰還である」と彼らは言った。」もし来世で生き返されたら私たちはそれを嘘だとしてきたことで損をしてしまうな、と言う意味で、彼らによる嘲笑の言葉です。

 

 続けてクルアーンは彼らの否定と嘲笑に応えます:「だが、それ(戻されること)はまさしく一声の叱声に過ぎない。」第二の角笛の響きを指します。「すると途端に彼らは地表にいる。」死んで地の中にいたというのに、生きた状態で地表に現れます。

 

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/アフィーフ・アブドゥ=ル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP2325

 

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大人の皆様。プライドを捨てないでください。

2012年01月15日 | その他

地位、職業などをプライドを捨てて手に入れる人たちの愚かさを描きつつ、その危なさを訴えた動画の解説のご紹介です。

それにしてもお父さん役のイラスト、本当にだらしない様が現れていて感心します。

こちらをどうぞ。

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預言者伝30

2012年01月10日 | 預言者伝関連

102.信徒たちが持ち場に戻る:

  亡くなったと思っていた預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)を戦場に見つけた信徒たちは士気を取り戻しました。そこに多神教徒のウバイ・イブン・ハラフが現われ、「ムハンマドめ!おまえが無事である限りおれは無事ではない!」と吐き捨てるように言いました。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、「皆、彼を放っておきなさい」と周りの人たちに言いました。しかし、ウバイがさらに彼に近づき襲って来たため、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は教友の一人から槍(やり)を受け取り、それをウバイの首元に刺し成敗しましたが、それは馬から何度も転げ落ちそうになるほどの一撃でした。

  そこからアリーは出て行き、自らの楯(たて)に水を汲んで、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の顔に付いていた血を洗い流しました。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の娘ファーティマが、彼(平安と祝福あれ)を洗い、アリーが水をかけるのでした。流血が酷くなっていることに気付いたファーティマは、ござの一部分を燃やして、その灰を血の出ている部分に押しつけ、やっとのことで止血したのでした。

  アブー・スフヤーンの妻、ヒンド・ビント・ウトゥバは女性らと死んだ敵たち(ムスリムたち)の体を傷つけに来ていました。死人の耳や鼻を切り取り、ヒンドはハムザ(御満悦あれ)の腹を切り裂いて肝臓を取り出し、憎悪の念を込めてそれを噛み潰しましたが、飲みこめずに吐き出してしまいました。

  敵の長、アブー・スフヤーンは退散を決めると、山頂に移動し、出来る限りの大声で叫びました:「まことに戦争は時に我が勝ち、時に負けるもの。さあ、フバル(重要な位置を占めている偶像神)を高めるのだ!」預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)はウマルに次のように言うように命じました。「アッラーこそがいと高くにおわし、尊い御方である、決して同じではない、われわれの戦死者たちは天国に入るが、おまえたちの戦死者たちは火の中にある」と。アブー・スフヤーンは続けます:「われわれにはウッザー(偶像神の一つ)がついているが、おまえたちにウッザーはないのだ」預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は誰か応答してやりなさい、と命じたところ、「何と言い返せばよいでしょう?」と皆が答えました。「アッラーはわれわれの守護者であり、おまえたちには守護者はいない」と言い返しなさいと言いました。

  アブー・スフヤーンが去ると信徒たちも去って行きました。そして叫びました:来年、またバドルで決着をつけようじゃないか、と。それに応えるようにと預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は教友の一人に言いました:「承知した。われわれとおまえたちの間の約束としよう」と。

  人々は戦死者たちを見て非常に悲しむのでした。そして預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)はおじであり乳兄弟であったハムザの死を悲しみました。

 

103.信仰心篤き女性の忍耐:

  そこへハムザの姉妹であるサフィーヤが兄弟の亡き骸を確かめに現れましたが、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)はヒンドたちに加えられた傷を彼女は見るべきではないと判断し、サフィーヤの息子アッ=ズバイル・イブン・アル=アワームに、彼女を連れ戻すよう命じました。アッ=ズバイルはサフィーヤに言いました:お母さん!アッラーの使徒さまが戻るようお命じです。サフィーヤは答えました:「どうして?弟が傷つけられたと聞いたのよ。そのことについてアッラーに報奨を求め、忍耐しましょう。」そしてハムザの遺体を見ると、彼のために祈りを捧げました。それから預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の命令のもと、ハムザは埋葬されました。

 

104.ムスアブ・イブン・ウマイルとその他の殉教者たちはどのように埋葬されたか?:

  アッラーの使徒(平安と祝福あれ)から旗を受け取っていたムスアブも殺されました。彼はイスラームに改宗する前、クライシュの中でも優雅な生活を送っていた一人でした。彼はブルダという衣服で巻かれたのですが、頭を覆えば足が露わになり、足を覆えば頭が露わになってしまいます。そこで預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は言いました:「ブルダで頭を覆い、露出した足には草をかけなさい」

  また預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、ウフドの戦死者たちの中から二人の男性を一枚の布で包み、言いました:「どちらがより多くクルアーンを覚えているか?」どちらかが指されると、その者を墓に入れて、言いました:「私は審判の日、彼らに対して証人となります」そして血が付いたままの状態の彼らを埋めるよう命じ、彼らには祈りを捧げず、彼らにグスル(清め)を施すこともありませんでした。

 

(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P237240

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”父親”の本当の意味(+アムジャド先生の紹介)

2012年01月04日 | その他

ビスミッラー。

今回は、自己中な息子と、持ち得るものすべてを息子のために犠牲にする準備が出来ているお父さんとの関係を描いたお話です。

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80章解説【2】

2012年01月03日 | ジュズ・アンマ解説

بسم الله الرحمن الرحيم

24.それで人間には己の食べ物の方をよく眺め(考え)させよ。

25.(つまり)われらが水をざあざあと注ぎ、

26.それから、大地を(植物の萌芽によって)裂き割り、

27.それから、そこに穀物を生やし、

28.またぶどうや青草を、

29.またオリーブやナツメヤシを、

30.また生い茂る庭園を、

31.また果物や牧草を、

32.おまえたちとおまえたちの家畜のための慰楽(活計)として(生やしたことの方をよく眺めさせよ)。

33.それで(復活の)耳がおかしくなる程の大音声が来た時、

34.(つまり)人や己の兄弟から逃げる日、

35.また母や父からも、

36.また伴侶や子供たちからも(逃げる日には)、

37.彼らの誰もが、その日、己の気を奪うものを有する(自分のことで精一杯である)。

38.数ある顔はその日、明るく、

39.笑い、喜ぶ。

40.また、数ある顔はその日、上に塵があり、

41.埃が顔を覆う。

42.それらの者、彼らこそ不信仰な背徳者である。

 

 人間が始めどのような姿だったかやまたその終わりの姿について解明した後、クルアーンはアッラーが人間に与え給うた恩恵の数々を思い起こさせます。そうすることで人間に感謝するよう促すためです。その一つが、生きていくために不可欠である食べ物に目を向けることです。至高なる御方アッラーは仰せになります:

 

 「それで人間には己の食べ物の方をよく眺め(考え)させよ。(つまり)われらが水をざあざあと注ぎ、それから、大地を(植物の萌芽によって)裂き割り、それから、そこに穀物を生やし、またぶどうや青草を、またオリーブやナツメヤシを、また生い茂る庭園を、また果物や牧草を、おまえたちとおまえたちの家畜のための慰楽(活計)として(生やしたことの方をよく眺めさせよ)。」

 

 植物を萌え生やすという奇跡は、人間の創造と同等の奇跡です。両者とも原形質から出来ています。

 

 植物と人間の原形質はとてもよく似ていますが、植物や果物、木の種といった細胞の中に奇跡は隠れています。これらは大地を裂き、同じような種子や木々を作り出す能力を持っているのです。

 

 同様に、アッラーの叡智はこれら植物に栄養を与える雨にも隠れています。「(つまり)われらが水をざあざあと注ぎ」この雨が太洋、大河、湖の蒸気からいかに構成されているか。そして決められた季節にいかに降下し、大地の命の存続に関わっているか。そしてこの雨がいかに大地を裂いて、植物、ぶどうの房を、新鮮な緑、オリーブ、ナツメヤシを生えさせるきっかけとなっているのか。「また生い茂る庭園を」つまり数多くのしっかりとした木々を持つ園を指します。「おまえたちとおまえたちの家畜のための慰楽(活計)として」人々よ、おまえたちがこれらの作物から益を得、ラクダ、牛、羊といった家畜に餌をあたえるためだ、という意味です。

 

 続いてクルアーンは人々に審判の日の存在とその恐ろしさを思い起こさせます:

 「それで(復活の)耳がおかしくなる程の大音声が来た時、(つまり)人や己の兄弟から逃げる日、また母や父からも、また伴侶や子供たちからも(逃げる日には)、彼らの誰もが、その日、己の気を奪うものを有する(自分のことで精一杯である)。」

 

 「耳がおかしくなる程の大音声」がやってくるとき。それによって審判が起こります。その激しさは、聴覚を失わせてしまうほどです。その時、人間は自分に最も近い人を拒否します:兄弟、母、父、妻、子供から逃げてしまいます。皆それぞれ、自分のことしか頭にありません。他のことを考える余裕がないほどの悩みを抱えています。

 

 そして審判の日には信仰者がどのような状態にあるか、そして不信仰者がどのようにあるのかの描写で終わります:

 

 「数ある顔はその日、明るく、笑い、喜ぶ。また、数ある顔はその日、上に塵があり、埃が顔を覆う。それらの者、彼らこそ不信仰な背徳者である。」

 

 その日の信仰者たちの顔は「明るく」つまり輝き、光っています。「笑い、喜ぶ」アッラーから戴いた恩恵や栄誉のために嬉しくて笑っています。代わって不信仰者たちの顔はその日、「上に塵があり」つまり塵と煙に覆われます。悩みのために塞ぎ込むことを意味します。「埃が顔を覆う」屈辱に覆われるということです。「それらの者、彼らこそ不信仰な背徳者である」彼らこそがアッラーを信仰せず、過去に行なった罪業を気にしなかった人たちです。そのためにアッラーが彼らの悪い行いに対して報われるのです。

 

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/アフィーフ・アブドゥ=ル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP4142

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