イスラーム勉強会ブログ

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「証言」② (I先生の講話の訳)

2009年10月22日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)
(「証言」①の続き)

「証言」とは、見たことに対して使う言葉です。
「誰がこのことについて証言しますか?」という問いに答える人は、「私は証言します。私は目撃しました。」と言うでしょう。
ですから、証言=目撃であると理解できます。
「ラーイラーハイッラッラー」と証言することは、「アッラー以外に愛すべき存在は無く、かれこそが最初に目を向けるべき存在であること」を、心、感情で感ずる、という意味です。

近い将来、あなたがアラビア語を習得することを、アッラーがをお望みになって、あなたがクルアーンを完読したら、あなたは(一般の)ムスリムの姿が、クルアーンの中にある描写と違うことにと気づくでしょう。
また、彼らの言葉である「ラーイラーハイッラッラー」のために、大きな行動が必要であることが分かるでしょう。

「私は、医学部に入りたい」と仮定します。
必要な手続きをし、お金を払い、教科書を買い、勉強すれば、私が医学部に入ったことを証言できますが、口先だけで「医学部に入った」と言っても意味はありません。

「私はアッラーの他に神はなく…」という言葉はとても美しいものです。
口にするだけでも美しいですが、この言葉の意味を感じられたなら、更に素晴らしいでしょう。
アッラーは、私たちを幸せにしてくださるために、私たちを創造し給いました。
私たちが本当の幸せを感じる瞬間とは、私たちの心の中で、アッラーが一番の存在になるときです。
なぜなら、かれは私たちに、この世をどのようにして生きていけばよいかを教えてくださるからです。

時々魂は、アッラーが命ずる反対のことを私にさせようとします。
アッラーは私に、「浪費しないように」と命じ給いますが、魂は「浪費しろ」と言います。
もしアッラーが私の心の中で一番の存在であるなら、魂の言うことを捨て、アッラーのお言葉を聞くことでしょう。
しかし魂が勝ってしまう場合、私はイスラームに対して間違いを犯すことになります。
また、唱えた証言がうそになってしまい、これを正さなくてはいけなくなります。
ですからムスリムは、人生の中でいつもこの言葉に気を付ける必要があるのです。

ここで注意していただきたいのは、「愛」には、「知ること」が必須であることから、
アッラーを愛するためには、かれのことを知る必要があるということです。
私たちは、「知らないもの」を愛せません。
また、知らないものについて愛そうと思いつくこともありません。
しかし知り、自分がかれ(アッラー)を必要としていると分かると、かれに執着するようになります。

小さな子供が一番愛している存在とは何でしょうか。
それはお母さんです。
なぜでしょうか。
答えは、「子供が彼女を必要としているから」です。
子供は大きくなると、小さかったときよりも母親を必要としなくなります。
変わるということです。
ではなぜ、小さいときには母親が一番なのでしょうか。
母親が、子供が必要とするものをすべて与えてくれるからです。
理由は、食事、飲み物など。「彼女を必要とすること」が、「彼女をとても愛する」、ということなのです。
子供が母親を必要としないことはありません。怯えるときに、一番に呼ぶ名は「お母さん」です。
よく、部屋で独りぼっちになって、怖いときにお母さんを呼びますね。
ムウミン(信仰者)が、「証言」するとき、この子供のように、自分はアッラーをとても必要としているのだと感じなければなりません。
これを理解するための熟考は、あまり必要ではありません。
私たちが所持しているものすべては、アッラーのものです。
私の持っている目。
アッラーが与えてくださらなかったら、私は見ることが出来なかったでしょう。
アッラーは、盲目の人を創造し給うことがありますが、人々に(アッラーの恩恵を)思い出させる以外にその理由はありません。
この耳も同じです。
もしアッラーが私に与えてくださらなかったら、私は何も聞くことが出来なかったでしょう。
この指を見てください。
アッラーは、私が何かを運ぶとき、指がこういう風に作られていると有利なことを最も御存知であるため、
私をこのように創造し給いました。
もし指が、間接の部分で曲がらなかったりしたら、私は何も運べなかったでしょう。
すべて、アッラーからのものです。
私はかれを愛しています。
私のためにさまざまなものを創造してくださりました。
唇も同じです。
コップで水を飲むとき、指のようなつくりになっていたら、私は水を飲めなかったでしょう。
体の部分の中で、自在に動かせ、大きくしたり小さくしたり出来る部分は、この唇以外にありません。
これらすべてが、私にとって、アッラーを拝めたいと思う源なのです。

病院の一室に、大きな箱型の機械があるのを見たことがありますか?
それは人工透析機(アラビア語で人口腎臓)です。
人間の腎臓の働きをするものです。どんなに大きいか気がつきますか?
私たちが今いる部屋と同じくらいの大きさの機械です。
人間と機械の間にチューブが介され、人間の血液がこの機械で浄化される仕組みになっています。
この洗浄運動は大きな疲労を伴うため、
人間の体は、週に二度しか、この機械による血液の浄化を受け付けることができません。
私たちの体の中に、この機械と同じ働きをする腎臓という器官があることはご存知ですね。
この腎臓が、一日に何度あなたの体内の血液を浄化すると思いますか?
三十六回です。
毎日です。
その上、報酬を求めることはありません。
アッラーは決して、「あなたたちの血液を浄化したのだから、報酬を出しなさい」とは仰りません。
病院で血液を浄化するにはお金を払わなければなりません。
しかも高額です。

アッラーを愛するためには、つまり「アッラーの他に神は無い」と証言するためには、かれのことをよく知る必要があります。
なんとなく語られる言葉ではないのです。
人間は誰でも、何か決断を下すとき、前もってそのことについてきちんと調べているものです。
「シリアに旅行したい。」と決めたなら、あなたはきっといろいろな準備をするでしょう。
ビザやチケット、お金、泊まる場所の確保などです。
これら全てが整えば、あなたにシリア行きは可能となります。

私が、「ラーイラーハイッラッラー(アッラーの他に神は無し)」と言うとき、自分に負わされた責任を知っている必要があります。
礼拝や斎戒を行うだけではないのです。
責任とは、アッラーが私の人生で一番大切であることです。
そして、アッラーが私の人生で一番大切であるためには、かれについてよく考えなければなりません。
かれは私に何を賜ってくださったか、私に何をしてくださったか、私に何を提供してくださったか。
この熟考の末、「私に、何が求められているのか」を考えます。
「なぜかれは私を創造されたのか?」と考えます。
食べ、飲むためだけに創造されたのでしょうか?
羊や猫も食べ、飲みます。
いいえ。人間と動物には違いがあります。
人間はアッラーによって創造され、尊厳を与えられました。
もし人間の創造が、飲食と繁殖のためだけだったならば、ほかの創造物と区別がなくなってしまいます。
人間だけに与えられた、特別な何かがあるはずです。
この特別な何かによって、人間はほかの創造物と違っていられます。
それでは、一体この特別な何かとは何でしょうか?
それはクルアーン中のアル=アハザーブ章(部族連合章)の最後の節にあります。

「本当にわれは、諸天と大地と山々に信託を申しつけた。だがそれらはそれを、担
うことを辞退し、且つそれについて恐れた。人間はそれを担った。」

クルアーンの中には、ほかにもたくさん、人間とほかの創造物を区別する節がありますが、この節が一番はっきりと、このことを説明しています。
この人間に課せられた「信託」とは一体何でしょうか?
諸天、大地、山々が辞退し、人間だけが背負うことになった「信託」。人間がもしアッラーに服従したならば、尊厳と高貴さを与えられます。
この「信託」についてアッラーは仰せられます:

「わたしの創造物全てを、あなた(人間)の役に立つようにしよう。あなたはそれら全てをわたしの服従のために使いなさい。」
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「証言」① (I先生の講話の訳)

2009年10月17日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)
今から紹介するハディースは、伝承された中で、イスラームの定義を最も強く説明しているものです。今回はその前部についてお話します。
このハディースの中には、気を配られない一言があるために、
多くの人がイスラームを間違って理解してしまっています。
このハディースは、

「イスラームは五つから成り立っている」

と言っており、「イスラームは五つである」とは言っていません。
この二つの表現には違いがあります。
椅子で例えてみます。「この椅子は四本の足で存在している」と、「この椅子は四本の足である」という表現の違いを考えてみてください。
「イスラームは五つから成り立っている」は、「イスラームは五要素によって存在している」という意味です。
アッラーの他に神は無く、ムハンマドはアッラーの使徒であるという証言、礼拝、斎戒、喜捨、巡礼だけがイスラームというわけではありません。これらは柱であり、その下にさまざまなイスラームの要素が続きます。

では、イスラームとは何でしょうか。
イスラームとは、クルアーンとスンナ(預言者(平安と祝福がありますように)の言行録)にあることを実行することです。
もちろんその前に、すでに証言、礼拝、斎戒、喜捨、巡礼が実行されている必要があります。しかし残念ながら、多くのムスリムがこのことに気づいていません。
ある人は礼拝すればムスリムになれたと思い込み、また違う人は斎戒すればムスリムになれたと思い込んでいます。
同じく、喜捨をし、巡礼を全うした人もそう思い込んでいます。
しかし、これらのことを行っただけではイスラームを実現したことにはならないのです。
これらはイスラームの存在の証明です。
人間は、生きている全ての瞬間、ムスリム(アッラーに仕えるしもべ)でいる必要があります。
四六時中、礼拝や斎戒は出来ませんが、いつでもムスリムでいなければならないのです。

前回までに、四つの要素(礼拝、斎戒、喜捨、巡礼)についてお話してきましたが、今回は一番大切な要素である、「(アッラーの他に神は無く、ムハンマドはアッラーの使徒であるという)証言」についてお話します。

ムスリムは最初に、この証言を求められます。「証言する」と「言う」には、違いがあります。証言する、とはどういう意味でしょうか。
それは「感じる」ことです。
体の中で、心で感じることです。
「ラーイラーハイッラッラー(アッラーの他に神はない)」と唱えても、それを心で感じていなければ、言っていることと心にあることが一致しないことになります。この不一致は、偽りの信仰を意味します。
つまり、イスラームは心なのです。
「ラーイラーハイッラッラー」を心で感じる。
アッラーこそ、私の人生で最も重要である、と心で感じることです。

アラビア語で、「ラーイラーハ la ilaha(神は無い)」の中にある、イラーフilah(神)という単語は、動詞「ワラハ walaha」から派生しています。
この単語は、「激しく愛すること」を意味します。
愛情には、階級があります。その中で最も高い位の愛を、「ワラハ」といいます。
すると、「イラーフ」は、「最も愛される存在」という意味になります。
「ラーイラーハイッラッラー」は、一番愛される存在はアッラー以外に無し、という意味になります。
しかし、私がこの言葉を口にしながら、もし心の中にアッラーよりも愛している存在があった場合、嘘をついたことになります。
そうならないよう、「ラーイラーハイッラッラー」と唱える前に、よく考えてください。
真実について。
あなたはこの言葉の意味を証言するのか、あなたの心の中にこの言葉は存在するのか?
アッラーは、あなたの心、あなたの夫、子供、友人、食べ物飲み物、服、財産の上におられます。
私は、責任を持たずにこの言葉を口にすることで、アッラーの御前で嘘つきになってしまうことを本当に怖れます。
この思考こそが、「証言」なのです。
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オバリ・アブドゥルカーディル氏講演会『アッラーの属性と99の美名』開催のお知らせ

2009年10月15日 | その他
みんなで来てね!
以下コピペ。
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オバリ・アブドゥルカーディル氏講演会『アッラーの属性と99の美名』開催のお知らせ

http://gifu.nagoyamosque.com/jp/2009/10/84/

日時:10月31日(土)13:30~15:00
場所:岐阜モスク
テーマ:アッラーの属性と99の美名
内容:アッラーの属性(アッラーとはどういう方か)にそって、アッラーの美名について勉強します。

※講師名:オバリ・アブドゥルカーディル氏。徳島在住で徳島モスクイマームをおつとめのシリア人。
 ハーフィズかつ日本語が堪能な方です。4月に日本人ムスリマとご結婚。何度か岐阜モスクで日本語で講義してくださっています。
※講義は日本語、男女向け(会場は一つ)で、託児は予定していません。

オバリ・アブドゥルカーディル氏 (シリア出身)
講演者のプロフィール
Abdulkader Obari M.D, Ph.D
徳島マスジド(モスク)の文化担当者
各地でイスラームに関する講演を実施
病理学博士
徳島大学医学部研究員
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