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続)ムスリムの子ども教育-12-イスラームにおける思春期の子ども達とのかかわり方

2019年10月16日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

 

続)ムスリムの子ども教育-12-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生15」(32:30~44:00)

http://bit.ly/2lqXvqQ  

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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イスラームにおける思春期※の子ども達とのかかわり方

 

※思春期:

医学的には「第二次性徴の発現の始まりから成長の終わりまで」と定義。(ウィキペディア)

イスラーム的には「10歳からブルーグ※までの時期」

※ブルーグとは?:ムカッラフ(イスラーム法学上の義務行為を行う義務が課せられる者)になること。男の子は精通、女の子は初潮が来ると「ムカッラフ」となる。ブルーグに達した子どもたちは、すでに思春期を卒業し、「ムカッラフ」として、アッラーの元でイスラーム的な義務を負う「成人」の状態になる。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の思春期の子どもへの接し方~1.イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)を通して~:

 

3.子どものやる気をそがずに、善いことをしたらすぐに褒める:

 

イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)は言いました。

「夜の終わり(ファジュル前)に、私はアッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のところに行き、彼の後ろで礼拝すると、私の手を取り引っぱると、彼の隣に私を配しました。

そうして、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、礼拝を始めたので、私は隠れ、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は礼拝しました。

終了すると、私におっしゃいました。

《あなたを私の隣に配しても、隠れたのはどうしてですか?》

私は言いました。

『アッラーの御使い様、誰もあなたの隣で礼拝すべきではないのでは?あなたは、アッラーがお授けになられたアッラーの御使い様なのですから。』

すると、その言葉は彼を感嘆させ、アッラーが私に知識と理解を増やしてくれるよう、私のためにドゥアーしてくださいました。」イマームアハマド伝承

 

この預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への善いマナーが、イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)を後に、「クルアーン翻訳者」というあだ名で呼ばれるような大学者にしました。子どもが見せたよいマナーに対して、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、すかさず、その子がはっきりとわかるくらいに感嘆を示し、また、彼のためにドゥアーをするというご褒美を与えています。

 

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の思春期の子どもへの接し方~2.ウサーマ・ブヌ・ザイド様(アッラーのご満悦あれ)(ヒジュラ7年前生誕)を通して~:

ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)は預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のお孫さんのハサン様とフサイン様(彼らの上にアッラーのご満悦あれ)同様、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の愛情を受けてきた少年でした。

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が亡くなった時、ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)は、まだ17歳(か18歳)でした。

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)を通して、思春期の子どもが間違いを犯した時の対処の仕方、また、その年ごろの子どもを信頼して責任を負わせることで大きく成長させる方法を教えてくださっています。

 

1.思春期の子どもが間違いを犯した時には、はっきりと判断基準を示し、間違いを認識させること:

 

イスラーム勉強会ブログより抜粋http://blog.goo.ne.jp/qurtaf/e/1e263938c86f7358dc704dee48ddf5ba :

「189.アッラーの掟の実行に差別はない:

 この出来事が起きている時、あるマハズーム族のファーティマという名の女が盗みを働いてしまったのですが、彼女の一族がウサーマ・イブン・ザイドに援助を求めて集まってきました。なぜならアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がウサーマを可愛がっていたため、彼に執り成してくれるよう望んだからです。ウサーマがアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)にこの件を話すと、彼は顔色を変えて、言われました:アッラーの掟に関係することを何とかしてほしいと言うのか。

ウサーマは言いました:アッラーの使徒さま、私のためにアッラーに赦しを乞うてください!

 夜になると、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は説教のためにお立ちになりました。まずアッラーを讃え、続けて言われました:さて。かつて、おまえたち以前の時代の人間は滅ぼされたが、その中の貴族が盗みを働くと放置し、弱者が盗みを働くと刑を下したからである。ムハンマドの魂をその御手にされる御方に誓うが、ムハンマドの娘、ファーティマが盗みをもし働いたら、その手は切断されるだろう。

  そしてアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はかの女の手の切断を命じたことにより、女の手は切られました。その後、女は悔悛し、結婚しました。」

この出来事により、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)に、物事の判断の基準を教えています。ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)にとって、この事件は、イスラームには差別はないこと、人はアッラーの前に平等であること、という大切な教育の機会となり、こうした機会を通して、ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)は徐々にリーダーの素質を磨かれて行きます。

 

2.思春期の子どもを信頼して、大きな責任を任せること:

 

ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)は、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が亡くなる前、最後に派遣した遠征軍の最高司令官(アミール)に任命されました。当時、ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)は17歳でした。多くのサハーバ達(アッラーのご満悦あれ)を率い、アブーバクル様やウマル様やアリー様やウスマーン様(彼らにアッラーのご満悦あれ)に対して命令を下し、軍をまとめる指揮官です。

彼らは17歳のウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)の指令を受ける一兵士として軍に参加しました。ここには大きな英知があります。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、子どもが成長すると、子どもを信頼し、大きな責任を任せました。

 

現代の思春期の子どもの扱いにおいて、大きな間違いは、17歳(高校2年か3年生)の子どもを、まだ子どもだから仕方がない、まだ物事の分別がつかないから、考えが幼いから、と子ども扱いしてしまうことです。

17歳のウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)は、自分よりも年上のサハーバ達(アッラーのご満悦あれ)を率いて、立派に軍の司令官を務め、遠征は首尾良く成功しました。信頼して責任を与えれば、子どもは大きく成長し、成功を収めるのです。

子どもの失敗は、大人の信頼のなさに所以します。この子は私が言わないと何にもできない、うちの子は、高校生になっても何度起こしたら朝学校に間に合うように起きるのか、、、親の子どもへの不信感が、子どもの行動を親の期待通り、失敗させ、何もできなくさせます。反対に、信頼して、任せ、責任を取らせることで、子どもは大きな成長を遂げることができます。

 

※以下の「 」内は、イスラーム勉強会ブログより抜粋

http://blog.goo.ne.jp/qurtaf/e/53e3e24ca5ec2e635ead576ecc3db41f :

「240.最後の派遣軍:

 アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はウサーマ・イブン・ザイド・イブン・ハーリサをシャーム地方へ派遣しました。そしてまずアル=バルカーゥとパレスチナの地であるアッ=ダールーンに踏み入るよう命じました。

 ウサーマの軍に多くのムハージルーンとアンサールの教友が参加しました。その中で最年長の者はアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)によって送られたウマル・イブン・アル=ハッターブ(アッラーの御満悦あれ)です。彼の病は酷くなるばかりで、ウサーマの率いる軍はアル=ジュルフでテントを張ったままでした。結局、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が亡くなった後、アブーバクルがアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の望みを実現し彼の思いを完遂させるためにウサーマの軍を出発させました。

 

241.ウサーマ軍派軍への関心:

 病に苦しんでいたアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はウサーマを派遣することにおいて人々を待たせました。頭を縛って皆の前に姿を現したアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はミンバルの上に座りました。人々は、ウサーマが任命されたことについて、彼はまだ若く、ムハージルーンとアンサールの集団を率いることが出来るのか、と言っていたところでした。

アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はアッラーを讃え、彼に相応しい称賛の言葉を述べて、言いました:

皆の衆、ウサーマの派遣を実現させなさい。自らの命にかけて誓うが、もし、彼がアミールに任命されたことでおまえたちが何か言うのなら、彼以前の、彼の父親に関して同じことを言ったことになる。彼(ウサーマ)はまことにアミールに相応しく、彼の父親もそれに相応しかった。

このように言った後、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は場所を後にしました。これを聞いた人たちは出発の準備にすぐ取りかかりました。代わってアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の痛みは重くなっていきました。ウサーマは軍と共に出発し、アル=ジュルフというマディーナから約5.5kmの地に停留し、残りの人たちが追い付くのを待ちました。」

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のこのウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)の任命は、上記の教育という英知以外にも、いくつかの英知があります。

 

⑴   軍の最高司令官は、絶対の権限を持つ存在ではない。:

ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)は、最高司令官(アミール)であると同時に、アッラーのご命令に服従するしもべの存在であることに変わりはありません。このことを示すハディースがあります。

「アッラーのみ使いは一団の軍勢を派遣され、その指揮官としてアンサールの男を任命した。そして人々には彼の言に耳を貸し、従うようお命じになった。時に、部下達はあることでその指揮官を怒らせてしまった。

彼は「薪を集めよ」と言った。部下達はそれを集めて来た。

彼は「それを燃やせ」と言った。彼等はそれに火をつけた。

その後彼は「アッラーのみ使いは諸君に私の言葉を聞き従うようお命じにならなかったか」と言った。彼等は「はい(そのように)申されました」と言った。すると彼は「それでは火に入れ」と命令した。その時彼等は互いに顔を見合わせた。そして「われわれは火から逃れるためにアッラーのみ使いに救済を求めたのだ」と言った。その考えは皆同じであった。やがて指揮官の怒りも治まって火は消された。彼等が帰った時、その出来事を預言者に話した。

するとその御方は《もしあなた方がそれに入っていたら、その中からはずっと出られなかったであろう。服従は正しいことにおいてのみあるのだ》と申された。」ムスリム伝承

 

ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)は、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)からの教育により、自分の命令よりも、アッラーのご命令が絶対であることをよく御存じでした。そのため、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は安心してウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)に指揮を任せることができました。

 

⑵   イスラームでは、奴隷の身分の者やその子どもであっても、人々の長になれること:

ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)の父親は、奴隷であったため、彼が司令官(アミール)になるのはふさわしくない、という考えを持つ人たちがいました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、イスラームでは、人は神の元に平等であり、奴隷の息子であっても、人々のトップに立つ司令官(アミール)になることに何の問題もない、ということを実証を持って示しました。

 

⑶   ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)が崇高なマナーを備えていたこと:

その軍には、年配のサハーバ達(アッラーのご満悦あれ)が多く参加していましたが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の元で育った礼儀正しいウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)が、彼らへの礼儀を欠くことはありませんでした。彼らに最大の敬意を払い、すべての事において彼らとマシューラ(話し合い)をし、彼らの意見を聴きました。

 

⑷   年配の者が、後輩や若者に責任を任せ、一線から退くこと:

イスラームでは、年を取ったから、経験が豊富だから、という理由で、自分よりも年下の者が、指揮をとるチャンスを奪う権利はありません。この軍のように、年若い司令官が、年配の兵士たちを率いることも受け入れるべきです。それは、世代交代をうまく行うためには、年配の者が、若者に任せて、後ろからサポートする体制を取る必要があるからです。

現代では、40代の政治家であっても、若造が!と言われて、一人前に見てもらえないことがありますが、18歳のウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)を年配のサハーバ達(アッラーのご満悦あれ)が後ろに回ってサポートしていた社会は、現代の社会よりもずっと進んでいました。

 

40代、50代の人たちが、自己顕示欲を抑えて、一線から退き、若者に責任を託すことで、若者は彼らのサポートの元、安心して能力を発揮し、成長することができます。年配の者が、年下の者に、「この件は、○○と××という特徴があり、こういう点に注意すべきだと思いますが、決めるのはあなたで、責任を担っているのはあなたです。」と的確なアドバイスと信頼を若者に向けることで、若者たちは、本当に責任を担うにふさわしい存在へと成長していきます。

 

実際に、イスラーム法学では、ブルーグに達した時から、アッラーの御前で、彼らの言動は責任を伴っています。ブルーグに達した子ども達は、すでに、アッラーに責任を問われる存在です。この自覚を、子ども達がブルーグに達した時から、しっかり認識させていれば、子ども達は、そこから一人前の大人としての責任感を持つことができ、その責任感に慣れていき、それ以外のどんな責任を任せられても、自分には十分に引き受ける能力がある、という自信も産まれます。

 

 

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