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続)ムスリムの子ども教育-7-預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が訪問されたら

2019年02月17日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

続)ムスリムの子ども教育-7-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生13」(8:54~最後)

https://www.youtube.com/watch?v=JpETpYyw1zU 

子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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質問: もしあなたの家に、今から、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が訪問に来ます、と言ったら、あなたは、どうしますか?

 

この質問をするのは、私たちが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が家に来る、としたら、自分の生活の中のどの部分を変える必要があると感じ、どんな習慣を止めたいと思うか、と、現在の自分自身の生活を見直すことだけを目的としている訳ではありません。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が来るときだけ、それらを隠し、いなくなったら、また元の生活に戻る、というのでは意味がないからです。そうではなく、悪い習慣を止め、良い習慣を取り戻し、常に預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が共にいらっしゃる生活を、今後の人生で継続して行くために、この質問をしています。

 

ある子どもに、この質問をすると、「プレイステーションを窓から外に放り投げる。」と答えました。子どもの心の中に、それが自分にとって良くない物、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がご覧になるのにふさわしくないものだ、という気持ちがあるからです。子どもがどんなおもちゃで遊ぶのが好きなのか、それがどういうものなのかを親がよく知ることはとても大切です。

 

皆さんは、自分の子どもがどんなおもちゃで遊ぶことが好きなのか、知っているでしょうか。

 

プレイステーション等のゲームの中には、暴力的なものや、道徳に反するものもたくさんあります。ネットやスマホを使わせることも同じです。親が子どもの遊びを把握しているかどうか、は、親が子どもにそういったものを与える際に、教育の道具として与えているのか、それとも、子どもを静かにさせるために与えているのか、その目的によって、変わって来ます。教育の一環として与えていれば、当然、親はその内容を把握していますが、ただ、静かにさせるため、もしくは、自分がすることを邪魔されないために子どもにゲームやスマホを使わせていれば、子どもが静かにすることが目的ですから、内容は関係なく何でも見せておけばいい、となってしまいます。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が来るから、と言って、インターネットやスマホやテレビをすべて捨てなければいけない、ということではありません。それらは、ただの道具であり、例えてみれば、コップがただの道具で、もしそれを使ってザムザムの水を飲めば、ご褒美があり、ハラームの飲み物を飲めば、罰があるのと同じです。

 

ここで、質問したいのは、皆さんのお子さんのおもちゃや遊びを、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がご覧になるとしたら、その中に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に見せるのが恥ずかしい、これは見せられない、と思うものはありますか?

 

お子さん達にも、ぜひ聞いてみてください。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が来て、あなたのおもちゃを見せて、と言ったら、見せるのが恥ずかしい、と思うものはありますか?と。もし、恥ずかしいと思う物があるのなら、それは、あなたにとって必要のない物だ、とあなた自身がわかっているのだから、もうそれで遊ぶのは止めましょう。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がお喜びになられるようなものと交換しましょう。いい物か悪い物かどちらかわからない、迷うものがあれば、それを選ぶ代わりに、確実に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が喜ばれるものを選びましょう。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、あなたの子どもに、こう尋ねることを想像してみてください。「あなたの好きなことは何ですか?」子どもがもし、「テレビを見るのが好き。」と言ったら、「どんなテレビを見るのですか?」子どもは何と答えるでしょうか。その後に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)があなたの方に向き直って、

 

「この子が好きだと言っている、そのテレビ番組を見せてください。」

 

とおっしゃったら、恥ずかしく気まずい思いをするものはないでしょうか。

 

あなたがいつも見ているテレビ番組を、一週間、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が一緒にご覧になるとしたら、どの番組を、まっさきに見るのを止めるでしょうか?

 

 

質問:預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、私たちの時代にいらっしゃったら、私たちがテレビを見たり、ネットやスマホを使ったりするのを禁じるでしょうか?

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、私たちを益するものは許可され、害するものは禁じられるでしょう、インシャーアッラー。テレビやネットを全面的に禁止するよりも、きっと、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のハディースやクルアーンを、多くの言語に訳して、世界中に届けることにそれらの道具を使われるのではないでしょうか。問題は、道具ではなく、私たちの使い方です。私たちが反省しなければならないのは、それらを、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のもたらした導きを人々に伝え、私たちを益するように使っていないことです。私たちの使い方を、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がお喜びになられる使い方に変えること、それだけが必要です。

 

 

質問:ムスリムの子ども達が、ハリーポッターに夢中になっていますが、イスラーム的にはどうでしょうか?

 

まず、イスラーム的に何かを判断する際に、短絡的にすべてを否定して、子どもに禁じたり、すべてを許可したり、ということはあまり良いことではないことを知る必要があります。子ども達に、ハリーポッターのどんなところが好き?と聞くと、魔法使いの子どもが、魔法を使って悪と戦い、友達を助けたり、正義のために戦うところ、という意見が多く出ます。子ども達がハリーポッターに惹かれる理由として、彼の善い性格に惹かれ、子ども達の中に、正義を愛する気持ちがあるのは、とても喜ばしいことです。その点は、教育的見解や、道徳的見解と、イスラーム的見解に相違はないでしょう。

 

ただ、問題なのは、その魅力的な彼が、「魔法を使う」、という点です。イスラームでは、魔法は、ハラームです。魔法に、良い魔法も悪い魔法もありません。ハリーポッターがいくらそれを善いことに使っても、アッラーが禁じられたハラームの物を使っていることに変わりはありません。また、魔法を使って、悪を退治する、というのは、空想であって、現実に起こることではありません。魔法を善いことに使う、というのは、ただの作者の考えた「嘘」であり、子ども達の中に、アッラーが禁じていることに対する愛情を植え付ける、という点には、問題があるでしょう。

 

「奇跡」に惹かれる現代人

 

また、注目すべきは、子ども達が、ハリーポッターが魔法を使って起こす「奇跡」というものにとても惹かれる、魅力を感じる、という点です。現実的に起こるはずがないような「奇跡」に、なぜ人は惹かれるのでしょうか。それは、ハリーポッターに、子どもだけでなく、大人のファンが多いことからもわかりますが、すべての人にとって、「奇跡」は興味を引き付ける対象になっています。現代のように、科学が進み、世俗主義が浸透し、不可視の物を信じる気持ちが薄れている世の中で、どうして、魔法のような「奇跡」に、人々がワクワクし、夢中になるのでしょうか。それはまるで矛盾しているように見えます。目に見える物しか信じないと言っている人たちが、魔法や魔法使いの物語に夢中になるというのは、どういうことでしょう。

 

他にも、先進国と呼ばれる国で、宗教から遠く離れた生活を送っている人たちに、よく当たると評判の占い師が大人気だったりします。目に見えない物を信じない、と言っていたのではないですか?占い師の言葉を信じる?魔法使いに夢中になる?!どうしてでしょうか。

 

それは、アッラーが、人間を創造した時、すべての人が、不可視の物、幽玄界への信仰を持つようにお創りになられたからです。すべての人に、そういったものに対する欲求が備わっています。ただ、ある人達にとっては、それが、アッラーへの信仰や、クルアーンや預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への信仰となって現れ、また別の人たちには、魔法や占い師への信仰となって現れる、ということです。つまり、すべての人の中にある、真実の信仰によって満たすべき場所が空白になっていると、別の形の不可視の物、魔法やその他の物に惹かれ、それらを必要としてしまう、ということです。

 

ハリーポッターの最初に売り出された本は、世界140カ国で1千万部を超える前代未聞の販売実績を記録し、最終的にシリーズ7作品は、全世界で73の言語に翻訳され、シリーズ世界累計発行は4億5000万部以上という超ベストセラーとなりました。それだけの人がハリーポッターに惹かれた理由は、人々の魂の中に、アッラーがお創りになられた、不可視の物を信じたいという欲求があり、その欲求が正しい信仰で満たされていないと、他の不可視の物で満たそうと、それらを求めるからです。

 

目に見えないものに惹かれる心のすき間を埋めるには?

 

イスラーム世界では、昔から、子ども達に預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の話をする際には、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の起こされた奇跡について、よく話したものでした。多神教徒達が、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に、月を割ってみろ、と挑戦し、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がアッラーにドゥアーをされると、月が割れた、という話がクルアーンにもあります。

 

【時は近づき、月は真っ二つに裂けた。

彼らはたとえ印(奇跡)を見ても、背き去って、「これは相変らずの魔術だ。」と言うであろう。

彼らは(訓戒を)虚偽であるとし、自分の欲望に従ってきた。】クルアーン54:1〜3

 

また、ある戦いで、カターダ様(アッラーのご満悦あれ)の片目の眼球が落ちてしまった時、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がそれに息を吹きかけ、眼球を元の場所に戻すと、彼の眼は元通りに治った、という奇跡があります。彼(アッラーのご満悦あれ)は、その後、眼が病気になった時にも、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が戻してくださった方の眼は健康なままだった、と語っています。こういった多くの奇跡のお話は、子ども達に預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への愛情を増し、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への尊敬や興味を育て、アッラーが預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を遣わし、そうした奇跡を与えてくださったことへの確かな信仰を育みます。

 

また、サハーバ達(アッラーのご満悦あれ)の奇跡や、アウリヤーと呼ばれる、アッラーに近しい人達の奇跡も、多くあります。例えば、ウマル様(アッラーのご満悦あれ)が、マディーナのミンバル(説教壇)の上で説教をしていた時に、アッラーが、ニハーワンド(現在のイランのテヘランの南)に遣わした軍隊をウマル様(アッラーのご満悦あれ)に見せ、そこに敵の罠があったために、軍隊の長官であるサーリヤに向かって、ウマル様(アッラーのご満悦あれ)が、ミンバルの上から、「サーリヤよ。山だ。山だ」と、大声で叫ぶと、サーリヤは遠く離れた距離(直線距離で2,000km以上)にもかかわらず、ウマル様(アッラーのご満悦あれ)の声を聞き、その警告通りに山の方に進軍し、勝利をした、という話があります。

 

また、ある男が妻でない女性のことをアッラーが禁止された悪い視線で凝視した後、その男が、ウスマーン様(アッラーのご満悦あれ)の元に人々が集まっているところに行くと、ウスマーン様(アッラーのご満悦あれ)の顔色が変わり、「あなた方の中で、目で婚外交渉を行った跡を残して、ここにやって来た人がいます。」とおっしゃいました。男は叫びました!「アッラーの使徒様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の後に啓示が下った!!!」するとウスマーン様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は「いや、そうではないが、真実の言葉と正確な眼識だ。」とおっしゃいました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がおっしゃった通りです。

 

《信者の眼識を畏れなさい。彼はアッラーの光によって見るのです。》ティルミズィー伝承

 

こういった奇跡を、子ども達に聞かせることで、人間の持つ不可視の物への欲求を満たし、アッラーが禁じている物を必要としなくて済むようにしてあげることが必要です。

 

また、ハリーポッターに関しては、子ども達が好きな点に、彼が正義のために悪と戦う、友達を守る、といった理想的なヒーロー像があります。これも、私たちは、ムスリムの子ども達に、実際に歴史上に、多くのムスリムの英雄がいたことを伝える必要があります。想像上のヒーローは、作者によって、その後、どのようにも変えられます。ムスリムの子ども達が憧れる対象が、現実にはいない、想像上の魔法使いであることは、ある種の危険を伴います。作者が、お話の中で後に、彼に道徳的に良くないことをさせ、間違った道へと子ども達を招く人物に作り上げることもあり得るからです。

 

子ども達の理想像が、ハリーポッターであることを、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がご覧になり、子どもに、「あなたの好きなハリーポッターは、どういう人ですか?」とお尋ねになられ、「彼は魔法使いです。」と私たちの子ども達が答えたら、また、子ども達が、ハリーポッターの登場人物については、その年齢から性格までこと細かく答えられるのに、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、「私の子ども達の名前を知っていますか?」と尋ね、私たちの子ども達が答えられなかったら、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がどんなにがっかりなさるでしょうか。

 

アッラーが、私たちの子ども達に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への愛情を御恵みくださいますように。

 

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続)ムスリムの子ども教育-6-預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもたちへの教育

2019年01月28日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

続)ムスリムの子ども教育-6-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生12」(37:25~最後)13(最初~8:54)

https://www.youtube.com/watch?v=JpETpYyw1zU 

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもたちへの教育

 

前回は、7歳までは、親が礼拝している姿を見せ、7歳になったら礼拝を教え、10歳になるまでに5回の礼拝ができるように練習して行くというお話をしました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《7歳になったら、子どもに礼拝を教えなさい。10歳になって(しなかった)ら、叩きなさい。》アブー・ダーウードとティルミズィー伝承

 

10歳以降の子どもへの接し方:

10歳を過ぎた頃、11歳、12歳になると、思春期と呼ばれる時期になります。この時期は体の成長やホルモンの変化が起き、心の状態にも変化があります。まず特徴的なのは、自立心の芽生えです。“自分”というものを確立していく大切な時期なので、子どもの自立したいという気持ちに、周りの大人がよい接し方をすることが大切です。よい接し方というのは、「叱責したり、頭ごなしに強制したりせず、かといって、放任もしない」、ということです。この時期の子どもに対して、頭ごなしに怒ったり、力で説き伏せるようなことは厳禁です。また反対に、何の保護もせず、したいままにさせておく、というのもよくありません。この時期の保護のひとつとして、子どもが、物事には、「超えてはいけない一線」があることを感じること、が必要になります。

 

この時期の子どもは、何でも自分でやりたがり、親や大人の干渉を嫌がり、今までの習慣を打ち破り、新たな自分を確立しようとします。これは自立心の芽生えで、良いことですが、それをただ放っておくと、何をやってもいいとなり、そこには大きな危険が伴います。まず、大人が、私はあなたのことを尊重している、あなたの選択を尊重し、あなたの趣味を尊重し、それを応援しますよ、ということを話した上で、だから、あなたにも尊重してほしいことがあることをわかってほしい、と伝えます。あなたはもう大きくなったのだから、あなたや友達の行動を尊重し、干渉するつもりはありません、ただ、あなたも自分のことを尊重してほしい、と伝えます。「物事には、「超えてはいけない一線」があります。それは、「アッラーへの振舞い」です。あなたはもう大人の仲間入りをしているのだから、アッラーの権利を欠くことだけは、許されません。もし、礼拝をしない友達と一緒に遊んでいて、礼拝を忘れるようなことがあったら、それは許されないことです。」こう告げます。

 

しかし、間違えてしまいがちなのは、10歳になるまでに、イスラーム的な子育てを何もせず、子どもの心に、アッラーと預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への愛情を育てることをおろそかにし、家の中で礼拝のすばらしさを感じるような環境づくりをせず、子どもが家で礼拝をしている人を見ることがないような状態、また、子どもが、母親や父親の振舞いや言動の中に、「礼拝の効果」を見ることがないような環境で育てた後に、10歳になってから、突然、このハディースを思い出すことです。

《7歳になったら、子どもに礼拝を教えなさい。10歳になって(しなかった)ら、(軽く)叩きなさい。》アブー・ダーウードとティルミズィー伝承

 

そして、なぜ礼拝をしないのか、と言って子どもを叩く、これは大きな間違いです。叩くこと、は、小さい時からのイスラーム的教育があり、その上で、7歳から10歳になるまでの礼拝の練習があり、その上に蓄積されるべきことです。その上でできない場合だけに、それが許されないことを知らせるためだけに行うことが許されているのです。

 

自分が持っていない物を人にあげることはできない、というアラブの諺がありますが、親がまず5回の礼拝を時間内にして見本を見せなければ、子どもが礼拝を守るようにはなりません。親が礼拝を守り、子どもが、自分に対する親の言動の中に、「礼拝による影響」を見ることができれば、子どもに、叩くことは全く必要ありません。このハディースを読み聞かせるだけで十分です。

 

また、叩くと言っても、このくらい(と言って先生は、右手の人差し指と中指の2本の指で、左手の甲を叩く。)の叩き方しかしてはいけません。そこには条件があります。顔を叩くことは大部分の学者がハラームとしています。ハラームです。跡が残るような強い叩き方をしない、兄弟や他の人が見ている前で叩くなど子どもの尊厳を損なうようなことをしないことも条件です。このハディースを教えた上で、10歳以上の子どもに、「超えてはいけない一線」があることを教えるために、10歳になって礼拝を怠った時だけにこの方法は使われます。礼拝以外のことで使うことは許されません。10歳以上の子どもに、レッドラインがあることを、知らせるためだけに使われます。

 

また、注意すべきことは、10歳になって、礼拝を怠る子どもには、必ず、礼拝しない友達がいる、ということです。友達が全員礼拝をする子であれば、その子も礼拝するでしょう。しかし、家でも親が礼拝しない、友達も礼拝しない、子どもはどうやって礼拝できるようになるでしょうか。そういった状態に陥っている10歳以上の子どもには、親に対して、ある種の反抗が見られることがあります。そういう子には、礼拝だけでなく、その子の信仰も心配です。その状態の矯正のためにも、親がレッドラインを示す姿勢は有効です。もう一度言いますが、小さい頃からアッラーと預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への愛情を教え、親の礼拝の影響を言動に見て育った子どもには、10歳になっても叩くことはまったく必要ありません。これは、とても例外的な状況のみのことです。

 

 

質問:現在は、アラブ圏で子どもをインターナショナルスクールに行かせる親が増え、アラブ諸国に住んでいてもアラビア語ではなく英語しか話せない子どもが増えていますが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がその子ども達をご覧になったら、どう思われるでしょうか?

 

回答:もしその子たちが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に、「私は、あなたの宗教、あなたの言葉を世界中の人たちに教えるために、外国語を学びました。」と言ったら、その言葉は間違いなく、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を喜ばせることでしょう。しかし、もし、それが、クルアーンの言語であるアラビア語が「話せない」という状況ならば、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)をとても悲しませることになるでしょう。間違いなく、それは悲しむべきことです。私たちの宗教は、外国語を学ぶことを奨励しています。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、一部のサハーバ達(アッラーのご満悦あれ)に、シリア語やコプト語等を習得して、人々との関係を良くするよう命じています。しかし、それも、アラビア語の基礎がしっかりあった上でのことです。

 

もし外国語を学ぶインターナショナルスクールに子どもを通わせる必要がある場合は、学校の勉強とは別に、アラビア語の基礎をしっかりと教える学習が必要です。言語学の教授が証明していることには、外国語を学び、それを使いこなしたいと思ったら、しっかりとした母国語を確立し習得する必要があります。母語がしっかりしていなければ、外国語を学ぶことも中途半端になり、また、それを使いこなすことはできません。子どもには、母語の教育がまず何よりも必要です。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子ども達への接し方:

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、子ども達の遊びにも興味を持って、声をかけていました。

 

アブーフライラ様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)は伝えて言いました。

 

《ハサンとフサインが、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のところで戦いごっこをして格闘していると、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、「ほら、ハサン」と言ったので、ファーティマ様は、「アッラーの御使い様、どうして『ほら、ハサン』とおっしゃるのですか?(別の伝承では、「彼(ハサン)の方が好きなようですね?」)」と言うと、こうおっしゃいました。「実に、ジブリールが、『ほら、フサイン』と言うのです。」》イブン・ハジャル・ル=アスカラーニー、イブン・アサーキル伝承

 

これは、ジブリールが参加し応援するという、ハサン様とフサイン様(お二人の上にアッラーのご満悦あれ)の祝福の大きさを表すハディースでもありますが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が子ども達の遊びにも関心を持ち、よく声をかけておられたことがわかるハディースです。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、エチオピアから来た小さな女の子に、外国語を話したことがあります。そのハディースをご紹介しましょう。

 

《預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、小さな黒い服を持って来て、おっしゃいました。「これを誰に着せたらいいでしょうか」人々は沈黙しました。「では、ウンム・ハーリドにあげてください。」そこで、彼女にそれが与えられると、ご自身の手でその服を持ち、彼女に着せてあげました。そして、「その服が擦り切れるまであなたが長生きしますように。」と言いました。その服には、みどり色か黄色の模様がありました。そして、こうおっしゃいました。「ウンム・ハーリドよ、これは”サナー”ですね。」”サナー”とは、エチオピア語で、かわいいという意味です。》

 

このハディースでもわかるように、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、いつも子ども達に自分から声をかけていました。以前もこのシリーズでお話したように、道で子ども達に会うと、ご自分の方から子ども達に挨拶をされていました。子ども達にも、彼(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が彼らの預言者であることを感じさせ、大人たちの預言者であるだけではなく、子ども達の自分たちにとっても、良い物を持って来てくれる預言者であることを感じさせていました。

 

【われは只万有への慈悲として、あなたを遣わしただけである。】クルアーン21-107

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、大人だけでなく、子どもにとっても、動物にとっても、すべての被造物にとっての慈悲として遣わされました。

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続)ムスリムの子ども教育-5- 子どもにいつ礼拝を教えますか?

2018年12月31日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

 

続)ムスリムの子ども教育-5-

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生12」(22;28~37:25)

https://www.youtube.com/watch?v=JpETpYyw1zU 

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもたちへの教育

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子ども達への接し方の特徴は、物質的なものよりも、精神的なものをたくさん子ども達に与えていたことです。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が旅からお戻りになると、まず子ども達が彼(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を出迎えていました。

アブドッラー・ブヌ・ジャアファル様(アッラーのご満悦あれ)はこう伝えています。

 

《アッラーの使徒が旅から戻ってきたとき、彼は彼の家族の子供達に迎えられたものでした。あるとき、彼が旅から戻ったとき、私が最初に彼のところに行った。すると彼は私を彼の前に乗せた。それからファーティマの息子の一人(ハサンまたはフサイン)が来たので、彼は彼を後ろに乗せた。このようにして私達三人は動物(ラクダ)に乗ってマディーナに入ったものでした。》ムスリム伝承

 

ハディース《アブーウマイルよ、小鳥はどうしてしまったの。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がマディーナのアンサール達(アッラーのご満悦あれ)の家に行くと、必ず、そこの子ども達に挨拶をし、頭をなで、アッラーのバラカ(祝福)があるようドゥアーし、優しく接しました。もし子どもが悲しい顔をしていたりすると、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、その子の悲しみに寄り添いました。アナス・ブヌ・マーリク様(アッラーのご満悦あれ)の弟が、小鳥(サヨナキドリ、ナイチンゲールとも呼ばれる。上の写真参考。)を飼っていましたが、その小鳥が死んでしまって悲しみに暮れている子どもに対し、声をかけているハディースが残っています。

 

アナス・ブヌ・マーリク様(アッラーのご満悦あれ)は伝えています。

 

《アッラーのみ使いは何人も比肩し得ない、高潔な品性を供えておられた。時に、私にはアブー・ウマイルと呼ばれていた(幼い)兄弟があった。

私は、彼は既に離乳されていたと思うが、アッラーのみ使いがわが家に来られた時、彼を御覧になり、

「(やさしく)アブーウマイルよ、小鳥はどうしてしまったの」と申された。

彼はその時(死んだ)小鳥と遊んでいたのであった。》ムスリム伝承

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、小鳥が死んでしまって悲しむ子どもの気持ちに寄り添う声かけをされています。私たちは、時には、子どもが何かを失って悲しんでいると、「そんなのまた買えばいいじゃない。」とか、「ママが新しいのを買ってあげるからね。」「今度はもっとかわいいのを買おうね。」とか、その子の気持ちを消すように、その子の抱えている問題を解決するように、声かけをしてしまいますが、そうすべきではありません。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、「もっとかわいいのをあげるから悲しむのを止めなさい。」とか、「大丈夫、今度は小鳥を5匹取って来てあげるから。」など、その子どもが感じている感情を他の物に取り換えて、解消するような声掛けはされませんでした。なぜなら、そういった声掛けは、その子の感情が成長するのを妨げてしまうからです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がかけられた言葉は、「(やさしく)アブーウマイルよ、小鳥はどうしてしまったの」という、その子の感情を消すのではなく、悲しみの感情に寄り添い、心の成長を助ける言葉でした。

 

子どもに対するこの短い一言、「(やさしく)アブーウマイルよ、小鳥はどうしてしまったの」というハディースについて、イマーム・シャーフィイー師(アッラーのご慈悲あれ)は、一晩かけて検証し、150個のイスラーム法学の見解を導き出しました。

例を挙げると、「子どもが小鳥を飼うことがムバーハ(許される行為)であること」、「子どもをクンヤ(近親呼称、クンヤ(*…の父、…の母などの命名法)で呼ぶことが奨励される行為(ムスタヒッブ)であること」などです。

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、ここで、まだ授乳が終わったばかりの子どもに対して、「アブー・ウマイル(ウマイルの父)よ」と呼びかけています。この呼びかけ方は、子どもに尊厳を与え、その子が責任感を持つことができるように声掛けをする、というイスラーム的教育方法です。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、子ども達をよくクンヤで呼んでいました。孫のハサン様(アッラーのご満悦あれ)は、「アブー・ムハンマド(ムハンマドの父)」と呼ばれていました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が亡くなった時、ハサン様(アッラーのご満悦あれ)はまだ8歳の子どもだったにもかかわらず。また、孫のフサイン様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)は、「アブー・アブドゥッラー(アブドゥッラーの父)よ。」と呼んでいました。娘のザイナブ様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)の子どもである、孫のウマーマ様(アッラーのご満悦あれ)は、「ウンム・ハーリド(ハーリドの母)よ」と呼んでいました。このハディースでも、同様に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、小鳥を亡くした子どもに対して、「アブー・ウマイル(ウマイルの父)よ」と呼びかけています。

 

アラブ圏でも、現在は、実際にその子に子どもができて親になるまで、クンヤでは呼ばない習慣が定着してしまい、「あなたのクンヤはなんですか?」と聞くと、「私はまだ結婚していません。」という答えが返って来ます。しかし、子どもに対してクンヤで呼ぶことは、子どもが尊厳を感じ、責任感を持ち、大人の仲間入りをしたように感じることで、自分に対する自尊心を育てる効果があります。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもへの罰の与え方

 

質問:預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、子どもが間違えた時に、どうやって罰を与えていましたか?

 

回答:まず最初に、子どもに対する罰というのは、正しい方向へのしつけであって、ただの「怒りのはけ口」であるべきではありません。多くの親が、子どもが間違ったことをしているのを見て、怒りを覚えた時に、罰を与えています。つまり自分の怒りを晴らすために罰を与えています。これは大きな間違いです。お母さん、お父さん、どうかしっかり聞いてください。子どもに対する罰の大きさは、あなたの怒りの大きさに比例すべきではありません。罰の程度は、その間違いの程度としつけの必要性によって決定されるべきです。もちろん、しつけは必要ですが、間違ったことをすると自分が損をすること、正しいことをすると自分が得をすること、を子どもにしっかりと理解させ、学ばせることが必要です。

 

その上で、罰を与える時であっても、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、決して、子どもを叩いたり、ぶったり、身体的な罰を与えることはなかったことを知らなければなりません。これは、子どもに限らず、女性に対しても、奴隷に対しても、誰に対しても、敵に対する防衛の戦い時に、敵に応戦することを除いては、一度も、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は誰かに暴力を振るうことはありませんでした。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、ただ、子どもが間違えていることを、子どもが理解できるように気付かせました。

 

ムスリムの子ども教育の最初からの講義でお伝えしてきたように、イスラーム的に、産まれる前から、子どもの教育のために気を付けることはたくさんあります。まず、結婚の時の正しいニーヤ(意思)、良い配偶者を選ぶこと、子どもを授かる時のドゥアー、妊娠中に母親がズィクルを沢山すること、妊娠中の胎児にハラールの食べ物を与えるよう父親が自分の収入源に気を付けること、産まれた子どもの右耳にアザーンを、左耳のイカーマを唱えること、(つまり、体のための栄養を与える前に、魂の栄養を与えることによって、子どもに、体の栄養よりも魂の栄養を優先することを教える)、子どもによい名前を選ぶこと、など、これらの多くのスンナは、産まれる前から5歳になるまで、子どもに対して、特に、大きな愛情を与える必要があることを示しています。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のハディースにも、その重要性を教えているものがあります。

 

《預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、その子(フサイン)の前に出て行くと、両手を広げ、彼をあちらこちらに歩かせながら、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は彼とたわむれ、そして、彼を抱き上げると、片手を彼の顎に、もう片方の手を彼の頭に置いて、彼にキスをしてこう言いました。

「フサインは私の一部です。また私はフサインの一部です。フサインを愛する者をアッラーは愛します。」》イブン・マージャ伝承

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のこのハディースは、子どもに対して、愛情をたっぷりかけることを私たちに教えています。フサイン様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)に向けられたような、子どもに対する大きな愛情と慈愛、そして、他のハディースであるように、右手で食べるように、というようなはっきりとした言葉で、子どもに善いことを教えること、このふたつが、子どもに罰を与える必要性を大きく減らします。

 

子どもにいつ礼拝を教えますか?

 

小さい時から、アッラーと預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に対する愛情を子どもの心に植え付けることがとても大切です。そして、子どもが、分別年齢(タムイーズの年:学者間の相違があり、7歳とも、右手と左手がわかるようになった年とも、イスティンジャーができるようになった年、とも、ファーティハ章をうまく詠めるようになった年とも言われる。だいたい7歳かそれ以下の年齢。)に達したら、その子に、礼拝を命じなければなりません。つまり、タムイーズの年になるまでは、子どもに礼拝を命じません。ただ、大人が礼拝するところを沢山見せて、一緒に礼拝に立つようになったら、それを励まし、褒め、きれいな礼拝着を買ってあげたり、その子用の礼拝絨毯を買ってあげたり、奨励していくと、子どもは、自分の人形にも礼拝をさせたりして遊ばせ、礼拝に親しみ、礼拝が好きになります。

 

タムイーズの年齢前は、礼拝を命じませんが、ただ、子どもに親が礼拝をするところ見せて、「ママ、どうして礼拝するの?」と聞かれたら、「アッラーに近づくためによ。ママはアッラーのことが大好きだからね。」と、子どもの心に、アッラーへの愛情を植え付けます。「アッラーは私たちのことが大好きなのよ。礼拝をする時は、アッラーとお話できるのよ。礼拝をすると、アッラーは私たちに話しかけてくださるのよ。」タムイーズの年齢までは、ただ、礼拝をするところを見せて、礼拝したい気持ちにさせ、子どもが礼拝を自分からすることがあれば、沢山褒めて、礼拝を好きにさせることが大切です。

 

(訳者注:この話をされているのは、イエメンの先生なので、イスラーム圏であるイエメンでは、小さい子どもが礼拝に触れる機会は、日本よりもずっと多いはずです。日本で、幼稚園などでムスリムでない日本人のお友達に囲まれて、誰も礼拝をしない状況で、家だけで先生がおっしゃるようにして、子どもが礼拝を好きになるかどうか、は、疑問が残るかもしれません。ただ、親が、礼拝が大好き、という姿を子どもに見せて、先生がおっしゃるように、きちんと言葉でも伝えることは、日本であっても、とても大きな影響が子どもにあると思います。

反対に、親自身が、礼拝をさぼっていたり、やりたくない気持ちが少しでもあると、子どもが親を見て、礼拝は面倒くさい物、煩わしい物、と思ってしまうことは十分あり得るでしょう。親が思う以上に子どもは、親の気持ちにとても敏感なので、子どもの前で、礼拝をさぼったり、煩わしく思ったりしないよう、いつも「礼拝大好きオーラ」を出し続けられるといいですね。大好きなお母さんが大好きな礼拝を、子どもも大好きになるでしょう、インシャーアッラー。)

 

そして、タムイーズの年齢、7歳(日本では年長さんから小学1年生)になったら、「マーシャーアッラー!あなたはもう大きくなったから、お祈りのやり方がわかるのね。」と、礼拝を一緒にさせます。7歳から10歳までは、礼拝の練習期間です。

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《7歳になったら、子どもに礼拝を教えなさい。10歳になって(しなかった)ら、叩きなさい。》アブー・ダーウードとティルミズィー伝承

 

10歳(日本では小学4年生~5年生)になっても、義務の5回の礼拝ができなければ問題なので、7歳から10歳までの3年間できちんとできるように練習します。ただ、先ほどお話したように、産まれる前から、きちんとイスラーム教育をされてきた子どもには叩く必要はまったくありません。ただ、10歳になって、礼拝を怠ったら、叩かれる、という上記のハディースを教えるだけで、十分でしょう。(・・・続く)

 

(訳者注:マレーシアに住んでいたシスターが、6才になったら毎日義務の礼拝を必ず一回する、7才になったら二回、と毎年一回増やしていくと、10才には五回の礼拝が欠かさずにできるようになるというやり方をされていて、お子さんが無理なく、学校でもきちんと義務の礼拝ができるようになっていました。マーシャーアッラー。)

 

日本のムスリムの子ども達が、アッラーと預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を大好きになって、礼拝を大好きになりますように!

 

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続)ムスリムの子ども教育-4-預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもたちへの教育

2018年12月24日 | 預言者の教育方法

続)ムスリムの子ども教育-4-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生12」(最初13:35~22;28)

https://www.youtube.com/watch?v=JpETpYyw1zU 

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもたちへの教育

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子ども達への接し方の特徴は、物質的なものよりも、精神的なものをたくさん子ども達に与えていたことです。子ども達への愛情や思いやりもそのひとつです。小さな子どもは大人の温かい愛情が何よりも必要です。また、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が与えていたもののひとつに、子ども達へのドゥアーもあります。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、自分の子どもにも、彼(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のところにやって来る他の子ども達にも、ドゥアーをしてあげていました。子ども達は、それによって、自分に価値があることを感じ、自尊心を育むことができます。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、道で子どもにすれ違うと、ご自分から、子どもに挨拶をされていました。現在では、子どもが大人のいるところに行くと、「あっちに行ってなさい。」「ああ、うるさい、向こうで遊んでなさい。」とすぐに邪魔者扱いすることがあります。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、決してそうではありませんでした。子ども達に尊厳を与えて、ご自分から、子ども達に挨拶をされていました。

 

子ども達にはわかります。自分達の親が、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のところに行くと、どんなに礼儀正しくしているか、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の話を聞くときには、まるで頭に鳥が止まっているように、微動だにせず傾聴し、お顔を直視することさえしないほど両親が尊敬している預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)、彼(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がウドゥーをすると、流れ落ちる水を自分たちの手に受けようと争わんばかりになるほどの尊敬を受けているその御方が、小さな自分に会うと、自分にほほ笑まれて、自ら挨拶をしてくれることが、どんなに子どもにとって、嬉しく、自尊心を高めてくれることでしょうか。

 

《彼は、アンサールを訪問する時、子ども達の傍を通りかかると、彼らに挨拶をし、彼らの頭をなでました。》ナサーイー伝承

 

アナス様(アッラーのご満悦あれ)は言いました。

《私が預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)と一緒にいた時、子ども達の傍を通りかかると、彼らに挨拶をなさっていました。》ティルミズィー伝承

 

質問:預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、どのように子どもに教えていましたか?

回答:ある時、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が食事の席に着くと、子どもが一緒の席で食べていました。現在では、子ども達を別に座らせて食べさせることがありますが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は大人の間に子どもを座らせて食べていました。食事のマナーを学ばせるためです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)と同じ食事の席についていたその子は、お皿の上の料理にあちらこちらから手をつけ、食べ散らかしていました。それを見た預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、おっしゃいました。

 

《少年よ、アッラーの名を唱え、右手で食べなさい。そして、あなたの近くにある物から食べなさい。》ブハーリー伝承

 

子どもの行動を正す時の預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の言葉を見てください。まず、「少年よ」と、その子に呼びかけ、その子に対して、敬意を払っています。いきなり、「こら!左手で食べるんじゃない!」とか、「そんな風に食べ物をぐちゃぐちゃにすんじゃない!」と怒ったり、叱ったりはされませんでした。子どもがすべきことを、丁寧にきちんと教えていらっしゃいました。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の女児の待遇

 

また、ある時、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が礼拝のためにモスクに入ると、娘さんのザイナブ様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)の子どもである、孫のウマーマがよちよち歩きで後を付いてきました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、イマームとして礼拝に立つと、ウマーマを抱き上げ、礼拝を始めました。ルクウ(屈身礼)の時もウマーマを抱いたまま行い、そのまま直立に戻り、サジダ(跪拝(きはい))をする時には、ウマーマを横に置き、サジダをしました。2ラカート目に立った時には、ウマーマを抱き上げて立ち礼拝を続けました。

 

この預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の振舞いから、イスラーム学者達は、幼児を抱いて礼拝する方法や、礼拝中の余分な動きについての見解など数多くのフィクフ(イスラーム法学)の見解を導き出しました。それと同時に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のこの振舞いには、人々への教育的な教えが含まれていました。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の時代は、まだ女の子が産まれると生き埋めにしていた無名時代が終わったばかりで、人々の間には、女児への嫌悪感が残っていました。子どもが産まれると、男の子なら喜び、女の子なら悲しむという時代でした。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がイスラームを伝え、イスラームがその悪習を払しょくしました。その時代に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が女児を抱いたまま、大勢のサハーバ達(アッラーのご満悦あれ)の前にイマームとして立ち、女児を抱えたまま礼拝をするという行いは、人々に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、女児に対して喜びを持って迎えているということを広く知らしめました。

 

現代においても、地域によっては、女児よりも男児の方が喜ばれるという無名時代の名残があることがありますが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、そのことに満足なさいませんでした。なぜなら、そうした偏見を持った大人たちの女児を見る眼差しや接し方が、何も言わなくても、その子の中に大きな影響を与えることをご存知だったからです。また小さな子どもへの気配りや保護についても、このハディースは教えてくださっています。

 

礼拝の邪魔をする子どもについて

 

ある時、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が集団礼拝をしていた時、サジダ(跪拝(きはい))をされたまま、長い間、そのまま動かなくなりました。サハーバ達(アッラーのご満悦あれ)は、礼拝中に預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に何かあったのかと心配になるほど、そのサジダは長く続きました。あるサハーバは心配になり、頭を上げて預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を見ると、孫のハサン様かフサイン様(お二人にアッラーのご満悦あれ)が、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の背中に乗っていて、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はその姿勢から動きませんでした。集団礼拝のイマームをしていて、子どもが背中に乗り終わるまで、ずっとサジダの姿勢で待っていたのです。

 

現代は、子どもが礼拝の場所に来ると、「うるさい!」「静かに!」「あっちに行きなさい。」と適当にあしらったり、もしくは、「こっちに来て、テレビを見てなさい。」「YouTubeを付けてあげるから、見てるのよ。」と言って、子どもにスマホやパソコンを与えています。なぜでしょうか?ただ、子どもを静かにさせて、子どもに邪魔されず、自分のしたいことをするためです。しかも、子どもがテレビで何を見ているのか、スマホでどんなゲームをしているのか、注意を払うことがありません。ただ、子どもが静かになればそれでいい、とばかりに、子どもにネットを与えてしまいます。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、子どものために、集団礼拝のイマームをしていた時さえ、サジダを長くなさいました。礼拝が終了すると、サハーバ達(アッラーのご満悦あれ)が、サジダが長かったのであなたに何か起きたのか、それとも、啓示が下りたのでしょうか、と尋ね、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、

《そうではありません。ただ、この子が、私に乗ってきたので、彼の要求を満たすまで、急かせたくなかったのです。》

とおっしゃいました。子どもを無理やり下すどころか、背中の上から満足して自分で下りるまで、そのままにして、サジダを続けられたのです。

 

現代では、礼拝中に子どもが背中に乗って来たり、礼拝しているところを邪魔すると、親が、子どもを叩いて向こうに行かせ、それをタクワー(アッラーへの畏怖)の行為だと思っていたりします。先日、先生がエジプトのアズハルモスクで礼拝をした時、一列目に並んでいたら、そこに小さな子どもがやって来て、それを見た大人が、怒った様子で向こうへ行け!とすごい形相で指を差し、子どもはびっくりして逃げて行きました。もちろん、礼拝をしている人の前を通ることは避けなければならないことですが、「教え方」があります。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、礼拝中であっても、子どもを背中から降ろさずにそのままにしておかれたことを考える時、子どもへの接し方を反省させられます。

 

また、この預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の行為から、ある学者は、ハサン様かフサイン様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)が、大勢の大人たちが並んで礼拝している集団礼拝の最中に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の背中に乗った、ということは、家や他の場所でもいつも預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がそうしていた、という印だ、と言っています。確かに、マスジドの荘厳な雰囲気の中で、今までやったことがないことを小さな子どもが突然するのは難しいでしょう。これは、いつも預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の背中に乗って遊んでもらったり、ということが、習慣になっていたことの印だということです。

 

私たちが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のように子ども達に接することができますように。

 

 

ムスリムの子ども教育10~家庭の重要性 

 

 

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続)ムスリムの子ども教育-3-預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもたちへの愛情

2018年12月21日 | 預言者の教育方法

続)ムスリムの子ども教育-3-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生12」(最初~13:35)

https://www.youtube.com/watch?v=JpETpYyw1zU 

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもたちへの愛情

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、すべての創造物に対し、もっとも慈悲深い御方でしたが、特に、子ども達のことが大好きな方でした。

 

信仰深い人に見られる子どもたちに対する愛情について、ある敬虔な方は、いくつかの理由を挙げています。一つ目は、子どもたちはできないことがたくさんあるという点です。子どもは、成長の過程で、いろいろなことが少しづつできるようになっていく途中の状態です。アッラーに近しい人たちは、アッラーの偉大さを感じれば感じるほど、自分の小ささを感じ、アッラーに対して謙虚になり、自分が何もできない存在だと認めます。するとアッラーは、彼らの心に、慈悲を御恵みくださり、助けを必要としている存在を見ると、彼らはその人たちへの慈悲を感じるようになります。子どもが小さければ小さいほど、彼らは大きな慈悲を感じます。それは、年配の方々に対しても同じです。年老いて何もできなくなった人を見ても、信仰深い人たちは、彼らに対し大きな慈悲を感じます。

二つ目は、敬虔で心がきれいな人たちは、同じように心がきれいな人に対して慈悲を感じます。子どもたちの心は汚れのない純粋できれいな状態です。そのため、子どもたちは、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のご慈悲を、他の人たちよりもたくさん受けていたのです。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)には、7人のお子さんがいらっしゃいました。男の子が3人、女の子が4人、男の子は小さい時にみんな亡くなっています。息子のイブラーヒームが亡くなった時、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は涙を流していました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の、息子への愛情深さをハディースに見ることができます。

 

《私はアッラーの使徒の前でその子供が最後の息を引き取るところを見た。そのときアッラーの使徒の両目からは涙が溢れていたがこう言った。

「目は涙し心は悲しみ(でも)私達は主の満足すること以外は何も言えません。アッラーに誓ってイブラーヒームよ、まこと私達はあなたのために悲しみます。」》ムスリム伝承

 

《私はアッラーの使徒よりも家族に優しい人を見たことがない。

(預言者の息子の)イブラーヒームがマディーナの郊外の乳母のもとへ預けられていた。それで彼(預言者)はよくそこへ出かけたが私達も彼の供をした。そして彼がその家に入ると家の中には煙が充満していた。なぜならその子の養父は鍛冶屋であったからです。さて彼は息子を抱きしめキスをしてそれから帰ったものでした。》ムスリム伝承

 

イブラーヒームが死んだ時、母親はまだ彼に授乳をしているほど小さな乳児でした。

 

《イブラーヒームが死んだときアッラーの使徒は次のように言った。「イブラーヒームは我が子、彼は乳飲み子のまま死んだ。まことに彼には天国で離乳するまで乳母夫妻がついている。」》ムスリム伝承

 

この言葉には、幼子を亡くした妻に対する預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のご慈悲が現れています。自分の子どもたちを亡くした預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の心情は、その後、お孫さん達への大きな愛情となって現れます。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の孫の、ハサン様、フサイン様、ザイナブ様、ウマーマ様(彼らにアッラーのご満悦あれ)への愛情です。

 

《それから彼(預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ))は戻り、ファーティマ様の家にやって来て「子どもはそこにいますか?子どもはそこにいますか?」と尋ねた。つまりそれはハサンのことでした。

さて私達は彼の母親がまず彼をつかまえ、水を浴びさせ、服を着させ、花の首飾りで彼を飾りつけているのであろうと思っていました。こうして待つほどもなく彼(ハサン)が走ってきて、お互いに抱きあった。そこでアッラーの使徒は次のように言った。

「アッラーよ、私は本当に彼を愛しています。どうかあなたも彼を愛して下さい。また彼を愛する者を愛して下さい。」》ムスリム伝承

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の胸は、お孫さんたちにとってのあそび場で、その肩は、彼らの乗り物で、唾液は、彼らの飲み物でした。

 

ジャービル様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)は伝えて言いました。

《私が預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のところに行くと、彼はハサンとフサイン(お二人にアッラーのご満悦あれ)を背中にのせて(四つん這いの状態で)歩いていました。私が、「あなた達のラクダはなんとすばらしいこと。」と言うと、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、「この二人は、なんとすばらしい騎手でしょう。」とおっしゃいました。》

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、ここで子どもの教育について教えています。子どもに対して惜しみない愛情をそそぐこと、そして、子どもに尊厳を与えること、子どもを良い見方で見ること、また、それを直接子どもに伝えることです。今の時代に多くの親が、子どもの悪いところを探して、それを伝えるという逆のことをしています。

 

《私は、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がフトバ(金曜礼拝の説教)をしているのを見ました。そこに赤い服を着て、つまづいたり立ち上がったりしている(よちよち歩きの)ハサンとフサイン(お二人にアッラーのご満足あれ)がやって来ると、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、(ミンバルから)降り、二人を抱えると、膝に置き、言いました。「アッラーとその使徒は真実を伝えました。本当にあなた方の財産と子どもは、フィトナ(誘惑)です。私はこの二人を見て耐えられなかったのです。」それから、フトバを続けました。》イブンマージャ伝承

 

《私はアッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、ミンバルの上にいるのを見ました。ハサン・ブヌ・アリーと並んで。彼は人々の方を一回見、彼の方を一回見ていました。そして言いました。「実に私のこの子は、人々の長です。アッラーは、きっとこの子を使って、ムスリムの大きなふたつのグループの間を仲介するでしょう。」》ブハーリー伝承

 

ここでも、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、子どもに対して、良い希望を持つことを教えてくださっています。子どもに対して、「本当におまえは頭が悪い。」「なんでこんなこともできないんだ」と言い続けることは、その子の自信を奪い、その言葉通りの状態へと子どもを導きます。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、その逆のことをなさっていました。子どもに対して輝かしい将来を告げ、子どもが希望を持ち、自信を持てる言葉がけをしていました。

 

《アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、アブドゥッラーとアビードゥッラーやアッバース家の子ども達を並べると、「私に先に来た子には、云々」と言っていました。彼らは競い合って彼に向かい、彼の背中や胸に乗っていました。そして、彼は彼らを抱きしめ、キスをしました。》アハマド伝承

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもたちへの愛情深さは、どの時代の親も学ぶべき姿勢です。子ども達は、親の愛情をとても必要としています。子どもに愛情をかけることは、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のスンナです。

 

私たちの子どもたちに、アッラーのご加護がありますように。

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無明時代のアラブ半島の状態、宗教2

2018年11月30日 | 封印された美酒

彼(ﷺ)がお生まれになる前のアラブ世界の状態、特に当時の人々が信奉していた宗教についての続き:
ゆがめられたイブラーヒーム様の唯一神信仰からはずれて多神信仰・偶像崇拝していた人たちは、占師や占星術師の言葉も信じていた(もちろんイスラームでは禁止)。
無明時代を生きていた人たちはイブラーヒーム様の教えすべてを棄てたわけではなかった。神殿を神聖視し、その周りを回る(タワーフ)、巡礼(ハッジ)、小巡礼(ウムラ)、アラファの丘滞在、ムズダリファ滞在、犠牲屠殺は行っていた。
クライシュ族(ムハンマド様(ﷺ)もこの族から出ている)は、自分らはイブラーヒーム様の子孫であり、聖地の民、神殿の管理人、マッカの住人であることで他とは位が違う(自分らを”フムス”と呼んだ)としていた。そのため自分らが聖域から出ることは相応しくなく、そのためアラファにも(巡礼時に)行かないとし、アラファからではなくムズダリファから神殿へと移動したため、アッラーは彼らに関して次の聖句を啓示し給うた:【それで,人びとの急ぎ降りるところから急ぎ降り,アッラーの御赦しを請い願いなさい。】(2章199節)
その他にもクライシュ族は特別意識から自分らに色々と制約を設けていた。
こういった多神崇拝、偶像崇拝そして幻想、迷信への信仰が大概のアラブの信仰だったが、ユダヤ教、キリスト教、拝火教、サービア教それぞれは何らかのかたち(土地を追われて移住してきた、帝国との国境近くのアラブ人が影響を受けて改宗等)でアラブの中に入っていてもいた。
多分続く。

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無明時代のアラブ半島の状態、宗教

2018年11月30日 | 封印された美酒

「封印された美酒」というタイトルの預言者ムハンマド(ﷺ)の伝記の簡潔版
著者はサフィーユッラハマーン・アル=ムバーラクプーリー(インド ムバーラクプリ生まれ2006年12月1日没)
復習のつもりで読み始めました。
預言者伝(本題)に入る前に、知っておくべき予備知識として、彼(ﷺ)がお生まれになる前のアラブ世界の状態、特に当時の人々が信奉していた宗教について。
本によると、当時のほとんどのアラブ人は、父の教えであったイスマーイール様の唯一神信仰に従っていたが、”フザーア族”の長(別ソースではマッカの長でもあった)であったアムル・イブヌ・ルハイがそれを変えた。アムルはシャーム地方(現在のシリア、イラクの一部、ヨルダン、パレスチナ地方)へ旅した際、その民が偶像崇拝しているのを見、正しいのだろうと理解した。なぜならシャーム地方は使徒たちや諸啓典ゆかりの地だからである。アムルは帰郷時に”バハル”(という名の偶像)を持ち帰り、カアバ神殿内部に設置した。そしてマッカの民をアッラーに同位者を配した崇拝へと誘った。マッカの民は彼に呼応し、まもなくヒジャーズの民もマッカの民を追従した。なぜならマッカの民は神殿の管理人であり、聖域の民だからである。(かつてカアバ神殿はアッラーの命によりイブラーヒーム様とその息子イスマーイール様が建立)
そして数多くの偶像が作られ、名前も付けられ、崇められた。
こうして多神信仰と偶像崇拝は無明時代最大の社会現象になった。かつてはイブラーヒーム様の教えに則っていると主張していた人たちだったにもかかわらず。
偶像崇拝には様々な儀礼があったが、その多くはアムル・イブヌ・ルハイが考案したものである。人々はアムルが考案したこと(偶像崇拝)は良き行為であり、決してイブラーヒーム様の教えを改竄するものではないと考えた。偶像礼拝の儀礼として以下がある:
1.熱心に祈る、頼る、困難時に助けを求める、お願いごとをする。偶像がアッラーに御許で執り成してくれる、願いをかなえてくれると思っている。(アッラーへの信仰もちゃんとあるところがイブラーヒーム様の教えが残っていることをうかがわせる)
2.偶像のもとへ巡礼しに行き、その周りを回る(タワーフ)。偶像の前では謙り、跪拝する(サジダ)。
3.様々な捧げものを偶像に捧げた。偶像の名のもとに動物を屠っていた。【食卓章3節】【家畜章121節】
...と続くが割愛。
感想:「アッラー」はその他の神々の上に位置する存在であると畏れられていた/偶像は執り成し役をしてくれる存在、間に入ってくれる存在(ダイレクトにアッラーにお願いするのは畏れ多いので間に入ってくれるありがたい存在的な?)/唯一信仰が失われてもイブラーヒーム様が神殿を建立したころからハッジという儀礼が行われていた/つまり昔の唯一神信仰が疑問視されたり間違っているとは偶像崇拝していても当時の人は思っていなかった/自分たちのリーダーが教えを変えるとすんなり従う民/

Iman Gülistan Jpさんの写真

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続)ムスリムの子ども教育-2- アウラ(隠すべき体の部位)

2018年11月23日 | 預言者の教育方法

続)ムスリムの子ども教育-2-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生11」(~最後)

https://www.youtube.com/watch?v=pze7K8xfzH0

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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質問:子どもに服を着ることの意味をどう教えますか?子どもに服を着せる時、何のために着るのだと教えればいいでしょうか。

 

回答:母親が子どもに服を着せる時、「この服がかわいいわ。さぁ、これを着ましょう。幼稚園で一番ステキな子になれるわよ。」、「こんなかっこいい服を着たら、みんなびっくりするよ。」、また、「髪の毛をこういう風に結ぶと、学校できっと一番かわいいって言われるわよ。」という声かけをすることがよくあります。こういった母親の声掛けは、とても小さなことのように見えますが、子どもの心には大きな教育的な影響があります。

 

ムスリムの子どもにまず教えなければならないのは、服が、アウラ(他人に見せてはいけない体の部位)を隠すものだ、ということです。ムスリムの子どもに対して、「これを着ると、幼稚園で一番ステキな子になれる」という声掛けをすることには、大きな2つの間違いがあります。一つは、子どもが、他人の評価を求めて服を着ることを教えている点です。二つ目は、子どもの心に、自分の価値は、自分が着ている服にある、という価値観を植え付けている点です。本来、子どもに教えるべきことは、服が、「アウラを隠すために着るものであること」、また、「アッラーの恩恵を現すために着るものであること」という2点です。

 

夫婦間の問題で、夫の妻への不満の一つに、妻が、夫の収入を考えずに、友達や親戚の集まりがあるたびに、新しい洋服を次々買ってしまうという浪費の問題がありますが、これも、元をただせば、彼女が小さい時に、両親がどういう声掛けをしてたか、という点が問題になります。彼女が新しい服を次から次へと買ってしまうのは、小さい時から服を着る時、「人に見せるため」というニーヤ(意思)しか教わらなかったからかもしれません。もし小さい時に、「アウラを隠すために」服を着る、という正しいニーヤ(意思)を教わっていれば、友達に会うたびに新しい服を着ていなければならない、という強迫観念を抱かなくて済み、夫婦の関係にまで害を与えることはなかったでしょう。

 

また、ある人は、特定のブランドの服やカバンを持つことで、友達に対して優越感を感じたり、友達が持っているブランドを持っていないと劣等感を感じたりします。これも、小さい時に、「これを着ると一番ステキな子になれる」といった間違った価値観を植え付けられてしまったためです。両親が、きちんと子どもに、「いいえ、服があなたをステキにすることはできないのよ。服があなたを一番かわいい子にすることもできない。服は、アッラーを喜ばせるために、アウラを隠すために着るもだから。」と教えていれば、大きくなってからこういった様々な問題は回避できたでしょう。小さい時に教えられた服を着るニーヤ(意思)という小さなことが、自分の価値がどこにあるのか、という自己肯定感の問題、流行の服をいつも買わなければならない経済的な問題、また、将来の夫婦関係の問題にまで影響を与えます。

 

また、「クラスで一番ステキな子になるために服を着る」という価値観は、アッラーとの関係まで壊します。自分が着る服により、人への優越感を感じる、つまり、アッラーのお嫌いなキブル(高慢さ)という病を発症してしまうからです。自分が着ている服に自分の価値を置く子は、他の人の価値も、着ている服で決めるようになることは簡単です。何のために服を着るのか、服を着る時のニーヤ(意思)、そして、服を着る時のスンナ(ドゥアー、右から着る、左から脱ぐetc.)にも注意する必要があります。

 

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質問:小さい女の子のアウラ(異性に対して隠す場所)は、どこですか?何歳から?
回答:
ハナフィー学派(パキスタン、バングラデシュ、トルコに多い): 

①0~4歳まで:誘惑を感じない限り、恥部(尿と便の出る場所とその周り、お尻)のみを隠す。それ以外の全身を見ることは問題ない。

②4~10歳になるまで:お尻と恥部周辺の下半身。(10才は日本の小学校4年生、もしくは5年生)                   

③10歳以上:成人女性のアウラ(顔と手首から先を除く全身。くるぶしから下も除く、という見解が主流。)と同じ。

 

マーリキー学派(モロッコ、アルジェリア、アフリカに多い): 

4歳までは見てはいけないアウラはないが、3歳からは、男性が体に触れることはできない。6歳からは、成人女性のアウラ(手と顔以外の全身)と同じ。

 

シャーフィー学派(インドネシア、マレーシア、エジプト、スリランカに多い)、ハンバリー学派(サウジアラビア):

生まれた時から成人女性のアウラと同じで、手と顔以外の全身

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質問:預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の時代に、サハーバ達(アッラーのご満悦あれ)の子ども達は、どのように預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)と接していたでしょうか?

 

回答:預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がマディーナにヒジュラ(遷都)された時、マディーナのアンサール達は、男性も女性も大勢で出迎えて、「タラアルバドル」という有名な歌を歌って預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を大歓迎した話は有名です。しかしその時、マディーナの子どもたちが、どのように預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を迎えたのか、ということは知らない人が多いでしょう。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がマディーナにやって来た時、迎え入れた大勢の人たちの中に、子どもたちもいました。彼らは、ダッフ(太鼓)を叩きながら、歌を歌って喜びました。小さな女の子たちがは、マディーナの道を歩きながら、ダッフを叩き歌を歌い、

「あぁ、なんて素敵なこと!ムハンマド様が、わたしの隣人になるなんて♪わたしたちは、アンサールのこども♪あぁ、なんて素敵なこと!ムハンマド様が、わたしの隣人になるなんて♪わたしたちは、アンサールのこども♪」

と繰り返し歌っていました。そこに預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が通りかかり、子どもたちを見て大変お喜びになられ、「私のことが好きですか?」とお尋ねになられると、子どもたちは、「もちろんです。アッラーの使徒さま!」と言い、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、《私があなた達を好きなことは、アッラーが知っています。》とおっしゃいました。(イブンマージャ伝承)

 

子どもたちの預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への大きな愛情に注目すべきです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の、子どもたちへの愛情深さとやさしさが、子どもたちの心に反映し、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への愛情を植え付けました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、人々に対し最も慈悲深くお優しいお方で、子どもに対しても大変慈悲深く接していました。

 

《アッラーの使徒様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、(孫の)アル=ハサン・ブン・アリーにキスをしました。彼の御許にはアル=アクラア・ブン・ハービス・アッ=タミーミーが座っていましたが、彼は、「本当に、私には10人の子供がおりますが、その内の一人ともキスをしたことはありません」と言いました。すると、アッラーの使徒は彼を見つめ、それから、「慈悲をかけない者は、(アッラーからも)慈悲をかけられない。」とおっしゃいました。》ブハーリー伝承

 

私たちの子どもに、「明日、預言者ムハンマド様(彼にアッラーの祝福と平安あれ)が、家にやって来るよ。」と言ったら、何と答えるでしょうか?マディーナの子どもたちのように、大喜びで歌を歌って祝うでしょうか。この「喜び」は、崇拝行為でもあります。子どもたちが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が家を訪問すると聞いて、どんなに喜ぶでしょうか。お子さんがいらっしゃる方は、ぜひ、今日尋ねてみてください。もしお子さんが大喜びしたら、そのことは、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)をとても喜ばせるでしょう。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、いつも私たちの行いを見ています。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

≪私の生は、あなた方にとって良い事です。あなた方が話をすれば、あなた方のためにフクム(イスラーム法学的見解)が啓示されます。私の死はあなた方にとって良い事です。私にあなた方の行いが提示され、私がその中の良い行いを見れば、その人についてアッラーを賞讃し、もし悪い事を見たら、あなた方のためにアッラーに許しを乞います。≫バッザール伝承

 

もし子どもたちが預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が訪問する、と聞いても、興味がないようだったり、怖がったり、という否定的な反応を見せたら、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のことを、もっともっと子どもたちに話してあげましょう。数週間後に、同じ質問をしたら、子どもたちが大喜びするように。イスラーム教育をしてくれる学校などない日本では、ご家庭が唯一の学校です。

 

 

質問:イスラーム社会においても、奇妙な名前を子どもにつける親がいますが、イスラームでは、子どもの名前を付ける時、どんなことに気を付けるべきですか?

 

回答:親が子どものために行う良いことのひとつに、良い名前を選ぶことがあります。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、一部のサハーバ達(アッラーのご満悦あれ)が入信した後、彼らの名前を変えました。名前を変えたのは、次の2つの理由のうちのどちらかがあったためです。

1.アキーダ(信仰箇条)に反する名前(例:偶像神のしもべetc.)

2.醜い名前(馬鹿、悪魔etc.)

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、子ども達の名づけにも関わられました。アリー様(アッラーのご満悦あれ)が、ハサン様(アッラーのご満悦あれ)の誕生を預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に告げた時、何と名付けたのかと尋ねられ、アリー様(アッラーのご満悦あれ)が、「ハラブ(戦い)」と名付けたと言うと、「いや、彼はハサン(善良)です。」とおっしゃいました。(当時のアラブの習慣で、子どもに強く、敵に恐怖を与えるような名前を付けることが多かった。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこの習慣に反対し、訂正した。)イスラームでは、子どもの名前をとても重視します。名前は、その子の個性を構築するからです。

 

私たちの子どもたちに、アッラーのご加護がありますように。

 

 

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続)ムスリムの子ども教育-1-

2018年11月18日 | 預言者の教育方法

続)ムスリムの子ども教育-1-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生11」

https://www.youtube.com/watch?v=pze7K8xfzH0

 

前回までお送りした、ハビーブ・アリー先生の「ムスリムの子ども教育」についての講義は、イエメンのモスクで録画されたもので、前回で終了しているのですが、同じ先生が他の場所でされた、子育てについてのトピックを続けたいと思います、インシャーアッラー。

今回からは、エジプトのテレビ番組で、イスラームにおける子育てについて話しているシリーズをお送りします、インシャーアッラー。テレビで一般の方向けに話されているので、比較的、初心者の方でもわかりやすい内容になっていると思います。

 

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まず最初に、皆さんに考えていただきたいことがあります。それは、人はなぜ子どもを産むのでしょうか?という質問です。

 

子どもを産む理由のひとつは、「本能」です。子どもがほしい、自分の子孫を残したい、という人間や他の動物も持つ本能によって、私たちは子どもを持ちます。この「本能」を、人間の目的である、アッラーを崇拝するようになるために、というような、アッラーのご満足とつなげたものが、子育てになります。

 

現代は、いろいろな病を抱えています。そのひとつに、「考える前に行動する」、という特徴があります。情報が増えるにつれ、人々は、その情報の海の中で、深く考えることなしに、瞬時に反応することを求められます。子どもを産むことについても、同じ問題があり、正しい目的を考える前に、子どもを持つことによって、多くの人が、子どもに関する問題、子育てや家族の問題を抱え、様々な不満を漏らします。例えば、子どもの養育費がたくさんかかることについて、子どもがいることで時間がとられることについて、母親が外で働くことが困難になることについて、教育費の問題、子どもが親の意見に従わない、子どもの考えていることが理解できない、反抗期の子どもについての問題、中二病と呼ばれるような時期の子どもの扱いについて、子どもが大きくなれば進学の問題、結婚の問題、結婚した後も、嫁姑関係の問題、等々、子どもに関する親の不満は尽きません。

 

また、社会的な問題もあります。現代の子どもの傾向についての不満、今どきの若者についての不満、また、国単位の問題、例えば、一部の国では、子どもが多過ぎることを問題視し、若者の失業率の問題、教育が行き届かない問題などを挙げています。これらすべての不満や問題はどこから来るのでしょうか?多くの国は、少子化問題に悩まされていますが、ムスリムの人口は増え続け、子どもも増え、少子化の問題はないにもかかわらず、せっかくたくさんの子どもに恵まれても、家族間の問題、社会の問題、国の問題、様々な問題があるのは、なぜでしょうか?

 

原因のひとつに、多くの子どもを持つバラカ(祝福)と、子どもを持つ正しい「目的」がうまくつながっていないことがあります。なぜ、子どもを産むのか?という質問にも、「みんな産んでいるから」、「結婚したから。結婚したら子どもを産むものでしょう」等、本来の目的とうまくつながっていないことが、様々な問題の原因となっています。

 

なぜ子どもを産むのか?という質問の答えは、大きく分けて、二つあります。一つは、本能と崇拝行為との連携、つまりこの二つがつながったものです。まず、最初の「本能」は、自分の子孫が欲しい、子どもを増やしたい、という、アッラーが人間に与えた本能があります。そのため、最初の子どもが産まれると、父親は何にもまして喜び、初めて自分の子どもを見た時の感動を一生忘れません。母親は、出産という死と隣り合わせの激痛に耐え、出産後には二度と子どもを産みたくない、と思うにもかかわらず、赤ちゃんを抱いて、母乳をあげたり、その匂いを嗅ぐと、出産の大変さをすべて忘れてしまいます。出産した日は、二度と子どもを産まない、と決意していても、数年たつと、また子どもが欲しくなります。これは、アッラーが与えた本能、人間の持つ欲望です。しかし、目的なく本能に従うのではなく、もっと注意深く、善いニーヤ(意思)を持つことで、出産は、イバーダ(崇拝行為)にもなるものです。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

《子どもを増やしなさい。そうすれば、私は最後の審判の日に、自分の共同体の人員の多さを誇るであろう。》ブハーリーとムスリム伝承

 

このハディースについて、ひとつ注意すべきは、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、それを誇ることを必要としている訳ではない、という点です。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、最初に天国の扉を開けられる御方で、アッラーから最も愛されている御方で、最後の審判の日に、ウンマの人員の多さを誇ることを必要としている訳ではありません。その上で、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、こうおっしゃっているのは、ただ、私たちのためです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、私たちに、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が誇ってくださる対象となるという名誉を与えたいと思ってくださっているのです。子どもを持つ時のすばらしい「目的」の一つは、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が誇りに思ってくださるような子どもをたくさん持つこと、それによって、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、最後の審判の日に、誇りに思ってくださるという名誉を手に入れること、という「目的」です。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《人が死ぬと、次の三つ以外は止まります:継続するサダカ、有益な知識、ドゥアーしてくれる善良な子どもです。》ムスリム伝承

 

《死者は死後、位を上げられて言うでしょう:主よ!これは何ですか?彼は言われるでしょう:あなたの息子があなたのために罪の許しを請うのだ。》アル=ブハーリー伝承

 

子育てにはアッラーゆえの自我との戦いがあります。子どもを養育するためにハラールのお金を稼ぐこと、良いムスリムに育てるよう教育すること、これはジハードの一種です。子どもがウンマ(イスラーム共同体)を発展させる役割を担えるよう、人々の役に立つ子どもを育てること、それによって、人類の発展にも貢献すること、こういった目的意識をしっかり持つことによって、子育ては、アッラーへと近づく崇拝行為になります。

 

イバーダ(崇拝行為)は、一般的に、自我にとって「重い」ものです。夜明け前、眠いのを我慢して、ファジュルの礼拝に起きること、真夏の暑い日にラマダーンの義務の断食をすること、こういった行為は、最初はとても大変で、自我がやりたくないことです。もちろん、それを習慣づけることで、その「重さ」は軽くなり、ついには自分が望むものになり、甘美なものへと変化していき、イバーダ(崇拝行為)に込められたアッラーの英知を知ることになりますが、一般の人にとって、イバーダ(崇拝行為)をし始めた時には、大きな困難を伴います。しかし、子育てというイバーダ(崇拝行為)は、ある種の本能、それを望む気持ちに沿うもので、喜びのイバーダ(崇拝行為)とでも言うようなものです。この種のイバーダによって、アッラーへの感謝や、しもべ性の実現という別の扉を開けることもできます。

 

【われは、両親に対し優しくするよう人間に命じた。母は懐胎に苦しみ、その分娩に苦しむ。懐胎してから離乳させるまで30ヶ月かかる。それからかれが十分な力を備える年配に達し、それから40歳にもなると、「主よ、わたしと両親に対して、あなたが御恵み下された恩恵に感謝させて下さい。またあなたの御喜びにあずかるよう、わたしが、善行に勤しむようにして下さい。また子孫も、幸福にして下さい。わたしは悔悟してあなたの御許に帰ります。本当にわたしは、服従、帰依する者です。」と言うようになる。】クルアーン砂丘章46-15

 

この種のイバーダは、他のイバーダの困難を簡単にできるようにしてくれる効果もあります。

 

なぜ子どもを産むのか?という質問の答えの二つ目は、夫婦の関係を安定させ、家庭という根を深く張ることです。実際には、多くの人がこの目的を忘れ、子どもがいない期間は夫婦間の愛情を深め、初めての子どもが産まれても、その愛情は続きますが、2人目、3人目、となると、子どもに関心が移り、夫婦の愛情を育くむことが難しくなるように感じてしまう人も多くいます。奥さんは、子どもの世話で忙しく、ご主人は、妻が子どもたちだけに興味を持ち、自分にまったく関心がないように感じてしまったり、また、ご主人が子どものために仕事を増やし忙しくなり、奥さんは、ご主人が自分の要求よりも、子どもたちの要求ばかり聞いているように感じたりします。こうして、多くの夫婦が、子どもを持った後、関係が悪くなったり、関係が冷え切ってしまうことがあります。

 

また、子どもを持ったことで、子育てについて夫婦で意見が違ったり、子どもの教育に関する意見の相違が浮上したり、食育について、生活習慣について、子どもが父親の言うことをよく聞くのか、母親の方の言うことをよく聞くのか、等、様々な点で夫婦間で対立したり、意見が食い違い、問題が起きることもあります。本来は、子どもを持つことは、アッラーからのバラカ(祝福)であり、子育てにより、アッラーに近づくこともでき、ウンマの発展、人類の発展に貢献するすばらしいことであるはずです。自分が、子どもによって、不満や問題を抱えることになるのか、それとも、イバーダになり、アッラーのお喜びを得ることができるのか、その分かれ目は、子どもを持つことに関して、「目的」を持つことです。

 

そのため、ある先生のところに弟子が行き、「私には子どもが産まれましたが、子どもにとって良い教育をするために、何が必要でしょうか?」と尋ねた時、先生は、「いつ産まれましたか?」と尋ね、彼が、「昨日です。」と言うと、「その質問をするには、遅すぎました。」と言いました。昨日産まれたばかりの子どもの教育について尋ねているのに、遅すぎるというのです。先生はこう続けました。

 

「子どもにとって善い教育とは、結婚に際してのあなたのニーヤ(意思)から始まっています。

次に、子どものために、信仰深い妻を選ぶこと、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のスンナに基づいた結婚生活、妊娠中の妻の食べ物をハラールにすること、出産時のスンナ、あなたの子どもに善い教育を施すために、これだけのことが、すでに終わってしまいました。」

 

子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます

すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)(「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思))をしておきましょう。

 

ムスリムの子どもたちに、アッラーのご加護がありますように。

 

 

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ムスリムの子ども教育10~家庭の重要性

2018年09月22日 | 預言者の教育方法

ムスリムの子ども教育10~家庭の重要性

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(3:37:00~最後) bit.ly/1qdyDUw

  

子育てにおける家庭の重要性

 

子育てにおいて、家庭内で、夫婦の関係がうまくいっていることはとても大切です。子どもが育つ土台となる家庭において、夫婦にとって大切なことは、どちらの意見が通るか、どちらか強く、どちらが勝つのか、という点ではありません。夫婦は、敵同士でもなければ、家庭は、戦争の場でもないからです。イスラームにおける家庭というのは、夫婦がお互いを通して、アッラーに近づくための「手段」です。夫婦にとって、家庭において一番大切なことは、いかに妻が夫を通して、アッラーに近づき、アッラーを満足させられるか、また、いかに夫が妻を通して、アッラーに近づき、アッラーを満足させられるか、という一点です。夫婦の関係において大切なことは、どうしたら相手を通して、アッラーのご満足を得ることができるか、ということです。

 

家庭がアッラーのご満足を求める手段であれば、夫婦間で意見がどんなに違っていても、相手がアッラーのご命令に背いている場合以外には、決して議論することはありません。もし意見の違いがあっても、それも、アッラーのご満足を求めるために役立て、相手が、アッラーとの関係を悪化させてしまうのでない限り、意見の相違による問題は起こりません。家庭が、夫婦がお互いにアッラーのご満足を求める「手段」となると、家庭は、夫婦二人にとっての天国になります。

夫が、外の仕事や人間関係に疲れて帰って来ると、慈悲と慈愛に満ちた妻によって、外での喧騒や疲れを忘れ、妻は、子育てや家事で疲れて、仕事から帰った夫が子どもの面倒や家事を手伝うことで、休息がとれ、お互いがお互いを必要とし、お互いがお互いを助け合う、なくてはならない存在となります。お互いがお互いを助け、それによって、アッラーのご満足を得、アッラーに近づくことができます。そうすることにより、相手にいかにして勝つか、自分の意見をいかに通すか、喧嘩と戦争状態の家庭から、協力し、協調してお互いをアッラーへと近づけることができる家庭に変わります。

 

もし相手が自分に対してまちがいを犯してしまっても、アッラーゆえに忍耐し、10回でも、100回でも、アッラーゆえに許し続けることによって、更にアッラーに近づくことができます。

(DVなど犯罪性のあるものは、アッラーから預かっている自分の身を守るために、警察やDV相談などに相談し、解決する必要があります。それに忍耐することは、相手にとっても自分にとってもよくありません。)

 

「私は20年以上ずっと妻に忍耐してきた。もう十分だ!ただ人生を無駄にしただけだったじゃないか!」という人は、「アッラーゆえに」という意味を考えていないかもしれません。アッラーのために行ったことを、アッラーが無駄にすることがあるでしょうか?アッラーのために忍耐したことを、アッラーが無視することがあるでしょうか?アッラーは、必ずその報償を、天秤が善行と悪行のどちらにふれるかわからない時(最後の審判の日)、一番その報奨が必要な時にお与えくださり、天秤を善行の方に傾けさせてくださるでしょう。

 

相手がアッラーのご満足を得られるようになるよう、アッラーゆえに忍耐し、努力し、アッラーにドゥアーし続けましょう。相手がアッラーに近づくことができるよう願って、相手がアッラーに近づくことで、必ず自分に対する振舞いが変わります。10年、相手に忍耐しても、それが、ただ相手が自分に対して良い振舞いをするのを求めてした忍耐なのか、アッラーゆえの忍耐かにより、まったく手にする物は違ってきます。相手が自分に善く振る舞うことを願ってした忍耐や努力は、もしかしたら成功するかもしれませんが、もしかしたらしないかもしれません。成功しなければ、その10年は無駄になり、何も残りません。

一方、相手の導きを望み、アッラーゆえに忍耐した10年は、アッラーのしもべの一人をアッラーへと導く努力をしたことにアッラーは大変お喜びになられ、ご満足なさり、その報償が必ず自分に返って来ます。多くの場合、それは、相手が善い状態に変わることです。しかし、もし相手の状態が変わらなかったとしても、来世では、アッラーゆえに忍耐した、アッラーに愛される人としてアッラーに会うことができます。配偶者に忍耐し、アッラーのご満足を得てアッラーの元での地位を得た模範が、預言者ヌーフ様(平安あれ)やルート様(平安あれ)であり、また夫に忍耐し、天国を約束されたのが、フィルアウン王の妻アーシア様(平安あれ)です。

 

家庭で、配偶者に対し、自分に対する振舞いを改善させようと努力するのではなく、配偶者のアッラーとのつながりを強化し、相手を通してアッラーのご満足を得ようと努力することで、本当の調和と信頼関係を得られます。自分の怒りを、アッラーゆえにコントロールすることです。結婚してから何度、配偶者に対して怒ったでしょうか?そして、相手も、何度自分に対して怒ったでしょうか?一方、配偶者との関係において、何度、アッラーゆえに、自分に対して怒ったでしょうか?私たちが、アッラーゆえに、自分の欠点、自分の至らなさに対して怒るならば、アッラーのご満足を得て、アッラーの元で最も高いレベルに達します。

 

イスラエルの民のある信者が、70年間アッラーに崇拝行為を捧げ続け、一度も、一瞬たりともアッラーに背いたことがありませんでした。ある日、彼は、男に水汲みを頼まれたので水を汲んでやった後、自分にも水を少し分けてくれないかと尋ねましたが、男は断りました。彼は、自分の家に帰ると、アッラーに嘆き、泣きました。「ああ、アッラー、私は70年間も崇拝行為をあなたに捧げ、一瞬たりともあなたに背いたことはありません。それなのに、私が水を求めたというのに、あなたは少しもくれないのですか?!」

 

そう言った後、彼はすぐに自分の間違いに気づき、言いました。

「アスタグフィルッラー(アッラーに自分の罪の赦しを求めます)。

アッラーに文句を言うというのか、悪いナフス(自我)よ!!

もし70年間、本当にお前がアッラーに誠実に崇拝行為をしていたら、アッラーは必ずお前のドゥアーを叶えてくださっただろう。

アッラーは決して不正をなさらない御方だからだ。

お前のドゥアーに対するアッラーの返答が遅れたのは、きっと自分の欠点や弱点、悪い崇拝行為のために違いない!!」

こう言って自分に対して、怒り、自分を責め、過去の70年間の非について、自分を非難し、アッラーゆえに自分を叱責しました。こうして彼が、過ぎ去った70年間を反省し、自分を叱責していると、家のドアを叩く音が聞こえました。「誰ですか?」と彼が聞くと、その時代に、アッラーから遣わされた預言者が立っていました。そして、彼にこう言いました。「アッラーが私に、貴方に平安を送るように、と命じました。そして、アッラーは、貴方にこう伝えるよう言いました。

『貴方が、私のために自分を叱責した一時間は、私にとっては、貴方の70年間の崇拝行為よりも価値がある。』」

 

私たちが、自分の怒りを、アッラーゆえに、自分に向け、叱責するならば、アッラーにどんどん近づくという大きな成果を生みます。私たちの中にある「怒り」という感情は、アッラーゆえに怒るために、アッラーがお与えくださったものです。間違えてはいけないのは、怒りは、自分のために、ではなく、アッラーのために、怒るために使うものだという点です。

家庭内で、この実践を始めることができれば、家庭に、調和に満ちた幸せが行き渡り、家全体が、アッラーへの案内となり、子どもをそこで産み、育てる準備ができます。こうして、その準備ができると、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がおっしゃった状態を、その家庭で実現することができます。

《結婚し、子どもを増やしなさい。最後の審判の日に、私はあなた方のことを、他の共同体に自慢するでしょう。》イブンハッバーン伝承

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ムスリムの子ども教育9~子育てにおける女性の重要性

2018年09月22日 | 預言者の教育方法

ムスリムの子ども教育9~子育てにおける女性の重要性

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(3:27:13~37:00) bit.ly/1qdyDUw

  

子育てにおける女性の重要性:

 

男性に比べ、女性は、理性にもまして、思いやりや情緒面に優れている、という特徴をアッラーから授かっています。それは女性の欠点でも欠陥でもなく、子育てをする上で、子どもの傍にいて、うまく世話をすることができるというアッラーから与えられたすばらしい長所です。男性は、どんなに子どもに対して慈愛を表し、愛情をかけたとしても、この点で、母親に追いつくことができる男性は稀でしょう。赤ちゃんがおもらしした服や床を掃除する時、母親のように赤ちゃんに怒ったりせず、愛情深くできる父親がどれだけいるでしょうか。一回や二回はできるかもしれませんが、毎日、毎日何回も続くことに、父親は耐えられないでしょう。先生が見かけたご夫婦は、赤ちゃんのうんちの匂いに、父親が、臭い!と言った時、母親は、私にとってはどんな香水よりもいい香り💛、と言っていたそうです。これには、父親は完敗、子育てにおいて、父親よりもすごいものを母親にアッラーが特別に与えているのは間違いありません。アッラーは、赤ちゃんが安全に安心して育つことができるように、母親に、深い愛情と豊かな情緒を与えてくださいました。

 

「イクメン」のように、育児を得意とする父親もいることを否定する必要はなく、もちろん個人差もありますが、一般的に、女性はアッラーが、人類の子孫継承のための子育ての大役を任せることができるよう、愛情深く、情緒豊かにお創りになられました。一方、男性は感情に左右されず冷静に判断することに長けているといえます。

 

この男女に置ける理性と愛情の組み合わせは、アッラーへと近づく道においても象徴的です。理性ある男性が、アッラーの唯一性に確信を持ち、アッラーのしもべとして謙虚にアッラーに崇拝行為を続けることにより、アッラーは、彼に、アッラーの元から、彼に欠落している情緒と愛情をお与えくださり、アッラーの光が彼の理性を包むと、彼は、その光により、普通の男性にはない情緒と愛情を与えられ、とても慈悲深い人となります。誰よりも理性に長け、知的で聡明であられた預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に、アッラーがご慈悲をお与えくださり、【万有への慈悲として】(クルアーン21-107)この世に遣わされたように。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、最も慈悲深いお方でした。慈悲は、理性ではなく、愛情や情緒から発生するものです。

 

その愛情や情緒に恵まれた女性が、アッラーのご満足を求めるために、それを正しく使う時、アッラーは、彼女に、知性と理性をお与えくださり、誰よりも理性的な人となることができます。子育てにおける、母親の愛情の使い方は、例えば、子どもが礼拝を怠った時に、父親に言うと怒られるから、子どもをかわいそうに思い隠してあげたい、というような場合、それが愛情の正しい使い方か間違った使い方かを立ち止まって考えます。この場合、子どもの怠惰を隠すことは、アッラーからもらった愛情を、アッラーのお怒りをかうために使っていることになってしまいます。母親の子どもへの愛情によって、子どもが礼拝を怠るのを習慣化させてしまうからです。アッラーのご満足を求めるために、アッラーからもらった情緒や愛情を正しく使うことが大切です。

 

イスラームにおける偉大な女性たち:

 

イーサー様(平安あれ)の母親であるマルヤム様(平安あれ)の徳:

 

アッラーから知性を与えられたイーサー様(平安あれ)の母親であるマルヤム様(平安あれ)が、父親のザカリーヤ様(平安あれ)に話しかけるところがクルアーンにあります。

 

【それで主は、恵み深くかの女を嘉納され、かの女を純潔に美しく成長させ、ザカリーヤーにかの女の養育をさせられた。ザカリーヤ一が、かの女を見舞って聖所に入る度に、かの女の前に、食物があるのを見た。かれは言った。「マルヤムよ、どうしてあなたにこれが(来たのか)。」かの女は(答えて)言った。「これはアッラーの御許から(与えられました)。」本当にアッラーは御自分の御心に適う者に限りなく与えられる。】クルアーン イムラーン家章3-37

 

マルヤム様(平安あれ)がいた部屋は、鍵のかかった高窓がひとつあるだけで、梯子を使わずには入ることができない場所で、父親のザカリーヤ様(平安あれ)がそこから食べ物や飲み物を差し入れていました。あるタフシール(クルアーン解説)によると、マルヤム様(平安あれ)のところにあった食べ物は、冬には夏に採れるフルーツで、夏には冬に採れるフルーツでした。もちろん当時は冷蔵庫も冷凍技術もなく、理性では説明のつかないことでした。ザカリーヤ様(平安あれ)は、自分しか鍵を持っていない部屋に、自分が差し入れたのではない食べ物が置いてあること、また、季節外の果物があることを理解できません。マルヤム様(平安あれ)は、そこで理性的に、こうおっしゃったのです。

 

【「これはアッラーの御許から(与えられました)。」本当にアッラーは御自分の御心に適う者に限りなく与えられる。】クルアーン イムラーン家章3-37

 

アッラーに近づけば近づくほど、アッラーは与えて下さいます。理屈では考え付かないところから、理屈では説明がつかない方法で。アッラーに不可能なことはないからです。それを十分ご存知だったマルヤム様(平安あれ)は、理性的に、父親にそう告げました。歴史的にもアッラーを愛し、アッラーに近づいた女性たちは、驚異的な理性と知性の持ち主でした。

 

アッラーに最も愛された、理性的な預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、天使ジブリールに恐れおののき、身震いしながら家に逃げ帰った時に、理性的に、論理的に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)をなだめ、やすらぎを与えたのは誰だったでしょうか。私たちの母である、奥様のハディージャ様(アッラーのご満悦あれ)です。

 

ハディージャ様(アッラーのご満悦あれ)の徳:

 

預言者ムハンマド様(アッラーの祝福と平安あれ)が、恐れおののいて帰宅し、ハディージャさまに「私を包んでください、包んでください !私は自分が恐ろしい。」と訴えた時、ハディージャ様(アッラーのご満悦あれ)は、動揺する夫を抱きしめ安心させ、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は彼女に洞窟で起こったことを話しました。最も身近で最も預言者さま(平安と祝福あれ)の高貴な性格の数々を目の当たりにしていた彼女は、自信と信仰と確信を持って、きっぱりとこう言いました。

 

「いいえ!アッラーに誓って。アッラーはあなたを辱められません。

あなたは親族を大切にし、誰にでも親切にし、貧者に施し、客人をもてなし、

不幸に見舞われた者を助けてきたではありませんか!!」

 

ハディージャ様(アッラーのご満悦あれ)の言葉はとても論理的です。この知性あふれる論理的なこの問いかけによって、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は平静を取り戻したのです。

 

 ハディージャ様(アッラーのご満悦あれ)は夫を信じ、イスラームに入信しました。そして、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に起こったことの真相を確かめるべく、学者でもあるいとこのワラカ・イブン・ナウファルのもとへ、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を連れて赴き、洞窟で見たことをワラカに話すと、ワラカは言いました:

 

「私の魂を手にする御方にかけて。それはムーサーを訪れたナームース(啓示伝達の天使、ジブリール)じゃ。やがて人々はそなたを嘘つき呼ばわりし、危害を加え、そなたをここから追い出して、戦いを挑んでくるだろう。」

 

  預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、クライシュ族でも(高い)地位で、人々から「信頼おける人」、「誠実な人」と呼ばれていたため、その言葉にとても驚き、「彼らが私を追い出すのですか?!」と尋ねました。ワラカは「その通り。そなたに起こったようなことに見舞われた者で、敵対されなかった者はいない。ああ、もしその日までわしが生きていられたら、大いにあなたをお助けできるのだが。」その後まもなくしてワラカは亡くなりました。

 

ハディージャ様(アッラーのご満悦あれ)は、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に啓示が降りたとき世界で一番最初にムスリムとなった方でした。ある歴史家は、ハディージャ様(アッラーのご満悦あれ)のことをこう言っています。

 

「愛したゆえに結婚した夫に捧げた彼女の信仰こそ、

今日、その信者が世界の人々の7人に1人※と数えられるほどになったイスラームの、

その初期の時点での信仰を支えたものなのだ。」  (※現在は、世界人口の4人に1人はムスリムです。)

 

アッラーとその使徒を一番初めに信仰した彼女は、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の傍で力となり、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を一生涯勇気づけました。現在でも、特に日本では多くの方が、ご結婚がきっかけで入信されています。そういう方たちは、すべてこの天国の住人、ムスリム達の母と呼ばれる、ハディージャ様(アッラーのご満悦あれ)のスンナに従っていることになります、インシャーアッラー。

 

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ムスリムの子ども教育8~夫婦の意見の相違(2)

2018年09月16日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

ムスリムの子ども教育8~夫婦の意見の相違(2)

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(3:11:24~27:13) bit.ly/1qdyDUw

前回は、子どもの教育の土壌・家庭における夫婦の意見の相違についてお話しました。今回もその続きです。

 

子どもの教育の土壌・家庭における夫婦の意見の相違:

 

怒りについて、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこうおっしゃっています。

 

≪本当に怒りはシャイターンからで、シャイターンは火から創られ、火は水によって消されます。ですから、もしあなた方の一人が怒った時には、ウドゥーをしなさい。≫アブーダーウード伝承

 

怒っている時には口を閉じること、怒りを抑えることが本当の勇気であること、イスラームは、怒りの対処法をたくさん教えてくれています。

 

では、なぜ、アッラーは怒りを私たちにお授けになられたのでしょうか?アッラーが、無駄なものを作ることはありません。

 

【あなたがたは、われが戯れにあなたがたを創ったとでも考えていたのか。またあなたがたは、われに帰されないと考えていたのか。」アッラーは、尊くて気高い、真実の王者である。高潔な玉座の主を置いて外には神はない。】クルアーン 信者達章23-115~116

 

アッラーがお創りになられたのですから、怒りや欲望にも、アッラーの英知があります。私たちのナフス(自我)は、時には、人として、弱さに捕らわれたり、飽きてしまったり、臆病になったり、不可能なことがあったり、怠けたり、善くない感情が湧くこともあります。そういう状態になった時に、欲が沸き上がり、その欲に付従ってしまうことがあります。しかし、もしナフス(自我)が教育されれば、アッラーのお望みになることを望むようになります。最初は、自分のナフス(自我)との戦いです。欲が、「これをしなさい」と言い、そのことがハラームであったなら、私たちは欲に向かって、「ダメ!!」と言わなければなりません。

 

強い男性というのは、自分の妻のすることに、「ダメだ!」という人ではなく、また、勇敢な女性というのは、自分の夫の要求に対して、「ダメ!」と言い放つ人のことではありません。男性でも女性でも、本当に強く勇敢な人とは、自分のナフス(自我)に向かって、「ダメ!!」と言うことができる人です。ナフス(自我)がとてもそれを欲している時に、ナフス(自我)に対して、「ダメ!!」と言えること、それが本当の意味で強い人です。

 

アッラーのご満足を求めて、ナフス(自我)が悪いことを欲した時に「ダメ」と言えるよう、心のジハードの訓練をしていくと、アッラーがそれを見ていてくださいます。アッラーのためにしたことを、アッラーが放っておくことはありません。必ずアッラーはその努力をご覧になり、心にアッラーの光が入って来ます。すると、そのアッラーの光によって、欲はアッラーのお望みのことを望むようになります。悪い欲は死ぬのです。そして、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のおっしゃったような状態になります。

 

≪愛着までもが私のもたらしたものに相応しくならないかぎり、本当の信者とはいえない≫ イマーム・ンナワウィー編「40のハディース」

 

心のジハードによって、アッラーが、このアッラーの望むことを望む「愛着」を私たちの心にお贈りくださいます。心のジハードによって、心がアッラーをいつも唱念するようになると、アッラーのお望みのことを望む、善い欲、「愛着」が心の中に育成されます。そして、アッラーがお望みのことを望む欲を持つしもべを、アッラーはご覧になり、アッラーが、彼の欲することを急いで行うようになります。

 

アーイシャ様(アッラーのご満悦あれ)が、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)にこう言われた通りです。

≪あなたの主は、あなたの欲することを急いで行われるように見えます。≫ブハーリー伝承

 

この状態では、彼が望むものをすべて、アッラーがお与えくださるのです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、キブラの変更を欲していた時に、アッラーがお与えくださったように。

 

【われはあなたが(導きを求め)、天に顔を巡らすのを見る。そこでわれは、あなたの納得するキブラに、あなたを向かわせる。あなたの顔を聖なるマスジドの方向に向けなさい。あなたがたは何処にいても、あなたがたの顔をキブラに向けなさい。】クルアーン 雌牛章2-144

 

この下線の部分は、「تَرْضَاهَا」「あなたがそれに満足する」という意味です。私たちが今、礼拝の時に向かうキブラとしているカアバ神殿は、以前は、キブラではありませんでした。ムスリム達のキブラは、最初、パレスチナのアクサーモスクでした。しかし、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がお望みのように、アッラーは、キブラをカアバ神殿に変更なさいました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこうおっしゃいました。

 

≪どれだけ多くの誰にも注目されないような、ぼさぼさの髪をした埃だらけのボロ布をまとった者が、アッラーに誓いを立てたら、アッラーは必ずそれを叶えてくださるであろうか。≫ティルミズィー伝承

 

彼が立てた誓いを、必ずアッラーが叶えてくださるようになる、そういう状態にまで、人は達することができます。心のジハードによって、心の中の欲が、アッラーのお望みのことを望むようになり、その心の光によって、彼が望むこととアッラーが望むことが、彼の愛着とアッラーのお望みとが、次第に一致するようになります。この卓越した状態になるために、さて、私たちはどこから始めたらいいのでしょうか?最初に始める場所、それが、私たちの家の中です。

 

ご家庭で、夫婦の意見が違った時、相手の間違いを指摘したい時、相手に怒り、叫びたい時、相手を言い負かしてやりたいと思った時、相手のために、ではなく、アッラーのご満足を得るためだけに、自分のナフス(自我)に、「ダメ!!」と言いましょう。そこから、すべては始まります。

 

相手が自分を馬鹿にしたら、自分は相手をもっと馬鹿にし、相手が自分を怒らせたら、相手をもっと怒らせ、自分に害を与えたら、相手にも害を返す、これは、ナフス(自我)の欲にすべて従っている状態です。アッラーのご満足を考えることで、相手に対する振舞いや対応は180℃違ってきます。相手が自分を馬鹿にしたら、アッラーのお喜びを求めて、相手を許し、相手が自分を怒らせたら、アッラーのお喜びを求めて、相手を喜ばせ、相手が自分に害を与えたら、アッラーが自分に善くしてくれることを求めて、相手に善くし、、、これが本来のクルアーンで言われる、家長である夫の家庭での役割です。

 

【男は女の擁護者(家長)である。】クルアーン 婦人章4-34

 

このアーヤ(節)を、欲によって間違って解釈する人と、心でアッラーの本来の意図を理解しようとする人がいます。間違って解釈する人は、夫婦間の意見に相違があると、妻に向かって、【男は女の擁護者(家長)である。】と言って、相手を黙らせようとします。一方、本来の意図を理解する人は、この「家長」という意味が、自分の欲に妻を従わせるためのものではなく、自分と家族を、アッラーのご満足へと向かわせるために、自分が家の操縦者になることを意図していることが理解できるでしょう。決して、夫が妻を自分に従わせるために、ではありません。夫が、家族をアッラーのご満足へと連れて行くために、「家長」となる責任を負っていることを、このアーヤ(節)は示しているのです。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のハディースにこうあります。

 

≪預言者は「あなた方は皆保護者である。あなた方は皆、各自が保護しているものに対して責任を負っている。

カリフは人々の保護者であり、彼の庇護下にある者達の責任者である。

男子は彼の家族の保護者であり、家族の責任者である。

主婦は家庭で彼女の夫や子供達の保護者であり、彼等の責任者である。

下僕は主人の財産の保護者であり、それの責任者である。

こうして、あなた方は皆保護者であり、各自は信じて託されたものの責任者であることに心せよ」と申された。≫ブハーリーとムスリム伝承

 

世界中のムスリム、16億人とも言われるこの大きなウンマを公正に正すために必要なこと、それは、まず、社会の一番小さな単位である、家庭をアッラーのお喜びのある公正なものにすることです。自分の家庭を、アッラーのご満足を求める場所に正すことです。それは、自分の心のジハードから始まります。そこからすべてが始まります。自分の心のジハードができれば、その人は、このウンマを正すことの第一歩に成功したことになります。

 

間違えやすいことは、自分のジハードを放っておいて、自分の周りの人たちに対して、裁判官のように、判決を下していってしまうことです。この人は善人で、あの人は悪人、この人は嘘つきで、あの人は正直、この人は信仰深く、あの人は不信仰者、この人は正しく、あの人は間違っている、、、アッラーは、私たちを、他の人に判決を下すために、お創りになられたのではありません。

 

自分の中に、アッラーの公正さを打ち立てること、それができれば、アッラーが、自分とその周りの人たちに、アッラーの英知を見せてくださいます。ご家庭の中で、アッラーを守ること、アッラーのご命令を守り、禁止事項を避けること、アッラーのご満足へと家族全員で向かうことができるように、その操縦者となること、それが、男性の家庭での役割です。アッラーのお怒りから、家族を守ること、これが「家長」の役割です。

 

もし私たちが、ある会社の社長で、あるプロジェクトを一人の人に任せて、それを成功させるように、と高い給料を与えて依頼したにもかかわらず、もしその人が、自分の欲に従って、自分のお気に入りの部下だけをかわいがり、楽な仕事を与え、自分の気に入らない部下はひどい扱いをして、いじめ、プロジェクトの成功を目標にするのではなく、ただ、自分の欲を満足させることだけを目的に、人を使っていたら、どうでしょうか。もちろん、そんな状態で、部下が協力してプロジェクトを成功させるわけはなく、プロジェクトは失敗に終わり、私たちは社長として、彼からその仕事を取り上げ、別の人を彼の代わりに責任者に置くでしょう。

 

アッラーが男性に与えた役割も同じです。もし彼が、アッラーのご満足を求めて、アッラーが彼に預けたアマーナである家族に善くし、自分の欲ではなく、自分と家族の現世と来世での成功を目標に、アッラーのご満足を求める方向へと家族を導いていけば、彼は成功者になります。反対に、自分の欲に従って、家族に暴挙をふるえば、彼は失敗者となります。

 

妻の家庭での目標も同じです。妻が、アッラーのご満足を求めて、夫の悪い振舞いに対して、自分の欲に従わずに、アッラーが自分に善くしてくださることを願って、相手に善くし、夫の悪行に対して、アッラーのご満足を求めて、忍耐すれば、現世と来世の幸せが、彼女の家の扉を叩くでしょう。アッラーは、彼女に、現世と来世での完全な幸せを与えてくださいます。現世だけの小さな短い幸せではありません。現世と来世の両方に続く、完璧な幸せが手に入ります。まず、現世では、アッラーとの振舞いによる甘美さを味わわせてくださり、アッラーは彼女を、夫の素行が正され、夫が成長する原因としてくださり、また来世では、永遠の幸せをくださいます。つまり、天国を約束された、フィルアウンの妻、アーシア様の地位へと昇ることができます。

 

イマーム・アルクルトゥビーのタフスィールより:

アブー・ル=アーリヤ(タービイーンの一人)はこう言った。:「フィルアウンは、彼の妻の信仰を知りたがり、民衆のところに行くとこう言いました。『アーシヤ・ビント・ムザーヒムについて、あなた達は何を知っているかね?』すると人々は彼女を褒めました。彼は言いました。『彼女は、我以外の主を崇拝している。』すると、人々は彼に言いました。『彼女を殺してしまいなさい。』そこで、彼女用に、杭を打ち込むと、彼女の両手と両足を引っ張りました。彼女は言いました。『主よ、楽園の中のあなたの御側に、わたしのため家を御建て下さい。』そこへフィルアウンがやって来ました。すると、彼女は天国の彼女の家を見て、笑いました。フィルアウンは言いました。『彼女の狂気に驚かないのか。我々は、彼女からのご加護を求める。』彼女は笑っていました。そして、彼女の魂は召されました。」

 

夫の悪い振舞いに耐えた妻の報奨は、アッラーのお傍の家、マカーム・ル=インディーヤ(お傍の聖地)であり、また、悪い夫に対する彼女の善い振舞いにより、彼女のこのドゥアーを、1400年経った今でも、世界中の人が読み続けていることです。

 

【またアッラーは、信仰する者のために例を示される。フィルアウンの妻である。かの女がこう言った時を思い起しなさい。「主よ、楽園の中のあなたの御側に、わたしのため家を御建て下さい。そしてフィルアウンとその行いから、わたしを救い、不義を行う者から、わたしを御救い下さい。」】クルアーン 禁止章66-11

 

彼女が、アッラーのお喜びを求めて、悪い夫に対して、善い振舞いをするたびに、アッラーは、彼女の心を生かし、真実の幸せを感じさせ、アッラーと共にいる甘美さを味わわせてくださいました。それにより、夫に対しての彼女の振舞いは、夫ではなく、その間にいらっしゃるアッラーに対しての振舞いとなり、彼女は、来世でも、人々が望むような快楽ではなく、「あなたの御側に」というアッラーの御側の場所を望み、ドゥアーします。夫が彼女を害した時も、彼女はもう夫を見ることなく、ただ、アッラーのご満足だけを見ていました。彼女が、アッラーを、自分と夫との間に置いたことで、アッラーは、夫よりも彼女に近しい存在となりました。アッラーへのすばらしいこの振舞いにより、アッラーは彼女に、現世と来世でアッラーの御側にいる幸せを感じさせてくださいます。

 

彼女のドゥアーを見ると、【 رَبِّ ابْنِ لِي عِندَكَ بَيْتًا فِي الْجَنَّةِ「天国に」、というよりも先に、「あなたの御側に」という単語が来ています。天国よりも、何よりも、ただ、アッラーの御側にいることを、来世でも望んだのです。

 

夫のいる女性には、この地位が手に入るチャンスが、それぞれの家庭で用意されています。アッラーが、私たちに、アーシア様と同じ場所を天国で与えてくださいますように!

 

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ムスリムの子ども教育7~夫婦の意見の相違(1)

2018年09月16日 | 預言者の教育方法

ムスリムの子ども教育7~夫婦の意見の相違(1)

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(3:11:24~27:13) bit.ly/1qdyDUw

子どもの教育の土壌・家庭における夫婦の意見の相違:

 

家庭内でのご夫婦の意見が食い違うことは、ムスリムであっても、ムスリムでなくても、信仰深い人でもそうでない人でも、日常的に良くあることです。怒りや満足、相違や合意を繰り返すのが家庭でしょう。そして、その延長線上に、夫婦喧嘩や夫婦関係の悪化があります。その原因は、「欲が勝ってしまうこと」です。

 

家庭の基礎は、「夫婦が家庭を使って、お互いにアッラーのしもべ性を実現すること」のはずです。なぜ、その過程の中で、争いが起きてしまうのでしょうか。その原因は、家庭内で、夫婦がアッラーのご満足を求めずに、行動してしまうことに拠ります。もし、ご家庭において、アッラーのタウフィーク(ご同意)により、夫婦がお互いを通して、アッラーのご満足を求めていれば、例え、妻が何か間違いを犯してしまっても、アッラーが彼女の間違いを隠し、夫がそれに対してよい振舞いをできるようにしてくださいます。では、もし自分の目の前で、夫の間違いが発覚した時、あなただったら、どう対処するでしょうか。

そこには3つの選択肢があります。

 

1.彼の間違いを批判し、あなたの方が正しいことを夫に理解させ、自分の正しさを証明し、なぜそんな間違いを犯すことができるのか、信じられない、と彼を責める。その結果、お互いの心の中に嫌悪感が残り、夫婦喧嘩へと発展する。

 

2.その場を収めるため、彼を非難せず、許し、お互いに嫌な思いをしないように、彼を慰め、励ます。アッラーのことは考えず、ただお互いの気持ちが悪い状態ならないように、という目的で、怒らないようにする。

 

3.自分の正しさを証明することも、相手の間違いを批判することも考えず、ただ、どうしたらアッラーが満足してくださるかだけを考える。

 

ご家庭内で、ご夫婦や家族関係が悪くなることの根本的な原因は、夫婦が「アッラーのご満足を求めること」を意図して関係を築いていないことです。アッラーのご満足を目的にしていない夫婦関係は、現世で、敵同士になってしまう可能性があり、また、それを改善しなければ、来世でもお互いが敵となってしまいます。クルアーンでアッラーはこうおっしゃっています。

 

【その日、主を畏れる者を除いては、(親しい)友も互いに敵となろう。】クルアーン 金の装飾章43-67

 

しかし、このことを頭で理解していたとしても、実際に、相手から悪い言葉を投げかけられたリ、ひどい仕打ちを受けたりすれば、怒りが湧きます。その時はどうすればいいのでしょうか。

 

まず、自分の怒りの正体を観察することが大切です。自分が怒っているのが、アッラーのご満足とアッラーのお怒りのためなのか、もしくは、アッラーのお怒りに関係なく、ただ、自分の自我がそれを嫌って、怒ることを要求しているだけなのか。もし、ただ自分の欲が怒ることを求めているだけならば、アッラーのご満足がある行為は、相手にゆずること、自分の権利を放棄することです。本当にアッラーのご満足だけを求めるのであれば、相手にゆずることができます。相手が自分の権利を害した、自分の尊厳を傷つけた、自分を軽視した、ないがしろにした時、そのときこそ、アッラーのご満足を求める人がどう行動するのかが現れます。最も尊厳ある、最も軽視されるべきでない御方、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、どう行動されたのかを見てください。

 

≪アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、アッラーの権利が侵害された時以外に、自分のために報復をしたことは一度もありませんでした。≫ブハーリー伝承

 

人は、欲に支配された時、理性による分別を失います。正しいことを間違っていると思い、間違ったことを正しいと思いこみます。そのため、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこうおっしゃっています。

 

≪ある男が預言者(彼に神の称賛あれ)のもとを訪れ、彼が天国に行くためには何が必要かを尋ねたところ、預言者は彼に言いました「怒らないことだ。」≫ブハーリー伝承

 

ここでいう「怒らないこと」というのは、感情ではなく、行動です。つまり、「怒りを行動に移さないこと」という意味です。怒りを覚えること自体は、すべての人が感情として感じるもので、どんな人でも怒りを覚えることはあります。しかし、それを実行に移してしまわないように、と預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこのハディースでおっしゃっています。もし相手に対して自分の内側に怒りを覚えた時には、まず、しなければならないことは、「話さないこと」です。なぜなら、怒りを内側に抱えている状態で、どんなに言葉を選んで話したとしても、必ず、間違った言葉が出てしまうからです。なぜなら、怒っている時には、理性による「分別」が失われているからです。少し考えてみてください。今までに、怒った時に言ってしまったことを、後から後悔したことはないでしょうか。

 

よく先生のところに来る相談の中に、「私は妻に『もう離婚だ!』と3回言ってしまったのですが、2回目に言った時は怒って理性を失っていたのです。ですから、まだ離婚は2回しか発生していなくて婚姻関係は続いていますよね?」というものが多くあります。(イスラーム法では、3回言ってしまうと、離婚が成立します。) 彼らは、怒りが去ってから考え、離婚を軽々しく口にしてしまったことをとても後悔しています。では、その気持ちは、怒っている時にはどこに行っていたのでしょうか。怒りが覆い隠してしまったのです。怒りは、欲という軍隊の中のひとつで、それが自分を支配すると、分別や理性を覆ってしまいます。そのため預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこう仰っています。

 

≪あなたがたが怒った時に、立っていたら座りなさい。おそらく怒りは消えるでしょう。あるいは横になりなさい。≫アハマドの伝承

 

≪本当の強さは戦う人の力にあるのではない。

すると彼らは「アッラーの使徒よ、いったい誰にそれがあるのですか?」と尋ねた。

すると彼はこう言った。

それは怒った時に自分自身を制御することが出来る者である。≫ムスリム伝承

 

私たちが怒りをコントロールして、家庭を通してアッラーのご満足を求められますように✨ ✨ ✨

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ムスリムの子ども教育6~家庭の土台の作り方(6)~

2018年09月16日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

ムスリムの子ども教育6~家庭の土台の作り方(6)~

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(2:34:58~43:46) bit.ly/1PPruiy

  

前回は、出産についてお話しました。今回はその続きです。

 

幼少期の子育て:

子どもがまだ小さい赤ちゃんの時期に、泣いたりぐずったりしたら、母親は赤ちゃんをどうやってあやすでしょうか。赤ちゃんを抱きあげて、「ラーイラーハイッラッラー(アッラー以外に神はいない)」などのズィクルの言葉(アッラーを唱念する言葉)や、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への祝福祈願を繰り返しつぶやきながら、赤ちゃんをあやしているでしょうか。現代では、子どもが泣くと、スマートフォンで音楽を聞かせたり、テレビの音を聞かせたりすることがありますが、そういったものが、アッラーから預かっている赤ちゃんに聞かせるためにふさわしい歌ではないこともあります。

 

子どもが言葉を覚え始める頃、ムスリムの家庭では、最初に、どんな言葉を覚えさせるのでしょうか。アッラーの美名やクルアーンの最初の章ファーティハ章(開端章)、子どもならすぐに覚えてしまう短いイフラース章(純正章)を最初に覚えさせるでしょうか。

 

最近は、その子が大きくなってすると困ることでも、小さいときにやっているのを、親が褒めたり喜んだりすることがあります。子どもが2歳くらいになって話し出すと、暴言を吐いた時も、親は、「今、この子、『ばか』って言ったわ、なんて賢いの!」と喜んだりします。子どもが気に入らないことがあって、目の前の父親を叩いても、親は笑って喜んでいます。「どうして喜ぶのか?」と聞かれると、「この子は、気が強い!!」と嬉しそうにしています。子どもが人に暴言を吐いたり、人に暴力を振るったりすることが、将来のその子の「強さ」の理想の姿でしょうか。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が教えてくださっている本当の強さとはかけ離れています。《本当の強さは戦う人の力にあるのではなく、怒った時に自分を抑えられる人にあります。》ムスリム伝承

 

また小さな男の子が、隣の知らない小さい女の子にキスをすると、親が喜んで、「かわいい~!」と写真を撮ったり、「○○君と○○ちゃんは結婚するね~」と冗談で話題にしたりします。その子が小学生になってやったら変態と言われて困ることを、親が褒めます。これは幼児教育の専門家も注意を促していることです。

 

ある先生のお宅に2∼3才の女の子が連れて来られて、その子が膝や太ももの出ている短いスカートを着せられていると、先生は、「アウラを覆って隠してあげなさい。この子にちゃんと長いスカートを着る習慣をつけてあげなさい。こんな短い服を着ることに慣れさせてはいけません。」と注意していました。その場にいた人が、先生に言いました。

「先生、この子はまだ小さいですから。2才ですよ。」

先生「我が子よ、小さい子どもも成長し大きくなります。もし成長する際に、『慎み』や『恥じらい』を持たずに大きくなってしまったら、『慎み』や『恥じらい』はこの子にとって、とても重く面倒なものになってしまいます。」

 

年頃の娘を持つ親が、どんなに苦労し、悩み、ドゥアーし、何とかならないかと人に相談し、大変な思いをしているでしょうか、自分の娘に「恥じらい」や「慎み」を教え、ムスリマらしい肌の露出の少ない服装をするよう説得するために。

 

なぜ、その子の心の中に、ヒジャーブに対する抵抗や、露出の少ない服を着ることへの嫌悪が育ってしまったのでしょうか。なぜ、大きくなった女の子が、自分の体を守る服装をするために、親が、何日もかけて、時には、何年もかけて、説得をし、教えなければならないのでしょうか。

 

なぜなら、その子が小さいときに、両親が、きちんと、その子に、真実を教えてあげなかったからです。

 

「あなたは、とても大切な存在なんだよ。」

「あなたの体は、とても大事なもので、ただ知らない男の子が見て楽しむためのものではないんだよ。」と。

 

アッラーは、子どもの誕生から6才くらいまでのかわいい盛りの時期を、両親にお恵みになりました。この時期は、両親にとっては、育児にとても手間がかかり、時間も労力も子どもに費やさなければならない時期ですが、一方で、かわいい子どもの笑顔に癒され、一緒に遊び、子どもと過ごす時間を楽しむ時期でもあります。両親は、この恩恵に対して、アッラーに感謝する必要があります。しかし、この時期は、ただ、楽しむだけで終わってしまってよい時期ではありません。両親が、子どもに大切なことを教えるための時期でもあるからです。両親が子どもに、洋服を着ることの目的を正しく教えなければなりません。

 

親が気づかないうちによく犯してしまう大きな罪のひとつに、子どもに服を買う時に、

「この服を着たら、あなたは幼稚園で、一番かわいい子になれるわよ。」

「このかわいい服を着たら、みんながあなたのことをうらやましがるわ。」

と言ってしまうことです。よく言われるこの言葉のどこに大きな罪があるのでしょうか。

 

それは、まだ物心がつき始めたばかりの子どもの大切な時期に、子どもの心に、洋服を着る目的を、誤って教え込み、間違った人生の目的を植え付けてしまっている点です。

 

私たちが服を着る目的は、他の人より美しくなるためでも、周りの人をうらやましがらせるためでもありません。私たちムスリムは、自分の価値が、体を覆っているだけの、ただの「布切れ」にあるのではないことを、十分知っています。私たちは、アッラーが、「ラーイラハイッラッラー」というアッラーへの信仰によって、尊厳を与えてくださった存在です。信仰という大きな尊厳をアッラーから恵まれている私たちが、自分の価値を、ただの「布きれ」に置くことはふさわしくありません。「布切れ」が破れたら、自分の価値も破れ、それが汚れたら、自分の価値も汚れ、それがなくなったら、自分の価値もなくなってしまうのでしょうか。私たちの価値は、破れることも、汚れることも、なくなることもありません。なぜなら、私たちの価値は、いなくなることのない、永遠に存在する御方「アッラー」にあるからです。

 

私たちが気づかないうちによく犯してしまう罪は、子どもの心に、間違った目的を植え付けてしまうことです。

母「もっと食べなさい。」

子「どうして?」

母「もっと大きくなって、○○君に負けないようにならなくちゃ。」

子どもが大きくなる目的は、他の子どもに勝つためでしょうか。それとも、大きくなって、アッラーに崇拝行為をしっかりできるようになるためでしょうか。

 

小さいからよくわからないだろう、と思わないでください。小さい子がどんなに真似をするのが上手か知っているでしょう。親が子どもの前で、汚い言葉で誰かを非難したら、子どもはその通りの言葉を口にするようになります。

 

兄弟げんかをして、妹がお姉ちゃんに叩かれて泣いていたら、親が、妹に、「お姉ちゃんに叩かれたの?じゃあ、お姉ちゃんを叩き返しに行こう。」と言って、妹の手を持って、お姉ちゃんを叩いて、お姉ちゃんが泣く真似をしたら、「ほら、もう叩き返したからいいでしょ。」と言って、泣いている子を慰めることがあります。しかし、これは、子どもに復讐を教えています。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、自分を害されたら、相手に同じ害を与えることを私たちに教えたでしょうか。兄弟げんかをして、お姉ちゃんに叩かれて妹が泣いていたら、お姉ちゃんに本当に叩いたのか確認し、お姉ちゃんが叩いたことを認めたら、妹のところに行って、謝ることを教えます。子どもの時に教えるこういったしつけは、とても大切です。

 

子どもに服を着せる時にも、こう言いましょう。

「この服を着ようね。アッラーは、あなたにあげたこのかわいい服をあなたが着ているのを見るのが、とても好きなのよ。」

「天国に入るためにアウラを隠そうね。アッラーは、あなたが天国に入れるように、アウラを隠すように教えてくれたのよ。」

分別がつくようになった子どもに、もしくはまだ分別がつかない子どもにかけるこうした言葉が、どんなに子どもの柔らかい純粋な心に植え付けられ、大きく育って行くでしょうか。

 

「もっと食べなさい。しっかり食べて、アッラーのためになる善いことを沢山できる子になるためにね。」

「大きくなって、イスラームを日本に広めるために、役に立つ子になれるよう、しっかり食べなくちゃね。」

「弱い子や困っている人を助けられるくらい強くなるために、しっかり食べようね。」

「かわいそうな人のお手伝いができるように、よく食べて強くなろうね。」

「おばあさんが杖をついて道を渡っていたら、手を取って一緒に渡ってあげられるように、強い子になろう。そしたら、アッラーが天国に入れてくれるからね。」

 

服を着せる時、食べさせる時、日常の何気ない動作の時にかける小さい時のこういった言葉がけは、とても大切です。子どもの心にしっかりと確実に残って行くからです。

 

 

両親の価値観が、どこに一番重要性を置いているか、というのを子どもはよく見ています。

 

母「夜更かしはダメよ。明日学校があるんだから、早く寝なさい!」

子「少しだけいいでしょ。」

父「ダメ、絶対にダメ!朝、学校に遅れたらどうするの!すぐ寝なさい!」

朝になると、

母「さぁ起きなさい!」

子「ねむいよ。」

母「なに言ってるの、早くしないと学校に遅れるわよ!」

子「昨日、寝るのが遅かったし。。」

母「だから言ったじゃない!なんで夜更かししたの!?学校に遅れたらどうするの!なんでもいいから早く起きなさい!!!」

 

子どもはお母さんの権幕から、学校がとても大切なものだと学びます。

 

では、子どもをファジュル礼拝に起こすことに、お母さんが、この大きな関心の4分の1でも払っているのを子どもは感じているでしょうか。このことこそ、子どもが現世で勉強に失敗する原因となり、崇拝行為を嫌悪し、アッラーに従わない人生を送ることになる大きな原因の一つとなっています。

 

子どもがファジュル礼拝に立つことができれば、子どもの心の中に、崇拝行為の重要性を築くことができ、子どもがアッラーとの関係を作っていくことができます。子どもはファジュル礼拝を逃すことの損失を、学校に遅れることの損失よりも、より重大に感じることができるようになります。そうなれば、その子は現世と来世で成功し、学校でも成功するでしょう。なぜなら、その子は学校に目的意識を持って行くことができるからです。自分がなぜ学校に行くのか、きちんとしたニーヤ(意思)と目的を持って、授業を受け勉強できるからです。現在、ムスリムの子どもたちの学校の成績が悪いとしたら、それは、目的を失ってしまっているからです。親がどんなに必死で子どもに学校の重要性を伝えても、子どもは勉強の重要性を感じることができまぜん。なぜなら、親が子どもに植え付けている学校に行く目的が、そもそも間違っているからです。

 

子どもに、学校へ行く目的をきちんと正しく教えましょう。「あなたが学校に行くことで、アッラーのご満足を求めなさい。」と子どもにしっかり教えましょう。アッラーのご満足を求めて行ったことをアッラーが放っておくわけはありません。アッラーのために、アッラーの教えに役立つ人になるために、と勉強をしている子どもが、学校でアッラーに背くことを行えるはずがありません。アッラーに背くことを行わずにアッラーのご満足を求めて真面目に学ぶことで、アッラーがその子の成績を保証してくださるでしょう。

 

思春期になって、子どもたちが心と体の変化に苦しむ時期が来ても、学校で様々な誘惑にあって、自分の現世と来世を壊してしまう行いに駆られる時にも、アッラーのご満足を求めて学校に行っている子に、その害が及ぶことはありません。しかし、何の目的もなく学校に行っている子どもたちや、現世の目先の利益だけを目的に学校に行っている子どもたちは、シャイターンのおもちゃとなって、あちらこちらへと引きずられてしまいます。

 

先生のところには、子どもが悪い仲間と付き合っていて、その子たちの影響を受けてお酒を飲んだり、男女交際をしたり悪行を行うようになってしまった、という相談に来る親がいます。両親は、その子が小さいときに、子どもの心の中に、悪行を禁じ善行を薦めるという教えの種を植えてあげたでしょうか。子どもがクルアーンの1章を覚えたことを、子どもが学校でよい成績を取った時よりも喜んであげたでしょうか。子どもは、親の心の中にあることを敏感に感じます。親が、アッラーのご満足を求めている姿を見せて、アッラーにドゥアーをし続ければ、子どもが悪行に陥ることはありません。アッラーを求める人には、アッラーは現世と来世の両方を与えてくださいます。私たちの家庭を、アッラーを求める場所にしなければなりません。

私たちの子どもに、アッラーのご加護がありますように。

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ムスリムの子ども教育5~家庭の土台の作り方(5)~

2018年07月18日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

ムスリムの子ども教育5~家庭の土台の作り方(5)~

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(2:21:19~34:58) bit.ly/1PPruiy

  

前回は、家庭の土台作りとして、妊娠についてお話しました。今回はその続きで出産です。

 

出産時に子どもに唱えるスンナのアザーンとイカーマ:

 

産まれた子どもの右耳にアザーンを、左耳にイカーマを唱えることがスンナです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のハディースにこうあります。

 

《私は、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がハサン・ブヌ・アリーの耳に、ファーティマが彼を産んだ時、礼拝のアザーンを唱えるのを見ました。》ティルミズィー伝承

 

まだ物心もつかない産まれたばかりの赤ちゃんの耳に、アザーンを聴かせることに何の意味があるのでしょうか。実は、このスンナには、とても大きな英知と意味があります。

 

一つ目の英知は、アザーンにより、シャイターンから守られます。赤ちゃんがこの世に誕生した時に、最初にシャイターンに出会い、シャイターンの指で触られた赤ちゃんは泣き叫びます。ただ、預言者ムハンマド様(彼にアッラーの祝福と平安あれ)のご誕生の時だけは、別で、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこの世に産まれた時に泣かず、くしゃみをされました。すると、「ヤルハムカッラー(あなたにアッラーのご慈悲あれ)」という声がして、その場にいたシャッファーウ(アブドゥッラフマーン・ブヌ・アウフフ様の母親(彼らの上にアッラーのご満悦あれ))がその声を聞きましたが、声の主を見ることはなかったそうです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のご誕生は、拝火教徒が1000年絶やさずに拝んできた火が消えるくらい全世界に大きな影響を与えたもので、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の誕生は、普通の子どもの誕生とは比べることができません。

 

また、出産時にアザーンを唱えることの英知の2つ目は、この世に誕生した一番最初に、体の欲求でも、知力の欲求でもなく、魂の欲求を最初に満たすことの重要性です。体の欲求は、ミルクを飲むことを求めますが、魂の欲求は、アッラーを唱念すること(ズィクル)の光が届くことによって満たされます。この世に産まれてきた赤ちゃんに、最初に話しかける言葉は、体にでも、知力にでもなく、魂に向けた言葉です。このことは、私たち人間の名誉は、体に対してでも知力に対してでもなく、魂の名誉に拠ることがわかります。なぜなら、魂は、アッラーがご自分のルーフ(魂)から吹き込んでくださったものだからです。

 

【われは、彼(人間)を(完全に)形作りました。それからわれの霊(ルーフ)を彼に吹込んだ時、「あなたがた(天使)は彼にサジダしなさい。」と(命じました)。】クルアーン アル・ヒジュル章 29節

 

魂に向けたアッラーのズィクルを聞いた子どもの魂は、知力がまだその意味を理解する前に、そのズィクルの甘美さを満喫します。そして、父親がその役目を果たすことで、子どもは、彼にとっての父親が、ただ彼を扶養し、食べ物を与えるだけの存在ではなく、アッラーの光を伝える存在だということを証言します。そのため、父親が産まれたばかりの子どもの耳に、アザーンを唱えることがスンナなのです。それによって、体や知力よりも先に、子どもの魂が、父親との関係を認識するためです。それにより、子どもの心と魂の中に、親孝行の最初のレンガが打ち建てられます。一部の人は、なぜあの子は父親を尊敬し、親孝行なのだろう?多くの若者が、自分の父親のことを、ただ働いて自分を扶養し、食べ物を与え、お金を持って来てくれる人だから、という理由だけで、表面的に父親に従っているというのに?と思うかもしれませんが、それは、父親が、子どもの体の要求だけを満たしているためです。そうではなく、子どもの魂に、父親のアザーンによって、アッラーの光を伝えられた子どもは、知力が理解し始める前に、親孝行の核心をすでに受け取っています。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、すべてのムスリムの父親に、このスンナによって、まるで、こう言っているようです。あなたの役割は、ただ子どもに食べ物や飲み物を与えたり、子どもをかわいがったり、学校の送り迎えをしたり、必要なものを買ってあげることではなく、そんな小さな現世のことではなく、子どもの誕生時に、子どもとの関係を作る最初の段階において、私があなたに命じ、スンナとして行うよう願ったことは、子どもの体や知力を求める前に、子どもの魂を求めなさい、ということです、と。このアザーンは、父親が、体の要求よりも前に、魂の要求を満たしてくれる存在として、子どもに認識されるためのものです。

 

授乳時のスンナ:

 

そして、母親は、子どもに授乳をする時に、アッラーをズィクルするのがスンナです。ミルクを飲ませる前に、「ビスミッラー」(アッラーの御名において)と言って始めることで、アッラーの御名の光が、彼女のミルクと一緒に、子どもの体の中に深く流れ込みます。昔の敬虔な方は、授乳をしている母親が、関係のないおしゃべりをしていると、「アッラーを唱念しなさい。あなたは、子どもに授乳しているんですよ。子どもの心にアッラーの光を一緒に与えなさい。」と言っていました。そして、もし授乳している母親が、アッラーを忘れ悪口などを言っていたら、「あなたは、忘恩をミルクと一緒に子どもの心に入れるのですか?!」と言われたものでした。こういったことは、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)からの知識以外からは、学ぶことができない知識です。

 

現在は多くの専門家が、子ども教育のために、子どもの知覚能力が形成された後の体の成長や心の成長などについて、様々な知識を紹介しています。しかし、イスラームにおけるムハンマド様(アッラーの祝福と平安あれ)の子どもの教育法は、子どもがこの世に誕生する前から、親が子どもを授かる前から始まります。子どもが、イスラームの光、信仰の光、アッラーとムハンマド様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の光を受けるために、子どもの体が形成されるずっと前から、子ども教育の最初の一歩を始めます。

 

子どもの授乳している時にハラールのお金で得た食べ物を母親に食べさせること:

 

子どもを、授乳の時から、ハラールのお金で得た食べ物やハラールの食べ物を与えるよう、できる限り努力することは、子どもの教育においてとても大切です。現代では、ハラールのお金を得ることがとても難しくなっています。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、こう言われたとおりです。

 

《利子を貪ぼらない人がいない時代が、必ず人々のところにやって来ます。もし、それ(利子)を貪ることがなかったとしても、その埃をかぶります。》イブンマージャ、アブーダーウード、ナサーイー伝承

 

私たちが生きている時代のことです。しかし、アッラーがご覧になっているのは私たちの心です。ハラームの利子をできる限り避けようとしている心があるかどうかを、アッラーはご覧になっています。

 

著名なイスラーム学者イマーム・ガザーリーの師であった、アル=ジュワイニー師(彼らにアッラーのご慈悲あれ)の逸話があります。彼は、イスラームの知識に長け、その演説の上手さや論述の正確さにおいて当時右に出る者がいないほどの学者でしたが、滑らかに話す彼が時々、話の途中で沈黙することがありました。ある人が彼に、「あなたの弁術は本当にすばらしい。しかし、その弁術のすばらしさと、その時折見せる沈黙の秘密は何でしょうか。」と尋ねました。すると、彼は、「私の父は、アッラーを畏れる本当に用心深い人で、ハラールのお金や食べ物を固く守り、私にも、母にも、ハラールのものしか決して与えませんでした。いつも母に、母以外の誰からも、私に授乳させないようにと言って、私に他の人の母乳を与えることを禁じていました。ある日、母が忙しくしている間、私がお腹を空かせて泣いていると、隣の家の奥さんがやって来て、かわいそうに思って私を抱き上げると、自分の母乳を与え始めました。そこへ、父が帰宅し、彼女が授乳をしているのに気付くと、『その子を渡してください。』と言い、私を別の部屋に連れて行くと、急いで足を持って逆さにし、口に手を入れて、『吐き出せ、吐き出せ。』と言って、胃の中のミルクをすべて吐き出させました。父は隣の家の主人が利子を扱っていたことを知っていたからです。私の知識や弁が立つのは、父がハラールで育ててくれたからで、沈黙は、その時に胃に残っていたミルクの分です。」

 

子どもを育てるときにハラームのお金が入らないように、注意することはその子の将来に大きな影響を与え、とても大切です。

 

 

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