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ムスリムの子ども教育5~家庭の土台の作り方(5)~

2018年07月18日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

ムスリムの子ども教育5~家庭の土台の作り方(5)~

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(2:21:19~34:58) bit.ly/1PPruiy

  

前回は、家庭の土台作りとして、妊娠についてお話しました。今回はその続きで出産です。

 

出産時に子どもに唱えるスンナのアザーンとイカーマ:

 

産まれた子どもの右耳にアザーンを、左耳にイカーマを唱えることがスンナです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のハディースにこうあります。

 

《私は、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がハサン・ブヌ・アリーの耳に、ファーティマが彼を産んだ時、礼拝のアザーンを唱えるのを見ました。》ティルミズィー伝承

 

まだ物心もつかない産まれたばかりの赤ちゃんの耳に、アザーンを聴かせることに何の意味があるのでしょうか。実は、このスンナには、とても大きな英知と意味があります。

 

一つ目の英知は、アザーンにより、シャイターンから守られます。赤ちゃんがこの世に誕生した時に、最初にシャイターンに出会い、シャイターンの指で触られた赤ちゃんは泣き叫びます。ただ、預言者ムハンマド様(彼にアッラーの祝福と平安あれ)のご誕生の時だけは、別で、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこの世に産まれた時に泣かず、くしゃみをされました。すると、「ヤルハムカッラー(あなたにアッラーのご慈悲あれ)」という声がして、その場にいたシャッファーウ(アブドゥッラフマーン・ブヌ・アウフフ様の母親(彼らの上にアッラーのご満悦あれ))がその声を聞きましたが、声の主を見ることはなかったそうです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のご誕生は、拝火教徒が1000年絶やさずに拝んできた火が消えるくらい全世界に大きな影響を与えたもので、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の誕生は、普通の子どもの誕生とは比べることができません。

 

また、出産時にアザーンを唱えることの英知の2つ目は、この世に誕生した一番最初に、体の欲求でも、知力の欲求でもなく、魂の欲求を最初に満たすことの重要性です。体の欲求は、ミルクを飲むことを求めますが、魂の欲求は、アッラーを唱念すること(ズィクル)の光が届くことによって満たされます。この世に産まれてきた赤ちゃんに、最初に話しかける言葉は、体にでも、知力にでもなく、魂に向けた言葉です。このことは、私たち人間の名誉は、体に対してでも知力に対してでもなく、魂の名誉に拠ることがわかります。なぜなら、魂は、アッラーがご自分のルーフ(魂)から吹き込んでくださったものだからです。

 

【われは、彼(人間)を(完全に)形作りました。それからわれの霊(ルーフ)を彼に吹込んだ時、「あなたがた(天使)は彼にサジダしなさい。」と(命じました)。】クルアーン アル・ヒジュル章 29節

 

魂に向けたアッラーのズィクルを聞いた子どもの魂は、知力がまだその意味を理解する前に、そのズィクルの甘美さを満喫します。そして、父親がその役目を果たすことで、子どもは、彼にとっての父親が、ただ彼を扶養し、食べ物を与えるだけの存在ではなく、アッラーの光を伝える存在だということを証言します。そのため、父親が産まれたばかりの子どもの耳に、アザーンを唱えることがスンナなのです。それによって、体や知力よりも先に、子どもの魂が、父親との関係を認識するためです。それにより、子どもの心と魂の中に、親孝行の最初のレンガが打ち建てられます。一部の人は、なぜあの子は父親を尊敬し、親孝行なのだろう?多くの若者が、自分の父親のことを、ただ働いて自分を扶養し、食べ物を与え、お金を持って来てくれる人だから、という理由だけで、表面的に父親に従っているというのに?と思うかもしれませんが、それは、父親が、子どもの体の要求だけを満たしているためです。そうではなく、子どもの魂に、父親のアザーンによって、アッラーの光を伝えられた子どもは、知力が理解し始める前に、親孝行の核心をすでに受け取っています。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、すべてのムスリムの父親に、このスンナによって、まるで、こう言っているようです。あなたの役割は、ただ子どもに食べ物や飲み物を与えたり、子どもをかわいがったり、学校の送り迎えをしたり、必要なものを買ってあげることではなく、そんな小さな現世のことではなく、子どもの誕生時に、子どもとの関係を作る最初の段階において、私があなたに命じ、スンナとして行うよう願ったことは、子どもの体や知力を求める前に、子どもの魂を求めなさい、ということです、と。このアザーンは、父親が、体の要求よりも前に、魂の要求を満たしてくれる存在として、子どもに認識されるためのものです。

 

授乳時のスンナ:

 

そして、母親は、子どもに授乳をする時に、アッラーをズィクルするのがスンナです。ミルクを飲ませる前に、「ビスミッラー」(アッラーの御名において)と言って始めることで、アッラーの御名の光が、彼女のミルクと一緒に、子どもの体の中に深く流れ込みます。昔の敬虔な方は、授乳をしている母親が、関係のないおしゃべりをしていると、「アッラーを唱念しなさい。あなたは、子どもに授乳しているんですよ。子どもの心にアッラーの光を一緒に与えなさい。」と言っていました。そして、もし授乳している母親が、アッラーを忘れ悪口などを言っていたら、「あなたは、忘恩をミルクと一緒に子どもの心に入れるのですか?!」と言われたものでした。こういったことは、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)からの知識以外からは、学ぶことができない知識です。

 

現在は多くの専門家が、子ども教育のために、子どもの知覚能力が形成された後の体の成長や心の成長などについて、様々な知識を紹介しています。しかし、イスラームにおけるムハンマド様(アッラーの祝福と平安あれ)の子どもの教育法は、子どもがこの世に誕生する前から、親が子どもを授かる前から始まります。子どもが、イスラームの光、信仰の光、アッラーとムハンマド様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の光を受けるために、子どもの体が形成されるずっと前から、子ども教育の最初の一歩を始めます。

 

子どもの授乳している時にハラールのお金で得た食べ物を母親に食べさせること:

 

子どもを、授乳の時から、ハラールのお金で得た食べ物やハラールの食べ物を与えるよう、できる限り努力することは、子どもの教育においてとても大切です。現代では、ハラールのお金を得ることがとても難しくなっています。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、こう言われたとおりです。

 

《利子を貪ぼらない人がいない時代が、必ず人々のところにやって来ます。もし、それ(利子)を貪ることがなかったとしても、その埃をかぶります。》イブンマージャ、アブーダーウード、ナサーイー伝承

 

私たちが生きている時代のことです。しかし、アッラーがご覧になっているのは私たちの心です。ハラームの利子をできる限り避けようとしている心があるかどうかを、アッラーはご覧になっています。

 

著名なイスラーム学者イマーム・ガザーリーの師であった、アル=ジュワイニー師(彼らにアッラーのご慈悲あれ)の逸話があります。彼は、イスラームの知識に長け、その演説の上手さや論述の正確さにおいて当時右に出る者がいないほどの学者でしたが、滑らかに話す彼が時々、話の途中で沈黙することがありました。ある人が彼に、「あなたの弁術は本当にすばらしい。しかし、その弁術のすばらしさと、その時折見せる沈黙の秘密は何でしょうか。」と尋ねました。すると、彼は、「私の父は、アッラーを畏れる本当に用心深い人で、ハラールのお金や食べ物を固く守り、私にも、母にも、ハラールのものしか決して与えませんでした。いつも母に、母以外の誰からも、私に授乳させないようにと言って、私に他の人の母乳を与えることを禁じていました。ある日、母が忙しくしている間、私がお腹を空かせて泣いていると、隣の家の奥さんがやって来て、かわいそうに思って私を抱き上げると、自分の母乳を与え始めました。そこへ、父が帰宅し、彼女が授乳をしているのに気付くと、『その子を渡してください。』と言い、私を別の部屋に連れて行くと、急いで足を持って逆さにし、口に手を入れて、『吐き出せ、吐き出せ。』と言って、胃の中のミルクをすべて吐き出させました。父は隣の家の主人が利子を扱っていたことを知っていたからです。私の知識や弁が立つのは、父がハラールで育ててくれたからで、沈黙は、その時に胃に残っていたミルクの分です。」

 

子どもを育てるときにハラームのお金が入らないように、注意することはその子の将来に大きな影響を与え、とても大切です。

 

 

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ムスリムの子ども教育4~家庭の土台の作り方(4)~

2018年07月18日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

ムスリムの子ども教育4~家庭の土台の作り方(4)~

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(2:7:20~21:19) bit.ly/1PPruiy

  

前回は、家庭の土台作りとして、養育費に対する不安についてお話しました。今回はその続きです。

 

ムスリムは、自分の糧はアッラーの御手にだけある、ということを頭では知っていますが、その確信がまだ心に降りてきていないこともあるかもしれません。本来は、子どもの養育費はアッラーが担っておられるので、アッラーを信じていれば心配しませんが、その確信が弱いために、もしくは体が弱い、病気etc.の理由がある場合、子どもを持つことを遅らせることは、イスラーム的に許されていることです。それは、病気などのやむを得ない理由でなくても、まだ妊娠していない状態であれば、アッラーの糧への確信が弱いために、しばらく子どもを持たないと計画することは、イスラームで許されていることです。ただ、ここでは許されているかハラームか、という話ではなく、アッラーに対する礼儀と心の状態を考えることを薦めています。また、妊娠がわかったならば、母体に危険が及ぶなど何か理由がある場合を除き、中絶することは許されていません。それは殺人になるためです。

 

心配2)夫婦の信頼関係:

 

養育費の心配の次に、子どもを持つことを遅らせる理由は、夫婦仲の心配です。結婚した女性に、「なぜ子どもがほしくないのですか?」と聞くと、「本当にこの人とやっていけるかどうかもう少し様子を見ないと不安で・・」という答えが返ってくることがあります。夫婦喧嘩が多くて、全然理解し合えない、この相手と本当にこの先ずっと一緒に生活していけるのか、という不安があるうちは、安心して子どもを作れない、と言うのです。

 

夫婦仲に安心できない原因は何でしょうか。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が教えてくださっていることを実践してみましょう。ご夫婦二人が、お互いに、相手の権利を守ることを、自分の権利を主張することよりも優先すれば、必ず夫婦仲は最も素晴らしい形で完成します。また、二人の間に子どもが産まれることで、アッラーが、夫の心に慈悲とやさしさと思いやりを増してくださることもあるでしょう。アッラーに期待すれば、アッラーが自分に期待する人のことを失敗させるわけがありません。

 

こういった様々な妄想による不安が、子どもを持ちたいという自然な気持ちを妨げます。他にも、出産の痛みや妊娠中の苦しみや子育ての苦労について、シャイターンやシャイターンにささやかれた周りの人たちが女性にささやき、子どもを持つことを嫌悪させます。なぜなら、ムスリムが子どもを産むことによって、最後の審判の日に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が喜んでくださることになるからです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《子どもを増やしなさい。そうすれば、私は最後の審判の日に、自分の共同体の人員の多さを誇るであろう。》ブハーリーとムスリム伝承

 

いろいろな不安を抱えて子どもを持つことをためらうことなく、ただ「預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の心に喜びを入れることができる」ということを期待して子どもを持つことを望む人もいます。

 

それでもシャイターンはあきらめずにささやくかもしれません。「今は、昔とは時代が違う。現代の子育ては、育児も教育もとても難しくお金もかかる。自分の子どもをちゃんと教育できなかったらどうするんだ。」

 

大丈夫です。すでに預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、私たちのどんな心配にもすべて回答を与えてくださっています。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《もしも、あなた方のだれかが、自分の配偶者と性交渉をもとうとする時には、「アッラーの御名において。アッラーよ、私たちからシャイターンを退けて下さい。そして私たちに授けて下さったものからシャイターンを退けて下さい。」と言いなさい。そうすれば、そのときにアッラーが子をお授け下さった場合、悪魔がその子に決して害を及ぼすことはありません。》ブハーリーとムスリム伝承

 

アラビア語「 ビスミッラー。アッラーフンマ ジャンニブナッシャイターナ、ワ ジャンニビッシャイターナ マー ラザクタナー。」

 

これ以上に信頼のおける約束があるでしょうか。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、私たちの子どものことを、その子とアッラーとの関係を保証してくださっています。アッラーのズィクルによって産まれてくる子どもは一生シャイターンから守られます。

 

最後の審判が近くなると、このズィクルを忘れてしまい子どもを産む人たちが増え、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこうおっしゃっています。

 

アーイシャ様(アッラーのご満悦あれ)は言いました。

《アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は私におっしゃいました。「あなた方のうちで、ムガッラブーンがいます(もしくは別の単語)か?」私は言いました。「ムガッラブーンとは何ですか?」「彼らにジンが加わった人たちです。」》アブーダーウード、ハーキム伝承

ムガッラブーン:夫婦の営みにシャイターンやジンが加わり産まれた子ども。

 

こうしてアッラーのズィクルによることなく産まれた子どもには、シャイターンの害が降りかかってしまい、後になって、親が「なぜうちの子は親に背くのか。」「なぜこの子にはアッラーによるタウフィーク(成功)がないのか。」と驚き、その子による多くの苦悩に悩まされることになるかもしれません。それは親が、アッラーのズィクルによって、自分と子どもと配偶者をシャイターンから守らなかったためです。

 

ハラールの方法により得た収入とそのお金で買うハラールの食べ物:

 

ムスリムの子育てにおいて、大事なことのひとつに、子どもに与える食べ物をその入手方法もハラールにするということがあります。実は、ハラームの食べ物を与えて子どもを育てないことは、両親の喜びとなるような誠実な子どもになるかどうかに大変大きな影響があります。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

《ハラームによって育ったすべての肉体には、(地獄の)炎がふさわしい。》タバラーニー伝承

 

人を騙して手に入れたお金や嘘をついて手に入れたお金、賄賂を払って手に入れたお金、人に不正を働いて手に入れたお金、そういったハラームの方法で手に入れたお金で家族を養うことにより、望むと望まないとに関わらず、自分の子どもに取り返しのつかない大きな危険を与えます。子どもに及ぼすこの害は、親が、アッラーに対する確信が足りないことに起因します。子どもにおいてアッラーを畏れましょう。

 

また、子どもを持つことの意図を確認し、クルアーンで教えてくださっているドゥアーをしましょう。

رَبَّنَا هَبْ لَنَا مِنْ أَزْوَاجِنَا وَذُرِّيَّاتِنَا قُرَّةَ أَعْيُنٍ وَاجْعَلْنَا لِلْمُتَّقِينَ إِمَامًا

【そして、「主よ、心の慰めとなる妻と子孫をわたしたちに与え、主を畏れる者の模範にして下さい。」と(祈って)言う者。】クルアーン 識別章25-74

アラビア語「ラッバナー ハブ ラナー ミン アズワージナー ワ ズッリッヤーティナー クッラタ アアユニン ワジュアルター リルムッタキーナ イマーマー」

 

自分と預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)とムスリム達にとって、心の慰めとなる子どもを御恵みくださるよう、このドゥアーでアッラーに求めましょう。子どもを持つ目的は、自分が年老いた時に世話をしてもらうためでも、子どもの卒業大学の名前や就職先を自慢するためでもありません。うちの子は○○大学に合格した、息子が医者になった、うちの子は弁護士になった、これらは、まったく取るに足らないことです。なぜなら、信仰者もアッラーに背く者も同じように、医者にも弁護士にもなるからです。自分の子どもが医者であっても、アッラーに背く人が、その子よりずっと名高い医者であるかもしれません。現世の職業や大学は、まったく自慢すべき対象ではありません。本当に自慢できるものは、その子が、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)にどれだけつながっているかどうかです。

 

子どもを授かった後にすること:

 

妻の妊娠がわかったら、夫はアッラーに感謝し、その子が男の子でも女の子でもアッラーのご加護があるように祈ります。妻は、アッラーがお恵みくださった子どもによって得られる大きな報償を思い出し、妊娠中のサブル(忍耐)によってアッラーが自分に満足してくださるよう願いします。妊娠中の気分の悪さや苦労や痛みに関して、アッラーに不満を言わないよう注意しましょう。なぜなら、それらの苦労によって、女性には、男性がどんなに努力し崇拝行為を行っても獲得できない高い位がアッラーから約束されているからです。妊娠中の期間をアッラーへのズィクルで過ごし、心をアッラーに向けましょう。母親が口にする嘘や悪口、中傷やハラームを見る一瞥(いちべつ)が、胎児に影響を与えることがないなどと思ってはなりません。それらは本当にすべてお腹の中にいる子どもに多大な影響を与えます。特に、ルーフ(魂)を吹き込まれた後(120日目以降)には要注意です。魂の知覚能力は理性の知覚能力よりも早く形成されるため、十分な注意が必要だからです。

 

出産が近づいたら、アッラーへのズィクルで過ごし、それによって、アッラーが出産を簡単にしてくださるよう願います。陣痛が起こり、耐えられないほどの痛みに襲われた時には、最初の陣痛が起こると、自分の過去の罪がすべて消されることを思い出しましょう。そのため、昔の敬虔な方たちは、出産が近い女性や、出産後の女性を訪問し、彼女に、「どうかアッラーが私を赦してくださるようにドゥアーしてください」と頼みました。なぜなら、出産によって、すべての過去の罪が消され、真っ白な状態になるので、罪のない彼女のするドゥアーは、アッラーに叶えてもらいやすいからです。

 

母親の徳はまだあります。イエメンのある男がハッジに行き、マッカの強烈な太陽の下、自分の母親をずっと背負い、母親のためにハッジ巡礼の崇拝行為を母親を背負ったまますべて行いました。彼は、イブン・ウマル様(アッラーのご満悦あれ)にこう言いました。「イブン・ウマル様、私はこれによって母親の権利を十分に報いましたか。」すると、イブンウマル様(アッラーのご満悦あれ)はこう言いました。「いいえ。まだあなたが彼女のお腹にいた時の、彼女の陣痛の痛みの1つでさえ(報いてはいません)。」

 

《一人の男がアッラーの使徒の所にやって来て「私は人々のうちで誰に一番つくすべきでしょうか?」と言った。

すると預言者は「あなたの母親です」と言った。

そこでその男は「その次は誰ですか?」と尋ねた。

すると預言者は「その次もあなたの母親です」と言った。

そこでその男はさらに「その次は誰ですか?」と尋ねた。

すると預言者は「その次もあなたの母親です」と答えた。

さてその男はさらに「ではその次は誰ですか?」と尋ねた。

すると預言者「その次はあなたの父親です」と答えた。》ブハーリーとムスリム伝承

 

このハディースでもわかるように、イスラームは女性に、男性が届かないほどの高い地位を与えています。子どもを授かることは、男性にとってはたった一晩、もしくは一時の快楽ですが、女性にとっては死の危険にさえさらされる出来事です。そのため、イスラームでは、母親の権利は、父親の権利に優るのです。

 

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ムスリムの子ども教育3~家庭の土台の作り方(3)~

2018年07月18日 | 預言者の教育方法

あまねく慈愛深きアッラーの御名において

ムスリムの子ども教育3~家庭の土台の作り方(3)~

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(1:38:00~完、2:~7:20) bit.ly/1PPruiy

  

これまで、家庭の土台作りになるニーヤ(意思)とニカー(結婚契約)についてみてきました。今回はその続きです。

 

結婚式が終わって、結婚相手と一緒に最初の日を過ごすことになったら、まずは部屋に入る際に、サラームを伝える挨拶、「アッサラーム アライクム ワ ラフマトゥッラーヒ ワ バラカートゥフ」(あなたにアッラーのご慈悲と平安がありますように)と言って挨拶をします。サラームは、平安、安全です。初めて家族となる相手と過ごす際に、サラームで始めることで、これからの人生に、平安と安全をもたらしてくれます。サラームはとても大切です。そして、スンナの2ラカートの礼拝をし、結婚の際のドゥアーをします。

 

80.結婚する者のドゥアー「アッラーフンマ インニー アスアルカ ハイラハー ワ ハイラ マー ジャバルタハー アライヒ ワ アウーズビカ ミン シャッリハー ワ シャッリ マー ジャバルタハー アライヒ。」

日本語の意味「アッラーよ、私はそこにある良きものを求め、あなたがそのように創造されたところの良きものを求めます。そしてそこにある悪から、そしてあなたがそのように創造されたところの悪しきものからのご加護を求めます。」

 

81.床入り前のドアー「ビスミッラー。アッラーフンマジャンニブナッシャイターナ、ワジャンニビッシャイターナマー ラザクタナー。」

日本語の意味「アッラーの御名において。アッラーよ、私たちからシャイターンを退けて下さい。そして私たちに、授けて下さったものからシャイターンを退けて下さい。」『ムスリムの砦』p.141,142

 

最初に結婚相手と過ごす時、相手との関係を通して、自分とアッラーとの間の関係を築くことをまず考えましょう。昔の敬虔な方は、「アッラーのご満足を求めて妻に対して寛大にし、彼女の権利を守ること、アッラーの権利を守ることを固く心に決めた者には、アッラーは彼女の心に、2つのことを投げ入れます。ひとつは、夫への心からの愛情と優しさ、2つ目は、夫への尊敬と畏敬の念です。」と言いました。新しい家族となった結婚相手と過ごす最初の数日間の夫婦の関係は、これから先、人生を共にする二人の関係が現れます。子どもを迎え入れる準備がここから始まります。子どもの教育が、ここからすでに始まっていることをしっかり思い出しましょう。

 

現在、どれだけ多くのすでに亡くなったご夫婦が、墓の中で結婚当初の日々を思い出し、幸せを感じているでしょうか。アッラーのご満足を求めて、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のスンナに従って結婚を進めることで、現世だけでなく、墓の中と来世でも幸せを感じる結婚になります。その幸せは現世の一瞬の出来事ではなく、その人の永遠の来世まで持って行くことができる幸せとなります。

 

しかし、男女の関係が多様化し、結婚の意味が変わって来た現代に、こういった婚約や結婚のスンナに従うことは、ムスリムでない親戚、家族や友達から驚かれたりして、様々な困難を伴うかもしれません。そのことについて、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこうおっしゃっています。

 

《誰でも私のスンナを蘇生(そせい)した者は、私を蘇生したのです。そして私を蘇生した者は、天国で私と共にいます。》ティルミズィー伝承

 

《私のウンマ(イスラーム共同体)が腐敗する時代に、私のスンナを堅く守る者には、殉教者と同じ報償があります。》タバラーニー伝承

 

《私のウンマ(イスラーム共同体)が腐敗する時代に、私のスンナを堅く守る者には、100人の殉教者と同じ報償があります。》アル=バイハキー伝承

 

結婚に関するスンナを私たちが他の人たちに伝え、守って行くことは、これほど大きなご褒美があります。

 

出産における心配ごと:

心配1)養育費

 

また、結婚に関する心配事のひとつに、お金のことがあります。結婚しても子どもを作ろうとしないご夫婦に理由を尋ねると「まずは自分たちの生計をしっかりしないと、、、」と言います。つまり、子どもの養育費のことを心配しているのです。しかし、イスラームでは、人が一生の間に手にするお金は、すでに母親のお腹の中にいる時に決められています。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《あなた方の誰でもそうだが、母親の体内で40日間でその組織が集められ、その後同様の日数で凝血となる。

それから同様にして肉塊となる。そして天使が遣わされてそれに魂を吹き込む。

それで天使は四つの言葉(を書くこと)を命ぜられる。それは胎児の生計と寿命と行為と幸不幸を書き留めて決定することである。》ムスリム伝承

 

ですから、子どもの養育費は父親ではなく、アッラーが担っておられます。アッラーに不可能なことがありますか?結婚して最初の頃、子どもの養育費を貯めるまで子どもを作らないと決め、収入と支出を計算して、妊娠と出産の計画を立てることによって、寛大なアッラーの糧を自分たちで狭めていることがあります。例えば、ある人は、最初の数年間は子どもの養育費がないから子どもを作らない、と決めます。しかしその決定は、アッラーは私たちにこれだけしか収入を与えてくれない、という確信で、アッラーが与えてくれないと確信すれば、もちろんアッラーは与えません。それは、アッラーに対する悪い見方だからです。つまりアッラーに対して悪い見方をすることによって、自ら収入が入らないようにし、自分で自分の首を絞めていることに気付いていないのです。アッラーの寛大さを自分たちで狭めることはありません。もちろん、出産にも育児にもお金がかかります。しかし、アッラーは、その子の養育費を両親に与えない限り、子どもも与えない、ということを思い出しましょう。

 

私たちは、収入を得るための「手段」を取ることと、その「手段」を頼りにすること、を混同してないように注意しなければなりません。手段を取ることは、アッラーがお許しになられていることですが、その手段を頼りにすることはアッラーが禁じていることです。マルヤム様(平安あれ)に「手段」なく糧をお与えになられたお方が、やはり「手段」なくマルヤム様(平安あれ)にイーサー様(平安あれ)をお与えになられました。

 

【ザカリーヤ一が、かの女を見舞って聖所に入る度に、かの女の前に、食物があるのを見た。かれは言った。「マルヤムよ、どうしてあなたにこれが(来たのか)。」かの女は(答えて)言った。「これはアッラーの御許から(与えられました)。」本当にアッラーは御自分の御心に適う者に限りなく与えられる。】クルアーン イムラーン家章3-37

 

【何かを望まれると、かれが「有れ。」と御命じになれば、即ち有る。】クルアーン ヤースィーン章36-82

 

全宇宙を無からお創りになられたお方が、私たちが「手段」を取らなければ、私たちに与えることができないでしょうか。アッラーは、イーサー様(平安あれ)を出産したばかりのマルヤム様(平安あれ)にこうお命じになられました。

 

【またナツメヤシの幹を、あなたの方に揺り動かせ。新鮮な熟したナツメヤシの実が落ちてこよう。】クルアーン マルヤム章19-25

 

女性がナツメヤシの太い幹を揺らすことなどできるでしょうか。頑強な男性でも実が落ちるほど揺らすことは不可能です。では、出産したばかりの女性にとって、どれほど不可能なことでしょうか。それではどうして、アッラーはマルヤム様(平安あれ)に揺らすことを命じたのでしょうか。もちろん、アッラーは彼女が揺らすことなく、ナツメヤシを彼女に与えることができるのに、です。これが、「手段を取ること」です。マルヤム様(平安あれ)が木を揺り動かそうとすることが、手段です。実が落ちてくることは、その行動とは直接関係ありません。なぜならば、そんな力で揺らそうとしたところで無理だからです。アッラーは私たちに、すべてのものは、「手段」によって起こっているわけではなく、「手段」はただアッラーのご命令に従うだけだ、ということを教えてくださっています。「手段」はアッラーのご命令に従うだけで、私たちは「手段」によってお金を手に入れるのではなく、アッラーのみがそれを与えてくださいます。

 

例えば、小さな子どもがお菓子屋さんで父親に、「飴食べたい!」と言うと、父親が、じゃあ、「1~10まで数を数えてごらん。」と言い、子どもが「1,2,3,4、、、、10!」と数えると、父親は店主のおじさんに合図し、子どもがおじさんから飴をもらって喜んでいる隙にお金を払いました。次の日、子どもはまた飴が食べたいと思い、同じお菓子屋さんに行き、昨日の店主を見つけると、大声で、「おじさん、1,2,3,4、、、、、」と数えはじめ、「、、、10!」と言いますが、おじさんは飴をくれません。この子がやったことは笑いを誘うでしょう。それはそのまま私たちが日ごろアッラーに対してやっていることです。アッラーは、仕事をすることを、糧を得る「手段」としました。決して、「仕事」が糧を与えるわけではありません。しかし、私たちは、糧を得たいと思ったら、「1,2,3,4、、、、」と数えるようになってしまいました。これが私たちの現状です。

 

子どもは店主に、「おじさん、ぼく10数えたよ、昨日みたいに飴ちょうだいよ。」と言います。店主は、「10を数えることが、飴の代金じゃないんだよ。お父さんの言うことを聞いたから、飴をもらえたんだよ。」と言います。アッラーに対しても、私たちは同じことをしています。アッラーが「手段」を取りなさい、と命じたから、私たちは「かしこまりました」と、「手段」を取り、仕事をしますが、その仕事が私たちにお金を与えるわけではないことを、心に刻む必要があります。「手段」がお金をくれるという妄想を消しましょう。「手段」の奴隷になって「手段」を頼りにするのではなく、アッラーに従い、頼ることです。そうすれば、もし「手段」が停滞したとしても、アッラーがそのお力によって、まったく「考えつかないところから、恵みを与え」てくださいます。

 

【かれが考えつかないところから、恵みを与えられる。アッラーを信頼する者には、かれは万全であられる。】クルアーン 離婚章3

 

昔のアッラーをよく知っている先生は、「自分の糧が、いつも考えつくところからしかやって来なければ、自分の信仰を調べなさい。」と言いました。アッラーは、【かれが考えつかないところから、恵みを与えられる。】とおっしゃっているにもかかわらず、自分の糧がいつも考え付くところからしか来ない、ということは、信仰になにか問題がある、ということです。自分の糧の中で、考え付かないところからやって来る糧があるべきだ、ということです。

 

私たちが手段でなく、手段を結果に結びつけてくださる御方にだけ頼ることができますように!

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ムスリムの子ども教育2~家庭の土台の作り方(2)~

2018年07月01日 | 預言者の教育方法

ムスリムの子ども教育2~家庭の土台の作り方(2)~

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(18:10~38:00)bit.ly/1OYuajs

  

第一回目は、ニーヤ(意思)により、家庭の土台を作ることについて学びました。正しいニーヤ(意思)を持つことで、アッラーが家庭の土台を強固にしてくれます。正しいニーヤ(意思)とは、現世の物を求めて結婚するのでも、相手がただ好きだから結婚するというものでもありません。基本的に、「アッラーのご満足を求めて、結婚します。」というニーヤ(意思)です。もしすでに結婚している方は、今からでも遅くはありません。今から、家族に接するニーヤ(意思)、ご主人に対するニーヤ(意思)、子どもたちに対するニーヤ(意思)を誠実に正しく持ち直すことから始めましょう。ご家族に対して、「アッラーのご満足を求めるために」というニーヤ(意思)を持ちましょう。

 

結婚は預言者ムハンマド様(彼にアッラーの祝福と平安あれ)のスンナです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《ニカー(結婚)は私のスンナです。私のスンナをしない者は私の仲間ではありません。》イブンマージャ伝承

 

もちろんイスラーム以前の人たちも、ムスリムではない人たちも結婚します。彼らの結婚が、ムスリムにとってのニカー(結婚契約)と違うのは、それが預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のスンナ、つまりそれによってアッラーからの報奨をもらえる行為である点です。人間の持つ性欲という欲望さえ、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のスンナに従って結婚することで、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を通してアッラーに近づく行為となります。ですから、基本的には、ムスリムは結婚し家庭を築くことを優先するため、他の宗教のように修道院に入ったり、出家したりしません。ただ稀な例として、経済的な理由など、様々な理由により結婚が難しい場合で、ハラームの行為(婚外交渉や異性のことを注視したり、考えたりするetc.)に陥らないのであれば、独身でいることもあります。

 

例えば、タービイーンの有名なハサヌ・ル=バスリー師(アッラーのご慈悲あれ)は、「なぜアッラーの使徒のスンナをなさらないんですか?」と尋ねられ、「私はそれがスンナであることは知っています。決してそれを軽視したり、怠惰なために結婚しないわけではありません。ただ自分の心が2つのもの、我が主と妻を収めることができないことがわかったのです。そして、私の心にとって、偉大かつ崇高なるアッラーは義務であり、妻を娶ることはスンナであるため、義務をスンナよりも優先したのです。」と答えました。また、イマーム・ナワウィー師(アッラーのご慈悲あれ)も44歳で亡くなりましたが、知識探求と教授とダアワに専念し、結婚のことについての考えがまったくよぎることなく生涯結婚しませんでした。こういった例はまれですが、イスラームでは結婚しない人を批判する必要もないですが、結婚しないことがアッラーに近づく特別な方法だという訳でもありません。

 

著名なビシュル・ル=ハーフィーとイマーム・アハマド(彼らにアッラーのご慈悲あれ)の逸話があります。ある人がビシュル・ル=ハーフィーに「あなたの状態はどうですか。」と尋ねると、彼は、「アッラーは私をイッリッユーン※の中に入れてくださり、天国をおゆるし下さいました。」と答えました。

※天使が書く善行をした人たちの帳簿とも、最高天にあるアッラーの玉座の下の場所とも言われる

次に「イマーム・アハマドはどこにいますか?」と尋ねられると、彼は、上を見上げ頭を上げ、また更に見上げ、また更に見上げ、かぶっていた帽子が床に落ちるほど上を見て指さしました。「どうして彼はあなたよりも上にいるのですか?」と尋ねられると、「彼は結婚し、アッラーの御使い様のスンナを実行しましたが、私はしなかったからです。また彼は子どもを持ち、知識とズィクル(アッラーを唱念すること)についての善い教育を施し、彼にはその子ども達の知識とズィクルの報奨がありますが、私にはないからです。また彼はアッラーの道のために拘留され罰を受け試練に遭い忍耐しましたが、私は行っていないからです。この3つにおいて彼は私を超越しているのです。」このようにイスラームには、結婚しないことがより敬虔であるといったことはありません。

 

結婚するかどうか、といえば、基本は結婚するというのが正解です。次に、誰と結婚するか、については、ハディースがあります。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《次の四つの理由において、女性と結婚します。それらは、彼女の財産、彼女の血統、彼女の美しさ、そして彼女の信仰です。それ故、信仰深い女性を得るようにしなさい。あなたの両手が埃だらけになりますように!※》※しっかりやりなさい!の意。人を励ます場合にも使われる言葉である

 

女性の財産、地位、容姿などを理由に結婚することもできますが、基本は、信仰深い女性を選ぶことが優先されます。

 

またどんな理由で結婚するか、というと、前回お伝えした誠実なニーヤ(意思)によって結婚します。「アッラーのご満足を求めて、結婚します。」というニーヤ(意思)です。

 

次に、どうやって結婚するか、です。配偶者になる人を選んで、実際に結婚したいと決めたら、次にすることはフトバ(婚約)です。結婚したい相手の女性の後見人(父親etc.)の家に、本人、または代理人が行き、出席したムスリムたちが見守る中、婚約をしに来た男性が、アッラーを称賛し、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に祝福祈願をし、参加者たちにアッラーを畏れるよう忠告した後、彼女の父親または、後見人に結婚を申し込みます。これらのスンナは、家庭を築く最初の行事ですが、最近は行われることが減っています。後見人は、結婚経験のない女性には結婚の意思を確認すべきで、特に再婚の女性には彼女に結婚の意志がなければ結婚は成立しません。もし彼女に結婚を受け入れる意志があれば、後見人はそれを男性に伝え、最後にファーティハ章を読誦し終了します。フトバをした後は、まだニカー(結婚契約)をした後のように、二人きりで出かけたり話したりすることが許されているわけではありません。ただ、お互いに、フトバ中は、他の人とフトバや結婚をすることが禁じられるというものです。男女の関係は、結婚前の状態なので、二人きりで話したり、会ったりすることは許されていません。このことは家庭を築く上でアッラーの英知があります。

 

次に、二人が結婚の意志を固めたら、ニカー(結婚契約)をします。ニカーをする際には、敬虔な人たちに集まってもらうことがスンナです。また、招待する人たちは、アッラーと預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が最後の審判に喜んでくれる人たちを選びましょう。例えば、親戚関係をよくするという義務を果たすために、親戚をたくさん招待します。結婚式が、親戚関係を悪くするきっかけにしないように気を付けましょう。また、結婚式では、忙しさや人の多さでアッラーのことを忘れてしまうことがないよう注意しましょう。そう言うと、「今日は彼らの結婚式なんだから放っておいてあげたら。」と言ったりしますが、アッラーとのつながりが結婚式に切れるということがあるでしょうか。結婚式の当日だけの喜び、幸福で終わらせず、現世だけでなく永遠の来世でもふたりで喜び、幸せになることができる結婚式にしましょう。それはお祝いやパーティーをしない、ということではありません。イスラームでも喜びを表すことはスンナです。結婚式で喜びを表すことについて、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がこうおっしゃっています。

 

《このニカーを公表して、マスジドで行いなさい。またそれにおいてダッフ(タンバリンのような太鼓)を叩きなさい。》ティルミズィー伝承

 

楽器は基本的にはイスラームでは禁止されていますが、結婚式には人々に喜びを与えるためにダッフを叩き祝いなさいと言っています。善い言葉や詩で喜びを表し、女性は女性のみの会場で礼儀を護った簡単な踊りを楽しむこともできるし、男性は男性のみの会場で礼儀を護った踊りをすることも許されています。イードの日には、預言者モスクでさえ踊りをしていました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のハディースにこうあります。

 

《イードル・アドハーの日、アブー・バクルが彼女の所にやって来た。その時、彼女の許に二人の女性がいてタンバリンを打ち鳴らしながら歌っていた。アッラーのみ使いは衣服で全身を覆っておられた。アブー・バクルは彼女達を叱った。

するとアッラーのみ使いはお顔をお出しになり「アブー・バクルよ、祭なのだから彼女達をそのままにしておくがよい」と申された。アーイシャは「アッラーのみ使いは私がエチオピアの人々がスポーツをしているのを見ておりますと、その御方の外とうで私を人目から遮るようにして下さったことがありました》ムスリム伝承

 

《イードの日、モスクにエチオピアの人々が歌い踊りながらやって参りました。預言者は私をお呼びになりました。

私は私の顎をその御方の肩に乗せました。私は終始そのような恰好で彼等のスポーツを眺めておりました。》ムスリム伝承

 

この時エチオピアの人たちが歌っていたのは、エチオピア語で預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を称賛する歌でした。お祝いの席やイードでは預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を称賛するのがスンナです。これらは、結婚式のハラールな楽しみ方です。それによって、結婚式にアッラーの祝福が降り、アッラーの光によって二人が祝福されるやり方です。

 

よりによって人生の門出に、アッラーに背く方法で行う結婚式に何の意味があるでしょうか。小さいころからヒジャーブをしていた女性が結婚式の日に、それを脱いでドレスに着替えてしまうのはどうしてでしょうか。男性がアウラの表れている自分の妻を横に置いて、参列した男性たちに彼女の美しさを見せているのに満足するのはなぜでしょうか。それはただ、西洋の習慣が入って来たから、というだけではありません。結婚式の本来の意味が失われていることに拠るものです。

 

また、自分の持っているものを自慢するという悪習に慣れてしまったためです。新しい車を買った人は、友達に見せて自慢したがります。必要だから買うのではなく、自慢するために買う人もいます。新しい服を買ったら、人々が見て褒めてくれるのを期待します。アクセサリーを買ったら、それを着けて人が称賛してくれるのを待ちます。自慢する心は、心の病のひとつです。

 

現世の物だけでなく、アッラーとの崇拝行為まで自慢したくなります。クルアーン読誦を人前でする時、美しい読誦を人々が褒めてくれるために読むのか、アッラーのお喜びを求めて読むのか、そこには天と地の差があります。

 

自分の車を自慢するように、自分の家の美しさを自慢するように、自分の妻の美しさを自慢するのは病気です。女性は物ではありません。女性はアッラーがお創りになられた価値ある存在です。これも人々に褒められたという心の病気のせいです。この病気は、その人の人生を台無しにします。なぜなら、現世の物には流行があり、新型のものがどんどん出てきます。今、人々が褒める物も、来年には古い物になってしまい、幸せを感じるには、また新しい物を買わなければならず、お金を浪費し、消費を続けていかなければ幸せも続きません。これがアッラー以外のものの満足を求める人生の結末です。

 

反対に、アッラーのご満足を求めて行うことは、現世でも来世でも消えません。「どうしてその服を着ましたか?」「アッラーのお喜びを求めて清潔にするため」、「アッラーの恩恵を示すため」、「アウラを隠すというアッラーの命令を遂行するため」と答える人は、年月によってその服を着るときの幸せは変わりません。10年後に着ても、同じ幸せを感じることができます。

アッラーが私たちの心を病気からお守りくださいますように。

 

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ムスリムの子ども教育1~家庭の土台の作り方(1)~

2018年07月01日 | 預言者の教育方法

ムスリムの子ども教育1~家庭の土台の作り方(1)~

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(~18:10)https://www.youtube.com/watch?v=1oJ2IfRLFXU 

 

家を建てる時に、どんなにすばらしい建物をデザインして、内装を美しくしても、土台の基礎工事をしていなかったら、雨が降っただけで屋根も壁も崩れ落ちてしまうかもしれません。家庭も同じです。すべての行いの土台は何でしょうか。家庭の土台は、ニーヤ(意思)です。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《行為とはニーヤ(意思)にもとづくものであり、人はみな自らのニーヤ(意思)した事柄の所有者です。

したがってアッラーとその御使いのためにヒジュラ(聖遷)に参加した者は、アッラーとその御使いのために

聖遷(せいせん)を行なったのであり、現世の利益、結婚相手の女性のために聖遷に加わった者は、

それらのためにヒジュラ(聖遷)を行なったにすぎません。》 ブハーリーとムスリム伝承

 

ムスリムの子どもの教育において、まずは、その土台となる結婚について気を付けるべき点をお話します。

 

1.     結婚、出産において正しいニーヤ(意思)を持つこと:

  昔の敬虔な方は、結婚しようと決意したら、まずイスラームの知識のある先生のところに行き、「私は結婚したいと思いますが、結婚に際して行う正しいニーヤ(意思)を教えてください。」と先生に尋ねました。なぜなら、そのニーヤ(意思)こそが、その後の結婚生活すべての土台となることをよくわかっていたからです。ニーヤ(意思)を正しく持つことで、その後の結婚生活がアッラーによって守られます。「アッラーのご満足を求めて、結婚します。」というニーヤ(意思)です。

 

クルアーンの中には、マルヤム様のお母様(ハンナ様)が出産に際して、ニーヤ(意思)をするところがあります。

 

【イムラーンの妻がこう(祈って)言った時を思え、「主よ、わたしは、この胎内に宿ったものを、あなたに奉仕のために捧げます。どうかわたしからそれを御受け入れ下さい。本当にあなたは全聴にして全知であられます。」】クルアーン イムラーン家章3-35.

 

このハンナ様の誠実なニーヤ(意思)によって、アッラーは彼女に預言者イーサー様(平安あれ)の母親になるという栄誉をお与えになられました。イーサー様(平安あれ)の誕生から2000年以上経った現在でも、世界中の人たちがイーサー様(平安あれ)の復活を待っています。この栄誉はどこから来ましたか?母親の誠実なニーヤ(意思)からです。またハンナ様は、出産後にアッラーにこうドゥアーをしています。

 

【それから出産の時になって、かの女は(祈って)言った。「主よ、わたしは女児を生みました。」アッラーは、かの女が生んだ者を御存知であられる。男児は女児と同じではない。「わたしはかの女をマルヤムと名付けました。あなたに御願いします、どうかかの女とその子孫の者を、呪うべき悪霊から御守り下さい。」】クルアーン イムラーン家章3-36

 

ハンナ様がアッラーに捧げたニーヤ(意思)の成果は、何だったでしょうか?

 

それで主は、恵み深くかの女を嘉納され、かの女を純潔に美しく成長させ、ザカリーヤーにかの女の養育をさせられた。】クルアーン イムラーン家章3-37

 

ハンナ様のニーヤ(意思)によって、【恵み深くかの女を嘉納され】、つまり、その子をアッラーが受け入れてくださったという成果です。私たちは、結婚が「崇拝行為」だということを知っているでしょうか。結婚がアッラーへと近づくための崇拝行為だと知っていたら、結婚においても、アッラーが受け入れてくださるかどうか、と考えることができるでしょう。アッラーに受け入れられた結婚は、アッラーによって守られます。

 

アッラーが与えてくださったこの人生は、すべてがイバーダ(崇拝行為)になることを、ムスリムは知っています。崇拝行為というのは、ただ、礼拝することや断食すること、クルアーンを詠むこと、ズィクルをすることだけでしょうか。それらは人生の中のほんの少しの時間だけです。私たちの人生は、すべてが崇拝行為です。アッラーはクルアーンの中でこうおっしゃっています。

 

【ジンと人間を創ったのはわれに仕えさせるため。】クルアーン 撒き散らすもの章51-56

 

私達ムスリムにとっては、食べることも、眠ることも、結婚も、出産も、すべてがアッラーへと近づくための崇拝行為となります。それを行う時の誠実なニーヤ(意思)によって、アッラーに受け入れられる崇拝行為となります。

 

誠実なニーヤ(意思)を持ち、夫が妻と子どもを扶養し護ることで、アッラーに近づくことができ、誠実なニーヤ(意思)を持ち、妻が家庭を守ることでアッラーに近づくことができます。ですから、まずニーヤ(意思)が何よりも大切です。誠実なニーヤ(意思)によって、ご家庭が、アッラーの元で認められ、アッラーからの平安が降りる場所となり、アッラーの元から安心と祝福が降りてきます。

 

私達は家を建てる時に、お金があれば、自分の家をできるだけ美しいデザインになるよう、また訪れる人にセンスがいいと言われるような内装や家具を選ぶよう、いろいろ考えるでしょう。しかし預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、私達の家を輝かせる方法をこうおっしゃっています。

 

《その中でクルアーンが詠まれる家は、天上の住人たちに(光り輝いて)見えます。

星が地上の住人たちに(光り輝いて)見えるように。》バイハキー伝承

 

誠実なニーヤ(意思)によって築かれた家庭は、天使たちの間で光り輝いています。天使たちはその家を指して、「これは○○さんの家ですね。」と言い合います。私たちが夜空を仰ぎ、星を見て、これは北極星、あれはカシオペア、と言うように、天使たちは地上の家々を見て、その中の光り輝く家をよく知っています。

 

子どもの教育を考える時に、まず最初に考えることは、家の土台、ニーヤ(意思)を誠実に正すことです。ニーヤ(意思)が誠実であれば、アッラーがその結婚を受け入れてくださって、そこに誠実な子どもたちをお授けくださいます。

 

マルヤム様の父親亡き後、父親の兄であり、後見を任された預言者ザカリーヤー様(平安あれ)が、彼女のところに行くと、彼女の部屋には、不思議なことに夏には冬の果物が、冬には夏の果物がありました。

 

【ザカリーヤ一が、かの女を見舞って聖所に入る度に、かの女の前に、食物があるのを見た。かれは言った。「マルヤムよ、どうしてあなたにこれが(来たのか)。」かの女は(答えて)言った。「これはアッラーの御許から(与えられました)。」本当にアッラーは御自分の御心に適う者に限りなく与えられる。】クルアーン イムラーン家章3-37

 

アッラーの、マルヤム様への寛大さを目にした彼は、こうドゥアーします。

 

【そこでザカリーヤーは、主に祈って言った。「主よ、あなたの御許から、無垢の後継ぎをわたしに御授け下さい。本当にあなたは祈りを御聞き届け下さいます。」】クルアーン イムラーン家章3-38

 

このドゥアーによって、預言者ヤヒヤ―様(平安あれ)が産まれます。ハンナ様の誠実なニーヤ(意思)によって、マルヤム様は預言者イーサー様(平安あれ)をアッラーの奇跡によって身ごもり、アッラーからの啓示を人々に伝える息子を育てる母親という栄誉を得ました。すべては、母ハンナ様の誠実なニーヤ(意思)によって、アッラーがお与えくださった恩恵です。

 

私達の家庭はどうでしょうか。私たちムスリムは、アッラーが地上で最も良いウンマ(共同体)と名付けたムハンマド様(アッラーの祝福と平安あれ)のウンマの一員です。もし私たちが誠実なニーヤ(意思)を持って、アッラーゆえに家族を大切にし、誠実なニーヤ(意思)によって夫は妻に接し、妻は夫に接するならば、それぞれの家から信仰の光り輝く子どもたちがこの地上に広がり、アッラーが最も愛しておられたムハンマド様(アッラーの祝福と平安あれ)のウンマの一員として、アッラーが、ハンナ様に与えた以上のものを与えてくださるでしょう。

 

ニーヤ(意思)による大きな成果が、私達を待っています。もしすでに結婚している方は、今からでも遅くはありません。今から、家族に接するニーヤ(意思)を正しく持ちましょう。ご主人に対するニーヤ(意思)、子どもたちに対するニーヤ(意思)を誠実に正しく持ち直すことから始めましょう。「アッラーのご満足を求めるために」という正しいニーヤ(意思)を立て直しましょう。

 

アッラーが私たちの家族とムスリムの子どもたちをお守くださいますように。

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悔い戻る者たちの道しるべ【11】-(2)

2016年08月18日 | 悔い戻る者たちの道しるべ

そのようになるためには、ムスリム社会はその個々人を次のアッラーの御命令の方法で全ての罪から守る必要があります:

「おまえたちのうちやもめ(独身者)を結婚させよ」(御光章32節)

 

法学者たちは言いました:複数形での命令の場合、ウンマ全体に向けられた命令と解釈します。それぞれの社会は若者を(姦淫から)守る方策をとるべきです。つまり、住まいを確保したり、結婚しやすくしたり、真理確立のための協力、若者のための働き場の確保のための協力、彼らを守るための協力といったことが必要で、すべて社会の責任になります。

そのためこの命令はウンマ全体に向けられた命令なのです。またウンマに向けられた命令はウンマの統治者に向けられているということでもあります:「おまえたちのうちやもめ(独身者)を結婚させよ」(御光章32節)

 

「枯渇させる」という表現がありますが、私たちは罪の根源を枯渇させる必要があります。私は欧米全体のエイズ問題の取り組み方に困惑させられます。彼らは他の選択肢や薬についてのみ研究し、一秒でも罪や姦淫や理性に反した行為こそが人間とこのような病の間を隔ててくれるものであることを考えません。彼らは結果に取り組むだけで、その原因には取り組んでいません。

 

ある町に汚染された水があり、数え切れない病気が存在すると仮定します。町に関係している人たちは全員で医者や病院や器具を準備しようとしています。しかし汚染水のことは誰も考えていません。彼らが汚染水を堰き止めれば問題は終結するのにです。ですから罪の根源を枯渇させることは罪を犯した罪人たちを治療するよりも容易なのです。これらの社会に対して困惑を覚えます。罪の原因は可能な限りの美しさで存在しており、可能な限りの活発さを持っています。そして私たちは若者たちに「悔悟しなさい」と言うのです。ですから、社会全体が若者の道徳心を守っていき、彼らの結婚への道を容易にしてあげなければならないのです。30歳以降や35歳以降ででしか若者が結婚できないウンマはそれに応じて苦悩するのです。

 

司会:では結婚以外の例を挙げてみましょう。先生、ある人たちは利息を扱う銀行を使用することで生まれる罪に落ちてしまっています。この代替は何でしょうか?あなたがイスラーム銀行が代替だとおっしゃるとしたら、誰がその銀行がイスラーム法に則ってやってくれると保証してくれるのでしょうか?など。他にも人の周りにまとわりつく疑わしい新しい事項がたくさんあり、その中に落ちてしまうことで罪に落ちるのか、落ちないか、など。

 

先生:問題に真髄に触れましたね。今日、人間が悩む二つの問題があります。性の問題と、お金の問題です。今日の若者にとってお金を稼ぐことは大きな悩みです。続くのが性の問題です。性に関してはその罪に落ちてしまう可能性のある諸事について述べました。お金については、若者に仕事を提供することが必要です。教友ウマル様(アッラーの御満悦あれ)が総督に次のように言いました:おまえのところに盗んだり略奪した人が連れてこられたら何をする?(総督は言って)私のその手を切ります。(ウマル様は言って)では。おまえの臣民の中から腹を空かせている者や失業者が私のところに来たらおまえの手を切ろう。(ウマル様はまた言って)まことにアッラーはその被造物の空腹を抑え、彼らの恥部を覆い、手工業を提供しするために私たちを彼の代理とし給うたのだ。私たちが彼らにそれらを履行すれば彼らの感謝を得る。まことに手というものは仕事をするために創られたのである。服従の中に仕事を見出せないと、罪の中で数々の仕事なすことになる。だからこそ罪において(手が)忙しくなる前に服従において忙しくさせなさい。

英知ある言葉ですね。

 

どんな罪にも必ずそれを成す者には戦いがあるとアッラーが脅迫し給うたことにも注目しましょう。次の聖句は利息を貪ることに関連しています:

「それでもおまえたちが行わないならば、アッラーと彼の使徒からの戦いがあると知れ。」(雌牛章279節)

 

アッラーが利息を貪る者に戦いを挑むことは注目に値しないでしょうか。お金がお金を生むと少人数の手中にのみ収まり、多くの人の手には渡りません。すると不正や破廉恥なことが広がります。売春宿、盗難、詐欺などです。私たちはどうすれば良いのでしょうか?仕事がお金を生まなければいけないのです。お金がお金を生むのではなく。私たちは二つの道の前にいます。仕事でお金を稼ぐか、利息でお金を稼ぐかです。仕事でのお金儲けは若者に仕事の機会を与えます。どうか商業施設をオープンしてください。すると店員や運び人、乗り物を直す人、倉庫を貸してくれる人などが望まなくても必要になってきます。他人を使うどのような仕事でも構いません。利息による収入はその主一人だけのものになります。まるでお金は人々の間を巡るものだとアッラーがお望みになったかのようです。また私たちは結婚の要因を容易にすることで若者たちに結婚するよう奨励しましょう。住まいの確保、家具の確保など。利息ではなく仕事を通じた投資も奨励しなければなりません。つまり私たちは若者たちを姦淫から守ると同時に必要と貧困から若者を守ることで悔悟のきっかけを提供したことになるのです。

 

つまり罪を呼ぶことから遠ざかることは悔悟継続のため、悔悟が真面目で有効かつ定着するための適切な治療であるということです。

次回は真面目な悔悟を違う面から見ていきます。また悔悟継続の方法つまりイスティグファール(罪の赦し請い)の継続も扱います。これは真面目な悔悟定着要因の一つです。

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預言者伝【番外編21】

2016年08月11日 | 預言者伝関連

完全なる模範、公の手本:

最後に、スライマーン・アン=ナダウィー先生の預言者伝『ムハンマドのメッセージ』から一部を抜粋して締め括りとします。先生はその著書の中で、いかに預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)が時代を問わず違った性格、職業、境遇、環境におけるあらゆる層に属する全人類の見本であったかや、アーダムの子孫一人一人のための模範と成り得たかをお述べになりました。先生(アッラーが彼を慈しみ給いますように)は次のようにおっしゃいました:

 

「預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)の人生は数豊かで多種な行いを描きました。その中には全段階における人間の生活のための「善良な模範」、「至高なるカリキュラム」がありました。なぜなら高い道徳と良き慣習、高貴で均衡のとれた感情と偉大で真っ直ぐな性向を統合したためです。

 

あなたが金銭的に裕福な人なら、ヒジャーズとシャーム地方の間を品物と共に行き来しておられた頃、バハラインの財宝を手中に収められた頃のアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)を模範としてください。もしあなたが何も持たない貧者なら、アブーターリブのもとで包囲されていた頃、また何も持たずに生まれ故郷から移住者としてマディーナに来られた彼(アッラーの祝福と平安あれ)を模範としてください。もしあなたが王者であれば、彼(アッラーの祝福と平安あれ)がアラブの地を所有された際、そしてアラブの僻地にまでそれが及び、アラブの強者たちや賢者が彼(アッラーの祝福と平安あれ)に服従するようになった際の彼(アッラーの祝福と平安あれ)のスンナ(慣行)と行いを模範としてください。またあなたが弱い市民であれば多神教徒たちの制度の中でマッカで支配された日々を過ごしていたアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の中に良い模範を見つけ出せるでしょう。もしあなたが勝利した征服者であれば、バドルやフナインやマッカで敵たちに勝利した日々の中にその分け前があるでしょう。もしあなたが敗者ーアッラーがそのようなことを運命づけ給わないことを望みますがーであれば、殺された教友たちや負傷した頑丈な同伴者たちの間にいらした彼(アッラーの祝福と平安あれ)が過ごしていたウフドの1日から訓戒を得てください。もしあなたが教師であるなら、マスジドで教友たちを教えてらっしゃった彼(アッラーの祝福と平安あれ)を見てください。もしあなたが学習する生徒なら、ジブリールの面前で跪き指導を乞う彼(アッラーの祝福と平安あれ)の姿を思い浮かべてください。もしあなたが助言を与える訓戒者、信頼おける指導者であれば、預言者マスジドで人々に説教する彼(アッラーの祝福と平安あれ)に耳を傾けてください。もしあなたが真理を確立し、善を実行したいけれどもあなたには援助者も味方もいないなら、マッカにおいて弱く、助けてくれる援助者も味方になってくれる味方もいないのに真理へと人々を誘い、それを公言していた彼(アッラーの祝福と平安あれ)を見てください。もしあなたが敵を負かしその力を削いでその抵抗を押し込めた結果、あなたのおかげで真理が顕現して不正が滅んで事が安定したのなら、マッカに入り征服した日の預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)を見てください。もしあなたが自分を改善して、自分の土地を世話したい思うなら、アン=ナディール族やハイバル、ファダクの土地を征服し、それらを改善などして、その世話の適任者に仕事をさせた彼(アッラーの祝福と平安あれ)を見てください。あなたが孤児なら、アーミナとその夫アブドゥッラーの愛しい息子を見てください。彼ら二人は息子が乳飲み子であったころに亡くなっています。もしあなたが幼齢なら、愛情溢れる乳母、ハリーマ・アッ=サアディーヤが乳を飲ませた偉大なる乳児を見てください。もしあなたが青年なら、マッカの羊飼いの伝記を読んでください。もしあなたが品物をと共に旅する貿易商なら、「ブスラー」を目指したキャラバンのリーダーに注目してください。もしあなたが裁く人なら、「黒石」をその定位置に納めるためにカアバを夜明け前に目指した判定人を見てください。その時、マッカのリーダーたちは争いかけていたのです。そしてどうかもう一度彼(アッラーの祝福と平安あれ)に目を向けてください。彼(アッラーの祝福と平安あれ)はマディーナのマスジドで人々の間を公正に裁いていらっしゃいます。彼(アッラーの祝福と平安あれ)のもとでは一文無しも金持ちも同じ地位にいます。もしあなたが夫なら、ハディージャとアーイシャの夫の清らかな生き様、穢れのない生活を見てください。あなたが子どもの父であるなら、ファーティマ・アッ=ザハラーの父、アル=ハサンとアル=フサインの祖父から学んでください。あなたがどんな人であれ、どんな状態にあれ、あなたがどんな朝を迎え、またどんな夜を迎えても、どんな状態で眠ってまたどんな状態で起きても、ムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)の人生の中にあなたにとって良き贈り物、あなたの人生の暗黒をその光で照らしてくれる良き模範があります。生活の暗さがその光によって明らかになることであなたの中で混乱していたことが片付き、彼(アッラーの祝福と平安あれ)の導きであなたの曲がったところがまっすぐになり、彼(アッラーの祝福と平安あれ)のスンナであなたの不調が整い、すべての分野で包括している素晴らしいその生き様は良き性格の基礎、教えの複合体です。それは人生の全段階における、そして人それぞれの状態における地上の民衆、人々すべてのためのものです。」

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悔い戻る者たちの道しるべ【11】-(1)

2016年07月28日 | 悔い戻る者たちの道しるべ

司会:

先生、誠実かつ正直な悔悟について話を進めます。悔悟の後、また罪を犯してまた悔悟をする人。人が悔悟する限り、至高偉大なるアッラーはその人とその悔悟を受け入れ給うということを見てきました。では先生、人は罪と罪を誘引する諸事からどのようにして自分を守れば良いのでしょうか?

 

先生:

教友アブドゥッラー・イブン・マスウード(アッラーの御満悦あれ)によると預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:《まことに正直は篤信へと導く。そしてまことに篤信は楽園へと導く。正直な男は本物の正直者となるまで正直で居続ける。そしてまことに嘘は罪へと導く。そして罪は火獄へと導く。嘘つきな男は本物の嘘つきになるまで嘘をつき続ける。》(アル=ブハーリー、ムスリム、アッ=ティルミズィー、アブーダーウード、アハマド、マーリク、アッ=ダーラミー伝承)

 

真実の探索において正直でいれば、それにたどり着きます。悔悟において正直でいれば、それにつながる道がどれかを暗示されます。知識において正直でいれば、数あるそれらの源泉にたどり着きます。これらはまるで神の法則、アッラーの被造物の中で行われるアッラーの慣行のようです。正直は篤信へと導きます。人はアッラーの許で本物の正直者と記されるまで正直で居続けます。つまり、正直を実践するということです。

 

他に、「正直はあらゆるものへと導く」という伝承もあります。至高偉大なるアッラーは仰せです:

「まことにこのクルアーンはより兼直なものへと導く。」(夜行章9節)

 

ここでは「何へと導くか」を制限する表現はありません。「無制限」というとろこに修辞が込められていることがあります。私が悔悟において正直でいると、アッラーが私を悔悟の要素へと導いてくださります。(例えば)この家の中で足を踏み外してしまう場合、私はそこに入るべきでは無いし、ある特定の若者たちと罪を犯してしまう場合、彼らと付き合うべきではありません。この本を読む中で何か罪がある場合は、私はその本を読むべきではありません。この番組を続けて見ることでアッラーに背いてしまいアッラーとの間に隔たりができてしまう場合、私はこの番組を見るべきではありません。ですから、罪の出処を知り、罪の諸原因から遠ざかる以外に悔悟を確固たるものにする術はありません。罪の諸原因から遠ざかることは悔悟する信仰者の最大の砦です。もう一つが「代替」です。この「代替」は必須です。アッラーが私の中に置き給うた幾つかの本能的欲望を満たすことで私はアッラーに近づけます。つまり自我が女性を求めるので結婚する、自我が財産を求めるので働く、という形でアッラーに近づくことができます。私が罪と思われることから遠ざかり、代替を準備することで私はこの悔悟において己自身を守ったことになります。教友アブーサイード・アル=フドリー(アッラーの御満悦あれ)によると預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:

《おまえたち、道に座ってはいけない。彼らは言った:アッラーの使徒さま、私たちには皆で話せる場がありません。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃった:道を話し場にするというなら、道にその権利をあげなさい。彼らは言った:その権利とは何ですか?彼はおっしゃった:視線を下げること、害の排斥、サラーム(の挨拶)への応答、善を勧め、悪を禁じることである。》(ムスリム、アル=ブハーリー、アブーダーウード、アハマド伝承)

 

以上により罪との決別が必須であることがわかります。信仰者の生活における詳細な分析を見てみましょう。(例えば)私はこの場で犯してしまった罪はこの友人関係、このパーティー、この出会いが原因だと考えます。私は罪の諸原因を見つける時、信仰者から成る健全な環境の中に身を置くことがその代替になると知るのです。至高なるアッラーは仰せです:

「そして彼の主にその御顔を求めて朝に夕に祈る者たちと共に忍耐自制せよ。今生の装飾を望んで、おまえの両目が彼らから逸れてはならない。また、われらがその心をわれらの想念(唱名)から逸らせたために己の欲望に従うことになった者に従ってはならない。そして彼の件は度を越していた。」(洞窟章28節)

 

重要な点があります。人は食べ物を見ることなくそれについて聞くことも香りを嗅ぐこともない状態で4つの壁に覆われたままでいてもお腹は空くということです。なぜならその食べ物への動機は内的なものだからです。そのため私たちは緊急時にはアッラーが禁じ給うたものを食べることが許されるのです。アッラーは仰せです:

「ただし、反逆者でなく、無法者でもなく余儀なくされた者には罪はない。」(雌牛章173節)

 

しかし性への動機は内的なでなく、外的であり、外からやってきます。そのため私たちの宗教には強制的姦淫というものが全く存在しません。この種の動機は外的誘惑から発生します。そのため視線を低めた者は頑丈な砦に身を置いたことになります。破廉恥な行為から遠ざかった者は頑丈な砦に身を置いたことになります。アッラーが御満足にならない芸術行為から遠ざかった者は頑丈な砦に身を置いたことになります。篤信者たちの中に身を置いた者は頑丈な砦に身を置いたことになります。私が罪の原因を知り、それらから遠ざかることでじぶんを守ったことになります。ただ次の考えは別です。私がしつこく勧めていることですが、それは、アッラーが人間の中に置き給うたどんな欲望にも必ずそのための清らかな流れ道を作り給うているということです。つまりイスラームには禁欲が全く存在しません。さまよいながら思い込んでいる人たちはアッラーに悔悟するということはつまりすべてを自分に禁じることだと思い込んでいて、悔悟しないことには自由があり、制限がなく、多くのことを人生の中に見つけ出せると考えています。

 

あなたが悔悟をすると、アッラーはあなたの中に置き給うたすべて(の欲望)に清らかな流れ道を作ってくださることであなたは禁欲の心配をしなくてよくなります。あなたがアッラーへ悔悟する人であれば、私は罪の原因から遠ざかることと、法的な代替の準備を強調するだけです。そうすることで本当に悔悟の道を歩むためです。

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預言者伝【番外編20】

2016年07月21日 | 預言者伝関連

情けと大きな慈悲:

前述の彼(アッラーの祝福と平安あれ)の勇敢さに加えて、彼は繊細な心を持つすぐに泣いてしまうお方でした。弱い立場にある人たちへ同情を寄せ、また動物や家畜を慈しみ、人々には彼らに思いやりをもって接するよう忠告しました。教友シャッダード・イブン・アウス(アッラーの御満悦あれ)は彼(アッラーの祝福と平安あれ)について次のように伝えています:アッラーの使徒へはおっしゃいました:まことにアッラーは「イフサーン」(より良く行う事、実行において最善を尽くす事)を万物の上に定め給うた。おまえたちが殺すときには殺し方を最善にしなさい。屠るときは屠り方を最善にしなさい。おまえたちは(切るための)刃をしっかりと研ぎなさい、屠られる家畜を苦しめないために。(ムスリム伝承)

 

教友イブン・アッバース(アッラーの御満悦あれ)によると、羊を横たわらせながら刃を研いでいた男に預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)がおっしゃいました:おまえはこれ(羊)を二回殺したいのか?羊を横たわらせる前に刃を研げないのか?(アッ=タバラーニーとアル=ハーキム伝承)

 

彼(アッラーの祝福と平安あれ)は動物の餌やりや水を与えること、能力以上のことを課さないことを教友たちに忠告しました。

 

また、動物たちから苦難を取り除いたり、労わることには報奨があり、アッラーに近づけてくれる行為であると強調しました。教友アブーフライラ(アッラーの御満悦あれ)によると彼(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:ある男が歩いていると喉の渇きが激しくなった。井戸を見つけたのでその中へ降りて行き、出てきた。そこには喉の渇きを癒そうと土を食べながら息を切らしている犬がいた。男は言った:この犬も俺の喉の渇きと同じものを感じているな。すると井戸の中に降りていき、その靴を水で満たし、犬の口元へ運び、飲ませた。アッラーはこの男の行為に喜び給い、彼を赦し給うた。人々が言った:アッラーの使徒さま!私たちには家畜においても報奨があるのですか?彼はおっしゃった:すべての湿気ある肝臓を持つものにおいて報奨がある。(アル=ブハーリーとムスリム伝承)

 

教友アブドゥッラー・イブン・ウマル(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は次のようにおっしゃいました:ある女が猫のために罰を受けた。彼女は猫に餌をやらず、水をやらず、大地の虫を自分で食べることもさせなかった。(ムスリム伝承)

 

教友サハル・イブン・アムル(アッラーの御満悦あれ)によると彼は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が背中と腹がくっついたラクダに通りかかっておっしゃいました:話すことのできない家畜においてアッラーをおそれなさい!良い状態で彼らに乗り、良い状態で彼らを食べなさい。(アブーダーウード伝承)

 

教友アブドゥッラー・イブン・ジャアファル(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がアンサールの男の家に入りました。そこにはラクダがいました。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がを見たラクダは気持ちが高揚し、その目は涙であふれました。預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)はラクダのところへ行かれ、そのこぶをお撫でになり、おっしゃいました:このラクダの主人は誰だ?誰のラクダだ?するとアンサールの青年が現れ、これは私のものです、アッラーの使徒さま、と言いました。彼(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:アッラーがおまえに所有させ給うたこの動物においてアッラーをおそれないのか。まことにこのラクダは私におまえが彼に腹を空かさせ、我慢を強いていると訴えている。(アブーダーウード伝承)

 

教友アブーフライラ(アッラーの御満悦あれ)が次のように伝承しています:彼は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:土地が肥沃な時期におまえたちが旅する場合、土地における権利をラクダに与えなさい。土地が乾いている時期におまえたちが旅行する場合、彼らの(歩く)道のりを早く渡れるようにし、旅路の始めの力を保てるよう急ぎなさい。おまえたちが夜中に休憩をとる場合、道は避けなさい。夜間のそれは動物たちの道であり、虫たちの住処であるから。(ムスリム伝承)

 

教友イブン・マスウード(アッラーの御満悦あれ)は言いました:わたしたちはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)と共に旅をしていました。彼は何かの用事でどこかへ行かれました。(残った)わたしたちは二羽の雛を持つ鳥を見つけ、わたしたちはその雛を取り上げました。すると鳥は翼を広げ出しました。そこへ預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)がいらっしゃり、おっしゃいました:誰がこの鳥をその子をもって驚かしたのだ?雛を鳥に返しなさい。またわたしたちがすでに燃やし終えたたアリの巣を見ておっしゃいました:誰がこれを燃やした?私は言いました:わたしたちです。彼はおっしゃいました:火の主人以外の者が火で罰することがあってはならない。(アブーダーウード伝承)

 

召使や雇われ人については言うまでもありません。いずれも人間で、主人や雇い人に対して持ち前があります。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は召使と奴隷たちに良くするようにと遺言済みです。教友ジャービル(アッラーの御満悦あれ)は預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)が奴隷たちに良くするよう忠告していたと伝えています。彼は次のようにおっしゃっていました:おまえたちが食べるものから彼らを食べさせなさい。おまえたちの服から彼らに着せなさい。そして至高偉大なるアッラーの被造物を苦しめてはならない。(アル=ブハーリー伝承)まことにおまえたちの兄弟はおまえたちの奴隷であるが、アッラーは彼らをおまえたちの手の下に置き給うた。それゆえ彼の兄弟が彼の手の下にいる場合、彼が食べるものから彼を食べさせ、彼が着るものを彼に着せなさい。彼らを圧倒することを彼らに課さず、彼らを圧倒することを彼らに課した時には彼らを手伝いなさい。(アル=ブハーリー伝承)

 

教友アブドゥッラー・イブン・ウマル(アッラーの御満悦あれ)は言いました:ある砂漠の民の男が預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)のところへ来て言いました:アッラーの使徒さま!毎日、どのくらい召使を赦したらよいでしょうか?彼(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:70回。(アッ=ティルミズィーとアブーダーウード伝承)

 

教友イブン・ウマル(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:雇われ人の汗が乾く前に報酬を与えなさい。(イブン・マージャ伝承)

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悔い戻る者たちの道しるべ【10】-(4)

2016年05月13日 | 悔い戻る者たちの道しるべ

”人々と接すれば彼らの権利をないがしろにせず、人々に話しかければ嘘をつかず、人々に約束をしたらそれを破らない者。彼こそはムルーア(男らしさ※)が完結し、廉潔さが現れ、彼との兄弟付き合いが義務となり、彼の陰口を話すことが禁じられる者である。”(教友の言葉)※アラブ民族の間に伝わる伝統的な男らしさの概念

 

もしある人が他人の権利をないがしろにしたり、嘘をついたり、彼らと交わした約束を守らなかったりした場合、彼の廉潔さは崩れ落ちます。しかし学者たちは、廉潔さを崩し落とさないけれどもそれに傷を付ける数多くの事柄があると述べています。例えば、卑劣な者たちとの付き合い、路上で守るべきマナーを遵守しない、女性について話す、ナツメヤシ一粒分でも秤をごまかそうとする、非合法なものから一口だけでも口に入れようとする、などです。他にも、路上での放尿、外を裸足で歩くこと、路上での飲食。学者たちは廉潔さを傷つける多くのシーンを挙げています。しかし私がここで皆さんに言いたいのは、低劣な者との付き合いについてです。次のアッラーの御言葉がその意味を示しています:

「信仰する者たちよ、アッラーを畏れ身を守り、誠実な者たちと共にいよ。」(悔悟章119節)

 

これこそが、人を罪から守ってくれるものです。99人の人を殺した男についての先述の有名なハディースには預言者(アッラーの祝福と平安あれ)からの教訓があります。つまり、違う世界が罪人を利息の地とその環境から遠ざけた、ということです。ですからあなたも善良な環境にいなければアッラーの御命令にまっすぐに決してなれなません。あなたが誰と付き合っているかであなたが誰か私には分かるのです。

 

司会:

善良ではないかもしれない環境にいる人たちに失望感を与えてしまうのでは?

 

先生:

ここで指針があります:劣悪な環境で生活するという運命の中に私が置かれている場合は、周りの人々とは違う高い礼節を身につける必要があります。理性上だけの話ではありません。私は周りの人々とともに生活していますが、彼らが陥ってしまっているような過ちに溺れず、彼らが入りきっている欲望にも溺れず、彼らの卑しさと同じにもなりません。満足できない環境で生活する人はいますが、それはその人の運命です。しかし己の礼節で周りの人たちの汚点から遠ざかることで、アッラーはその人の追従姿勢にお力添えしてくださります。

 

司会:

反逆的で罪深い環境で罪を犯してしまったけれども悔悟したい人についてはどうでしょうか。この環境を捨てない形で彼に示すことのできる指針はありますか?

 

先生:

アッラーが仰せの言葉を私も言いましょう:

「われらがその心をわれらの想念(唱名)から逸らせたために己の欲望に従うことになった者に従ってはならない。」(洞窟唱28節)

 

身体は彼らと共にあっても、彼らには従わない。この御言葉には大きな教育的指針が含まれています。

 

司会:

何にも逆らえない若い女性について。飲酒する父親が彼女に言います:酒を持ってこい、と。このようなことがたいていの場合、起きています。しかし彼女はアッラーの道標を辿ろうとし、アッラーへの服従に忠実で、アッラーに逆らうことを拒否し、アッラーの御満足を切願しています。彼女はどうすれば良いのでしょうか?

 

先生:

質問に答える前に、この混合状態の中にあるアッラーの英知を解明しましょう。劣悪な父親から清廉な女の子が生まれることもあれば、劣悪な女の子が善良な父親から生まれることもあります。これらから見える英知は、劣悪な父が規律正しい清らかな娘を見ることで、もしかすると「アッラーを思い起こすかもしれない」ことです。アッラーが善良な人と劣悪な人を一つの家族に混ぜ給うたのは、善良な人が劣悪な人に気づきを与え、彼の模範となるほかにありません。それに何人もの父親がその娘のおかげで導かれていますし、妻の手によって更正した夫も数多くいます。まさにこの混合状態には素晴らしい教育的英知があるのです:あなたが教師だとしたら、良い生徒と悪い生徒を隣同士に座らせたでしょう。そうすることで悪い生徒が良い生徒から良き態度の一部でも学び取ってくれるかもしれないからです。しかし悪い生徒2名を隣同士に座らせて起こるのは爆発です。ですから混合状態はアッラーの偉大なる英知の一つなのです。私たちはこのアッラーを知る清らかな若い女性に次のように助言しましょう:あなたがアッラーと強固につながる時、このつながりがあなたに高レベルの英知と抵抗を与えてくれるでしょう。ほかにも真理における雄弁な舌も与えてくれるでしょう。もしかするとアッラーは劣悪な環境にいるこの若い女性を父親の更正のためにまっすぐの道に導き給うかもしれないのです。信仰の真実は、周りに向かってそれを体現することでしか信仰者の心に留まっていることはありません。信仰者は否定的でなく、自分の殻に閉じこもっているだけでもなく、人生から撤退している人もでもありません。

ある飲酒している父親は息子が礼拝しているのを見かけるたびに彼を殴っているのですが、息子は懲りずに父親を何十年もかけて悔悟するまで助言し続けたことで父親が息子の価値を思い知ったという話を私は知っています。

ほかにも、シャームの酒場の持ち主の話も知っています。彼の娘は父親の(糧から得られる)食べ物を一切口にしませんし、父親から金銭をもらうこともしません。もし彼女が巨額が欲しいと父親に頼めば、父親は躊躇なく娘に与えられるのにです。しかし娘は父親の糧が非合法であるのを知って、アッラーの御命令に従おうとしたのです。信仰者とは、自分の知らぬ間に己のまっすぐな姿勢によって偉大な宣教者になっている人なのです。行動による宣教は舌による宣教よりもより影響があります。貞節、信頼、正直も宣教なのです。

 

司会:

次回も「正直な悔悟」についての話を続けます。

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預言者伝【番外編19】

2016年05月05日 | 預言者伝関連

彼(アッラーの祝福と平安あれ)の勇敢さと恥じらい:

 

彼(アッラーの祝福と平安あれ)は、恥じらいと勇敢さをまとめて備えていらっしゃるお方でした。しかし多くの人たちは、この二つの性質は矛盾しあっているものだと考えていました。恥じらいに関しては、教友アブー・サイード・アル=フドリー(アッラーの御満悦あれ)が伝えている通りです:彼(アッラーの祝福と平安あれ)は、カーテン後ろの処女よりも恥じらい深く、彼が何かをお嫌いになるときは、私たちは彼の表情からそれを察しました。(アル=ブハーリー)また、彼がお嫌いになることで誰かと対面することを彼の恥じらいが彼を制することもありました。そういうときは、誰に委託していらっしゃいました。教友アナス(アッラーの御満悦あれ)は伝えています:※スフラの跡を付けた男が彼(アッラーの祝福と平安あれ)のところにいたのですが、彼(アッラーの祝福と平安あれ)はお嫌いになることで誰かと顔をあわせることを避けていらっしゃいましたので、男が立ち上がった時、「お前たち、スフラをやめるよう、あの男に言えば良いのに」と人々におっしゃいました。(アッ=ティルミズィー)

 

※スフラ:女性用の黄色く着色する香料。男性は芳香を付けることだけが好ましいとされる。

 

彼(アッラーの祝福と平安あれ)の奥様、アーイシャ様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)は、誰かが彼の嫌い行為をしているとの知らせを受けると、「~~と言っている~~はどういったことか」とはおっしゃらず、「~~を行っている、または言っている人々はどういったことか」とおっしゃってその行為を禁じていらっしゃり、行為をしている人物の名を挙げることはありませんでした。(アブー・ダーウード)

 

勇敢さについては、騎士の中の騎士、若者の中の若者のアリー(アッラーの御満悦あれ)の言葉で十分でしょう。彼は言いました:私たちは状況が厳しくなり、戦火が激しくなると、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)を盾にして身を守りました。彼の他に敵に最も近い者はいないのです。バドルの日、私たちが敵に最も近い預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)を盾にしたのをあなたは見たでしょう。

 

教友アナス(アッラーの御満悦あれ)は言いました:預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)は人々の中で最も素晴らしく、寛大で、勇敢なお方でした。ある夜、マディーナの住人が怖がることが起きました。人々は音のする場所へと向かったのですが、そこには先に向かった預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)が彼らを出迎えて、おっしゃいました:「恐れることはない、恐れることはない」。彼は馬鞍を付けていないアブー・タルハの馬に乗っていらっしゃいました。またその首には剣がぶら下がっていました。「これ(馬)は※早く走った」とおっしゃいました。

※マンドゥーブと名を付けられていたこの馬は遅く走ることで知られていたが、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に与えられた祝福により、とても早く走ったとのこと。

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悔い戻る者たちの道しるべ【10】-(3)

2016年04月22日 | 悔い戻る者たちの道しるべ

司会:アル=ブハーリーとムスリムのハディース集に収録されている、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)にたどり着く伝承の鎖が正しいと評価されたハディースの中に3度罪を犯し、悔悟したしもべが登場するものがあります。他の伝承の後部に、「彼は望むとおりに行動するがいい」というのもあります。さて、本当に望むまま自由に行動してもよい、ということなのでしょうか?罪を犯して悔悟し、そしてまた罪を犯して悔悟する、といった具合に。

 

先生:私はこのハディースの最後部の言葉を正しく理解できていればと思っています。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は、教友ウスマーン様(アッラーの御満悦あれ)が苦境の軍隊を準備したとき、彼について次のようにおっしゃいました:《ウスマーンが行ったことのために、彼が今日以降、害を被ることはないだろう》。

 

預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)がまるで:彼(ウスマーン)はアッラーにお近づきになれた地位に上り詰めた、つまり罪を犯すことが少なくなったとおっしゃっているかのようです。誰でも罪の後に悔悟し、また罪の後に悔悟し、また罪の後に悔悟することで、まるでこれ以上は罪を犯さない状態にたどり着いたかのように。代わって、とても長く生きて、その間に罪を犯しては悔悟し、罪を犯して悔悟して、アッラーとの関係が弱まる、という理解は私はしておらず、おそらくこれが正しいかと思います。他にも、教友アリー(アッラーの御満悦あれ)による言葉もあります:おまえたちの中で最善の者は、災難に襲われても何度も悔悟する者、と言いました。ではまた(罪に)戻るのはどうですか?と尋ねられると、アッラーに罪の赦しを請うて、悔悟すれば良いと答えると、ではまた(罪に)戻るのはどうですか?と尋ねられました。アッラーに罪の赦しを請うて悔悟すれば良い、と答えると、ではいつまでですか?と尋ねられました。悪魔こそが疲れる存在になるまで、と言いました。

 

あなたの兄弟に対してあなたは悪魔の力になってはいけません。悪魔に対して、あなたの兄弟の力になってください。これこそが、”信仰者は罪人たちに望みを寄贈する”という言葉の意味です。

 

99人の男を殺した人、さて彼に悔悟はありますか?と尋ねられた修道士は、「いいえ」と答えました。すると彼はこの言葉をきっかけに100人目を殺してしまいました。他の学者の返答は、「罪を犯している土地を離れて、善良な人たちのいる土地に移るのが良い」でした。もう一人の学者は問題の根幹に取り組みました。アッラーが次のように仰せのようにです:「信仰する者たちよ、アッラーを畏れ身を守り、誠実な者たちと共にいよ。」(悔悟章119節)

 

本物の学者は罪の原因、悪い環境、不良な友、身の回りの誘惑といったものを探します。これら全ては人間を罪に突き動かします。ですから、あなたがもし人間の水準を上げたいのなら、罪の原因から遠ざけてください。罪の諸原因からの逃避は、罪そのものからの逃避に勝るのです。アッラーは次のように仰せです:

「また姦通に近づいてはならない。」(夜の旅章32節)

なぜ、”姦通してはならない”ではないのでしょう?

アッラーは、次のようにも仰せです:

「それがアッラーの諸法度である。それゆえ、それに近づいてはならない。」(雌牛章187節)

なぜ、”それを超えてはならない”ではないのでしょうか?なぜなら罪は”炎”だからです。細かい例を挙げましょう。とある国の電気大臣は8000ボルトの電流の存在を国民に警告しなければなりません。この電流には制限区域があり、その中に入った人は真っ黒に焦げてしまいます。大臣は電流に触れることをを禁ずる警告板を置くのでしょうか?違いますね、もちろん、電流に近づくことを禁じる文句ですね。そのため、アッラーは次のように仰せなのです:

「姦通に近づいてはならない」

 

性欲は、しっかりした山の天辺にある岩に似ています。あなたはそれを押そうと思えば、押せます。しかし押してしまえば、その岩は谷の下へ転げていくだけです。醜行へと導くさまざまなものをあなたが甘く見ていると、その中に落ちてしまうのです。ですから私は人々に悔悟を薦める際、罪のきっかけになることや、劣悪な環境、不良な友人、有害な読み物、アッラーが御満足にならない映画を観ることなどから遠ざかるようにも言います。これらすべては背徳行為に人を導きます。勇敢であることとは、罪の原因から遠ざかることです。イーサー様(アッラーの平安あれ)は素晴らしい言葉を残されています:「尊い者とは、罪自体からではなく、罪の原因から逃げる者のことをいうのだ」。視線を低めることや、異性と二人きりの場を持たないことは、恥部を守る方法になります。実践することで破廉恥な行為から離れていられる方法はたくさんあります。私は人々をアッラーに誘う時、悔悟するように言います。しかし同時に、罪であろうと思われる事柄や罪がなされる場、罪深い人たちから遠ざかることも明確にしなければなりません。まことに学者たちは次のように言っているのです:「卑劣な者たちとの付き合いは、廉潔に傷を付ける」

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預言者伝【番外編18】

2016年04月07日 | 預言者伝関連

●彼(アッラーの祝福と平安あれ)の謙遜:

彼(アッラーの祝福と平安あれ)の謙遜はそれにおける度を超越していました。そのような彼は、何かにおいて物事を区別したり、人々が彼のために立ち上がったり、過去の共同体たちがその預言者たちを湾曲してしまったように彼を湾曲するに至らしめるほどに彼を褒めすぎることをお好みになりませんでした。他にも、しもべ性と使徒性以上の位に彼らによって持ち上げられることもお好みになりませんでした。教友アナス(アッラーの御満悦あれ)はいいました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)以上に愛おしい人など私たちにはいませんでした。そのため、私たちが彼がいらっしゃるのを見ても、私たちが彼のために立ち上がることを彼がお嫌いであることを私たちは知っているので、立ち上がりませんでした。(アッ=ティルミズィー)また、「最善の創造よ!」と呼ばれて彼は、「それはイブラーヒーム(アッラーの平安あれ)だ」と言われました。(ムスリム)

 

また、教友ウマル・イブン・アル=ハッターブ(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は言われました:おまえたち、キリスト教徒たちがマルヤムの子イーサーを湾曲したように私を湾曲しないように。私は単なるしもべに過ぎない。それゆえ、「アッラーのしもべであり彼の使徒である」と言いなさい。(アル=ブハーリー)

 

教友アブドゥッラー・イブン・アビーアウファー(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は奴隷や未亡人の用事が済むまでの間、彼らと歩くことを軽んじませんでした。(アル=バイハキー)教友アナス(アッラーの御満悦あれ)は言いました:マディーナのとある女児は預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)の手を取って、彼を彼女が望むままに連れて行きました。

 

また、教友アディー・イブン・ハーティム・アッ=ターイー(アッラーの御満悦あれ)がアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)を訪れた際、彼を自宅に招きました。女の召使いが座布団を彼(アッラーの祝福と平安あれ)に渡すと、彼とアディーの間に置き、彼ご自身は地面の上にお座りになりました。この様子を見たアディーが言いました:その時私は思い知ったのです。彼(アッラーの祝福と平安あれ)は王ではないと。

 

教友アナス(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は病人を見舞い、葬儀に参列し、ロバにのあり、奴隷の呼びかけに応えられました。

 

教友ジャービル(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は(大人数での移動などで)後方で遅れをとりながら、弱者をいたわりつつ進み、その者のために祈りました。

 

教友アナス(アッラーの御満悦あれ)によると、彼(アッラーの祝福と平安あれ)は大麦のパン、匂いが変わったペーストの食事に招待されても、お応えになりました。

 

また次のように伝えられています:私は、奴隷が食べるように食べるしもべにすぎない。奴隷が座るように私も座る。(アッ=ティルミズィー)教友アブドゥッラー・イブン・アムル・イブン・アル=アースは言っています:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が私のところに入られた時のことです。私は彼に繊維を詰めた皮のクッションを渡したのですが、彼は地面の上に座られました。そのためクッションは私と彼の間に留まりました。

 

彼(アッラーの祝福と平安あれ)は家を掃除され、ラクダを縛り、家畜に餌を与え、召使いたちと食事を共にし、パン生地を捏ね、市場から荷物をお運びになりました。

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悔い戻る者たちの道しるべ【10】-(2)

2016年03月25日 | 悔い戻る者たちの道しるべ

司会:

「悔悟の意志が至高偉大なるアッラーからのものであるなら、罪の意志はどこから来るのか?」と議論してくる人がいます。さて、アッラーは私たちが罪を犯すことを御望みなのでしょうか?

 

先生:

そのようなことはアッラーにふさわしくありません。

 

「まことにアッラーは醜行を命じ給わない。おまえたちはアッラーについて、おまえたちの知らないことを言うのか」(高壁章28節)

 

「多神を崇拝する者たちは言うであろう。「もしアッラーはが望み給うたならば、われらもわれらの祖先も多神を拝まず、なにも禁じなかったであろう」。こうして彼ら以前の者もわれらの威力を味わうまで嘘として否定した。言え、「おまえたちにはわれらに出して見せるような知識があるのか。まことにおまえたちは憶測に従っているにすぎない。まことにおまえたちは妄想しているにすぎない」。」(家畜章148節)

 

この聖句は、ジャブル(万事は強制されて起こるとの考え方)が否定される根拠です。ジャブルは間違った信条でもあります。ジャブルかもしれない、との思い込みは確実な迷いです。

 

「そしてアッラーはおまえたちの許に顧み戻ることを望み給うが、欲望に従う者たちは、おまえたちが大きく片寄り、偏向することを望む。」

 

彼が私たちを御創りになったのは、私たちを慈しみ給うためです。その根拠は次の聖句です:

「ただし、おまえの主が慈悲をかけ給うた御方は別である。そのために彼は彼らを創り給うた。」(フード章119節)

 

「私たちが罪を犯すことをアッラーが望み給うている」と思い込むこと。その思い込みはとても不可能なことです。彼は私たちのために善を、導きを望み給うています。私たちは私たちが成す行為に価値が付くよう、「選択できるという恩恵」を与えられた被造物です。人間は選ぶことを求められているのです。罪の基本は、この講義集の始めの頃に扱ったように、欲望が植え付けられ且つ道標が与えられている中で、道標に従わずに欲望のまま行動することです。丁度、ハンドルはありませんが強いモーター(ここでは欲望)の付いた乗り物に乗るようなものです。ハンドルは道標です。ハンドルなしで動く乗り物の行く末は危険な事故の他にありません。どんな人間も、アッラーによってその中に据え置かれた欲望において行動しますが、それは元来、中立です。それによって諸天と大地の主に近づくためです。欲望は私たちを高めるためのはしご、または私たちを落とす階段に相当します。以上が罪の基本です。「選択を求められること」は、天使にも、その他の物質にもありません。また、動物にも責任能力がありませんから、罪も悔悟もありません。人間とジンは他のすべての被造物と違って、成す行為に価値が付くよう、「選択できるという恩恵」を与えられたのです。そして諸天と大地の主に到達させるはしごになる「欲望」が植え付けられました。そこで道標に従わず、欲望のままに行動することで数々の罪に陥ってしまうのです。以上は、罪の哲学です。

 

一般の民衆の間には背信行為となる言葉(諺など)が幾つかあります。飲酒する人があなたに言います:限られた場所での決められた杯数。誰が言ったのでしょう?これは悪魔の言葉です。一般の民衆が言う言葉はすべてクルアーンに照らし合わせるべきです。相違がなければ良しとし、相違があれば蹴飛ばしてしまいましょう。正しい信仰が必須です。正しい信仰こそが善行の素です。偏向ある信仰は、偏向ある行為とともにあります。

 

つまり、私たちは自分たちの信仰を正し、浄化して、アッラーのことを知る必要があるということです。

 

《イブン・ウマル(ウマルの息子)よ、おまえの宗教を大切にしなさい。まことにそれは、おまえの肉であり、血である。真っ直ぐにある人たちから習い、傾いた人たちから習ってはいけない。》

 

http://nabulsi.com/blue/ar/art.php?art=7193&id=205&sid=801&ssid=882&sssid=895&w=%D9%85%D9%86%D9%87%D8%AC%20%D8%A7%D9%84%D8%AA%D8%A7%D8%A6%D8%A8%D9%8A%D9%86&aw=

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預言者伝【番外編】17

2016年03月11日 | 預言者伝関連

教えの強固さを守ることとその精神と教えへの情熱:

アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は、想像出来ない位の穏やかさ、物腰の柔らかさ、忍耐強さで人々の間違いや失言などに応じていらっしゃっていたと同時に、教えの強固さを守ることに厳しく、その精神と教えへと唯一神信仰への情熱に燃え、共同体が過ちや度を越してしまうことや個人の神聖化や無明時代への逆戻りに巻き込まれてしまう危険に晒されることに大いに注意を配っていらっしゃいました。彼がこれらを容赦することは決してなく、また指導的利益や政治的配慮がこのような事柄を断固否定することを制することもありませんでした。これらにおいて彼がその他の指導者や政治家と大きく違っていたことは明らかです。

 

その中の分かりやすい例を見てみましょう。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の息子様のイブラーヒーム様が亡くなった時のことです。彼の亡くなった日に日食が起き、人々が言いました:イブラーヒーム様の死を機に日食が起きた、と。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は説教なさっておっしゃいました:まことに太陽と月はアッラーのお印の中の一つである。誰かの死や生のために日食・月食が起こることはない。もしおまえたちがそれらを目撃したなら、アッラーに祈り、アッラーを偉大さを称え、礼拝を捧げ、喜捨しなさい。(アル=ブハーリー、ムスリム)

 

もし、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)のこの悲しい出来事の中での立場が他の宣教者や指導者などのものだったら、出来事に対する反応はきっとこの発言よりも位の低いものだったはずです。それはおそらく「沈黙」です。なぜならそれが彼らの活動に有利で、自分と家族の役に立つものや賞賛を与えてくれるからです。これらは民衆を引率する人や国や政府の設立者が望んでいるもので、彼らはそれを得るためにあらゆる作戦を講じます。アッラーはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に目に見えない形で用意し給うているので、彼(アッラーの祝福と平安あれ)が沈黙してもお咎めはないのですが、彼はかの言葉を聞いて黙っていることはできず、信仰の腐敗を招くであろうこの幻想を払拭するためにすぐ行動に出られました。自然現象や被造物におけるアッラーの諸慣行と人間の個々人に起きることを関連付けてしまうこと。その人が預言者や預言者の子孫や親族で彼らの出生や死去や健康や病といったことと関係がある、とするのは、古いです。こういった考え方は、過去の文明にあった多神崇拝や人の神聖化が由来していますが、彼(アッラーの祝福と平安あれ)は無明時代からこれらを払拭し、そして真実を解明し、そういった現象には特別な礼拝ー日食・月食の礼拝ーをお定めになりました。そうすることで、至高なるアッラーとしもべたちの繋がりを強くし、無明時代の悪の芽を精神と理性から摘み取るのです。

 

またアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は、ある男が「アッラーがとあなた様がお望みになられた」と言った時に黙っていませんでした。彼(アッラーの祝福と平安あれ)は答えておっしゃいました:おまえは私をアッラーの同位者に仕立て上げたのか、と。また他の男が演説しながら「アッラーとその使徒に従う者は正道を歩んでいる。しかし両者に背けば正道を踏み外したことになる。」彼(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:「おまえは悪い演説者だ」。(アブー・ダーウード)

 

このようなシーンに、「預言者的立場」、そしてその他の指導者や偉人たちを超える預言者たちが特徴的に持っている性質がはっきりと現れます。エゴイズムであったり、度を越していようが賞賛や褒めちぎりを許容したりということがないのです。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は、これらにおいての預言者たちのリーダーであり、完璧な模範者でいらっしゃいました。彼は次のようにおっしゃいました:キリスト教徒たちがマルヤムの子を湾曲させたように、おまえたちは私を湾曲してはいけない。まことに私は彼のしもべなのだから。人々は:(あなた様は)彼のしもべであり、彼の使徒でいらっしゃいます、と言いました。

 

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