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ムスリムの子ども教育10~家庭の重要性

2018年09月22日 | 預言者の教育方法

ムスリムの子ども教育10~家庭の重要性

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(3:37:00~最後) bit.ly/1qdyDUw

  

子育てにおける家庭の重要性

 

子育てにおいて、家庭内で、夫婦の関係がうまくいっていることはとても大切です。子どもが育つ土台となる家庭において、夫婦にとって大切なことは、どちらの意見が通るか、どちらか強く、どちらが勝つのか、という点ではありません。夫婦は、敵同士でもなければ、家庭は、戦争の場でもないからです。イスラームにおける家庭というのは、夫婦がお互いを通して、アッラーに近づくための「手段」です。夫婦にとって、家庭において一番大切なことは、いかに妻が夫を通して、アッラーに近づき、アッラーを満足させられるか、また、いかに夫が妻を通して、アッラーに近づき、アッラーを満足させられるか、という一点です。夫婦の関係において大切なことは、どうしたら相手を通して、アッラーのご満足を得ることができるか、ということです。

 

家庭がアッラーのご満足を求める手段であれば、夫婦間で意見がどんなに違っていても、相手がアッラーのご命令に背いている場合以外には、決して議論することはありません。もし意見の違いがあっても、それも、アッラーのご満足を求めるために役立て、相手が、アッラーとの関係を悪化させてしまうのでない限り、意見の相違による問題は起こりません。家庭が、夫婦がお互いにアッラーのご満足を求める「手段」となると、家庭は、夫婦二人にとっての天国になります。

夫が、外の仕事や人間関係に疲れて帰って来ると、慈悲と慈愛に満ちた妻によって、外での喧騒や疲れを忘れ、妻は、子育てや家事で疲れて、仕事から帰った夫が子どもの面倒や家事を手伝うことで、休息がとれ、お互いがお互いを必要とし、お互いがお互いを助け合う、なくてはならない存在となります。お互いがお互いを助け、それによって、アッラーのご満足を得、アッラーに近づくことができます。そうすることにより、相手にいかにして勝つか、自分の意見をいかに通すか、喧嘩と戦争状態の家庭から、協力し、協調してお互いをアッラーへと近づけることができる家庭に変わります。

 

もし相手が自分に対してまちがいを犯してしまっても、アッラーゆえに忍耐し、10回でも、100回でも、アッラーゆえに許し続けることによって、更にアッラーに近づくことができます。

(DVなど犯罪性のあるものは、アッラーから預かっている自分の身を守るために、警察やDV相談などに相談し、解決する必要があります。それに忍耐することは、相手にとっても自分にとってもよくありません。)

 

「私は20年以上ずっと妻に忍耐してきた。もう十分だ!ただ人生を無駄にしただけだったじゃないか!」という人は、「アッラーゆえに」という意味を考えていないかもしれません。アッラーのために行ったことを、アッラーが無駄にすることがあるでしょうか?アッラーのために忍耐したことを、アッラーが無視することがあるでしょうか?アッラーは、必ずその報償を、天秤が善行と悪行のどちらにふれるかわからない時(最後の審判の日)、一番その報奨が必要な時にお与えくださり、天秤を善行の方に傾けさせてくださるでしょう。

 

相手がアッラーのご満足を得られるようになるよう、アッラーゆえに忍耐し、努力し、アッラーにドゥアーし続けましょう。相手がアッラーに近づくことができるよう願って、相手がアッラーに近づくことで、必ず自分に対する振舞いが変わります。10年、相手に忍耐しても、それが、ただ相手が自分に対して良い振舞いをするのを求めてした忍耐なのか、アッラーゆえの忍耐かにより、まったく手にする物は違ってきます。相手が自分に善く振る舞うことを願ってした忍耐や努力は、もしかしたら成功するかもしれませんが、もしかしたらしないかもしれません。成功しなければ、その10年は無駄になり、何も残りません。

一方、相手の導きを望み、アッラーゆえに忍耐した10年は、アッラーのしもべの一人をアッラーへと導く努力をしたことにアッラーは大変お喜びになられ、ご満足なさり、その報償が必ず自分に返って来ます。多くの場合、それは、相手が善い状態に変わることです。しかし、もし相手の状態が変わらなかったとしても、来世では、アッラーゆえに忍耐した、アッラーに愛される人としてアッラーに会うことができます。配偶者に忍耐し、アッラーのご満足を得てアッラーの元での地位を得た模範が、預言者ヌーフ様(平安あれ)やルート様(平安あれ)であり、また夫に忍耐し、天国を約束されたのが、フィルアウン王の妻アーシア様(平安あれ)です。

 

家庭で、配偶者に対し、自分に対する振舞いを改善させようと努力するのではなく、配偶者のアッラーとのつながりを強化し、相手を通してアッラーのご満足を得ようと努力することで、本当の調和と信頼関係を得られます。自分の怒りを、アッラーゆえにコントロールすることです。結婚してから何度、配偶者に対して怒ったでしょうか?そして、相手も、何度自分に対して怒ったでしょうか?一方、配偶者との関係において、何度、アッラーゆえに、自分に対して怒ったでしょうか?私たちが、アッラーゆえに、自分の欠点、自分の至らなさに対して怒るならば、アッラーのご満足を得て、アッラーの元で最も高いレベルに達します。

 

イスラエルの民のある信者が、70年間アッラーに崇拝行為を捧げ続け、一度も、一瞬たりともアッラーに背いたことがありませんでした。ある日、彼は、男に水汲みを頼まれたので水を汲んでやった後、自分にも水を少し分けてくれないかと尋ねましたが、男は断りました。彼は、自分の家に帰ると、アッラーに嘆き、泣きました。「ああ、アッラー、私は70年間も崇拝行為をあなたに捧げ、一瞬たりともあなたに背いたことはありません。それなのに、私が水を求めたというのに、あなたは少しもくれないのですか?!」

 

そう言った後、彼はすぐに自分の間違いに気づき、言いました。

「アスタグフィルッラー(アッラーに自分の罪の赦しを求めます)。

アッラーに文句を言うというのか、悪いナフス(自我)よ!!

もし70年間、本当にお前がアッラーに誠実に崇拝行為をしていたら、アッラーは必ずお前のドゥアーを叶えてくださっただろう。

アッラーは決して不正をなさらない御方だからだ。

お前のドゥアーに対するアッラーの返答が遅れたのは、きっと自分の欠点や弱点、悪い崇拝行為のために違いない!!」

こう言って自分に対して、怒り、自分を責め、過去の70年間の非について、自分を非難し、アッラーゆえに自分を叱責しました。こうして彼が、過ぎ去った70年間を反省し、自分を叱責していると、家のドアを叩く音が聞こえました。「誰ですか?」と彼が聞くと、その時代に、アッラーから遣わされた預言者が立っていました。そして、彼にこう言いました。「アッラーが私に、貴方に平安を送るように、と命じました。そして、アッラーは、貴方にこう伝えるよう言いました。

『貴方が、私のために自分を叱責した一時間は、私にとっては、貴方の70年間の崇拝行為よりも価値がある。』」

 

私たちが、自分の怒りを、アッラーゆえに、自分に向け、叱責するならば、アッラーにどんどん近づくという大きな成果を生みます。私たちの中にある「怒り」という感情は、アッラーゆえに怒るために、アッラーがお与えくださったものです。間違えてはいけないのは、怒りは、自分のために、ではなく、アッラーのために、怒るために使うものだという点です。

家庭内で、この実践を始めることができれば、家庭に、調和に満ちた幸せが行き渡り、家全体が、アッラーへの案内となり、子どもをそこで産み、育てる準備ができます。こうして、その準備ができると、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がおっしゃった状態を、その家庭で実現することができます。

《結婚し、子どもを増やしなさい。最後の審判の日に、私はあなた方のことを、他の共同体に自慢するでしょう。》イブンハッバーン伝承

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ムスリムの子ども教育9~子育てにおける女性の重要性

2018年09月22日 | 預言者の教育方法

ムスリムの子ども教育9~子育てにおける女性の重要性

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(3:27:13~37:00) bit.ly/1qdyDUw

  

子育てにおける女性の重要性:

 

男性に比べ、女性は、理性にもまして、思いやりや情緒面に優れている、という特徴をアッラーから授かっています。それは女性の欠点でも欠陥でもなく、子育てをする上で、子どもの傍にいて、うまく世話をすることができるというアッラーから与えられたすばらしい長所です。男性は、どんなに子どもに対して慈愛を表し、愛情をかけたとしても、この点で、母親に追いつくことができる男性は稀でしょう。赤ちゃんがおもらしした服や床を掃除する時、母親のように赤ちゃんに怒ったりせず、愛情深くできる父親がどれだけいるでしょうか。一回や二回はできるかもしれませんが、毎日、毎日何回も続くことに、父親は耐えられないでしょう。先生が見かけたご夫婦は、赤ちゃんのうんちの匂いに、父親が、臭い!と言った時、母親は、私にとってはどんな香水よりもいい香り💛、と言っていたそうです。これには、父親は完敗、子育てにおいて、父親よりもすごいものを母親にアッラーが特別に与えているのは間違いありません。アッラーは、赤ちゃんが安全に安心して育つことができるように、母親に、深い愛情と豊かな情緒を与えてくださいました。

 

「イクメン」のように、育児を得意とする父親もいることを否定する必要はなく、もちろん個人差もありますが、一般的に、女性はアッラーが、人類の子孫継承のための子育ての大役を任せることができるよう、愛情深く、情緒豊かにお創りになられました。一方、男性は感情に左右されず冷静に判断することに長けているといえます。

 

この男女に置ける理性と愛情の組み合わせは、アッラーへと近づく道においても象徴的です。理性ある男性が、アッラーの唯一性に確信を持ち、アッラーのしもべとして謙虚にアッラーに崇拝行為を続けることにより、アッラーは、彼に、アッラーの元から、彼に欠落している情緒と愛情をお与えくださり、アッラーの光が彼の理性を包むと、彼は、その光により、普通の男性にはない情緒と愛情を与えられ、とても慈悲深い人となります。誰よりも理性に長け、知的で聡明であられた預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に、アッラーがご慈悲をお与えくださり、【万有への慈悲として】(クルアーン21-107)この世に遣わされたように。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、最も慈悲深いお方でした。慈悲は、理性ではなく、愛情や情緒から発生するものです。

 

その愛情や情緒に恵まれた女性が、アッラーのご満足を求めるために、それを正しく使う時、アッラーは、彼女に、知性と理性をお与えくださり、誰よりも理性的な人となることができます。子育てにおける、母親の愛情の使い方は、例えば、子どもが礼拝を怠った時に、父親に言うと怒られるから、子どもをかわいそうに思い隠してあげたい、というような場合、それが愛情の正しい使い方か間違った使い方かを立ち止まって考えます。この場合、子どもの怠惰を隠すことは、アッラーからもらった愛情を、アッラーのお怒りをかうために使っていることになってしまいます。母親の子どもへの愛情によって、子どもが礼拝を怠るのを習慣化させてしまうからです。アッラーのご満足を求めるために、アッラーからもらった情緒や愛情を正しく使うことが大切です。

 

イスラームにおける偉大な女性たち:

 

イーサー様(平安あれ)の母親であるマルヤム様(平安あれ)の徳:

 

アッラーから知性を与えられたイーサー様(平安あれ)の母親であるマルヤム様(平安あれ)が、父親のザカリーヤ様(平安あれ)に話しかけるところがクルアーンにあります。

 

【それで主は、恵み深くかの女を嘉納され、かの女を純潔に美しく成長させ、ザカリーヤーにかの女の養育をさせられた。ザカリーヤ一が、かの女を見舞って聖所に入る度に、かの女の前に、食物があるのを見た。かれは言った。「マルヤムよ、どうしてあなたにこれが(来たのか)。」かの女は(答えて)言った。「これはアッラーの御許から(与えられました)。」本当にアッラーは御自分の御心に適う者に限りなく与えられる。】クルアーン イムラーン家章3-37

 

マルヤム様(平安あれ)がいた部屋は、鍵のかかった高窓がひとつあるだけで、梯子を使わずには入ることができない場所で、父親のザカリーヤ様(平安あれ)がそこから食べ物や飲み物を差し入れていました。あるタフシール(クルアーン解説)によると、マルヤム様(平安あれ)のところにあった食べ物は、冬には夏に採れるフルーツで、夏には冬に採れるフルーツでした。もちろん当時は冷蔵庫も冷凍技術もなく、理性では説明のつかないことでした。ザカリーヤ様(平安あれ)は、自分しか鍵を持っていない部屋に、自分が差し入れたのではない食べ物が置いてあること、また、季節外の果物があることを理解できません。マルヤム様(平安あれ)は、そこで理性的に、こうおっしゃったのです。

 

【「これはアッラーの御許から(与えられました)。」本当にアッラーは御自分の御心に適う者に限りなく与えられる。】クルアーン イムラーン家章3-37

 

アッラーに近づけば近づくほど、アッラーは与えて下さいます。理屈では考え付かないところから、理屈では説明がつかない方法で。アッラーに不可能なことはないからです。それを十分ご存知だったマルヤム様(平安あれ)は、理性的に、父親にそう告げました。歴史的にもアッラーを愛し、アッラーに近づいた女性たちは、驚異的な理性と知性の持ち主でした。

 

アッラーに最も愛された、理性的な預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、天使ジブリールに恐れおののき、身震いしながら家に逃げ帰った時に、理性的に、論理的に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)をなだめ、やすらぎを与えたのは誰だったでしょうか。私たちの母である、奥様のハディージャ様(アッラーのご満悦あれ)です。

 

ハディージャ様(アッラーのご満悦あれ)の徳:

 

預言者ムハンマド様(アッラーの祝福と平安あれ)が、恐れおののいて帰宅し、ハディージャさまに「私を包んでください、包んでください !私は自分が恐ろしい。」と訴えた時、ハディージャ様(アッラーのご満悦あれ)は、動揺する夫を抱きしめ安心させ、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は彼女に洞窟で起こったことを話しました。最も身近で最も預言者さま(平安と祝福あれ)の高貴な性格の数々を目の当たりにしていた彼女は、自信と信仰と確信を持って、きっぱりとこう言いました。

 

「いいえ!アッラーに誓って。アッラーはあなたを辱められません。

あなたは親族を大切にし、誰にでも親切にし、貧者に施し、客人をもてなし、

不幸に見舞われた者を助けてきたではありませんか!!」

 

ハディージャ様(アッラーのご満悦あれ)の言葉はとても論理的です。この知性あふれる論理的なこの問いかけによって、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は平静を取り戻したのです。

 

 ハディージャ様(アッラーのご満悦あれ)は夫を信じ、イスラームに入信しました。そして、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に起こったことの真相を確かめるべく、学者でもあるいとこのワラカ・イブン・ナウファルのもとへ、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を連れて赴き、洞窟で見たことをワラカに話すと、ワラカは言いました:

 

「私の魂を手にする御方にかけて。それはムーサーを訪れたナームース(啓示伝達の天使、ジブリール)じゃ。やがて人々はそなたを嘘つき呼ばわりし、危害を加え、そなたをここから追い出して、戦いを挑んでくるだろう。」

 

  預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、クライシュ族でも(高い)地位で、人々から「信頼おける人」、「誠実な人」と呼ばれていたため、その言葉にとても驚き、「彼らが私を追い出すのですか?!」と尋ねました。ワラカは「その通り。そなたに起こったようなことに見舞われた者で、敵対されなかった者はいない。ああ、もしその日までわしが生きていられたら、大いにあなたをお助けできるのだが。」その後まもなくしてワラカは亡くなりました。

 

ハディージャ様(アッラーのご満悦あれ)は、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に啓示が降りたとき世界で一番最初にムスリムとなった方でした。ある歴史家は、ハディージャ様(アッラーのご満悦あれ)のことをこう言っています。

 

「愛したゆえに結婚した夫に捧げた彼女の信仰こそ、

今日、その信者が世界の人々の7人に1人※と数えられるほどになったイスラームの、

その初期の時点での信仰を支えたものなのだ。」  (※現在は、世界人口の4人に1人はムスリムです。)

 

アッラーとその使徒を一番初めに信仰した彼女は、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の傍で力となり、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を一生涯勇気づけました。現在でも、特に日本では多くの方が、ご結婚がきっかけで入信されています。そういう方たちは、すべてこの天国の住人、ムスリム達の母と呼ばれる、ハディージャ様(アッラーのご満悦あれ)のスンナに従っていることになります、インシャーアッラー。

 

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ムスリムの子ども教育8~夫婦の意見の相違(2)

2018年09月16日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

ムスリムの子ども教育8~夫婦の意見の相違(2)

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(3:11:24~27:13) bit.ly/1qdyDUw

前回は、子どもの教育の土壌・家庭における夫婦の意見の相違についてお話しました。今回もその続きです。

 

子どもの教育の土壌・家庭における夫婦の意見の相違:

 

怒りについて、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこうおっしゃっています。

 

≪本当に怒りはシャイターンからで、シャイターンは火から創られ、火は水によって消されます。ですから、もしあなた方の一人が怒った時には、ウドゥーをしなさい。≫アブーダーウード伝承

 

怒っている時には口を閉じること、怒りを抑えることが本当の勇気であること、イスラームは、怒りの対処法をたくさん教えてくれています。

 

では、なぜ、アッラーは怒りを私たちにお授けになられたのでしょうか?アッラーが、無駄なものを作ることはありません。

 

【あなたがたは、われが戯れにあなたがたを創ったとでも考えていたのか。またあなたがたは、われに帰されないと考えていたのか。」アッラーは、尊くて気高い、真実の王者である。高潔な玉座の主を置いて外には神はない。】クルアーン 信者達章23-115~116

 

アッラーがお創りになられたのですから、怒りや欲望にも、アッラーの英知があります。私たちのナフス(自我)は、時には、人として、弱さに捕らわれたり、飽きてしまったり、臆病になったり、不可能なことがあったり、怠けたり、善くない感情が湧くこともあります。そういう状態になった時に、欲が沸き上がり、その欲に付従ってしまうことがあります。しかし、もしナフス(自我)が教育されれば、アッラーのお望みになることを望むようになります。最初は、自分のナフス(自我)との戦いです。欲が、「これをしなさい」と言い、そのことがハラームであったなら、私たちは欲に向かって、「ダメ!!」と言わなければなりません。

 

強い男性というのは、自分の妻のすることに、「ダメだ!」という人ではなく、また、勇敢な女性というのは、自分の夫の要求に対して、「ダメ!」と言い放つ人のことではありません。男性でも女性でも、本当に強く勇敢な人とは、自分のナフス(自我)に向かって、「ダメ!!」と言うことができる人です。ナフス(自我)がとてもそれを欲している時に、ナフス(自我)に対して、「ダメ!!」と言えること、それが本当の意味で強い人です。

 

アッラーのご満足を求めて、ナフス(自我)が悪いことを欲した時に「ダメ」と言えるよう、心のジハードの訓練をしていくと、アッラーがそれを見ていてくださいます。アッラーのためにしたことを、アッラーが放っておくことはありません。必ずアッラーはその努力をご覧になり、心にアッラーの光が入って来ます。すると、そのアッラーの光によって、欲はアッラーのお望みのことを望むようになります。悪い欲は死ぬのです。そして、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のおっしゃったような状態になります。

 

≪愛着までもが私のもたらしたものに相応しくならないかぎり、本当の信者とはいえない≫ イマーム・ンナワウィー編「40のハディース」

 

心のジハードによって、アッラーが、このアッラーの望むことを望む「愛着」を私たちの心にお贈りくださいます。心のジハードによって、心がアッラーをいつも唱念するようになると、アッラーのお望みのことを望む、善い欲、「愛着」が心の中に育成されます。そして、アッラーがお望みのことを望む欲を持つしもべを、アッラーはご覧になり、アッラーが、彼の欲することを急いで行うようになります。

 

アーイシャ様(アッラーのご満悦あれ)が、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)にこう言われた通りです。

≪あなたの主は、あなたの欲することを急いで行われるように見えます。≫ブハーリー伝承

 

この状態では、彼が望むものをすべて、アッラーがお与えくださるのです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、キブラの変更を欲していた時に、アッラーがお与えくださったように。

 

【われはあなたが(導きを求め)、天に顔を巡らすのを見る。そこでわれは、あなたの納得するキブラに、あなたを向かわせる。あなたの顔を聖なるマスジドの方向に向けなさい。あなたがたは何処にいても、あなたがたの顔をキブラに向けなさい。】クルアーン 雌牛章2-144

 

この下線の部分は、「تَرْضَاهَا」「あなたがそれに満足する」という意味です。私たちが今、礼拝の時に向かうキブラとしているカアバ神殿は、以前は、キブラではありませんでした。ムスリム達のキブラは、最初、パレスチナのアクサーモスクでした。しかし、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がお望みのように、アッラーは、キブラをカアバ神殿に変更なさいました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこうおっしゃいました。

 

≪どれだけ多くの誰にも注目されないような、ぼさぼさの髪をした埃だらけのボロ布をまとった者が、アッラーに誓いを立てたら、アッラーは必ずそれを叶えてくださるであろうか。≫ティルミズィー伝承

 

彼が立てた誓いを、必ずアッラーが叶えてくださるようになる、そういう状態にまで、人は達することができます。心のジハードによって、心の中の欲が、アッラーのお望みのことを望むようになり、その心の光によって、彼が望むこととアッラーが望むことが、彼の愛着とアッラーのお望みとが、次第に一致するようになります。この卓越した状態になるために、さて、私たちはどこから始めたらいいのでしょうか?最初に始める場所、それが、私たちの家の中です。

 

ご家庭で、夫婦の意見が違った時、相手の間違いを指摘したい時、相手に怒り、叫びたい時、相手を言い負かしてやりたいと思った時、相手のために、ではなく、アッラーのご満足を得るためだけに、自分のナフス(自我)に、「ダメ!!」と言いましょう。そこから、すべては始まります。

 

相手が自分を馬鹿にしたら、自分は相手をもっと馬鹿にし、相手が自分を怒らせたら、相手をもっと怒らせ、自分に害を与えたら、相手にも害を返す、これは、ナフス(自我)の欲にすべて従っている状態です。アッラーのご満足を考えることで、相手に対する振舞いや対応は180℃違ってきます。相手が自分を馬鹿にしたら、アッラーのお喜びを求めて、相手を許し、相手が自分を怒らせたら、アッラーのお喜びを求めて、相手を喜ばせ、相手が自分に害を与えたら、アッラーが自分に善くしてくれることを求めて、相手に善くし、、、これが本来のクルアーンで言われる、家長である夫の家庭での役割です。

 

【男は女の擁護者(家長)である。】クルアーン 婦人章4-34

 

このアーヤ(節)を、欲によって間違って解釈する人と、心でアッラーの本来の意図を理解しようとする人がいます。間違って解釈する人は、夫婦間の意見に相違があると、妻に向かって、【男は女の擁護者(家長)である。】と言って、相手を黙らせようとします。一方、本来の意図を理解する人は、この「家長」という意味が、自分の欲に妻を従わせるためのものではなく、自分と家族を、アッラーのご満足へと向かわせるために、自分が家の操縦者になることを意図していることが理解できるでしょう。決して、夫が妻を自分に従わせるために、ではありません。夫が、家族をアッラーのご満足へと連れて行くために、「家長」となる責任を負っていることを、このアーヤ(節)は示しているのです。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のハディースにこうあります。

 

≪預言者は「あなた方は皆保護者である。あなた方は皆、各自が保護しているものに対して責任を負っている。

カリフは人々の保護者であり、彼の庇護下にある者達の責任者である。

男子は彼の家族の保護者であり、家族の責任者である。

主婦は家庭で彼女の夫や子供達の保護者であり、彼等の責任者である。

下僕は主人の財産の保護者であり、それの責任者である。

こうして、あなた方は皆保護者であり、各自は信じて託されたものの責任者であることに心せよ」と申された。≫ブハーリーとムスリム伝承

 

世界中のムスリム、16億人とも言われるこの大きなウンマを公正に正すために必要なこと、それは、まず、社会の一番小さな単位である、家庭をアッラーのお喜びのある公正なものにすることです。自分の家庭を、アッラーのご満足を求める場所に正すことです。それは、自分の心のジハードから始まります。そこからすべてが始まります。自分の心のジハードができれば、その人は、このウンマを正すことの第一歩に成功したことになります。

 

間違えやすいことは、自分のジハードを放っておいて、自分の周りの人たちに対して、裁判官のように、判決を下していってしまうことです。この人は善人で、あの人は悪人、この人は嘘つきで、あの人は正直、この人は信仰深く、あの人は不信仰者、この人は正しく、あの人は間違っている、、、アッラーは、私たちを、他の人に判決を下すために、お創りになられたのではありません。

 

自分の中に、アッラーの公正さを打ち立てること、それができれば、アッラーが、自分とその周りの人たちに、アッラーの英知を見せてくださいます。ご家庭の中で、アッラーを守ること、アッラーのご命令を守り、禁止事項を避けること、アッラーのご満足へと家族全員で向かうことができるように、その操縦者となること、それが、男性の家庭での役割です。アッラーのお怒りから、家族を守ること、これが「家長」の役割です。

 

もし私たちが、ある会社の社長で、あるプロジェクトを一人の人に任せて、それを成功させるように、と高い給料を与えて依頼したにもかかわらず、もしその人が、自分の欲に従って、自分のお気に入りの部下だけをかわいがり、楽な仕事を与え、自分の気に入らない部下はひどい扱いをして、いじめ、プロジェクトの成功を目標にするのではなく、ただ、自分の欲を満足させることだけを目的に、人を使っていたら、どうでしょうか。もちろん、そんな状態で、部下が協力してプロジェクトを成功させるわけはなく、プロジェクトは失敗に終わり、私たちは社長として、彼からその仕事を取り上げ、別の人を彼の代わりに責任者に置くでしょう。

 

アッラーが男性に与えた役割も同じです。もし彼が、アッラーのご満足を求めて、アッラーが彼に預けたアマーナである家族に善くし、自分の欲ではなく、自分と家族の現世と来世での成功を目標に、アッラーのご満足を求める方向へと家族を導いていけば、彼は成功者になります。反対に、自分の欲に従って、家族に暴挙をふるえば、彼は失敗者となります。

 

妻の家庭での目標も同じです。妻が、アッラーのご満足を求めて、夫の悪い振舞いに対して、自分の欲に従わずに、アッラーが自分に善くしてくださることを願って、相手に善くし、夫の悪行に対して、アッラーのご満足を求めて、忍耐すれば、現世と来世の幸せが、彼女の家の扉を叩くでしょう。アッラーは、彼女に、現世と来世での完全な幸せを与えてくださいます。現世だけの小さな短い幸せではありません。現世と来世の両方に続く、完璧な幸せが手に入ります。まず、現世では、アッラーとの振舞いによる甘美さを味わわせてくださり、アッラーは彼女を、夫の素行が正され、夫が成長する原因としてくださり、また来世では、永遠の幸せをくださいます。つまり、天国を約束された、フィルアウンの妻、アーシア様の地位へと昇ることができます。

 

イマーム・アルクルトゥビーのタフスィールより:

アブー・ル=アーリヤ(タービイーンの一人)はこう言った。:「フィルアウンは、彼の妻の信仰を知りたがり、民衆のところに行くとこう言いました。『アーシヤ・ビント・ムザーヒムについて、あなた達は何を知っているかね?』すると人々は彼女を褒めました。彼は言いました。『彼女は、我以外の主を崇拝している。』すると、人々は彼に言いました。『彼女を殺してしまいなさい。』そこで、彼女用に、杭を打ち込むと、彼女の両手と両足を引っ張りました。彼女は言いました。『主よ、楽園の中のあなたの御側に、わたしのため家を御建て下さい。』そこへフィルアウンがやって来ました。すると、彼女は天国の彼女の家を見て、笑いました。フィルアウンは言いました。『彼女の狂気に驚かないのか。我々は、彼女からのご加護を求める。』彼女は笑っていました。そして、彼女の魂は召されました。」

 

夫の悪い振舞いに耐えた妻の報奨は、アッラーのお傍の家、マカーム・ル=インディーヤ(お傍の聖地)であり、また、悪い夫に対する彼女の善い振舞いにより、彼女のこのドゥアーを、1400年経った今でも、世界中の人が読み続けていることです。

 

【またアッラーは、信仰する者のために例を示される。フィルアウンの妻である。かの女がこう言った時を思い起しなさい。「主よ、楽園の中のあなたの御側に、わたしのため家を御建て下さい。そしてフィルアウンとその行いから、わたしを救い、不義を行う者から、わたしを御救い下さい。」】クルアーン 禁止章66-11

 

彼女が、アッラーのお喜びを求めて、悪い夫に対して、善い振舞いをするたびに、アッラーは、彼女の心を生かし、真実の幸せを感じさせ、アッラーと共にいる甘美さを味わわせてくださいました。それにより、夫に対しての彼女の振舞いは、夫ではなく、その間にいらっしゃるアッラーに対しての振舞いとなり、彼女は、来世でも、人々が望むような快楽ではなく、「あなたの御側に」というアッラーの御側の場所を望み、ドゥアーします。夫が彼女を害した時も、彼女はもう夫を見ることなく、ただ、アッラーのご満足だけを見ていました。彼女が、アッラーを、自分と夫との間に置いたことで、アッラーは、夫よりも彼女に近しい存在となりました。アッラーへのすばらしいこの振舞いにより、アッラーは彼女に、現世と来世でアッラーの御側にいる幸せを感じさせてくださいます。

 

彼女のドゥアーを見ると、【 رَبِّ ابْنِ لِي عِندَكَ بَيْتًا فِي الْجَنَّةِ「天国に」、というよりも先に、「あなたの御側に」という単語が来ています。天国よりも、何よりも、ただ、アッラーの御側にいることを、来世でも望んだのです。

 

夫のいる女性には、この地位が手に入るチャンスが、それぞれの家庭で用意されています。アッラーが、私たちに、アーシア様と同じ場所を天国で与えてくださいますように!

 

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ムスリムの子ども教育7~夫婦の意見の相違(1)

2018年09月16日 | 預言者の教育方法

ムスリムの子ども教育7~夫婦の意見の相違(1)

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(3:11:24~27:13) bit.ly/1qdyDUw

子どもの教育の土壌・家庭における夫婦の意見の相違:

 

家庭内でのご夫婦の意見が食い違うことは、ムスリムであっても、ムスリムでなくても、信仰深い人でもそうでない人でも、日常的に良くあることです。怒りや満足、相違や合意を繰り返すのが家庭でしょう。そして、その延長線上に、夫婦喧嘩や夫婦関係の悪化があります。その原因は、「欲が勝ってしまうこと」です。

 

家庭の基礎は、「夫婦が家庭を使って、お互いにアッラーのしもべ性を実現すること」のはずです。なぜ、その過程の中で、争いが起きてしまうのでしょうか。その原因は、家庭内で、夫婦がアッラーのご満足を求めずに、行動してしまうことに拠ります。もし、ご家庭において、アッラーのタウフィーク(ご同意)により、夫婦がお互いを通して、アッラーのご満足を求めていれば、例え、妻が何か間違いを犯してしまっても、アッラーが彼女の間違いを隠し、夫がそれに対してよい振舞いをできるようにしてくださいます。では、もし自分の目の前で、夫の間違いが発覚した時、あなただったら、どう対処するでしょうか。

そこには3つの選択肢があります。

 

1.彼の間違いを批判し、あなたの方が正しいことを夫に理解させ、自分の正しさを証明し、なぜそんな間違いを犯すことができるのか、信じられない、と彼を責める。その結果、お互いの心の中に嫌悪感が残り、夫婦喧嘩へと発展する。

 

2.その場を収めるため、彼を非難せず、許し、お互いに嫌な思いをしないように、彼を慰め、励ます。アッラーのことは考えず、ただお互いの気持ちが悪い状態ならないように、という目的で、怒らないようにする。

 

3.自分の正しさを証明することも、相手の間違いを批判することも考えず、ただ、どうしたらアッラーが満足してくださるかだけを考える。

 

ご家庭内で、ご夫婦や家族関係が悪くなることの根本的な原因は、夫婦が「アッラーのご満足を求めること」を意図して関係を築いていないことです。アッラーのご満足を目的にしていない夫婦関係は、現世で、敵同士になってしまう可能性があり、また、それを改善しなければ、来世でもお互いが敵となってしまいます。クルアーンでアッラーはこうおっしゃっています。

 

【その日、主を畏れる者を除いては、(親しい)友も互いに敵となろう。】クルアーン 金の装飾章43-67

 

しかし、このことを頭で理解していたとしても、実際に、相手から悪い言葉を投げかけられたリ、ひどい仕打ちを受けたりすれば、怒りが湧きます。その時はどうすればいいのでしょうか。

 

まず、自分の怒りの正体を観察することが大切です。自分が怒っているのが、アッラーのご満足とアッラーのお怒りのためなのか、もしくは、アッラーのお怒りに関係なく、ただ、自分の自我がそれを嫌って、怒ることを要求しているだけなのか。もし、ただ自分の欲が怒ることを求めているだけならば、アッラーのご満足がある行為は、相手にゆずること、自分の権利を放棄することです。本当にアッラーのご満足だけを求めるのであれば、相手にゆずることができます。相手が自分の権利を害した、自分の尊厳を傷つけた、自分を軽視した、ないがしろにした時、そのときこそ、アッラーのご満足を求める人がどう行動するのかが現れます。最も尊厳ある、最も軽視されるべきでない御方、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、どう行動されたのかを見てください。

 

≪アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、アッラーの権利が侵害された時以外に、自分のために報復をしたことは一度もありませんでした。≫ブハーリー伝承

 

人は、欲に支配された時、理性による分別を失います。正しいことを間違っていると思い、間違ったことを正しいと思いこみます。そのため、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこうおっしゃっています。

 

≪ある男が預言者(彼に神の称賛あれ)のもとを訪れ、彼が天国に行くためには何が必要かを尋ねたところ、預言者は彼に言いました「怒らないことだ。」≫ブハーリー伝承

 

ここでいう「怒らないこと」というのは、感情ではなく、行動です。つまり、「怒りを行動に移さないこと」という意味です。怒りを覚えること自体は、すべての人が感情として感じるもので、どんな人でも怒りを覚えることはあります。しかし、それを実行に移してしまわないように、と預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこのハディースでおっしゃっています。もし相手に対して自分の内側に怒りを覚えた時には、まず、しなければならないことは、「話さないこと」です。なぜなら、怒りを内側に抱えている状態で、どんなに言葉を選んで話したとしても、必ず、間違った言葉が出てしまうからです。なぜなら、怒っている時には、理性による「分別」が失われているからです。少し考えてみてください。今までに、怒った時に言ってしまったことを、後から後悔したことはないでしょうか。

 

よく先生のところに来る相談の中に、「私は妻に『もう離婚だ!』と3回言ってしまったのですが、2回目に言った時は怒って理性を失っていたのです。ですから、まだ離婚は2回しか発生していなくて婚姻関係は続いていますよね?」というものが多くあります。(イスラーム法では、3回言ってしまうと、離婚が成立します。) 彼らは、怒りが去ってから考え、離婚を軽々しく口にしてしまったことをとても後悔しています。では、その気持ちは、怒っている時にはどこに行っていたのでしょうか。怒りが覆い隠してしまったのです。怒りは、欲という軍隊の中のひとつで、それが自分を支配すると、分別や理性を覆ってしまいます。そのため預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこう仰っています。

 

≪あなたがたが怒った時に、立っていたら座りなさい。おそらく怒りは消えるでしょう。あるいは横になりなさい。≫アハマドの伝承

 

≪本当の強さは戦う人の力にあるのではない。

すると彼らは「アッラーの使徒よ、いったい誰にそれがあるのですか?」と尋ねた。

すると彼はこう言った。

それは怒った時に自分自身を制御することが出来る者である。≫ムスリム伝承

 

私たちが怒りをコントロールして、家庭を通してアッラーのご満足を求められますように✨ ✨ ✨

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ムスリムの子ども教育6~家庭の土台の作り方(6)~

2018年09月16日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

ムスリムの子ども教育6~家庭の土台の作り方(6)~

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(2:34:58~43:46) bit.ly/1PPruiy

  

前回は、出産についてお話しました。今回はその続きです。

 

幼少期の子育て:

子どもがまだ小さい赤ちゃんの時期に、泣いたりぐずったりしたら、母親は赤ちゃんをどうやってあやすでしょうか。赤ちゃんを抱きあげて、「ラーイラーハイッラッラー(アッラー以外に神はいない)」などのズィクルの言葉(アッラーを唱念する言葉)や、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への祝福祈願を繰り返しつぶやきながら、赤ちゃんをあやしているでしょうか。現代では、子どもが泣くと、スマートフォンで音楽を聞かせたり、テレビの音を聞かせたりすることがありますが、そういったものが、アッラーから預かっている赤ちゃんに聞かせるためにふさわしい歌ではないこともあります。

 

子どもが言葉を覚え始める頃、ムスリムの家庭では、最初に、どんな言葉を覚えさせるのでしょうか。アッラーの美名やクルアーンの最初の章ファーティハ章(開端章)、子どもならすぐに覚えてしまう短いイフラース章(純正章)を最初に覚えさせるでしょうか。

 

最近は、その子が大きくなってすると困ることでも、小さいときにやっているのを、親が褒めたり喜んだりすることがあります。子どもが2歳くらいになって話し出すと、暴言を吐いた時も、親は、「今、この子、『ばか』って言ったわ、なんて賢いの!」と喜んだりします。子どもが気に入らないことがあって、目の前の父親を叩いても、親は笑って喜んでいます。「どうして喜ぶのか?」と聞かれると、「この子は、気が強い!!」と嬉しそうにしています。子どもが人に暴言を吐いたり、人に暴力を振るったりすることが、将来のその子の「強さ」の理想の姿でしょうか。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が教えてくださっている本当の強さとはかけ離れています。《本当の強さは戦う人の力にあるのではなく、怒った時に自分を抑えられる人にあります。》ムスリム伝承

 

また小さな男の子が、隣の知らない小さい女の子にキスをすると、親が喜んで、「かわいい~!」と写真を撮ったり、「○○君と○○ちゃんは結婚するね~」と冗談で話題にしたりします。その子が小学生になってやったら変態と言われて困ることを、親が褒めます。これは幼児教育の専門家も注意を促していることです。

 

ある先生のお宅に2∼3才の女の子が連れて来られて、その子が膝や太ももの出ている短いスカートを着せられていると、先生は、「アウラを覆って隠してあげなさい。この子にちゃんと長いスカートを着る習慣をつけてあげなさい。こんな短い服を着ることに慣れさせてはいけません。」と注意していました。その場にいた人が、先生に言いました。

「先生、この子はまだ小さいですから。2才ですよ。」

先生「我が子よ、小さい子どもも成長し大きくなります。もし成長する際に、『慎み』や『恥じらい』を持たずに大きくなってしまったら、『慎み』や『恥じらい』はこの子にとって、とても重く面倒なものになってしまいます。」

 

年頃の娘を持つ親が、どんなに苦労し、悩み、ドゥアーし、何とかならないかと人に相談し、大変な思いをしているでしょうか、自分の娘に「恥じらい」や「慎み」を教え、ムスリマらしい肌の露出の少ない服装をするよう説得するために。

 

なぜ、その子の心の中に、ヒジャーブに対する抵抗や、露出の少ない服を着ることへの嫌悪が育ってしまったのでしょうか。なぜ、大きくなった女の子が、自分の体を守る服装をするために、親が、何日もかけて、時には、何年もかけて、説得をし、教えなければならないのでしょうか。

 

なぜなら、その子が小さいときに、両親が、きちんと、その子に、真実を教えてあげなかったからです。

 

「あなたは、とても大切な存在なんだよ。」

「あなたの体は、とても大事なもので、ただ知らない男の子が見て楽しむためのものではないんだよ。」と。

 

アッラーは、子どもの誕生から6才くらいまでのかわいい盛りの時期を、両親にお恵みになりました。この時期は、両親にとっては、育児にとても手間がかかり、時間も労力も子どもに費やさなければならない時期ですが、一方で、かわいい子どもの笑顔に癒され、一緒に遊び、子どもと過ごす時間を楽しむ時期でもあります。両親は、この恩恵に対して、アッラーに感謝する必要があります。しかし、この時期は、ただ、楽しむだけで終わってしまってよい時期ではありません。両親が、子どもに大切なことを教えるための時期でもあるからです。両親が子どもに、洋服を着ることの目的を正しく教えなければなりません。

 

親が気づかないうちによく犯してしまう大きな罪のひとつに、子どもに服を買う時に、

「この服を着たら、あなたは幼稚園で、一番かわいい子になれるわよ。」

「このかわいい服を着たら、みんながあなたのことをうらやましがるわ。」

と言ってしまうことです。よく言われるこの言葉のどこに大きな罪があるのでしょうか。

 

それは、まだ物心がつき始めたばかりの子どもの大切な時期に、子どもの心に、洋服を着る目的を、誤って教え込み、間違った人生の目的を植え付けてしまっている点です。

 

私たちが服を着る目的は、他の人より美しくなるためでも、周りの人をうらやましがらせるためでもありません。私たちムスリムは、自分の価値が、体を覆っているだけの、ただの「布切れ」にあるのではないことを、十分知っています。私たちは、アッラーが、「ラーイラハイッラッラー」というアッラーへの信仰によって、尊厳を与えてくださった存在です。信仰という大きな尊厳をアッラーから恵まれている私たちが、自分の価値を、ただの「布きれ」に置くことはふさわしくありません。「布切れ」が破れたら、自分の価値も破れ、それが汚れたら、自分の価値も汚れ、それがなくなったら、自分の価値もなくなってしまうのでしょうか。私たちの価値は、破れることも、汚れることも、なくなることもありません。なぜなら、私たちの価値は、いなくなることのない、永遠に存在する御方「アッラー」にあるからです。

 

私たちが気づかないうちによく犯してしまう罪は、子どもの心に、間違った目的を植え付けてしまうことです。

母「もっと食べなさい。」

子「どうして?」

母「もっと大きくなって、○○君に負けないようにならなくちゃ。」

子どもが大きくなる目的は、他の子どもに勝つためでしょうか。それとも、大きくなって、アッラーに崇拝行為をしっかりできるようになるためでしょうか。

 

小さいからよくわからないだろう、と思わないでください。小さい子がどんなに真似をするのが上手か知っているでしょう。親が子どもの前で、汚い言葉で誰かを非難したら、子どもはその通りの言葉を口にするようになります。

 

兄弟げんかをして、妹がお姉ちゃんに叩かれて泣いていたら、親が、妹に、「お姉ちゃんに叩かれたの?じゃあ、お姉ちゃんを叩き返しに行こう。」と言って、妹の手を持って、お姉ちゃんを叩いて、お姉ちゃんが泣く真似をしたら、「ほら、もう叩き返したからいいでしょ。」と言って、泣いている子を慰めることがあります。しかし、これは、子どもに復讐を教えています。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、自分を害されたら、相手に同じ害を与えることを私たちに教えたでしょうか。兄弟げんかをして、お姉ちゃんに叩かれて妹が泣いていたら、お姉ちゃんに本当に叩いたのか確認し、お姉ちゃんが叩いたことを認めたら、妹のところに行って、謝ることを教えます。子どもの時に教えるこういったしつけは、とても大切です。

 

子どもに服を着せる時にも、こう言いましょう。

「この服を着ようね。アッラーは、あなたにあげたこのかわいい服をあなたが着ているのを見るのが、とても好きなのよ。」

「天国に入るためにアウラを隠そうね。アッラーは、あなたが天国に入れるように、アウラを隠すように教えてくれたのよ。」

分別がつくようになった子どもに、もしくはまだ分別がつかない子どもにかけるこうした言葉が、どんなに子どもの柔らかい純粋な心に植え付けられ、大きく育って行くでしょうか。

 

「もっと食べなさい。しっかり食べて、アッラーのためになる善いことを沢山できる子になるためにね。」

「大きくなって、イスラームを日本に広めるために、役に立つ子になれるよう、しっかり食べなくちゃね。」

「弱い子や困っている人を助けられるくらい強くなるために、しっかり食べようね。」

「かわいそうな人のお手伝いができるように、よく食べて強くなろうね。」

「おばあさんが杖をついて道を渡っていたら、手を取って一緒に渡ってあげられるように、強い子になろう。そしたら、アッラーが天国に入れてくれるからね。」

 

服を着せる時、食べさせる時、日常の何気ない動作の時にかける小さい時のこういった言葉がけは、とても大切です。子どもの心にしっかりと確実に残って行くからです。

 

 

両親の価値観が、どこに一番重要性を置いているか、というのを子どもはよく見ています。

 

母「夜更かしはダメよ。明日学校があるんだから、早く寝なさい!」

子「少しだけいいでしょ。」

父「ダメ、絶対にダメ!朝、学校に遅れたらどうするの!すぐ寝なさい!」

朝になると、

母「さぁ起きなさい!」

子「ねむいよ。」

母「なに言ってるの、早くしないと学校に遅れるわよ!」

子「昨日、寝るのが遅かったし。。」

母「だから言ったじゃない!なんで夜更かししたの!?学校に遅れたらどうするの!なんでもいいから早く起きなさい!!!」

 

子どもはお母さんの権幕から、学校がとても大切なものだと学びます。

 

では、子どもをファジュル礼拝に起こすことに、お母さんが、この大きな関心の4分の1でも払っているのを子どもは感じているでしょうか。このことこそ、子どもが現世で勉強に失敗する原因となり、崇拝行為を嫌悪し、アッラーに従わない人生を送ることになる大きな原因の一つとなっています。

 

子どもがファジュル礼拝に立つことができれば、子どもの心の中に、崇拝行為の重要性を築くことができ、子どもがアッラーとの関係を作っていくことができます。子どもはファジュル礼拝を逃すことの損失を、学校に遅れることの損失よりも、より重大に感じることができるようになります。そうなれば、その子は現世と来世で成功し、学校でも成功するでしょう。なぜなら、その子は学校に目的意識を持って行くことができるからです。自分がなぜ学校に行くのか、きちんとしたニーヤ(意思)と目的を持って、授業を受け勉強できるからです。現在、ムスリムの子どもたちの学校の成績が悪いとしたら、それは、目的を失ってしまっているからです。親がどんなに必死で子どもに学校の重要性を伝えても、子どもは勉強の重要性を感じることができまぜん。なぜなら、親が子どもに植え付けている学校に行く目的が、そもそも間違っているからです。

 

子どもに、学校へ行く目的をきちんと正しく教えましょう。「あなたが学校に行くことで、アッラーのご満足を求めなさい。」と子どもにしっかり教えましょう。アッラーのご満足を求めて行ったことをアッラーが放っておくわけはありません。アッラーのために、アッラーの教えに役立つ人になるために、と勉強をしている子どもが、学校でアッラーに背くことを行えるはずがありません。アッラーに背くことを行わずにアッラーのご満足を求めて真面目に学ぶことで、アッラーがその子の成績を保証してくださるでしょう。

 

思春期になって、子どもたちが心と体の変化に苦しむ時期が来ても、学校で様々な誘惑にあって、自分の現世と来世を壊してしまう行いに駆られる時にも、アッラーのご満足を求めて学校に行っている子に、その害が及ぶことはありません。しかし、何の目的もなく学校に行っている子どもたちや、現世の目先の利益だけを目的に学校に行っている子どもたちは、シャイターンのおもちゃとなって、あちらこちらへと引きずられてしまいます。

 

先生のところには、子どもが悪い仲間と付き合っていて、その子たちの影響を受けてお酒を飲んだり、男女交際をしたり悪行を行うようになってしまった、という相談に来る親がいます。両親は、その子が小さいときに、子どもの心の中に、悪行を禁じ善行を薦めるという教えの種を植えてあげたでしょうか。子どもがクルアーンの1章を覚えたことを、子どもが学校でよい成績を取った時よりも喜んであげたでしょうか。子どもは、親の心の中にあることを敏感に感じます。親が、アッラーのご満足を求めている姿を見せて、アッラーにドゥアーをし続ければ、子どもが悪行に陥ることはありません。アッラーを求める人には、アッラーは現世と来世の両方を与えてくださいます。私たちの家庭を、アッラーを求める場所にしなければなりません。

私たちの子どもに、アッラーのご加護がありますように。

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ムスリムの子ども教育5~家庭の土台の作り方(5)~

2018年07月18日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

ムスリムの子ども教育5~家庭の土台の作り方(5)~

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(2:21:19~34:58) bit.ly/1PPruiy

  

前回は、家庭の土台作りとして、妊娠についてお話しました。今回はその続きで出産です。

 

出産時に子どもに唱えるスンナのアザーンとイカーマ:

 

産まれた子どもの右耳にアザーンを、左耳にイカーマを唱えることがスンナです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のハディースにこうあります。

 

《私は、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がハサン・ブヌ・アリーの耳に、ファーティマが彼を産んだ時、礼拝のアザーンを唱えるのを見ました。》ティルミズィー伝承

 

まだ物心もつかない産まれたばかりの赤ちゃんの耳に、アザーンを聴かせることに何の意味があるのでしょうか。実は、このスンナには、とても大きな英知と意味があります。

 

一つ目の英知は、アザーンにより、シャイターンから守られます。赤ちゃんがこの世に誕生した時に、最初にシャイターンに出会い、シャイターンの指で触られた赤ちゃんは泣き叫びます。ただ、預言者ムハンマド様(彼にアッラーの祝福と平安あれ)のご誕生の時だけは、別で、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこの世に産まれた時に泣かず、くしゃみをされました。すると、「ヤルハムカッラー(あなたにアッラーのご慈悲あれ)」という声がして、その場にいたシャッファーウ(アブドゥッラフマーン・ブヌ・アウフフ様の母親(彼らの上にアッラーのご満悦あれ))がその声を聞きましたが、声の主を見ることはなかったそうです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のご誕生は、拝火教徒が1000年絶やさずに拝んできた火が消えるくらい全世界に大きな影響を与えたもので、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の誕生は、普通の子どもの誕生とは比べることができません。

 

また、出産時にアザーンを唱えることの英知の2つ目は、この世に誕生した一番最初に、体の欲求でも、知力の欲求でもなく、魂の欲求を最初に満たすことの重要性です。体の欲求は、ミルクを飲むことを求めますが、魂の欲求は、アッラーを唱念すること(ズィクル)の光が届くことによって満たされます。この世に産まれてきた赤ちゃんに、最初に話しかける言葉は、体にでも、知力にでもなく、魂に向けた言葉です。このことは、私たち人間の名誉は、体に対してでも知力に対してでもなく、魂の名誉に拠ることがわかります。なぜなら、魂は、アッラーがご自分のルーフ(魂)から吹き込んでくださったものだからです。

 

【われは、彼(人間)を(完全に)形作りました。それからわれの霊(ルーフ)を彼に吹込んだ時、「あなたがた(天使)は彼にサジダしなさい。」と(命じました)。】クルアーン アル・ヒジュル章 29節

 

魂に向けたアッラーのズィクルを聞いた子どもの魂は、知力がまだその意味を理解する前に、そのズィクルの甘美さを満喫します。そして、父親がその役目を果たすことで、子どもは、彼にとっての父親が、ただ彼を扶養し、食べ物を与えるだけの存在ではなく、アッラーの光を伝える存在だということを証言します。そのため、父親が産まれたばかりの子どもの耳に、アザーンを唱えることがスンナなのです。それによって、体や知力よりも先に、子どもの魂が、父親との関係を認識するためです。それにより、子どもの心と魂の中に、親孝行の最初のレンガが打ち建てられます。一部の人は、なぜあの子は父親を尊敬し、親孝行なのだろう?多くの若者が、自分の父親のことを、ただ働いて自分を扶養し、食べ物を与え、お金を持って来てくれる人だから、という理由だけで、表面的に父親に従っているというのに?と思うかもしれませんが、それは、父親が、子どもの体の要求だけを満たしているためです。そうではなく、子どもの魂に、父親のアザーンによって、アッラーの光を伝えられた子どもは、知力が理解し始める前に、親孝行の核心をすでに受け取っています。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、すべてのムスリムの父親に、このスンナによって、まるで、こう言っているようです。あなたの役割は、ただ子どもに食べ物や飲み物を与えたり、子どもをかわいがったり、学校の送り迎えをしたり、必要なものを買ってあげることではなく、そんな小さな現世のことではなく、子どもの誕生時に、子どもとの関係を作る最初の段階において、私があなたに命じ、スンナとして行うよう願ったことは、子どもの体や知力を求める前に、子どもの魂を求めなさい、ということです、と。このアザーンは、父親が、体の要求よりも前に、魂の要求を満たしてくれる存在として、子どもに認識されるためのものです。

 

授乳時のスンナ:

 

そして、母親は、子どもに授乳をする時に、アッラーをズィクルするのがスンナです。ミルクを飲ませる前に、「ビスミッラー」(アッラーの御名において)と言って始めることで、アッラーの御名の光が、彼女のミルクと一緒に、子どもの体の中に深く流れ込みます。昔の敬虔な方は、授乳をしている母親が、関係のないおしゃべりをしていると、「アッラーを唱念しなさい。あなたは、子どもに授乳しているんですよ。子どもの心にアッラーの光を一緒に与えなさい。」と言っていました。そして、もし授乳している母親が、アッラーを忘れ悪口などを言っていたら、「あなたは、忘恩をミルクと一緒に子どもの心に入れるのですか?!」と言われたものでした。こういったことは、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)からの知識以外からは、学ぶことができない知識です。

 

現在は多くの専門家が、子ども教育のために、子どもの知覚能力が形成された後の体の成長や心の成長などについて、様々な知識を紹介しています。しかし、イスラームにおけるムハンマド様(アッラーの祝福と平安あれ)の子どもの教育法は、子どもがこの世に誕生する前から、親が子どもを授かる前から始まります。子どもが、イスラームの光、信仰の光、アッラーとムハンマド様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の光を受けるために、子どもの体が形成されるずっと前から、子ども教育の最初の一歩を始めます。

 

子どもの授乳している時にハラールのお金で得た食べ物を母親に食べさせること:

 

子どもを、授乳の時から、ハラールのお金で得た食べ物やハラールの食べ物を与えるよう、できる限り努力することは、子どもの教育においてとても大切です。現代では、ハラールのお金を得ることがとても難しくなっています。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、こう言われたとおりです。

 

《利子を貪ぼらない人がいない時代が、必ず人々のところにやって来ます。もし、それ(利子)を貪ることがなかったとしても、その埃をかぶります。》イブンマージャ、アブーダーウード、ナサーイー伝承

 

私たちが生きている時代のことです。しかし、アッラーがご覧になっているのは私たちの心です。ハラームの利子をできる限り避けようとしている心があるかどうかを、アッラーはご覧になっています。

 

著名なイスラーム学者イマーム・ガザーリーの師であった、アル=ジュワイニー師(彼らにアッラーのご慈悲あれ)の逸話があります。彼は、イスラームの知識に長け、その演説の上手さや論述の正確さにおいて当時右に出る者がいないほどの学者でしたが、滑らかに話す彼が時々、話の途中で沈黙することがありました。ある人が彼に、「あなたの弁術は本当にすばらしい。しかし、その弁術のすばらしさと、その時折見せる沈黙の秘密は何でしょうか。」と尋ねました。すると、彼は、「私の父は、アッラーを畏れる本当に用心深い人で、ハラールのお金や食べ物を固く守り、私にも、母にも、ハラールのものしか決して与えませんでした。いつも母に、母以外の誰からも、私に授乳させないようにと言って、私に他の人の母乳を与えることを禁じていました。ある日、母が忙しくしている間、私がお腹を空かせて泣いていると、隣の家の奥さんがやって来て、かわいそうに思って私を抱き上げると、自分の母乳を与え始めました。そこへ、父が帰宅し、彼女が授乳をしているのに気付くと、『その子を渡してください。』と言い、私を別の部屋に連れて行くと、急いで足を持って逆さにし、口に手を入れて、『吐き出せ、吐き出せ。』と言って、胃の中のミルクをすべて吐き出させました。父は隣の家の主人が利子を扱っていたことを知っていたからです。私の知識や弁が立つのは、父がハラールで育ててくれたからで、沈黙は、その時に胃に残っていたミルクの分です。」

 

子どもを育てるときにハラームのお金が入らないように、注意することはその子の将来に大きな影響を与え、とても大切です。

 

 

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ムスリムの子ども教育4~家庭の土台の作り方(4)~

2018年07月18日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

ムスリムの子ども教育4~家庭の土台の作り方(4)~

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(2:7:20~21:19) bit.ly/1PPruiy

  

前回は、家庭の土台作りとして、養育費に対する不安についてお話しました。今回はその続きです。

 

ムスリムは、自分の糧はアッラーの御手にだけある、ということを頭では知っていますが、その確信がまだ心に降りてきていないこともあるかもしれません。本来は、子どもの養育費はアッラーが担っておられるので、アッラーを信じていれば心配しませんが、その確信が弱いために、もしくは体が弱い、病気etc.の理由がある場合、子どもを持つことを遅らせることは、イスラーム的に許されていることです。それは、病気などのやむを得ない理由でなくても、まだ妊娠していない状態であれば、アッラーの糧への確信が弱いために、しばらく子どもを持たないと計画することは、イスラームで許されていることです。ただ、ここでは許されているかハラームか、という話ではなく、アッラーに対する礼儀と心の状態を考えることを薦めています。また、妊娠がわかったならば、母体に危険が及ぶなど何か理由がある場合を除き、中絶することは許されていません。それは殺人になるためです。

 

心配2)夫婦の信頼関係:

 

養育費の心配の次に、子どもを持つことを遅らせる理由は、夫婦仲の心配です。結婚した女性に、「なぜ子どもがほしくないのですか?」と聞くと、「本当にこの人とやっていけるかどうかもう少し様子を見ないと不安で・・」という答えが返ってくることがあります。夫婦喧嘩が多くて、全然理解し合えない、この相手と本当にこの先ずっと一緒に生活していけるのか、という不安があるうちは、安心して子どもを作れない、と言うのです。

 

夫婦仲に安心できない原因は何でしょうか。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が教えてくださっていることを実践してみましょう。ご夫婦二人が、お互いに、相手の権利を守ることを、自分の権利を主張することよりも優先すれば、必ず夫婦仲は最も素晴らしい形で完成します。また、二人の間に子どもが産まれることで、アッラーが、夫の心に慈悲とやさしさと思いやりを増してくださることもあるでしょう。アッラーに期待すれば、アッラーが自分に期待する人のことを失敗させるわけがありません。

 

こういった様々な妄想による不安が、子どもを持ちたいという自然な気持ちを妨げます。他にも、出産の痛みや妊娠中の苦しみや子育ての苦労について、シャイターンやシャイターンにささやかれた周りの人たちが女性にささやき、子どもを持つことを嫌悪させます。なぜなら、ムスリムが子どもを産むことによって、最後の審判の日に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が喜んでくださることになるからです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《子どもを増やしなさい。そうすれば、私は最後の審判の日に、自分の共同体の人員の多さを誇るであろう。》ブハーリーとムスリム伝承

 

いろいろな不安を抱えて子どもを持つことをためらうことなく、ただ「預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の心に喜びを入れることができる」ということを期待して子どもを持つことを望む人もいます。

 

それでもシャイターンはあきらめずにささやくかもしれません。「今は、昔とは時代が違う。現代の子育ては、育児も教育もとても難しくお金もかかる。自分の子どもをちゃんと教育できなかったらどうするんだ。」

 

大丈夫です。すでに預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、私たちのどんな心配にもすべて回答を与えてくださっています。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《もしも、あなた方のだれかが、自分の配偶者と性交渉をもとうとする時には、「アッラーの御名において。アッラーよ、私たちからシャイターンを退けて下さい。そして私たちに授けて下さったものからシャイターンを退けて下さい。」と言いなさい。そうすれば、そのときにアッラーが子をお授け下さった場合、悪魔がその子に決して害を及ぼすことはありません。》ブハーリーとムスリム伝承

 

アラビア語「 ビスミッラー。アッラーフンマ ジャンニブナッシャイターナ、ワ ジャンニビッシャイターナ マー ラザクタナー。」

 

これ以上に信頼のおける約束があるでしょうか。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、私たちの子どものことを、その子とアッラーとの関係を保証してくださっています。アッラーのズィクルによって産まれてくる子どもは一生シャイターンから守られます。

 

最後の審判が近くなると、このズィクルを忘れてしまい子どもを産む人たちが増え、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこうおっしゃっています。

 

アーイシャ様(アッラーのご満悦あれ)は言いました。

《アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は私におっしゃいました。「あなた方のうちで、ムガッラブーンがいます(もしくは別の単語)か?」私は言いました。「ムガッラブーンとは何ですか?」「彼らにジンが加わった人たちです。」》アブーダーウード、ハーキム伝承

ムガッラブーン:夫婦の営みにシャイターンやジンが加わり産まれた子ども。

 

こうしてアッラーのズィクルによることなく産まれた子どもには、シャイターンの害が降りかかってしまい、後になって、親が「なぜうちの子は親に背くのか。」「なぜこの子にはアッラーによるタウフィーク(成功)がないのか。」と驚き、その子による多くの苦悩に悩まされることになるかもしれません。それは親が、アッラーのズィクルによって、自分と子どもと配偶者をシャイターンから守らなかったためです。

 

ハラールの方法により得た収入とそのお金で買うハラールの食べ物:

 

ムスリムの子育てにおいて、大事なことのひとつに、子どもに与える食べ物をその入手方法もハラールにするということがあります。実は、ハラームの食べ物を与えて子どもを育てないことは、両親の喜びとなるような誠実な子どもになるかどうかに大変大きな影響があります。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

《ハラームによって育ったすべての肉体には、(地獄の)炎がふさわしい。》タバラーニー伝承

 

人を騙して手に入れたお金や嘘をついて手に入れたお金、賄賂を払って手に入れたお金、人に不正を働いて手に入れたお金、そういったハラームの方法で手に入れたお金で家族を養うことにより、望むと望まないとに関わらず、自分の子どもに取り返しのつかない大きな危険を与えます。子どもに及ぼすこの害は、親が、アッラーに対する確信が足りないことに起因します。子どもにおいてアッラーを畏れましょう。

 

また、子どもを持つことの意図を確認し、クルアーンで教えてくださっているドゥアーをしましょう。

رَبَّنَا هَبْ لَنَا مِنْ أَزْوَاجِنَا وَذُرِّيَّاتِنَا قُرَّةَ أَعْيُنٍ وَاجْعَلْنَا لِلْمُتَّقِينَ إِمَامًا

【そして、「主よ、心の慰めとなる妻と子孫をわたしたちに与え、主を畏れる者の模範にして下さい。」と(祈って)言う者。】クルアーン 識別章25-74

アラビア語「ラッバナー ハブ ラナー ミン アズワージナー ワ ズッリッヤーティナー クッラタ アアユニン ワジュアルター リルムッタキーナ イマーマー」

 

自分と預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)とムスリム達にとって、心の慰めとなる子どもを御恵みくださるよう、このドゥアーでアッラーに求めましょう。子どもを持つ目的は、自分が年老いた時に世話をしてもらうためでも、子どもの卒業大学の名前や就職先を自慢するためでもありません。うちの子は○○大学に合格した、息子が医者になった、うちの子は弁護士になった、これらは、まったく取るに足らないことです。なぜなら、信仰者もアッラーに背く者も同じように、医者にも弁護士にもなるからです。自分の子どもが医者であっても、アッラーに背く人が、その子よりずっと名高い医者であるかもしれません。現世の職業や大学は、まったく自慢すべき対象ではありません。本当に自慢できるものは、その子が、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)にどれだけつながっているかどうかです。

 

子どもを授かった後にすること:

 

妻の妊娠がわかったら、夫はアッラーに感謝し、その子が男の子でも女の子でもアッラーのご加護があるように祈ります。妻は、アッラーがお恵みくださった子どもによって得られる大きな報償を思い出し、妊娠中のサブル(忍耐)によってアッラーが自分に満足してくださるよう願いします。妊娠中の気分の悪さや苦労や痛みに関して、アッラーに不満を言わないよう注意しましょう。なぜなら、それらの苦労によって、女性には、男性がどんなに努力し崇拝行為を行っても獲得できない高い位がアッラーから約束されているからです。妊娠中の期間をアッラーへのズィクルで過ごし、心をアッラーに向けましょう。母親が口にする嘘や悪口、中傷やハラームを見る一瞥(いちべつ)が、胎児に影響を与えることがないなどと思ってはなりません。それらは本当にすべてお腹の中にいる子どもに多大な影響を与えます。特に、ルーフ(魂)を吹き込まれた後(120日目以降)には要注意です。魂の知覚能力は理性の知覚能力よりも早く形成されるため、十分な注意が必要だからです。

 

出産が近づいたら、アッラーへのズィクルで過ごし、それによって、アッラーが出産を簡単にしてくださるよう願います。陣痛が起こり、耐えられないほどの痛みに襲われた時には、最初の陣痛が起こると、自分の過去の罪がすべて消されることを思い出しましょう。そのため、昔の敬虔な方たちは、出産が近い女性や、出産後の女性を訪問し、彼女に、「どうかアッラーが私を赦してくださるようにドゥアーしてください」と頼みました。なぜなら、出産によって、すべての過去の罪が消され、真っ白な状態になるので、罪のない彼女のするドゥアーは、アッラーに叶えてもらいやすいからです。

 

母親の徳はまだあります。イエメンのある男がハッジに行き、マッカの強烈な太陽の下、自分の母親をずっと背負い、母親のためにハッジ巡礼の崇拝行為を母親を背負ったまますべて行いました。彼は、イブン・ウマル様(アッラーのご満悦あれ)にこう言いました。「イブン・ウマル様、私はこれによって母親の権利を十分に報いましたか。」すると、イブンウマル様(アッラーのご満悦あれ)はこう言いました。「いいえ。まだあなたが彼女のお腹にいた時の、彼女の陣痛の痛みの1つでさえ(報いてはいません)。」

 

《一人の男がアッラーの使徒の所にやって来て「私は人々のうちで誰に一番つくすべきでしょうか?」と言った。

すると預言者は「あなたの母親です」と言った。

そこでその男は「その次は誰ですか?」と尋ねた。

すると預言者は「その次もあなたの母親です」と言った。

そこでその男はさらに「その次は誰ですか?」と尋ねた。

すると預言者は「その次もあなたの母親です」と答えた。

さてその男はさらに「ではその次は誰ですか?」と尋ねた。

すると預言者「その次はあなたの父親です」と答えた。》ブハーリーとムスリム伝承

 

このハディースでもわかるように、イスラームは女性に、男性が届かないほどの高い地位を与えています。子どもを授かることは、男性にとってはたった一晩、もしくは一時の快楽ですが、女性にとっては死の危険にさえさらされる出来事です。そのため、イスラームでは、母親の権利は、父親の権利に優るのです。

 

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ムスリムの子ども教育3~家庭の土台の作り方(3)~

2018年07月18日 | 預言者の教育方法

あまねく慈愛深きアッラーの御名において

ムスリムの子ども教育3~家庭の土台の作り方(3)~

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(1:38:00~完、2:~7:20) bit.ly/1PPruiy

  

これまで、家庭の土台作りになるニーヤ(意思)とニカー(結婚契約)についてみてきました。今回はその続きです。

 

結婚式が終わって、結婚相手と一緒に最初の日を過ごすことになったら、まずは部屋に入る際に、サラームを伝える挨拶、「アッサラーム アライクム ワ ラフマトゥッラーヒ ワ バラカートゥフ」(あなたにアッラーのご慈悲と平安がありますように)と言って挨拶をします。サラームは、平安、安全です。初めて家族となる相手と過ごす際に、サラームで始めることで、これからの人生に、平安と安全をもたらしてくれます。サラームはとても大切です。そして、スンナの2ラカートの礼拝をし、結婚の際のドゥアーをします。

 

80.結婚する者のドゥアー「アッラーフンマ インニー アスアルカ ハイラハー ワ ハイラ マー ジャバルタハー アライヒ ワ アウーズビカ ミン シャッリハー ワ シャッリ マー ジャバルタハー アライヒ。」

日本語の意味「アッラーよ、私はそこにある良きものを求め、あなたがそのように創造されたところの良きものを求めます。そしてそこにある悪から、そしてあなたがそのように創造されたところの悪しきものからのご加護を求めます。」

 

81.床入り前のドアー「ビスミッラー。アッラーフンマジャンニブナッシャイターナ、ワジャンニビッシャイターナマー ラザクタナー。」

日本語の意味「アッラーの御名において。アッラーよ、私たちからシャイターンを退けて下さい。そして私たちに、授けて下さったものからシャイターンを退けて下さい。」『ムスリムの砦』p.141,142

 

最初に結婚相手と過ごす時、相手との関係を通して、自分とアッラーとの間の関係を築くことをまず考えましょう。昔の敬虔な方は、「アッラーのご満足を求めて妻に対して寛大にし、彼女の権利を守ること、アッラーの権利を守ることを固く心に決めた者には、アッラーは彼女の心に、2つのことを投げ入れます。ひとつは、夫への心からの愛情と優しさ、2つ目は、夫への尊敬と畏敬の念です。」と言いました。新しい家族となった結婚相手と過ごす最初の数日間の夫婦の関係は、これから先、人生を共にする二人の関係が現れます。子どもを迎え入れる準備がここから始まります。子どもの教育が、ここからすでに始まっていることをしっかり思い出しましょう。

 

現在、どれだけ多くのすでに亡くなったご夫婦が、墓の中で結婚当初の日々を思い出し、幸せを感じているでしょうか。アッラーのご満足を求めて、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のスンナに従って結婚を進めることで、現世だけでなく、墓の中と来世でも幸せを感じる結婚になります。その幸せは現世の一瞬の出来事ではなく、その人の永遠の来世まで持って行くことができる幸せとなります。

 

しかし、男女の関係が多様化し、結婚の意味が変わって来た現代に、こういった婚約や結婚のスンナに従うことは、ムスリムでない親戚、家族や友達から驚かれたりして、様々な困難を伴うかもしれません。そのことについて、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこうおっしゃっています。

 

《誰でも私のスンナを蘇生(そせい)した者は、私を蘇生したのです。そして私を蘇生した者は、天国で私と共にいます。》ティルミズィー伝承

 

《私のウンマ(イスラーム共同体)が腐敗する時代に、私のスンナを堅く守る者には、殉教者と同じ報償があります。》タバラーニー伝承

 

《私のウンマ(イスラーム共同体)が腐敗する時代に、私のスンナを堅く守る者には、100人の殉教者と同じ報償があります。》アル=バイハキー伝承

 

結婚に関するスンナを私たちが他の人たちに伝え、守って行くことは、これほど大きなご褒美があります。

 

出産における心配ごと:

心配1)養育費

 

また、結婚に関する心配事のひとつに、お金のことがあります。結婚しても子どもを作ろうとしないご夫婦に理由を尋ねると「まずは自分たちの生計をしっかりしないと、、、」と言います。つまり、子どもの養育費のことを心配しているのです。しかし、イスラームでは、人が一生の間に手にするお金は、すでに母親のお腹の中にいる時に決められています。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《あなた方の誰でもそうだが、母親の体内で40日間でその組織が集められ、その後同様の日数で凝血となる。

それから同様にして肉塊となる。そして天使が遣わされてそれに魂を吹き込む。

それで天使は四つの言葉(を書くこと)を命ぜられる。それは胎児の生計と寿命と行為と幸不幸を書き留めて決定することである。》ムスリム伝承

 

ですから、子どもの養育費は父親ではなく、アッラーが担っておられます。アッラーに不可能なことがありますか?結婚して最初の頃、子どもの養育費を貯めるまで子どもを作らないと決め、収入と支出を計算して、妊娠と出産の計画を立てることによって、寛大なアッラーの糧を自分たちで狭めていることがあります。例えば、ある人は、最初の数年間は子どもの養育費がないから子どもを作らない、と決めます。しかしその決定は、アッラーは私たちにこれだけしか収入を与えてくれない、という確信で、アッラーが与えてくれないと確信すれば、もちろんアッラーは与えません。それは、アッラーに対する悪い見方だからです。つまりアッラーに対して悪い見方をすることによって、自ら収入が入らないようにし、自分で自分の首を絞めていることに気付いていないのです。アッラーの寛大さを自分たちで狭めることはありません。もちろん、出産にも育児にもお金がかかります。しかし、アッラーは、その子の養育費を両親に与えない限り、子どもも与えない、ということを思い出しましょう。

 

私たちは、収入を得るための「手段」を取ることと、その「手段」を頼りにすること、を混同してないように注意しなければなりません。手段を取ることは、アッラーがお許しになられていることですが、その手段を頼りにすることはアッラーが禁じていることです。マルヤム様(平安あれ)に「手段」なく糧をお与えになられたお方が、やはり「手段」なくマルヤム様(平安あれ)にイーサー様(平安あれ)をお与えになられました。

 

【ザカリーヤ一が、かの女を見舞って聖所に入る度に、かの女の前に、食物があるのを見た。かれは言った。「マルヤムよ、どうしてあなたにこれが(来たのか)。」かの女は(答えて)言った。「これはアッラーの御許から(与えられました)。」本当にアッラーは御自分の御心に適う者に限りなく与えられる。】クルアーン イムラーン家章3-37

 

【何かを望まれると、かれが「有れ。」と御命じになれば、即ち有る。】クルアーン ヤースィーン章36-82

 

全宇宙を無からお創りになられたお方が、私たちが「手段」を取らなければ、私たちに与えることができないでしょうか。アッラーは、イーサー様(平安あれ)を出産したばかりのマルヤム様(平安あれ)にこうお命じになられました。

 

【またナツメヤシの幹を、あなたの方に揺り動かせ。新鮮な熟したナツメヤシの実が落ちてこよう。】クルアーン マルヤム章19-25

 

女性がナツメヤシの太い幹を揺らすことなどできるでしょうか。頑強な男性でも実が落ちるほど揺らすことは不可能です。では、出産したばかりの女性にとって、どれほど不可能なことでしょうか。それではどうして、アッラーはマルヤム様(平安あれ)に揺らすことを命じたのでしょうか。もちろん、アッラーは彼女が揺らすことなく、ナツメヤシを彼女に与えることができるのに、です。これが、「手段を取ること」です。マルヤム様(平安あれ)が木を揺り動かそうとすることが、手段です。実が落ちてくることは、その行動とは直接関係ありません。なぜならば、そんな力で揺らそうとしたところで無理だからです。アッラーは私たちに、すべてのものは、「手段」によって起こっているわけではなく、「手段」はただアッラーのご命令に従うだけだ、ということを教えてくださっています。「手段」はアッラーのご命令に従うだけで、私たちは「手段」によってお金を手に入れるのではなく、アッラーのみがそれを与えてくださいます。

 

例えば、小さな子どもがお菓子屋さんで父親に、「飴食べたい!」と言うと、父親が、じゃあ、「1~10まで数を数えてごらん。」と言い、子どもが「1,2,3,4、、、、10!」と数えると、父親は店主のおじさんに合図し、子どもがおじさんから飴をもらって喜んでいる隙にお金を払いました。次の日、子どもはまた飴が食べたいと思い、同じお菓子屋さんに行き、昨日の店主を見つけると、大声で、「おじさん、1,2,3,4、、、、、」と数えはじめ、「、、、10!」と言いますが、おじさんは飴をくれません。この子がやったことは笑いを誘うでしょう。それはそのまま私たちが日ごろアッラーに対してやっていることです。アッラーは、仕事をすることを、糧を得る「手段」としました。決して、「仕事」が糧を与えるわけではありません。しかし、私たちは、糧を得たいと思ったら、「1,2,3,4、、、、」と数えるようになってしまいました。これが私たちの現状です。

 

子どもは店主に、「おじさん、ぼく10数えたよ、昨日みたいに飴ちょうだいよ。」と言います。店主は、「10を数えることが、飴の代金じゃないんだよ。お父さんの言うことを聞いたから、飴をもらえたんだよ。」と言います。アッラーに対しても、私たちは同じことをしています。アッラーが「手段」を取りなさい、と命じたから、私たちは「かしこまりました」と、「手段」を取り、仕事をしますが、その仕事が私たちにお金を与えるわけではないことを、心に刻む必要があります。「手段」がお金をくれるという妄想を消しましょう。「手段」の奴隷になって「手段」を頼りにするのではなく、アッラーに従い、頼ることです。そうすれば、もし「手段」が停滞したとしても、アッラーがそのお力によって、まったく「考えつかないところから、恵みを与え」てくださいます。

 

【かれが考えつかないところから、恵みを与えられる。アッラーを信頼する者には、かれは万全であられる。】クルアーン 離婚章3

 

昔のアッラーをよく知っている先生は、「自分の糧が、いつも考えつくところからしかやって来なければ、自分の信仰を調べなさい。」と言いました。アッラーは、【かれが考えつかないところから、恵みを与えられる。】とおっしゃっているにもかかわらず、自分の糧がいつも考え付くところからしか来ない、ということは、信仰になにか問題がある、ということです。自分の糧の中で、考え付かないところからやって来る糧があるべきだ、ということです。

 

私たちが手段でなく、手段を結果に結びつけてくださる御方にだけ頼ることができますように!

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ムスリムの子ども教育2~家庭の土台の作り方(2)~

2018年07月01日 | 預言者の教育方法

ムスリムの子ども教育2~家庭の土台の作り方(2)~

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(18:10~38:00)bit.ly/1OYuajs

  

第一回目は、ニーヤ(意思)により、家庭の土台を作ることについて学びました。正しいニーヤ(意思)を持つことで、アッラーが家庭の土台を強固にしてくれます。正しいニーヤ(意思)とは、現世の物を求めて結婚するのでも、相手がただ好きだから結婚するというものでもありません。基本的に、「アッラーのご満足を求めて、結婚します。」というニーヤ(意思)です。もしすでに結婚している方は、今からでも遅くはありません。今から、家族に接するニーヤ(意思)、ご主人に対するニーヤ(意思)、子どもたちに対するニーヤ(意思)を誠実に正しく持ち直すことから始めましょう。ご家族に対して、「アッラーのご満足を求めるために」というニーヤ(意思)を持ちましょう。

 

結婚は預言者ムハンマド様(彼にアッラーの祝福と平安あれ)のスンナです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《ニカー(結婚)は私のスンナです。私のスンナをしない者は私の仲間ではありません。》イブンマージャ伝承

 

もちろんイスラーム以前の人たちも、ムスリムではない人たちも結婚します。彼らの結婚が、ムスリムにとってのニカー(結婚契約)と違うのは、それが預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のスンナ、つまりそれによってアッラーからの報奨をもらえる行為である点です。人間の持つ性欲という欲望さえ、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のスンナに従って結婚することで、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を通してアッラーに近づく行為となります。ですから、基本的には、ムスリムは結婚し家庭を築くことを優先するため、他の宗教のように修道院に入ったり、出家したりしません。ただ稀な例として、経済的な理由など、様々な理由により結婚が難しい場合で、ハラームの行為(婚外交渉や異性のことを注視したり、考えたりするetc.)に陥らないのであれば、独身でいることもあります。

 

例えば、タービイーンの有名なハサヌ・ル=バスリー師(アッラーのご慈悲あれ)は、「なぜアッラーの使徒のスンナをなさらないんですか?」と尋ねられ、「私はそれがスンナであることは知っています。決してそれを軽視したり、怠惰なために結婚しないわけではありません。ただ自分の心が2つのもの、我が主と妻を収めることができないことがわかったのです。そして、私の心にとって、偉大かつ崇高なるアッラーは義務であり、妻を娶ることはスンナであるため、義務をスンナよりも優先したのです。」と答えました。また、イマーム・ナワウィー師(アッラーのご慈悲あれ)も44歳で亡くなりましたが、知識探求と教授とダアワに専念し、結婚のことについての考えがまったくよぎることなく生涯結婚しませんでした。こういった例はまれですが、イスラームでは結婚しない人を批判する必要もないですが、結婚しないことがアッラーに近づく特別な方法だという訳でもありません。

 

著名なビシュル・ル=ハーフィーとイマーム・アハマド(彼らにアッラーのご慈悲あれ)の逸話があります。ある人がビシュル・ル=ハーフィーに「あなたの状態はどうですか。」と尋ねると、彼は、「アッラーは私をイッリッユーン※の中に入れてくださり、天国をおゆるし下さいました。」と答えました。

※天使が書く善行をした人たちの帳簿とも、最高天にあるアッラーの玉座の下の場所とも言われる

次に「イマーム・アハマドはどこにいますか?」と尋ねられると、彼は、上を見上げ頭を上げ、また更に見上げ、また更に見上げ、かぶっていた帽子が床に落ちるほど上を見て指さしました。「どうして彼はあなたよりも上にいるのですか?」と尋ねられると、「彼は結婚し、アッラーの御使い様のスンナを実行しましたが、私はしなかったからです。また彼は子どもを持ち、知識とズィクル(アッラーを唱念すること)についての善い教育を施し、彼にはその子ども達の知識とズィクルの報奨がありますが、私にはないからです。また彼はアッラーの道のために拘留され罰を受け試練に遭い忍耐しましたが、私は行っていないからです。この3つにおいて彼は私を超越しているのです。」このようにイスラームには、結婚しないことがより敬虔であるといったことはありません。

 

結婚するかどうか、といえば、基本は結婚するというのが正解です。次に、誰と結婚するか、については、ハディースがあります。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《次の四つの理由において、女性と結婚します。それらは、彼女の財産、彼女の血統、彼女の美しさ、そして彼女の信仰です。それ故、信仰深い女性を得るようにしなさい。あなたの両手が埃だらけになりますように!※》※しっかりやりなさい!の意。人を励ます場合にも使われる言葉である

 

女性の財産、地位、容姿などを理由に結婚することもできますが、基本は、信仰深い女性を選ぶことが優先されます。

 

またどんな理由で結婚するか、というと、前回お伝えした誠実なニーヤ(意思)によって結婚します。「アッラーのご満足を求めて、結婚します。」というニーヤ(意思)です。

 

次に、どうやって結婚するか、です。配偶者になる人を選んで、実際に結婚したいと決めたら、次にすることはフトバ(婚約)です。結婚したい相手の女性の後見人(父親etc.)の家に、本人、または代理人が行き、出席したムスリムたちが見守る中、婚約をしに来た男性が、アッラーを称賛し、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に祝福祈願をし、参加者たちにアッラーを畏れるよう忠告した後、彼女の父親または、後見人に結婚を申し込みます。これらのスンナは、家庭を築く最初の行事ですが、最近は行われることが減っています。後見人は、結婚経験のない女性には結婚の意思を確認すべきで、特に再婚の女性には彼女に結婚の意志がなければ結婚は成立しません。もし彼女に結婚を受け入れる意志があれば、後見人はそれを男性に伝え、最後にファーティハ章を読誦し終了します。フトバをした後は、まだニカー(結婚契約)をした後のように、二人きりで出かけたり話したりすることが許されているわけではありません。ただ、お互いに、フトバ中は、他の人とフトバや結婚をすることが禁じられるというものです。男女の関係は、結婚前の状態なので、二人きりで話したり、会ったりすることは許されていません。このことは家庭を築く上でアッラーの英知があります。

 

次に、二人が結婚の意志を固めたら、ニカー(結婚契約)をします。ニカーをする際には、敬虔な人たちに集まってもらうことがスンナです。また、招待する人たちは、アッラーと預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が最後の審判に喜んでくれる人たちを選びましょう。例えば、親戚関係をよくするという義務を果たすために、親戚をたくさん招待します。結婚式が、親戚関係を悪くするきっかけにしないように気を付けましょう。また、結婚式では、忙しさや人の多さでアッラーのことを忘れてしまうことがないよう注意しましょう。そう言うと、「今日は彼らの結婚式なんだから放っておいてあげたら。」と言ったりしますが、アッラーとのつながりが結婚式に切れるということがあるでしょうか。結婚式の当日だけの喜び、幸福で終わらせず、現世だけでなく永遠の来世でもふたりで喜び、幸せになることができる結婚式にしましょう。それはお祝いやパーティーをしない、ということではありません。イスラームでも喜びを表すことはスンナです。結婚式で喜びを表すことについて、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がこうおっしゃっています。

 

《このニカーを公表して、マスジドで行いなさい。またそれにおいてダッフ(タンバリンのような太鼓)を叩きなさい。》ティルミズィー伝承

 

楽器は基本的にはイスラームでは禁止されていますが、結婚式には人々に喜びを与えるためにダッフを叩き祝いなさいと言っています。善い言葉や詩で喜びを表し、女性は女性のみの会場で礼儀を護った簡単な踊りを楽しむこともできるし、男性は男性のみの会場で礼儀を護った踊りをすることも許されています。イードの日には、預言者モスクでさえ踊りをしていました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のハディースにこうあります。

 

《イードル・アドハーの日、アブー・バクルが彼女の所にやって来た。その時、彼女の許に二人の女性がいてタンバリンを打ち鳴らしながら歌っていた。アッラーのみ使いは衣服で全身を覆っておられた。アブー・バクルは彼女達を叱った。

するとアッラーのみ使いはお顔をお出しになり「アブー・バクルよ、祭なのだから彼女達をそのままにしておくがよい」と申された。アーイシャは「アッラーのみ使いは私がエチオピアの人々がスポーツをしているのを見ておりますと、その御方の外とうで私を人目から遮るようにして下さったことがありました》ムスリム伝承

 

《イードの日、モスクにエチオピアの人々が歌い踊りながらやって参りました。預言者は私をお呼びになりました。

私は私の顎をその御方の肩に乗せました。私は終始そのような恰好で彼等のスポーツを眺めておりました。》ムスリム伝承

 

この時エチオピアの人たちが歌っていたのは、エチオピア語で預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を称賛する歌でした。お祝いの席やイードでは預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を称賛するのがスンナです。これらは、結婚式のハラールな楽しみ方です。それによって、結婚式にアッラーの祝福が降り、アッラーの光によって二人が祝福されるやり方です。

 

よりによって人生の門出に、アッラーに背く方法で行う結婚式に何の意味があるでしょうか。小さいころからヒジャーブをしていた女性が結婚式の日に、それを脱いでドレスに着替えてしまうのはどうしてでしょうか。男性がアウラの表れている自分の妻を横に置いて、参列した男性たちに彼女の美しさを見せているのに満足するのはなぜでしょうか。それはただ、西洋の習慣が入って来たから、というだけではありません。結婚式の本来の意味が失われていることに拠るものです。

 

また、自分の持っているものを自慢するという悪習に慣れてしまったためです。新しい車を買った人は、友達に見せて自慢したがります。必要だから買うのではなく、自慢するために買う人もいます。新しい服を買ったら、人々が見て褒めてくれるのを期待します。アクセサリーを買ったら、それを着けて人が称賛してくれるのを待ちます。自慢する心は、心の病のひとつです。

 

現世の物だけでなく、アッラーとの崇拝行為まで自慢したくなります。クルアーン読誦を人前でする時、美しい読誦を人々が褒めてくれるために読むのか、アッラーのお喜びを求めて読むのか、そこには天と地の差があります。

 

自分の車を自慢するように、自分の家の美しさを自慢するように、自分の妻の美しさを自慢するのは病気です。女性は物ではありません。女性はアッラーがお創りになられた価値ある存在です。これも人々に褒められたという心の病気のせいです。この病気は、その人の人生を台無しにします。なぜなら、現世の物には流行があり、新型のものがどんどん出てきます。今、人々が褒める物も、来年には古い物になってしまい、幸せを感じるには、また新しい物を買わなければならず、お金を浪費し、消費を続けていかなければ幸せも続きません。これがアッラー以外のものの満足を求める人生の結末です。

 

反対に、アッラーのご満足を求めて行うことは、現世でも来世でも消えません。「どうしてその服を着ましたか?」「アッラーのお喜びを求めて清潔にするため」、「アッラーの恩恵を示すため」、「アウラを隠すというアッラーの命令を遂行するため」と答える人は、年月によってその服を着るときの幸せは変わりません。10年後に着ても、同じ幸せを感じることができます。

アッラーが私たちの心を病気からお守りくださいますように。

 

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ムスリムの子ども教育1~家庭の土台の作り方(1)~

2018年07月01日 | 預言者の教育方法

ムスリムの子ども教育1~家庭の土台の作り方(1)~

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(~18:10)https://www.youtube.com/watch?v=1oJ2IfRLFXU 

 

家を建てる時に、どんなにすばらしい建物をデザインして、内装を美しくしても、土台の基礎工事をしていなかったら、雨が降っただけで屋根も壁も崩れ落ちてしまうかもしれません。家庭も同じです。すべての行いの土台は何でしょうか。家庭の土台は、ニーヤ(意思)です。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《行為とはニーヤ(意思)にもとづくものであり、人はみな自らのニーヤ(意思)した事柄の所有者です。

したがってアッラーとその御使いのためにヒジュラ(聖遷)に参加した者は、アッラーとその御使いのために

聖遷(せいせん)を行なったのであり、現世の利益、結婚相手の女性のために聖遷に加わった者は、

それらのためにヒジュラ(聖遷)を行なったにすぎません。》 ブハーリーとムスリム伝承

 

ムスリムの子どもの教育において、まずは、その土台となる結婚について気を付けるべき点をお話します。

 

1.     結婚、出産において正しいニーヤ(意思)を持つこと:

  昔の敬虔な方は、結婚しようと決意したら、まずイスラームの知識のある先生のところに行き、「私は結婚したいと思いますが、結婚に際して行う正しいニーヤ(意思)を教えてください。」と先生に尋ねました。なぜなら、そのニーヤ(意思)こそが、その後の結婚生活すべての土台となることをよくわかっていたからです。ニーヤ(意思)を正しく持つことで、その後の結婚生活がアッラーによって守られます。「アッラーのご満足を求めて、結婚します。」というニーヤ(意思)です。

 

クルアーンの中には、マルヤム様のお母様(ハンナ様)が出産に際して、ニーヤ(意思)をするところがあります。

 

【イムラーンの妻がこう(祈って)言った時を思え、「主よ、わたしは、この胎内に宿ったものを、あなたに奉仕のために捧げます。どうかわたしからそれを御受け入れ下さい。本当にあなたは全聴にして全知であられます。」】クルアーン イムラーン家章3-35.

 

このハンナ様の誠実なニーヤ(意思)によって、アッラーは彼女に預言者イーサー様(平安あれ)の母親のお母様になるという栄誉をお与えになられました。イーサー様(平安あれ)の誕生から2000年以上経った現在でも、世界中の人たちがイーサー様(平安あれ)の復活を待っています。この栄誉はどこから来ましたか?母親の誠実なニーヤ(意思)からです。またハンナ様は、出産後にアッラーにこうドゥアーをしています。

 

【それから出産の時になって、かの女は(祈って)言った。「主よ、わたしは女児を生みました。」アッラーは、かの女が生んだ者を御存知であられる。男児は女児と同じではない。「わたしはかの女をマルヤムと名付けました。あなたに御願いします、どうかかの女とその子孫の者を、呪うべき悪霊から御守り下さい。」】クルアーン イムラーン家章3-36

 

ハンナ様がアッラーに捧げたニーヤ(意思)の成果は、何だったでしょうか?

 

それで主は、恵み深くかの女を嘉納され、かの女を純潔に美しく成長させ、ザカリーヤーにかの女の養育をさせられた。】クルアーン イムラーン家章3-37

 

ハンナ様のニーヤ(意思)によって、【恵み深くかの女を嘉納され】、つまり、その子をアッラーが受け入れてくださったという成果です。私たちは、結婚が「崇拝行為」だということを知っているでしょうか。結婚がアッラーへと近づくための崇拝行為だと知っていたら、結婚においても、アッラーが受け入れてくださるかどうか、と考えることができるでしょう。アッラーに受け入れられた結婚は、アッラーによって守られます。

 

アッラーが与えてくださったこの人生は、すべてがイバーダ(崇拝行為)になることを、ムスリムは知っています。崇拝行為というのは、ただ、礼拝することや断食すること、クルアーンを詠むこと、ズィクルをすることだけでしょうか。それらは人生の中のほんの少しの時間だけです。私たちの人生は、すべてが崇拝行為です。アッラーはクルアーンの中でこうおっしゃっています。

 

【ジンと人間を創ったのはわれに仕えさせるため。】クルアーン 撒き散らすもの章51-56

 

私達ムスリムにとっては、食べることも、眠ることも、結婚も、出産も、すべてがアッラーへと近づくための崇拝行為となります。それを行う時の誠実なニーヤ(意思)によって、アッラーに受け入れられる崇拝行為となります。

 

誠実なニーヤ(意思)を持ち、夫が妻と子どもを扶養し護ることで、アッラーに近づくことができ、誠実なニーヤ(意思)を持ち、妻が家庭を守ることでアッラーに近づくことができます。ですから、まずニーヤ(意思)が何よりも大切です。誠実なニーヤ(意思)によって、ご家庭が、アッラーの元で認められ、アッラーからの平安が降りる場所となり、アッラーの元から安心と祝福が降りてきます。

 

私達は家を建てる時に、お金があれば、自分の家をできるだけ美しいデザインになるよう、また訪れる人にセンスがいいと言われるような内装や家具を選ぶよう、いろいろ考えるでしょう。しかし預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、私達の家を輝かせる方法をこうおっしゃっています。

 

《その中でクルアーンが詠まれる家は、天上の住人たちに(光り輝いて)見えます。

星が地上の住人たちに(光り輝いて)見えるように。》バイハキー伝承

 

誠実なニーヤ(意思)によって築かれた家庭は、天使たちの間で光り輝いています。天使たちはその家を指して、「これは○○さんの家ですね。」と言い合います。私たちが夜空を仰ぎ、星を見て、これは北極星、あれはカシオペア、と言うように、天使たちは地上の家々を見て、その中の光り輝く家をよく知っています。

 

子どもの教育を考える時に、まず最初に考えることは、家の土台、ニーヤ(意思)を誠実に正すことです。ニーヤ(意思)が誠実であれば、アッラーがその結婚を受け入れてくださって、そこに誠実な子どもたちをお授けくださいます。

 

マルヤム様の父親亡き後、父親の兄であり、後見を任された預言者ザカリーヤー様(平安あれ)が、彼女のところに行くと、彼女の部屋には、不思議なことに夏には冬の果物が、冬には夏の果物がありました。

 

【ザカリーヤ一が、かの女を見舞って聖所に入る度に、かの女の前に、食物があるのを見た。かれは言った。「マルヤムよ、どうしてあなたにこれが(来たのか)。」かの女は(答えて)言った。「これはアッラーの御許から(与えられました)。」本当にアッラーは御自分の御心に適う者に限りなく与えられる。】クルアーン イムラーン家章3-37

 

アッラーの、マルヤム様への寛大さを目にした彼は、こうドゥアーします。

 

【そこでザカリーヤーは、主に祈って言った。「主よ、あなたの御許から、無垢の後継ぎをわたしに御授け下さい。本当にあなたは祈りを御聞き届け下さいます。」】クルアーン イムラーン家章3-38

 

このドゥアーによって、預言者ヤヒヤ―様(平安あれ)が産まれます。ハンナ様の誠実なニーヤ(意思)によって、マルヤム様は預言者イーサー様(平安あれ)をアッラーの奇跡によって身ごもり、アッラーからの啓示を人々に伝える息子を育てる母親という栄誉を得ました。すべては、母ハンナ様の誠実なニーヤ(意思)によって、アッラーがお与えくださった恩恵です。

 

私達の家庭はどうでしょうか。私たちムスリムは、アッラーが地上で最も良いウンマ(共同体)と名付けたムハンマド様(アッラーの祝福と平安あれ)のウンマの一員です。もし私たちが誠実なニーヤ(意思)を持って、アッラーゆえに家族を大切にし、誠実なニーヤ(意思)によって夫は妻に接し、妻は夫に接するならば、それぞれの家から信仰の光り輝く子どもたちがこの地上に広がり、アッラーが最も愛しておられたムハンマド様(アッラーの祝福と平安あれ)のウンマの一員として、アッラーが、ハンナ様に与えた以上のものを与えてくださるでしょう。

 

ニーヤ(意思)による大きな成果が、私達を待っています。もしすでに結婚している方は、今からでも遅くはありません。今から、家族に接するニーヤ(意思)を正しく持ちましょう。ご主人に対するニーヤ(意思)、子どもたちに対するニーヤ(意思)を誠実に正しく持ち直すことから始めましょう。「アッラーのご満足を求めるために」という正しいニーヤ(意思)を立て直しましょう。

 

アッラーが私たちの家族とムスリムの子どもたちをお守くださいますように。

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悔い戻る者たちの道しるべ【11】-(2)

2016年08月18日 | 悔い戻る者たちの道しるべ

そのようになるためには、ムスリム社会はその個々人を次のアッラーの御命令の方法で全ての罪から守る必要があります:

「おまえたちのうちやもめ(独身者)を結婚させよ」(御光章32節)

 

法学者たちは言いました:複数形での命令の場合、ウンマ全体に向けられた命令と解釈します。それぞれの社会は若者を(姦淫から)守る方策をとるべきです。つまり、住まいを確保したり、結婚しやすくしたり、真理確立のための協力、若者のための働き場の確保のための協力、彼らを守るための協力といったことが必要で、すべて社会の責任になります。

そのためこの命令はウンマ全体に向けられた命令なのです。またウンマに向けられた命令はウンマの統治者に向けられているということでもあります:「おまえたちのうちやもめ(独身者)を結婚させよ」(御光章32節)

 

「枯渇させる」という表現がありますが、私たちは罪の根源を枯渇させる必要があります。私は欧米全体のエイズ問題の取り組み方に困惑させられます。彼らは他の選択肢や薬についてのみ研究し、一秒でも罪や姦淫や理性に反した行為こそが人間とこのような病の間を隔ててくれるものであることを考えません。彼らは結果に取り組むだけで、その原因には取り組んでいません。

 

ある町に汚染された水があり、数え切れない病気が存在すると仮定します。町に関係している人たちは全員で医者や病院や器具を準備しようとしています。しかし汚染水のことは誰も考えていません。彼らが汚染水を堰き止めれば問題は終結するのにです。ですから罪の根源を枯渇させることは罪を犯した罪人たちを治療するよりも容易なのです。これらの社会に対して困惑を覚えます。罪の原因は可能な限りの美しさで存在しており、可能な限りの活発さを持っています。そして私たちは若者たちに「悔悟しなさい」と言うのです。ですから、社会全体が若者の道徳心を守っていき、彼らの結婚への道を容易にしてあげなければならないのです。30歳以降や35歳以降ででしか若者が結婚できないウンマはそれに応じて苦悩するのです。

 

司会:では結婚以外の例を挙げてみましょう。先生、ある人たちは利息を扱う銀行を使用することで生まれる罪に落ちてしまっています。この代替は何でしょうか?あなたがイスラーム銀行が代替だとおっしゃるとしたら、誰がその銀行がイスラーム法に則ってやってくれると保証してくれるのでしょうか?など。他にも人の周りにまとわりつく疑わしい新しい事項がたくさんあり、その中に落ちてしまうことで罪に落ちるのか、落ちないか、など。

 

先生:問題に真髄に触れましたね。今日、人間が悩む二つの問題があります。性の問題と、お金の問題です。今日の若者にとってお金を稼ぐことは大きな悩みです。続くのが性の問題です。性に関してはその罪に落ちてしまう可能性のある諸事について述べました。お金については、若者に仕事を提供することが必要です。教友ウマル様(アッラーの御満悦あれ)が総督に次のように言いました:おまえのところに盗んだり略奪した人が連れてこられたら何をする?(総督は言って)私のその手を切ります。(ウマル様は言って)では。おまえの臣民の中から腹を空かせている者や失業者が私のところに来たらおまえの手を切ろう。(ウマル様はまた言って)まことにアッラーはその被造物の空腹を抑え、彼らの恥部を覆い、手工業を提供しするために私たちを彼の代理とし給うたのだ。私たちが彼らにそれらを履行すれば彼らの感謝を得る。まことに手というものは仕事をするために創られたのである。服従の中に仕事を見出せないと、罪の中で数々の仕事なすことになる。だからこそ罪において(手が)忙しくなる前に服従において忙しくさせなさい。

英知ある言葉ですね。

 

どんな罪にも必ずそれを成す者には戦いがあるとアッラーが脅迫し給うたことにも注目しましょう。次の聖句は利息を貪ることに関連しています:

「それでもおまえたちが行わないならば、アッラーと彼の使徒からの戦いがあると知れ。」(雌牛章279節)

 

アッラーが利息を貪る者に戦いを挑むことは注目に値しないでしょうか。お金がお金を生むと少人数の手中にのみ収まり、多くの人の手には渡りません。すると不正や破廉恥なことが広がります。売春宿、盗難、詐欺などです。私たちはどうすれば良いのでしょうか?仕事がお金を生まなければいけないのです。お金がお金を生むのではなく。私たちは二つの道の前にいます。仕事でお金を稼ぐか、利息でお金を稼ぐかです。仕事でのお金儲けは若者に仕事の機会を与えます。どうか商業施設をオープンしてください。すると店員や運び人、乗り物を直す人、倉庫を貸してくれる人などが望まなくても必要になってきます。他人を使うどのような仕事でも構いません。利息による収入はその主一人だけのものになります。まるでお金は人々の間を巡るものだとアッラーがお望みになったかのようです。また私たちは結婚の要因を容易にすることで若者たちに結婚するよう奨励しましょう。住まいの確保、家具の確保など。利息ではなく仕事を通じた投資も奨励しなければなりません。つまり私たちは若者たちを姦淫から守ると同時に必要と貧困から若者を守ることで悔悟のきっかけを提供したことになるのです。

 

つまり罪を呼ぶことから遠ざかることは悔悟継続のため、悔悟が真面目で有効かつ定着するための適切な治療であるということです。

次回は真面目な悔悟を違う面から見ていきます。また悔悟継続の方法つまりイスティグファール(罪の赦し請い)の継続も扱います。これは真面目な悔悟定着要因の一つです。

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預言者伝【番外編21】

2016年08月11日 | 預言者伝関連

完全なる模範、公の手本:

最後に、スライマーン・アン=ナダウィー先生の預言者伝『ムハンマドのメッセージ』から一部を抜粋して締め括りとします。先生はその著書の中で、いかに預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)が時代を問わず違った性格、職業、境遇、環境におけるあらゆる層に属する全人類の見本であったかや、アーダムの子孫一人一人のための模範と成り得たかをお述べになりました。先生(アッラーが彼を慈しみ給いますように)は次のようにおっしゃいました:

 

「預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)の人生は数豊かで多種な行いを描きました。その中には全段階における人間の生活のための「善良な模範」、「至高なるカリキュラム」がありました。なぜなら高い道徳と良き慣習、高貴で均衡のとれた感情と偉大で真っ直ぐな性向を統合したためです。

 

あなたが金銭的に裕福な人なら、ヒジャーズとシャーム地方の間を品物と共に行き来しておられた頃、バハラインの財宝を手中に収められた頃のアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)を模範としてください。もしあなたが何も持たない貧者なら、アブーターリブのもとで包囲されていた頃、また何も持たずに生まれ故郷から移住者としてマディーナに来られた彼(アッラーの祝福と平安あれ)を模範としてください。もしあなたが王者であれば、彼(アッラーの祝福と平安あれ)がアラブの地を所有された際、そしてアラブの僻地にまでそれが及び、アラブの強者たちや賢者が彼(アッラーの祝福と平安あれ)に服従するようになった際の彼(アッラーの祝福と平安あれ)のスンナ(慣行)と行いを模範としてください。またあなたが弱い市民であれば多神教徒たちの制度の中でマッカで支配された日々を過ごしていたアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の中に良い模範を見つけ出せるでしょう。もしあなたが勝利した征服者であれば、バドルやフナインやマッカで敵たちに勝利した日々の中にその分け前があるでしょう。もしあなたが敗者ーアッラーがそのようなことを運命づけ給わないことを望みますがーであれば、殺された教友たちや負傷した頑丈な同伴者たちの間にいらした彼(アッラーの祝福と平安あれ)が過ごしていたウフドの1日から訓戒を得てください。もしあなたが教師であるなら、マスジドで教友たちを教えてらっしゃった彼(アッラーの祝福と平安あれ)を見てください。もしあなたが学習する生徒なら、ジブリールの面前で跪き指導を乞う彼(アッラーの祝福と平安あれ)の姿を思い浮かべてください。もしあなたが助言を与える訓戒者、信頼おける指導者であれば、預言者マスジドで人々に説教する彼(アッラーの祝福と平安あれ)に耳を傾けてください。もしあなたが真理を確立し、善を実行したいけれどもあなたには援助者も味方もいないなら、マッカにおいて弱く、助けてくれる援助者も味方になってくれる味方もいないのに真理へと人々を誘い、それを公言していた彼(アッラーの祝福と平安あれ)を見てください。もしあなたが敵を負かしその力を削いでその抵抗を押し込めた結果、あなたのおかげで真理が顕現して不正が滅んで事が安定したのなら、マッカに入り征服した日の預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)を見てください。もしあなたが自分を改善して、自分の土地を世話したい思うなら、アン=ナディール族やハイバル、ファダクの土地を征服し、それらを改善などして、その世話の適任者に仕事をさせた彼(アッラーの祝福と平安あれ)を見てください。あなたが孤児なら、アーミナとその夫アブドゥッラーの愛しい息子を見てください。彼ら二人は息子が乳飲み子であったころに亡くなっています。もしあなたが幼齢なら、愛情溢れる乳母、ハリーマ・アッ=サアディーヤが乳を飲ませた偉大なる乳児を見てください。もしあなたが青年なら、マッカの羊飼いの伝記を読んでください。もしあなたが品物をと共に旅する貿易商なら、「ブスラー」を目指したキャラバンのリーダーに注目してください。もしあなたが裁く人なら、「黒石」をその定位置に納めるためにカアバを夜明け前に目指した判定人を見てください。その時、マッカのリーダーたちは争いかけていたのです。そしてどうかもう一度彼(アッラーの祝福と平安あれ)に目を向けてください。彼(アッラーの祝福と平安あれ)はマディーナのマスジドで人々の間を公正に裁いていらっしゃいます。彼(アッラーの祝福と平安あれ)のもとでは一文無しも金持ちも同じ地位にいます。もしあなたが夫なら、ハディージャとアーイシャの夫の清らかな生き様、穢れのない生活を見てください。あなたが子どもの父であるなら、ファーティマ・アッ=ザハラーの父、アル=ハサンとアル=フサインの祖父から学んでください。あなたがどんな人であれ、どんな状態にあれ、あなたがどんな朝を迎え、またどんな夜を迎えても、どんな状態で眠ってまたどんな状態で起きても、ムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)の人生の中にあなたにとって良き贈り物、あなたの人生の暗黒をその光で照らしてくれる良き模範があります。生活の暗さがその光によって明らかになることであなたの中で混乱していたことが片付き、彼(アッラーの祝福と平安あれ)の導きであなたの曲がったところがまっすぐになり、彼(アッラーの祝福と平安あれ)のスンナであなたの不調が整い、すべての分野で包括している素晴らしいその生き様は良き性格の基礎、教えの複合体です。それは人生の全段階における、そして人それぞれの状態における地上の民衆、人々すべてのためのものです。」

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悔い戻る者たちの道しるべ【11】-(1)

2016年07月28日 | 悔い戻る者たちの道しるべ

司会:

先生、誠実かつ正直な悔悟について話を進めます。悔悟の後、また罪を犯してまた悔悟をする人。人が悔悟する限り、至高偉大なるアッラーはその人とその悔悟を受け入れ給うということを見てきました。では先生、人は罪と罪を誘引する諸事からどのようにして自分を守れば良いのでしょうか?

 

先生:

教友アブドゥッラー・イブン・マスウード(アッラーの御満悦あれ)によると預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:《まことに正直は篤信へと導く。そしてまことに篤信は楽園へと導く。正直な男は本物の正直者となるまで正直で居続ける。そしてまことに嘘は罪へと導く。そして罪は火獄へと導く。嘘つきな男は本物の嘘つきになるまで嘘をつき続ける。》(アル=ブハーリー、ムスリム、アッ=ティルミズィー、アブーダーウード、アハマド、マーリク、アッ=ダーラミー伝承)

 

真実の探索において正直でいれば、それにたどり着きます。悔悟において正直でいれば、それにつながる道がどれかを暗示されます。知識において正直でいれば、数あるそれらの源泉にたどり着きます。これらはまるで神の法則、アッラーの被造物の中で行われるアッラーの慣行のようです。正直は篤信へと導きます。人はアッラーの許で本物の正直者と記されるまで正直で居続けます。つまり、正直を実践するということです。

 

他に、「正直はあらゆるものへと導く」という伝承もあります。至高偉大なるアッラーは仰せです:

「まことにこのクルアーンはより兼直なものへと導く。」(夜行章9節)

 

ここでは「何へと導くか」を制限する表現はありません。「無制限」というとろこに修辞が込められていることがあります。私が悔悟において正直でいると、アッラーが私を悔悟の要素へと導いてくださります。(例えば)この家の中で足を踏み外してしまう場合、私はそこに入るべきでは無いし、ある特定の若者たちと罪を犯してしまう場合、彼らと付き合うべきではありません。この本を読む中で何か罪がある場合は、私はその本を読むべきではありません。この番組を続けて見ることでアッラーに背いてしまいアッラーとの間に隔たりができてしまう場合、私はこの番組を見るべきではありません。ですから、罪の出処を知り、罪の諸原因から遠ざかる以外に悔悟を確固たるものにする術はありません。罪の諸原因から遠ざかることは悔悟する信仰者の最大の砦です。もう一つが「代替」です。この「代替」は必須です。アッラーが私の中に置き給うた幾つかの本能的欲望を満たすことで私はアッラーに近づけます。つまり自我が女性を求めるので結婚する、自我が財産を求めるので働く、という形でアッラーに近づくことができます。私が罪と思われることから遠ざかり、代替を準備することで私はこの悔悟において己自身を守ったことになります。教友アブーサイード・アル=フドリー(アッラーの御満悦あれ)によると預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:

《おまえたち、道に座ってはいけない。彼らは言った:アッラーの使徒さま、私たちには皆で話せる場がありません。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃった:道を話し場にするというなら、道にその権利をあげなさい。彼らは言った:その権利とは何ですか?彼はおっしゃった:視線を下げること、害の排斥、サラーム(の挨拶)への応答、善を勧め、悪を禁じることである。》(ムスリム、アル=ブハーリー、アブーダーウード、アハマド伝承)

 

以上により罪との決別が必須であることがわかります。信仰者の生活における詳細な分析を見てみましょう。(例えば)私はこの場で犯してしまった罪はこの友人関係、このパーティー、この出会いが原因だと考えます。私は罪の諸原因を見つける時、信仰者から成る健全な環境の中に身を置くことがその代替になると知るのです。至高なるアッラーは仰せです:

「そして彼の主にその御顔を求めて朝に夕に祈る者たちと共に忍耐自制せよ。今生の装飾を望んで、おまえの両目が彼らから逸れてはならない。また、われらがその心をわれらの想念(唱名)から逸らせたために己の欲望に従うことになった者に従ってはならない。そして彼の件は度を越していた。」(洞窟章28節)

 

重要な点があります。人は食べ物を見ることなくそれについて聞くことも香りを嗅ぐこともない状態で4つの壁に覆われたままでいてもお腹は空くということです。なぜならその食べ物への動機は内的なものだからです。そのため私たちは緊急時にはアッラーが禁じ給うたものを食べることが許されるのです。アッラーは仰せです:

「ただし、反逆者でなく、無法者でもなく余儀なくされた者には罪はない。」(雌牛章173節)

 

しかし性への動機は内的なでなく、外的であり、外からやってきます。そのため私たちの宗教には強制的姦淫というものが全く存在しません。この種の動機は外的誘惑から発生します。そのため視線を低めた者は頑丈な砦に身を置いたことになります。破廉恥な行為から遠ざかった者は頑丈な砦に身を置いたことになります。アッラーが御満足にならない芸術行為から遠ざかった者は頑丈な砦に身を置いたことになります。篤信者たちの中に身を置いた者は頑丈な砦に身を置いたことになります。私が罪の原因を知り、それらから遠ざかることでじぶんを守ったことになります。ただ次の考えは別です。私がしつこく勧めていることですが、それは、アッラーが人間の中に置き給うたどんな欲望にも必ずそのための清らかな流れ道を作り給うているということです。つまりイスラームには禁欲が全く存在しません。さまよいながら思い込んでいる人たちはアッラーに悔悟するということはつまりすべてを自分に禁じることだと思い込んでいて、悔悟しないことには自由があり、制限がなく、多くのことを人生の中に見つけ出せると考えています。

 

あなたが悔悟をすると、アッラーはあなたの中に置き給うたすべて(の欲望)に清らかな流れ道を作ってくださることであなたは禁欲の心配をしなくてよくなります。あなたがアッラーへ悔悟する人であれば、私は罪の原因から遠ざかることと、法的な代替の準備を強調するだけです。そうすることで本当に悔悟の道を歩むためです。

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預言者伝【番外編20】

2016年07月21日 | 預言者伝関連

情けと大きな慈悲:

前述の彼(アッラーの祝福と平安あれ)の勇敢さに加えて、彼は繊細な心を持つすぐに泣いてしまうお方でした。弱い立場にある人たちへ同情を寄せ、また動物や家畜を慈しみ、人々には彼らに思いやりをもって接するよう忠告しました。教友シャッダード・イブン・アウス(アッラーの御満悦あれ)は彼(アッラーの祝福と平安あれ)について次のように伝えています:アッラーの使徒へはおっしゃいました:まことにアッラーは「イフサーン」(より良く行う事、実行において最善を尽くす事)を万物の上に定め給うた。おまえたちが殺すときには殺し方を最善にしなさい。屠るときは屠り方を最善にしなさい。おまえたちは(切るための)刃をしっかりと研ぎなさい、屠られる家畜を苦しめないために。(ムスリム伝承)

 

教友イブン・アッバース(アッラーの御満悦あれ)によると、羊を横たわらせながら刃を研いでいた男に預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)がおっしゃいました:おまえはこれ(羊)を二回殺したいのか?羊を横たわらせる前に刃を研げないのか?(アッ=タバラーニーとアル=ハーキム伝承)

 

彼(アッラーの祝福と平安あれ)は動物の餌やりや水を与えること、能力以上のことを課さないことを教友たちに忠告しました。

 

また、動物たちから苦難を取り除いたり、労わることには報奨があり、アッラーに近づけてくれる行為であると強調しました。教友アブーフライラ(アッラーの御満悦あれ)によると彼(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:ある男が歩いていると喉の渇きが激しくなった。井戸を見つけたのでその中へ降りて行き、出てきた。そこには喉の渇きを癒そうと土を食べながら息を切らしている犬がいた。男は言った:この犬も俺の喉の渇きと同じものを感じているな。すると井戸の中に降りていき、その靴を水で満たし、犬の口元へ運び、飲ませた。アッラーはこの男の行為に喜び給い、彼を赦し給うた。人々が言った:アッラーの使徒さま!私たちには家畜においても報奨があるのですか?彼はおっしゃった:すべての湿気ある肝臓を持つものにおいて報奨がある。(アル=ブハーリーとムスリム伝承)

 

教友アブドゥッラー・イブン・ウマル(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は次のようにおっしゃいました:ある女が猫のために罰を受けた。彼女は猫に餌をやらず、水をやらず、大地の虫を自分で食べることもさせなかった。(ムスリム伝承)

 

教友サハル・イブン・アムル(アッラーの御満悦あれ)によると彼は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が背中と腹がくっついたラクダに通りかかっておっしゃいました:話すことのできない家畜においてアッラーをおそれなさい!良い状態で彼らに乗り、良い状態で彼らを食べなさい。(アブーダーウード伝承)

 

教友アブドゥッラー・イブン・ジャアファル(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がアンサールの男の家に入りました。そこにはラクダがいました。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がを見たラクダは気持ちが高揚し、その目は涙であふれました。預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)はラクダのところへ行かれ、そのこぶをお撫でになり、おっしゃいました:このラクダの主人は誰だ?誰のラクダだ?するとアンサールの青年が現れ、これは私のものです、アッラーの使徒さま、と言いました。彼(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:アッラーがおまえに所有させ給うたこの動物においてアッラーをおそれないのか。まことにこのラクダは私におまえが彼に腹を空かさせ、我慢を強いていると訴えている。(アブーダーウード伝承)

 

教友アブーフライラ(アッラーの御満悦あれ)が次のように伝承しています:彼は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:土地が肥沃な時期におまえたちが旅する場合、土地における権利をラクダに与えなさい。土地が乾いている時期におまえたちが旅行する場合、彼らの(歩く)道のりを早く渡れるようにし、旅路の始めの力を保てるよう急ぎなさい。おまえたちが夜中に休憩をとる場合、道は避けなさい。夜間のそれは動物たちの道であり、虫たちの住処であるから。(ムスリム伝承)

 

教友イブン・マスウード(アッラーの御満悦あれ)は言いました:わたしたちはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)と共に旅をしていました。彼は何かの用事でどこかへ行かれました。(残った)わたしたちは二羽の雛を持つ鳥を見つけ、わたしたちはその雛を取り上げました。すると鳥は翼を広げ出しました。そこへ預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)がいらっしゃり、おっしゃいました:誰がこの鳥をその子をもって驚かしたのだ?雛を鳥に返しなさい。またわたしたちがすでに燃やし終えたたアリの巣を見ておっしゃいました:誰がこれを燃やした?私は言いました:わたしたちです。彼はおっしゃいました:火の主人以外の者が火で罰することがあってはならない。(アブーダーウード伝承)

 

召使や雇われ人については言うまでもありません。いずれも人間で、主人や雇い人に対して持ち前があります。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は召使と奴隷たちに良くするようにと遺言済みです。教友ジャービル(アッラーの御満悦あれ)は預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)が奴隷たちに良くするよう忠告していたと伝えています。彼は次のようにおっしゃっていました:おまえたちが食べるものから彼らを食べさせなさい。おまえたちの服から彼らに着せなさい。そして至高偉大なるアッラーの被造物を苦しめてはならない。(アル=ブハーリー伝承)まことにおまえたちの兄弟はおまえたちの奴隷であるが、アッラーは彼らをおまえたちの手の下に置き給うた。それゆえ彼の兄弟が彼の手の下にいる場合、彼が食べるものから彼を食べさせ、彼が着るものを彼に着せなさい。彼らを圧倒することを彼らに課さず、彼らを圧倒することを彼らに課した時には彼らを手伝いなさい。(アル=ブハーリー伝承)

 

教友アブドゥッラー・イブン・ウマル(アッラーの御満悦あれ)は言いました:ある砂漠の民の男が預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)のところへ来て言いました:アッラーの使徒さま!毎日、どのくらい召使を赦したらよいでしょうか?彼(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:70回。(アッ=ティルミズィーとアブーダーウード伝承)

 

教友イブン・ウマル(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:雇われ人の汗が乾く前に報酬を与えなさい。(イブン・マージャ伝承)

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悔い戻る者たちの道しるべ【10】-(4)

2016年05月13日 | 悔い戻る者たちの道しるべ

”人々と接すれば彼らの権利をないがしろにせず、人々に話しかければ嘘をつかず、人々に約束をしたらそれを破らない者。彼こそはムルーア(男らしさ※)が完結し、廉潔さが現れ、彼との兄弟付き合いが義務となり、彼の陰口を話すことが禁じられる者である。”(教友の言葉)※アラブ民族の間に伝わる伝統的な男らしさの概念

 

もしある人が他人の権利をないがしろにしたり、嘘をついたり、彼らと交わした約束を守らなかったりした場合、彼の廉潔さは崩れ落ちます。しかし学者たちは、廉潔さを崩し落とさないけれどもそれに傷を付ける数多くの事柄があると述べています。例えば、卑劣な者たちとの付き合い、路上で守るべきマナーを遵守しない、女性について話す、ナツメヤシ一粒分でも秤をごまかそうとする、非合法なものから一口だけでも口に入れようとする、などです。他にも、路上での放尿、外を裸足で歩くこと、路上での飲食。学者たちは廉潔さを傷つける多くのシーンを挙げています。しかし私がここで皆さんに言いたいのは、低劣な者との付き合いについてです。次のアッラーの御言葉がその意味を示しています:

「信仰する者たちよ、アッラーを畏れ身を守り、誠実な者たちと共にいよ。」(悔悟章119節)

 

これこそが、人を罪から守ってくれるものです。99人の人を殺した男についての先述の有名なハディースには預言者(アッラーの祝福と平安あれ)からの教訓があります。つまり、違う世界が罪人を利息の地とその環境から遠ざけた、ということです。ですからあなたも善良な環境にいなければアッラーの御命令にまっすぐに決してなれなません。あなたが誰と付き合っているかであなたが誰か私には分かるのです。

 

司会:

善良ではないかもしれない環境にいる人たちに失望感を与えてしまうのでは?

 

先生:

ここで指針があります:劣悪な環境で生活するという運命の中に私が置かれている場合は、周りの人々とは違う高い礼節を身につける必要があります。理性上だけの話ではありません。私は周りの人々とともに生活していますが、彼らが陥ってしまっているような過ちに溺れず、彼らが入りきっている欲望にも溺れず、彼らの卑しさと同じにもなりません。満足できない環境で生活する人はいますが、それはその人の運命です。しかし己の礼節で周りの人たちの汚点から遠ざかることで、アッラーはその人の追従姿勢にお力添えしてくださります。

 

司会:

反逆的で罪深い環境で罪を犯してしまったけれども悔悟したい人についてはどうでしょうか。この環境を捨てない形で彼に示すことのできる指針はありますか?

 

先生:

アッラーが仰せの言葉を私も言いましょう:

「われらがその心をわれらの想念(唱名)から逸らせたために己の欲望に従うことになった者に従ってはならない。」(洞窟唱28節)

 

身体は彼らと共にあっても、彼らには従わない。この御言葉には大きな教育的指針が含まれています。

 

司会:

何にも逆らえない若い女性について。飲酒する父親が彼女に言います:酒を持ってこい、と。このようなことがたいていの場合、起きています。しかし彼女はアッラーの道標を辿ろうとし、アッラーへの服従に忠実で、アッラーに逆らうことを拒否し、アッラーの御満足を切願しています。彼女はどうすれば良いのでしょうか?

 

先生:

質問に答える前に、この混合状態の中にあるアッラーの英知を解明しましょう。劣悪な父親から清廉な女の子が生まれることもあれば、劣悪な女の子が善良な父親から生まれることもあります。これらから見える英知は、劣悪な父が規律正しい清らかな娘を見ることで、もしかすると「アッラーを思い起こすかもしれない」ことです。アッラーが善良な人と劣悪な人を一つの家族に混ぜ給うたのは、善良な人が劣悪な人に気づきを与え、彼の模範となるほかにありません。それに何人もの父親がその娘のおかげで導かれていますし、妻の手によって更正した夫も数多くいます。まさにこの混合状態には素晴らしい教育的英知があるのです:あなたが教師だとしたら、良い生徒と悪い生徒を隣同士に座らせたでしょう。そうすることで悪い生徒が良い生徒から良き態度の一部でも学び取ってくれるかもしれないからです。しかし悪い生徒2名を隣同士に座らせて起こるのは爆発です。ですから混合状態はアッラーの偉大なる英知の一つなのです。私たちはこのアッラーを知る清らかな若い女性に次のように助言しましょう:あなたがアッラーと強固につながる時、このつながりがあなたに高レベルの英知と抵抗を与えてくれるでしょう。ほかにも真理における雄弁な舌も与えてくれるでしょう。もしかするとアッラーは劣悪な環境にいるこの若い女性を父親の更正のためにまっすぐの道に導き給うかもしれないのです。信仰の真実は、周りに向かってそれを体現することでしか信仰者の心に留まっていることはありません。信仰者は否定的でなく、自分の殻に閉じこもっているだけでもなく、人生から撤退している人もでもありません。

ある飲酒している父親は息子が礼拝しているのを見かけるたびに彼を殴っているのですが、息子は懲りずに父親を何十年もかけて悔悟するまで助言し続けたことで父親が息子の価値を思い知ったという話を私は知っています。

ほかにも、シャームの酒場の持ち主の話も知っています。彼の娘は父親の(糧から得られる)食べ物を一切口にしませんし、父親から金銭をもらうこともしません。もし彼女が巨額が欲しいと父親に頼めば、父親は躊躇なく娘に与えられるのにです。しかし娘は父親の糧が非合法であるのを知って、アッラーの御命令に従おうとしたのです。信仰者とは、自分の知らぬ間に己のまっすぐな姿勢によって偉大な宣教者になっている人なのです。行動による宣教は舌による宣教よりもより影響があります。貞節、信頼、正直も宣教なのです。

 

司会:

次回も「正直な悔悟」についての話を続けます。

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