イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

預言者伝【番外編21】

2016年08月11日 | 預言者伝関連

完全なる模範、公の手本:

最後に、スライマーン・アン=ナダウィー先生の預言者伝『ムハンマドのメッセージ』から一部を抜粋して締め括りとします。先生はその著書の中で、いかに預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)が時代を問わず違った性格、職業、境遇、環境におけるあらゆる層に属する全人類の見本であったかや、アーダムの子孫一人一人のための模範と成り得たかをお述べになりました。先生(アッラーが彼を慈しみ給いますように)は次のようにおっしゃいました:

 

「預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)の人生は数豊かで多種な行いを描きました。その中には全段階における人間の生活のための「善良な模範」、「至高なるカリキュラム」がありました。なぜなら高い道徳と良き慣習、高貴で均衡のとれた感情と偉大で真っ直ぐな性向を統合したためです。

 

あなたが金銭的に裕福な人なら、ヒジャーズとシャーム地方の間を品物と共に行き来しておられた頃、バハラインの財宝を手中に収められた頃のアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)を模範としてください。もしあなたが何も持たない貧者なら、アブーターリブのもとで包囲されていた頃、また何も持たずに生まれ故郷から移住者としてマディーナに来られた彼(アッラーの祝福と平安あれ)を模範としてください。もしあなたが王者であれば、彼(アッラーの祝福と平安あれ)がアラブの地を所有された際、そしてアラブの僻地にまでそれが及び、アラブの強者たちや賢者が彼(アッラーの祝福と平安あれ)に服従するようになった際の彼(アッラーの祝福と平安あれ)のスンナ(慣行)と行いを模範としてください。またあなたが弱い市民であれば多神教徒たちの制度の中でマッカで支配された日々を過ごしていたアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の中に良い模範を見つけ出せるでしょう。もしあなたが勝利した征服者であれば、バドルやフナインやマッカで敵たちに勝利した日々の中にその分け前があるでしょう。もしあなたが敗者ーアッラーがそのようなことを運命づけ給わないことを望みますがーであれば、殺された教友たちや負傷した頑丈な同伴者たちの間にいらした彼(アッラーの祝福と平安あれ)が過ごしていたウフドの1日から訓戒を得てください。もしあなたが教師であるなら、マスジドで教友たちを教えてらっしゃった彼(アッラーの祝福と平安あれ)を見てください。もしあなたが学習する生徒なら、ジブリールの面前で跪き指導を乞う彼(アッラーの祝福と平安あれ)の姿を思い浮かべてください。もしあなたが助言を与える訓戒者、信頼おける指導者であれば、預言者マスジドで人々に説教する彼(アッラーの祝福と平安あれ)に耳を傾けてください。もしあなたが真理を確立し、善を実行したいけれどもあなたには援助者も味方もいないなら、マッカにおいて弱く、助けてくれる援助者も味方になってくれる味方もいないのに真理へと人々を誘い、それを公言していた彼(アッラーの祝福と平安あれ)を見てください。もしあなたが敵を負かしその力を削いでその抵抗を押し込めた結果、あなたのおかげで真理が顕現して不正が滅んで事が安定したのなら、マッカに入り征服した日の預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)を見てください。もしあなたが自分を改善して、自分の土地を世話したい思うなら、アン=ナディール族やハイバル、ファダクの土地を征服し、それらを改善などして、その世話の適任者に仕事をさせた彼(アッラーの祝福と平安あれ)を見てください。あなたが孤児なら、アーミナとその夫アブドゥッラーの愛しい息子を見てください。彼ら二人は息子が乳飲み子であったころに亡くなっています。もしあなたが幼齢なら、愛情溢れる乳母、ハリーマ・アッ=サアディーヤが乳を飲ませた偉大なる乳児を見てください。もしあなたが青年なら、マッカの羊飼いの伝記を読んでください。もしあなたが品物をと共に旅する貿易商なら、「ブスラー」を目指したキャラバンのリーダーに注目してください。もしあなたが裁く人なら、「黒石」をその定位置に納めるためにカアバを夜明け前に目指した判定人を見てください。その時、マッカのリーダーたちは争いかけていたのです。そしてどうかもう一度彼(アッラーの祝福と平安あれ)に目を向けてください。彼(アッラーの祝福と平安あれ)はマディーナのマスジドで人々の間を公正に裁いていらっしゃいます。彼(アッラーの祝福と平安あれ)のもとでは一文無しも金持ちも同じ地位にいます。もしあなたが夫なら、ハディージャとアーイシャの夫の清らかな生き様、穢れのない生活を見てください。あなたが子どもの父であるなら、ファーティマ・アッ=ザハラーの父、アル=ハサンとアル=フサインの祖父から学んでください。あなたがどんな人であれ、どんな状態にあれ、あなたがどんな朝を迎え、またどんな夜を迎えても、どんな状態で眠ってまたどんな状態で起きても、ムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)の人生の中にあなたにとって良き贈り物、あなたの人生の暗黒をその光で照らしてくれる良き模範があります。生活の暗さがその光によって明らかになることであなたの中で混乱していたことが片付き、彼(アッラーの祝福と平安あれ)の導きであなたの曲がったところがまっすぐになり、彼(アッラーの祝福と平安あれ)のスンナであなたの不調が整い、すべての分野で包括している素晴らしいその生き様は良き性格の基礎、教えの複合体です。それは人生の全段階における、そして人それぞれの状態における地上の民衆、人々すべてのためのものです。」

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預言者伝【番外編20】

2016年07月21日 | 預言者伝関連

情けと大きな慈悲:

前述の彼(アッラーの祝福と平安あれ)の勇敢さに加えて、彼は繊細な心を持つすぐに泣いてしまうお方でした。弱い立場にある人たちへ同情を寄せ、また動物や家畜を慈しみ、人々には彼らに思いやりをもって接するよう忠告しました。教友シャッダード・イブン・アウス(アッラーの御満悦あれ)は彼(アッラーの祝福と平安あれ)について次のように伝えています:アッラーの使徒へはおっしゃいました:まことにアッラーは「イフサーン」(より良く行う事、実行において最善を尽くす事)を万物の上に定め給うた。おまえたちが殺すときには殺し方を最善にしなさい。屠るときは屠り方を最善にしなさい。おまえたちは(切るための)刃をしっかりと研ぎなさい、屠られる家畜を苦しめないために。(ムスリム伝承)

 

教友イブン・アッバース(アッラーの御満悦あれ)によると、羊を横たわらせながら刃を研いでいた男に預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)がおっしゃいました:おまえはこれ(羊)を二回殺したいのか?羊を横たわらせる前に刃を研げないのか?(アッ=タバラーニーとアル=ハーキム伝承)

 

彼(アッラーの祝福と平安あれ)は動物の餌やりや水を与えること、能力以上のことを課さないことを教友たちに忠告しました。

 

また、動物たちから苦難を取り除いたり、労わることには報奨があり、アッラーに近づけてくれる行為であると強調しました。教友アブーフライラ(アッラーの御満悦あれ)によると彼(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:ある男が歩いていると喉の渇きが激しくなった。井戸を見つけたのでその中へ降りて行き、出てきた。そこには喉の渇きを癒そうと土を食べながら息を切らしている犬がいた。男は言った:この犬も俺の喉の渇きと同じものを感じているな。すると井戸の中に降りていき、その靴を水で満たし、犬の口元へ運び、飲ませた。アッラーはこの男の行為に喜び給い、彼を赦し給うた。人々が言った:アッラーの使徒さま!私たちには家畜においても報奨があるのですか?彼はおっしゃった:すべての湿気ある肝臓を持つものにおいて報奨がある。(アル=ブハーリーとムスリム伝承)

 

教友アブドゥッラー・イブン・ウマル(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は次のようにおっしゃいました:ある女が猫のために罰を受けた。彼女は猫に餌をやらず、水をやらず、大地の虫を自分で食べることもさせなかった。(ムスリム伝承)

 

教友サハル・イブン・アムル(アッラーの御満悦あれ)によると彼は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が背中と腹がくっついたラクダに通りかかっておっしゃいました:話すことのできない家畜においてアッラーをおそれなさい!良い状態で彼らに乗り、良い状態で彼らを食べなさい。(アブーダーウード伝承)

 

教友アブドゥッラー・イブン・ジャアファル(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がアンサールの男の家に入りました。そこにはラクダがいました。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がを見たラクダは気持ちが高揚し、その目は涙であふれました。預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)はラクダのところへ行かれ、そのこぶをお撫でになり、おっしゃいました:このラクダの主人は誰だ?誰のラクダだ?するとアンサールの青年が現れ、これは私のものです、アッラーの使徒さま、と言いました。彼(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:アッラーがおまえに所有させ給うたこの動物においてアッラーをおそれないのか。まことにこのラクダは私におまえが彼に腹を空かさせ、我慢を強いていると訴えている。(アブーダーウード伝承)

 

教友アブーフライラ(アッラーの御満悦あれ)が次のように伝承しています:彼は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:土地が肥沃な時期におまえたちが旅する場合、土地における権利をラクダに与えなさい。土地が乾いている時期におまえたちが旅行する場合、彼らの(歩く)道のりを早く渡れるようにし、旅路の始めの力を保てるよう急ぎなさい。おまえたちが夜中に休憩をとる場合、道は避けなさい。夜間のそれは動物たちの道であり、虫たちの住処であるから。(ムスリム伝承)

 

教友イブン・マスウード(アッラーの御満悦あれ)は言いました:わたしたちはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)と共に旅をしていました。彼は何かの用事でどこかへ行かれました。(残った)わたしたちは二羽の雛を持つ鳥を見つけ、わたしたちはその雛を取り上げました。すると鳥は翼を広げ出しました。そこへ預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)がいらっしゃり、おっしゃいました:誰がこの鳥をその子をもって驚かしたのだ?雛を鳥に返しなさい。またわたしたちがすでに燃やし終えたたアリの巣を見ておっしゃいました:誰がこれを燃やした?私は言いました:わたしたちです。彼はおっしゃいました:火の主人以外の者が火で罰することがあってはならない。(アブーダーウード伝承)

 

召使や雇われ人については言うまでもありません。いずれも人間で、主人や雇い人に対して持ち前があります。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は召使と奴隷たちに良くするようにと遺言済みです。教友ジャービル(アッラーの御満悦あれ)は預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)が奴隷たちに良くするよう忠告していたと伝えています。彼は次のようにおっしゃっていました:おまえたちが食べるものから彼らを食べさせなさい。おまえたちの服から彼らに着せなさい。そして至高偉大なるアッラーの被造物を苦しめてはならない。(アル=ブハーリー伝承)まことにおまえたちの兄弟はおまえたちの奴隷であるが、アッラーは彼らをおまえたちの手の下に置き給うた。それゆえ彼の兄弟が彼の手の下にいる場合、彼が食べるものから彼を食べさせ、彼が着るものを彼に着せなさい。彼らを圧倒することを彼らに課さず、彼らを圧倒することを彼らに課した時には彼らを手伝いなさい。(アル=ブハーリー伝承)

 

教友アブドゥッラー・イブン・ウマル(アッラーの御満悦あれ)は言いました:ある砂漠の民の男が預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)のところへ来て言いました:アッラーの使徒さま!毎日、どのくらい召使を赦したらよいでしょうか?彼(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:70回。(アッ=ティルミズィーとアブーダーウード伝承)

 

教友イブン・ウマル(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:雇われ人の汗が乾く前に報酬を与えなさい。(イブン・マージャ伝承)

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預言者伝【番外編19】

2016年05月05日 | 預言者伝関連

彼(アッラーの祝福と平安あれ)の勇敢さと恥じらい:

 

彼(アッラーの祝福と平安あれ)は、恥じらいと勇敢さをまとめて備えていらっしゃるお方でした。しかし多くの人たちは、この二つの性質は矛盾しあっているものだと考えていました。恥じらいに関しては、教友アブー・サイード・アル=フドリー(アッラーの御満悦あれ)が伝えている通りです:彼(アッラーの祝福と平安あれ)は、カーテン後ろの処女よりも恥じらい深く、彼が何かをお嫌いになるときは、私たちは彼の表情からそれを察しました。(アル=ブハーリー)また、彼がお嫌いになることで誰かと対面することを彼の恥じらいが彼を制することもありました。そういうときは、誰に委託していらっしゃいました。教友アナス(アッラーの御満悦あれ)は伝えています:※スフラの跡を付けた男が彼(アッラーの祝福と平安あれ)のところにいたのですが、彼(アッラーの祝福と平安あれ)はお嫌いになることで誰かと顔をあわせることを避けていらっしゃいましたので、男が立ち上がった時、「お前たち、スフラをやめるよう、あの男に言えば良いのに」と人々におっしゃいました。(アッ=ティルミズィー)

 

※スフラ:女性用の黄色く着色する香料。男性は芳香を付けることだけが好ましいとされる。

 

彼(アッラーの祝福と平安あれ)の奥様、アーイシャ様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)は、誰かが彼の嫌い行為をしているとの知らせを受けると、「~~と言っている~~はどういったことか」とはおっしゃらず、「~~を行っている、または言っている人々はどういったことか」とおっしゃってその行為を禁じていらっしゃり、行為をしている人物の名を挙げることはありませんでした。(アブー・ダーウード)

 

勇敢さについては、騎士の中の騎士、若者の中の若者のアリー(アッラーの御満悦あれ)の言葉で十分でしょう。彼は言いました:私たちは状況が厳しくなり、戦火が激しくなると、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)を盾にして身を守りました。彼の他に敵に最も近い者はいないのです。バドルの日、私たちが敵に最も近い預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)を盾にしたのをあなたは見たでしょう。

 

教友アナス(アッラーの御満悦あれ)は言いました:預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)は人々の中で最も素晴らしく、寛大で、勇敢なお方でした。ある夜、マディーナの住人が怖がることが起きました。人々は音のする場所へと向かったのですが、そこには先に向かった預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)が彼らを出迎えて、おっしゃいました:「恐れることはない、恐れることはない」。彼は馬鞍を付けていないアブー・タルハの馬に乗っていらっしゃいました。またその首には剣がぶら下がっていました。「これ(馬)は※早く走った」とおっしゃいました。

※マンドゥーブと名を付けられていたこの馬は遅く走ることで知られていたが、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に与えられた祝福により、とても早く走ったとのこと。

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預言者伝【番外編18】

2016年04月07日 | 預言者伝関連

●彼(アッラーの祝福と平安あれ)の謙遜:

彼(アッラーの祝福と平安あれ)の謙遜はそれにおける度を超越していました。そのような彼は、何かにおいて物事を区別したり、人々が彼のために立ち上がったり、過去の共同体たちがその預言者たちを湾曲してしまったように彼を湾曲するに至らしめるほどに彼を褒めすぎることをお好みになりませんでした。他にも、しもべ性と使徒性以上の位に彼らによって持ち上げられることもお好みになりませんでした。教友アナス(アッラーの御満悦あれ)はいいました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)以上に愛おしい人など私たちにはいませんでした。そのため、私たちが彼がいらっしゃるのを見ても、私たちが彼のために立ち上がることを彼がお嫌いであることを私たちは知っているので、立ち上がりませんでした。(アッ=ティルミズィー)また、「最善の創造よ!」と呼ばれて彼は、「それはイブラーヒーム(アッラーの平安あれ)だ」と言われました。(ムスリム)

 

また、教友ウマル・イブン・アル=ハッターブ(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は言われました:おまえたち、キリスト教徒たちがマルヤムの子イーサーを湾曲したように私を湾曲しないように。私は単なるしもべに過ぎない。それゆえ、「アッラーのしもべであり彼の使徒である」と言いなさい。(アル=ブハーリー)

 

教友アブドゥッラー・イブン・アビーアウファー(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は奴隷や未亡人の用事が済むまでの間、彼らと歩くことを軽んじませんでした。(アル=バイハキー)教友アナス(アッラーの御満悦あれ)は言いました:マディーナのとある女児は預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)の手を取って、彼を彼女が望むままに連れて行きました。

 

また、教友アディー・イブン・ハーティム・アッ=ターイー(アッラーの御満悦あれ)がアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)を訪れた際、彼を自宅に招きました。女の召使いが座布団を彼(アッラーの祝福と平安あれ)に渡すと、彼とアディーの間に置き、彼ご自身は地面の上にお座りになりました。この様子を見たアディーが言いました:その時私は思い知ったのです。彼(アッラーの祝福と平安あれ)は王ではないと。

 

教友アナス(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は病人を見舞い、葬儀に参列し、ロバにのあり、奴隷の呼びかけに応えられました。

 

教友ジャービル(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は(大人数での移動などで)後方で遅れをとりながら、弱者をいたわりつつ進み、その者のために祈りました。

 

教友アナス(アッラーの御満悦あれ)によると、彼(アッラーの祝福と平安あれ)は大麦のパン、匂いが変わったペーストの食事に招待されても、お応えになりました。

 

また次のように伝えられています:私は、奴隷が食べるように食べるしもべにすぎない。奴隷が座るように私も座る。(アッ=ティルミズィー)教友アブドゥッラー・イブン・アムル・イブン・アル=アースは言っています:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が私のところに入られた時のことです。私は彼に繊維を詰めた皮のクッションを渡したのですが、彼は地面の上に座られました。そのためクッションは私と彼の間に留まりました。

 

彼(アッラーの祝福と平安あれ)は家を掃除され、ラクダを縛り、家畜に餌を与え、召使いたちと食事を共にし、パン生地を捏ね、市場から荷物をお運びになりました。

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預言者伝【番外編】17

2016年03月11日 | 預言者伝関連

教えの強固さを守ることとその精神と教えへの情熱:

アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は、想像出来ない位の穏やかさ、物腰の柔らかさ、忍耐強さで人々の間違いや失言などに応じていらっしゃっていたと同時に、教えの強固さを守ることに厳しく、その精神と教えへと唯一神信仰への情熱に燃え、共同体が過ちや度を越してしまうことや個人の神聖化や無明時代への逆戻りに巻き込まれてしまう危険に晒されることに大いに注意を配っていらっしゃいました。彼がこれらを容赦することは決してなく、また指導的利益や政治的配慮がこのような事柄を断固否定することを制することもありませんでした。これらにおいて彼がその他の指導者や政治家と大きく違っていたことは明らかです。

 

その中の分かりやすい例を見てみましょう。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の息子様のイブラーヒーム様が亡くなった時のことです。彼の亡くなった日に日食が起き、人々が言いました:イブラーヒーム様の死を機に日食が起きた、と。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は説教なさっておっしゃいました:まことに太陽と月はアッラーのお印の中の一つである。誰かの死や生のために日食・月食が起こることはない。もしおまえたちがそれらを目撃したなら、アッラーに祈り、アッラーを偉大さを称え、礼拝を捧げ、喜捨しなさい。(アル=ブハーリー、ムスリム)

 

もし、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)のこの悲しい出来事の中での立場が他の宣教者や指導者などのものだったら、出来事に対する反応はきっとこの発言よりも位の低いものだったはずです。それはおそらく「沈黙」です。なぜならそれが彼らの活動に有利で、自分と家族の役に立つものや賞賛を与えてくれるからです。これらは民衆を引率する人や国や政府の設立者が望んでいるもので、彼らはそれを得るためにあらゆる作戦を講じます。アッラーはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に目に見えない形で用意し給うているので、彼(アッラーの祝福と平安あれ)が沈黙してもお咎めはないのですが、彼はかの言葉を聞いて黙っていることはできず、信仰の腐敗を招くであろうこの幻想を払拭するためにすぐ行動に出られました。自然現象や被造物におけるアッラーの諸慣行と人間の個々人に起きることを関連付けてしまうこと。その人が預言者や預言者の子孫や親族で彼らの出生や死去や健康や病といったことと関係がある、とするのは、古いです。こういった考え方は、過去の文明にあった多神崇拝や人の神聖化が由来していますが、彼(アッラーの祝福と平安あれ)は無明時代からこれらを払拭し、そして真実を解明し、そういった現象には特別な礼拝ー日食・月食の礼拝ーをお定めになりました。そうすることで、至高なるアッラーとしもべたちの繋がりを強くし、無明時代の悪の芽を精神と理性から摘み取るのです。

 

またアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は、ある男が「アッラーがとあなた様がお望みになられた」と言った時に黙っていませんでした。彼(アッラーの祝福と平安あれ)は答えておっしゃいました:おまえは私をアッラーの同位者に仕立て上げたのか、と。また他の男が演説しながら「アッラーとその使徒に従う者は正道を歩んでいる。しかし両者に背けば正道を踏み外したことになる。」彼(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:「おまえは悪い演説者だ」。(アブー・ダーウード)

 

このようなシーンに、「預言者的立場」、そしてその他の指導者や偉人たちを超える預言者たちが特徴的に持っている性質がはっきりと現れます。エゴイズムであったり、度を越していようが賞賛や褒めちぎりを許容したりということがないのです。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は、これらにおいての預言者たちのリーダーであり、完璧な模範者でいらっしゃいました。彼は次のようにおっしゃいました:キリスト教徒たちがマルヤムの子を湾曲させたように、おまえたちは私を湾曲してはいけない。まことに私は彼のしもべなのだから。人々は:(あなた様は)彼のしもべであり、彼の使徒でいらっしゃいます、と言いました。

 

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預言者伝【番外編16】

2016年01月28日 | 預言者伝関連

教友ジャービル様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:私たちはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)と共にナジドの戦に赴きました。途中で眠気が彼を襲いました。そこはとげの多い土地でした。彼は木の下に降り、そこに陰を求めました。木に剣を引っ掛けてお眠りになると、人々は散らばって、木の下の陰に入りました。私たちがそのようにしていると、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が私たちをお呼びになるので駆けつけました。するとある田舎者が彼の目の前に座っていました。彼はおっしゃいました:私が眠っている間にこの者が現れた。彼が私の剣をその鞘から出した時、私は目を覚ました。彼は私の頭上に剣をぶら下げて立っていた。そして言った:私からおまえを制するのものは何だろうか?私は言った:アッラーだ。すると、剣を鞘に戻し、座り込んだ。そして男はそのような状態で居続けました。ジャービル様は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は彼を罰しませんでした。

 

また彼の寛大さは教友たちの寛大さが及ばないところにも及んでいました。教友たちは寛大さと冷静の持ち主たちであるのですが。そして彼(アッラーの祝福と平安あれ)は友人であるとともに教師であり、慈悲深い改善者でいらっしゃいました。それについて教友アブーフライラ様(アッラーの御満悦あれ)は言っています:ある田舎者がマスジドの中で放尿しました。すると彼を責めようと人々が立ち上がりました。アッラーの使徒は人々を制しておっしゃいました:彼を放っておきなさい。放尿の跡の上からたくさんの水を流しなさい。おまえたちは、困難をもたらす者たちとしてではなく、容易をもたらす者たちとして送られたのだから。

 

教友ムアーウィヤ・イブン・アル=ハカム様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:私がアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)と礼拝している時のことです。一人の男がくしゃみをしたので、私が:アッラーがあなたに慈悲を掛けたまいますよう!と言ったところ、人々が私を一斉にジロリと見てきたのです。なんてこった、なんで俺を見てるんだ!と言うと、彼らは自分たちの膝を叩き始めたのです。彼らが私を黙らせようとするのを見て私は黙りました。そして、私の父と母を彼のために犠牲にしても良いお方、預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)が祈りを終えられました。私は彼以前にも彼以後にも彼より優れた教師を見たことがありません。アッラーにかけて、彼は私をお叱りになったことも、打ったことも、罵ったこともありません。彼はおっしゃいました:まことにこの礼拝は、人の言葉が言われるべきものではない。まことにそれ(礼拝)は、タスビーフ、タクビール、クルアーンの読誦である。(ムスリム)

 

また教友アナス・イブン・マーリク様(アッラーの御満悦あれ)も言っています:預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は慈悲深いお方でした。彼を訪れた人には必ず約束をするか、彼が何かをもっていらっしゃればその中から訪問者にお与えになりました。ある時、礼拝が始まって、ある田舎者がが現れて、彼(アッラーの祝福と平安あれ)の服の裾を掴みました。私の用事はあと少しで終わるし、忘れてしまうのが心配だ、とおっしゃって、男とお出かけになり、用事が済むと礼拝にお立ちになりました。

 

彼(アッラーの祝福と平安あれ)の忍耐強さの例の一つを見てみましょう。彼に若くから召使いとして仕えてきた教友のアナス・イブン・マーリク様(アッラーの祝福と平安あれ)は言いました:私は預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)に10年間仕えましたが、怒りや不快をお表しになったり、どうしてこんなことをしたのかとおっしゃったり、しなかったのかとおっしゃったことは一度もありませんでした!

 

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預言者伝【番外編15】

2016年01月08日 | 預言者伝関連

彼(アッラーの祝福と平安あれ)の寛大さと忍耐強さ:

アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は全被造物のトップであり、性格の素晴らしさと精神の高貴さと謙遜における教師でした。至高なるアッラーは次のように仰せです:「また、まことにおまえは偉大な徳性の上にある。」(筆章4節)彼(アッラーの祝福と平安あれ)もおっしゃいました:《主はわたしを躾け給うたが、その躾け具合は最良である。》また教友ジャービル様(アッラーの御満悦あれ)によると預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:《まことにアッラーはわたしを良き徳性を完成させ、良き行為の完了のために派遣し給うた。》またアーイシャ様(アッラーの御満悦あれ)は彼(アッラーの祝福と平安あれ)の性格について問われて言いました:《彼の性格はクルアーンでした。》(ムスリム)

また彼は、赦しと強い忍耐と寛大な心と我慢強さをお持ちでした。そこに賢い者たちの賢さも、詩人たちの空想も届きません。疑いの余地のない伝達経路がなければ、人々は彼(アッラーの祝福と平安あれ)を受け入れることはなかったでしょうが、実際は繋がった正しい伝達経路で、公正な人から公正な人に伝えられ、それが重なり、膨大な数で伝承されたことによって、信頼できる歴史よりもより確定した情報が元になっているのです。私たちには、このような形で伝承された一部のみで十分です。

彼(アッラーの祝福と平安あれ)の一番大きな敵に対する寛大さ・心の広さ・誠心的行為の一つを見てみましょう。かつてアブドゥッラー・イブン・ウバイという当時の偽信仰者のトップが死んだために墓穴に入れられた時のことです。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は人に命じて彼をそこから一旦出し、遺体をそのお膝の上に置かれ、彼の唾を遺体にかけ、ご自身の上着を遺体にかけられました。

教友アナス様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:私はアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)と歩いていました。彼(アッラーの祝福と平安あれ)はザラザラしたナジュラーンの服を着ていらっしゃいました。ある田舎者が現れて、彼(アッラーの祝福と平安あれ)の服を激しく引っ張りました。私は預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)の首筋が男が服を激しく引っ張ったために跡がついてしまったのを見ました。男が言いました:ムハンマド!おまえが持っているアッラーのお金からいくらばかりか恵んでくれ!私が彼(アッラーの祝福と平安あれ)の方へ振り向くむと、彼(アッラーの祝福と平安あれ)はお笑いになり、田舎者に恵ものを与えるよう命じました。(アル=ブハーリー) 

ザイド・イブン・サアナ様(アッラーの御満悦あれ)がイスラームに帰依する前のお話です。彼が預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)のところに来て、借金返済を求めました。その際、彼(アッラーの祝福と平安あれ)の肩から衣服をグッと引っ張り、粗野な態度で言いました:本当におまえたちアブドゥルムッタリブ一族は返済を怠る者たちだな。それを聞いていたウマル様(アッラーの御満悦あれ)が彼を叱りつけ、厳しく言い寄りました。このようなやりとりを預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は微笑みながらご覧になっていました。そしておっしゃいました:わたしと彼はこれ(ウマル様の怒り)ではないことをおまえよりも必要としているのだよ、ウマル!おまえはわたしに良い借金清算を命じ、彼には良い告訴を行うよう命じなさい。そして続けておっしゃいました:期限は3日残っている。彼(アッラーの祝福と平安あれ)はウマルに借金返済を命じ、その上に、ウマル様がザイド様を驚かせたお詫びとして20サーア(分の食料等)を追加するよう命じました。そしてこれがザイド様がイスラームに帰依するきっかけになりました。

教友アナス様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:マッカの武装した80人の男がアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)を目指してタヌイーム山から降りてきました。彼らは預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)の不意を狙っていました。しかし彼(アッラーの祝福と平安あれ)は彼らを捕虜にし、生かしておきました。

 

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預言者伝【番外編14】

2015年12月10日 | 預言者伝関連

人間らしい繊細な感情と愛の高貴さ:
預言者としての任務・宣教の責務、高くそびえ立つ山々でさえも抱えられない人間としての悩み・悲しみ・重荷の中、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の中に人間らしい繊細な感情と人間特有の高貴な愛がそれらの最も美しい形で現れました。諸預言者に際立っている彼の厳格さと決心の強さ、宣教の道・アッラーの御名前の高揚・アッラーの御命令の遂行の前で何かが優先されることはないのですが、彼は彼の呼びかけに応じ、アッラーの道のために力と魂を捧げ、ウフドの戦で殉教した誠実な教友たちをお亡くなりになるまで忘れることはありませんでした。彼はいつも彼らを思い出し、彼らのために祈り、訪問しました。この愛情はこの戦が起きた場所にも向かいました。教友たち(アッラーの御満悦あれ)は彼について伝承しています:彼はおっしゃいました:《この山はわれわれを愛し、われわれもこの山を愛する。》(アル=ブハーリー)教友アナス様(アッラーの御満悦あれ)によると彼(アッラーの祝福と平安あれ)の目の前にウフド山が現れるとおっしゃいました:《この山はわれわれを愛しており、われわれもこの山を愛する。》アブーフマイド様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:私たちはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)とタブークの戦から戻って来る際にマディーナに近づいた時におっしゃいました:《これはターバである。そしてこれはわれわれを愛し、われわれも彼を愛する山である。》(アル=ブハーリー)

教友ウクバ様(アッラーの御満悦あれ)によると、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はある日お出かけになり、ウフドの戦で亡くなった人たちのために祈りを捧げました。(アル=ブハーリー)また、ジャービル・イブン・アブディッラー様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:私はアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がウフドの仲間を思い出して、ああ、アッラーに誓って。かの仲間たちと共に(ウフド)山の広場で天に召されたかった、とおっしゃるのを聞きました。(アハマド)

また彼(アッラーの祝福と平安あれ)は、父方のおじであり、乳兄弟であり、また彼のために怒り、マッカでは彼を庇い、ウフドの戦で殉教し、戦死者の中で彼以上に見せしめにされたことはないハムザ様(アッラーの御満悦あれ)の死を使徒らしく耐えられました。しかしウフドからマディーナに帰られた際、アブドゥ=ル=アシャハル家の館のそばをお通りなり、聞こえてきた鳴き声や死者に対する悲しみの声が彼の心を揺さぶりました。そしてその瞳には涙が溢れ出ました。《しかしハムザのために泣く者はいない》とおっしゃいました。

彼(アッラーの祝福と平安あれ)のこの人間らしい感情が預言者としての、そして宣教における責任を後回しにしたり、アッラーのための行動を止めることはありませんでした。預言者伝の著者たちは、教友サアド・イブン・ムアーズ様とウサイド・イブン・フダイル様(アッラーの御満悦あれ)がアブドゥ=ル=アシャハル家の館に戻った際、女たちに帯を締め、出かけて行き、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)のおじのために泣くよう命じたところ、その通りに彼女たちがしたことを伝承しています。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がマスジドの門のところで彼女たちのハムザ様の死を悲しむ鳴き声をお聞きになると、彼女らのもとに赴きになり、おっしゃいました:《さあ、皆さん戻りなさい。アッラーがおまえたちを慈しみ給うよう。もう十分してくれた。》他の伝承によると彼はおっしゃいました:《これは何だ?》アンサールが女たちにさせたことだと知らされると、彼は彼らが赦されるよう祈り、彼らについて良いことをお話しになりました。そしておっしゃいました:《これは私が望んだことではない。》泣くことをお好みにならず、それを禁止されました。この逸話以上にきめ細やかな対応を実はワハシーになさいました。ワハシーはアッラーの獅子、アッラーの使徒の獅子と呼ばれたハムザ様(アッラーの御満悦あれ)を殺した人物です。アッラーが信徒たちのためにマッカを開き給うた際、ワハシーはどうしたら良いか分からず、シャーム方面かイエメンか他の国に移ろうかと考えました。この世がとても暗くなってしまった時、「おい、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はその教えに入った者を殺すことはないぞ」と言われて、心からの信仰告白を唱えました。そしてアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)のところに行き、彼(アッラーの祝福と平安あれ)も彼を怖がらせることなく、ワハシーのイスラームを受け入れられました。そしてワハシーは彼(アッラーの祝福と平安あれ)にハムザを殺した話をしました。話し終えた時、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の中である感情が動きました。それは彼の預言者という高貴な立場を邪魔して、ワハシーの帰依を否定したり、己を怒らせたり、仕返しにワハシーを殺したりするようなものではありませんでした。ただ、次のようにおっしゃっただけでした:どうか、おまえの顔を現さないように、わたしがおまえを見ることがないようにしなさい。ワハシーは言いました:私はアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に見られないように隠れていました。アッラーが彼を召し給うた時までそうしていました。

他の伝承には:彼(アッラーの祝福と平安あれ)が私をご覧になった際、おっしゃいました:おまえがワハシーか?私がその通りですと答えると、おまえがハムザをころしたのか?とおっしゃいました。私は:あなた様がお聞きになった通りですと答えたところ、では、おまえの顔を私から遠ざけることは可能か?とおっしゃいました。(アル=ブハーリー)

また、墓のそばにお座りになり、悲しさがこみ上げてお泣きになるということもありました。《これはワハブの娘アーミナの墓。》とおっしゃいました。それは彼女が亡くなって長い月日が流れてからのことでした。

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預言者伝【番外編13】

2015年11月12日 | 預言者伝関連
天性の中庸さと嗜好の良さ:
アッラーはその使徒(アッラーの祝福と平安あれ)を完全な姿形・性格に創り給いました。そして彼(アッラーの祝福と平安あれ)は、天性の中庸さ、嗜好の良さ、感覚の繊細さ、適切さ、節倹、過剰・怠慢からの遠ざかりにおいてその頂点にいらっしゃるお方でした。アーイシャ様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:《アッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)は二つの事柄のいずれかを選ぶ際、罪でない限りより容易な方をお選びになりました。もしそれが罪である場合、彼は人々の中で(それから)もっとも遠ざかっていらっしゃるお方でした。》(ムスリム)

また彼(アッラーの祝福と平安あれ)は、人々の中でもっとも気取りや、度を越した清貧、自我の権利を奪うことから遠ざかっていらっしゃるお方でした。アブーフライラ様(アッラーの御満悦あれ)によると、アッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)は次のようにおっしゃいました:《まことに宗教は容易である。(誰でも)宗教を厳しくする者は必ず負ける。それゆえ中庸を求め、(それができなければそうなるよう)近づきなさい。そして喜びなさい。朝の活動、日の入り、そして夜の一部をもって助けを求めなさい。》(アル=ブハーリー)イブン・アッバース様(アッラーの御満悦あれ)によると、預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は「どのような宗教がアッラーがもっとも御好みになるものでしょうか?」と尋ねられておっしゃいました:《純正で寛容なもの》。

イブン・マスウード様(アッラーの御満悦あれ)によると預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:《狂信者たちは滅びた》(ムスリム)。また、宣教と教育のために派遣した者たちにおっしゃいました:《容易にし、難しくしてはならない。吉報を与え、怖がらせてはならない。》アブドゥッラー・イブン・アムル・イブン・アル=アース様(アッラーの御満悦あれ)によると彼(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:《まことにアッラーは彼の恩恵のしるしをしもべに見出すことを好み給う。》(アッ=ティルミズィー)

彼の家で、彼の妻と家族と:
家にいるときの彼(アッラーの祝福と平安あれ)は、一人の人間でいらっしゃいました。アーイシャ様(アッラーの御満悦あれ)は次のように言っています:彼はご自分の服をきれいにし、羊の乳搾りをし、ご自分のことはご自分でなさっていました。彼女は次のようにも言いました:彼はご自分の服を繕い、サンダルを修繕していました。「アッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)は家族に何をなさっていましたか?」、とこれらのようなことを質問されて言いました:《彼は家族の仕事をなさり、礼拝が訪れると礼拝のためにお出かけになりました。》(アル=ブハーリー)

他の伝承:《(彼は、)ご自分のサンダルを修繕し、服を縫い、皆さんの誰もが家で行っているようなことをなさっていました。》(アブドゥ=ッラッザーク)アーイシャ様(アッラーの御満悦あれ)は次のようにも言いました:彼は人々の中でもっとも柔らかく、寛大でいらっしゃいました。そしてよく笑い、よく微笑まれるお方でした。(イブン・アサーキル)アナス様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)以上に家族に慈悲深いお方を私は見たことがありません。(アハマド)アーイシャ様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:《アッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)は次のようにおっしゃいました:最善の者とは家族に最善の者のことである。そして私はお前たちの中で家族に対し最善の者である。》(イブン・マージャ)アブーフライラ様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)は食べ物を非難なさったことなど一度もありません。食欲があればお食べになり、気に入らなければ残されました。

緊迫時には親族を最前列に立たせ、安泰時・戦利品を得る時には彼らを最後列にする:
彼(アッラーの祝福と平安あれ)の家族・親族・近親者における常なるモットーは、危険時や被害のある時には彼らを最前列に立たせ、安泰時や戦利品が入る時には彼らを最後列に配することでした。かつてウトゥバ・イブン・ラビーア、シャイバ・イブン・ラビーア、アル=ワリード・イブン・ウトゥバー彼らはアラブの有名な勇者たちでしたーが、元々の宗教を捨ててマッカを出ていったマッカ出身の者を一騎打ちの相手として要求してきました。アッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)は誰よりも戦時における彼らの地位と強さを知っていらっしゃいました。アッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)は、「ハムザ、アリー、ウバイダ、立ちなさい!」と呼びかけました。この三人は、血縁的に彼にもっとも近い人たちで、また彼に愛されている人たちです。彼(アッラーの祝福と平安あれ)は彼ら以外の誰をも優先することもありませんでした。至高なるアッラーの御計画のうちとして、彼らには相手に対する勝利を定め給いました。ハムザとアリーは無事で、ウバイダを傷を負って戻ってきました。

またアッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)が利息の禁止と古い無明時代の血の代償の無効化をお望みになった際、まず父方のおじアル=アッバース・イブン・アブドゥルムッタリブとハーシム家の彼の兄弟の息子、ラビーア・イブン・アル=ハーリス・イブン・アブドゥルムッタリブから開始しました。別れの巡礼時の説教の際に彼はおっしゃいました:《無明時代の利息は放棄される。私は第一にわれわれの利息を放棄する:アッバース・イブン・アブドゥルムッタリブの利息である。無明時代の血の代償も放棄される。私が第一に放棄するわれわれの血はラビーア・イブン・アル=ハーリスの血である。》(ムスリム)

代わって安泰時や戦利品を得る時、彼(アッラーの祝福と平安あれ)はいつも彼らを最後にし、ー諸王や指導者などとは違ってー彼ら以外の人たちを優先しました。アリー様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:ファーティマ(彼女に平安あれ)は石臼の仕事の辛さを訴えていました。アッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)が捕虜を連れてきたという知らせが彼女に入ると、彼に召使いをもらおうと会いに行ったのですが、彼はいらっしゃいませんでした。そこでアーイシャに伝え、預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)がいらっしゃった時にアーイシャがその話をしたところ、彼ご自身が私たちのところにいらっしゃいました。私たちはちょうど寝床についたところでした。私たちが立ち上がろうとすると、そのままでいなさい、とおっしゃいました。私は彼の足の冷たさを私の胸が感じたのです。そして彼はおっしゃいました:おまえたちが私に求めたものよりもさらに良いものを示そうか。おまえたちが寝床につく時、アッラーフアクバルを34回、アルハムドゥリッラーを33回、スブハーナッラーを33回唱えなさい。まことにこれはおまえたちが私に求めたものよりも優れている。この話の違う伝承に、彼(アッラーの祝福と平安あれ)が次のようにおっしゃったとあります:《アッラーに誓って、私はおまえたちに与えて、スッファの民の腹が空腹のために折りたたまれるようなことはしない。私は彼らのために費やすものを見出せない。しかし彼ら(捕虜)を売って、その儲けを彼らに費やす。》(アハマド)
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預言者伝【番外編12】

2015年10月22日 | 預言者伝関連
バドルの戦の際に、(まだイスラームに帰依していなかった預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)の父方のおじ)アル=アッバースが捕虜として拘束されたことを聞いた預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は一睡もされませんでした。それを知ったアンサール(マッカからの移住者を受入れたマディーナの援助者たち)はアル=アッバースの縄を解きました。しかし預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)がお持ちのおじに対する同情の念は、おじとその他のバドルの捕虜を公平に扱わない方へ向かわせることは少しもありませんでした。彼(アッラーの祝福と平安あれ)がおじを拘束していた縄を解いたことに満足なさっていることを知ったアンサールは、さらなる彼の満足のためにアル=アッバースを解放なさってはと問うてみましたが、預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)はそれには返答なさいませんでした。

また、ある遊牧民の男がアッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)を訪れて言いました:「あなたは子供達にキスをするのですか。わたしたちは子供達にキスなどしないが。」答えた預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:「アッラーがおまえの心から慈悲を取り除き給うていたとしたら、一体私に何ができるというのか。」

彼(アッラーの祝福と平安あれ)は幼い子供達に優しく、仲良く接せられました。教友アナス様(アッラーの御満悦あれ)によると、アッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)が遊ぶ子供達のそばを通りかかった際、彼らに平安の挨拶をなさったとのことです。アナス様曰く:「預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は私の幼い弟にまでも親しく話しかけてくださりました。」

また、彼(アッラーの祝福と平安あれ)は信徒たちをとても気にかけ、彼らの状況の変化や心にふりかかる退屈や倦怠に大きく配慮なさっていました。

教友イブン・マスウード様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)は私たちが退屈するのを嫌って説話してくださいました。また彼は非常に礼拝を大切になさっているにもかかわらず、子供の泣き声がすると礼拝を短くされました。」彼(アッラーの祝福と平安あれ)が次のようにおっしゃったとも言われています:「私は長くしたいと思い礼拝に立つが、子供の泣き声がすると、子の母親に重荷なるのを嫌うため、礼拝を短く済ませる。」(アル=ブハーリー)

また教友イブン・マスウード(アッラーの御満悦あれ)によると、ある男が言いました:「アッラーの使徒様!まことに私は某が(礼拝を)長引かせるので、黎明の礼拝に遅れて参ります。」私はあの日以上にアッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)が訓戒においてお怒りになるのを見たことがありません。そしておっしゃいました:「まことにおまえたちの中には嫌悪を催させる者がいる。人々を率いて礼拝する際は、手短に行いなさい。弱い者や高齢な者や用事がある者もいるのだから。」(アル=ブハーリー)

教友アンジャシャ様(アッラーの御満悦あれ)が女たちを急かしていたときのことです。彼は声が美しく、ラクダがそれを聞くと早く歩くのですが、女たちには苦痛でした。そこで預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)がおっしゃいました:「アンジャシャ!ガラス(女性を喩えて)のためにもゆっくりしなさい。」(アル=ブハーリー)

アッラーは彼(アッラーの祝福と平安あれ)を憎悪や、誰かに悪を企てるということから無縁となし給いました。彼(アッラーの祝福と平安あれ)は次のようにおっしゃっていました:「誰一人として教友の某が何かをしたと私に報告しないように。まことに私はおまえたちの前に健やかな心で現れたいのだ。」(アブー・ダーウード)

彼(アッラーの祝福と平安あれ)は人々の慈悲深い父親でもありました。信徒たちは全員が彼の扶養家族となりました。乳母が乳飲み子を慈しむように、彼(アッラーの祝福と平安あれ)は彼らを慈しみました。アッラーが彼らに与え給うた恩恵、糧について彼(アッラーの祝福と平安あれ)が介入することはありませんでしたが、彼らの借金や彼らのあらゆる負担はご自身で軽減しようとなさっておっしゃいました:「誰でも逝った者の遺産は相続する遺族のものであるが、(借金や扶養すべき家族という)負担を残した者はわれわれが面倒を見る。」他の伝承では:「どのような信徒であれ、現世と来世において私が最も彼に近いのである。おまえたちが望むならこれを読みなさい:「預言者は信仰者たちに彼ら自身よりも近く」(33章6節)信仰者が亡くなって、彼が遺産を残したなら、どのような者であろうと遺族が相続する。しかしもし借金や(扶養すべき)子や家族がある場合は庇護者の許に来ること。」(アル=ブハーリー)
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