イスラーム勉強会ブログ

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心の強化プログラム【5】

2015年10月25日 | 心の強化プログラム
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

前回いただいた質問の回答をします。

質問:私たちの結婚に不満足な海外在住のノンムスリムの義両親にできることはなんですか?

回答:ご主人はできる範囲での親孝行をしなければなりません。お祝い事があれば挨拶をしたり、連絡をとったり、訪問される際は暖かく迎えるなど、イスラームに反しない範囲でできることは全てしてください。向こうが連絡を絶っても、自分たちから連絡をとってください。

経済的、身体的援助も惜しまないでください。少なくとも3日に一度は電話をかけて、優しい言葉をかけてください。奥さんのほうも同じく振る舞い、そうすることで親孝行になるとともに、彼らにイスラームを知ってもらう機会になります。

海外に住んでいるとのことなので、誰かがその国に行く際に贈り物を託したり、日本に遊びに来てくださいと招待したり、自分たちが遊びに行くなどしてみてください。
質問者さんによると、結婚に満足していないことを理由に関係を切ってしまったということですが、そうだったとしても彼らの息子であるあなたの夫は、「私はお父さんお母さんが必要で、いつも心配をしているので、こちらから関係を絶つことはありません」と忍耐強く、伝え続けていってください。

クルアーンの中でも言われているように、彼らがあなたたちにシルク(多神崇拝)をするよう求めた場合は従う必要はありませんが、現世では、イスラームに関係すること以外では彼らに寄り添ってよく接してください。
イスラームをやめなさいとか、イスラームでいるかぎり親子の縁を切るとか言われても従うことはできません。だからといって彼らと関係を絶ってもいけません。それと親孝行は別です。孝行されるのは親の権利であり、子の義務です。ご両親がどんなにイスラームを嫌いであろうと、自分たちは自分たちの義務を果たしましょう。

ハディースにも親孝行に関するものがあります。
アスマーゥ・ビント・アビーバクル様(アッラーの御満悦あれ)という女性の教友は、アブーバクル様の娘で、アーイシャ様の姉妹ですが、母親が違います。アスマーゥ様の母親はムスリマではありませんでした。ある日、アスマーゥ様の母親が娘を贈り物を手にして訪ねますが、彼女は戸を開きませんでした。アスマーゥ様は預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)のところへ行って、「母が私を訪問する時、戸を開けても良いのでしょうか?彼女から贈り物を受け取っても良いのでしょうか?」と尋ねました。預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は、「はい。彼女に戸を開け、贈り物を受け取りなさい。」とおっしゃいました。このハディースから、親が不信仰であっても、宗教上におけることで従順にはなれませんが、孝行はしなければならないことが分かります。

質問:私たちが断食をするのは、アッラーが御命令だからで、彼からの御褒美を願って、アッラーのためだけに行います。しかし、ムスリムではない人たちはこの考えが理解できないようです。そこで、彼らに、なぜ断食をするのかという説明を、「現世的な効用(胃腸の調子が良くなる等)」でしても良いでしょうか?

回答:断食はイバーダ(崇拝行為)なので、それを現世のものと結びつけるのは良くありません。なぜならイバーダは、”アッラーに完全に従う”というもので、私たちのアキーダ(信条)に基づくものなので、イバーダは決して現世のものと結びつくものではないのです。それを現世のものと結びつけて、ムスリムではない人たちに説明するのはよくありません。逆のやり方で説明した方がよいです。つまり、この質問を通じてアキーダに触れてもらい、アキーダがどういうものかを知ってもらうことです。
例えば断食は、1400年前に定められたにもかかわらず、現世的効用が発見されたのは現代になってからです。では、昔の人はなぜ断食をしていたのか、ということになり、辻褄(つじつま)が合わなくなってしまいます。その様な説明の仕方はしないで、まず第一に、”私たちはイバーダとして断食をする、アッラーがするよう命じているからする”と言いましょう。これが私たちが断食する理由なのですが、断食が実際にどれだけ私たちのためになっているかを現代の医学が証明している、と説明しましょう。その方が正しく理解してもらえるでしょう。

先程言ったように、相手のムスリムでない方も、”現世の利益があるから私たちは断食する”と言ったら、では昔の人はどうしていたのか?と疑問を持つでしょう。私たちは、自分のアキーダが弱いために、自信を持って説明できないのではないでしょうか。ですから、もっとアキーダを強化する必要があります。アキーダを強くすることで、質問者さんにアキーダに触れてもらえるような説明をできるよう目指しましょう。一般の人はアキーダがなんなのか、わかりません。私たちはアキーダが知識に基づいたものであることをわかってもらえるようにしましょう。

質問:いとこ同士の結婚はイスラームでは推奨されるのですか?

本当のところは、イスラームはいとこ同士の結婚を推奨しているわけではありません。ただ、子供達を結婚させるときに、親戚以外によい人がみつかならい時に、親戚の中で相手を見つけるということが起きているだけです。

イスラームは逆にいろいろな民族や人と交わることを奨励しています。クルアーン「人びとよ,われは一人の男と一人の女からあなたがたを創り,種族と部族に分けた。これはあなたがたを,互いに知り合うようにさせるためである。 」(49章13節) にある通りです。

預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は、親戚の女性ともそうでもない方とも結婚さないました。

結論:いとこ同士の結婚はその国の習慣であって、イスラームで決められたものでも奨励されているものでもありません。逆に、他の人たちと交わることを奨励しています。

質問:”陰口(ギーバ)”と”第三者の評判を知るための相談”の違いはなんですか?

回答:陰口はハラーム、相談はハラールです。
まず、陰口と相談がそれぞれ何であるかを説明します。

陰口は、「その人が聞いて嫌がることをその人がいない場で話すこと」です。その人を褒めることは問題ではありません。嘘であろうと、本当であろうと、その人が聞けば嫌になることをその人がいない時に言うことが陰口です。

相談は、婚約相手、商売相手などの評判を第三者に聞くことです。尋ねられた人は、正直に答えなければなりません。外見は陰口に見えても、相談された場合は真実を言わなければなりません。

陰口も第三者に関する相談も、外から見れば、その人の不在時にその人について話すことにおいて同じです。しかし、イスラームにおいては前者は罪、後者はお咎めがありません。

二つの違いについて説明します。
私たちの利益を守るためにアッラーが定めてくださったさまざまな原則がイスラームです。この点を私たちはきちんと押さえておかなければなりません。

イスラームには様々な規則がありますが、それは私たちを制限するためでなく、私たちの利益を実現するためにアッラーが定めてくださったことです。

利益には、個人的利益と公の利益があります。個人の利益はほかの個人の権利とぶつかり合うことがほとんどです。かといって、公の利益だけを優先することもできません。そこでイスラームは、謙虚であることや、自分よりも他人を優先することが徳であると定めました。そうすることでお互いの利益がぶつかり合わないようにしました。

個人と個人の利益が反する場合、イスラームでは、相手を尊重をして自分の権利を喜んで放棄します。なぜかというと、預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)の言葉にある通りです:アッラーにより好ましい人は、相手に対して親切な人である。他人のために自分の権利を放棄することは好ましいことなので、喜んで相手のためになることをするのです。

世界には、イスラーム以外にも教えや生き方があります。人間が作ったそのようなものと、創造主が作った生き方はまったく違います。

人間が作った生き方と、アッラーが人間のために作った生き方を比較することは、この勉強会のテーマではありません。ただこれから話す”陰口と第三者に関して相談することの違い”を勉強する上で確認しておきたいのは、アッラーが作り給うた教えは、人間が作り出した教え(生き方、法律など)と比べ物にならないもので、それは歴史が証明している、ということです。ムスリムだけでなく、ムスリムでない人たちもそのことを証明しています。どういうことかというと、アッラーの教えによって、かつて無知であった共同体が、数十年のうちに人類史上最良の共同体になったということです。

その数十年のあいだにアッラーの教えによって最底辺から最高の域に達した共同体に比べて、現代の世界を見ていただきたいと思います。皆さんがご存知のように現代は、昔と比べ物にならいほど科学や工業が発達しています。では人々の生活はどうかというと、いろいろなところで人殺し、破壊などが行われて、不安の中に生きています。それが、それぞれの共同体が従っている教えの違いなのです。

預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)の時代の共同体は、アッラーの教えに従って、命令を守り、禁止事項を避けていました。その結果、人類史上、最も素晴らしい共同体になりました。それに反して、現代の私たちは、ムスリムもそうでない人も含めて、アッラーの教えに従っていません。そのため、このような状態になっているのです。

質問の途中ですが、講義が終わりますので、次回にこの質問の回答の続きをします。陰口が禁じられる根拠と、ある人の評判を知るために相談することが許されることの根拠を説明します、インシャーアッラー。

預言者伝【番外編12】

2015年10月22日 | 預言者伝関連
バドルの戦の際に、(まだイスラームに帰依していなかった預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)の父方のおじ)アル=アッバースが捕虜として拘束されたことを聞いた預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は一睡もされませんでした。それを知ったアンサール(マッカからの移住者を受入れたマディーナの援助者たち)はアル=アッバースの縄を解きました。しかし預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)がお持ちのおじに対する同情の念は、おじとその他のバドルの捕虜を公平に扱わない方へ向かわせることは少しもありませんでした。彼(アッラーの祝福と平安あれ)がおじを拘束していた縄を解いたことに満足なさっていることを知ったアンサールは、さらなる彼の満足のためにアル=アッバースを解放なさってはと問うてみましたが、預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)はそれには返答なさいませんでした。

また、ある遊牧民の男がアッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)を訪れて言いました:「あなたは子供達にキスをするのですか。わたしたちは子供達にキスなどしないが。」答えた預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:「アッラーがおまえの心から慈悲を取り除き給うていたとしたら、一体私に何ができるというのか。」

彼(アッラーの祝福と平安あれ)は幼い子供達に優しく、仲良く接せられました。教友アナス様(アッラーの御満悦あれ)によると、アッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)が遊ぶ子供達のそばを通りかかった際、彼らに平安の挨拶をなさったとのことです。アナス様曰く:「預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は私の幼い弟にまでも親しく話しかけてくださりました。」

また、彼(アッラーの祝福と平安あれ)は信徒たちをとても気にかけ、彼らの状況の変化や心にふりかかる退屈や倦怠に大きく配慮なさっていました。

教友イブン・マスウード様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)は私たちが退屈するのを嫌って説話してくださいました。また彼は非常に礼拝を大切になさっているにもかかわらず、子供の泣き声がすると礼拝を短くされました。」彼(アッラーの祝福と平安あれ)が次のようにおっしゃったとも言われています:「私は長くしたいと思い礼拝に立つが、子供の泣き声がすると、子の母親に重荷なるのを嫌うため、礼拝を短く済ませる。」(アル=ブハーリー)

また教友イブン・マスウード(アッラーの御満悦あれ)によると、ある男が言いました:「アッラーの使徒様!まことに私は某が(礼拝を)長引かせるので、黎明の礼拝に遅れて参ります。」私はあの日以上にアッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)が訓戒においてお怒りになるのを見たことがありません。そしておっしゃいました:「まことにおまえたちの中には嫌悪を催させる者がいる。人々を率いて礼拝する際は、手短に行いなさい。弱い者や高齢な者や用事がある者もいるのだから。」(アル=ブハーリー)

教友アンジャシャ様(アッラーの御満悦あれ)が女たちを急かしていたときのことです。彼は声が美しく、ラクダがそれを聞くと早く歩くのですが、女たちには苦痛でした。そこで預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)がおっしゃいました:「アンジャシャ!ガラス(女性を喩えて)のためにもゆっくりしなさい。」(アル=ブハーリー)

アッラーは彼(アッラーの祝福と平安あれ)を憎悪や、誰かに悪を企てるということから無縁となし給いました。彼(アッラーの祝福と平安あれ)は次のようにおっしゃっていました:「誰一人として教友の某が何かをしたと私に報告しないように。まことに私はおまえたちの前に健やかな心で現れたいのだ。」(アブー・ダーウード)

彼(アッラーの祝福と平安あれ)は人々の慈悲深い父親でもありました。信徒たちは全員が彼の扶養家族となりました。乳母が乳飲み子を慈しむように、彼(アッラーの祝福と平安あれ)は彼らを慈しみました。アッラーが彼らに与え給うた恩恵、糧について彼(アッラーの祝福と平安あれ)が介入することはありませんでしたが、彼らの借金や彼らのあらゆる負担はご自身で軽減しようとなさっておっしゃいました:「誰でも逝った者の遺産は相続する遺族のものであるが、(借金や扶養すべき家族という)負担を残した者はわれわれが面倒を見る。」他の伝承では:「どのような信徒であれ、現世と来世において私が最も彼に近いのである。おまえたちが望むならこれを読みなさい:「預言者は信仰者たちに彼ら自身よりも近く」(33章6節)信仰者が亡くなって、彼が遺産を残したなら、どのような者であろうと遺族が相続する。しかしもし借金や(扶養すべき)子や家族がある場合は庇護者の許に来ること。」(アル=ブハーリー)

悔い戻る者たちの道しるべ【8】-(1)

2015年10月15日 | 悔い戻る者たちの道しるべ
司会:先生、前回は些細な罪についてのお話でした。「大したことはないだろう」と思うため、罪を犯す人はまったくそれを気にしません。このようにして小さな罪は積み重なり、やがて大罪になります。そして今、私たちはもう一つの現象、「罪を公に行うことへの警告」に移ります。公にすると何が起きるのでしょうか?

先生:崇拝行為の階級や位は、行為自体、行う人、時間、隠れてしたか、公にしたかで変わってきます。罪も同じように、アッラーの許での位はそれを犯した者、時間、場所、隠れてしたか、公にしたかで変わってきます。

はじめに、(アッラーの命令に)反抗する者と呼ばれる人と、破廉恥者と呼ばれる人について。両者の違いは何でしょうか?反抗する人は、ラマダーン中に自分とアッラーの間において断食を解いてしまいます。自我に負けたか、断食に絶えられなかったためでしょう。破廉恥者である罪を公にする者は、公衆の面前で断食を解きます。道端などで。罪を犯して公衆の面前でそれを露わにする者は二つの罪を犯すことになります。罪自体を犯すこと、そしてもう一つの罪は、それを露わにすることです。至高偉大なるアッラーに大胆にも反抗し、罪を露わにすることで、信仰の弱い人たちに同じ罪を犯す勇気を与えることになります。その最も分かりやすい例を出しましょう。50年前はほとんど誰もラマダーンの日中に何かを食べようとする人はいませんでしたが、反抗する人や断食を解く人が増えたのでラマダーンの日中に食事することはとても容易になりました。罪を露わにする者は、信仰の弱い人たちに同じ罪を犯す勇気を与えてしまうのです。彼らは己の罪を真似た人の罪の責を負います。また、「そういう人には陰口はない」とも言います。つまり人々がそういった人に気を付けるように罪を露わにする人については話してもいいということです。2つの罪があるとは、一つはイスラーム法上における基本的な罪と、もう一つはその暴露です。なぜなら公にすることでその犯罪を起こす勇気を周りの人たちに与えてしまうことが理由になるからです。アブーフライラ(アッラーの御満悦あれ)はアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が次のようにおっしゃっているのを聞いたと言いました:
《私のすべての共同体は、(悪行などを)露わにする者以外は、健やかである。露わにすることの一つに、ある男が夜のうちにある行いをなし、アッラーがそれを隠してくださる、というのがある。そして:私は昨夜、何々をやってしまったのだが(と他人に打ち明ける)、と言う。彼はアッラーが隠してくださっている状態で一夜を過ごしたというのに、朝になってアッラーの覆いを取り去ってしまう。》(アル=ブハーリー)

私たちの宗教には、罪を自白しなければならない、ということはありません。(もし罪を犯してしまったら、)罪をあなたとアッラーの間に留めておいて、あなたのためのアッラーの覆いを受け入れましょう。至高偉大なるアッラーがあなたを覆ってくださったのですから。そしてあなた自身を人々の舌にさらされる場から遠ざけましょう。

司会:では、宗教学者などに、「私は何々といった罪を犯してしまいました」と法規定を尋ねるのはどうでしょうか?

先生:友人が犯した罪、ということで尋ねるので構いません。このやり方で自分を隠せることになります。

司会:嘘をつくことにはなりませんか?いくら小さいとはいえ。

先生:いいえ。法で禁じられた嘘にはなりません。「何々をしてしまった友人がいます」と友人の名を伏せて自分を隠します。説明に嘘は不可欠になります。かつて預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)がアブーバクル様(アッラーの御満悦あれ)とヒジュラのための移動をなさっていた際、ある男が「この男は誰だ?」と尋ねました。当時、預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は命を狙われており、彼の生死に関わらず彼を捕らえた者には100頭のラクダが報奨が約束されていました。男にアブーバクル様は答えました:「彼は私を道に導いてくれるお方だ」と。(例えば)私がある罪に陥ってしまい、この罪が広まることを恐れると仮定します。私は法学者にその裁定を尋ねますが、友人にこの罪の裁定を尋ねられたと装います。法学者は、この質問者が本当は彼自身であることを知ることなく、裁定がどうかを答えるだけです。このやり方はアッラーに認められているものです。

司会:罪の暴露はそれだけで罪です。破廉恥さはアッラーに対する大胆な行動です。先生は罪はそれが行われた場所と時間にもよると、つまり犯罪が禁じられる場所と時間があるとおっしゃいましたね。

先生:マスジドで犯される罪に対する罰は何倍にもなります!またラマダーンに犯される罪に対する罰も同じですし、あなたから逃げようとする女性を襲うことに対する罰も同じです。また近所の奥さんとの姦淫、夫が不在の女性との姦淫もです。また崇拝行為も捧げる犠牲や忍耐などによってその価値が変わってきます。反抗行為もその罪の程度によって変わってきます。ですから、時間にも場所にも、一緒になってアッラーに反抗した人物にも禁じられたそれぞれのものがあるということです。

アッラーがクルアーンの中で大きな罪の例として示し給うた孤児を荒々しく追い払う者。孤児には優しく接するべきですが、もしそうしないと、あなたは反抗者となってしまうのです。では孤児を叩いてしまった場合はどうでしょうか?罪それぞれに位があるのです。

http://nabulsi.com/blue/ar/art.php?art=7191&id=205&sid=801&ssid=882&sssid=895&w=%D9%85%D9%86%D9%87%D8%AC%20%D8%A7%D9%84%D8%AA%D8%A7%D8%A6%D8%A8%D9%8A%D9%86&aw=

預言者伝【番外編11】

2015年10月01日 | 預言者伝関連

アッ=シャリードは言いました:《アッラーの御使い様(アッラーの祝福と平安あれ)は私に、ウマイヤ・イブン・アビー・アッ=サルトの詩を詠むようにおっしゃったので、私はその詩を詠みました。》(アル=ブハーリー)

彼(アッラーの祝福と平安あれ)は心温かく、人懐っこく、人間らしい感情が溢れる、優しい気持ちに満ちたお方でした。教友アナス・イブン・マーリク様(アッラーの御満悦あれ)は彼(アッラーの祝福と平安あれ)について言いました:《アッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)がファーティマ様(アッラーの御満悦あれ)におっしゃいました:「息子(孫。つまりファーティマ様の息子アル=ハサンとアル=フサイン)を呼んでおくれ。」そして彼は二人(のにおい)を嗅がれ、抱きしめられました。またある時、お孫様のアル=ハサン・イブン・アリー様をお呼びになった時、急いでやってきて、アッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)のお膝元に転げ落ちました。アル=ハサン様はその手を彼の髭の中に入れました。アッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)がそのお口を開けられると、アル=ハサン様はそこに口を入れられました。(アッ=ティルミズィー)

アーイシャ様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:《ザイド・イブン・ハーリサ(アッラーの御満悦あれ)がマディーナを訪れた際、アッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)はご自分の家にいらっしゃいました。ザイドは彼を訪問し、ドアを叩きました。服を引きずりながらいらっしゃった裸のアッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)は、ザイドを抱きしめ、キスをされました。(アッ=ティルミズィー)

教友ウサーマ・イブン・ザイド様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:《アッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)の娘様が、その息子が死にかけているので、シャハーダを言わせてやってほしい、と使いを彼に送りました。彼(アッラーの祝福と平安あれ)は平安の言葉を(彼女に)お送りになり、「まことにアッラーに彼が取り上げ給うものも、与え給うものも属する。彼の御許にあるものはすべて期限がある。彼女は忍耐し、(それに対する)報奨を祈願すべきだ。」とおっしゃいました。次に彼女は、そうなるのであれば、誓いますのでいらしてください、と使いに伝えさせました。彼(アッラーの祝福と平安あれ)がお立ちになったので私たちも一緒に立ち(彼女の許に向かい)ました。彼(アッラーの祝福と平安あれ)はお座りになると、子供を引き寄せて、その膝の上にお乗せになりました。子供の息が乱れると、アッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)の瞳から涙が溢れるので、サアドが、「これは何ですか、アッラーの使徒様!?」と尋ねました。彼は言われました:「これは、アッラーが御心のままにそのしもべたちの心に据え給うた慈悲。まことにアッラーは、しもべたちの中の慈悲深い者たちを慈しみ給う。」》(アル=ブハーリー)

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P427〜428)