イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

悔い戻る者たちの道しるべ【11】-(1)

2016年07月28日 | 悔い戻る者たちの道しるべ

司会:

先生、誠実かつ正直な悔悟について話を進めます。悔悟の後、また罪を犯してまた悔悟をする人。人が悔悟する限り、至高偉大なるアッラーはその人とその悔悟を受け入れ給うということを見てきました。では先生、人は罪と罪を誘引する諸事からどのようにして自分を守れば良いのでしょうか?

 

先生:

教友アブドゥッラー・イブン・マスウード(アッラーの御満悦あれ)によると預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:《まことに正直は篤信へと導く。そしてまことに篤信は楽園へと導く。正直な男は本物の正直者となるまで正直で居続ける。そしてまことに嘘は罪へと導く。そして罪は火獄へと導く。嘘つきな男は本物の嘘つきになるまで嘘をつき続ける。》(アル=ブハーリー、ムスリム、アッ=ティルミズィー、アブーダーウード、アハマド、マーリク、アッ=ダーラミー伝承)

 

真実の探索において正直でいれば、それにたどり着きます。悔悟において正直でいれば、それにつながる道がどれかを暗示されます。知識において正直でいれば、数あるそれらの源泉にたどり着きます。これらはまるで神の法則、アッラーの被造物の中で行われるアッラーの慣行のようです。正直は篤信へと導きます。人はアッラーの許で本物の正直者と記されるまで正直で居続けます。つまり、正直を実践するということです。

 

他に、「正直はあらゆるものへと導く」という伝承もあります。至高偉大なるアッラーは仰せです:

「まことにこのクルアーンはより兼直なものへと導く。」(夜行章9節)

 

ここでは「何へと導くか」を制限する表現はありません。「無制限」というとろこに修辞が込められていることがあります。私が悔悟において正直でいると、アッラーが私を悔悟の要素へと導いてくださります。(例えば)この家の中で足を踏み外してしまう場合、私はそこに入るべきでは無いし、ある特定の若者たちと罪を犯してしまう場合、彼らと付き合うべきではありません。この本を読む中で何か罪がある場合は、私はその本を読むべきではありません。この番組を続けて見ることでアッラーに背いてしまいアッラーとの間に隔たりができてしまう場合、私はこの番組を見るべきではありません。ですから、罪の出処を知り、罪の諸原因から遠ざかる以外に悔悟を確固たるものにする術はありません。罪の諸原因から遠ざかることは悔悟する信仰者の最大の砦です。もう一つが「代替」です。この「代替」は必須です。アッラーが私の中に置き給うた幾つかの本能的欲望を満たすことで私はアッラーに近づけます。つまり自我が女性を求めるので結婚する、自我が財産を求めるので働く、という形でアッラーに近づくことができます。私が罪と思われることから遠ざかり、代替を準備することで私はこの悔悟において己自身を守ったことになります。教友アブーサイード・アル=フドリー(アッラーの御満悦あれ)によると預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:

《おまえたち、道に座ってはいけない。彼らは言った:アッラーの使徒さま、私たちには皆で話せる場がありません。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃった:道を話し場にするというなら、道にその権利をあげなさい。彼らは言った:その権利とは何ですか?彼はおっしゃった:視線を下げること、害の排斥、サラーム(の挨拶)への応答、善を勧め、悪を禁じることである。》(ムスリム、アル=ブハーリー、アブーダーウード、アハマド伝承)

 

以上により罪との決別が必須であることがわかります。信仰者の生活における詳細な分析を見てみましょう。(例えば)私はこの場で犯してしまった罪はこの友人関係、このパーティー、この出会いが原因だと考えます。私は罪の諸原因を見つける時、信仰者から成る健全な環境の中に身を置くことがその代替になると知るのです。至高なるアッラーは仰せです:

「そして彼の主にその御顔を求めて朝に夕に祈る者たちと共に忍耐自制せよ。今生の装飾を望んで、おまえの両目が彼らから逸れてはならない。また、われらがその心をわれらの想念(唱名)から逸らせたために己の欲望に従うことになった者に従ってはならない。そして彼の件は度を越していた。」(洞窟章28節)

 

重要な点があります。人は食べ物を見ることなくそれについて聞くことも香りを嗅ぐこともない状態で4つの壁に覆われたままでいてもお腹は空くということです。なぜならその食べ物への動機は内的なものだからです。そのため私たちは緊急時にはアッラーが禁じ給うたものを食べることが許されるのです。アッラーは仰せです:

「ただし、反逆者でなく、無法者でもなく余儀なくされた者には罪はない。」(雌牛章173節)

 

しかし性への動機は内的なでなく、外的であり、外からやってきます。そのため私たちの宗教には強制的姦淫というものが全く存在しません。この種の動機は外的誘惑から発生します。そのため視線を低めた者は頑丈な砦に身を置いたことになります。破廉恥な行為から遠ざかった者は頑丈な砦に身を置いたことになります。アッラーが御満足にならない芸術行為から遠ざかった者は頑丈な砦に身を置いたことになります。篤信者たちの中に身を置いた者は頑丈な砦に身を置いたことになります。私が罪の原因を知り、それらから遠ざかることでじぶんを守ったことになります。ただ次の考えは別です。私がしつこく勧めていることですが、それは、アッラーが人間の中に置き給うたどんな欲望にも必ずそのための清らかな流れ道を作り給うているということです。つまりイスラームには禁欲が全く存在しません。さまよいながら思い込んでいる人たちはアッラーに悔悟するということはつまりすべてを自分に禁じることだと思い込んでいて、悔悟しないことには自由があり、制限がなく、多くのことを人生の中に見つけ出せると考えています。

 

あなたが悔悟をすると、アッラーはあなたの中に置き給うたすべて(の欲望)に清らかな流れ道を作ってくださることであなたは禁欲の心配をしなくてよくなります。あなたがアッラーへ悔悟する人であれば、私は罪の原因から遠ざかることと、法的な代替の準備を強調するだけです。そうすることで本当に悔悟の道を歩むためです。


預言者伝【番外編20】

2016年07月21日 | 預言者伝関連

情けと大きな慈悲:

前述の彼(アッラーの祝福と平安あれ)の勇敢さに加えて、彼は繊細な心を持つすぐに泣いてしまうお方でした。弱い立場にある人たちへ同情を寄せ、また動物や家畜を慈しみ、人々には彼らに思いやりをもって接するよう忠告しました。教友シャッダード・イブン・アウス(アッラーの御満悦あれ)は彼(アッラーの祝福と平安あれ)について次のように伝えています:アッラーの使徒へはおっしゃいました:まことにアッラーは「イフサーン」(より良く行う事、実行において最善を尽くす事)を万物の上に定め給うた。おまえたちが殺すときには殺し方を最善にしなさい。屠るときは屠り方を最善にしなさい。おまえたちは(切るための)刃をしっかりと研ぎなさい、屠られる家畜を苦しめないために。(ムスリム伝承)

 

教友イブン・アッバース(アッラーの御満悦あれ)によると、羊を横たわらせながら刃を研いでいた男に預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)がおっしゃいました:おまえはこれ(羊)を二回殺したいのか?羊を横たわらせる前に刃を研げないのか?(アッ=タバラーニーとアル=ハーキム伝承)

 

彼(アッラーの祝福と平安あれ)は動物の餌やりや水を与えること、能力以上のことを課さないことを教友たちに忠告しました。

 

また、動物たちから苦難を取り除いたり、労わることには報奨があり、アッラーに近づけてくれる行為であると強調しました。教友アブーフライラ(アッラーの御満悦あれ)によると彼(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:ある男が歩いていると喉の渇きが激しくなった。井戸を見つけたのでその中へ降りて行き、出てきた。そこには喉の渇きを癒そうと土を食べながら息を切らしている犬がいた。男は言った:この犬も俺の喉の渇きと同じものを感じているな。すると井戸の中に降りていき、その靴を水で満たし、犬の口元へ運び、飲ませた。アッラーはこの男の行為に喜び給い、彼を赦し給うた。人々が言った:アッラーの使徒さま!私たちには家畜においても報奨があるのですか?彼はおっしゃった:すべての湿気ある肝臓を持つものにおいて報奨がある。(アル=ブハーリーとムスリム伝承)

 

教友アブドゥッラー・イブン・ウマル(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は次のようにおっしゃいました:ある女が猫のために罰を受けた。彼女は猫に餌をやらず、水をやらず、大地の虫を自分で食べることもさせなかった。(ムスリム伝承)

 

教友サハル・イブン・アムル(アッラーの御満悦あれ)によると彼は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が背中と腹がくっついたラクダに通りかかっておっしゃいました:話すことのできない家畜においてアッラーをおそれなさい!良い状態で彼らに乗り、良い状態で彼らを食べなさい。(アブーダーウード伝承)

 

教友アブドゥッラー・イブン・ジャアファル(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がアンサールの男の家に入りました。そこにはラクダがいました。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がを見たラクダは気持ちが高揚し、その目は涙であふれました。預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)はラクダのところへ行かれ、そのこぶをお撫でになり、おっしゃいました:このラクダの主人は誰だ?誰のラクダだ?するとアンサールの青年が現れ、これは私のものです、アッラーの使徒さま、と言いました。彼(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:アッラーがおまえに所有させ給うたこの動物においてアッラーをおそれないのか。まことにこのラクダは私におまえが彼に腹を空かさせ、我慢を強いていると訴えている。(アブーダーウード伝承)

 

教友アブーフライラ(アッラーの御満悦あれ)が次のように伝承しています:彼は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:土地が肥沃な時期におまえたちが旅する場合、土地における権利をラクダに与えなさい。土地が乾いている時期におまえたちが旅行する場合、彼らの(歩く)道のりを早く渡れるようにし、旅路の始めの力を保てるよう急ぎなさい。おまえたちが夜中に休憩をとる場合、道は避けなさい。夜間のそれは動物たちの道であり、虫たちの住処であるから。(ムスリム伝承)

 

教友イブン・マスウード(アッラーの御満悦あれ)は言いました:わたしたちはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)と共に旅をしていました。彼は何かの用事でどこかへ行かれました。(残った)わたしたちは二羽の雛を持つ鳥を見つけ、わたしたちはその雛を取り上げました。すると鳥は翼を広げ出しました。そこへ預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)がいらっしゃり、おっしゃいました:誰がこの鳥をその子をもって驚かしたのだ?雛を鳥に返しなさい。またわたしたちがすでに燃やし終えたたアリの巣を見ておっしゃいました:誰がこれを燃やした?私は言いました:わたしたちです。彼はおっしゃいました:火の主人以外の者が火で罰することがあってはならない。(アブーダーウード伝承)

 

召使や雇われ人については言うまでもありません。いずれも人間で、主人や雇い人に対して持ち前があります。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は召使と奴隷たちに良くするようにと遺言済みです。教友ジャービル(アッラーの御満悦あれ)は預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)が奴隷たちに良くするよう忠告していたと伝えています。彼は次のようにおっしゃっていました:おまえたちが食べるものから彼らを食べさせなさい。おまえたちの服から彼らに着せなさい。そして至高偉大なるアッラーの被造物を苦しめてはならない。(アル=ブハーリー伝承)まことにおまえたちの兄弟はおまえたちの奴隷であるが、アッラーは彼らをおまえたちの手の下に置き給うた。それゆえ彼の兄弟が彼の手の下にいる場合、彼が食べるものから彼を食べさせ、彼が着るものを彼に着せなさい。彼らを圧倒することを彼らに課さず、彼らを圧倒することを彼らに課した時には彼らを手伝いなさい。(アル=ブハーリー伝承)

 

教友アブドゥッラー・イブン・ウマル(アッラーの御満悦あれ)は言いました:ある砂漠の民の男が預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)のところへ来て言いました:アッラーの使徒さま!毎日、どのくらい召使を赦したらよいでしょうか?彼(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:70回。(アッ=ティルミズィーとアブーダーウード伝承)

 

教友イブン・ウマル(アッラーの御満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:雇われ人の汗が乾く前に報酬を与えなさい。(イブン・マージャ伝承)