イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

花嫁の冠より【2】

2008年03月29日 | 花嫁の冠【自我浄化】

 あなたが心の更正を望むとは、驚きだ。体の各部は、禁じられたものを見たり、言ったり(陰口悪口)など好き放題やっているというのに。あなたに似ているのは丁度、毒で治療をする者か、黒色で服を洗おうとする者だ。

 あなたに必要なのは、ハルワ(Khalwah、独りになること)とウズラ(Uzlah、人や物から離れること)である。ウズラを習慣とする人は、名誉を得、ウズラを真剣に行った人は、数々の恩恵である真実の才能を手に入れる。

 その兆候は: 覆いが剥がれること、心の蘇生、親愛の実現である。

 そのため、あなたは行いをより善くするべきであり、その数を増やすことが大切である:質(善さ)のない数の多い行いは、安い値が付けられた多量の衣服のようである。数は少ないが質の善い行いは、高額で数の少ない衣服のようである。同じく、一個のルビー。小さく、高額だ。誰でもアッラーのために心を多忙にさせ、次々と出現する欲望を適切に処理した者は、礼拝と斎戒を多くする者よりも徳がある。

 心に畏敬の念のこもっていない礼拝を行う者は、丁度、王様に100個の空箱を贈ったために罰を受けてしまう者のようである。礼拝を心を込めて行う者は、王様に1000ディーナールの価値があるルビーを贈ったことにより、いつも王様に思い出してもらえる者のようである。

 礼拝に入ったならば、あなたは至高なるアッラーにお助けを求めるのである。そしてアッラーの使徒(アッラーの平安と祝福がありますように)に話しかける。なぜならあなたは「アッサラーム アライカ アッユハンナビー ワ ラフマトゥッラーヒ ワ バラカートゥフ(預言者よ、あなたに平安と、アッラーのご慈悲と祝福がありますように)」と言っているからである。

 夜中に2ラカー(ラカア:礼拝単位)捧げる方が、昼間に1000ラカー捧げるより善い。あなたが夜中に礼拝に立つのは、あなたの(行いの)秤にそれを見出したいほかに理由はないだろう。さて、僕(しもべ、奴隷)というものは、仕事をさせるためだけに買われるのだろうか。あなたは、食べて、寝るために買われる僕を見たことがあるか?あなたは、買われた一人の僕に過ぎない。アッラーは仰っている:「本当にアッラーは,信者たちからその生命と財産を贖われた。かれらのため(の代償)は,楽園である。かれらはアッラーの道のために戦い,殺し,また殺される。」(悔悟章111節)

*タージュッディーン ブン アターイッラー アッサカンダリー薯のタージュルアルース(花嫁の冠)より

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88. 圧倒的事態 (アル・ガーシヤ)【2】

2008年03月27日 | ジュズ・アンマ解説
 クルアーンは続けて、天国の至福について語ります:

 「そこには,流れる泉があり,高く上げられた(位階の)寝床があり,大杯が備えられ,褥は数列に並べられ,敷物が敷きつめられている。

 天国には、切れることのない滾々と湧き出る泉や、高い所に設置された寝床があります。信者たちはそこから主が彼らにお授けになったすべての至福を眺めるのです。また、彼らの手に渡るよう準備された杯もあります。彼らが飲みたいと思うときに、その杯は飲み物で満たされます。彼らの座る場所には、並べられた褥があり、彼らはそれにもたれかかります。そして彼らの周りには、場を彩りを付け加える敷物が敷かれています。

 来世の生活の一面が紹介された後に、クルアーンは私たちの現世の生活の話に戻ります。創造主とかれのお力の偉大さと共に語られます。これが、人間を死後、清算のために甦らせることを不可能としない神のお力なのです。アッラーは仰っています:

 「かれらは骼駝に就いて,如何に創られたかを考えてみないのか。また天に就いて,如何に高く掲げられたか,また山々に就いて,如何に据え付けられているか,また大地に就いて,如何に広げられているかを。

 クルアーンは、人間の近くや上にある創造物へ視線を向けさせます。彼らは訓戒を得ずにそれらを目にしていますが、その一つに駱駝があげられます。クルアーンが下った人たちであるアラブ人にとって、この駱駝は生活に欠かせないものであるためです。その創造には多くの秘密がありますが、この秘密は、叡智と神のお力によって解明されます。

 天の創造は、もっとも神のお力を知らせるものです。天には、星、天体などがあります。望遠鏡が発明されると、学者たちは、その数は数え切れないとしました。

 同じくクルアーンは、大地に山々を据え付けた神のお力に視線を向けさせます。この力は大地を広げ、多くの人類が生活するのに適した形にしました。そして動物にも適した大地としました。

 最後の審判の日と、この地球に見られる神のお力による現象の描写が終わると、アッラーは彼の使徒ムハンマド(アッラーの平安と祝福がありますように)に、自分の民への警告、無理強いではない善への呼びかけを基とする彼の使命の真髄に目を向けさせます:

 「だからあなたは訓戒しなさい。本当にあなたは一人の訓戒者に外ならない。かれらのための,支配者ではない。

 つまり、ムハンマドよ、アッラーのお力と叡智と、アッラーの人々への恩恵を示す主の徴をもって人々に訓戒しなさい。実にわれは、彼らにアッラーの導きを教え、訓戒を与えるためにあなたを遣わしたのだ。あなたは彼らを支配する者でも、あなたの思い通りに彼らを動かす圧制者でもない、という意味です。

 続いてクルアーンは、アッラーの導きを拒否する者の結末を解明します:

 「だが誰でも,背き去って信仰を拒否するならば,アッラーは最大の懲罰でかれらを罰される。

 つまり、ムハンマドよ、あなたに背きアッラーの導きによって導かれることなく、そしてかれの徴を信じない者をアッラーは最大の懲罰である地獄の罰で苦しめるだろう、という意味です。

 人々が死と再生を機にアッラーに戻ることは、紛れもない事実です。アッラーは彼らの行いを清算されます:「本当にわれの許に,かれらは帰り来るのである。かれらの清算は,本当にわれの任である。
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88. 圧倒的事態 (アル・ガーシヤ)【1】

2008年03月25日 | ジュズ・アンマ解説
 この章は、最後の審判と、至福か罰、という人々の行く末を取り上げています。同時に、すべてにおいて可能であるアッラーのお力の現象のいくつかについても視線を向けさせています。  

 まず、審判の日の恐ろしさと、その日の人々の行き着くところについて聴覚を向けさせるような表現で章は始まります。アッラーは仰っています:「圧倒的(事態の)消息が,あなたに達したか。」ここにある疑問詞は、圧倒的事態が重要な出来事であることと関係します。同時に、この出来事が起こることを確定し、それに関連する知らせを聞きたくさせようとします。“圧倒的事態(アル・ガーシヤ)”は、審判を指します。アル・ガーシヤ(直訳すると覆うもの)と名付けられたのは、審判の厳しさや恐ろしさが人々を覆うからです。

 クルアーンは、罰を受ける人々の様子と、至福を受ける人々の様子について語ります。圧倒的事態に馴染むよう、まず罰を受ける人々の居る場所や、その日の厳しさについての言及が始まります。アッラーは仰います:

 「(或る者の)顔はその日項垂れ,骨折り疲れ切って,燃えさかる獄火で焼かれる」  その日、屈辱感が現れた面々が現れます。現世で彼らは働き、苦労しましたが、その行いから来世のために何も得ることが出来ませんでした。なぜなら、彼らの現世の行いは、単に不信と罪業であったからです。もしくはこのような意味になるでしょう:不信仰者たちは来世で、地獄の中で鎖などを引きずることに疲れ、苦労するだろう。それに地獄の火の暑さも加えられる。

 クルアーンは続けて彼らに起こる厳しい出来事を表現します:

 「煮えたぎる泉水を飲まされる。かれらには苦い茨の外に,食物はなく,それは栄養にもならず,飢えも癒せない。

 地獄の民ののどが渇くと、彼らは激しい渇きを消し去るものを求めますが、熱さが頂点に達した水が持ってこられます。彼らが空腹の痛みを追い払うために食べ物を求めると、茨というとげの一種が運ばれますが、それは空腹を満たすことも栄養にもならないどころか、食べる人に害をもたらします。

 これが罰を受ける人々の状態です。代わって至福の民を表現してクルアーンは語ります:

 「(外の或る者たちの)顔は,その日歓喜し,かれらは努力して心充ち足り,高い楽園の中に置り,そこで,虚しい(言葉)を聞かない。」  彼らの顔には輝きと、享受する至福の影響である歓喜が現れています。

 「かれらは努力して心充ち足り」、つまり、現世で行った自身の行いに満足しているということです。そして、来世でアッラーがお授けくださった至福にも満足しているということです。この至福はどこにあるのでしょうか?実にそれは、「高い楽園」の中にあります。天国は、来世の至福の館です。天国(jannah)という名は、木の数の多さや、木々の枝が重なり合って出来る陰を連想させ、元来は“覆い”を意味する(ijtinaan)という言葉から来ています。天国はその性質や特徴において、高いところにあります。クルアーンは天国を次のように描写しています:「そこで,虚しい(言葉)を聞かない。」つまり、あなたはそこで意味のない言葉や、間違った言葉を聞くことはない、という意味です。天国ではつまらない言葉を耳にしないということが、他の天国の至福の言及よりも先に来ることによって、現世で至福と贅沢を味わい、度を越して醜悪な行いや行儀をわきまえない話し方をする人たちを批判します。そしてここには、アッラーが現世でかれの至福の一部分を与えて下さっても、虚言の徒にならないように、と信者に対する注意が込められています。
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心を汚す五項目(09/3/3修正済み)

2008年03月22日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)

参考文献はこちら。訳は完璧ではありませんが、感じはつかめていると思います。アラビア語が分かる方は、リンク先を参考にしてください。

心を汚す五項目

 イブン・アル=カイイム(ラヒマフッラー―アッラーのお慈悲あれ)による、心を汚す要因:

多く交わること、願望、アッラー以外のものに附着すること、満腹感、眠り。これら五つが、心を汚す大きな要因である。

 1多く交わること
 
 多く交わることで起こる影響:アーダムの子孫の呼吸で黒くなるまで心がいっぱいになってしまう。これを原因に、心はばらばらになり、不安になり、弱くなる。不可能なのに、悪の角(の持ち主)の食糧(のあて)を背負う(訳者注:無理をしてまで他人の世話をするという意味、もちろん悪い意味で)。そして自身(心)にとって有益なものを失う。彼らのためにそのことで忙しい。この心の思考は、彼らの求めるものために分断化される。そうなると、アッラーと来世のために残された心の部分とは一体何だろうか?
 
 君、人と交わることによって、どれだけの災難が振ってきたと思うか?それは恩恵を追い払い、試練を持ってくる。成功を不可能にさせ、大損失を呼ぶ。人々の損害は人々のほかならないのか?

 この現世への愛着のために起きる交わりは、真実が実現すると、敵に変貌する。交わりの持ち主(心)は悔やむあまり、その手を噛む。「その日,悪を行った者は,(しまったと,)その手を噛み,言うであろう。「ああ,わたしがもし使徒と共に(正しい)道を選んでいたならば。ああ,情けない,わたしがあんなものを友としなかったならば。本当に彼は,訓戒が下った後にわたしを迷わせたのです。悪魔は常に人間を裏切ります。」(識別章27-29節)、「その日,主を畏れる者を除いては,(親しい)友も互いに敵となろう。」(金の装飾章67節)、主の親しいお方であるイブラーヒームの、自分の民への言葉:「あなたがたは,現世の生活において,お互いの慈しみとしてアッラーを差し置いて偶像を崇めている。だが復活の日には,あなたがたは互いに(関係を)否認し合い,互いに呪い合うであろう。住まいといえば火獄であり,あなたがたには,どんな救助者もないのである。」(蜘蛛章25節)。これらは、君と同じ目的を達成しようと協力し合う人たちのことを指している。彼らは、その目的達成のための準備がある間、お互い親しくしている。しかし一旦その目的がなくなると(叶わなくなると)、後悔と悲しみと痛みがその直後に現れ、存在していた慈しみ合う気持ちは、嫌悪と呪い、そしてお互いへの批判に変わる。

 有効な交わり方:金曜日や、ジュムアの礼拝など、善において人々交わることである。他に、祭日や、巡礼、学習、ジハード、助言など。悪が存在する場合や、たとえ禁じられていない事柄が存在する場合であっても、そのときは彼らから遠ざかること。

 悪があるにもかかわらず、人々と交わらなければならず、彼らから遠ざかれない場合:彼らに同意しないよう、細心の注意を払うこと。彼らの害に忍耐すること。彼らに援助者や力がなくても、あなたに害を加えようとしてくる。しかしどんな害にも、その直後に誇りと、忍耐者に対しての親しみが生まれるもの。彼らは彼(忍耐者)を褒めたたえるだろう。信者たちと、諸物の主もだ。彼らに同意した直後に、屈辱の念とそれを嫌悪する念が起きる。彼らから非難をされ、信者からもされる。そして諸物の主からも。彼らの害に耐えることこそ、より善い結果を生む手段なのだ。

 禁じられていない事柄(ムバーフ、ムバーハート)において彼らと交わらなければならない場合:可能な限り、その場をアッラーにお仕えするような雰囲気に変える努力をすること。

 2願望という名の海洋に呑まれること

 この(願望という名の)海には岸がない。世界の失敗者たちが乗る海である。こうとも言われる:願望こそが倒産者たちの資本金である、と。いまだに嘘の願望の波、間違った妄想は、犬が死体を転がして遊ぶように、この海に乗る人たちをもてあそんでいる。”願望”は、すべての低俗で貪欲な魂の商品である。外部にある数ある真実の益に対して、無関心でいる。いや、思い込みの願望とその(真実の)益を取り替えてしまったのだ。各人は、それぞれの状態があるだろう。模範や支配者になること、大地を旅行すること、各国を訪問すること、金銀財宝、婦女子など・・・を望んでいるだろう。欲しいと思う人は、自分が必要としているものを決め、それを手に入れることに成功し(たと思い込み)、至福を味わう。実際に自分はそうなったと思っている。しかし目が覚めると、手にはハスィール(藁で出来たマット)があるのみである。

 崇高なる使命の持ち主の願望は、イルム(知)とイーマーン(信仰)、アッラーにしもべを近づける行いのまわりをさまよう。そのため、彼と違う回りの人たちは、一段劣っている。この者の願望とは、イーマーン(信仰)とヌール(光)とヒクマ(叡智)である。彼ら(彼と対照的な立場にある人たち)の願望は、欺きと騙しである。

 預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)はかつて、善を望む者を褒められた。その者のいくつかにおける報酬は、実際にその善を行った者の報酬と同じかもしれない。(訳者注:善を望むことは善を行うことと同じではないが、報酬は同じであることを望む、ということ)

 3祝福多きそして至高なるアッラー以外のものに附着すること

 これこそ、もっとも重要な心を汚す要因である。これ以上有害なものはない。そしてこれを差し置いて、人を幸福から切り離すものはない。そのため、人がアッラー以外のものに附着すると、アッラーはそれにその人を託す。彼が附着したものは、違う点から見ると、彼を裏切ってもいる。アッラー以外のものに附着し、かれ以外に目を向けたたために、尊厳あるアッラーから得られるものを彼は手に入れられない。そのため、アッラーからの分け前は頂けず、アッラー以外の附着の対象から望んだものに到達することも出来ないのだ。かれは仰る:「かれらはアッラーの外に神々を立て,かれらを仲裁者にしようとしている。決してそうではない。かれら(神々)はその崇拝を拒否し,かれらに対し敵になろう。」(マルヤム章81,82節)、「かれらは,アッラーの外に邪神を選び何とか助けられようとする。それら(邪神たち)は,かれらを助ける力はなく,寧ろかれらの方が邪神を守るため軍備を整えている始末。」(ヤースィーン章74、75節)

 アッラー以外のものに附着することよりも酷い欺きがあるだろうか。失われた、自信を益するもの、幸せ、喜びは、彼が附着したアッラー以外のものよりも尊い。これらはいつか消え去ってしまうのである。アッラー以外のものに附着することを例えてみると:蜘蛛の巣で、暑さや寒さから身を守ろうとすることのようだ。蜘蛛の巣より弱い家はない。

 まとめ:多神の基礎と、その法則:アッラー以外に附着すること。その持ち主には、非難と欺きが付属する。アッラーは仰っている:「 アッラーと一緒に外の神を立ててはならない。さもないと,あなたがたは軽蔑され見捨てられるであろう。」(夜の旅章22節)軽蔑とは、あなたを褒める人がいないことである。見捨てられるとは、あなたを助ける人がいないことである。・・以下省略・・

 4食事

 二種類に分けられる。
 ①それ自体が心を汚してしまう、禁止事項。これも二つに分けられる。
 →アッラーの権利におけるハラーム(禁止事項):死体、血、豚肉、ハイエナや獣鳥のような犬歯を持つもの。
 →容量や限度を超えることによるハラーム:ハラール(許容事項)のしすぎ、度を越した満腹。これらはターア(アッラー服従)を鈍らせてしまう。そして腹の肥やしを消費することとに忙しくなり、それが実現すると、それによる害やその重さを被らないようにすることに忙しくなる。欲望は彼の前で強くなり、悪魔の道を大きくする。悪魔は、アーダムの子孫の血管の中を歩いている。サウム(斎戒)はこの流れを狭め、道をせき止める。満腹は道を作り、広くする。誰でもたくさん食べて飲んで、たくさん眠ると、多くを失う。有名なハディースによると:《どのアーダムの子孫も、その腹以上に悪質な器を満たすことは無い。アーダムの子孫それぞれが食べる一口が、その人の背骨を支えるのだ。そうしないといけない(訳者注:食べることを指す)場合は、胃袋の三分の一を食べ物に、三分の一を飲み物に、三分の一を呼吸のために置いておくように》(アッティルミズィーとアフマドの伝承)

 5睡眠過多

 これは心を死なせてしまうし、時間の無駄遣いである。そして無関心と倦怠感を生む。他に、嫌悪されることや、体の益とならない害をもたらしたりもする。一番有益な眠りとは:夜の最初の前半の睡眠は、後半(の睡眠)に優る。また、昼間の中間に眠ることは、その両端に眠るよりもいい。眠りが、その時間の両端のどちらかに近寄るたびに、眠りの益は減り、害が増える。・・以下省略・・

 嫌悪されるのは:ファジュルの礼拝と太陽が昇る間に眠ること。この時間帯に得られるものは多いのだ。サーリク(修行者)たちにとってこの時間帯にはとても偉大な長所があり、夜の間歩き続けたとしても、太陽が昇るまでは中断して座ってしまわないようにしている。実に、日中の始まりは、糧が降下し、祝福が実現する時間である。・・中略・・もっとも釣り合いが取れ、有益な睡眠とは:夜の前半の睡眠、そして最後の六分の一にとる睡眠である。約八時間。これは医師たちの間でも、バランスの取れた睡眠時間とされている。これよりも多かったり少なかったりすると、体に異変が起こることが確認されている。

 同じく、有効でない睡眠がある:夜の始まりに眠ることである。日没直後がそうだ。アッラーの使徒(アッラーの平安と祝福がありますように)はそれを嫌悪されていた。そのため、イスラーム上でもこれは嫌悪されているが、健康面においても同じであろう。アッラーこそが、援助を求められるに相応しいお方である。 

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87. 至高者 (アル・アアラー)

2008年03月19日 | ジュズ・アンマ解説
 この章は、賞賛されるべきアッラーのお力から起こる現象のいくつかを解明しています。また、アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)に、信仰ある人々の益になる善い訓戒と共に、成功というものは、罪や間違いから清まろうとする人々の分け前であることを伝えなさいと、呼びかけています。

 まず、アッラーの偉大さと、かれへの賞賛、そしてかれに相応しくない負の部分(いろいろな性質や動き)をかれに連結しないことに人間の目を向けさせることでこの章は始まります。それの意味が:「至高の御方,あなたの主の御名を讃えなさい。」です。かれこそがご自身の権力と所有力において、他のものの上にある至高なるお方である、という意味です。

 アッラーは、「創造し,整え調和させる御方」、つまり、アッラーは諸物を創造し、それらを整えて調和させ、創造物の外見がかれの英知に適い、かつ有益であるようにされた、という意味です。例えば、人間の創造について考えてみてください。あなたはきっと、消化器や呼吸器、視覚聴覚を司る器官の精巧さ、両手と両足を流れる血管、そして人間の生を支えているすべての体の器官に驚くことでしょう。他の創造物との大きな違いである、人間の持つ理性にも驚くことでしょう。

 クルアーンは、いくつかのアッラーのお力の現象について言及します:「またかれは,法を定めて導き」、つまり、アッラーは創造物それぞれに地上における役割を与えたということです。アッラーによって善と悪の道に導かれた人間は、この二つの道の説明を受けますが、それはどちらかを選ぶためです。他の生き物はアッラーにより生活の方法へと導かれました。生物学を専門とする学者たちは、動物たちの生き方や、種の保存のしかた、巣の作り方、特別なインスピレーション無しにはありえないような方法で卵を温める姿などに感心し、驚嘆します。このインスピレーション(イルハーム)のことをクルアーンは、「導き(ヒダーヤ)」と表現しています。ヒダーヤの出元はアッラーです。

 続けてクルアーンは、植物を生えさせるアッラーのお力を説明します: 「牧野を現わされる御方。それから,浅黒く枯れた刈株になされる。

 アッラーは、家畜を育てるための牧場の源である植物を大地から出現させました。この植物はやがて枯れ、バラバラになり、黒に近い色に変わっていきます。風が吹くと、飛んでいってしまいます。現世の生活の結末もこれのようであり、現世に属するすべてのものは消えゆきます。

 そしてアッラーは、ムハンマド(アッラーの祝福と平安がありますように)にかれのメッセージを与え、人類に遣わしたことについて解明しています。ムハンマド(アッラーの祝福と平安がありますように)は天使ジブリールからクルアーンを伝えられ、彼は決してそれを忘れることはありませんでした:

 「われは,あなたに読誦させるようにした。それであなたは忘れないであろう。アッラーの御望みがない限りは。本当にかれは,表われたものと隠れたものを知っておられる。

 アッラー曰く:ムハンマドよ、われはこのクルアーンをあなたに読ませよう。そしてあなたは、アッラーがナサフ(アッラーにより幾節の効力を失わせること)によってクルアーンを忘れさす以外は、けっして忘れることはないだろう。実にかれは、しもべたちの会話や行動などのあらわにされたものも隠されたものもご存知である。

 このことこそ、目に見えない知らせであり、実際に実現したことであります。ムハンマド(アッラーの祝福と平安がありますように)は文盲にもかかわらず、長いクルアーンを暗記し、忘れることはありませんでした。

 アッラーはかれの使徒であるムハンマド(アッラーの祝福と平安がありますように)に語りかけられます:「われはあなたに(道を)平坦で,安易にするであろう。」つまり、ムハンマドよ、善の道を容易にするだろう、という意味です。イスラームの法則は、善そのものであり、安楽に導くものです。クルアーンは、雌牛章の中でこのように言っています:「アッラーはあなたがたに易きを求め,困難を求めない。」(雌牛章185節)つまり、アッラーは、かれが人間のために決められたことにおいて、かれらに易きを求めている、ということです。

 アッラーは、人々が二グループに分かれることを告げています:真実や善が提示されると、それから訓戒や益を得る人たち。彼らは成功し、幸福を得ます。そして、本能が腐敗し、助言から何も学ばない人たち。彼らは、アッラーの永遠なる罰を受けるに相応しい不幸な人たちです:

 「だから訓戒しなさい。訓戒は(聞く者に)役立つ。訓戒は,主を畏れる者に受け入れられよう。だが最も不幸な者は,それを避けるであろう。かれは巨大な炎で焼かれよう。その中で,死にも,生きもしない。

 アッラーは仰っています:ムハンマドよ、人々にアッラーの導きを訓戒しなさい。彼らを諭し、かれに背くと罰があることに注意させなさい。「訓戒は(聞く者に)役立つ。」有益な訓戒をしなさい、という意味です。「訓戒は,主を畏れる者に受け入れられよう。」アッラーを畏れる者はその訓戒から益を得る、という意味です。「だが最も不幸な者は,それを避けるであろう。」不幸者は訓戒から遠ざかり、それを避ける、という意味です。「かれは巨大な炎で焼かれよう。」彼は、“巨大な炎”である地獄の火で燃やされます。地獄のあまりの熱さと、そこで苦しめられる人たちの痛みの激しさのために“巨大な炎”と表現されたのです。「その中で,死にも,生きもしない。」不幸者はその中で死ぬことも、休憩することも、有益な生き方をすることもありません。

 「だから訓戒しなさい。訓戒は(聞く者に)役立つ。」:この節は、訓戒を与え、指導を続ける人たちは常に存在しなければいけないと、社会に訴えかけています。そして厳選された宗教的な知識を学ぶことを人々に思い起こさせることも重要です。なぜなら社会というものには、受容性とそれを実行する準備が備わっているからです。かわって訓戒を拒否することは、道徳心低下と、腐敗の拡散、そして真実が踏みにじられることへと導きます。

 成功と救済は、多神と罪業から浄化された者、健全なる善で自身を成長させた者のものであるとアッラーは解明されています:「だが自ら清めた者は必ず栄え」、それに加えた言及があります:「かれの主の御名を唱念し,礼拝を守る。」つまり、アッラーはお一人であると確信し、心と舌でかれを念唱し、五回の礼拝に立つ者です。  現世に依存することは、病の基本であるともアッラーは解明されています。なぜなら、現世への依存は、訓戒を受容することとそれを実行することから人間を遠ざけるためです。これは去り行く現世の真の姿に留意し、現世よりも重要で永久の来世のために行いを重ねるべきだという、人々に対する勧告です:

 「いや,あなたがたは現世の生活の方を好む。来世がもっと優れ,またもっと永遠なものであるのに。

 次の言葉でこの章は終わります:

 「これは本当に,昔の啓典にあり,イブラーヒームやムーサーの啓典にもある。

 つまり、この章が含む意図や、「自ら清めた者は必ず栄え・・・永遠なものであるのに。」の言葉は、イブラーヒームとムーサー(アライヒマッサラーム―お二人に平安あれ)に下された啓典にあるものと重なっているということです。
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花嫁の冠より

2008年03月13日 | 花嫁の冠【自我浄化】
・・心が病むと、篤信の衣が禁じられる。

あなたの心が、私欲の病から治癒すれば、あなたは篤信の重みを背負える。

服従に甘美を見出せないのは、私欲のために心が病んでいる証。

アッラーは私欲を「病」と名付けている。
「・・心に病ある者の意を動かさせないよう・・」(部族連合章32節)

あなたに、二つの治療方法がある。

まず、あなたに有益なものを使うこと。
それは、服従。

そして、あなたに有害なものを避けること。
それは、罪。

もしあなたが罪を犯し、その後すぐに悔悟と、後悔と、悲しみと、アッラーへ戻ろうとする気持ちを起こしたのなら、それはあなたとかれ(主)がつながることを意味する。

もしあなたが(主に)服従し、その後すぐに自慢と、高慢な気持ちを起こしたのなら、それはかれ(主)から切り離されてしまったことを意味する。

・・・


*タージュッディーン ブン アターイッラー アッサカンダリー薯のタージュルアルース(花嫁の冠)より
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86. 夜訪れるもの (アッ・ターリク)【2】

2008年03月09日 | ジュズ・アンマ解説
 再生についてのクルアーンの言及は真実である、という考えが、疑い持っている心をそれに誘うかもしれません。そこでアッラーは再度誓いを繰り返します。雨と、しもべたちの糧を含む雲を持つ天によって誓っています。「(回転して)返る天によって」つまり、雨を持つ、という意味です。雨がラジャア(返る)と名付けられたのは、蒸発した後に大地に戻るためです。(訳者注:この意見は、数ある解説の一つです。)同じくアッラーは、植物が生えてくるために裂ける大地によって誓っています。「裂け割れる大地によって」、植物によって大地が裂けることは、清算のために死者が生き返る様子と重なっています。

 誓いの理由:「本当にこれは,(善悪を)識別する御言葉,それは戯れごとではない。」、つまり、クルアーンは正しい言葉と間違った言葉を識別する言葉である、ということです。それは戯れごとでも、罪なことでもなく、真剣なものです。

 続けてクルアーンは、イスラームの呼びかけを避ける不信仰者たちについて言及します:「本当にかれらは,陰謀を企んでいる。われもまた策謀をめぐらす。」陰謀とは、企むことであり、隠れて腐敗の道を行くこと、そして悪を到達させるために策略を練ることです。もしかするとあなたは、これのような悪い意味を持つ言葉がアッラーに繋げられるのは、相応しいことではないと思うかもしれません。例えば、アッラーが策謀する、アッラーが企むなどです。「かれらは策謀して企んだが,われも策を巡らせた。」(蟻章50節)これはアラビア語修辞学で、「ムシャーカラ(Al-Mushakala)」と呼ばれるものです。アッラーには、決して策謀や企てという性質はありません。ムシャーカラの意味は、普段想像される本来の意味とは違う言葉を配置することです。ムシャーカラが登場すると、この言葉の本来の意味が相応しい持ち主が一緒に述べられているものです。例えば、「悪に対する報いは,それと同様の悪である。」(相談章40節)です。あなたが加害者に報うとき、同様の悪で報復すると考えますか?違いますね。報い方は、教育的懲罰になりますね。この節で、報いが「悪」であると述べられたのは、もともと行われた悪という言葉に沿わせるためです。アッラーは:罪人よ、われはあなたの悪事を罰するとき、あなたに害を与えよう。あなたの企みには、われは同じように企みで罰しよう、と言っているように。ここで「報い」は、彼らの行いである策謀にちなんで名付けられたわけです。

 最後に、アッラーは使徒ムハンマド(アッラーの祝福と平安がありますように)を呼びかけ、言います:「だから不信者たちを猶予し,暫く放任するがいい。」つまり、彼らに復讐しようと急いではいけない、そしてアッラーに彼らが早く滅びるようにと祈願してもいけない。少しの間だけ彼らを約束の日まで放置しておけ。その日こそ彼らに対する復讐の日である、という意味です。
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86. 夜訪れるもの (アッ・ターリク)【1】

2008年03月08日 | ジュズ・アンマ解説

 この章は、死んだ人間を審判の日に生き返らせることが出来る神のお力に私たちの注意を向けさせます。その日、アッラーは人々の行いを清算します。そしてこの章は、イスラームの呼びかけに呼応しない人たちにいずれ悪い結末が訪れるであろうと、警告しています。

 アッラーはまず天と諸星にかけて、という誓いの言葉でこの章を始めます。

 「天と,夜訪れるものによって(誓う)。夜訪れる者が何であるかを,あなたに理解させるものは何か。(それは)きらめき輝く星。

 何かによって誓うことは、そのことが偉大で、重要である証拠であり、そして神のお力を証明することでもあります。

 星がターリク(夜訪れるもの)と呼ばれるのは、夜に出始めるからです。そして夜中にあなたを訪問する人がいれば、その人もターリクと言えます。何かを必要としているために、夜中になって戸をたたきに来た人の話の意味が広がって、ターリクという単語は、夜に出現するものすべてに当てはめられるようになりました。

 「夜訪れる者が何であるかを,あなたに理解させるものは何か。」、誓われる事実の内容が強調され、主の創造の偉大さに留意するよう呼びかけます。

 「(それは)きらめき輝く星。」、サーキブ(きらめき輝く星)は、光を放ち、暗闇を絶つもののことをいいます。

 誓われた事柄は:「誰も自分の上に守護者(天使)をもたない者はない。」この天使(ハーフィズ)は、魂の行いをすべて記憶し、行われる善行と悪行を数え上げています。

 アッラーがサーキブを星の特徴の一つに選ばれたのは、ハーフィズ(天使)の仕事と似せるためでした。天使はアッラーにより、人間の心や良心に貫通して監視することを任され、星もその光で暗闇を貫通します。

 アッラーは人間を意味もなく創造したのではありませんし、人間をアッラーの監視の遠くへ追いやり、放置したわけでもありません。人間の行いは数えられており、動きの一つ一つが記録され、保存されています。人々の目に隠され、遠くに置き去りにされたような行いも「守護者」である天使によって記録されるのです。クルアーンの他の部分にもこのことの言及があります:「かれがまだ一言も言わないのに,かれの傍の看守は(記録の)準備を整えている。」(カーフ章18節)

 ハーフィズには、後援者、世話人という意味もあります。アッラーは、人間に能力以上の出来事や危険から守るよう、天使に言い付けています。クルアーンはこのことについても言及しています:「各人には,前からも後ろからも,次から次に(天使)が付いていて,アッラーの御命令により監視している。」(雷電章11節)

 ここでアッラーは、人間の行いが後々に審判の日に清算されるために数えられていることをはっきりさせました。次にアッラーは、再生の日が来ることと、来世に生きた状態で戻ることに疑いを持っている人たちに訓戒を示そうとしました。まず、彼らに彼ら自身の創造の初期段階と、彼らの創造の基礎について思い出させようとします:  「人間は,何から創られたかを考察させなさい。かれは噴出する水から創られ,(それは)肋骨と腰の間から出てくる。本当にかれは,かれを(新たな生命に)引き戻すことが可能である。

 人間よ、自分自身が何から創られているか考えてみるがいい。実に人間は、「噴出する水から創られ」:これは男性の精液を指しています。

 この噴出する水は、「肋骨と腰の間から出てくる。」:男性の肋骨と腰のことを指しています。

 男性の精液はとてつもなく多数の精子から出来ています。それらの一つが卵子と出会い、人間の素になる物体に変化していきます。

 人間のこの形から創造した神のお力で、死んだ体を清算のために蘇らせることは不可能ではありません。「本当にかれは,かれを(新たな生命に)引き戻すことが可能である。」、つまり、アッラーにとって、死んだ人間を生きた状態に戻すのは可能なことである、という意味です。

  審判の日:「隠されたことが暴露される日」、隠されたさまざまな意図や信条、行いが試練を受けます。「(人間には)力もなく,誰の助けもない。」、この日、人間には自分を守るための力を持つことも、自分を助けてくれる人もいません。

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旧約とクルアーンの比較本の紹介

2008年03月05日 | 他の解説

最近ここに載せている、旧約とクルアーンの比較を参考にしている本の紹介をしておきます。本当は最初にきちんとするべきでしたねぇ。すみません。

タイトル:クルアーンとトーラー(律法、いわゆる旧約聖書) どこで一致し交差するか
著者:ハサン アル・バーシュ

本の表紙画像を載せておきます。右側に古いアラビア書体のクルアーン、左側に旧約の文章か分かりませんが、ヘブライ文字が見えます。

本の内容:タイトルどおり、クルアーンと旧約の内容を比較しています。同じ内容の言及、片方にしかない言及などを述べています。細かく比較していて、興味深いです。こちらのブログで紹介しているのはあくまでも管理人の興味や訳してみる価値があると判断した部分のみの翻訳です。

同じ著者の本で、新約とクルアーンを比較したものもあるのですが、私は購入したにも拘らずまだ読んでいません。一通り読んでみて、紹介したいなと思う部分があれば、そのときにまたこちらで紹介したいと思います、インシャーアッラー。

話は変わって、著者について少し書こうと思います。
ハサン先生は、私が4年生のときの、宗教比較という、世界のさまざまな宗教を勉強する科目の先生でした。彼はパレスティナ人で、おそらく幼い頃にシリアに移ってきたか、シリア生まれだったと思います。キリスト教、ユダヤ教に詳しく、本来私たちが習う教科では、これら二つの宗教の他に、仏教やゾロアスター教も習うのですが(実際習いましたが)、ハサン先生は、ユダヤ教とキリスト教、そして宗教に絡んだ現代の問題などを熱心に教えてくださったことをよく思い出します。試験のためだけの授業にならないように、一生懸命、生徒に接していました。「あなたたちは、今、世界で何が起こっているか、きちんと知っておかなければいけない。」とよく私たちに言っておられました。

ま、先生についてのお話はこのくらいにしておきます。

しばらくは、本命のジュズ・アンマの解説を進めて、ハサン先生には失礼かもしれませんが、気分転換のつもりで、先生の本の部分的な紹介をしようと思います、インシャーアッラー。

 

 

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アーダム(アライヒッサラーム)・人間の創造について読み比べる【4】

2008年03月01日 | 他の解説

 クルアーンと旧約が語る、アーダムとその妻が犯した罪の結果とは?

 旧約によると、
 ①主はすべての動物から蛇を選んで、呪った。そのため蛇は足で移動するのではなく腹で這い、死ぬまで土を食べる。
 
 ②女性は苦痛を伴って妊娠し、出産する。

 ③アーダム:アーダムの行いのせいで、主は大地を呪った。アーダムは死ぬまで苦労して糧を得ながら生活する。

 クルアーンに蛇は登場しない。
 アーダムの妻や、彼女の妊娠、出産に関する言及は無い。
 アーダムの罪が原因で大地が呪われるという言及も無い。

 ①アッラーが蛇を呪ったという話は、受け入れがたいことではないだろうか。もし本当に蛇が呪われたのであれば、預言者ムーサー(平安あれ)が持つ杖を、当時の魔法使いたちを絶句させるために蛇に変えるのでなく、他の動物を選んだことだろう。そして、実にアッラーは、彼の命令に背いた悪魔以外のご自身の創造物を呪わなかった。悪魔は理性と思考能力と拒否する能力を持つ、火から創られた存在であり、陸で生活する動物ではない。

 ②蛇は、土以外のものも食べる。冬の間は土を食べて過ごすようだが、春と夏と多くの秋の日には、野ねずみやカエルや虫を食べる。そして海中には蛇の形をした、猛毒を持つ動物がいるが、それらは腹で這って移動しないし、土を食べることも無い。

 創世記3章の終わりに、神は人間を追い出し・・・とある。

 ここで、アーダムとハッワーは園から大地へ追い出され、以後二人は子を設け、大地で働くようになったことが分かる。ここまでで話が終わるわけではない。間違いを犯したアーダムと主との関係は、大地に移ってからも途絶えることはなかったと、クルアーンにある。アーダムは、自分が追放されたのは、自分が罪を犯してしまったからだと気づく。楽園から、苦労の世界への追放である。そして彼は、もし自分が主を忘れてしまったら、自分は大地を耕すアッラーの代理者で居られなくなることにも気づく。

 旧約に抑圧され、間違いの原因とされたハッワーがアーダムと共にアッラーに赦しを求め、罪を犯してしまったことを認める様子がクルアーンにある。

 「かれら両人は言った。「主よ、わたしたちは誤ちを犯しました。もしあなたの御赦しと慈悲を御受け出来ないならば、わたしたちは必ず失敗者の仲間になってしまいます。」」(高壁章23節)

 「その後、アーダムは、主から御言葉を授かり、主はかれの悔悟を許された。本当にかれは、寛大に許される慈悲深い御方であられる。」(雌牛章37節)

 「その後、主はかれを選び、悔悟を赦され御導きになられた。」(ターハー章122節)

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