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悔い戻る者たちの道しるべ【1】-悔悟とその意味について-

2014年12月26日 | 悔い戻る者たちの道しるべ
-悔悟とその意味について-

賞賛はすべての主、アッラーにありますように。そして、最上の祈願と最上の平安が私たちの指導者ムハンマド、彼の家族、教友たちすべてにありますように。主よ、あなたに私たちは縋り、あなたに私たちは悔悟し、あなたの許に帰りどころはあります。
アッラーよ、私たちを導かれつつ導く者とし、迷った、もしくは迷わせる者としないでください。

ここでは、悔悟とその意味するところ、その条件、それがアッラーに受け入れられるための条件について扱います。

至高なる祝福多きアッラーは仰せです:
【その顧み給うのはアッラー(の恩顧)に依拠し、無知ゆえに悪事をなし、その後、間近で悔い戻る者に対してのみ。そしてそれらの者、アッラーは彼らに顧み給う。そしてアッラーはよく知り給う英名なる御方であらせられた。】(女性章17節)

【そして(アッラーの)顧み戻りはない、いくつもの悪事をなし、ついに死が彼に臨み、その時になって「私は今こそ悔い戻った。」と言う者たちや、不信仰なまま死ぬ者たちには。それらの者、われらは彼らに痛苦の懲罰を用意した。】(女性章18節)

この2節を参照しながら、悔悟とその条件についてみてゆきます。

まずアッラーは、クルアーンの中で仰せです:
【そしてアッラーは、おまえたちの許に顧み戻ることを望み給う。】(婦人章27節)

つまりアッラーは、おまえたちを待ち給うている、おまえたちの悔悟を喜び給う、ということです。迷った後に道を見つけられた者、不妊後に子を授かった者、喉の渇きの後に水を与えられた者の喜びよりも、アッラーの信仰するしもべの悔悟のための喜びは大きいのです。

伝えられたお話:田舎者がらくだに乗って、砂漠を歩いていました。彼は休憩のため腰を下ろしましたが、起きてみると、らくだが見当たりません。彼は死を覚悟しました。彼は泣きに泣き、居眠りが彼を襲いました。それから起きてみると、らくだがいました。彼は驚きのあまり思考バランスを崩してしまい、アッラーよ、わたしはあなたの主であなたはわたしのしもべです、と間違えて言ってしまいました。アナス・イブン・マーリクによると、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は言われました: ≪まことにアッラーは、おまえたちのうち、砂漠をラクダに乗って旅して、その背に食物と飲料を乗せたラクダが逃げてしまい、失望のあまり木陰に横になって、失望しているところ、ラクダがそばに戻ってきたのでその手綱を掴んで、喜びのあまり、アッラーよ、あなたはわたしのしもべでわたしはあなたの主です、と間違えて言ってしまった者よりも、しもべの悔悟を激しく喜び給う。≫(ムスリム)

なぜならアッラーは私たちを慈しむために創り給うたからです。
次に仰せのとおりです:
【ただし、おまえの主が慈悲をかけ給うた御方は別である。そのために彼は彼らを創り給うた。】(フード章119節)

父性・母性というものは、アッラーの性質の定義のようです。母親は、子がどんなに彼女の権利を満たさず、彼女から遠ざかり、悪くしたとしても、子が悔悟し申し訳ないと言えば、母親はそれを受け入れるものです。アッラーがこのように仰せになったとき、【この国(マッカの地)にかけて誓おうではないか、-おまえはこの国で許されている-また、父とそれが生んだもの(にかけて誓おうではないか)】(町章1~3節)父性という秩序が、しもべと彼らの主の関係の本性を説明してくれているようでもあります。アッラーはわたしたちを赦すことを望み給うているのです。それでは、逆を想像してみましょう。悔悟の門が閉ざされているとしたら、何が起こるでしょうか。どんなしもべでも、罪を犯しても、何も赦されず、悔悟の余地がないと分かったら、次から次へと罪を犯してしまうでしょう。しかし、アッラーが開き給うた悔悟という門が実在していることで皆、アッラーへと向かいます。 そのため、悔悟はアッラーの慈悲であり、その門は罪を犯したしもべに開かれています。彼らはきっと悔悟し、主に返るでしょう。

もう一つの前置きとして、暗闇の中にある現在のイスラーム世界に、覚醒の夜明けが照りはじめ、アッラーの御許しのもと、無知と罪の闇が散らされようとしていることを述べなければならないでしょう。おそらく、最も輝いているこの覚醒の夜明けの例の一つとして相応しいのは、遊びと罪深い場所を離れ、アッラーとその教えを重視し、マスジドに足を向けはじめた、若く清純な世代でしょう。この世代にウンマは希望と吉報で微笑んでいます。ですから彼らは、アッラーのお許しのもと、ウンマの外見、未来になることでしょう。実際、50年前まで、マスジドには高齢者以外が見かけられることはありませんでした。それに変わって、胸を喜びで満たすのは、現在の若者たちが歓楽の場を捨てたことです。これは、以前は見られなかった集団悔悟の一つと言えます。もう一つは、この祝福された高揚がシャリーア学と純粋な思考の源に向かいあったときに、いろいろな問題が投げかけられていることです。ですから、悔悟の意味を研究する前に注意が必要になってきます。

この、アッラーの御許しのもとに、祝福された講義シリーズは、失敗を悔やみ、アッラーに悔悟した社会の一部分に向けられています。彼らにはきっと多くの質問があるでしょう。逃亡者、もしくはまだ逃げている途中の者には、この講義に意味はありませんが、アッラーを志す者は講義の中に含まれる内容以上のものを得るでしょう。しかし私は、真実の道をゆくことを望み、アッラーに帰った若者たちに話しかけたいのです。ですから、この講義には、悔悟の意味、受け入れられるための条件、罪との関係など、細かい意味が含まれているのです。

では、すでに出てきたアッラーに帰った若者たちには、いくつかの忍耐と、信仰的、崇拝行為的報酬面における強化が必要であることがわかりました。そして、ここで話を彼らの中で巡っている質問の応答に向けようと思います。最初に。どうやって信者の中に、悔悟の必要性が生まれるのでしょうか。

人間は、理性と欲望で構成されています。かわって天使は、理性だけで構成され、動物は、欲望だけで構成されています。そして人間には、大地の土の一掴みと、アッラーの一吹きが入っていますから、理性が欲望に勝てば、天使よりも上位に立ち、欲望が理性に勝てば、動物以下になります。人間はもともと、女性、子宝、財産などに欲を持っているものです。これら人間に植え付けられた欲は、神のカリキュラムなしだと、とても大きく動いてしまいます。ムウミンとは、だれのことを言うのでしょうか?それは、アッラーの定めた方法で欲を操る人のことです。イスラームに、規則はありますが、禁欲はありません。アッラーが人間に植え付けた欲それぞれに、必ず相応の純正な解決法があるのです。

女性に傾く人には、結婚というドアが開かれ、お金が欲しい人には、仕事というドアが開かれています。精錬された人物になりたいと願う人には、アッラーに近づくための道が開かれています。どんな欲にも、相応のドアが開かれているのです。車を動かす油を見てみましょう。この油は、特定の場所に注がれてこそ、適当な時間、適当な効果を発揮します。しかし、あるべきではないところに注がれると、乗り物と中にあるものを燃やしてしまいます。

欲は、強い動きの源のようです。そしてこれには、動かす道具が必要になりますが、法がそれにあたります。この道具で、欲を高貴で受け入れられる、正しい目的へと操作します。ですから、人間がもしアッラーの定めた方法に則らないと、欲は人間を破壊してしまいます。すると、欲の強みは180度動くことが出来るといえますが、法はこの動きに制限を設けています。罪業とは、自分のものではない物を取ることです。すると、悔悟の源はこうであることが分かります。元来人間には欲望というものがあり、もしそれを間違って操作した場合、正しい流れへと戻さないといけないということです。これにおける例はとてもたくさんあります。

あなたにとって、妻や視線を向けることを許された女性たちを眺めることは、合法ですが、あなたに許されていない女性を見ることは、合法ではありません。もしあなたが許されていない女性と関係してしまったら、それはとても大きな罪になります。なぜなら、アッラーの法を軽率にし、社会に危害を加えたことになるからです。ですから、悔悟というものは、欲望をアッラーの定めた方法の上で操作することと言えます。これらの欲望が、純正な道を流れることです。

ここでみなさんに、イスラームには禁欲というものが全く無いことを強調します。しかし、規則はあります。宗教を意識すること=禁欲がある、と考える人がいますが、そうではないのです。どこかであなたが注意書きを目にしたとしましょう。あなたはそれを見ても嫌悪するどころか、あなたを締め付けるのではなく、あなたの安全のためにそれを作った人に感謝するのではないですか。

アッラーの法を軽視して、とても後悔するのは、自身の間違いの代価を払うときです。逆に、アッラーの法を遵守する人には、現世では善い生活があり、アッラーの許に召されると、天と地ほどの広さを持つ天国があります。

『あなたはしたくても、アッラーは御自分のされたいことをなされる』という言葉にもあるように、人間の意志と、アッラーの意志をめぐった、長く大きな議論があります。あなたがジャブル(起こることすべてをアッラーにさせられていて、しもべにはどうしようもなく、それが運命とする信条)を信じただけで、あなたはイスラームを無効にしてしまっています。報酬、天罰、天国、地獄、使徒たちが遣わされたという事実もないことになってしまいます。そうではなく、あなたには、選ぶ権利があります。

ウマルさま(アッラーの御満悦あれ)のもとに、酒を飲んだ男が連れてこられたときの話です。ウマルさまは、「ハッド刑(ここの場合鞭打ち)を執行しなさい。」と言いました。男が言いました。「アッラーにかけて、カリフさま。アッラーが私にこのこと(飲酒)を運命付けたのです。」ここでウマルさまの言葉に注目してください。「アッラーは、あなたを選ぶ権利から無理強いされることへ引っ張り出していない。この男にハッド刑を二回執行するように。一回は、彼の飲酒のため、もう一回は、彼のアッラーに対するでっちあげのため。」

人間は、アッラーが罪を行わせている、と思い込んだりしますが、それはあり得ないことです。アッラーは、卑劣な行いを命じ給うことはありません。真正のハディース・クドゥスィーでアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はアッラーから次のように伝えました: ≪わがしもべたちよ。まことにわれは自身に不正を禁じ、おまえたちの間でもそれを禁じた。ゆえ、不正しあってはならない。しもべよ。われが導く者以外、おまえたちはすべて迷う者である。ゆえ、われに導きを求めよ。そうすればわれはおまえたちを導こう。わがしもべたちよ。われが食べされる者以外、おまえたちはすべて空腹者である。ゆえ、われに食物を求めよ。そうすればわれはおまえたちを食べさせよう。わがしもべたちよ。われが着せる者以外、おまえたちはすべて裸である。ゆえ、われに衣服を求めよ。そうすればわれはおまえたちに衣服を着せよう。わがしもべたちよ。まことにおまえたちは夜に昼に罪を犯す。そしてわれはすべての罪を赦す。ゆえ、おまえたちはわれに罪の赦しを求めよ。そうすればわれはおまえたちを赦そう。わがしもべたちよ。おまえたちは決してわれの害に到達してわれを害することも、われの益に到達してわれを益することはない。わがしもべたちよ。もし、おまえたちの始めの者と最後の者、人類とジンの全員が、おまえたちのうちで最も篤信の心の主とともにいても、それはわれの王権を少しも増加させない。わがしもべたちよ。もし、おまえたちの始めの者と最後の者、人類とジンの全員が、おまえたちのうちで最も悪い心の主とともにいても、それは少しもわれの王権を損じることはない。わがしもべたちよ。もし、おまえたちの始めの者と最後の者、人類とジンの全員が、一つの丘の上でねだりごとをしたら、われは人間ひとりひとりの臨むものを与えるが、それはわれが持つものを減らすことはない。ちょうど針が海に入るようなものである。わがしもべたちよ。おまえたちの行為を、われは数えている。そしてわれはおまえたちにそれを返す。そこでおまえたちのうちで善いものを見出した者は、アッラーを賞賛せよ。そうでないものを見出した者は、自分以外を責めてはならない。≫(ハディース クドゥスィー)

イマーム ハサンについて伝えられたところによると、≪もしアッラーがしもべに服従を強いていたなら、報奨は無かっただろう。罪を強いていたなら、罰は無かっただろう。≫ アッラーは、しもべに選択権を与え、警告のために禁じ、難しくではなく、容易なかたちで責任を負わせたのです。 アッラーがしもべに罪を犯させていると思い込んでいる人が居るということは、それはとても大きな間違った信条に陥ってしまったことになります。ですから、この講義シリーズの始まりとして最初に、罪の真実をはっきりさせる必要があります。
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預言者伝80

2014年12月19日 | 預言者伝関連
逝去
ヒジュラ暦11年ラビーウ・ル・アッワル
237.啓示の任務の完了と謁見の時の近付き:
  教えがその完成度において頂点に達すると次の御言葉が啓示されました:「今日、われはおまえたちにおまえたちの宗教を完成させ、おまえたちにわれの恩顧を全うし、おまえたちに対して宗教としてイスラームを是認した」(食卓章3節)

  アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は啓示を広め、任務を果たし、アッラーの道において相応しい形で奮闘努力し、預言者の存在なしに預言の重要事とその責任を遂行し、イスラーム宣教のために立ち上がり、改ざんから教えを守る共同体を育て上げました。そして至高なるアッラーは仰せになりました:「おまえたちは人々のために引き出された最良の共同体であった。おまえたちは良識を命じ、悪行を禁じ、アッラーを信仰する。」(イムラーン家章110節)

  またアッラーはこの宗教の柱、信仰と確信の源であるクルアーンが残り、清らかであり続けることを保証し給いました:「まことにわれら、われらこそが訓戒(クルアーン)を下したのであり、まことにわれらこそはその(改竄、散逸からの)護持者である。」(アル=ヒジュル章9節)

  またアッラーは、人が群れとなってこの宗教に入ること、その広まりの徴候が世界中やあらゆる宗教の中で見られ始めたことによって預言者に喜びを与え給いました。
  彼は仰せです:「アッラーの援助と勝利(マッカ征服)が来て、そして群れをなしてアッラーの宗教に入る人々を見た(目視した)なら、しからば、おまえの主の称賛をもって(主を称賛して)讃美し、彼に赦しを乞え。まことに彼はよく顧み戻り給う御方。」(勝利章1~3節)

238.クルアーンの学び合い、ラマダーン中のお籠り期間が倍増:
  かつて預言者(アッラーの祝福と平安あれ)はラマダーンになると10日間のお籠りの行に入っていましたが、亡くなられた年のラマダーンには20日の間、お籠りの行を成されました。

  またラマダーン月にはジブリールが毎夜、彼の許に現れ、クルアーンを教えていましたが、かの年に彼(アッラーの祝福と平安あれ)は次のように言われました:《彼(ジブリール)は二回、私に(クルアーン)を提示した。ならば私の死期が近づいたということだろう。》

  誰よりも求めていたアッラーとの謁見をアッラーはその使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に許し給いました。彼がアッラーに会うことを好んだように、アッラーも彼に会うことを好み給いました。

  またアッラーは、アッラーも使徒を彼ら以上に慕う教友たちの心を彼の死の知らせを聞くに耐え、起こるべき別れを忍耐できる状態にし給いました。別れの時期がどんなに延びても、いつか起きます。かつて、ウフドの戦で彼の戦死の知らせに彼らは驚かされましたが、それは悪魔の仕業であったことが判明しました。アッラーはその使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が彼らの間で生きているという恩恵をしばし恵まれたのです。しかしこの出来事はいつか起きなければならないのです。アッラーは仰せです:「そしてムハンマドは一人の使徒にすぎず、かつて彼以前にも使徒たちが逝った。それなのに、もし彼が死ぬか、殺されるかしたら、お前たちは踵を返すのか。そして踵を返す者がいたとしても、アッラーをわずかにも害することはない。いずれアッラーは感謝する者たちに報い給う。」(イムラーン家章144節)
  そのためアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が誠意尽して育て上げた、至高なるアッラーで心が繋がり合った、イスラームを全世界に広く伝えることと、人を崇めるのではなくアッラーおひとりに対する崇拝へと人々を救い出すことに苦心した信徒たちは、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が彼らに別れを告げる日がいつかやってくることを確信していました。滅びゆくこの世から離れ、主に帰り、十分な報奨がアッラーによって与えられる日が。次の聖句が啓示された時「アッラーの援助と勝利(マッカ征服)が来て」、それが別れの近付きの印であると教友たちは理解しました。任務は遂行されて、アッラーの援助と勝利が来たのです。

  また年長の教友たちは、「今日、われはおまえたちにおまえたちの宗教を完成させ」が啓示された際に、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の死期の訪れを悟りました。

239.アッラー謁見への渇望と現世への別れ:
  旅支度、主への帰還を思わせることがアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が別れの巡礼からお戻りになった後に現れました。彼はウフド戦死者に祈りを捧げましたが、まるで近々、教友たちに別れを告げるようでした。彼は次に説教台に上り、次のように言われました:《まこと私はおまえたちの執り成し人であり、おまえたちに対する証人でもある。またおまえたちの約束の場はハウド(ため池)であるが、私はそれをここから眺めているかのようである。私はまことに大地の貯蔵庫の鍵を与えられた。また私は私の亡き後、おまえたちが多神信仰に陥ることを心配しないが、現世で競い合うことで、おまえたち以前の者たちが滅びたようにおまえたちも滅んでしまうことを心配する。》

240.アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が痛みを訴える:
  ヒジュラ暦11年、サファル月後半の頃から、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は痛みを訴え始めました。その始まりは、『バキーゥ・アル=ガルカド』(マディーナの墓地)に深夜に出かけて、死者のためにアッラーのお赦しを祈り、帰宅してからです。朝になってから痛みが始まりました。

  信徒の母アーイシャ(アッラーの御満悦あれ)がこのことについて言っています:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はアル=バキーゥから戻られると、私が頭痛を訴えて、ああ、頭が痛い、と言っているのをご覧になって、彼も、私こそ、アーイシャよ、私も頭が痛い、と言われました。その痛みは激しくなり、マイムーナの家に居た彼は妻たちを呼んで、アーイシャの家で看病してもらうことの許可を彼女たちに求めました。彼女たちが許可すると、頭を縛った状態で親族のアル=ファドル・イブン・アッバースとアリー・イブン・アビーターリブに支えられながらアーイシャの家に入っていきました。

  アーイシャ(アッラーの御満悦あれ)は言っています:彼の死の原因だった病の中で彼は言われました:《アーイシャよ!私はハイバルで食べた食べ物の痛み(毒)をまだ感じている。あの毒のせいで私の大動脈が切れる時間が来た。》

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P393~396)
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67章解説【5】

2014年12月12日 | ジュズ・タバーラカ解説
25.すると彼らは言う、「その(復活の日の)約束はいつか、おまえたちが真実を語る者であるなら(日時を示せ)」。
26.言え、「その知識はアッラーの御許にのみある。そして私は明白な警告者にすぎない」。
27.それで、彼らがそれ(懲罰)を間近に見るや、信仰を拒んだ者たちの顔は曇った。そして、言われた、「これが、おまえたちがそれについて(そんなものは無いと)主張していたものである」と。
28.言え、「おまえたちは見て考えたか、もしアッラーが私と私と共にいる者を滅ぼし給うたとして、あるいはわれらに慈悲をかけ給うたとして。そうであれば、誰が不信仰者たちを痛苦の懲罰から護る(という)のか」。
29.言え、彼こそは慈悲あまねき御方。われらは彼を信じ、彼に一任した。そしていずれおまえたちは誰が明白な迷誤の中にいるのかを知るであろう。
30.言え、「おまえたちは見て考えたか、もしおまえたちの水が(地中に)しみ込んでしまったならば、誰が湧き出る水をおまえたちにもたらすか」。

そして不信仰者たちの復活と清算がいつなのかとの問いに、クルアーンはそれに関する知識はアッラーおひとりのみに属していること、預言者(アッラーの祝福と平安あれ)の使命は不信仰の報いが彼らにあると警告すること、アッラーの聖法の解明であると答えます:

「すると彼らは言う、「その(復活の日の)約束はいつか、おまえたちが真実を語る者であるなら(日時を示せ)」。言え、「その知識はアッラーの御許にのみある。そして私は明白な警告者にすぎない」」

続いてアッラーは、復活と清算が起こる時の不信仰者たちの状態がどのようなものであるかを解明し給います:

「それで、彼らがそれ(懲罰)を間近に見るや、信仰を拒んだ者たちの顔は曇った。そして、言われた、「これが、おまえたちがそれについて(そんなものは無いと)主張していたものである」と。」

不信仰者たちが懲罰を間近に見る時、その光景は彼らを苦しめ、彼らの顔を落胆と屈辱が覆います。その時、彼らの行為を非難する声で彼らは呼びかけられます:これこそがおまえたちが「それについて(そんなものは無いと)主張していたもの」である、と。つまり現世でおまえたちはそれを要求し、早急に実現させろと否定・嘲笑していた。

また不信仰者たちは、この(イスラームへの)誘いにうんざりしていたので、預言者(アッラーの祝福と平安あれ)と彼と共にいる信仰者たちが滅んでしまえばいいのにとの願望を持っていました。そこでアッラーは預言者(アッラーの祝福と平安あれ)に彼らの望みに対して次の言葉で応えるよう命じ給いました:

「言え、「おまえたちは見て考えたか、もしアッラーが私と私と共にいる者を滅ぼし給うたとして、あるいはわれらに慈悲をかけ給うたとして。そうであれば、誰が不信仰者たちを痛苦の懲罰から護る(という)のか」。」

さあ、使徒よ、彼らに言え:おまえたちが望むように、アッラーが私と私と共にいる信仰者たちを死なせ給うか慈悲をかけ給うたことでわれわれの寿命を延ばし給うたり彼の懲罰からわれわれを護り給うた場合、「誰が不信仰者たちを痛苦の懲罰から護る(という)のか」誰が不信仰者たちを彼らの不信仰に相応しい痛ましい懲罰から護ってくれるのか。いずれにせよ、アッラーがわれわれを罰し給うても慈悲をかけ給うても、おまえたちには審判の日の彼の痛ましい懲罰を回避できないのである。

またアッラーは使徒に不信仰に言えと仰せになります:
「言え、彼こそは慈悲あまねき御方。われらは彼を信じ、彼に一任した。そしていずれおまえたちは誰が明白な迷誤の中にいるのかを知るであろう。」

ムハンマドよ、彼らに言え:あらゆるものがその慈悲に覆われ、彼おひとりをわれわれが信仰するアッラーにわれわれの諸事を一任した。それゆえ、不信仰者たちよ、おまえたちに懲罰が下る時には、二集団のうち、どちらが明白な迷いの中にいるのかを知ることになるだろう。

最後に、不信仰者たちに呼びかける形で彼らに対するアッラーの恩恵を解明する聖句でこの章は締めくくられます。この地球の命の源である水は、彼らの見えるところや彼らの手の届くところで流れているのです:

「言え、「おまえたちは見て考えたか、もしおまえたちの水が(地中に)しみ込んでしまったならば、誰が湧き出る水をおまえたちにもたらすか」。」

使徒よ、彼らに言え:おまえたちの水が大地にしみ込んで手の届かないものとなってしまったら、アッラー以外の誰が水を欲するすべての者の手元まで湧き出させてくれるのか。

なんとアッラーの人間に対する恩恵の大きいことでしょう。そしてなんと創造主に対する頑なな不信仰の酷いことでしょう。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP22〜23)
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預言者伝79

2014年12月05日 | 預言者伝関連
サヒーフ・ムスリム 第二巻 巡礼の書 別離の巡礼に関して
http://hadith.main.jp/
『まことにあなたの血、あなたの財産はあなた方のこの日、この月、この土地が神聖であるように、神聖にして犯すべからざるものです。
みなさい!
無明時代(ジャーヒリ-ヤ)のものは全て、私の足下で完全に廃止されます。
また、無明時代の血の復讐問題も同様に廃止されます。
“血の復讐”を廃止した最初のケースは、ラビーア・ビン・ハーリクの息子に関するものです。
彼はサアード部族の者に育てられたがフザイルによって殺されました。
無明時代の高利貸(リバー)も廃止されます。
私が廃止する高利貸の最初のケースは、アッバース・ビン・アブドル・ムッタリブに関するもので、それは全て廃止します。
女性に関してはアッラーを特に恐れなさい。
まことにあなた方は彼女らを、アッラーの保障の下に娶ったのであり(注8)、彼女らと性交渉を持つことも、アッラーのみ言葉によって合法として許されるに至ったのです。
あなた方は、また、彼女らを服属せしめる権利を持っています。
彼女らはあなた方の好まない者をあなた方の寝床に座ることを許してはならないのです(注9)。
もしも彼女らがそうした場合には、彼女らに体罰を科してもよいが、厳しすぎてはなりません。
あなた方が彼女らの権利に対して行うべきことは、適切を態度で彼女らに食物や衣服を提供することです。
私はあなた方にアッラーの聖典を残した。
もし、あなた方がそれをしっかり守るならば、決して迷うことはないでしょう。
さて、あなた方は(審判の日にアッラーに)私に関して質問を受けることだろうが、その時、あなた方はどのように答えるのですか』
これに対し人々は、『私たちはあなたがアッラーの教えを伝え、預言者としての役割を果し、真摯な助言を与えて下さったことを証言します』と答えた。
するとみ使いは、人指し指を、初め、天にむけて上げた。
その後、人々の方にむけながら、『おおアッラーよ、ご照覧あれ、おおアッラーよ、ご照覧あれ!』と三回繰り返して叫んだ。
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