イスラーム勉強会ブログ

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80. 眉をひそめて (アバサ)【3】

2007年10月25日 | ジュズ・アンマ解説
 ここで質問が浮かびます。
 人間はこの結末のために、あらかじめ何か準備をしてきたのだろうか。この答えは、アッラーがされています。「いや,かれが命じられたことを,(不信仰者は)果さなかった。」この言葉には、アッラーの恩恵を忘れて清算の日のためにするべきことをしない不信仰者に対する叱責です。

 クルアーンが人間の初期創造過程とその行く末を明確にした後、アッラーは人間に与えた恩恵を一つ一つ数え上げ始めます。人間がアッラーにおそらく感謝するであろう、との配慮です。その一つに、人間が糧とし、命の源である食べ物を見てみるといい、というアッラーの指摘があります。至高なる御方は仰っています:

 「かれに,自分の食物に就いて考えさせてみるがよい。本当にわれは,水(雨)を豊かに注ぎ,次いで大地を裂いて切れ切れにし,そこに生長させるものには,穀物,またブドーや青草,オリーブやナツメヤシ,繁茂した庭園,果物や牧草(がある)。あなたがたとあなたがたの家畜のための用益である。」

 実に、植物が生えてくる奇蹟は、人間の創造の奇蹟に似ています。両とも細胞から出来ています。

 そして、植物の細胞と人間の細胞はとてもよく似ています。奇蹟は、植物の種、実、果物、木の中にある細胞の中に隠れていて、それは大地に裂け目を入れたり、さらに実、木などを作り出すことです。

 同じくアッラーの叡智は、これらの植物すべてに栄養を与える雨にも隠れています。「本当にわれは,水(雨)を豊かに注ぎ」、大洋、川、湖から出る蒸気からできる雨は、決まった時期に大地に降り注がれ、継続的な命が生まれます。そしてこの雨が大地に刻みを入れて、それが植物、ブドウの房、新鮮な野菜、オリーブ、やしの木の成長に繋がることを考えてみてください。
 「繁茂した庭園」は、葉が多くついた木をもつ庭園を意味します。
 「果物や牧草(がある)」の牧草は、家畜のためにあります。
 「あなたがたとあなたがたの家畜のための用益である」:人々よ、あなたたちがこれらの益を得、あなたたちの家畜であるラクダや牛、羊の益を得るために用意したのだ。

  そしてクルアーンは、人々に最後の審判とその恐ろしさを人々に思い出させます。

 「やがて,(終末の)一声が高鳴り、人が自分の兄弟から逃れる日,自分の母や父や,また自分の妻や子女から(逃れる日)。その日誰もかれも自分のことで手いっぱい。」

  「一声」が来るとき。この一声によって審判が起こります。この日、あまりの音の大きさのため人の耳を聞こえなくするほどです。そしてこの日の人間は、一番近い人から逃げようとします。兄弟から、母親父親から、妻、息子から。皆一人一人、自分のことで手一杯なのです。

  最後にクルアーンは、最後の審判の日の信者と不信仰者の様子を描写します。

 「(或る者たちの)顔は,その日輝き,笑い,且つ喜ぶ。だが(或る者たちの)顔は,その日挨に塗れ,暗黒が顔を覆う。これらの者こそ,不信心な者,放蕩者である。」

  その日の信者たちの顔はきらきらと輝き、アッラーが彼らに与えた恩恵のため笑顔と喜びが溢れます。代わって不信仰者たちの顔はその日、埃と煙に覆われます。これは不安のために眉間にしわが寄る、という意味です。屈辱がその顔を覆います。彼らこそが、アッラーを信じず、行ってきた罪に気を留めようとしなかった人たちです。アッラーは彼らの悪い行いに報いました。

80. 眉をひそめて (アバサ)【2】

2007年10月22日 | ジュズ・アンマ解説

 読者のみなさん、久しぶりです!
 今日からまた少しずつ更新していきます。
 気になる点がある場合は、ぜひコメント欄に残していってください。

 叱責の後、アッラーは続けて仰っています: 

 「断じてそうであるべきではない。本当にこれ(クルアーン)は訓戒である。だから誰でも望む者には,訓戒を念じさせなさい。それは(アッラーの御許にある)帳簿に記されているもの。至高にして清純なもの。書記たち(天使)の手で(記録されたもの)。気高く敬虔な(書記たち)。」

 アラビア語のكلا(カッラー、Kallaa)は、強い否定を意味します。つまり、「ムハンマドよ、もうこのような行動をとってはいけない」という語りかけになります。
 「本当にこれ(クルアーン)は訓戒である」、この章もしくはこれらの節は訓戒である。
 「だから誰でも望む者には,訓戒を念じさせなさい」、アッラーのしもべの中で好む者はこの訓戒を思い出して、熟考するがいい。
 「それは(アッラーの御許にある)帳簿に記されているもの」、このクルアーンは保存された威厳ある帳簿から写されたものである。
 「至高にして」、地位が高いという意で、「清純なもの」、欠如・超過・汚れから清められたもの。
 「書記たちの手で」、アッラーがかれと預言者たちの間を行き来する使いとした天使の手によって。
 「気高く敬虔な(書記たち)」、彼らはアッラーの許で高貴な扱いを受け、敬虔で清純である。

  この真実がはっきり述べられた後、アッラーはかれの恩恵を否定し、ご命令に背く人間を否定します。

  「人間(不信心者)に災いあれ。何とかれは忘恩なことよ。かれはどんなものから,かれを創られるのか。一滴の精液からである。かれは,かれを創り,それから五体を整えられ,(母の胎内からの)かれの道を容易になされ,やがてかれを死なせて墓場に埋め,それから御望みの時に,かれを甦らせる。」

  「人間に災いあれ」
は呪いの言葉で、人間は不信仰者、忘恩者を指します。この形の願いは一番醜く、この人間の不信さがどれほど大きいかを指しているといえるでしょう。
 「かれはどんなものから,かれを創られるのか」、アッラーがどのようにこの人間を創造するのかという質問です。これは、この不信仰者を軽蔑する意味を持ちます。
 「一滴の精液(نطفة)からである。かれは,かれを創り,それから五体を整えられ」、نطفةノトゥファ、Nutfaは元来一滴を意味しますが、ここではとても多くの精子を含んだ男性液を意味します。精子一つが女性の中にある卵子にくっつくことが、胎児形成の第一段階になります。胎児は次に血の塊になり、次に肉の塊になり、どんどんと形を変えていきます。
 「かれの道を容易になされ」、アッラーは、出産時に子宮の扉を開くことによって、この人間が母親のお腹の中から出やすいようにしました。また、アッラーがこの人間をイスラームに導き、彼のために道を易しくした、という意味にもとれます。
 「やがてかれを死なせて墓場に埋め」、アッラーは彼を死なせて、大地の中にある墓を、彼を優遇する意味で、住居とした。
 「それから御望みの時に,かれを甦らせる」、そして最後の審判の日になると、アッラーは清算と行動の報いを与えるために、彼を生きた状態に戻す。