イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

預言者伝【番外編16】

2016年01月28日 | 預言者伝関連

教友ジャービル様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:私たちはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)と共にナジドの戦に赴きました。途中で眠気が彼を襲いました。そこはとげの多い土地でした。彼は木の下に降り、そこに陰を求めました。木に剣を引っ掛けてお眠りになると、人々は散らばって、木の下の陰に入りました。私たちがそのようにしていると、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が私たちをお呼びになるので駆けつけました。するとある田舎者が彼の目の前に座っていました。彼はおっしゃいました:私が眠っている間にこの者が現れた。彼が私の剣をその鞘から出した時、私は目を覚ました。彼は私の頭上に剣をぶら下げて立っていた。そして言った:私からおまえを制するのものは何だろうか?私は言った:アッラーだ。すると、剣を鞘に戻し、座り込んだ。そして男はそのような状態で居続けました。ジャービル様は言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は彼を罰しませんでした。

 

また彼の寛大さは教友たちの寛大さが及ばないところにも及んでいました。教友たちは寛大さと冷静の持ち主たちであるのですが。そして彼(アッラーの祝福と平安あれ)は友人であるとともに教師であり、慈悲深い改善者でいらっしゃいました。それについて教友アブーフライラ様(アッラーの御満悦あれ)は言っています:ある田舎者がマスジドの中で放尿しました。すると彼を責めようと人々が立ち上がりました。アッラーの使徒は人々を制しておっしゃいました:彼を放っておきなさい。放尿の跡の上からたくさんの水を流しなさい。おまえたちは、困難をもたらす者たちとしてではなく、容易をもたらす者たちとして送られたのだから。

 

教友ムアーウィヤ・イブン・アル=ハカム様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:私がアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)と礼拝している時のことです。一人の男がくしゃみをしたので、私が:アッラーがあなたに慈悲を掛けたまいますよう!と言ったところ、人々が私を一斉にジロリと見てきたのです。なんてこった、なんで俺を見てるんだ!と言うと、彼らは自分たちの膝を叩き始めたのです。彼らが私を黙らせようとするのを見て私は黙りました。そして、私の父と母を彼のために犠牲にしても良いお方、預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)が祈りを終えられました。私は彼以前にも彼以後にも彼より優れた教師を見たことがありません。アッラーにかけて、彼は私をお叱りになったことも、打ったことも、罵ったこともありません。彼はおっしゃいました:まことにこの礼拝は、人の言葉が言われるべきものではない。まことにそれ(礼拝)は、タスビーフ、タクビール、クルアーンの読誦である。(ムスリム)

 

また教友アナス・イブン・マーリク様(アッラーの御満悦あれ)も言っています:預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は慈悲深いお方でした。彼を訪れた人には必ず約束をするか、彼が何かをもっていらっしゃればその中から訪問者にお与えになりました。ある時、礼拝が始まって、ある田舎者がが現れて、彼(アッラーの祝福と平安あれ)の服の裾を掴みました。私の用事はあと少しで終わるし、忘れてしまうのが心配だ、とおっしゃって、男とお出かけになり、用事が済むと礼拝にお立ちになりました。

 

彼(アッラーの祝福と平安あれ)の忍耐強さの例の一つを見てみましょう。彼に若くから召使いとして仕えてきた教友のアナス・イブン・マーリク様(アッラーの祝福と平安あれ)は言いました:私は預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)に10年間仕えましたが、怒りや不快をお表しになったり、どうしてこんなことをしたのかとおっしゃったり、しなかったのかとおっしゃったことは一度もありませんでした!

 

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悔い戻る者たちの道しるべ【9】-(2)

2016年01月14日 | 悔い戻る者たちの道しるべ

とある学者が話したお話をこの話題に付け加えます:町中のとある家の扉が開きました。そこから少年が泣きながら出てきました。その後ろからは母親が追いかけてきていて、少年を追い出し、最後にドアを閉めました。母親は家の中に戻り、少年はそう遠くない場所へと歩いて行きました。少年は立ち止まって考えました。彼は、出てきた家以外に逃られる場所がないことと、お母さん以外に受け止めてくれる人がいないことを悟りました。少年は悲しい表情で家に戻りました。震えているドアを枕に、そして頬をドアの敷居に置いて、眠りに落ちました。しばらくすると母親が出てきました。少年がこのような状態でいるのを見つけて思わず駆け寄って、頬に口づけし、涙を流しました。「ぼうや、私から離れてどこへ行こうというの。私の他に誰がおまえをかまってくれるの。私に逆らってはいけないと言ったでしょう。おまえが私に逆らうことで、おまえを慈しんだり、心配したり、良いことをおまえに望んだりすることとは逆のことを私にさせないでおくれ。」そして少年を家の中に入れました。さあ、ここで「おまえが私に逆らうことで、おまえを慈しんだり、心配することとは逆のことを私にさせないでおくれ。」という言葉を熟考してみてください。また、教友イブン・ウマル様(アッラーの御満悦あれ)による預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)の次のお言葉も熟考してみてください:《私たちはとある戦でアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)と共にいました。その際、ある集団を通り過ぎて、おっしゃいました:アッラーはそのしもべに対して、母親がその息子を慈しむよりも慈悲深いのではないか…》(イブン・マージャ)

 

あまねくものに行き渡った至高偉大なるアッラーの御慈悲に比べて母親の慈悲はどの位置にあるのでしょうか。

この話題に関連することとして、アッラーに満足していただこうとする者は、誠実な悔悟へと急ぐことが挙げられます。すでに皆さんには、悔悟の特徴に、「知」と「状態」と「行為」があると述べました。ですから、知が深くあるほど、そしてしっかりしているほど、そして強くあるほど、後悔の念は激しく、後悔の念が激しいほど、悔悟は強固でその時間は長くなります。「誠実な悔悟」は非常に容易ですが、それを堅持することが重要です。人生のあらゆる局面でなにかにたどり着くのはとても容易なことですが、そこに留まっていられることが重要なのです。頂点に立つことは容易ですが、頂点に留まり続けることこそが重要なのです。勝つことは容易ですが、勝ち続けることこそが重要なのです。繰り返しますが、本当に容易な悔悟とは、初めに行う悔悟なのです。

 

司会:第二の悔悟というものがあるのでしょうか?

 

先生:罪を犯すと、悔悟を破ったかのような状態になります。その時、再び悔悟することに多々なる困難を見出すことになります。私は、この講義を続けて聴いてくださっている人たちに、誠実な悔悟を決心して行ったならば、それを行ったことが重要なのではなく、それを継続し続けることにあるのだ、ということを忠告したいと思います。

 

聖なるアッラーの館に巡礼を果たした人はどうでしょう。黒石に近づき、「主よ、私は常にあなたにお仕えすることを誓います」と言った後に、今までと同じ状態に戻った場合、まるで彼は誓いを破ってしまったことになります。アッラーは信仰するしもべたちを責め給うかのように仰せになります:

「またわれらは、彼らの大半に約定(の履行)を見出さず、また、彼らの大半がまさに邪な者であることを見出した。」(高壁章102節)

 

誠実な悔悟の基本は、継続と安定です。人間がアッラーと共にいれば、アッラーからの力を感じることができます。アッラーは次のように仰せではなかったでしょうか:

「あなたにこそわれらは仕え、あなたにこそ助けを求める。」(開端章5節)

 

預言者ユースフ様(アッラーの平安あれ)は言われました:

「もし、あなたが私から彼女らの策謀を遠ざけ給わなければ、私は彼女らに心が動き、無知な者(たちの一人)となるでしょう。」(ユースフ章33節)

 

信仰者が正しくアッラーを信仰し、誠実な悔悟を成したのであれば、悔悟した状態で居続けられるためのアッラーからの御援助を求めるべきです。なぜなら、悔悟したのに、悔悟を破った人は信仰者に数えられないからです。

 

司会:先生、人は、罪そのものから悔悟するのですか?それとも、至高偉大なるアッラーに対する不服従から悔悟するのですか?

 

先生:信仰の道を歩んでいるところでふととある罪に足を外してしまった場合はその罪自体から悔悟します。しかし元来からアッラーから遠ざかっている人は、アッラーが禁じ給うたすべてのものからの悔悟を要します。そういった人が悔悟を欲する場合、限定なしにすべての罪から悔悟し、アッラーの御命令に忠実になることが好ましいです。代わって、信仰の道を歩む人の場合で、とある事柄で足を踏み外してしまった時は、その罪だけから悔悟をします。

 

司会:悔悟の構成要素の一つに、他人の権利が絡んだものがある場合、それを実行するか、その人を放免することも述べておくべきですね。

 

先生:過去の講義で、悔悟の構成要素が「知」と「状態」と「行為」であることをお話しましたが、「行為」は3部に分けられます。まず:今後この罪を二度と犯さないという決心と、今現在、この罪から抜け出すこと、そして過去を修正することつまり諸権利をその持ち主に返還することです。

 

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預言者伝【番外編15】

2016年01月08日 | 預言者伝関連

彼(アッラーの祝福と平安あれ)の寛大さと忍耐強さ:

アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は全被造物のトップであり、性格の素晴らしさと精神の高貴さと謙遜における教師でした。至高なるアッラーは次のように仰せです:「また、まことにおまえは偉大な徳性の上にある。」(筆章4節)彼(アッラーの祝福と平安あれ)もおっしゃいました:《主はわたしを躾け給うたが、その躾け具合は最良である。》また教友ジャービル様(アッラーの御満悦あれ)によると預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:《まことにアッラーはわたしを良き徳性を完成させ、良き行為の完了のために派遣し給うた。》またアーイシャ様(アッラーの御満悦あれ)は彼(アッラーの祝福と平安あれ)の性格について問われて言いました:《彼の性格はクルアーンでした。》(ムスリム)

また彼は、赦しと強い忍耐と寛大な心と我慢強さをお持ちでした。そこに賢い者たちの賢さも、詩人たちの空想も届きません。疑いの余地のない伝達経路がなければ、人々は彼(アッラーの祝福と平安あれ)を受け入れることはなかったでしょうが、実際は繋がった正しい伝達経路で、公正な人から公正な人に伝えられ、それが重なり、膨大な数で伝承されたことによって、信頼できる歴史よりもより確定した情報が元になっているのです。私たちには、このような形で伝承された一部のみで十分です。

彼(アッラーの祝福と平安あれ)の一番大きな敵に対する寛大さ・心の広さ・誠心的行為の一つを見てみましょう。かつてアブドゥッラー・イブン・ウバイという当時の偽信仰者のトップが死んだために墓穴に入れられた時のことです。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は人に命じて彼をそこから一旦出し、遺体をそのお膝の上に置かれ、彼の唾を遺体にかけ、ご自身の上着を遺体にかけられました。

教友アナス様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:私はアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)と歩いていました。彼(アッラーの祝福と平安あれ)はザラザラしたナジュラーンの服を着ていらっしゃいました。ある田舎者が現れて、彼(アッラーの祝福と平安あれ)の服を激しく引っ張りました。私は預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)の首筋が男が服を激しく引っ張ったために跡がついてしまったのを見ました。男が言いました:ムハンマド!おまえが持っているアッラーのお金からいくらばかりか恵んでくれ!私が彼(アッラーの祝福と平安あれ)の方へ振り向くむと、彼(アッラーの祝福と平安あれ)はお笑いになり、田舎者に恵ものを与えるよう命じました。(アル=ブハーリー) 

ザイド・イブン・サアナ様(アッラーの御満悦あれ)がイスラームに帰依する前のお話です。彼が預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)のところに来て、借金返済を求めました。その際、彼(アッラーの祝福と平安あれ)の肩から衣服をグッと引っ張り、粗野な態度で言いました:本当におまえたちアブドゥルムッタリブ一族は返済を怠る者たちだな。それを聞いていたウマル様(アッラーの御満悦あれ)が彼を叱りつけ、厳しく言い寄りました。このようなやりとりを預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は微笑みながらご覧になっていました。そしておっしゃいました:わたしと彼はこれ(ウマル様の怒り)ではないことをおまえよりも必要としているのだよ、ウマル!おまえはわたしに良い借金清算を命じ、彼には良い告訴を行うよう命じなさい。そして続けておっしゃいました:期限は3日残っている。彼(アッラーの祝福と平安あれ)はウマルに借金返済を命じ、その上に、ウマル様がザイド様を驚かせたお詫びとして20サーア(分の食料等)を追加するよう命じました。そしてこれがザイド様がイスラームに帰依するきっかけになりました。

教友アナス様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:マッカの武装した80人の男がアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)を目指してタヌイーム山から降りてきました。彼らは預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)の不意を狙っていました。しかし彼(アッラーの祝福と平安あれ)は彼らを捕虜にし、生かしておきました。

 

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