イスラーム勉強会ブログ

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預言者祝福祈願

2009年02月28日 | 他の解説
   2/26から陰暦ラビーウ・ル・アウワル月に入りました。そして今陰月12日は私たちの預言者(平安と祝福がありますように)が誕生された日と言われています。
 以下に、「預言者祝福祈願」について説明したものを貼り付けておきます。これを読むことで少しでもいつもの預言者(平安と祝福がありますように)への祈りの質が向上することを望みます、インシャーアッラー。
 私たちの彼に送る挨拶によって、アッラーも私たちを祝福し給いますように。アーミーン。
 
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 ★預言者(平安と祝福あれ)への祈願が好まれる機会
 
 ①ドゥアーの前。
  《ドゥアーする際、まずアッラーを賛美し、賞賛し、預言者に祝福祈願しなさい。そのあとに望むことを祈ればよい。》(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィー他伝承)
 
  《サラーに立つ者が預言者に祝福祈願するまで、ドゥアーは覆われたままである。》(アッ=タバラーニー伝承)
 
 ②彼の名を述べる時、耳にする時、書く時。
  《私の名が述べられても私に祝福祈願しない男の鼻は捻じ曲げられるだろう。》(アッ=ティルミズィー伝承)
  ※み使いが述べられたときに「サッラッラーフアライヒワサッラム(平安と祝福あれ)」と言おうとしない人を責めています。

 ③彼への祝福を多くするとよいとされる金曜日。
  《あなたたちの日々のうちで最も良い日は金曜日なので、その日には私に多くの祝福祈願をするように。まことにあなたたちの祈りは私に提示されている。》(アブーダーウードなど)
 
 ④手紙や、バスマラ〔ビスミッラーヒッラフマーニッラヒーミという文句〕の直後。
  アル=カーディー・アイヤードは言った:「イスラーム初期には存在せず、アッバース朝がし始めたことであるが、ウンマはそれを受け入れ、異端と見なさなかった。人々の間にそれは広がり、著作の締めくくりに預言者(平安と祝福あれ)への祝福を記す者もいた。」
 
 ⑤マスジドの出入り時。
  ファーティマ(アッラーのご満悦あれ)の伝えるハディース:《マスジドに入ったら、ビスミッラーヒッラフマーニッラヒーミ、ワッサラーム アラー ラスーリッラー、アッラーフンマ サッリ アラー ムハンマド ワアラー アーリ ムハンマド・・・(慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において、アッラーの使徒に平安あれ、アッラーよ、ムハンマドとムハンマド一族にに祝福を。)と言いなさい。》(イブン・マージャ、アッ=ティスミズィーなど)
 
★どのように預言者(平安と祝福あれ)に祝福と挨拶を送るか
 
 至高なるアッラーは、以下のように仰せられた。
 
『本当にアッラーと天使たちは、聖預言者を祝福(ユサッルーナ)する。信仰する者たちよ、あなたがたは彼を祝福(サッルー)し、(最大の)敬意を払って挨拶(サッリムー)しなさい。』(33/56)
 
※私たちしもべの側からアッラーに対するサラーは、「祈り」と解され、アッラー・天使・しもべの側から預言者(平安と祝福あれ)に対するサラーは、「祝福」と解されます。(詳細はタフスィールを参照)
 
 アーヤを基に、預言者(平安と祝福あれ)に祝福を送る際、サラーム(挨拶)もセットで送ることが好ましい。この形で祈ることがアッラーの私たちに対する呼びかけに応じた正しい姿であるゆえ、報酬が相応しくなる。
 
 アブー・ムハンマド・イブン・アジュラによると、預言者(平安と祝福あれ)が現れたところに、彼は次のように尋ねた:アッラーの使徒よ、あなたへの挨拶(タスリーム)の仕方は分かりましたが、祝福(サラー)の仕方が分かりません。預言者(平安と祝福あれ)は答えて言われた:《次のように言いなさい:アッラーフンマ バーリク アラー ムハンマド、 ワアラー アーリ ムハンマド、 カマー バーラクタ アラー アーリ イブラーヒーム、 インナカ ハミードゥン マジード(アッラーよ、以前にイブラーヒーム一族に栄光を授け給うたように、ムハンマドとムハンマドの一族に栄光をお授けください。まことにあなたこそ全ての賞賛と栄光の主です。)》(アル=ブハーリー、ムスリム)
 
 アブー・ハーミド・アッ=サーイドによると;人々が、アッラーの使徒よ、どのようにあなたに祝福すればよいですか、と尋ねた。彼は次のように言われた:《アッラーフンマ サッリ アラー ムハンマド、 ワアラー アズワージヒ ワズッリッヤティヒ、 カマー サッライタ アラー イブラーヒーム、 ワバーリク アラー ムハンマド ワアラー アズワージヒ ワズッリッヤティヒ、 カマー バーラクタ アラー イブラーヒーム、 インナカ ハミードゥン マジード(アッラーよ、以前にイブラーヒーム一族を祝福し給うたように、ムハンマドとその妻たちと子孫を祝福してください。以前にイブラーヒーム一族に栄光を授け給うたように、ムハンマドとその妻たちと子孫に栄光をお授けくだ
さい。まことにあなたこそ全ての賞賛と栄光の主です。)と言いなさい。》(アル=ブハーリー、ムスリム)
 
 上記の二つのハディースは、完全な性質を備えた預言者(平安と祝福あれ)祈願といえる。
 
 ★預言者(平安と祝福あれ)に祝福と挨拶を送る徳
 
 預言者(平安と祝福あれ)が次のように言われるのを聞いた、とウマルが言った:《ムアッズィン(アザーンの呼びかけをする人)の声が聞こえたら、同じことをあなたたちも言いなさい。そして私に祝福祈願をしなさい。まことに私に一回祝福祈願した者をアッラーは10回祝福し給う。そして私にワスィーラが与えられるよう求めなさい。それは天国における地位であり、アッラーのしもべ以外にはにふさわしくないもの。私は、私がそれを得ることを望む。そのため私にワスィーラが与えられるよう祈る者には私の執り成しが与えられるだろう。》(ムスリム)
 
 ※ワスィーラ:天国における高い位階
 
 アブドゥッラフマーン・イブン・アウフは言った:私がサジダを長時間にわたって行っているみ使いのところにやって来ると、彼は次のように言われた:《私のところにジブリールがやって来て、「あなたに一回祝福祈願した者を私は祝福し、あなたに一回挨拶した者に私は挨拶しよう。」と言ったので私はアッラーに感謝のサジダをしたのだ。》(アル=ハーキム、アル=バイハキーなど)
 
 アブドゥッラー・イブン・マスウードによると預言者(平安と祝福あれ)は言われた:《まことにアッラーには、私にウンマのサラームを私に伝えてくれる往来する天使たちがいる。》と言われた。(アン=ナサーイー、アル=ハーキムなど)
 
 またこうも言われた:《私に一度祝福祈願した者をアッラーは10度祝福し給い、10個の罪を消し給い、10段位を上げ給う。》(アフマド、アル=ブハーリーなど)
 
 ジャービル・イブン・アブディッラーによるハディース:預言者(平安と祝福あれ)は次のように言われた:《(礼拝への)呼びかけを耳にし、「ラッバ ハーズィヒッダワアティッターンマ ワッサラーティルカーイマ アーティ ムハンマディン アルワスィーラ ワルファディーラ ワブアスフ マカーマン マハムーダニッラズィー ワアッタフ(この完全なる呼びかけと、まさに行われようとしている礼拝の主よ、ムハンマドにワスィーラと栄誉を与え給い、そしてあなたが彼に約束し給うたところの賞賛に溢れた位階に彼を蘇らせ給え。)」》(アル=ブハーリー)
 
 ※ジャービルの伝えるハディースのアザーン後のドゥアーは、イスラミックファインダーのアザーン後に流れるドゥアーと同じです。
 
 ★預言者(平安と祝福あれ)祈願をしない者に対する叱責
 
 アリー・イブン・アビーターリムによるハディース:《完璧な吝嗇者とは、私の名前を聞いても祝福祈願しない者のことだ。》(アン=ナサーイー・アッ=ティルミズィーなど)
 
 アブーフライラによるハディース:《会合に参加した者たちが、アッラー念唱と預言者祈願をせずに解散した場合、アッラーは彼らに重荷を下し給う。かれが御望みになれば彼らを罰し給い、かれが御望みになれば彼らを赦し給うだろう。》(アッ=ティルミズィー、アブー・ダーウード)
 
 (完)

【サラー〔礼拝〕の徳】

2009年02月26日 | 求める者たちの道しるべ

【サラー〔礼拝〕の徳】
 

 サラーは宗教の柱であり、服従行為の始まりでもある。サラーの徳を扱った著名な多くの話が伝えられている。サラーの最もよいマナーはフシューゥ〔アッラー畏敬の念〕である。

 ウスマーン・イブン・アッファーン(アッラーのご満悦あれ)の伝えるハディース二つ。

★《定められたサラーが訪れ、ウドゥー〔小浄・サラーを有効にするための清め〕とフシューゥとルクーウ〔立礼・サラーの一単位〕を丁寧に行った者のサラーは、大罪を犯さなかった限り、その前までに犯した罪を消す。》

★《捧げる2ラカアの最中に雑念を抱かなかった者は、過ぎ去った罪が全て赦されるだろう。》

★アブドゥッラー・イブン・アッ=ズバイル※は、サラーに立つとフシューゥのために棒のようになるのだった。彼がサジダ〔額ずくサラーの一単位〕すると、彼の背中を壁の一部と思い込んだ鳥たちが飛んできてそこに降りてきた。ある日、彼が部屋でサラーしていると、馬が彼を蹴飛ばしに入ってきて、彼の服の一部を引きずって行ったが、彼は動じることがなかった。
※アッズバイル・イブン・アル=アワームを父、アスマー・ビント・アビーバクルを母に持つ預言者様ﷺがマディーナに遷都された後に生まれた初めてのムスリムの子である若い教友。

★マイムーン・イブン・マハラーン※は次のように言った:ムスリム・イブン・ヤサールがサラーの途中で振り向くのを私は一度も見たことがない。マスジドの壁が崩れたことに市場の人びとが驚いていたのに、その時マスジドでサラーをしていたムスリムが振り向くことはなかった。彼の家族は、彼が帰宅すると黙りこくり、彼がサラーのために立ち上がり外出すると、話し出し、笑うのだった。
※ラッカ生まれ。ウマイヤ朝第8代目カリフ、ウマル・イブン・アブドゥル=アズィーズがラッカの統治を任命。カリフの子たちの家庭教師も務めた。
★アリー・イブン・アル=フサイン※はウドゥーをするたびに顔色を悪くしていたので、「ウドゥーのときに、いつもこうなるのはなぜでしょうか。」と尋ねられた。彼は「私が一体、どなたの御前に立とうとしているか、あなたは分からないのですか。」と言った。
※預言者様ﷺのお孫様であるアル=フサイン様の子。
 
 【注意】サラーには、アルカーン〔基礎〕と、義務〔ワージバート〕と、スナン〔推奨行為〕がある。サラーの真髄は、ニーヤ〔意志〕と、イフラース〔誠意〕と、フシューゥと、フドゥール・ル・カルブ〔心の同在〕である。サラーには様々なアズカール〔伝承された祈願文句〕やムナージャート〔アッラーを呼びかける言葉〕や行為が含まれている。心の同在なしに、アズカールとムナージャートが目指しているものを得ることはできない。内面に秘められたことが表現されないと、それはただのうわごとになるからである。行為から目的が得られない場合も同じである。サラーに立つことの目的は奉仕。ルクーウやスジュードの目的は、自分を卑しめ、アッラーを賛美すること。心が同在しない場合、目的が果たされることはない。行為から目的が抜けてしまった瞬間、それは意味を持たない形となる。アッラーは仰せになる:『それらの肉も血も、決してアッラーに達するわけではない。かれに届くのはあなたがたの篤信(タクワー)である。』(巡礼章22章37節)このアーヤが意味するところは:至高なるアッラーと関係を築こうとする者とは、求められた命令事項への服従に心を応じさせ、また支配する性質を備えた者のことを言う。だからこそ、サラーの間、心が同在することは大切なのである。しかしイスラーム聖法は、突如現れる油断や不注意を見逃している。なぜなら、サラーの始まり時に心が同在しているとの判断が、残りのサラーに適用されるからである。
 
★サラーの真髄を完遂させるもの ★
 
 ①(今までに述べたように)心が同在すること。それに必要なのは、ヒンマ〔熱意・決意・やる気〕。あなたにとって気になる何かが起きる時、心は必然的に同在するだろう。心を同在させるための方法は、ヒンマをサラーに向ける以外にない。ヒンマを移行させる力は強くなったり弱くなったりするが、それは来世へのイーマーン〔信仰〕や現世を儚いものとする心の強さに左右される。あなたの心がサラーのときに同在しないときは、その原因があなたのイーマーンの弱さであることを知ること。そして、イーマーン強化のための努力を惜しまないこと。

 ②言葉を理解すること。これは心の同在の後方にあることだが、心が言葉の意味なしに発音とだけ同在しているかもしれないからである。そのため、雑念とその原因を追い払うことで、脳の理解力を言葉の意味の理解の方に移行させる必要がある。雑念の原因が取り除かれないと、心も雑念から離れることが出来ない。
 
-雑念の原因とは:聴覚・視覚を邪魔するようなはっきりしたものと、現世における不安を多極化させる、さらに根深い内面的なものに分けられる。内面的原因から来る雑念は、人間を忙しくさせるに充分。
 
-↑の治療方法:もし雑念の原因がはっきりした外面的なものであれば、視覚・聴覚を邪魔するものを断つだけで済む。例えば、キブラを向く。スジュード地点を見つめる。模様のついた場所を避けてサラーに臨む。五感の邪魔になるものを全て退ける。(預言者様ﷺが模様の付いたものをサラーの際に外した、という言葉が残っている。)
 
-もし雑念の原因が内面的である場合:サラーの中で読まれていることへ魂を強制的に追い返し、それ以外のことで忙しくならないようにさせる。そのためには、サラーに入る前からの準備が必要。自分を追いつめるもの(仕事など)を終わらせ、心を空っぽにすることに努め、来世を思い出し、アッラーの御前に立つ恐怖を思い出す。もしこの方法でも思考が落ち着かない場合、自分を忙しくさせかつ自分が熱望していることを考えているからなので、それら欲望を捨て、そしてそれに関連している全ての事柄を断たなければいけない。
 
【注意】「病」というものは、確定すると、強い薬しか効かなくなる。「病」が酷くなると、それはサラーする人を引っ張り、サラーする人もサラーが終わるまでそれを引っ張る。例えてみると、男が木の下で瞑想しようとしたにもかかわらず、小鳥たちの声が彼の邪魔をしているために男が手にしている棒で小鳥たちを追い払う様子。小鳥たちは再び戻ってきて彼を邪魔するので、結局彼は瞑想に集中できない。「終わらないな。何とかしたいんなら、木を倒してしまえ。」と忠告される。「欲望の木」も同じで、成長し、枝分かれすると、様々な思考がそれらに引きつけられる。それはちょうど、鳥たちが木々に寄ってきて、またハエがゴミにたかるのと同じ。貴重な月日(時間)は、追い払えきれないものを追い払うために流れていく。これらの思考を生み出す欲望の原因は、現世への愛に他ならない。
【注意】心の中にある現世への愛を断つことは難しいが、それを完全に消せるなら好ましい。それが可能な者には努力が与えられるだろう。アッラーこそ、成功させ給い、お力添えしてくださる御方。
 
(次回でこの徳の話は終わります、インシャーアッラー)

イブン・クダーマ・アル=マクディスィー師のミンハージュ・ル・カースィディーン短縮版(求める者たちの道しるべ)より抜粋。

ラビーウ・ル・アウワル‏

2009年02月20日 | 他の解説
アッサラームアライクム ワ ラフマトゥッラー、皆さん
 
いかがお過ごしでしょうか?
 
来る2/26から陰月ラビーウ・ル・アウワルに入ります。アラビア語で「ラビーウ」は「春」を意味し、「アル=アウワル」は序数の「第一」を意味します。季節がちょうど春だったからというとても単純な理由が「ラビーウ」と名付けられた由来です。
 
ラビーウ・ル・アウワルはイスラームが定めている聖月ではありませんが、様々な歴史的な出来事が起こりました。その中でも最も重要な出来事は、最後の預言者であるムハンマド様(平安と祝福あれ)の生誕です。彼(平安と祝福あれ)はこの月の12日にお生まれになったと言われています(一番有力な説)が、2日、8日であるという説もあります。彼の生誕にまつわるお話はどれも興味深く、読むたびに人類全てに遣わされた預言者に対するアッラーの恩恵を知ることが出来ます。また、預言者(平安と祝福あれ)がハディージャ(アッラーのご満悦あれ)とご結婚されたのも、預言者(平安と祝福あれ)がマディーナにヒジュラされたのもこの月です。
(詳しくは預言者伝をお読みください。)
 
 
アッラーの御加護と祝福が皆さんにありますように。
 
ワッサラームアライクム ワ ラフマトゥッラー

簡単イスラーム解説ビデオ

2009年02月20日 | 他の解説

youtubeで観られる簡単イスラーム解説です。
おそらく日本語で初めてじゃないですかね?良い仕上がりになっています。
もっといっぱいupして欲しいですね。
ご覧になった方も宣伝よろしくお願いします。




続きはこちら↓
1. http://www.youtube.com/watch?v=u4bndXaZxkg

2. http://www.youtube.com/watch?v=BCrzROxOyeo&feature=related

3. http://www.youtube.com/watch?v=hEbPGQYhalM&feature=related

4. http://www.youtube.com/watch?v=mWwB8O3XKr0&feature=related

5. http://www.youtube.com/watch?v=GvjHFchCxY8&feature=related

6. http://www.youtube.com/watch?v=yuH8pJtNXcw&feature=related

7. http://www.youtube.com/watch?v=xDuTxJO5iaw&feature=related

8. http://www.youtube.com/watch?v=gl8KNU6iVB8&feature=related


両親へ【2】

2009年02月04日 | 預言者の教育方法
イブン・カイイムは続けて言いました:

「子供のためになる学習を軽視し、放棄した者はとてつもなく悪いことをしたのです。子供の悪さの多くは、彼らの親たちのからやってきています。彼らは子供を無視し、宗教の義務や慣行を教えさせていません。すなわち親たちは子供を幼いときに迷わせたため、子供は親から何も享受できていませんし、成人してから親たちに恩恵を与えることもありません。ある人が自分の息子に親不幸者、と責めたときに息子がこう言ったそうです:お父さん!あなたは僕が小さいときに不服従(注:おそらく、子供の権利を満たしてくれなかった)ではなかったですか。だから大きくなった今、僕はあなたに従いません。また生まれたてのころにあなたは僕を失ったので、僕は年老いたあなたを失うのです。」

実に結婚と子供を設けることには大きな責任がついて回り、審判の日に人はそのことについて清算を受けます。アッ=ティルミズィーが出典したアブー・サイード・アル=フドリーとアブー・フライラ(アッラーのご満悦がありますように)によるハディースで二人が次のように預言者(平安と祝福がありますように)の言葉を伝えています:
《しもべは審判の日に連れてこられて次のように言われるだろう:わたしはなたに聴覚と、視覚と、財産と、子を授けなかったか?家畜と農作物をあなたに使わせなかったか?頭取り、あぐらをかかせなかったか?この日が自分にやってくると思っていたか?しもべはいいえ、と言う。彼は、今日、あなたがわたしを忘れたように、わたしはあなたをわすれよう、と言われる。》違う伝承には、「結婚させなかったか?」とあります。

中略

教育というものは子供が両親に対して持っている権利であり、(親が子に与える)授け物や贈り物ではないのです。預言者(平安と祝福がありますように)もそのように強く言われました:《実にアッラーは彼らをアブラール(バーッル:、孝行者、無罪の人の複数形)を名付け給いました。彼らは親たちと子供たちに孝行を尽くしたためです。あなたの両親はあなたに対して権利を持っているように、あなたの子供もあなたに対して権利を有しているのです。》(アル=ブハーリー)

両親へ【1】

2009年02月01日 | 預言者の教育方法
子供の教育について
1.はじめに
子供が生まれてから初めて目にするものは、彼の家と家族です。彼らの状態、生活の仕方などの第一印象が子供の脳に焼き付きます。全てを吸収できる状態にある柔軟な子供に、これら全てが染み込んでいきます。そして全てに対する反応を示します。以上が、子供が出会う初めての環境について言えることです。

アル=イマーム・アル=ガザーリーは言っています:「子供は両親の許に置かれた預かりものです。子供の無垢な心は、手付かずの宝石の原石なので、これから彫刻されること全てを受け入れていき、また彼に向けられたものに傾きます。善行に慣れさせられ、それを教えられれば、そのように育ちます。そして両親と、子供に付いている先生や世話人は現世でも来世でも幸せになるでしょう。しかし子供がもし悪行に慣れさせられ、家畜のように無視されたなら、不幸になり、滅びてしまいます。その責任は子供の保護者にあります。アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)は言われています:《子供は皆フィトラ(天性)をもって生まれてきます。両親が子供をユダヤ教徒や拝火教徒やキリスト教徒にしてしまうのです。》」

2.教育責任
アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)は、両親に子供の教育に対する全ての責任を負わせられました。イブン・ウマル(アッラーのご満悦がありますように)によると、預言者は、《あなたたちは皆ラーイー(羊飼い・保護者)です。皆それぞれが持つライーヤ(羊の群れ・被責任者)に責任を持ちます。イマームはラーイーであり、彼は自分のライーヤに責任を持ちます。男は家族のラーイーであり、自分のライーヤに責任を持ちます。女は夫の家のラーイヤであり、自分のライーヤに責任を持ちます。召使いは主人の財産のラーイーであり、自分のライーヤに責任を持ちます。つまりあなたたちは皆ラーイーであり、自分のライーヤの責任を持つのです。》(アル=ブハーリー、ムスリム)と言われました。

アッラーは両親に子供を教育するよう命じ給い、責任を負わせ給いました:「あなたがた信仰する者よ、人間と石を燃料とする火獄からあなたがた自身とあなたがたの家族を守れ。そこには厳格で痛烈な天使たちが(任命されて)いて、かれらはアッラーの命じられたことに違犯せず、言い付けられたことを実行する。」(66/6)
アリー(アッラーのご満悦がありますように)によると、「人間と石を燃料とする火獄からあなたがた自身とあなたがたの家族を守れ」は、あなたがた自身とあなたがたの家族に善いことを教えなさい、と言う意味だと言いました。

またアル=ファハル・アッ=ラーズィーは自身の注釈書内で「あなたがた自身を守れ」は、アッラーがあなたがたに禁止されたことを避けることだ、と言いました。

またムカーティルは、「ムスリムは自分自身と家族をしつけ、彼らに善行を勧め、悪を禁じなければならない」と言いました。

注釈書「アル=カッシャーフ」によると、「あなたがたを守れ(ること)」は、悪行の放棄と服従行為の完遂で得られ、またあなたがた自身を責める事柄であなたがたの家族を責めることで彼らを守りなさい、という意味になります。

子供を正し、常に彼らの間違いを修正させ、善行に慣れさせるためには大きな努力が必要です。これは諸預言者と諸使徒の道なのです。ヌーフはかつて息子を信仰へ誘いましたし、イブラーヒームは息子たちにアッラーお一人のみを崇めることを言い残しています。

そのためアル=イマーム・アル=ガザーリーは自身の書簡「息子よ」の中で、作物がきちんと育つためにとげを除き、雑草を抜くことで成長が完遂されることは、教育の意味に似ているとしました。

イブン・カイイムは言っています:「ある学者が言いました:至高なるアッラーは審判の日に父親について息子に尋ねる前に、まず父親に息子について尋ね給います。実に父親が息子に対して権利を有するように、息子にも父親に対して権利を有しているのです。「われは人間に、両親に対して親切にするよう命じた。」(29/8)、「人間と石を燃料とする火獄からあなたがた自身とあなたがたの家族を守れ」(66/6)と至高なるアッラーは仰っています。アリー・イブン・アビーターリブは、「彼らを教え、しつけることだ」と言っています。またアッラーは「アッラーに仕えなさい。何ものをもかれに併置してはならない。父母に懇切を尽くし、また近親や孤児、貧者や血縁のある隣人に親切であれ。」(4/36)とも
仰っています。また預言者(平安と祝福がありますように)は、《あなたたちの子供を公平に扱いなさい》と言われています。」

続く

(参考文献:預言者の子供教育法/ムハンマド・スワイド薯)