イスラーム勉強会ブログ

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68章解説【1】

2014年06月27日 | ジュズ・タバーラカ解説
1.ヌーン。筆にかけて、また、彼ら(人間や天使)が書くものにかけて。
2.おまえ(預言者ムハンマド)は、おまえの主の恩顧によって、狂人ではない。
3.そしてまことにおまえには、尽きない報酬がある。
4.また、まことにおまえは偉大な徳性の上にある。
5.いずれおまえは見、また、彼らも見るであろう、
6.おまえたちのいずれが気の触れた者であるかを。
7.まことに、おまえの主、彼こそは彼の道から迷った者についてより良く御存知であり、そして彼こそは、導かれた者たちについて最も良く御存知であらせられる。

この章には、1)アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の護衛、2)彼(アッラーの祝福と平安あれ)への称讃、3)アッラーからのメッセージ伝達における彼(アッラーの祝福と平安あれ)の決意の強化が含まれます。また、貧者が持つ収穫物における権利を取り上げたゆえに自分たちの果樹園が焦げてしまった果樹園の主たちに起きたようなことが、背信行為の報いとして起こるであろうことをマッカの民に警告しています。

まずアッラーはこの章を、(ن)ヌーンの一文字で始め給いました。これはアラビア語の文字の一つで、アッラーは他の章でも違う文字で章を始め給うています。章の頭に登場する文字たちに関していろいろな意見がありますが、ここでは不信仰者たちに警告する目的とされたという意見をご紹介しましょう。クルアーンの言葉は(当時のマッカの)不信仰者たちの言葉がつくりだしているものと同一であるため、クルアーンはアラビア語であることがわかります。クルアーンは彼らにとって不慣れな言葉で啓示されたわけではないということなのに、クルアーンに似たものを彼らは作ることができなかったのです。この事実はクルアーンが人間の作ったものではなく、まさにアッラーの許から下りて来たものである証拠です。それなのになぜ彼らは信仰しないのでしょう?

続いてアッラーは、筆と書くものにかけて誓い給います:「筆にかけて、また、彼ら(人間や天使)が書くものにかけて」何かにかけて誓うということは、そのものが尊く、高位にあり、多岐にわたる利点を持っていることを指します。

そのためアッラーは、数多くの効能と恩恵を人間にもたらす「筆」にかけて誓い給いました。かつてから、法律や科学やいろいろな知識が筆によって保存されてきたのです。アッラーは筆にかけた誓いの後、これらの書き記されたものたちにもかけて誓い給いました。アッラーは仰せです:「また、彼ら(人間や天使)が書くものにかけて」さまざまな書く方法が存在します。筆、ワープロ、印刷機といった文明は、数え切れないほどの人間たちに向けられた新聞や雑誌や書籍に載せられた思想、文化、科学の産物を運んだ印字とその進歩の結果の現れです。-クルアーンが啓示された-14世紀からアラブの人たちは-少数を除いて-文盲の中にいて、学校や大学といったものは彼らの間では知られていませんでした。また預言者ムハンマドは(アッラーの祝福と平安あれ)も-アッラーが望み給うた叡智により-文盲であったため、読むことも書くことも知らずにいました。これらはまだ世界が印刷機や製紙の発見に到達出来ていなかった時代のことです。そのため、その偉大さと重要さが現代において明らかになった「彼らが書くもの」にかけた誓いは、クルアーンのための科学的な預言なのです。

また筆と書くことにかけての誓いは、信仰者たちに知識と学習の基本である読むことと書くことに関心を持たせるよう思い起こさせてもいます。

次にアッラーはその使徒ムハンマドに語りかけ給う形で、多神教徒たちがでっち上げた彼が狂人であるとの疑いを否定し給います:「おまえ(預言者ムハンマド)は、おまえの主の恩顧によって、狂人ではない」ここでアッラーは、親近感と愛情を感じさせる「おまえの主」との表現でその使徒に彼の恩顧を確実にし給います。またアッラーは、預言というアッラーからの恩顧などと合致しない狂人であるとの疑いを使徒から払拭し給います。アッラーから彼への恩顧はあらゆる面から明らかでした:完成された理性、芳香漂う生き方、あらゆる欠点から無垢であること、すべての徳性を備えていること、などです。

狂人であるとの疑いは、預言者(アッラーの祝福と平安あれ)の心を傷つけ、感情を害させていたかもしれません。そこで慰めとなる次の聖句が続きます:「そしてまことにおまえには、尽きない報酬がある」不信仰者たちが預言者性のことを狂いだと主張しているが、おまえはおまえの民を誘導することにくじけてはならない。まことにおまえが導きという任務をこなすことに対する報奨は永続し、途絶えることはない。

続いてアッラーから預言者(アッラーの祝福と平安あれ)の偉大な徳性に関する証言が登場します。敵までもが認めるこの偉大な徳性に対する称賛に勝る称賛はありません。またアッラーの証言には、預言者(アッラーの祝福と平安あれ)を狂人と非難した者に対する説得力ある答えでもあります。なぜなら狂人は偉大な徳性を備えないからです:「また、まことにおまえは偉大な徳性の上にある」つまりおまえは良きマナーの上にある、それはクルアーンのマナーです。まさに預言者(アッラーの祝福と平安あれ)はクルアーンのマナーを身に付けていたのです。彼の妻アーイシャは彼について次のように言っています:《アッラーの使徒の性格は、クルアーンでした》。クルアーンにおける道徳が崇高であることは西欧の一部の学者たちも指摘しています。

称賛の言葉の後に、預言者(アッラーの祝福と平安あれ)を狂人と言い、迷っていると言ったマッカの不信仰者たちにアッラーが脅迫を伴って応答し給います:
「いずれおまえは見、また、彼らも見るであろう、おまえたちのいずれが気の触れた者であるかを。まことに、おまえの主、彼こそは彼の道から迷った者についてより良く御存知であり、そして彼こそは、導かれた者たちについて最も良く御存知であらせられる。」

つまり、預言者よ、おまえが彼らに勝つ時、おまえはそれを見るし、彼らもそれを見るのだ。「おまえたちのいずれが気の触れた者であるかを」おまえが気の触れた者なのか、それとも彼らなのか。まことにおまえの主こそ、導きと善の道から逸れた者をより良く御存知であり、アッラーの教えに導かれた者をより良く御存知であらせられる。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP27~29)

預言者伝68

2014年06月19日 | 預言者伝関連
213.アル=ジャアラーナからのウムラ:
  アル=ジャアラーナでフナインの戦が終わって捕虜と戦利品の分配が済んだ時のことです。マッカとアッ=ターイフの民のミーカートから約40kmほど離れたところにあるこのアル=ジャアラーナでアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はウムラのためにイフラーム状態に入り、ウムラを済ませ、マディーナに戻って行きました。それはヒジュラ暦8年のズ=ル=カアダ月のことでした。

214.服従する者たちであり、強制される者たちではない:
  信徒たちがアッ=ターイフから去ろうとする時、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が彼らに言われました:われわれは帰る者、悔悟する者、崇める者、主を讃える者、と言いなさい、と。彼らが:アッラーの使徒さま!サキーフに呪いがあるよう、アッラーに祈ってください、と言うと、彼は:アッラーよ、サキーフを導き、彼らがこちらに来るようにしてください、と言われました。

  するとサキーフの人間であるウルワ・イブン・マスウード・アッ=サカフィーが追いかけてきて、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がマディーナに入る前に彼に追い付きました。ウルワはイスラームに帰依し、自分の民をイスラームに呼びかけるために帰って行きました。ウルワは地元では愛される存在で、地位もあったのですが、イスラームに帰依したことを公にして彼らを新しい教えに誘おうとすると、人々に弓を放たれてしまい、殉教者として亡くなることになりました。

  サキーフの人たちはウルワを殺してから数カ月を過ごしました。そして周りのアラブには到底戦いでは勝てないであろうと話し合って結果を出しました。なぜなら回りのアラブはすでに忠誠を誓い、イスラームに帰依していたからです。そこでサキーフの人たちはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に使節団を派遣しました。

215.偶像崇拝に容赦なし:
  マディーナにやって来たサキーフからの使節団のためにアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は彼のマスジドの傍にテントを建てました。彼らはイスラームに帰依しましたが、あるお願いをしてきました。それは、偶像神の一つである「アッ=ラート」を彼らのために置いておき、3年間は壊さないで欲しいというものでした。しかしアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はそれを拒みました。サキーフの人たちは、では1年で良いから、と懇願しましたがそれもアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は拒み、最後には彼らがやって来てから1カ月だけでも良いからと懇願しました。もちろんアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は拒んで、アブー・スフヤーンとサキーフ出身のアル=ムギーラ・イブン・シュウバを派遣してアッ=ラートを壊すことにしました。またサキーフの人たちは礼拝を免除してほしいとも言ってきました。それに答えてアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は言われました:礼拝のない宗教によいことなどない。

  サキーフの使節団は用事を済ませると自分たちの土地に帰って行きました。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は彼らとともにアブー・スフヤーンとアル=ムギーラ・イブンシュウバを送りました。アル=ムギーラがアッ=ラートを壊してからはサキーフの間にイスラームが広まって行きました。そしてアッ=ターイフのすべての人間がイスラームに帰依することになりました。

216.カアブ・イブン・ズハイルの帰依:
  アッ=ターイフからアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が戻られると、カアブ・イブン・ズハイル(詩人であり、その父も詩人)が現われました。彼はかつてアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)を風刺したことがあるのですが、その後は立場が悪くなり、また自分自身も良く思わず苦しみました。そこで彼の兄弟のブジャイルがアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)のところへ悔悟、帰依した状態で行くことを強くすすめました。またそうしなければ悪い結末が待っているだろうとも警告しました。そのためカアブはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)を褒め称える句を入れた後に有名となる詩を読んだのです。

  マディーナに到着したカアブは、黎明の礼拝を済ませたアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)のところへ向かいました。そして彼の傍に座り、己の手を彼の手に置きました。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はカアブの外見を知りませんでした。カアブは彼(アッラーの祝福と平安あれ)に言いました:カアブは悔悟、帰依して現れ、あなたに安全を求めています。あなたは受け入れてくださりますか?するとアンサールの男が立ち止まって、言いました:アッラーの使徒さま、このアッラーの敵の首を落とさせてください。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は言われました:いや、彼を放っておきなさい。この男は悔悟し、悪事をなおざりにしてやって来たのだ。そこでカアブはかの詩を読み上げて、アッラーの使徒を褒め称える句を読みました。それを聞いたアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は上着(ブルダ)を脱いでカアブに着せました。

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P358~360)

69章解説【5】

2014年06月13日 | ジュズ・タバーラカ解説
44.そしてもし彼(預言者ムハンマド)がわれらに関しなんらかの戯言(たわごと)を捏造したなら、
45.必ずやわれらは彼を右手で捕らえ、
46.それから彼の大動脈を必ずや切ったであろう。
47.それでおまえたちの誰一人として彼を守る者はない。
48.そしてまことにそれ(クルアーン)は畏れ身を守る者への訓戒に他ならない。
49.そしてまことに、われらはおまえたちの中に(クルアーンを)嘘と否定する者がいることを確かに知っている。
50.そしてまことに、それ(クルアーン)は不信仰者たちにはまさに悲嘆(ひたん)である。
51.そしてまことに、それはまさに確信の(確実な)真実である。
52.それゆえ、大いなるおまえの主の御名を讃美せよ。

続いて、偽って預言を主張する者に対する警告がアッラーより発せられます:
「そしてもし彼(預言者ムハンマド)がわれらに関しなんらかの戯言(たわごと)を捏造したなら、必ずやわれらは彼を右手で捕らえ、それから彼の大動脈を必ずや切ったであろう。それでおまえたちの誰一人として彼を守る者はない。」

つまり、ムハンマドが戯言を言って、それらがアッラーからだとする場合、「必ずやわれらは彼を右手で捕らえ」つまり彼の右手を捕らえるということですが、彼を支配することを意味する婉曲表現です。つまり攻撃を仕掛ける右手を捕らえることが出来たらその者を押さえつけることに成功したことになるということです。またここでの「右」はアッラーの御力と能力を指しているとも言えます。また「大動脈」とは、心臓に栄養を送る血管で、心臓と頭を繋げていて、それが切れると人は死んでしまいます。「それでおまえたちの誰一人として彼を守る者はない」つまり彼が嘘を言うのを知ったわれらが、彼を滅ぼすのをおまえたちの誰一人として止めることは出来ない、ということです。これらのアーヤはもしムハンマドが預言者であるとの主張において嘘をついていたとしたら、必ずやアッラーが彼を殺していただろう、しかしムハンマドがおまえたちに彼自身が預言者であると言った際、アッラーが彼を殺さなかったところから、彼は真実を言っている、ということになります。アッラーの御力添えと御援助の存在がムハンマドが真実を言っていることのしるしです。

最後に、クルアーンの諸特徴について言及することで章は締めくくられます:
「そしてまことにそれ(クルアーン)は畏れ身を守る者への訓戒に他ならない。そしてまことに、われらはおまえたちの中に(クルアーンを)嘘と否定する者がいることを確かに知っている。そしてまことに、それ(クルアーン)は不信仰者たちにはまさに悲嘆(ひたん)である。そしてまことに、それはまさに確信の(確実な)真実である。それゆえ、大いなるおまえの主の御名を讃美せよ。」

クルアーンは「訓戒」である、つまり「畏れ身を守る者」にとっての。彼らは、主を畏れ、彼の罰を避けようとする人たちです。「そしてまことに、われらはおまえたちの中に(クルアーンを)嘘と否定する者がいることを確かに知っている」人々よ、われらはおまえたちの中にクルアーンを嘘だという者がいることを確かに知っている。「そしてまことに、それ(クルアーン)は不信仰者たちにはまさに悲嘆(ひたん)である」不信仰者は最後の審判の日に、畏れ身を守る者たちが報奨を得、自分たちは逆の悪き報いを得るのを見る。それを教えているクルアーンは彼らにとって悲嘆と後悔の原因です。これは来世においてですが、現世ではクルアーンの教えが世界中で実践され、その光があちこちに広がり、真実が不正を負かす時こそ、クルアーンが不信仰者にとって悲嘆となります。そして他にも、「それはまさに確信の(確実な)真実である」似たものはなく、疑いもない確定した真実である、という意味です。だからこそ、「それゆえ、大いなるおまえの主の御名を讃美せよ」おまえの主から、あらゆる欠陥的性質を排除して高めよ、そして彼の威厳と偉大な権力に相応しいように彼を讃えよ、という意味です。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP58~59)

69章解説【4】

2014年06月05日 | ジュズ・タバーラカ解説
30.(火獄の番人たちに対し言われる)「おまえたち、彼を捕らえ、彼を縛れ」。
31.「それから、焦熱地獄に彼をくべよ」。
32.「それから、長さが70腕尺の鎖の中に、彼を差し込め(繋げ)」。
33.「まことに、彼は大いなるアッラーを信じていなかった」。
34.「また、貧困者の食事(の施し)を勧めなかった」。
35.「それゆえ、今日、彼はここでは近しい者はなく、
36.「また膿のほかに食事はない」。
37.「それを食べるのは過ちを犯した者たちだけである」。
38.それでわれはおまえたちが見るものにかけて誓おうではないか。
39.また、おまえたちが見ないものにかけて(誓おうではないか)。
40.まことにそれ(クルアーン)は高貴なる使徒の言葉である。
41.そして、それは詩人の言葉ではない。おまえたちはほとんど信じない。
42.また、(それは)巫蠱(ふこ)の言葉でもない。おまえたちはほとんど留意しない。
43.(それは)諸世界の主からの降示である。

「(火獄の番人たちに対し言われる)「おまえたち、彼を捕らえ、彼を縛れ」。「それから、焦熱地獄に彼をくべよ」。「それから、長さが70腕尺の鎖の中に、彼を差し込め(繋げ)」。」

この罪人を捕らえ、その両手と両足を鎖で縛って、火獄の中に入れて苦しめろ、そして鉄で出来た70腕尺の鎖で彼の身体を繋げ、との命令です。

続いてアッラーはこの罪人が罰を受けることになった原因を解明し給います:
「「まことに、彼は大いなるアッラーを信じていなかった」。「また、貧困者の食事(の施し)を勧めなかった」。「それゆえ、今日、彼はここでは近しい者はなく、「また膿のほかに食事はない」。「それを食べるのは過ちを犯した者たちだけである」。」

この不幸者が来世で罰を受けることになった原因:アッラーへの不信・忘恩、アッラーの唯一性を信じなかった、貧しい者への慈悲の気持ちの無さ、です。そのためこのような不信仰で不幸者に来世では「近しい者」つまり彼が陥ってしまった災難から救い出してくれるような親しい人はいない、ということです。また火獄では彼に食事は「膿のほかに」ありません。それは、食べ物の中でももっとも醜いものと言われます。また火獄の中にいる人たちの身体から流れ出る液体とも言われます。それを食べるのは、「過ちを犯した者たちだけ」です。

次にアッラーは世界の存在の秘密にかけて、クルアーンがその使徒ムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)に伝え給うた彼からの啓示であることを誓い給います:

「それでわれはおまえたちが見るものにかけて誓おうではないか。また、おまえたちが見ないものにかけて(誓おうではないか)。まことにそれ(クルアーン)は高貴なる使徒の言葉である。そして、それは詩人の言葉ではない。おまえたちはほとんど信じない。また、(それは)巫蠱(ふこ)の言葉でもない。おまえたちはほとんど留意しない。(それは)諸世界の主からの降示である。」

至高なるアッラーは存在するすべてのもの、物質世界においてであっても精神世界においてであっても見えるものと見えないものにかけて誓い給いました。物質世界に関して言えば、科学は今もまだ閉ざされている自然の秘密を発見し続けています。大きな望遠鏡が作られると人間は今まで目にされることのなかった数億もの星を発見しました。またものを数十万にも拡大する顕微鏡が作られると、人間は細胞の驚異と不思議を前にそれらを創造した神の御力を讃えては狼狽しました。また細胞は地球に存在する生き物全ての素でもあります。人間はほかに、今まで知らなかった地球の自然が持つ不思議を発見しました。だからこそこれらの存在の秘密に関連するこの誓いの言葉は素晴らしいと言えるのです。

アッラーは、クルアーンとは高貴な使徒であるムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)が読んでいるものであると先ほどの言葉で誓い給いました。かつて預言者(アッラーの祝福と平安あれ)の任務を拒否した人たちの中には、彼は詩人であると言いましたが、アッラーはそれを否定し給いました。なぜならクルアーンはその構造が詩のそれとは異なっており、またムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)が預言者となる前とその後共に、彼が詩を作ったことがないと知られていたからです。

また次の聖句:「おまえたちはほとんど信じない」はおまえたちは元来より信じない、または心の中で信じてはいるがすぐに信じなくなる、という意味です。またアッラーは預言者から占い師の性質を取り除き給いました。なおアラブにおける占い師とは、秘密を知っているとか不可視を見ることが出来ると主張する者をさします。「おまえたちはほとんど留意しない」つまりクルアーンがアッラーの御言葉であってそれは占い師の言葉に似るものではないことからおまえたちが訓戒を得ることは少ない、という意味です。またかつてのアラブの占い師たちは独特の言葉の使い方、つまり韻の踏み過ぎ、そして謎めいた言葉の使いすぎで知られていました。また彼らはアッラーへの崇拝や道徳、多神崇拝と腐敗との戦いに人々を誘うことはありませんでした。

先述の節:「まことにそれ(クルアーン)は高貴なる使徒の言葉である」に注意です。この節はつまりクルアーンはムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)の言葉である、とあります。節は、「まことにそれ(クルアーン)は高貴なる使徒の言葉である」つまり彼は個人的にそれを言っているのではなく、アッラーから送られた使徒してそれを言っている、という意味です。このことを次に続く聖句が明白にします:「(それは)諸世界の主からの降示である」つまりアッラーからの啓示であるということです。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP55~57)