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続)ムスリムの子ども教育-5- 子どもにいつ礼拝を教えますか?

2018年12月31日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

 

続)ムスリムの子ども教育-5-

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生12」(22;28~37:25)

https://www.youtube.com/watch?v=JpETpYyw1zU 

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもたちへの教育

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子ども達への接し方の特徴は、物質的なものよりも、精神的なものをたくさん子ども達に与えていたことです。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が旅からお戻りになると、まず子ども達が彼(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を出迎えていました。

アブドッラー・ブヌ・ジャアファル様(アッラーのご満悦あれ)はこう伝えています。

 

《アッラーの使徒が旅から戻ってきたとき、彼は彼の家族の子供達に迎えられたものでした。あるとき、彼が旅から戻ったとき、私が最初に彼のところに行った。すると彼は私を彼の前に乗せた。それからファーティマの息子の一人(ハサンまたはフサイン)が来たので、彼は彼を後ろに乗せた。このようにして私達三人は動物(ラクダ)に乗ってマディーナに入ったものでした。》ムスリム伝承

 

ハディース《アブーウマイルよ、小鳥はどうしてしまったの。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がマディーナのアンサール達(アッラーのご満悦あれ)の家に行くと、必ず、そこの子ども達に挨拶をし、頭をなで、アッラーのバラカ(祝福)があるようドゥアーし、優しく接しました。もし子どもが悲しい顔をしていたりすると、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、その子の悲しみに寄り添いました。アナス・ブヌ・マーリク様(アッラーのご満悦あれ)の弟が、小鳥(サヨナキドリ、ナイチンゲールとも呼ばれる。上の写真参考。)を飼っていましたが、その小鳥が死んでしまって悲しみに暮れている子どもに対し、声をかけているハディースが残っています。

 

アナス・ブヌ・マーリク様(アッラーのご満悦あれ)は伝えています。

 

《アッラーのみ使いは何人も比肩し得ない、高潔な品性を供えておられた。時に、私にはアブー・ウマイルと呼ばれていた(幼い)兄弟があった。

私は、彼は既に離乳されていたと思うが、アッラーのみ使いがわが家に来られた時、彼を御覧になり、

「(やさしく)アブーウマイルよ、小鳥はどうしてしまったの」と申された。

彼はその時(死んだ)小鳥と遊んでいたのであった。》ムスリム伝承

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、小鳥が死んでしまって悲しむ子どもの気持ちに寄り添う声かけをされています。私たちは、時には、子どもが何かを失って悲しんでいると、「そんなのまた買えばいいじゃない。」とか、「ママが新しいのを買ってあげるからね。」「今度はもっとかわいいのを買おうね。」とか、その子の気持ちを消すように、その子の抱えている問題を解決するように、声かけをしてしまいますが、そうすべきではありません。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、「もっとかわいいのをあげるから悲しむのを止めなさい。」とか、「大丈夫、今度は小鳥を5匹取って来てあげるから。」など、その子どもが感じている感情を他の物に取り換えて、解消するような声掛けはされませんでした。なぜなら、そういった声掛けは、その子の感情が成長するのを妨げてしまうからです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がかけられた言葉は、「(やさしく)アブーウマイルよ、小鳥はどうしてしまったの」という、その子の感情を消すのではなく、悲しみの感情に寄り添い、心の成長を助ける言葉でした。

 

子どもに対するこの短い一言、「(やさしく)アブーウマイルよ、小鳥はどうしてしまったの」というハディースについて、イマーム・シャーフィイー師(アッラーのご慈悲あれ)は、一晩かけて検証し、150個のイスラーム法学の見解を導き出しました。

例を挙げると、「子どもが小鳥を飼うことがムバーハ(許される行為)であること」、「子どもをクンヤ(近親呼称、クンヤ(*…の父、…の母などの命名法)で呼ぶことが奨励される行為(ムスタヒッブ)であること」などです。

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、ここで、まだ授乳が終わったばかりの子どもに対して、「アブー・ウマイル(ウマイルの父)よ」と呼びかけています。この呼びかけ方は、子どもに尊厳を与え、その子が責任感を持つことができるように声掛けをする、というイスラーム的教育方法です。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、子ども達をよくクンヤで呼んでいました。孫のハサン様(アッラーのご満悦あれ)は、「アブー・ムハンマド(ムハンマドの父)」と呼ばれていました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が亡くなった時、ハサン様(アッラーのご満悦あれ)はまだ8歳の子どもだったにもかかわらず。また、孫のフサイン様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)は、「アブー・アブドゥッラー(アブドゥッラーの父)よ。」と呼んでいました。娘のザイナブ様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)の子どもである、孫のウマーマ様(アッラーのご満悦あれ)は、「ウンム・ハーリド(ハーリドの母)よ」と呼んでいました。このハディースでも、同様に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、小鳥を亡くした子どもに対して、「アブー・ウマイル(ウマイルの父)よ」と呼びかけています。

 

アラブ圏でも、現在は、実際にその子に子どもができて親になるまで、クンヤでは呼ばない習慣が定着してしまい、「あなたのクンヤはなんですか?」と聞くと、「私はまだ結婚していません。」という答えが返って来ます。しかし、子どもに対してクンヤで呼ぶことは、子どもが尊厳を感じ、責任感を持ち、大人の仲間入りをしたように感じることで、自分に対する自尊心を育てる効果があります。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもへの罰の与え方

 

質問:預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、子どもが間違えた時に、どうやって罰を与えていましたか?

 

回答:まず最初に、子どもに対する罰というのは、正しい方向へのしつけであって、ただの「怒りのはけ口」であるべきではありません。多くの親が、子どもが間違ったことをしているのを見て、怒りを覚えた時に、罰を与えています。つまり自分の怒りを晴らすために罰を与えています。これは大きな間違いです。お母さん、お父さん、どうかしっかり聞いてください。子どもに対する罰の大きさは、あなたの怒りの大きさに比例すべきではありません。罰の程度は、その間違いの程度としつけの必要性によって決定されるべきです。もちろん、しつけは必要ですが、間違ったことをすると自分が損をすること、正しいことをすると自分が得をすること、を子どもにしっかりと理解させ、学ばせることが必要です。

 

その上で、罰を与える時であっても、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、決して、子どもを叩いたり、ぶったり、身体的な罰を与えることはなかったことを知らなければなりません。これは、子どもに限らず、女性に対しても、奴隷に対しても、誰に対しても、敵に対する防衛の戦い時に、敵に応戦することを除いては、一度も、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は誰かに暴力を振るうことはありませんでした。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、ただ、子どもが間違えていることを、子どもが理解できるように気付かせました。

 

ムスリムの子ども教育の最初からの講義でお伝えしてきたように、イスラーム的に、産まれる前から、子どもの教育のために気を付けることはたくさんあります。まず、結婚の時の正しいニーヤ(意思)、良い配偶者を選ぶこと、子どもを授かる時のドゥアー、妊娠中に母親がズィクルを沢山すること、妊娠中の胎児にハラールの食べ物を与えるよう父親が自分の収入源に気を付けること、産まれた子どもの右耳にアザーンを、左耳のイカーマを唱えること、(つまり、体のための栄養を与える前に、魂の栄養を与えることによって、子どもに、体の栄養よりも魂の栄養を優先することを教える)、子どもによい名前を選ぶこと、など、これらの多くのスンナは、産まれる前から5歳になるまで、子どもに対して、特に、大きな愛情を与える必要があることを示しています。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のハディースにも、その重要性を教えているものがあります。

 

《預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、その子(フサイン)の前に出て行くと、両手を広げ、彼をあちらこちらに歩かせながら、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は彼とたわむれ、そして、彼を抱き上げると、片手を彼の顎に、もう片方の手を彼の頭に置いて、彼にキスをしてこう言いました。

「フサインは私の一部です。また私はフサインの一部です。フサインを愛する者をアッラーは愛します。」》イブン・マージャ伝承

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のこのハディースは、子どもに対して、愛情をたっぷりかけることを私たちに教えています。フサイン様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)に向けられたような、子どもに対する大きな愛情と慈愛、そして、他のハディースであるように、右手で食べるように、というようなはっきりとした言葉で、子どもに善いことを教えること、このふたつが、子どもに罰を与える必要性を大きく減らします。

 

子どもにいつ礼拝を教えますか?

 

小さい時から、アッラーと預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に対する愛情を子どもの心に植え付けることがとても大切です。そして、子どもが、分別年齢(タムイーズの年:学者間の相違があり、7歳とも、右手と左手がわかるようになった年とも、イスティンジャーができるようになった年、とも、ファーティハ章をうまく詠めるようになった年とも言われる。だいたい7歳かそれ以下の年齢。)に達したら、その子に、礼拝を命じなければなりません。つまり、タムイーズの年になるまでは、子どもに礼拝を命じません。ただ、大人が礼拝するところを沢山見せて、一緒に礼拝に立つようになったら、それを励まし、褒め、きれいな礼拝着を買ってあげたり、その子用の礼拝絨毯を買ってあげたり、奨励していくと、子どもは、自分の人形にも礼拝をさせたりして遊ばせ、礼拝に親しみ、礼拝が好きになります。

 

タムイーズの年齢前は、礼拝を命じませんが、ただ、子どもに親が礼拝をするところ見せて、「ママ、どうして礼拝するの?」と聞かれたら、「アッラーに近づくためによ。ママはアッラーのことが大好きだからね。」と、子どもの心に、アッラーへの愛情を植え付けます。「アッラーは私たちのことが大好きなのよ。礼拝をする時は、アッラーとお話できるのよ。礼拝をすると、アッラーは私たちに話しかけてくださるのよ。」タムイーズの年齢までは、ただ、礼拝をするところを見せて、礼拝したい気持ちにさせ、子どもが礼拝を自分からすることがあれば、沢山褒めて、礼拝を好きにさせることが大切です。

 

(訳者注:この話をされているのは、イエメンの先生なので、イスラーム圏であるイエメンでは、小さい子どもが礼拝に触れる機会は、日本よりもずっと多いはずです。日本で、幼稚園などでムスリムでない日本人のお友達に囲まれて、誰も礼拝をしない状況で、家だけで先生がおっしゃるようにして、子どもが礼拝を好きになるかどうか、は、疑問が残るかもしれません。ただ、親が、礼拝が大好き、という姿を子どもに見せて、先生がおっしゃるように、きちんと言葉でも伝えることは、日本であっても、とても大きな影響が子どもにあると思います。

反対に、親自身が、礼拝をさぼっていたり、やりたくない気持ちが少しでもあると、子どもが親を見て、礼拝は面倒くさい物、煩わしい物、と思ってしまうことは十分あり得るでしょう。親が思う以上に子どもは、親の気持ちにとても敏感なので、子どもの前で、礼拝をさぼったり、煩わしく思ったりしないよう、いつも「礼拝大好きオーラ」を出し続けられるといいですね。大好きなお母さんが大好きな礼拝を、子どもも大好きになるでしょう、インシャーアッラー。)

 

そして、タムイーズの年齢、7歳(日本では年長さんから小学1年生)になったら、「マーシャーアッラー!あなたはもう大きくなったから、お祈りのやり方がわかるのね。」と、礼拝を一緒にさせます。7歳から10歳までは、礼拝の練習期間です。

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《7歳になったら、子どもに礼拝を教えなさい。10歳になって(しなかった)ら、叩きなさい。》アブー・ダーウードとティルミズィー伝承

 

10歳(日本では小学4年生~5年生)になっても、義務の5回の礼拝ができなければ問題なので、7歳から10歳までの3年間できちんとできるように練習します。ただ、先ほどお話したように、産まれる前から、きちんとイスラーム教育をされてきた子どもには叩く必要はまったくありません。ただ、10歳になって、礼拝を怠ったら、叩かれる、という上記のハディースを教えるだけで、十分でしょう。(・・・続く)

 

(訳者注:マレーシアに住んでいたシスターが、6才になったら毎日義務の礼拝を必ず一回する、7才になったら二回、と毎年一回増やしていくと、10才には五回の礼拝が欠かさずにできるようになるというやり方をされていて、お子さんが無理なく、学校でもきちんと義務の礼拝ができるようになっていました。マーシャーアッラー。)

 

日本のムスリムの子ども達が、アッラーと預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を大好きになって、礼拝を大好きになりますように!

 

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続)ムスリムの子ども教育-4-預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもたちへの教育

2018年12月24日 | 預言者の教育方法

続)ムスリムの子ども教育-4-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生12」(最初13:35~22;28)

https://www.youtube.com/watch?v=JpETpYyw1zU 

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもたちへの教育

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子ども達への接し方の特徴は、物質的なものよりも、精神的なものをたくさん子ども達に与えていたことです。子ども達への愛情や思いやりもそのひとつです。小さな子どもは大人の温かい愛情が何よりも必要です。また、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が与えていたもののひとつに、子ども達へのドゥアーもあります。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、自分の子どもにも、彼(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のところにやって来る他の子ども達にも、ドゥアーをしてあげていました。子ども達は、それによって、自分に価値があることを感じ、自尊心を育むことができます。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、道で子どもにすれ違うと、ご自分から、子どもに挨拶をされていました。現在では、子どもが大人のいるところに行くと、「あっちに行ってなさい。」「ああ、うるさい、向こうで遊んでなさい。」とすぐに邪魔者扱いすることがあります。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、決してそうではありませんでした。子ども達に尊厳を与えて、ご自分から、子ども達に挨拶をされていました。

 

子ども達にはわかります。自分達の親が、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のところに行くと、どんなに礼儀正しくしているか、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の話を聞くときには、まるで頭に鳥が止まっているように、微動だにせず傾聴し、お顔を直視することさえしないほど両親が尊敬している預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)、彼(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がウドゥーをすると、流れ落ちる水を自分たちの手に受けようと争わんばかりになるほどの尊敬を受けているその御方が、小さな自分に会うと、自分にほほ笑まれて、自ら挨拶をしてくれることが、どんなに子どもにとって、嬉しく、自尊心を高めてくれることでしょうか。

 

《彼は、アンサールを訪問する時、子ども達の傍を通りかかると、彼らに挨拶をし、彼らの頭をなでました。》ナサーイー伝承

 

アナス様(アッラーのご満悦あれ)は言いました。

《私が預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)と一緒にいた時、子ども達の傍を通りかかると、彼らに挨拶をなさっていました。》ティルミズィー伝承

 

質問:預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、どのように子どもに教えていましたか?

回答:ある時、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が食事の席に着くと、子どもが一緒の席で食べていました。現在では、子ども達を別に座らせて食べさせることがありますが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は大人の間に子どもを座らせて食べていました。食事のマナーを学ばせるためです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)と同じ食事の席についていたその子は、お皿の上の料理にあちらこちらから手をつけ、食べ散らかしていました。それを見た預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、おっしゃいました。

 

《少年よ、アッラーの名を唱え、右手で食べなさい。そして、あなたの近くにある物から食べなさい。》ブハーリー伝承

 

子どもの行動を正す時の預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の言葉を見てください。まず、「少年よ」と、その子に呼びかけ、その子に対して、敬意を払っています。いきなり、「こら!左手で食べるんじゃない!」とか、「そんな風に食べ物をぐちゃぐちゃにすんじゃない!」と怒ったり、叱ったりはされませんでした。子どもがすべきことを、丁寧にきちんと教えていらっしゃいました。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の女児の待遇

 

また、ある時、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が礼拝のためにモスクに入ると、娘さんのザイナブ様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)の子どもである、孫のウマーマがよちよち歩きで後を付いてきました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、イマームとして礼拝に立つと、ウマーマを抱き上げ、礼拝を始めました。ルクウ(屈身礼)の時もウマーマを抱いたまま行い、そのまま直立に戻り、サジダ(跪拝(きはい))をする時には、ウマーマを横に置き、サジダをしました。2ラカート目に立った時には、ウマーマを抱き上げて立ち礼拝を続けました。

 

この預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の振舞いから、イスラーム学者達は、幼児を抱いて礼拝する方法や、礼拝中の余分な動きについての見解など数多くのフィクフ(イスラーム法学)の見解を導き出しました。それと同時に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のこの振舞いには、人々への教育的な教えが含まれていました。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の時代は、まだ女の子が産まれると生き埋めにしていた無名時代が終わったばかりで、人々の間には、女児への嫌悪感が残っていました。子どもが産まれると、男の子なら喜び、女の子なら悲しむという時代でした。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がイスラームを伝え、イスラームがその悪習を払しょくしました。その時代に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が女児を抱いたまま、大勢のサハーバ達(アッラーのご満悦あれ)の前にイマームとして立ち、女児を抱えたまま礼拝をするという行いは、人々に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、女児に対して喜びを持って迎えているということを広く知らしめました。

 

現代においても、地域によっては、女児よりも男児の方が喜ばれるという無名時代の名残があることがありますが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、そのことに満足なさいませんでした。なぜなら、そうした偏見を持った大人たちの女児を見る眼差しや接し方が、何も言わなくても、その子の中に大きな影響を与えることをご存知だったからです。また小さな子どもへの気配りや保護についても、このハディースは教えてくださっています。

 

礼拝の邪魔をする子どもについて

 

ある時、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が集団礼拝をしていた時、サジダ(跪拝(きはい))をされたまま、長い間、そのまま動かなくなりました。サハーバ達(アッラーのご満悦あれ)は、礼拝中に預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に何かあったのかと心配になるほど、そのサジダは長く続きました。あるサハーバは心配になり、頭を上げて預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を見ると、孫のハサン様かフサイン様(お二人にアッラーのご満悦あれ)が、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の背中に乗っていて、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はその姿勢から動きませんでした。集団礼拝のイマームをしていて、子どもが背中に乗り終わるまで、ずっとサジダの姿勢で待っていたのです。

 

現代は、子どもが礼拝の場所に来ると、「うるさい!」「静かに!」「あっちに行きなさい。」と適当にあしらったり、もしくは、「こっちに来て、テレビを見てなさい。」「YouTubeを付けてあげるから、見てるのよ。」と言って、子どもにスマホやパソコンを与えています。なぜでしょうか?ただ、子どもを静かにさせて、子どもに邪魔されず、自分のしたいことをするためです。しかも、子どもがテレビで何を見ているのか、スマホでどんなゲームをしているのか、注意を払うことがありません。ただ、子どもが静かになればそれでいい、とばかりに、子どもにネットを与えてしまいます。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、子どものために、集団礼拝のイマームをしていた時さえ、サジダを長くなさいました。礼拝が終了すると、サハーバ達(アッラーのご満悦あれ)が、サジダが長かったのであなたに何か起きたのか、それとも、啓示が下りたのでしょうか、と尋ね、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、

《そうではありません。ただ、この子が、私に乗ってきたので、彼の要求を満たすまで、急かせたくなかったのです。》

とおっしゃいました。子どもを無理やり下すどころか、背中の上から満足して自分で下りるまで、そのままにして、サジダを続けられたのです。

 

現代では、礼拝中に子どもが背中に乗って来たり、礼拝しているところを邪魔すると、親が、子どもを叩いて向こうに行かせ、それをタクワー(アッラーへの畏怖)の行為だと思っていたりします。先日、先生がエジプトのアズハルモスクで礼拝をした時、一列目に並んでいたら、そこに小さな子どもがやって来て、それを見た大人が、怒った様子で向こうへ行け!とすごい形相で指を差し、子どもはびっくりして逃げて行きました。もちろん、礼拝をしている人の前を通ることは避けなければならないことですが、「教え方」があります。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、礼拝中であっても、子どもを背中から降ろさずにそのままにしておかれたことを考える時、子どもへの接し方を反省させられます。

 

また、この預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の行為から、ある学者は、ハサン様かフサイン様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)が、大勢の大人たちが並んで礼拝している集団礼拝の最中に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の背中に乗った、ということは、家や他の場所でもいつも預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がそうしていた、という印だ、と言っています。確かに、マスジドの荘厳な雰囲気の中で、今までやったことがないことを小さな子どもが突然するのは難しいでしょう。これは、いつも預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の背中に乗って遊んでもらったり、ということが、習慣になっていたことの印だということです。

 

私たちが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のように子ども達に接することができますように。

 

 

ムスリムの子ども教育10~家庭の重要性 

 

 

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続)ムスリムの子ども教育-3-預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもたちへの愛情

2018年12月21日 | 預言者の教育方法

続)ムスリムの子ども教育-3-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生12」(最初~13:35)

https://www.youtube.com/watch?v=JpETpYyw1zU 

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもたちへの愛情

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、すべての創造物に対し、もっとも慈悲深い御方でしたが、特に、子ども達のことが大好きな方でした。

 

信仰深い人に見られる子どもたちに対する愛情について、ある敬虔な方は、いくつかの理由を挙げています。一つ目は、子どもたちはできないことがたくさんあるという点です。子どもは、成長の過程で、いろいろなことが少しづつできるようになっていく途中の状態です。アッラーに近しい人たちは、アッラーの偉大さを感じれば感じるほど、自分の小ささを感じ、アッラーに対して謙虚になり、自分が何もできない存在だと認めます。するとアッラーは、彼らの心に、慈悲を御恵みくださり、助けを必要としている存在を見ると、彼らはその人たちへの慈悲を感じるようになります。子どもが小さければ小さいほど、彼らは大きな慈悲を感じます。それは、年配の方々に対しても同じです。年老いて何もできなくなった人を見ても、信仰深い人たちは、彼らに対し大きな慈悲を感じます。

二つ目は、敬虔で心がきれいな人たちは、同じように心がきれいな人に対して慈悲を感じます。子どもたちの心は汚れのない純粋できれいな状態です。そのため、子どもたちは、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のご慈悲を、他の人たちよりもたくさん受けていたのです。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)には、7人のお子さんがいらっしゃいました。男の子が3人、女の子が4人、男の子は小さい時にみんな亡くなっています。息子のイブラーヒームが亡くなった時、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は涙を流していました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の、息子への愛情深さをハディースに見ることができます。

 

《私はアッラーの使徒の前でその子供が最後の息を引き取るところを見た。そのときアッラーの使徒の両目からは涙が溢れていたがこう言った。

「目は涙し心は悲しみ(でも)私達は主の満足すること以外は何も言えません。アッラーに誓ってイブラーヒームよ、まこと私達はあなたのために悲しみます。」》ムスリム伝承

 

《私はアッラーの使徒よりも家族に優しい人を見たことがない。

(預言者の息子の)イブラーヒームがマディーナの郊外の乳母のもとへ預けられていた。それで彼(預言者)はよくそこへ出かけたが私達も彼の供をした。そして彼がその家に入ると家の中には煙が充満していた。なぜならその子の養父は鍛冶屋であったからです。さて彼は息子を抱きしめキスをしてそれから帰ったものでした。》ムスリム伝承

 

イブラーヒームが死んだ時、母親はまだ彼に授乳をしているほど小さな乳児でした。

 

《イブラーヒームが死んだときアッラーの使徒は次のように言った。「イブラーヒームは我が子、彼は乳飲み子のまま死んだ。まことに彼には天国で離乳するまで乳母夫妻がついている。」》ムスリム伝承

 

この言葉には、幼子を亡くした妻に対する預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のご慈悲が現れています。自分の子どもたちを亡くした預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の心情は、その後、お孫さん達への大きな愛情となって現れます。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の孫の、ハサン様、フサイン様、ザイナブ様、ウマーマ様(彼らにアッラーのご満悦あれ)への愛情です。

 

《それから彼(預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ))は戻り、ファーティマ様の家にやって来て「子どもはそこにいますか?子どもはそこにいますか?」と尋ねた。つまりそれはハサンのことでした。

さて私達は彼の母親がまず彼をつかまえ、水を浴びさせ、服を着させ、花の首飾りで彼を飾りつけているのであろうと思っていました。こうして待つほどもなく彼(ハサン)が走ってきて、お互いに抱きあった。そこでアッラーの使徒は次のように言った。

「アッラーよ、私は本当に彼を愛しています。どうかあなたも彼を愛して下さい。また彼を愛する者を愛して下さい。」》ムスリム伝承

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の胸は、お孫さんたちにとってのあそび場で、その肩は、彼らの乗り物で、唾液は、彼らの飲み物でした。

 

ジャービル様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)は伝えて言いました。

《私が預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のところに行くと、彼はハサンとフサイン(お二人にアッラーのご満悦あれ)を背中にのせて(四つん這いの状態で)歩いていました。私が、「あなた達のラクダはなんとすばらしいこと。」と言うと、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、「この二人は、なんとすばらしい騎手でしょう。」とおっしゃいました。》

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、ここで子どもの教育について教えています。子どもに対して惜しみない愛情をそそぐこと、そして、子どもに尊厳を与えること、子どもを良い見方で見ること、また、それを直接子どもに伝えることです。今の時代に多くの親が、子どもの悪いところを探して、それを伝えるという逆のことをしています。

 

《私は、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がフトバ(金曜礼拝の説教)をしているのを見ました。そこに赤い服を着て、つまづいたり立ち上がったりしている(よちよち歩きの)ハサンとフサイン(お二人にアッラーのご満足あれ)がやって来ると、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、(ミンバルから)降り、二人を抱えると、膝に置き、言いました。「アッラーとその使徒は真実を伝えました。本当にあなた方の財産と子どもは、フィトナ(誘惑)です。私はこの二人を見て耐えられなかったのです。」それから、フトバを続けました。》イブンマージャ伝承

 

《私はアッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、ミンバルの上にいるのを見ました。ハサン・ブヌ・アリーと並んで。彼は人々の方を一回見、彼の方を一回見ていました。そして言いました。「実に私のこの子は、人々の長です。アッラーは、きっとこの子を使って、ムスリムの大きなふたつのグループの間を仲介するでしょう。」》ブハーリー伝承

 

ここでも、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、子どもに対して、良い希望を持つことを教えてくださっています。子どもに対して、「本当におまえは頭が悪い。」「なんでこんなこともできないんだ」と言い続けることは、その子の自信を奪い、その言葉通りの状態へと子どもを導きます。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、その逆のことをなさっていました。子どもに対して輝かしい将来を告げ、子どもが希望を持ち、自信を持てる言葉がけをしていました。

 

《アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、アブドゥッラーとアビードゥッラーやアッバース家の子ども達を並べると、「私に先に来た子には、云々」と言っていました。彼らは競い合って彼に向かい、彼の背中や胸に乗っていました。そして、彼は彼らを抱きしめ、キスをしました。》アハマド伝承

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもたちへの愛情深さは、どの時代の親も学ぶべき姿勢です。子ども達は、親の愛情をとても必要としています。子どもに愛情をかけることは、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のスンナです。

 

私たちの子どもたちに、アッラーのご加護がありますように。

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