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続)ムスリムの子ども教育-23-番外編~Q&A

2020年06月30日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

 

続)ムスリムの子ども教育-23-番外編~Q&A

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生18」(20:10~最後)@エジプト

https://www.youtube.com/watch?v=7ZIe_KLHIRE   

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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視聴者からの電話相談:「私の父親は、イスラーム大学の出身で、イスラームに関する知識が沢山ありますが、家では、イスラームとまったく反対のことをします。家族を大切にしない、母にひどく当たるなど、父の言動はとてもイスラームを学んだ人とは思えません。父がひどい言動をするたびに、父の知識は何の役にも立っていない、と絶望的な気持ちになります。どうしたらいいですか。」

 

回答:まず、あなたのお父様がムスリムとして良い模範ではなかったにも関わらず、こうしてアッラーが、あなたに導きをお与えくださり、善いことと悪いことの判断が正しくできる心をお与えくださったこと、善いことを好むきれいな心をお恵みくださったことに、感謝します。最初にすべてきことは、あなたが間違った道に傾かなかったことに対して、「アルハムドゥリッラー」とアッラーに深く感謝することです。

 

そして、その感謝をアッラーに表すためには、行動が必要です。どんな行動でしょうか。お父様の悪い言動に惑わされず、父親孝行をしていくことです。これが難しく聞こえることはわかっています。でもあなたはお父様のことを嫌悪している訳ではなく、お父様の言動に腹を立てているだけで、それは正しい怒りですが、あなたはお父様を嫌っている訳ではありません。なぜなら、あなたにとって、お父様は、あなたに恵みを与え良くしてくれた方、あなたが今ここに存在する原因となった方だからです。

 

今の状況において、あなたができることは、3つあります。

1.まず、お父様への真摯なドゥアーを毎日続けて行くことです。夜に任意の礼拝をして、スジュード(跪拝)をし、アッラーの前で泣いて懇願してください。

「アッラーよ、どうか父を導いてください!

父を地獄の炎からお救いください!

どうか父の状態を正してください!

父を、あなたへの崇拝行為に使い、あなたがお好きな状態にしてください!

父が学んだ知識を、罰するための証拠とせず、報奨を与えるための証拠としてください!!」

こう言いながら、必ずアッラーが叶えてくださると確信してドゥアーしてください。

 

2.お父様がどんなに悪い言動をしてきても、あなたは、善いことで返しましょう。難しいことはわかります。しかし、不可能ではないことです。お父様に良くしていくことです。善行を惜しまないでください。あなたがお父様に対して、善い言動をしていき、愛情を表してくことは、お父様の心をやわらかくします。お父様の心がやわらかくなったら、あなたのアドバイスを受け入れられるでしょう。アドバイスは直接的ではなく、何度も繰り返し言わないように注意します。

 

3.お母様への気遣いと親孝行。お父様がお母様に優しくできないのなら、あなたが、お母様にもっと優しく親孝行をしていきましょう。

 

この3つを行っていくことで、アッラーの元でのあなたの地位が変化します。あなたにはアッラーからすごい報奨が届きます。また、アッラーが、お父様を改善するために、あなたを使ってくださるようになります。あなたは、それができる方です。アッラーがあなたのお父様と私たちにお導きをお与えくださいますように!

 

 

視聴者からの電話相談:「私の娘は、義務のお祈りをしません。どうしたらいいですか。今、娘と一緒にあなた方のテレビ番組を見ているので、先生から、娘に忠告を与えてください。」

 

回答:娘さんに善いことをお望みになったことに対して、あなたにアッラーの祝福がありますように。これを見ている娘さんへ、どうかお母様があなたのことをテレビで相談されたことに対して怒ったりしないでください。見ている人にはあなた方が誰だかわからないですから安心してください。まず、あなたにお伝えしたいことは、お母様はあなたのことを愛している、ということです。もしあなたのことを愛しておらず、あなたに善いことを望まず、あなたを悪いことから守ろうと必死になっていなければ、こんな風にテレビに電話相談をすることはなかったでしょう。お母様はあなたのことを愛しています。

 

この人生には、様々な目標があり、叶えたいことがあり、またあなたが避けたいと思う災難もあります。生きている限り、人が、様々な心配事から完全に解放されて、心の底から安心できる方法はありません、ただアッラーとのつながりを持つ以外には。アッラーとのつながりを持つことの基本は、礼拝です。礼拝を、ただ、義務でやらなければならない面倒なこと、と捉えないでください。礼拝を、その瞬間は、確実にアッラーとつながることができる特別な瞬間、と捉えてください。アッラーに話しかけてください。アッラーがあなたに話しかけています。アッラーとあなたの間のこの約束の時間はかけがえのない重要なものです。

 

きっとあなたは礼拝したいと思っているでしょう。ただ、周りのお友達や学校のクラスメートに、礼拝への願望がないのかもしません。どうか礼拝している友達を探してみてください。あなたが礼拝を守ることを簡単にしてくれる友達を探してみてください。そして、もしあなたが、うっかりして義務の礼拝を逃してしまった時には、お母様があなたに怒りだすのを待たずに、自分から立ち上がってカダーの礼拝(埋め合わせの礼拝)をしましょう。そして、アッラーにドゥアーをするのです。

 

≪アッラーフンマ アインニー アラー ズィクリカ ワ シュクリカ ワ フスニ イバーダティク≫

 

このドゥアーはそんなに長くないですから、覚えて唱えてみてください。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、ムアーズ様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)にこうおっしゃいました。

 

≪ムアーズよ、実に私は、アッラーに誓ってあなたのことが好きです。だから、すべての礼拝の後にこう言わずにいてはいけません。:アッラーよ、どうかあなたを思い出すことと、あなたに感謝することと、あなたへの崇拝行為をきちんとできるように、私を助けてください。※≫ アブーダーウード、ニサーイー伝承 

※アラビア語≪アッラーフンマ アインニー アラー ズィクリカ ワ シュクリカ ワ フスニ イバーダティク≫≫

いつもこのドゥアーを唱えてみましょう。アッラーが全力であなたを助けてくださるのを感じることができるでしょう。

 

 

視聴者からの電話相談:「アッラーに対して善い見方をしなければならないことはわかっていますが、時々、シャイターンのささやきが入って来て、アッラーのことを悪く考えるよう自分にささやきかけます。どうしたらいいですか。」

 

回答:シャイターンのささやきは、相手にしないことが一番です。相手にしない、というのは、それを聞き続けたり、議論したりしないことです。ぼんやりしている時に、アッラーに対して悪いささやきが入って来たら、立ち上がってウドゥーをし、礼拝して、ズィクルをします。その考えを追いかけないことです。シャイターンのささやきは、長いロープのような物です。それを引き抜こうと引っ張ると、どこまでも続いて終わりがありません。治療法は、無視すること、そして、それを嫌悪すること、アッラーへのズィクルをして自分を忙しくすることです。

 

 

視聴者からの電話相談:「自分を害する相手に対して、イスラームでは、相手に対して善いドゥアーをするように、とよく聞きますが、自分にはとても難しくてできません。自分に悪いことをする相手に仕返ししてはいけないのですか?」

 

回答:あなたは、自分を害する人に対して、ドゥアーをすることが、とても難しいということですが、アッラーがあなたを祝福しますように。それはもちろん難しいことです、しかし、完全に不可能なことでもありません。まず、それをするためにあなたを助ける初めてのステップがあります。

 

まず一つ目のステップは、相手にドゥアーをすることの方が仕返しをするよりも良いことだ、と認めることです。不可能だ、とか、ドゥアーをすることは良くない、と言わないでください。仕返しよりもレベルが高い対処法は、ドゥアーをすることだ、と認めることが第一歩です。

 

二つ目は、これまでの人生を振り返って、自分も誰かに対して間違えを犯したことがある、と気付くことです。そして、最後の審判の日に、アッラーの御前に立った時に、自分がこれまで犯した数々の過ちを、アッラーが許してくださることを望むことを思い出します。アッラーは、私たちに、相手を許すことを奨励し、あなた達は、私に許されることを望みませんか、とおっしゃっています。

 

【かれらを許し大目に見てやるがいい。アッラーがあなたがたを赦されることを望まないのか。本当にアッラーは寛容にして慈悲深くあられる。】クルアーン 御光章22

 

あなたが自分を害する人を許し、彼のためにドゥアーをすればするほど、アッラーはあなたをお赦しになられ、過去にあなたが害した人達に対して、あなたを許すことに満足する気持ちをお恵みくださいます。あなたが彼を許すことに満足したように。

 

このことを実行に移すのを簡単にするために、どうか、昔の敬虔な方たちのお話を読んでみてください。預言者伝(スィーラ)やサハーバ物語、アッラーに近しい人達がどのように自分を害する人達に接していたのか、読んでみてください。でも彼らは自分とは違う、、、と言わないでください。預言者達(彼らに平安あれ)はアッラーに罪を犯さないよう守られていますが、他の人達はそうではありません。それでも、彼らは人を許し、人を許すことは可能なことです。アッラーが私たちとあなたの心に、人を許す高徳さをお恵みくださいますように。最初は、難しく感じるかもしれませんが、継続していくうちにアッラーがあなたを助けてくださり、簡単にしてくださるでしょう、インシャーアッラー。

もし、彼にドゥアーをしてあげなければ、彼は、あなたに対する害を継続するか、もし止めたとしても、あなた以外の人を害することを止めないかもしれません。しかし、もしあなたが彼に導きをドゥアーしてあげたら、彼は善良な人となって、あなたに対する害も止め、あなた以外の多くの人に対する害も止めるでしょう。そうすれば、あなたが人々への彼の害を止めたことになります。

 

アッラーが私たちの心を正してくださいますように✨ ✨ ✨

 

 


続)ムスリムの子ども教育-22-番外編~Q&A

2020年06月24日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

 

続)ムスリムの子ども教育-22-番外編~Q&A

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生18」(最初~20:10)@エジプト

https://www.youtube.com/watch?v=7ZIe_KLHIRE   

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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視聴者からの質問:「10代の私は、親に対して感謝するつもりはない。親のせいで私の人生はメチャメチャになった。親はハラームのことをしてお金を稼ぎ、そのハラームのお金を私達子どもに食べさせておきながら、良いムスリムになれ、親を尊敬しろ、と言う。できるわけがない。私の親は、目標でも 見本でもない。」

 

回答:イスラームでは、両親というのは、彼らを通して、アッラーへと近づく存在、親孝行によって、アッラーのご満足を得る存在です。親に対して、疑問に思うことを尋ねたり、話し合ったりする際には、親に対する礼儀があり、親に対しての言葉遣いの礼儀は、それを守ることで、子ども自身がその利益を受け取るものです。しかし、彼女がこういったことを言うのは、彼女自身がとても深く傷ついているからであり、彼女には親の愛情が今とても必要です。もし、これを聞いて、自分の子どももこう思っていると感じた親御さんたちは、どうかお子さんを、愛情を持って抱きしめてあげてください。

 

しかし、彼女がここで言っている内容は、親自身に対する真剣な批判で、ハラームのお金を家に持ち込むことは、親自身が考え直さなければならないことです。彼女は、自分がそのお金で食べていかなければならないことを知り、絶望しています。親御さんたちは、この真剣な訴えに、しっかり耳を貸さなければなりません。

 

また、子ども達に忠告したいことは、どんな親であっても、アッラーがあなたに与えた親に対する恩義があるということです。どんなに沢山罪を犯している親であっても、どんなに自分に対し間違いを繰り返そうとも、無視することができない、忘れてはならないことがあります。それは、彼らは、貴方がこの世に存在する原因となった存在だ、ということです。彼らがいなければ、貴方はこの世に存在していない、という恩です。

 

◇子ども教育以外の質問~番外編

質問:「夫が亡くなり、4歳の娘と2人で暮らしています。夫が残した遺産から生活費を捻出していますが、その遺産に、ザカート(義務の喜捨)はかかりますか?」

 

回答:遺産であっても、額がニサーブ(金85グラムの金額)を超えていたら、一年ごとに2.5%のザカートを支払う義務が発生します。毎年、一年に一度だけ、2.5%のザカートを支払うことで、残りのお金にアッラーがバラカ(祝福)をお与えくださいます。ザカートを支払うことで、生活費の中にアッラーのバラカ(祝福)が現れ、その影響は、それを使うご本人と、娘さんにも現れるでしょう。

 

 

質問:「私は今、ヒジャーブをしていませんが、ずっとヒジャーブは義務だと思っていました。しかし、イスラームをよく知っている友人は、義務ではないと言っています。女性にとって、ヒジャーブをかぶることは義務ですか?それともスンナや、できればやった方がいいことですか?」

 

回答:すべての学者の一致した見解では、ヒジャーブは、女性にとっての義務です。イスラーム学者や、イスラームを少しでも学んだことがある人なら、女性にとって、手と顔を除く全身を覆うことが義務であり、ヒジャーブが義務であることを知っています。これは、すべてのイスラーム学者が一致していることで、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の時代から現代におけるまで、変わることのない義務です。もし誰かが、この点について異なる意見を言ったとしたら、それは、明らかに詐欺であり、宗教を弄んでいるだけでしょう。

 

しかし、現在ヒジャーブをしていないけれど、ヒジャーブが義務であることを知っていて、アッラーに対し恥ずかしさを感じている女性は、ヒジャーブの義務を否定しヒジャーブをしない人達よりも、ずっと優れた状態にあり、アッラーの元でより高い地位にいます。なぜならば、イスラームにおける義務である「ヒジャーブの義務」を否定することは、「ヒジャーブをしないこと」よりもずっと大きく危険な罪だからです。ヒジャーブをしていない人がすべきことは、宗教を弄ぶことではなく、自分の罪を自覚し、アッラーに赦しを乞い、アッラーのお導きと真実へ戻ることができるよう、ドゥアーをしていくことです。

 

また、ヒジャーブをしていない女性に対して、まるで何の価値もないように振る舞ったり、彼女のすべてを否定したり、彼女はイスラームについて何も知らない、と断罪したり、批判したりすることは、イスラームにおいて正しい行いではありません。また反対に、ヒジャーブの女性が悪い振舞いをすると、「あれでは、ヒジャーブの意味がない!」と言うこともおかしなことです。ヒジャーブは女性の義務です。その女性はヒジャーブの義務を遂行している、ただそれだけです。ヒジャーブの女性の中にも、優れた人徳の女性もいれば、間違いを犯す女性もいます。ヒジャーブの女性がすべて、イスラームの先生であるかのように勘違いする人がいますが、ヒジャーブの女性の中にも、嘘をついたり、人を騙したり、悪行を行う人もいます。

 

現在は、特に、ヒジャーブの女性が少ない地域では、ヒジャーブの女性の言動に何か少しでも間違いを見つけると、「見て見て!ヒジャーブの女性が、あんなことをしている!」と言ったりしますが、彼女はヒジャーブの義務を行っているけれど、他の事では間違えてしまった、というだけのことです。その間違いに対してはアッラーが彼女を清算するでしょう、ただそれだけです。また、ヒジャーブをしていない女性であっても、高い人徳を持ち、すばらしい女性も沢山います。その高い人徳のバラカ(祝福)によって、アッラーが、彼女たちにヒジャーブの恩恵をお恵みくださるでしょう、インシャーアッラー。

 

 

質問:「夢で預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を見るために、何をすればいいですか?」

 

回答:この質問をされた方には、アッラーによるタウフィーク(成功)があったということです。アッラーが、彼の心の中に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に対する熱望をお恵みくださったからです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、こうおっしゃいました。

 

≪夢で私を見た者はいずれ目が覚めているときに私を見るであろう。

あるいはあたかも目覚めている状態で私を見るであろう。

なぜならば悪魔は私の姿を真似できないからである。≫ムスリム伝承

 

これは、私達に預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を恋しがらせるためだけにおっしゃったことでしょう。

ご質問は、どうすれば預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を夢で見られるか、ということですが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への熱望が強くなれば、見ることができます。継続して行っていくことで、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の夢をお恵みいただける4つの事柄をご紹介します。

 

1.預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への祝福祈願を沢山行う

 

2.預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を愛すること(シャマーイルやスィーラ等の預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の伝記やお話を常に読んで、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に愛着を覚え、彼への尊敬と愛情で心を満たすこと)

 

3.彼(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のスンナを賞賛し強化すること。そのご人徳やスンナの行いを自分が模倣することに尽力すること。

 

4.彼(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のウンマ(イスラーム共同体)に対し尽くすこと。自分の周りのムスリムのウンマに対し、自分に何ができるかを常に考え実行していくこと。このことによって、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に近づくことができる。

 

祝福祈願は心がこもっているかどうかが大きなポイントになります。心のこもった祝福祈願を継続していくこと、です。

 

アッラーが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を現世と来世で拝見できる幸せを、私たちにお恵みくださいますように✨ ✨ ✨

 

 


続)ムスリムの子ども教育-21-思春期の子ども達とのかかわり方(12)視聴者からの質問5

2020年06月14日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

 

続)ムスリムの子ども教育-21-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生17」(46:00~最後)@イエメン

https://www.youtube.com/watch?v=b13M2hUECcU   

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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イスラームにおける思春期※の子ども達とのかかわり方(12)視聴者からの質問

 

※思春期:

医学的には「第二次性徴の発現の始まりから成長の終わりまで」と定義。(ウィキペディア)

イスラーム的には「10歳からブルーグ※までの時期」

※ブルーグとは?:ムカッラフ(イスラーム法学上の義務行為を行う義務が課せられる者)になること。男の子は精通、女の子は初潮が来ると「ムカッラフ」となる。ブルーグに達した子どもたちは、すでに思春期を卒業し、「ムカッラフ」として、アッラーの元でイスラーム的な義務を負う「成人」の状態になる。

 

番組に寄せられた子どもからの質問:「最近、父が亡くなりました。亡くなった父を、母はとても恨んでいて、父から受けたひどい扱いについていつも話します。最近産まれた自分の子どもに、父の名前を付けようと思っていますが、母からは、絶対に父の名前をつけるな、と反対されています。母の話を聞いて、父への尊敬が揺らいでもいます。どうしたらいいでしょうか。」

 

先生の回答:「あなたの状況はよくわかりました。まず、イスラームにおける父親の権利と母親の権利というところからご説明します。亡くなったお父様に対する権利は、彼のためにドゥアーをすること、お墓を訪問すること、彼の友人や兄弟姉妹に良くすること、です。また、あなたにとっての母親の権利というものもあります。そして母親の権利は、父親の権利よりもより重要です。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のハディースにあるように、誰に一番尽くすべきか、という質問に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、あなたの母親です、次もあなたの母親です、その次もあなたの母親です、と三回繰り返し、その次は?と四回目に尋ねられて初めて、あなたの父親です、とおっしゃいました。

 

しかし、父親の権利を果たさないことが、母親の権利の一部に含まれることはありません。つまり、母親を満足させるために、父親の権利を果たさない、ということはできません。そこにはバランスがあります。母親の権利が父親の権利よりも大きいからと言って、母親の権利を使って、あなたに、父親の権利を放棄させる、ということはできないのです。亡くなられたお父様の権利を果たすことは、お母様を傷つけることなく行うことができます。両方の権利を大切にするために、お母様を傷つけない方法で、お父様の権利を果たすことだけに集中してください。

 

また、もし、お母様に会うたびに、亡くなったお父様の悪口を聞くことに耐えられないのであれば、お母様が落ち着いている時を見て、お母様に声をかけてみてください。決して、お母様に、「あなたは間違っている」、とか、「亡くなった父の悪口はもうやめてくれ」、などと直接言ったりしないように気を付けましょう。お母様は、あなたが、もう自分の味方ではなくなり、すっかり父親の味方になってしまったと感じてしまうからです。そうではなく、「お母さん、お父さんは間違っていたかもしれない、お母さんを傷つけてしまったし、苦しめた。僕にはお母さんの苦しみを全部わかってあげることはできない。でも、お父さんはもう死んでしまったんだ。もうここにはいない。ただアッラーのご慈悲があるだけだよ。」一度だけ、こう話して、お母様の手を取って、しっかり慰めてあげてください。お母様が、あなたがお母様のことを本当に大事に思っている、と心から感じられるように、側にいてあげてください。もしかしたら、お母様は、お父様が亡くなったことで、あなた達の気持ちがお母様から離れて、お父様の方に関心が行ってしまった、ひどい目にあって来た自分は子ども達に忘れ去られてしまった、と感じ、寂しく感じているのかもしれません。

 

また、お子さんの名前については、問題ありません。お父様の名前を付けることは、お父様に対しての義務ではないし、あなたがお父様に対してできることはもっと他にたくさんあります。お母様を傷つけない形で、お父様の権利を果たせばよいことです。他の良い名前を付けて、お母様を満足させてあげてください。」

 

司会者「彼の問題は、一般的によくあることです。子どもが、父親と母親に意見の相違がある場合、どちらの側に付くべきか?とても悩みます。また、子どもが父親に対して嫌悪感を抱く一番の理由は、父親が母親に対してひどいことを言った、母親に暴力を振るった、母親を大切に扱わない、こういったことで、そこから、父親を嫌悪するようになることがよくあります。しかし、子どもには、親の喧嘩の原因をすべて理解できる訳ではありません。子どもは、父親の側につくか母親の側か、どうやって選んだらいいのでしょうか。」

 

先生の回答:「この問題の核心は、どちらに付くかという点ではありません。根本は、子どもの見ている目の前で、親が互いの意見の相違を見せてしまい、喧嘩をすること、それ自体です。もし父親と母親の間に問題が生じたのなら、二人で部屋に入り、子ども達のいないところで、それを解決すべきです。子どもから遠く離れたところで、自分たちだけで問題解決をすべきです。子どもの目の前で、両親が言い争っているということが決してあってはなりません。子どもが思春期を過ぎて、親の問題を一緒に解決できる年齢になっており、教育的に問題を子どもに提示するのであれば別ですが、そうでなければ、決して子どもの前で夫婦の意見の食い違いを話し合うべきではありません。

 

まして、父親が母親に怒鳴っている、暴力を振るっている、母親が父親に向かって叫んでいる、、、こんな姿を子どもに決して見せるべきではありません。もし相手が急にそういったことをしてきても、子どもの前でそれが起きるのを避けるため、トイレでもお風呂場でも行って、その場を離れましょう。両親のそんな姿を見てしまった子どもは、精神的にとても不安定になります。子どもの心が破壊されます。親のそんな状態を見せておきながら、自分の両親を尊敬しなければならない、と言われる、子どもは訳が分かりません、これは、とてもとても大きな問題です。これは、子どもの問題ではなく、親の問題です。

 

しかし、もしも自分の親がこういった状態で、親の夫婦喧嘩を見てしまった場合、アッラーは、あなたにこういったことを、家庭を持った時には決してしないように、という教訓を与えてくださっているのだ、と理解しましょう。それはアッラーの英知です。あなたは、親の喧嘩を見てしまった、それがどんなに子どもにとって辛い経験か、よくわかっています。あなたにはそれが理解できます。あなたの子どもに、この苦しみを決して味あわせないようにしよう、と決意してください。

 

また、注意しなければならないのは、あなたがどんなに親の欠点を見たとしても、それを、親への礼儀を欠く言い訳にすることはできない、という点です。あんな親は、親孝行される資格がない、、、そんなことはありません。どんな親であっても、親の欠点が、あなたに対する親の権利を無効にするわけではありません。父親が、どんなにひどい人であっても、あなたは、父親に対して礼儀正しく接するべきであり、母親がどんなにひどい人であっても、あなたは、母親に対する礼儀を欠くことは許されません。なぜなら、アッラーが、私たちにそう命じているからです。親がムスリムであっても、ノンムスリムであっても同じです。

 

親孝行は、アッラーが私たちに義務付けていることです。親孝行は、崇拝行為です。欧米でも日本でも、親にどう接するかは、ただ家族の問題、社会的な問題だと思われていますが、イスラームは、そうではありません。このことは、最近のアラブ圏の若者達にも、しっかり時間を取って説明しなければならなくなってきていますが。イスラームでは、親に対する振舞いは、もっと重要な問題です。私と父の関係は、それによってアッラーへと近づく崇拝行為です。母との関係は、それによってアッラーを崇拝することができる、とても大切なものです。また、両親にとっても、子どもとの関係は、それによってアッラーを崇拝することができる、崇拝行為です。この点が理解できていれば、親が自分に何もしてくれなかった、親にひどいことをされた、という狭い枠から解放され、違う視点を持つことができます。」

 

アッラーが私たちに親孝行をお恵みくださいますように✨ ✨ ✨

 

 


続)ムスリムの子ども教育-20-思春期の子ども達とのかかわり方(11)視聴者からの質問4

2020年06月09日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

 

続)ムスリムの子ども教育-20-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生17」(34:44~46:00)

https://www.youtube.com/watch?v=b13M2hUECcU   

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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イスラームにおける思春期※の子ども達とのかかわり方(11)視聴者からの質問4

 

※思春期:

医学的には「第二次性徴の発現の始まりから成長の終わりまで」と定義。(ウィキペディア)

イスラーム的には「10歳からブルーグ※までの時期」

※ブルーグとは?:ムカッラフ(イスラーム法学上の義務行為を行う義務が課せられる者)になること。男の子は精通、女の子は初潮が来ると「ムカッラフ」となる。ブルーグに達した子どもたちは、すでに思春期を卒業し、「ムカッラフ」として、アッラーの元でイスラーム的な義務を負う「成人」の状態になる。

 

番組に寄せられた子どもからの質問:「前回の父親を憎んでいるA君からの手紙を聞いて電話しています。僕も、父のことが大嫌いでした。昔から両親の喧嘩が絶えず、父と母が争っているのを見て、ある日、母に同情するあまり、父に反抗的な態度を取ってしまいました。

父はまもなくして、交通事故で急死しました・・・。父の生前、自分は父にとって、反抗的で親不孝な息子だった。特に、あの日、父に対してとったひどい言動を思い出すと、悔やんでも悔やみきれない後悔の念に苛まれます。父が亡くなってしまった今、もう父が、自分の罪を許してくれる方法はないのでしょうか。」

 

先生の回答:あなたのその「後悔」の念が、すべてを可能にするでしょう。誠実な悔悟には、後悔の念が伴います。あなたが、自分の行いを反省し、アッラーに悔悟し、赦しを乞うことが、お父様への償いの第一歩であり、自分の罪が赦されないかもしれない、という不安を拭い去ります。お父様がすでに亡くなっていても、です。

 

まず、お父様が亡くなった後、あなたの前には、たくさんの親孝行の扉が開いています。お父様の墓を訪問すること、お父様のためにドゥアーすること、クルアーンを詠み、その報償をお父様に贈ること、お父様への報奨となるように、というニーヤ(意思)でサダカをすること、ハッジやウムラ巡礼を、自分の義務を遂行した後、お父様の代わりに行うこと、お父様のご親戚や血縁関係のある人達と良いつながりを持つこと、彼らを訪ね、近況を聞き、彼らに孝行すること、お父様のご友人や同僚達に良くすること、こういったお父様への親孝行は、お父様のところに届き、お父様がそれらを感じます。お父様の墓の前に立ってサラームを言い挨拶したら、お父様はあなたにサラームを返し返事をし、あなたのことを感じます。お父様の魂は、あなたの気持ちを感じます。

 

前回の父親を抹殺してほしいというA君の手紙の後、こうして同年代の彼から、父親を亡くした体験が寄せられたことには意味があります。どんなに親を憎んでいても、親は親であり、親の本当の価値は、亡くなって初めて気付くものだ、ということを、彼の体験は伝えてくれています。親の権利は、とても大きいものです。もし、今、A君がこのテレビを見ていたら、もしくは、この社会に存在する、A君と同じ気持ちを持っている大勢のA君達がこれを見ていたら、伝えたいことがあります。

 

もちろん、あなたのお父様は間違いを犯しました。あなたをこんな気持ちにさせるほど、とても大きな間違いを。しかし、あなたは、お父様と関わり合うのではなく、アッラーと関わり合っています。アッラーと関わり合う以上、親には、それがどんな親であっても、自分を害する親であっても、間違いを犯している親であっても、親というものには権利がある、ということを知っているでしょう。もちろん、親に間違いを犯す権利がある訳ではないので、親があなたにしたことは、アッラーがすべて清算してくださいます。ただ、そういう親であっても、あなたにとって、親というものは権利を有している、ということです。

 

あなたは実はお父様のことが好きなのです。静かに自分の内面を見直してみるとわかるでしょう。あなたは、決してお父様を嫌っていない。もしお父様が亡くなったら、最初に涙を流すでしょう。あの手紙は、あなたがいかにお父様を愛していて、それゆえお父様の言動によって深く傷つけられていることが表現されていました。繰り返されるお父様の言動により、大嫌いだ、と叫ばざるを得なくなった、しかし、それは本心ではありません。お父様が嫌い、というその幻想から抜け出してみることです。そこでわかる事は次の3つのことです。

1.自分がお父様のことを愛していること

2.お父様はあなたの権利を侵害し、間違いを犯したこと

3.その間違いは、修繕可能なこと

 

お父様に静かに話しかけてみたことはあるでしょうか。「お父さん、お父さんのことが好きだから、嫌いたくない。でもお父さんから○○や△△と沢山聞かされて、疲れてしまった。もちろん自分は間違いを犯すから、どうか忠告してほしい。でもその時、お父さんは、僕を破壊するために言ってるんじゃなくて、僕のためを思って言っているんだってわかるようにしてほしい・・・」こういう話し合いを、ぜひお父様としてください。もしそれでもお父様が頑固で、あなたのことを受け入れなかったら、お父様の間違いによって築かれてしまった壁を、お父様の感情に訴える「愛情」によって打ち壊していってください。その「愛情」の道具は、お父様に対して誠実であること、優しくすること、気に掛けること、尽くすこと、愛情表現をたくさんしていくこと、あなたはお父様から愛情に基ずく誠実な関係以外何も求めていないのだ、とお父様が確信するまで、それを続けてください。

 

司会者「彼が父親のことを愛していて、もし死んだら一番に泣くのは彼だというのは同感です。それに加えて、父親の方も息子のことをとても愛しているはず、ただ、自分の息子が一番になってほしい、と思っているはずで、、もし息子が死んでしまったら、一番に泣くのは父親でしょう。」

 

先生「あなたの言葉によって、ひとつの問題が浮かび上がります。私たちはどちらか一方の死を待たなければ、愛情を表現できないのだろうか、という問題です。なぜ普段から、父親が息子に、「大好きだ」と伝え、息子が父親に、「大好きだ」と伝えられないのでしょう。どちらかが死ぬまで、自分の愛情を秘めておかなければならないというのはどういうことでしょうか。いつも母親が娘に「大好き」と言い、息子が母親に「大好き」と言う、簡単なことを、なぜ災難が来るまでせず、愛情表現に「ケチ」になってしまうのでしょう。父親が事故に遭い、息子に事故にあって亡くなるまで、お互いの愛情を表さないのでしょうか。いつも親に対し、子どもに対し、愛情を表しているべきです。

 

何度もご紹介した通り、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、ご自分の子どもにも親戚の子どもにも全ての子どもに、常に大きな大きな愛情を惜しみなく注ぎ、それを伝えていました。男たるもの感情的になるべきではない、などということはまったくありません。誰が自分の子どもに対する愛情を秘めておくことが男らしさの象徴だと言ったのでしょう?!感情的になって愛情を伝えることを女々しいという価値観はどこから来たのでしょうか?!預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、大人にも子どもにも感情豊かに愛情を伝えていました。愛情表現に関し「ケチ」になることはありませんでした。

 

司会者「もし親が息子にひどい言動をしたとしても、息子が親孝行の徳を知り、その大きな報償を知って親孝行をしたならば、彼にはアッラーからのすばらしい報奨がありますよね。」

 

先生「そうですね、あなたの言葉は、先ほどのA君への言葉です。

A君、そして、この社会に存在する大勢のA君達、あなた方の前には2つの選択肢があります。ひとつは、親に対する怒りを持ち続けるという道、そしてもうひとつは、この問題を解決する道です。

 

もし怒りを継続する道を選んだとしたら、あなたはそれによって疲弊し、苦しめられ、親との最悪の関係を続け、親子関係を破壊します。もうひとつの道は、これを解決すると決意する道。さぁ、どうやって解決するのでしょうか。まず最初の解決策は、自分に対し誠実になることです。自分自身に話しかけます。あなたはアッラーのしもべです。あなたにはあなたの主がいます。親と自分という双方向の関係だけではなく、3つ目の存在があり、その存在との関係性があります。親子関係を包括する3つ目の存在があり、アッラーとの関係があります。

 

あなたはアッラーとの関係を築いていて、アッラーが自分に満足してくださることを求めています。アッラーはあなたに対して試験を与えました。アッラーのご満足を、あなたの親があなたに満足することに結びつけたのです。そして、親不孝は、シルク(アッラーと並べて何かを崇拝すること、偶像崇拝)に続く大罪となさいました。

 

【17-23.あなたの主は命じられる。かれの外何者をも崇拝してはならない。また両親に孝行しなさい。】

 

このことは、アッラーがあなたに運命づけた物です。あなたが、あなたの親を選んだわけではありません。アッラーがそれをお決めになりました。この言葉は、多くの子どもにとって耳が痛く苦しい言葉だと言うことはわかっています。しかしこれは事実で、私たちはこのことを知っておく必要があります。そして、驚くかもしれませんが、これはあなた達にとって必ず善いことです。アッラーがあなた達に運命づけたことは、必ずあなた達にとって善いことだからです。なぜなら、この関係によって、あなた自身の自我の形成が促進され、自分自身の成長につながります。例え父親が間違いを犯しても、その間違いが耐えられないほど甚大な被害をあなたに与えたとしても、その関係をあなたが作り直す必要があります。自分の中の自我に打ち勝たなければなりません。どうやって自我に打ち勝つのでしょうか。

 

あなたを破壊した父親に対して、アッラーに対する振舞いをしていくこと、アッラーを目的にして行動して行くことです。アッラーを目的にして行動する以上、父親からの反応はまったく期待しません。あなたが父親に親孝行をしたにもかかわらず、父親がそれに対しまったく良い反応をせず、ひどい言動を続けたとしても、それはあなたに何の関係もありません。父親が目的ではないからです。アッラーのご満足が目的だからです。アッラーを目的にしている限り、アッラーは必ず、自分にひどいことをする親に対し行った親孝行に対して、報奨を下さるという確信があります。

 

どうか「あなたのお父様があなたにした仕打ち」という狭い円の中から抜け出てください。今、あなたは、父親が自分にひどいことをした、というそれだけの事実を感じ続けるという狭い円の中に閉じこもっています。そこにいても何もいいことはありません。そこから出てください。どうやって出るのでしょうか。ただ、「今日からは、父親に対する振舞いは、父親を目的にするのではなく、アッラーのご満足を目的にする」、と決意することです。どうやってアッラーのご満足を獲得しますか?アッラーは、私にどんな親であっても、親に対する親孝行を義務付けた、いいでしょう、私は今日から親孝行をします、どんなに親が自分に悪いことをしても、そう決意します。

 

もしどうしても怒りで自分が見えなくなった時には、ウドゥーをして、怒りを収め、2ラカートの礼拝をして、両手を挙げてアッラーにドゥアーします。

『アッラーよ、あなたが私にこの親を選びました。どうか彼を善良にしてください。もし私が親の権利を害していることがあったら、私を許してくださることを願います。アッラーよ、私と親の心の距離を縮め近づけてください。』

 

どうか親に対する不満を、すべてアッラーに預けてください。その不満を解決するために、アッラーにすべてを預けて、自分自身をアッラーに投げ出してください。アッラーのご満足だけを求めて、親孝行を決意する、それさえすれば、あなたは、必ずアッラーが、あなたを使って父親を善良にする過程を見ることになります。アッラーにすべてを預けてください。」