イスラーム勉強会ブログ

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預言者伝9

2010年09月28日 | 預言者伝関連

بسم الله الرحمن الرحيم
29.エチオピアへのヒジュラ(移住):
  ムスリムたちが受けている苦しみを見ながら、彼らを守ることが出来なかった預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は次のように言いました:「アッラーが、あなたたちが置かれている状況から助けを差し伸べてくださるまで、皆さん、ハバシャ(エチオピア)の地に移るのはどうだろうか。そこには誰にも不正な目に合わせない王がいると聞きます。」
  こうしてハバシャの地へのヒジュラは決行されました。イスラーム史における最初のヒジュラには、10人の男と4人の女が参加し、その中にはウスマーン・イブン・アッファーンとその妻であり預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の娘であるルカイヤがいました。
  続けて、ジャアファル・イブン・アビーターリブが移住し、次々に信徒たちもそれに倣いました。家族と一緒に行く者もいれば、単独の者もいましたが、その男の総数は38人にもなりました。
  クライシュによる迫害から逃れることだけが移住の目的だったわけではありません。イスラーム宣教と預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の悩みの軽減もありました。
  移住者のリストを見てみると、マッカ社会における人種の多さや地位の多様さが分かります。富者、貧者、高齢者、若者、男、女。彼らのほとんどは由緒ある家系に属していたことから、当時の布教の強い影響力と包括力がうかがえます。

30.ムスリムたちの後を追うクライシュ :
  ムスリムたちが移住の地で安心して暮らしていることを知ったクライシュは、アブドゥッラー・イブン・アビーラビーアとアムル・イブン・アル=アースに、ナジャーシー王と将軍たち用に準備した土産を持たせてハバシの地へ送りました。この二人は王と将軍たちに贈り物で近付こうとし、王のいる場所で次のように言いました :「あなた様の土地に、私たちに属している愚かな者たちが逃げ込んでいます。彼らは私たち部族の宗教をばらばらにしているにもかかわらず、あなた様が信奉する教えに帰依しているわけでもありません。私たちもあなた様も未聞の新宗教をこちらに持ち込んでしまっているのです。すでに私たちの部族の中でも高貴な出の者がこちらに謁見に来ましたが、彼らこそが逃げてきている人たちにより近く、より詳しいのでございます。」これを聞いた将軍たちは「この者たちは真実を語りました、王よ。私たちの土地に来た者たちを彼らに引き渡しては。」と言いました。
  しかしナジャーシー王は怒った上に、アッラーに誓って、彼らの言葉を受け付けない、と言うと、彼の土地に逃げてきた人たちを引き渡してほしいという彼らの依頼を断りました。そしてムスリムたちと王の宗教(キリスト教)の学者たちを呼び集めました。王はまずムスリムたちに言いました :「あなた方の民を分裂させたほどの教えとは一体何なのかね。それにあなた方は一人も私が信奉している宗教に移っていないではないか。」

30.ジャアファルによるジャーヒリーヤ(無明時代)の描写とイスラームの紹介 :
  ジャアファル・イブン・アビーターリブ(預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)のいとこ)が立ち上がって王の問いに答えました :
  「王よ!私たちはかつて、ジャーヒリーヤの民でありました。私たちは偶像を崇め、死肉を食み、醜行に臨み、血縁関係を断ち、近隣に迷惑をかけ、強者は弱者から奪っていました。アッラーが私たちの中から、血統や正直さ、誠実さ、貞節さを私たちが良く知っている人間を使徒として御遣いになるまでは、です。彼はアッラーへと私たちを導いてくれました。唯一なるアッラーを崇め、かれ以外に私たちと祖先が崇めていた石や偶像から抜け出すためにです。また彼は正直に話すこと、預かり物を持ち主に届け、近親との付き合いを保ち、近隣に誠意を尽くし、禁止事項や流血を避けることを命じました。醜行、嘘の証言、孤児の財産の横取り、貞節な婦人の名誉を汚すことを禁じました。またアッラーおひとりのみを崇め、かれに何者も配さないことも命じました。礼拝、喜捨、斎戒(などのイスラームの儀礼を数え上げた)をするよう命じました。そんな彼を私たちは信じ、信仰するに至りました。彼がアッラーによってもたらされたものに基づいて私たちは彼に追従し、唯一なるアッラーを崇め、何者もかれに配しませんでした。彼が私たちに禁じたものを私たちも禁じ、彼が私たちに合法としたものを私たちも合法としました。しかし私たちの民は私たちに敵対し、危害を加えてきました。彼らは私たちの教えにも害をもたらし、私たちを至高なるアッラーを崇拝することから偶像崇拝に戻らせようとし、私たちが以前に合法と見ていた不潔な事柄を、また合法にさせようともしました。」
  「彼らが私たちを限界まで抑圧し、私達の権利を奪い、苦しめ、私たちと私たちの教えの間に立ちはだかった時、私たちはあなた様の国を目指して出発したのです。私たちは他ではなくあなた様を選び、あなた様の傍にいることを希望しました。私たちの望みは、あなた様の土地で不正な目に合わぬことです、王よ!」
  ナジャーシー王はこの言葉の全てに、静かに耳を傾けました。そして次のように言いました :「では、あなた方の友である男がアッラーからもたらされた何かを、君は持っているのかね?」
  ジャアファルは、はい、と答えました。
  ナジャーシー王は、ではそれを私に聞かせたまえ、と言いました。
  ジャアファルは、クルアーンのマルヤム章の中から読み上げました。ナジャーシー王はその御言葉に、髭が濡れてしまうまで涙を流しました。同席していた学者たちも書物が濡れるほどに泣きました。
  王の前で語られたジャアファルの言葉や彼によるイスラームの紹介は、絶好のタイミングで述べられた叡智溢れるものでした。彼の言葉は、アラビア語学的雄弁さを証明する前に、彼の理性の健全さを表しました。この背景には、アッラーによるインスピレーションとイスラームの光を完結させたいというアッラーの御意志に帰る者への、アッラーによる助力があるとしか言いようがありません。

31.クライシュの使節の失脚:
  王は言いました :「まことにこの言葉とイーサーがもたらしたものは、一つの灯から発せられている。」そしてクライシュから送られて来た二人の男に対し、「お帰りください。アッラーに誓って、私はあなた方に彼らを引渡したりはしない。」と言いました。
  しかしアムル・イブン・アル=アースは、次の日も王に会いに行き、こう言いました :「王よ!ムスリムたちはイーサーについて酷いことを言っています。」すると王はムスリムたちのところに赴き、「マルヤムの子、イーサーについてあなた方は何を言っているのかね?」と尋ねました。
  ジャアファルは言います :「私たちの預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)がもたらしたことを言えば、彼はアッラーのしもべ、アッラーの使徒であり、かれのルーフ(精)、そして、処女マルヤムに投げかけたカリマ(言葉)です。」すると王は地を叩き、小枝を手にとって、「アッラーに誓って、あなたが言ったことをこの枝に例えると、イーサーはこれ以上のことを言わなかっただろう。」
  ムスリムたちはこのように、賢く応答したわけです。かの二人の男は惨めに帰って行くほかありませんでした。そしてムスリムたちは、安心して善い隣人たちと生活を送ることが出来るようになりました。
  ナジャーシー王がある敵を攻撃した時は、彼の地に移住したムスリムたちは王の優れた振舞いに報いる形で彼を援助しました。この行動は道徳的なイスラームの教えに倣っており、ムスリムたちの人徳に相応しいものでもありました。
  この移住は、預言者としてムハンマド(平安と祝福あれ)が遣わされて5年目の出来事でした。ジャアファルは数人の教友とヒジュラ暦7年までエチオピアの地に留まりましたが、ハイバルの戦いのために戻ってきました。つまり彼はエチオピアの地に15年間留まったということです。これは大変に長い期間でした。ジャアファルは、その地の人たちにイスラームを紹介することに尽力したことでしょう。当時は史実を記すことがなかったため、私たちの手元にはその事実を証明してくれるものはありませんが、推測することは十分可能です。

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P131~135)


預言者伝8

2010年09月16日 | 預言者伝関連

بسم الله الرحمن الرحيم
24.クライシュによるアブー・バクルに対する迫害:
  アブー・バクルがある日、人々をアッラーとその使徒へと誘っていると、多神教徒たちが突然彼に襲いかかり、ひどく殴りました。ウトゥバ・イブン・ラビーアはサンダルでアブー・バクルの顔を叩きに叩き、鼻がどこにあるのか分からないくらいに顔を腫れさせてしまいました。
  タミーム族は死んだと思われたアブー・バクルを担ぎ運ぼうとしましたが、アブー・バクルは生きており、「アッラーの使徒様(平安と祝福あれ)はどうされているのか」と呟いたのでした。彼の傍にいた、信者のウンム・ジャミールは、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の容態を尋ねるアブー・バクルに対し、「あなた様のお母様がいらっしゃいますよ」と言いましたが、「母上については気にしなくて良い」と答えました。ウンム・ジャミールはアブー・バクルを安心させるため、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は「健やかでお元気である」と伝えました。しかしアブー・バクルは「私はアッラーの使徒を目にしに行くまでは、何も食べず、飲まない」と宣言しました。興奮していたアブー・バクルを人々は落ち着かせ、ウンム・ジャミールと彼の母親はよろける彼を預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)のところへ連れて行きました。その様子を見た預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は激しくアブー・バクルに同情したのでした。そして預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、彼の母親のために祈り、彼女をイスラームへと誘い、彼女はイスラームに入ったのです。

25.預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)をどのように描写するか…クライシュの当惑:
  クライシュの人々は、これから預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)のことをどのように表明すればよいのか、彼や遠方から彼を目指してやって来る人たち、彼に耳を傾ける人たちの間でどのように立ち回ればよいのか大いに悩みました。そこで人々は(高齢で巡礼時期にやって来ていた)アル=ワリード・イブン・アル=ムギーラのもとに集まったのです。アル=ワリードは人々に言います:「クライシュの衆!今年も巡礼シーズンがやって来た。そのうち各アラブの使節団がお前たちにムハンマドのことを尋ねに来るだろう。彼らの耳にはもうすでにムハンマドの噂が届いているのだ。だからこそ彼に関する意見を一つにまとめなければならない。決して意見を異にし、我々同士で互いに嘘つき呼ばわりし合っていてはいけない。」このようにして長い議論が繰り広げられました。
  しかしアル=ワリードは人々が提示した意見に満足できず、それを批判したので、人々は「アル=ワリード殿。あなた様のご意見は何でしょうか?」と尋ねました。すると、「わしがムハンマドに関して言ってやるとよいと思う言葉は、彼は「魔法を操る魔法使い」で、魔法を使って父と息子、兄弟の間、夫婦の間を分かち、人を部族から離れさせる、と。」
  この意見を採択し、人々は解散したのでした。彼らは人通りの多いところに座り込み、巡礼のために人が多くなると、全ての通行人に、「ムハンマドには気を付けるように」と警告したのでした。

26.預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に対するクライシュによる冷酷な加害:
  クライシュは様々な方法を使って、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に危害を加えました。彼との血縁関係を考慮することはなく、人間性の一線を越えてしまうことにも躊躇(ちゅうちょ)することはありませんでした。
  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)がマスジドで、クライシュの人々が周りにいる中でサジダの姿勢に入ったところ、家畜の胎盤を手にしたウクバ・イブン・アビー・ムイートが現われました。そして彼は預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の背の上に胎盤を投げつけたのです。すぐにその場にやって来たファーティマ(平安あれ)は父親の背からそれを取り、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)と共にこのような醜行を働いた者をアッラーに呪ったのでした。

27.ハムザ・イブン・アブドゥルムッタリブの改宗:
  かつてサファーの丘にいた預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の傍を通ったアブー・ジャハルが、彼に危害を加え罵倒したにもかかわらず、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は何も言わずにその場を立ち去ったことがありました。
  奴隷からこのことを聞いた、ハムザ・イブン・アブドゥルムッタリブは、狩猟から戻って間もないにも関わらず、弓を身につけ、アブー・ジャハルの許に向かいました。ハムザは当時、クライシュの中で最も勇敢で、一筋縄ではいかない青年でした。ハムザは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の身に起こった災難を知り、怒っていたのでした。マスジドの中で、人々に囲まれたアブー・ジャハルを見つけた途端、弓を持ち上げると、彼の頭を強く叩き言いました:「俺があのお方の教えに従い、彼が言うことと同じ言葉を言っているというのに、お前は彼を罵倒したというのか?」アブー・ジャハルは驚きのあまり、黙り込んでしまいました。イスラームに入ったハムザは、このようにしてクライシュの大きな脅威となったのです。

28.ウトゥバと預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)のやり取り:
  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の仲間がどんどん増えていくのを見ていたクライシュに、ウトゥバ・イブン・ラビーア(アブー・バクルをサンダルで強打した男)が現われました。何と、自らが預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)のところへ行って、いくつかの事柄を提示してみるというわけです。もしそのいくつかを受け入れれば、クライシュの不安を消せるのではないかと。このようにしてウトゥバは正式なクライシュの同意を得て、行動に移りました。
  ウトゥバは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の許に赴き、その傍に座りました。「兄弟よ!私が知るところによると、そなたは重大な知らせをそなたの民にもたらしたらしいですな。それでそなたは人々の集団を解き、彼らの多神と宗教を恥とし、先祖が迷っていたとした。まぁちょっと私の話を聞いてほしい。いくつか案を出すから考えてくれ。どれかを気に入るかもしれないだろう」こう言うと、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に話しかけました。
  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は言いました:「さあ、アブー・アル=ワリード。お話しください。私は聞いていますので。」
  ウトゥバは続けました:「兄弟よ!金欲しさでこのようなことをしているのなら、そなたのために私たちは財産を集めて、そなたを一番の金持ちにしよう。もし名声が欲しいのなら、そなたを我々の指導者にするし、そなたなしでは何も決められないようにしよう。権力が欲しいなら、そなたを我々の王にしよう。もしそなたに起こっていることがジンのせいで、自分では追い払えないのであれば、そなたのために医者を連れて来て、そなたが完治するために我々の資産を使おう」
  ウトゥバが話し終えると、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は「アブー・アル=ワリードよ、さてもう終えられたでしょうか。」と言いました。ウトゥバは、はい、と答えました。「では今度は、私の話をお聞き願いたい」と預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は言いました。ウトゥバ:「どうぞ」
  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)はクルアーンのフッスィラ章の幾節からサジダが求められるところまで(http://bit.ly/cfZVNU)を読みあげました。ウトゥバはじっくりとその読誦に耳を傾け、背後に回した両腕に重心をかけていました。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)はサジダの部分を読み終えると、サジダしてウトゥバに言いました:「アブー・アル=ワリードよ、そのたは読誦を聞かれた。あとは好きにされるが良い」
  ウトゥバは立ち上がり、仲間の許に向かいました。彼を見た人々は交互に言いました:アッラーに誓って、アブー・アル=ワリードは出かけた時とまったく違う形相でやって来たじゃないか、と。ウトゥバが座り込むと人々は言いました:「何が君に起こったのだ?!」ウトゥバは答えます:「アッラーにかけて、実は耳にしたことのない言葉を聞いて来たのだ。それは詩ではないし、魔法でもないし、占いでもない。クライシュの衆!私の話を聞いてください。あの男がしていることは放置することだ。彼から身を引くのだ。」人々は答えます:「ムハンマドに魔法をかけられたのか。」「これは私の彼に関する意見に過ぎない。そなたたちは好きにするが良い」とウトゥバは言いました。

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P127~131)


預言者伝7

2010年09月08日 | 預言者伝関連

بسم الله الرحمن الرحيم
22.ムスリムたちに対するクライシュのいじめ:
  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は懸命に人々をアッラーへと誘っていました。そんな彼や、援助を続けていたアブー・ターリブにクライシュは失望し、やがて彼らの怒りは部族の中の改宗した人たちに向けられることになります。彼らにはアブー・ターリブのような擁護者はいないので、迫害するにはうってつけだったのです。
  それぞれの部族は改宗した同部族の人達に襲い掛かりました。彼らを閉じ込め、暴力、空腹、のどの渇き、マッカの酷暑で苦しめました。
  奴隷の身でイスラームに改宗したイスラーム史上初のムアッズィン(礼拝の呼びかけ人)となるビラール・アル=ハバシーの苦しみを振り返ってみましょう。彼の主人であり多神教徒のウマイヤ・イブン・ハラフは真昼の灼けつく太陽の下、ビラールをマッカの平地に連れて行き、背を下にして寝かせると、巨大な岩を持って来るよう命じ、彼の胸の上に岩を置きました。ウマイヤはビラールに言います:お前が死ぬかムハンマドに対する信仰を捨ててアッラートとアルウッザー(当時の偶像神)を崇めるまでは、アッラーに誓って、ずっとこのままにしておくぞ!しかしビラールは苦しみの中で、ただひたすらに「おひとり、おひとり…」と言い続けるのでした。
  その傍を通りかかったアブー・バクル(御満悦あれ)はウマイヤに、ビラールよりもたくましく強い黒人奴隷を差し出し、代わりにビラールを引き取った後、彼を解放しました。
  マフズーム族は改宗していたアンマール・イブン・ヤースィルとその両親を真昼の酷暑の中苦しめました。彼らの傍を通りかかる預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は次のように言うのでした:ヤースィル家の人々よ、忍耐しなさい!あなた達には天国が約束されています、と。ヤースィルの母親であるスマイヤは殺されましたが、彼女は決してイスラーム以外を受け入れることはありませんでした。
  またムスアブ・イブン・ウマイルというマッカの青年は若く美しく、両親にとても愛されていました。特に裕福だった母親は、彼に一番良い服を着せていました。また彼はマッカの住人の中で、一番良い香りのする若者でもありました。
  ムスアブは、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)がアルカム・イブン・アル=アルカム家で、人々をイスラームに呼び掛けていることを耳にすると、早速預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)を訪れ、イスラームに入りました。ただ母親と部族を恐れたため、改宗したことは秘密にしていました。しかしある日、ウスマーン・イブン・タルハという男に礼拝しているところを目撃され、母親と部族に告げ口されてしまいます。事を知った部族の人たちは、ムスアブを捕え監禁すると、第一のヒジュラ先であるエチオピアの地へ彼が移動するまで、監禁を続けました。その後ムスリムたちと生還したムスアブの様子と言ったら、まるで昔と変わって惨めな姿になっていました。そんな彼を見た母親は非難叱責するのを止めました。
  第三正統カリフでもあるウスマーン・イブン・アッファーン(御満悦あれ)が改宗すると、おじのアル=ハカム・イブン・アビルアース・イブン・ウマイヤは彼を捕えて縄で縛り上げました。「先祖の教えを捨てて新興宗教に入るというのか。アッラーにかけて!お前がこの教えにしがみついている間は絶対にこれをほどかんぞ!」とおじはウスマーンに言うのでした。ウスマーンは答えて言います。アッラーにかけて。私はイスラームを捨てませんし、離れることもないです、と。おじのアル=ハカムはウスマーンがこれほどまでにイスラームに固執している姿を見て、最終的に彼を放っておくことにしました。
  このように、当時、苦しめられたムスリムたちは大勢いました。

23.預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に対するクライシュの攻撃とその様々な方法:
  改宗した人たちを元に戻すことに成功出来ず、また預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が決して妥協しないことにしびれを切らしたクライシュは、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に集中攻撃を仕掛けることにしました。彼を嘘つき呼ばわりし、迫害し、魔法使いや詩人と呼び、魔術やジンに憑かれたのだと噂し、様々な方法で預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に害を加えたのでした。
  貴族たちが集まっているところに預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が通りかかったことがありました。彼を見た人々は目配せしながら何かを言い、それを3回繰り返しました。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は立ち止まって:クライシュよ、聞こえていますか。私の魂をその御手に収め給う御方にかけて。私はそなたたちの許へ死をもってやって来たのです、とはっきりと言いました。それを聞いた人々は黙ってしまい、身動き一つ出来なくなってしまいました。それ以降、彼らは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に対し、控えめに話すようになりました。
  またある日、人々が集まっているところに預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が現われ、ある男が彼に襲いかかり、次々に人が彼の周りを囲いました。そのうちの一人が預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の衣服をつかみましたが、アブー・バクルは泣きながら次のように言いました。:私の主はアッラーである、と言うだけの人間をお前たちは殺そうというのか?!人々はその言葉で去って行きましたが、アブー・バクルはその日、頭を叩かれ、ひげを掴まれて引きづり回されました。
  またある日、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が出かけると、会う人すべてに嘘つき呼ばわりされるか危害を加えられました。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は自宅に戻り、自分が被った害の重さから布にくるまりました。そこでアッラーは彼に「(大衣に)包る者よ」(74章)で始まる章を啓示し給いました。

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P123~127)


悪質なハワーティルの見分け方についてのメモ。

2010年09月02日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)
悪質なハワーティルの見分け方

70000にも及ぶハワーティル(頭に浮かんだ考え、心に浮かぶもの)の到来/一日

これらを見極めるために必要な3事項:

1)聖法:善悪は聖法で見極められる。どのようなハワーティルもまず聖法に照らし合わせてみる。
話題が逸れるが、「スンナ」を如何に扱うかについて。人によってスンナを低く見ることがある。「君、ファジュル前のスンナの礼拝は?」と聞かれて、「スンナだし、しないよ」と答える人。きっと悪気を持って言ったのではないだろうけど、この言い方は聞く人に自分がスンナを軽視しているような印象を与えてしまうだろう。このような言動は宗教を大きく害することになる。来世を求める信徒にとってスンナはとても大切なものである。
人はマクルーフを犯すまで、ハラームは犯さない。マクルーフを避けることは義務ではないが、マクルーフはハラームを覆っている幕のようなものなので、普段から避けているべき。

2)人によっては聖法をあまり知らないために聖法で見極めることが出来ないために違う見極める方法を必要とする。それは善良な先代の行動に照らし合わせること。さてこれ(ハーティル)は先代にとって良き事柄かどうか、と考えること。ある人にとっては1)の方が2)よりも容易かもしれないが。

3)直接、自分自身に提示してみる。もし、自然と惹かれるものであれば、たいていそれは悪質である。代わって実行したくなく、重い雰囲気を感じるなら、それは良質である。どちらも学者が禁じたり勧めたりしたというのではなく、自分が直接感じること。その根拠とは。クルアーン「またわたし自身,無欠とはいえませんが,主が慈悲をかけた以外の(人間の)魂は悪に傾きやすいのです。」(ユースフ章53節)安泰している魂の領域に達していない未熟な魂はたいてい、悪に傾くということである。つまりここの場合、自分の魂が応じない方向へ向けば、善に傾けるといえる。

では上記の1~3でハーティルが悪質と判明した場合。どのようにしてこのハーティルの害から身を守れば良いか。
悪質のハーティルは、悪魔か、自我(ハワー)か、アッラーからの(段階的な)罰である。「われはかれらが気付かない方面から,一歩一々(堕落に)導く」(筆章44節)もし人間がアッラーに対して、アッラーの事柄を軽視した行動をとった場合である。

「ハワーティルの出元が何であるかなんて知る必要などないじゃないか。悪質だと分かったらそれを放棄するだけでいいのでは」という人がいるかもしれない。
しかし私たちはアッラーを目指す修業者。私たちの道を阻むものはあらゆるところに落とし穴を作る。

悪質なハーティルはそれぞれ、その出元に合った治療法がある。
ではこの3種類のハワーティルの見極め方とは何だろうか。
昔の学者は言った。そのハーティルは、ズィクルで払しょくできるか?「アウーズビッラーヒミナッシャイターニッラジーム」「ラーイラーハイッラッラー…」などの言葉で去るならば、そのハーティルは悪魔から来ているという。悪魔はアッラーの御名が唱えられると逃げるからである。アッラーを唱える者の心を悪魔は唆せないのである。これが一つ目の見極め方。

では、ズィクルでもクルアーン読誦でも去らないハーティルだった場合は。ここで二つ目の見極め方である。「そのハーティルはある特定の罪の実行を命じているのか。それともそれ同等かそれ以上に大きい罪の実行を求めているのか」を知ること。「親族関係を断て」とハーティルが言う場合、これを1)に照らし合わせると、悪質なものと分かる。「親戚の誰誰は私の子供が生まれたときに祝ってくれなかったから、私はその人の結婚披露宴には行かない」というのははっきりとしたハーティルである。善か悪か?と考えれば、「親類の関係を断つのは大罪である」から、悪質である。ではここで悪魔からの加護をアッラーに求めてみよう。もしこのハーティルが去らなければ、それは悪魔とは関係ない。では心にこのハーティルよりも悪質なことを提示してみよう。「親戚のかの行事に参加し、途中で街に抜け出して悪さをやってみよう」そのとき、あなたの心は何を言うか。もし、「いいね!行ってやれ!」と返ってきたら、それは悪魔からである。もし「いや、その会合自体に私は顔を出さない」と返ってきたら、それは自我から来ている。なぜだろうか?悪魔は「敵」であって、彼の任務は「あなたを滅びさせること」。あなたがどのように(勘当されることでとか醜行とか飲酒とかで)滅びるかはあまり気にしないのである。とりあえずあなたが滅んでくれたらそれでいいので、ある特定の行為に応じなくても別にいいのである。しかし自我は頑固であり、ある特定の行為を求め続ける。だからこそ、他の悪行を受け付けれず、一つの行為をかたくなに求めていることが分かったら、それは自我から来ているということなのである。

では3つ目の見極め方。あるハーティルが現われ、それが悪質だと分かった場合。それはふと現われたか、悪行から悔悟しない間に現われたか?私たちは誰でも罪を犯してしまうもの。しかし問題は、その罪から悔悟しないことだ。ある伝承に拠ると、アッラーは天使に仰せになる:「わがしもべが悔悟するかもしれないからまだその罪を書き留めるでない」と。ここで言えることは、しもべが罪を犯してしまって後悔して赦しを求める代わりに、笑い、軽視することが大きな問題であることが分かる。「昨日はこんなことしちゃったよ~」と友人たちに漏らしたり。隠していればアッラーが覆って下るかもしれないのに。こういった者は新たな悪を欲することを罰とし受ける。なぜなら悪気がなく、状況を軽視しているからである。アル=ガッザーリーは言い残している:「もし悪質のハーティルが頑なに罪を要求しており、自分がまだ罪から悔悟を果たせていない場合は、それはアッラーがあなたを少しずつ堕落に導いていることを知りなさい。すぐに悔悟し、罪の赦しを請いなさい」

以上で3つの見極め方が分かった。

では治療法は。そのハーティルが悪魔からと分かったなら、「ズィクル」で治療を。最も簡単な方法である。「本当に悪魔の策謀は弱いものである。」(女性章76節)心に現れるハーティルの中で最も弱いのは悪魔から来るハーティルなのである。全ての悪の根源は悪魔だと私たちは言うし、クルアーンの中で悪魔は人類すべてを欺くとまで言っているが、アッラーは彼が弱いことを教えてくださっている。悪魔の策略は弱いと。

自我は、問題である。最も治療が難しいハーティルは自我から来るものである。そして最も危険なハーティルは、イスティドラージュ(知らぬ間に少しずつ起きる罰)から来るものである。

学者曰く、自我から来ているハーティルの治療は、乗る用の家畜を扱うようなもの。ときにそれは頑固である。ロバが道の真ん中に立ち止まり、どんなに叩いても、押しても引いても動かないことがある。悪に傾く自我もロバに似ている。ただロバは責任能力を持たないが。自我はロバのようにふと頑なになることがあるということである。頑固な家畜を扱う人は、どのようにそれを扱えばいいか知っている。二つ方法がある。1)餌を減らす2)仕事を増やす、である。餌を減らすことで、体内にある頑固な力を減らす。仕事を増やし疲れさせることで頑固な力を減らす。この方法でおとなしくなるわけである。悪に傾きやすい自我の治療も同じである。「餌を減らす」=「食事を減らす」。まだ少し食べたいな、というところでアッラーのために止めておくこと。月・木に斎戒するのがいいだろう。または月に3日の斎戒を。食事を減らすことでの精神鍛錬は力を呼び起こす。独力しながら、食事を軽減する。自我が何かを求める度に、「では今夜は礼拝に立つぞ」と言い聞かせる。1時間半ほど祈り、朝は斎戒をする。夜中起きていたからと言って仕事を休んではいけない。イフタールは軽めに摂り、努力する。これは3,4日続けてみて、自我がどのように降参するか確かめるといい。

野生の馬を誰かが馴らしているのを見たことがありますか。馬は乗っている人を必死に振り落とそうとする。自我も同じことをする。しかし調教師は頑なにに馬を馴らそうしつづける。馬から落とされても、また跨って馴らそうとするだろう。そのたびに馬は諦めて大人しくなる。自我も同じである。

もしハーティルが自分が犯した罪の直後に現われたものである場合。あなたは罪を犯し、アッラーに対して無礼を働いたのに謝らず、再度同じことをしているわけである。笑い、軽視している。信号無視をして、後方で警察官がメモを取っていたり、監視カメラで撮影された時、ある程度の心配が発生するのではないか。彼は単なる警察官であり、カメラである。あなたが天地を創造した御方に背くとき、心の中で何も感じないのか。先代の人々は、何かを犯してしまったら、天が自分に落ちてきてしまうのではと恐れていたものである。アッラーは度々赦し給う御方であることは十分承知している。しかしアッラーに対する後ろめたさがある。しかし罪を犯しても重要視しない者。アッラーがどのように自分を眺めておられるか考えない者。だからこそ、このような者は罪を犯した後にまた新しい罪を犯すべくハーティルが起きるのである。繰り返し繰り返しそのように起こり、最終的にムスリムとして死ねないかもしれないのである。そのため、悪のハーティルが起こった時、自分がまだ悔悟していないと分かったなら、すぐにアッラーに帰らなければならない。アッラーよ私を御赦しくださいと言わなければならない。2ラクアの悔悟の礼拝を捧げ、涙し、アッラーに赦しを請うのだ。そうすればかのハーティルは去ったことに気づくだろう。

(続く)

預言者伝6

2010年09月01日 | 預言者伝関連

بسم الله الرحمن الرحيم
19.人々に対する敵意の表明とアブー・ターリブの預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に向けられた慈愛:
  預言者(平安と祝福あれ)がイスラームへの呼びかけを公にし、至高なるアッラーに命じられたように真理を掲げても、人々は彼から離れることも、応じることもありませんでした。しかし彼(平安と祝福あれ)が多神教徒の神々に言及し、批判した瞬間から彼らの態度は激変します。やがて彼らは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)を邪魔者扱いし、排斥するようになります。
  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)のおじであるアブー・ターリブはそんな甥に慈愛をかけたのでした。彼は甥を守ったのです。そのため預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は宣教に専念し、真理を述べ伝え続けることができました。そしてアブー・ターリブは彼を暖かく見守り続け、降りかかってくる悲しみを彼から追い払ってくれるのでした。
  このような状態が長く続いたある日、クライシュの男たちがアブー・ターリブの許にやって来ました:アブー・ターリブ殿。そなたの甥は我々の神々を罵倒し、教えを恥とし、我々の知性を馬鹿にし、祖先は迷っていたと言いふらしております。お願いですから、彼を止めさせてくださるか、我々と彼が決着を付けるまで見守ってくださいませんか。あなた様は我々と同じ教えを信奉しておりますし。
  アブー・ターリブは甥に同情した口調でさらりとかわしたため、男たちは去って行きました。

20.預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)とアブー・ターリブの間で:
  クライシュの人々の間で預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の名前が出る頻度は高くなり、やがて彼のところへ赴くようお互いにそそのかし合いました。こうして彼らの内の何人かが再びアブー・ターリブを訪れました:アブー・ターリブ殿!そなたはそのお歳と高貴さから我々にとって目上の方でございます。前回、そなたの甥を制して欲しいとお願いしたにもかかわらずそなたは応じてくださらなかった。アッラーに誓って、我々はこれ以上、祖先に対する罵り、我々の知性を馬鹿にする態度、神々を恥とする彼の言動には忍耐できません。彼を止めていただけないのなら、どちらかが滅びるまで我々は彼とそなたを攻撃することになるでしょう。
  アブー・ターリブには自分の民との別れや彼らとの敵対を重く受け止め、また甥である預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)のイスラームへの転身を喜んではいませんでしたので次のように言いました:
  「わが甥よ!そなたの同胞がわしのところに来てあれこれ言って帰った。どうかわしの命とそなたの命を大事にし、わしの手に負えぬことを続けるのは止めにしてくれないだろうか」

21.右に太陽、左に月を置かれても:
  この言葉を聞いた預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)はおじが混乱し、自分に対する庇護を止めると悟り、言いました:
  「おじ上。アッラーに誓って、彼らが私の右に太陽を、そして左に月を置いて私の任務をやめさせようとしても、アッラーが真理を確立し給うか、私が死ぬかのどちらかであって、決して途中で放り出すことはありません」
  こう訴えると預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は涙し、立ち上がりました。おじに背を向けて去ろうとすると、「わが甥よ、来なさい」とアブー・ターリブは彼を呼びとめました。近づいて来た預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に向かってアブー・ターリブは言いました:わが甥よ、さあ行って、好きなことを主張すればよい。アッラーに誓って、わしはそなたを誰にも引き渡すことなどしないから。
  こうして預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は宣教を続けましたが、クライシュは諦めることなくアブー・ターリブに預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の身柄の引き渡しを要求したり、直接彼に富、女性、権利と引き換えに活動をただちに止めるよう求めました。もちろん、そんなことで預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の決意が揺らぐことなどありませんでした。
(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P122~123
②「預言者ムハンマドの足跡を辿って(前編)」、アブー・ハキーム・前野直樹編訳、ムスリム新聞社発行、P68~71)