イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

親しいお方からの忠言

2007年11月21日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)

أوصاني خليلي بتسع أوصيكم بهن

1 أن أصل من قطعني

2 وأعفو عمن ظلمني

3 وأعطي من حرمني

4 وأوصاني بإخلاص في السر والعلن

5 وبالعدل في الرضى والغضب

6 وبالقصد في الغنى والفقر

7 أن يكون نطقي ذكرا

8 وصمتي فكرا

9 ونظري عبرا

親しいお方が私に9つの忠言をくださった

1 私との関係を絶った人に連絡をすること

2 私を不当な目に合わせた人をゆるすこと

3 私に与えない人に与えること

4 公私において誠実であること

5 満足のときも怒っているときも、公正であること

6 富んでいるときも貧しいときも、節約すること

7 私が語る言葉がズィクル(念唱)であること

8 私の沈黙が熟考であること

9 私の視線が訓戒であること

預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)の残した言葉より


81.包み隠す(アッ・タクウィール)【4】

2007年11月19日 | ジュズ・アンマ解説
 続いてアッラーは預言者ムハンマド(アッラーの平安と祝福がありますように)の描写に移ります。「(人びとよ)あなたがたの仲間(ムハンマド)は、気違いではない。」「あなた方の仲間は」という表現は、マッカの人々の彼が気違いであるという主張が嘘である説明の始まりです。彼らはムハンマドが預言者の使命を受ける以前から彼と付き合いがあり、一緒に生活をしてきました。彼は純真で正義感に溢れ、成熟した理性を持っており、彼ら以上にそのことをよく知っている人はいませんでした。それがどうして、預言者の使命を受けた後に彼を気違いと呼ぶようになったのでしょうか。ムハンマド(アッラーの平安と祝福がありますように)は天使ジブリールのありのままの姿を目にしました。彼には東の方向の地平線に600の翼があります。「かれは、明るい地平線上にはっきりとかれ(ジブリール)を見た。」

 そしてムハンマドはアッラーから教えられたクルアーンの教えを出し惜しみません。「かれは幽玄界(ガイブ)(の知っていること)を出し惜しまない。」(幽玄界はガイブといい、目に見えない世界のことをいいます。天国や地獄、天使の姿、来世など目に見えないものはすべてガイブです。クルアーンの隠された意味もガイブといいます。)

  クルアーンは不信仰者が主張しているようなものではありません。「それ(クルアーン)は、呪われた悪魔の言葉でもない。」不信仰者たちは、クルアーンは悪魔の言葉だと言っていました。彼らが信じているのは、魔術師がジンの類の悪魔を使って最上天で盗み聞きをさせ、目に見えない情報を持ってこさせることでした。至高なるアッラーは、悪魔たちが真実、善、奇蹟を持ち合わせたクルアーンのような言葉を作ることはないと彼らに言っています。真実がこうであるのだから、「それなのにあなたがたは(それらのことを信用せず)何処へ行くのか。」つまり、あなた方がクルアーンを嘘とするやり方とはどんな道なのか?という意味です。

  最後にアッラーは、クルアーンが正しい道を望む人々のとっての教訓であると言っています。「これ(クルアーン)こそは、万人への教訓に外ならない。それはあなたがたの中、誰でも正しい道を歩みたいと望む者のためのものである。」 アッラーは人間に歩む道を選ぶ自由を与えました。生き方は、導かれたものとそうでない、迷ったものがありますが、人間の望みはアッラーの望みにかかっています。そのため、人間の望みは完全ではありません。このことは、アッラーが章の最後に言っていることでもあります。「だが万有の主、アッラーの御望みがない限り、あなたがたはこれを望むことも出来ないのである。」

 アッラーの望みは、人々を導くための使徒たちの派遣や、彼らが迷いの道を警告し人々を導くところに現れています。そして人間の望みは、この二つの道のどちらかを選ぶところに現れます。 至高なるアッラーは、かれの道を歩もうとする人に導きを与えます。「これによってアッラーは、御好みになる者を平安の道に導き、またその御許しによって、暗黒から光明に連れ出し、かれらを正しい道に導かれる。」(食卓章16節)「誰でもアッラーを信仰する者は、その心を導かれよう。」(騙し合い章11節)

81.包み隠す(アッ・タクウィール)【3】

2007年11月13日 | ジュズ・アンマ解説
 そして審判の最後の光景について語られます。それは、アッラーが反逆者たちに準備している地獄です。「獄火が炎を上げさせられる」火が点けられ、火は燃え上がります。 対照的に、敬虔者たちの天国の描写が登場します。「楽園が近付く」、楽園は敬虔だった人たちに近づきます。 これらすべてが、この章が言及した審判の光景です。

 これらすべてが起こると、「凡ての魂は,先に行った(善悪)の所業を知る」。すべての魂は、天使が記してきた帳簿が目の前に持ってこられることによって、自身の行った善行と悪行をすべて知ることになります。このことについてアッラーは仰っています:「凡ての人が,それぞれ行った善事と,その行なった悪事とを,まのあたりに見る日。かれらはその日と,その(行った悪事との)間に,遠い隔たりがあることを望むであろう。」(イムラーン家章30節)

  そして、アッラーはすべてにかけてクルアーンが、大天使ジブリールを介して、アッラーの預言者であるムハンマド(アッラーの平安と祝福がありますように)に下した啓示であることを誓います: 「わたしは沈みゆく諸星において誓う。軌道を)運行して没する(諸星において)暗闇を迎える夜において,夜明けを迎える朝において(誓う)。本当にこれ(クルアーン)は,高貴な使徒(ジブリール)の(アッラーからの)言葉」

 
アッラーは、普段私たちの注意からそれているもので誓いを立てられました。あるものは走行し、あるものは覆われます。 同じく、光り輝く日の出の朝が、誓いの言葉に登場します。

 「夜明けを迎える朝において」、この表現はクルアーンの特徴である、アッラーの言葉遣いの完璧さを示唆する表現です。「夜明けを迎える」をクルアーンはここで「タナッファス(呼吸するという意味)」というアラビア語を使っていますが、これはアラビア語の修辞学でイスティアーラにあたります。夜明けの本当の姿は、光が放たれ始めることをいい、呼吸することでありません。「呼吸」という言葉を使うことによって、自然が静まりかえり、動きも生も感じられないところに朝がやってくると、大地が目覚めて、命が戻ったようになり活気が出てくる様子が想像できます。呼吸は命の象徴であり、呼吸の停止は、死と静の象徴です。

 これらの誓いは、昔あった神のメッセージを解くヒントかもしれません(アッラーのみぞ知る)。やがてすり替えや、意見相違のために、このメッセージの真髄は隠れてしまいました。そのため無知が人々の間に広まり、導きの光が消えてしまいました。アッラーはこの暗闇から朝が出ることを望みました。導きの朝です。そしてアッラーは、使徒ムハンマドを導きと真の教えと共に遣わしました。ムハンマド(アッラーの平安と祝福がありますように)の使命は、人類の夜明けとなりました。

 アッラーはムハンマドがもたらしたクルアーンは、ジブリールが伝えたアッラーの啓示であることをすべてにかけて誓っています。ジブリールは預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)に伝え、預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)は彼の共同体に伝えました。 「本当にこれ(クルアーン)は、高貴な使徒(ジブリール)の(アッラーからの)言葉.(かれは)玉座の主の御前で(尊厳される地位の)座につく、力のある(使徒である)。」

 クルアーンはジブリールを強大な力を持ち、玉座の持ち主であるアッラーの許で高貴な座を持つ者、と表現しています。玉座は、高い位置にある王が座る椅子のことをいいます。そして玉座は、権力に象徴になりました。人間はアッラーの玉座について、その名前しか知りません。

  アッラーは同じようにジブリールを表現して、「従われ、信頼される(使徒である)。」と言っています。彼は天上で天使たちに従われ、アッラーの許ではかれの啓示とメッセージにおいて信頼されています。

81.包み隠す(アッ・タクウィール)【2】

2007年11月05日 | ジュズ・アンマ解説
 続いて、審判の日の現象の一つに、「生き埋められていた(女児が)問われる」があります。女児はまだ生きた状態で埋められてしまいました。昔のアラブ人は、貧困の恐怖か、常に起こる部族間の戦いで負けた際に捕虜にされるおそれがあるということで、女児が生まれると生き埋めにする習慣が実際にありました。捕虜にされた女性は、彼女を最初に手にした者の奴隷になりました。この女児はなぜ生き埋めにされたか、最後の審判の日に問われますが、事件がそれだけ重大だからです。死んだ女児は不当な目に合い、それに対して責任を持っていません。殺人者などの罪人に、犯した罪に対する質問をすることは、その罪の重大さや醜さをクルアーンが恐ろしいことである、と表現していることを本人に見せ付けるためです。

  「どんな罪で殺されたかと」、無垢の命を奪うすべての罪人に対する脅迫です。理由なくして罪の無い命を奪うことは、クルアーンの中で度々言及があるように、罪人が厳しい懲罰を受けるもっとも重い罪の一つであり、人間が一番最初に清算を受ける罪でもあります。預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)は言っています:「しもべたちの間でまず最初に裁かれるのは、血についてである。」(アル・ブハーリーとムスリム)

  続いて、審判の日の現象の一つに、「(天の)帳簿が,開かれる」があります。これは、行いが記された帳簿です。死の際に閉じられた帳簿が本人の前に広げられます。帳簿は、現世の間に人間が犯す善行と悪行を天使によって記されていきます。 人間の行いが記された帳簿が開かれるということは、真実が暴露されることを意味します。犯してしまった罪を用心して隠していたとしても、審判の日に皆の前にさらされることになります。

  続いて、審判の日の現象の一つに、「天が剥ぎ取られる」があります。ものから蓋が取れるように天がはずされます。これは将来に起こる大地の異変を表現していて、地球はいつもの形のままでいることはないのを意味します。大地が大地ではないものに変えられ,諸天も変えられる日(イブラーヒーム章48節)

81.包み隠す(アッ・タクウィール)【1】

2007年11月04日 | ジュズ・アンマ解説

 解説と学習

 この章は、数あるイスラーム信条の内の二つについて説明しています。

1、 審判の本当の姿と、それに伴って起こる、魂を震撼と恐怖に陥れる大地の変動、大きな災害について。

2、 ムハンマドの啓示と、それを携える天使ジブリールと啓示を受け取り伝えるムハンマド(アッラーの平安と祝福がありますように)の特徴について。

 審判の日の現象の一つに、「太陽が包み隠される」があります。どのように包み隠されるかというと、太陽の各部分が結合し、落下すること、もしくは太陽の光が覆われることをいいます。太陽は普段から、高熱で多くのガスを含んだ燃える球状の星で知られています。そして地球上のエネルギーや命はすべて、太陽が発散するエネルギーが元です。しかしこの光が覆われ、存在している場所から移動させられると、エネルギーが消えてしまいます。そうなると地球上に生きるものが死んでしまうことになります。

  続いて審判の日の現象の一つに、「諸星が落ちる」があります。星が散らばり、落ちて、光が消えます。中ぐらいの星の大きさは太陽と同じぐらいであると言われています。その数は無数に多く、アッラー以外に数を知る者はいません。そのため、この諸星が落下すればどんなに恐ろしいことが起きるか気づくことが出来るでしょう。

  続いて審判の日の現象の一つに、「山々が散る」があります。天体の一つが地球に近づいたときに、その引力によって山々が大地から抜かれて、ばらばらになってしまうことを指しているかもしれません。

  続いて審判の日の現象の一つに、「孕んで10ケ月の雌駱駝が等閑にされる」があります。妊娠し、出産を控えた雌ラクダほど、当時のアラブ人にとって高価なものはありませんでした。しかし審判の日になると、このラクダを多く所有していた人は、その日の恐ろしさと混乱のためにラクダを置き去りにしてしまいます。

  続いて、審判の日の現象の一つに、「様々な野獣が(恐怖の余り)群をなし集まる」があります。彼らはお互いに危害を加えあうためや、弱いものを食べるために集まりません。彼らは地上に起きた異変に恐怖を覚えたために一箇所に集まります。

  続いて、審判の日の現象の一つに、「大洋が沸きたち」があります。海は沸きたち、あふれます。各海があふれ、最後にすべての海が一つになります。山々が崩れて埃になると、その多くが大洋に注がれます。そのために海水が溢れて、他の海と結合する、と言われています。

  続いて、審判の日の現象の一つに、「それぞれの魂が(肉体と)組み合わされる」があります。魂の神秘についてアッラー以外に知る者はいません。そして魂は肉体の消滅とともに消えるものではなく、死後も存在し続けます。アッラーは最後の審判の日にこの魂を体に戻し、土に覆われた死体はアッラーによって違うものに創り変えられます。このことについてアッラーは仰っています:「またはあなたがたが知らない(他の形態の)ものに,あなたがたを創(り変え)る。」(出来事章61節)そして審判の日には、体と魂が一緒になった状態で復活します。
 
  「それぞれの魂が(肉体と)組み合わされる時」この節の意味として、魂は善と悪に分かれ、同じ性質を持つもの同士で集まる、と言われます。