イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

路辺が子を育てる

2011年12月31日 | その他

ビスミッラー

子育てと言えば、子のしつけ。

してはいけないしつけの解説です。

こちらをどうぞ。

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悪魔の扉が開くとき。

2011年12月30日 | その他

ビスミッラー。

悪魔のささやきに関する動画の解説を別ブログに載せました。
皆さまが悪魔のささやきから常に守られますように。

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預言者伝29

2011年12月29日 | 預言者伝関連

100.如何にしてムスリムたちに不運が回ってきたか:

  多神教徒たちはこのようにして負けた後、女性らに追い付くと逃げて行きました。その様子を見たムスリム軍の射手たち(弓を射る人たち)の幾人かが、ムスリム側の勝利を確信し、持ち場を離れました。射手軍の長であるアブドゥッラー・イブン・ジュバイルがアッラーの使徒(平安と祝福あれ)の忠告を思い起こさせても、彼らは耳を貸さず、多神教徒たちはもう戻って来はしないだろう、と思い込んだためでした。ただアブドゥッラーの忠告に留意した数名だけが、その場に留まりました。このような状態にあったムスリムたちの不意を突こうと、多神教徒たちが彼らの背後に現れました。そして一人が叫びました:「ムハンマドは殺された!」と。後退するムスリムたちを多神教徒軍が一撃することで戦況のチャンスは奪われました。確かにこの日は災難の日でした。そして敵軍はアッラーの使徒(平安と祝福あれ)ただお一人に狙いを定め結集すると、投石により彼(平安と祝福あれ)の頭、唇が負傷し血が流れ出しました。そして預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は言われました:「自分らの主へと導く預言者の顔から血を流させる民が如何に成功するのでしょう!?」

  ムスリムたちは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)がどこにいるのか分からずにいました。アリーが使徒さま(平安と祝福あれ)の手を取り、タルハが彼の身を起こすことで預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)はやっと両足で立つことができました。それほどまでに預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は負傷されたのでした。

  これらの出来事は決して敗北を意味するものではありませんでした。軍隊が遭遇し攻撃を再開するきっかけでしかありませんでした。ムスリム軍内に起きた後退や災難、士気の乱れ、イスラームとムスリムたちの大きな力となっていた勇者たちの殉教すべては、射手たちのわずかな不注意と、アッラーの使徒と交わした約束を最後の最後で破ってしまったこと、そしてアッラーの使徒によって任せられた持ち場を放棄してしまったことが原因でした。次のアッラーの御言葉にもあります:「本当にあなたがたが、アッラーの許しの下に、敵を撃破した時、かれはあなたがたへの約束を果たされた。だがかれが、あなたがたの好むもの(戦利品)を見せられた後、しりごみするようになり、事に当って争いはじめ、ついに命令に背くようになった。あなたがたの中には、現世を欲する者もあり、また来世を欲する者もある。そこでかれは試みのために、あなたがたを敵から退却させられた。だがかれは、もうあなたがたを許された。アッラーは信者たちには、慈悲深くあられる。」(イムラーン家章152節)

 

101.愛と犠牲の素晴らしさ:

  アブー・ウバイダ・イブン・アル=ジャッラーフは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の顔に刺さっていた二つの環の一つを取ると、前歯が抜けてしまいました。もう一つを取ると、残りの前歯も抜けてしまいました。またアブー・ドゥジャーナは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)を守るため、放たれる弓をその背で受け止めました。サアド・イブン・アビー・ワッカースは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に渡される弓を放ちながら、「私の両親をあなたのために犠牲に捧げましょう。」と言うのでした。

  クターダ・イブン・アン=ヌウマーンは目に傷を負いました。頬まで垂れ下がり飛び出た目玉を預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)がその手で元に戻すほどひどいけがでした。

  多神教徒軍は預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の殺害を狙っていました。アッラーが望み給わないことを実現させようと躍起になっていました。そして10名ばかりの敵が預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)を囲いましたが、タルハ・イブン・ウバイディッラーが彼らと争いました。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)を守りとおしたその手は負傷し、腕は痺れました。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)がある岩の上に登ろうにも傷のために出来ずにいると、タルハは彼の下に座って預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)を登らせました。そして礼拝の時間には、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は座ったまま礼拝を先導し、皆と祈りました。

  人々が敗北によって倒れていた時、アナス・イブン・アン=ナドルだけは立ち続けていました。彼は預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の召使であるアナス・イブン・マーリクの父方のおじにあたる方です。このアナスに会ったサアド・イブン・ムアーズが話しかけました:アブー・アムル、どこに行くのだ?アナスは答えました:天国の香りへと。サアドよ、私はすでにそれを見つけた。アナスはムハージルーンとアンサールの男たちが集まっているところに行くと言いました:「君たち、どうして座っているのだ?」皆が言いました:「アッラーの使徒さまが殺された」アナスは言います:「じゃあ彼がお亡くなりになった後、君たちは一体どうするつもりなんだ?さあ立ち上がり、アッラーの使徒さまがお亡くなりになったが如く、死のうじゃないか。」そのまま彼は敵に向かって行き、殺されるまで戦い続けました。彼の甥であるアナスは次のように言い残しています。:彼には70ほどの傷跡があったのですが、彼の姉だけが指先から彼であることに気づくことが出来ました。

  このほかにも様々な教友の話が残っています。

 

(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P233236

 

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タバコの害について書いた記事

2011年12月24日 | その他

ビスミッラー
別ブログにタバコの害についての動画の紹介をしました。
興味のある方はこちらをどうぞ。

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80章解説【1】

2011年12月22日 | ジュズ・アンマ解説

بسم الله الرحمن الرحيم

1.彼(預言者ムハンマド)が眉をひそめ、背を向けた。

2.かの盲人が彼の許に来たことのために。

3.そして、彼(かの盲人)が清まるかもしれないと何がお前に分からせるか。

4.あるいは、(おまえの言葉によって)彼が留意し、その訓戒が彼に益するかもしれないと。

5.自足した者(クライシュ族の有力者)については、

6.おまえは彼に没頭(熱心に応接)した。

7.彼が清まらないことは、おまえに責めはないというのに。

8.一方、おまえの許に足労して来た者については、

9.彼(その者)が(アッラーを)れて(来て)いるのに、

10.           おまえは彼をなおざりにする。

11.           断じて(その様に振る舞ってはならない)、まことに、それ(クルアーンの章・節)は訓戒であり、

12.           ――それで望んだ者はそれを思いに留めるが良い――

13.           高貴なる諸書のうちにあり、

14.           高く揚げられ、清められた、

15.           記録者(天使)たちの手による(諸書のうちにあるが)、

16.           (彼らは)気高く、敬虔(である)。

17.           (不信仰の)人間は殺された(呪いの言葉)、彼はなんとひどく恩知らずなことか。

18.           どんなものから彼(アッラー)が彼(不信仰の人間)を創り給うたことか。

19.           一滴の精液から彼を創り、それから彼に割り当て給うた。

20.           それから、その道を易しいものとなし給い、

21.           それから、彼を死なせ、墓に埋めさせ給い、

22.           それから、望み給うた時に彼を甦らせ給うた。

23.           断じて、彼(人間)は、彼(アッラー)が命じ給うたことをまだ果たしていない。

 

この章は、人間や植物の創造におけるアッラーの御力の証拠について語っています。また審判の日とその恐ろしい光景についても語っており、また預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に対するアッラーからの叱責の言葉もあります。

 

 まず初めに、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)と盲目で貧しい教友アブドゥッラー・イブン・ウンムマクトゥームの間で起きたある出来事の想起が述べられます。アブドゥッラーが預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の許を訪れた際、彼はちょうどマッカのクライシュの有力者と貴族との会合で彼らをイスラームに誘うための話をすることに忙しくしていました。なぜなら預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は彼らが帰依することで彼らを追従する人たちも一緒に帰依することを切望していたためです。アブドゥッラーは次のように言いました:アッラーの使徒さま。アッラーがあなたさまに教え給うたことを私に読み、お教えください!と。アブドゥッラーは何度も何度もお願いの言葉を繰り返しましたが、彼は預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が人の集団の応対に忙しくしていることを知らずにいたのでした。しかし預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)はアブドゥッラーの言葉を遮ってしまい、眉をひそめてしまいました。その時に次の節が啓示されました:

 

 「彼(預言者ムハンマド)が眉をひそめ、背を向けた。かの盲人が彼の許に来たことのために。そして、彼(かの盲人)が清まるかもしれないと何がお前に分からせるか。あるいは、(おまえの言葉によって)彼が留意し、その訓戒が彼に益するかもしれないと。自足した者(クライシュ族の有力者)については、おまえは彼に没頭(熱心に応接)した。彼が清まらないことは、おまえに責めはないというのに。一方、おまえの許に足労して来た者については、彼(その者)が(アッラーを)慴れて(来て)いるのに、おまえは彼をなおざりにする。」

 

 預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は盲人に対して眉をひそめ、彼を制してしまいました。クルアーンでは、三人称代名詞が使われています:「彼が眉をひそめ、背を向けた」。アッラーは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に対する優しさから、「おまえは眉をひそめ、背を向けた」とは仰せになりませんでした。

 

 アッラーは続けて預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に語り給います:「そして、彼(かの盲人)が清まるかもしれないと何がお前に分からせるか。」つまり、ムハンマドよ、おまえが眉をひそめたこの盲人がおまえから受ける導きの言葉で罪から清められるかもしれないことをおまえに教え、知らせるものは何なのか。「あるいは、(おまえの言葉によって)彼が留意し、その訓戒が彼に益するかもしれないと。」もしくはおまえから聞く導きの言葉が彼を訓戒となり、彼に益するかもしれないと。「自足した者については、」信仰やおまえが持つ導きの言葉を不要とし、「おまえは彼に没頭(熱心に応接)した」そのような者におまえは自ら進んで応接し、その者の指導を重要視した。「彼が清まらないことは、おまえに責めはないというのに」彼が不信から清められてイスラームに帰依しなくてもおまえには何の責任もないのに。「一方、おまえの許に足労して来た者については、彼(その者)が(アッラーを)慴れて(来て)いるのに」善を求めて急ぎながらおまえの許にやって来たアッラーをおそれる者については、「おまえは彼をなおざりにする」おまえは彼を軽視して、彼以外のことで忙しくした。

 

 預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は盲人に対する指導を制止する立場ではなく、イスラーム宣教のためにもっとも大切であると判断した事柄において奮闘努力する立場にありました。しかしアッラーはこの叱責の御言葉から、貴族の特権を無効にし、障害者も含む善い意志を持つ人たちに対する賞賛し、どんなに社会的地位高くても真実の言葉を軽蔑する人たちに彼らは優ると仰せになりました。だからこそかの盲人の弱さと貧しさが預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)のしかめ面や軽視の理由となってはならないのです。どんなに盲人がミスしてしまってもです。本当に彼は敏感で、善良な魂の持主なので、どのようなアッラーのしるしを聞いても訓戒を得ることが出来るはずなのです。

 

 続いて。この盲人はしかめ面をされたことを知らず、また見てもいません。しかしそれは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が優先すべき行為ではありませんでした。そのためにアッラーはその預言者をかの御言葉で叱責し給い、また盲人たちに教育を施し、敏感な彼らの気持ちを傷つけてはならないことを信徒たちに教え給いました。またその中にはアッラーからいただいた導きの教えを進んで学ぼうとする盲人たちに向けられた賞賛も含まれています。

 

 またアッラーからの叱責の言葉は、クルアーンがアッラーの啓示であること、ムハンマド(平安と祝福あれ)の預言者性の信憑性を示す大きな根拠の一つでもあります。もし預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が預言者ではなく単に有力で偉大な男性たちの一人でクルアーンは彼の書いたものだとしたら、きっと自分が叱責されたことに関する言葉が公表されることなどけっして許さなかったでしょう。またこの叱責の言葉が啓示であると言うことにも満足しなかったはずです。

 

 叱責の後、アッラーは仰せになりました:

 「断じて(その様に振る舞ってはならない)、まことに、それ(クルアーンの章・節)は訓戒であり、――それで望んだ者はそれを思いに留めるが良い――高貴なる諸書のうちにあり、高く揚げられ、清められた、記録者(天使)たちの手による(諸書のうちにあるが)、(彼らは)気高く、敬虔(である)。」

 

 カッラー(断じて):抑制の意味があります。つまり:ムハンマドよ、もうかのようなことをしてはいけない、という意味です。「まことに、それは訓戒であり」この章またはこの諸節は訓戒であるということです。「それで望んだ者はそれを思いに留めるが良い」アッラーのしもべの中で望む者はそれを思い起こして熟考すれば良いと言う意味です。「高貴なる諸書のうちにあり」このクルアーンはアッラウフ・ル・マハフーズからコピーされたものであり、偉大とされた諸書の中にあります。「高く揚げられ」実際に高いところにあり、位も高いです。「清められた」汚れ、余分なもの、不足から清い状態にあります。「記録者(天使)たちの手による」使徒とアッラーの間の遣いとされた天使たちの手です。「(彼らは)気高く、敬虔である」アッラーの御許で尊い存在であり、信心深く、善良です。

 

 以上の真実が述べられた後、アッラーは彼の恩恵を否定し、命令に背く人間を批判し給います。

 

 「(不信仰の)人間は殺された(呪いの言葉)、彼はなんとひどく恩知らずなことか。どんなものから彼(アッラー)が彼(不信仰の人間)を創り給うたことか。一滴の精液から彼を創り、それから彼に割り当て給うた。それから、その道を易しいものとなし給い、それから、彼を死なせ、墓に埋めさせ給い、それから、望み給うた時に彼を甦らせ給うた。」

 

 「人間は殺された」つまり呪われた。不信仰者を指します。呪いの中でも最も酷いものです。不信仰の度の高さに対する驚きが込められています。「どんなものから彼(アッラー)が彼(不信仰の人間)を創り給うたことか。」彼がどのように創造されたのかの質問です。そして彼の存在に重要性がないことを表して、「一滴の精液から彼を創り、それから彼に割り当て給うた」。一滴とは数え切れないほどの精子を含んだ精液であり、その一つが卵子と受精することで、胎児の誕生のきっかけとなります。そして血液の一固まりとなり、次に肉の塊、そして最終形態に変化していきます。「それから、その道を易しいものとなし給い」母親のお腹からの脱出を、出産という形で実現し給うたということです。また:それから、彼をイスラームに導き給い、それを容易にし給うた、ともとれます。「それから、彼を死なせ、墓に埋めさせ給い」それからアッラーは彼を死なせ給い、尊厳の表しに大地の中の墓を彼の居場所にし給いました。「それから、望み給うた時に彼を甦らせ給うた」そして審判の日になると、清算を受けさせ、そして行為の報いを受けさせるために生きた状態に戻し給います。

 

 ここである質問が浮かびます:人間はこの終わりのための準備をしたか?答がアッラーから返ってきます「断じて、彼(人間)は、彼(アッラー)が命じ給うたことをまだ果たしていない。」主の恩恵を忘れている不信仰な人間はけしからん、彼は清算の日の準備となる義務の遂行を全くしていない、という意味です。

 

  続く

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/アフィーフ・アブドゥ=ル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP3841

 

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預言者伝28

2011年12月15日 | 預言者伝関連

ウフドの戦

ヒジュラ暦3年のシャウワール月

94.ジャーヒリーヤ(無明時代)の激情と復讐:

  バドルの戦の際に不敗を味わったクライシュの大物たちは全員、マッカに戻って行きました。実際のところこの戦敗は彼らにとって深刻な結果となったのでした。戦いで負傷した親戚子ども、兄弟らを持つ男が、アブー・スフヤーンを訪れて、何とかしてもらえるよう、話を持ちかけました。そこで、キャラバンで得られる儲けを使ってムスリムたちを攻撃することを企てました。クライシュの人々は再度、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に対する戦いのために結集しました。詩人たちは詩で人々を鼓舞することで、彼らの中に復讐心と情熱を煮え立せました。

  クライシュの人々はヒジュラ暦3年のシャウワール月の中旬に、出来得る限りの人数を伴い出陣しました。気が変わって戦いから逃げてしまうことのないよう、輿にのせた家族の女性まで連れ出しました。クライシュのリーダー格たちも妻を連れ、人々はマディーナの正面に到達しました。

  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の意見は、ムスリムたちはマディーナに留まって、クライシュの人々が攻め入ってきたら、マディーナの中で戦う、というものでした。彼は戦いのために街の外に出ることを嫌っていたのです。アブドゥッラー・イブン・ウバイ(偽信仰者のリーダー)も預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)と同じ意見でしたが、「アッラーの使徒さま!私たちを敵のところへお連れくださいませ。私たちが臆病で弱いと思われてしまうのは避けなければなりません。」とバドルの戦に参加しなかった男が叫びました。

  人々がなかなか預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)から離れなかったため、彼は家に入って鎧(よろい)を身に着けました。出陣しようと提案した人々はその様子を見て、後悔し、「アッラーの使徒さま、私たちはあなたさまに無理をさせてしまいました!私たちはそうするべきではありませんでした。お望みであれば、どうか、お座りになってください。アッラーがあなたさまに平安をもたらし給いますよう。」と言いました。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は答えました:「一度鎧を身に付けたのであれば、預言者は戦うまでそれを脱ぐべきではないのです。」

  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、1000人の教友を伴い出発しました。マディーナとウフドの中間あたりに皆が辿り着いた際、アブドゥッラー・イブン・ウバイ(偽信仰者のリーダー)は同行者の三分の一を、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)から離反させ連れ帰ってしまいました。

 

95.ウフドの広場で:

  マディーナから約3kmほど離れた山であるウフドに到着すると、彼(平安と祝福あれ)は言われました:「私が指示を出すまで、誰も戦ってはなりません」。そして700名の男たちと共に、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は戦闘の準備を整え、アブドゥッラー・イブン・ジュバイルを50名の弓を射る戦闘員たちのリーダーに定めて言われました:私たちを後ろから守りなさい。そして何が起こっても決してここから離れてはいけません。」

  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は鎧の上に鎧を身に付け、旗をムスアブ・イブン・ウマイルに手渡しました。このウマイルは、後に殉教者として亡くなります。

 

96.幼い世代間の競い合い:

  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、ウフドの戦に参戦したいと申し出た年若い男の子たちをその幼さから追い返しました。15歳だったサムラ・イブン・ジュンドゥブとラーフィウ・イブン・ハディージュもその一人でした。しかしラーフィウの父親は預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に、「アッラーの使徒さま!息子は腕良く弓を射ます。」と執り成したので、ラーフィウは戦いに参加することが許されました。

  参加を拒否されたサムラはこれを知って黙っているわけにはいかず、「あなたさまはラーフィウの参加をお許しになり、ぼくを追い返されました。取っ組み合いをすればぼくがラーフィウに勝つ自信があります!」と預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に抗議したのでした。実際に二人が取っ組み合いをしてみると本当にサムラはラーフィウを負かしてしまいましたので、サムラもめでたくウフドの戦に出ることが叶いました。

 

97.戦場において:

  両軍は顔を合わせ、少しずつ近づき合いました。不信仰者であったヒンド・ビント・ウトゥバ(アブー・スフヤーンの妻)が起立すると、女性陣は男性陣の背後で彼らの士気を高めるべく太鼓を必死で叩き出し、戦いが熱気を帯びて来ます。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)から剣を受け取り、きっとあなたさまの代わりに立派に戦ってきます、という約束をしたアブー・ドゥジャーナは、人込みをかき分け、ぐんぐん進み、驚くことにすれ違う敵をすべて成敗して行くのでした。

 

98.ハムザ・イブン・アブドゥルムッタリブとムスアブ・イブン・ウマイルの殉教:

  ハムザは激しく戦い、敵側の多くの勇者を倒しました。もはや彼を止められる者など誰もいなかったのです。しかし、ジュバイル・イブン・ムトゥイムの奴隷であったワハシーはそんなハムザを見張っていました。ジュバイルは弓を射当てることにおいてとても長けているワハシーを、ハムザを殺せば奴隷の身分から解放してやろうと約束していたのです。じつはハムザは、ジュバイルの父方のおじであるトゥウマをバドルの戦いで殺していたので、その復讐をしようと企てていたのでした。ヒンドもまたハムザの殺害の実現を切望していました。そしてワハシーは弓をハムザに射り、それは彼の足を貫通しました。それを原因にハムザは殉教者として亡くなりました。

99.ムスリムたちが優位に立つ:

  アッラーは勝利をムスリムたちに与え給い、彼らに対してあらかじめし給うた約束を果たし給いました。多神教徒の負けには疑いはなく、とくに女性陣は一目散に逃げてしまったのでした。

 

  しかし…続きは次回に、インシャーアッラー。

 

(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P229233

 

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81章解説【2】

2011年12月06日 | ジュズ・アンマ解説

ビスミッラーヒッラハマーニッラヒーム

15.われは誓おうではないか。隠れるものに、

16.(つまり)身を潜める走るものにかけて、

17.そして闇と共に去来する時の夜にかけて、

18.そして、息を吐いた(光が広まった)時の朝にかけて、

19.まことに、それ(クルアーン)は高貴な使徒(天使ジブリール)の言葉であり、

20.力を持ち、玉座の持ち主(アッラー)の御許に場を占め、

21.そこ(その場)で(他の天使たちに)従われ、信頼された者。

22.そしておまえたちの仲間(ムハンマド)はもの憑き(狂人)ではない。

23.そして確かに彼は、明るい(東の)地平線に彼(ジブリール)を見たのである。

24.そして彼は、隠されたもの(啓示内容)に対して出し惜しみする者ではない。

25.そしてそれ(クルアーン)は石もて追われた悪魔の言葉ではない。

26.それなのに、おまえたちはどこに行くのか。

27.それ(クルアーン)は諸世界への訓戒に他ならず、

28.(つまり)おまえたちのうち真っすぐ立ちたいと望んだ者への(訓戒にほかならない)。

29.だが、諸世界の主アッラーが御望みにならない限り、おまえたちは望むことはないのである。

 

 続いてアッラーは、クルアーンが天使ジブリールを介してかれの使徒であるムハンマド(平安と祝福あれ)に下された啓示であることを数々の事柄にかけて誓い給います:

 

 「われは誓おうではないか。隠れるものに、(つまり)身を潜める走るものにかけて、そして闇と共に去来する時の夜にかけて、そして、息を吐いた(光が広まった)時の朝にかけて、まことに、それ(クルアーン)は高貴な使徒(天使ジブリール)の言葉であり、」

 

 アッラーは、視覚に入らず、また継続して発生し、そして隠れる事柄にかけて誓い給いました。

 

 また「闇と共に去来する時の夜にかけて」にあるように、闇にかけて誓い給い、「息を吐いた(光が広まった)時の朝にかけて」と太陽が昇り、発光する朝にかけて誓い給いました。以上の表現は、クルアーン特有の言語の正則性が由来しています。「息を吐く」は修辞学において「イスティアーラ」の名で知られており、朝の広まりの開始を意味しています。動き一つ感じられない静かな状態にあった自然に朝が訪れると、大地は目覚め、生命が広まる様子が表現されます。またその終わりは死と静けさの印でもあります。

 

 以上の誓いはすべて―アッラーが一番に御存知ですが―新設や改ざんや相違から来る争いを原因に消えてしまった過去のアッラーからのメッセージの真相の象徴なのかもしれません。そのため闇が人々の間に広まってしまい、導きの光は消えてしまったのです。この闇から朝を引っ張りだすことを望み給うたアッラーは、御自身の使徒であるムハンマドを導きと真実の教えと共に遣い給いました。つまりムハンマド(平安と祝福あれ)の使命は、人類のための朝の呼吸だったのです。

 

 クルアーンといったムハンマドに知らされたものは、ジブリールが主の啓示として携えてきたものであることを元に、以上の全ての事柄で誓い給いました。ジブリールはそれを順々にウンマの人々に述べ伝えていた預言者(平安と祝福あれ)に伝えました:

 

 「まことに、それ(クルアーン)は高貴な使徒(天使ジブリール)の言葉であり、力を持ち、玉座の持ち主(アッラー)の御許に場を占め、」クルアーンはジブリールのことを強い力の持ち主であり、玉座の主アッラーの御許では高位にある者と表現しています。王者の座る場所が高いところにあることから、アルシュ=玉座と名付けられました。そして威厳、権威、支配といった意味が込められます。アッラーの玉座の本当の姿について人間はその名前以外のことを知ることはありません。

 

 またアッラーはジブリールを「そこ(その場)で(他の天使たちに)従われ、信頼された者。」と描写しました。つまり天において天使たちに従われ、アッラーの御許では啓示を任されているということです。

 

 続いてアッラーは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の描写に移り給います:「そしておまえたちの仲間(ムハンマド)はもの憑き(狂人)ではない。」「おまえたちの仲間」という表現によって、彼は狂人だと主張するマッカの民に対して証拠を見せつけます。彼(ムハンマド)は啓示を受ける前、かつて交友し、付き合いのあった彼らの仲間であり、彼ら以外の人間が知らないような彼の真面目さ、誠実さ、頭の良さを彼らは最もよく知っていたはずです。それなのにどうして彼らは啓示を授かった後のムハンマド(平安と祝福あれ)を狂人と呼ぶのでしょうか。またムハンマド(平安と祝福あれ)は600の翼を持つ天使ジブリールをその本来の姿で確かに東の地平線上で見たのです。「そして確かに彼は、明るい(東の)地平線に彼(ジブリール)を見たのである。」

 

 またムハンマド(平安と祝福あれ)はアッラーにより教えられたクルアーンの教授を出し惜しむこともありませんでした。「そして彼は、隠されたもの(啓示内容)に対して出し惜しみする者ではない。」

 

 クルアーンは、不信仰者たちが言うようなものではありません。「そしてそれ(クルアーン)は石もて追われた悪魔の言葉ではない。」不信仰者たちは、クルアーンは悪魔たちの言葉であると主張していました。彼らは占い師たちが不可視界を知っており、ジンから成る悪魔たちが最上天から知らせを盗み聞きして知らせを持ってこられると思い込んでいましたが、至高なるアッラーは、悪魔たちには正しきこと、善きこと、不可視の知らせなどのクルアーンの言葉のようなものは啓示されないと彼らに仰せになっています。物事が以上のようであるならば「それなのに、おまえたちはどこに行くのか。」つまりおまえたちはクルアーンを嘘とするどのような道を辿ろうと言うのか、という意味です。

 

 最後に、クルアーンは人々の中でも真っすぐに生きたいと望む者のための訓戒であることを解明し給います:

 :「それ(クルアーン)は諸世界への訓戒に他ならず、(つまり)おまえたちのうち真っすぐ立ちたいと望んだ者への(訓戒にほかならない)。」

 

 アッラーは人間に歩む道を選ぶ自由を授け給いました。導きの道を歩むのか、それとも迷いの道を歩むのか、です。ただ、人間の意志はアッラーの御意志に制限されるため、人間の意志は完全に自由とはいえません。それは章の終りでアッラーが次のように仰せになっているとおりです:「だが、諸世界の主アッラーが御望みにならない限り、おまえたちは望むことはないのである。」

 

 アッラーの御意志は正道に人々を導き、迷いの道を忠告する使徒たちの派遣の中に顕れます。そして人間の意志は二つの道のどちらかを選択するときに明解になります。

 

 そしてアッラーは、かれの道に付いて行く者が導かれることに同意し給います。「それによってアッラーは彼の御満悦を追い求めた者を平安の道に導き、彼の御許可によって彼らを諸々の暗闇から光に連れ出し、まっすぐな道に導き給う。」(516節)、「そしてアッラーを信じる者があれば、彼(アッラー)は彼(その者)の心を導き給う。」(6411節)

 

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/アフィーフ・アブドゥ=ル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP4851

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