イスラーム勉強会ブログ

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【子供向けイスラーム道徳】両親を大切にする

2013年01月25日 | 子供向けイスラーム道徳
【両親を大切にする】
●両親に誠意を尽くして接する。
 【 وَقَضَىٰ رَبُّكَ أَلَّا تَعْبُدُوا إِلَّا إِيَّاهُ وَبِالْوَالِدَيْنِ إِحْسَانًا ۚ إِمَّا يَبْلُغَنَّ عِندَكَ الْكِبَرَ أَحَدُهُمَا أَوْ كِلَاهُمَا فَلَا تَقُل لَّهُمَا أُفٍّ وَلَا تَنْهَرْهُمَا وَقُل لَّهُمَا قَوْلًا كَرِيمًا ﴿٢٣﴾ وَاخْفِضْ لَهُمَا جَنَاحَ الذُّلِّ مِنَ الرَّحْمَةِ وَقُل رَّبِّ ارْحَمْهُمَا كَمَا رَبَّيَانِي صَغِيرًا ﴿٢٤﴾ 】
 【あなたの主は命じられる。かれの外何者をも崇拝してはならない。また両親に孝行しなさい。もし両親かまたそのどちらかが,あなたと一緒にいて老齢に達しても,かれらに「ちえっ」とか荒い言葉を使わず,親切な言葉で話しなさい。 (23) そして敬愛の情を込め,両親に対し謙虚に翼を低く垂れ(優しくし)て,「主よ,幼少の頃,わたしを愛育してくれたように,2人の上に御慈悲を御授け下さい。」と(折りを)言うがいい。 (24)】(夜の旅章23~24節)
 ムスリム一人一人の義務。良い行いは、一番自分をアッラーに近付けてくれるもの。
 どんな行いが一番アッラーに愛されますか?《時間内の礼拝です》次に来るのは?《続くのは親孝行です》その次は?《アッラーのために戦うことです》
 両親の満足はアッラーの満足の一部。《両親を満足させた者はアッラーを満足させたことになり、両親を怒らせた者はアッラーを怒らせたことになる》
●どうやって親孝行者になる?
 →アッラーに反さないことすべての命令に従う。
 →いろいろな方法で両親の喜びを求める。
 →両親がいる前では大声を出さない。
 →言葉や行動で両親を悲しませない。
 →歳をとったら面倒をみる。
 →両親のためにいつもドゥアーをする。
 →両親の親戚との付き合いをする。
●親不幸は悪いこと。つまり親に仕えず、親が喜ばない行いをすること。また変な目つきで見たり、チェっという小さい言葉でさえも相応しくないことをいうこと。
 親不幸は最も大きな罪の一つ。多神崇拝と同等くらいの罪の重さ(ハディース由来)
●アッラーは父母に大きな位置を作った。親孝行に関する小話(ハディース由来):とても良い羊飼いの男は両親が大好きで親孝行者でした。ある日、彼は他の2名の男と旅に出ました。雨と強風に襲われた彼らは洞窟に入りましたが、入口は上から落ちて来た岩でふさがってしまい、自分たちはもうダメだと皆が思いました。一人の男が言いました:助かるためには、自分の一番良い行いの報いとしてドゥアーを叶えてもらうほかに方法はない!すると全員が、今まで行ってきた行いの中で一番よいものを思い出して、ドゥアーしました。善良な羊飼いは祈りました:アッラーよ、私は毎日、夜になるとミルクを自分の子供に飲ませる前に両親に飲ませていました。ある日、少し遅れてしまっていくと、彼らはもう眠ってしまっていました。両親を起こしたくもないし、彼らに飲ませる前に子供たちに飲ませたくもなかった私はあの晩、ミルクを入れた杯を手に持ったまま、陽が昇るまで立っていました。お腹を空かせた子供たちが私の足元で泣いたことで目を覚ました両親に私はミルクを飲ませました。アッラー、私があの行いをあなたの御尊顔を求めて行ったものであれば、今の私たちの状態からお救いください。すると岩は割れて、3人の男は洞窟から出ることが出来ました。
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預言者伝40

2013年01月24日 | 預言者伝関連
128.アル=ムスタラク家の戦と中傷の話:
  ヒジュラ暦6年、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)のもとに、フザーア族の支族であるアル=ムスタラク家が彼と争うために集合しているとの情報が届きました。それを聞いたアッラーの使徒(祝福と平安あれ)は彼らのもとに偽信者の多くと共に出かけて行きました。その頭はアブドゥッラー・イブン・ウバイ・イブン・サルールでした。すでに信徒らの影響力は、部族連合軍に勝利した戦の後に、様々な地に広がっていました。かつてクライシュは、かの戦で他の者らとこれまでにない規模の連合軍となってイスラームを一掃しようと試みたにもかかわらず、彼らは負けてしまったため、マッカの不信仰者らやマディーナやその周辺に住むユダヤ人、偽信者たちはのどにとげが刺さっているかのような気分を味わっているのでした。彼らは、ムスリムたちは戦いのために準備された兵士や軍装の数で負けることはないと思い知りました。そんなムスリムたちを弱化させるために、内部に騒乱を引き起こたり、ムスリム同士の中に部族思考が復活するよう扇動してみたり、使徒(祝福と平安あれ)の社会的地位に傷をつけることで信徒らが彼に疑念を抱かせるよう仕向けたり、使徒(祝福と平安あれ)の名誉、彼が最も愛する妻に関する話題を広めることとしました。以上によって、生まれたての理想的な社会の存続を危うくしようとしたのです。イスラーム社会の構成員はそれぞれがお互いを映す鏡です。兄弟について何か疑わしいことを耳にした時は自らを見つめ直し、自身が潔白である場合は、疑わしいことを言われた兄弟も潔白であると判断します。このようなかたちで信徒らはお互いに対する信頼を確認しあっていました。しかし、もし預言者の家族に対する信頼が消えてしまったなら、信頼は完全に全員から無くなってしまいます。偽信者たちが実行したこの巧妙な策略は、アル=ムスタラク家の戦の中にはっきりと現れ、今までになかった程に偉大なものでした。
  アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はアル=ムスタラク家の居場所に赴き、『ウアル=ムライスィーウ』と呼ばれる彼らの水場で彼らに会いました。人々は交戦し合い、最終的にアル=ムスタラク家側は負けました。
  戦終了後、信徒たちが帰る前、ウマル・イブン・アル=ハッターブの召使と、アル=ハズラジュの同盟であるジュハイナ族の人間が喧嘩をして、後者が叫びました:「アンサール達!」召使も叫びました:「ムハージルーン達!」これを聞いてアブドゥッラー・イブン・ウバイ・イブン・サルールは怒りました。その時、彼は自分の民(アンサール)と共にいて、言いました:「ついにやったか。彼らはわしらをばらばらにし、わしらの土地で増えやがった。『犬を肥やせば噛まれる』のまんまじゃないか。マディーナに戻った暁には必ず高貴な人間が卑しい奴らを追い出す。」そして自分の民の人間がやって来るとまた言いました:「君たちは自分らの土地を彼らに譲り、資産も分け合った。これが自分らのなした結果だ。あいつらに何もあげることなどしなければ、違うところに行っただろうに。」
  こんなやりとりを耳にしたアッラーの使徒(祝福と平安あれ)は人々に帰る準備をするよう命じました。皆に不安が広まるのを防ぐためです。通常であればアッラーの使徒は旅をしないはずですが、人々は帰りの途につきました。
  アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は人々を連れて夜になっても歩き続け、朝になっても歩き続け、陽が昇って暑さが厳しくなった時、人々をやっと停めました。すると皆、疲れのあまりに倒れ込んで眠ってしまいました。
  マディーナの手前で、偽信者アブドゥッラー・イブン・ウバイの息子であるアブドゥッラーがその父を停めました。「お父さん、自分は卑しく、ムハンマドは尊いと宣言してくれるまで僕はあなたから離れません」と言いました。彼らの近くを通ったアッラーの使徒は言いました。「アブドゥッラー、お父さんを放っておきなさい。私の人生にかけて、彼が我々と共にいる限り、我々は彼と良く付き合いましょう。」
  普段からアッラーの使徒(祝福と平安あれ)は旅行をする際、一緒に旅する妻一人をくじ引きで選んでいました。アル=ムスタラク家との戦のための旅の時は、アブー・バクルの娘、アーイシャにくじが当りました。アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は旅に彼女を伴い、用事が済んで帰る道すがら、マディーナに近いところで停泊した後、出発を許可しました。首飾りを付けたアーイシャが所要のために出かけた際、気付かぬ間にそれが首から落ちてしまいました。テントに戻ってそれがないのに気付くと、探しに出かけました。その間に人々は出発しだしていたのでした。アーイシャが首飾りを探しに出かけている際、人々は輿にアーイシャが入っているものと思い運んで行ってしまったのです。当時のアーイシャは若くて細かったので、輿の中にいないとは誰も思いませんでした。誰もいない野営地に戻ったアーイシャは途方に暮れ、着ていた上着を被って、そのまま座り込みました。
  そんな状態でいたアーイシャの近くを、サフワーン・イブン・アル=ムアッタル・アッ=スラミーが通りかかりました。用あって、人々より遅れて移動していたところでした。彼女を見つけると「インナー・リッラーヒ・ワ・インナー・イライヒ・ラージウーン(本当に私たちはアッラーのもの。そして彼の許に私たちは帰っていく)」を唱えて言いました:「アッラーの使徒様(祝福と平安あれ)の奥方だ」彼はラクダを彼女に近付けて、自分は後退しました。アーイシャはラクダに乗り、サフワーンはラクダをひいて、人々が歩いた跡を追って、やっとのことで追い付くことが出来ました。人々は停まっていたのでアーイシャは人々の方で再び乗ることが出来ました。そんな様子に人々が不思議がることはありませんでした。このような出来事は荒野やキャラバンの生活にはありふれたことであり、またそんなお互いの尊厳や名声を守ることは無名時代にもイスラームの時代にもアラブの人々が習慣として守って来たことでした。
  教友たちとアッラーの使徒(祝福と平安あれ)は子と父のようで、彼の妻たちは彼らの母親のようでした。教友たちにとってアッラーの使徒(祝福と平安あれ)は自分らの父や子よりもそしてなによりも愛おしい存在でした。そしてサフワーンはその篤信と貞操と恥じらいで知られる人物で、女性からは遠い存在であったと言われています。
  かの出来事は何の関心も呼ぶものではなかったのに、アブドゥッラー・イブン・ウバイ・イブン・サルールはこれをネタにして、マディーナに帰った後に人々に話し回りました。同じく偽信者の彼の仲間も話を広め、信徒間に危機を齎し、使徒(祝福と平安あれ)と彼らの間にある関係を揺るがす絶好の機会としました。実際に、この落とし穴に数名の信徒が落ちて、根拠のない噂話の餌食となってしまいました。
  アーイシャが自分について話されているのを知ると、ショックを受け、とても悲しみました。涙は止まらず、夜は眠れないほどでした。そんな状況はアッラーの使徒(祝福と平安あれ)を危惧させました。事件の発端を知ったアッラーの使徒(祝福と平安あれ)はすぐに立ち上がって、アブドゥッラー・イブン・ウバイ・イブン・サルールに彼の成した行為への残念な気持ちを説教台の上から表しました。続けて:「ムスリムの皆さん!私の家族を中傷した男について弁解出来る者はいますか?アッラーにかけて、私は家族について良いことしか知りませんし、かの男性についても私は良いことしか知りません。私の家族がいるところに入る者とともに私はいつもいます。」アル=アウス族の男たちが怒りだし、アル=アウスの人間であっても、アル=ハズラジュの人間であっても、中傷話をし始めた人間を殺す準備があることをアッラーの使徒(祝福と平安あれ)に訴えました。アブドゥッラーはアル=ハズラジュの人間だったので、アル=アウスとアル=ハズラジュの間に怒りの炎が生まれました。アッラーの使徒の英知と忍耐力がなければ彼らを悪魔が思う壺にしてしまったことでしょう。
  アーイシャは身の潔白の確信し、気高く、自信とプライドに心は満ちていました。無罪の人たちにどんな疑いも穢れも着くことないのと同様に。アーイシャはアッラーが彼女の無罪を証明し給い、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)の回りからあらゆる疑惑、非難を遠ざけ給うことを確信していました。しかし、まさかアッラーが彼女自身について啓示し給うとは考えていませんでした。啓示はウンマに残り続けます。しばらくしないうちにアッラーはアーイシャについての啓示をアッラーの使徒(祝福と平安あれ)に下し給いました:「まことに虚言をもたらし者たちはおまえたちの一団である。おまえたちはこれがおまえたちへの災いだと考えてはならない。いや、それはおまえたちにとって良いことである。彼らのうちいずれの者にも罪のうち稼いだものがある。そして彼らのうちその大罪(大半)に責任のある者、彼には大いなる懲罰がある。おまえたちがそれを聞いた時、男の信仰者も女の信仰者も自分たちについて良いことを(善意に)考え、「これは明白な虚言である」となぜ言わなかったのか。」(御光章11~12節)
  以上の啓示によって災難の火が消え、何事もなかったかのように生活が戻りました。信徒たちはアッラーとアッラーの使徒(祝福と平安あれ)彼らに命じた諸事と人類に善と幸福を齎す行いに没頭することとなりました。

(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P267~272など)
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75章解説【2】

2013年01月17日 | ジュズ・タバーラカ解説
بسم الله الرحمن الرحيم
20.断じて、いや、おまえたち(不信仰者)は目先のもの(現世)を愛し、
21.そして来世をなおざりにする。
22.その日、(信仰者たちの)顔は輝き、
23.(顔は)その主の方を仰ぎ見る。
24.また、その日、(不信仰者たちの)顔は暗く歪み、
25.背骨折(のような責め苦)が己に対しなされると思う(確信する)。
26.断じて、(魂が喉元を囲む)鎖骨に達した時、
27.そして(周囲の者に)言われた、「(あなたがたのうち)誰が呪医ですか」。
28.そして彼(瀕死の者)は、それがかの別離であると思った(確信した)。
29.そして脚は脚に重なる。
30.その日、お前の主の方に(裁定に)追い立てはある。
31.それでも彼(人間)は真実と認めず、礼拝もしなかった。
32.むしろ、嘘と否定し、背を向けた。
33.それから、意気揚々と歩んで家族の許に赴いた。
34.(破滅は)おまえに近いぞ、近い。
35.更に、おまえに近いぞ、近い。
36.人間は見逃されて放っておかれると考えるのか。
37.彼(人間)は射精された精液の一滴ではなかったか。
38.それから、それは凝血となり、更に(アッラーがそれを人間に)創り、更に整え給うた。
39.そして、それ(そのような人間)から男と女の両配偶者を成した。
40.そのような御方が死者を生かすことができ給わないであろうか。

そして現世の欲望を来世より優先している審判の日の到来を否定している者たちに対する警告の言葉に戻ります:
「断じて、いや、おまえたち(不信仰者)は目先のもの(現世)を愛し、そして来世をなおざりにする。」

 意味:クライシュよ!現実がおまえたちの主張のように死後の復活などなく、行為の報復もないというのは違う!おまえたちは消えゆく現世を愛し、永遠に終わらない来世を放棄している。現世を目先のものと名付けているところにその短さと時間の経過の早さが現われています。

 そしてアッラーは来世における信仰者の行く末と不信仰者の行く末を解明し給います:
 「その日、(信仰者たちの)顔は輝き、(顔は)その主の方を仰ぎ見る。また、その日、(不信仰者たちの)顔は暗く歪み、背骨折(のような責め苦)が己に対しなされると思う(確信する)。」

 輝く顔は信仰者の顔を指します。輝く(ナーディラ)は、至福の印として喜びが見られることです。その顔はその主をまじまじと見ます。自分らの祝福多き至高なる主を見られる以上に愛しいことなど彼らにはありません。ただ、如何に見るのかについては私たちには分かりません。この世界に存在するすべての美は万物の主の創造です。そんな御方が信仰者の前に御姿を顕わにしてくださることは、彼らにとってこれ以上にない幸福であるのです。

 代わって不信仰者の顔は、暗く歪みます。つまり、自らの行いを知って顰め面になることです。そのため背骨を折るようなとても巧みな仕置きが起きることを確信します。

 アッラーは不信仰者たちに審判の日の光景を知らせることで脅かし給うた後、彼らが毎日目にしている光景を更に彼らに近付けて更に脅し給います:それは人間と現世の間を離れさせる死の光景です。愛する者たちとの間を隔てる、地球の生き物全てが経験する死です。それは避けられないものであり、世界のあらゆる場で常に繰り返し起きています。そして全ての存在は死に対して同じ立場にあり、それを追い返す方法などありません。以上の事実は、人間が関わる余地のない神の能力から死がやってくることを感じさせます。にもかかわらず彼らははかない現世が消えることから何も教訓を得ません。至高なるアッラーは仰せになります:
 「断じて、(魂が喉元を囲む)鎖骨に達した時、そして(周囲の者に)言われた、「(あなたがたのうち)誰が呪医ですか」。そして彼(瀕死の者)は、それがかの別離であると思った(確信した)。そして脚は脚に重なる。その日、お前の主の方に(裁定に)追い立てはある。」

 「魂」は人間の魂を指します。それが鎖骨に達することは、死が訪れ、その兆候があらわれはじめることを指します。「誰が呪医ですか」つまり死に際の人間の家族が言い合います:この人を治せる医者はいないか?と。「راق」は病人を治療するために何かを読む人を指します。「そして彼(瀕死の者)は、それがかの別離であると思った(確信した)」つまり、瀕死の人間が、現世、家族、お金、子供と自分を離れさせる死の到来を確信した、です。「そして脚は脚に重なる」魂が体内から出るときまたは両脚がカフン(死人を覆う布)にくるまれるときに両脚がくっつくことを指すと言われます。また:死の苦悩の激しさが到来しつつある来世が付随している恐怖、清算、報奨、罰にくっつくことを意味する、とも言われます。「その日、お前の主の方に(裁定に)追い立てはある」つまり、しもべたちの帰り処はアッラーであるゆえ、彼らは審判の日に行為の報いを受けるために主のもとに連れて行かれます。

 命を断つ死の光景を前に、続く聖句はアッラーの導きに背を向ける者たち蔑視します:
 「それでも彼(人間)は真実と認めず、礼拝もしなかった。むしろ、嘘と否定し、背を向けた。それから、意気揚々と歩んで家族の許に赴いた。」

 審判の日を信じず、アッラーのことも彼の啓示のことも信じず、礼拝もせず、クルアーンを嘘だと言い、信仰から背を向けた人間は、家族の許に気取り歩いて帰ったという意味です。

 これらの特徴を備えた者に対してクルアーンは脅迫を向けます:
 「(破滅は)おまえに近いぞ、近い。更に、おまえに近いぞ、近い。」

 この表現は、アラビア語において、脅しを意味します。クルアーンも脅迫を目的として、この表現を繰り返し使っています。

 審判の日を否定する者、この現世の中に腐敗した者、生きている間ずっと不道徳なままの者はアッラーが人間を無目的に創造し給うたと思うのでしょうか。人間は動物と同じなのでしょうか。命令されず、義務も負わされない。規律を齎す法に従うよう呼び掛けられることはなく、その両手が成した行為の清算を来世で受けることもない?!
 「人間は見逃されて放っておかれると考えるのか。」

 審判を否定する者たちにアッラーから応答が来ます。人間の創造の初期についてと、子宮におけるその成長の段階についての解明が共に述べられます。人間を創造したアッラーの御力はそれをその死後に生きた状態に戻すことが可能です:

 「彼(人間)は射精された精液の一滴ではなかったか。それから、それは凝血となり、更に(アッラーがそれを人間に)創り、更に整え給うた。そして、それ(そのような人間)から男と女の両配偶者を成した。そのような御方が死者を生かすことができ給わないであろうか。」

 人間は偶然生まれた存在ではありません。アッラーは彼を、無数の精液の中から卵子と結合出来る一つの精子から創り給い、受精卵は凝血つまり分裂したものになり、子宮の壁に引っ掛かります。そして細胞は完全な人間に成長します:つまり男と女です。

 人間をこのような形に創造出来る可能な御方は、清算のために人間を審判の日に復活させ給うことが可能です。「そのような御方が死者を生かすことができ給わないであろうか」この聖句をもってこの章は完結します。自分は生き返ることはなく、骨も集められることはないつまり再生を否定している人間に対する応答は章の冒頭に先に述べられました:「われらは彼の指先まで整えることが可能」そして章の終わりはこの聖句に合った「そのような御方が死者を生かすことができ給わないであろうか」との御言葉が来ています。

 また預言者(祝福と平安あれ)は「そのような御方が死者を生かすことができ給わないであろうか」を読むたびに、「至高なるアッラーよ、いいえ」と言っていたことが伝わっています。

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP139~142)
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預言者伝39

2013年01月16日 | 預言者伝関連
126.アブー・ルバーバの後悔、そしてアッラーの彼に対する赦し:
  包囲されて苦しみが限界に達したクライザ家の人々は、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)に使いを送り、イスラームに帰依していたアブー・ルバーバというアル=アウス族と協定関係にあった男を連れて来てくれるようお願いしました。アブー・ルバーバに自分らがどうしたらよいか相談したいとのことでした。その依頼に応え、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はアブー・ルバーバをクライザ家に送りました。しかしアブー・ルバーバが彼らの前に現れると、男らは彼に群がり、女子供らは大声で泣き出しました。そんな様子を見たアブー・ルバーバの心は同情の気持ちでいっぱいになってしまいました。クライザ家の人々は言いました:アブー・ルバーバよ!ムハンマドに攻め入るのが良いと思うか?同情したときから彼らの見方になってしまったアブー・ルバーバは、「その通り」と言って、自分の手で喉を切る動作をしてみせ、つまりムハンマドを殺せ、と示したのでした。

  アブー・ルバーバは言っています:まだこの自分の両足がその場所にあった時に、私は確実にアッラーとその使徒(祝福と平安あれ)を裏切ったことを思い知りました。その瞬間アブー・ルバーバはその場を立ち去り、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)が戻られる前にマスジドの柱に自らを縄でくくりつけました。アッラーが私の醜行を赦して下さるまでここから離れない!クライザ家の土地には二度と足を踏み入れないことをアッラーに誓う!自分がアッラーとその使徒(祝福と平安あれ)を裏切った場所に現れないことを誓う!と叫びました。

  アッラーが彼を赦し給うたしるしとして次の節が啓示されました:
  「一方、自分たちの罪を認めた他の者たちは、正しい行いに悪いものを混ぜ合わせた。きっとアッラーは彼らの許に顧み(かえりみ)戻り給う。」(悔悟章102節)

  この後、人々はアブー・ルバーバを縛り付けている縄を解こうと一斉に駆け寄りましたが、アッラーにかけて、アッラーの使徒様(祝福と平安あれ)が解いてくださるまでは私はこのままでいる、と言いました。そして早朝の礼拝に出かける時にそこを通りかかったアッラーの使徒(祝福と平安あれ)が解きました。結局、アブー・ルバーバは20夜間、木の幹に縛り付けられたまま過ごし、礼拝の時間が来る度にその妻がやって来て、礼拝するために縄を解いては、終わるとまた縛り付ける、の繰り返しが続きました。

127.非難者の悪口を恐れないサアドの決意:
  クライザ家の人々はアッラーの使徒(祝福と平安あれ)の決定に反撃し、アル=アウス族も後に続けて言いました:アッラーの使徒様!クライザ家はアル=ハズラジュ族と違い私たちとは信頼関係にあります。またあなた様がかつて私たちの兄弟(カイヌカーゥ家)に為したことについてはあなた様がご存知です。アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は答えて言われました:「アル=アウス族の人々よ。あなた方の中の誰かが決定を下すのであれば満足かな?」人々は、はい、と答えました。アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は、ではサアド・イブン・ムアーズに任せようと言われました。命令を受けて姿を現したサアドに向かってアル=アウス族の人々は言いました:ムアーズ様!どうかあなたの仲間(クライザ家)に良い処置を。アッラーの使徒様(祝福と平安あれ)はあなたが彼らに最善を成すためにあなたに決定を委ねたのです、と。人々の意見が多くなってきたところでサアドは言いました:サアドはアッラーにまつわる決まり事において非難する者らの悪口を恐れない。決定は次の通りである。男らは殺され、富は分けられ、子供女は捕虜となる。アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は:「サアドよ、確かにあなたはアッラーの裁定で裁いた」と言われました。
  サアド・イブン・ムアーズの裁定がクライザ家に実施されたことで、マディーナはすべての陰謀、ユダヤ人による反抗行為を恐れる必要のない土地となりました。そして信徒らが背後からの不意打ちを恐れる必要はもうなくなり、内部から混乱が起きる心配からも解放されたことになりました。
  アル=ハズラジュはサッラーム・イブン・アビー・アル=フカイクという連合軍を組んだユダヤ人を殺し、それ以前にはカアブ・イブン・アル=アシュラフという率先してアッラーの使徒(祝福と平安あれ)に敵対心をむき出しにし、彼に逆らうよう人々を煽っていた男も殺しました。そしてやっと信徒らはイスラームと信徒たちに対する悪だくみをしていたリーダーたちから救われ、休めることになりました。
  またアッラーの使徒(祝福と平安あれ)がクライザ家に成したことは、戦争の政策とアラブ部族とユダヤ部族の性質が齎した結果でした。協定や約束を破る輩にとって訓戒となるよう、その時は厳格な処罰が必要だったのです。

(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P261~265など)
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