イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

預言者伝58

2014年01月30日 | 預言者伝関連
182.卓越した覇者としてではなく、信心深くそして謙虚な者としての入場:
  アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は、アッラーに謙遜の態度を示すべく、頭を下げて、マッカに入られました。アッラーが彼に恵み給うた勝利を目の当たりにされたとあって、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は、勝利章を読誦されながら、乗られていた動物の背にその顎鬚が当たりそうになるほどに顔を低くしておられました。

  アラブ半島の中心に位置し、精神的かつ政治的の中心であったマッカを征服したのを機に、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は、公正、平等、謙遜、服従をあらわすあらゆるスローガンを掲げました。そしてアッラーの使徒(祝福と平安あれ)の召使いの息子であるウサーマ・イブン・ザイドを後ろに乗せられましたが、大勢いるハーシム家やクライシュの貴族の子息たちの誰も彼の後ろに乗ったことが実は今までにありませんでした。

  これは、ヒジュラ暦8年のラマダーン月に入って20夜過ぎた金曜日の朝に起きました。

  アッラーの使徒(祝福と平安あれ)がある男に話しかけたところ、男は震えてしまって、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)が次のように言われたと伝えられています:落ち着きなさい。私は王者ではないのですから。私は単なる、干し肉を食べるクライシュ出の女の息子でしかありませんよ。

183.争いではなく、慈悲である:
  教友、サアド・イブン・ウバーダがアンサールの戦隊にいるアブースフヤーンのそばを通り過ぎる時、「今日は決戦の日だ。禁止が解かれる日。アッラーがクライシュに恥をかかせ給う日だ。」と言いました。アッラーの使徒(祝福と平安あれ)がそこを通り過ぎようとしたところでアブースフヤーンは彼にサアドが言ったことを訴えました:「アッラーの使徒さま!サアドが言ったことをお聞きにならなかったのですか?」「どんなことを言ったのですか。」「これこれと言ったのです!」

  アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はサアドの言葉を非難して、言われました:「いや、今日は、慈悲の日。アッラーがクライシュに栄誉を与え給い、アッラーがカアバを称讃し給う日だ。」そしてサアドに使いを送って、彼から旗を取り上げ、彼の息子であるカイスに渡しましたが、息子に旗が移っても、サアドから完全に奪われたわけではないと悟られました。

  つまり思慮あるアッラーの使徒(祝福と平安あれ)は、旗の持ち主であった父親からその息子に旗を単に移しただけではなく、心のふれあいを要していたアブースフヤーンの傷ついた気持ちを、イスラームの先輩であるサアドに嫌な気持ちをさせることなく慰めようとしたのでした。

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P337~338)
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70章解説【1】

2014年01月17日 | ジュズ・タバーラカ解説
1.求める者が起こるべき懲罰について求めた。
2.不信仰者たちに対して(懲罰が下るようにと祈った)-それ(懲罰)には追い払うすべはない-、
3.階梯の主アッラーから。
4.天使たちと霊※は彼の御許まで昇る、その時間が五万年に相当する一日に。
5.それゆえ、(彼らの嘲罵に)良い忍耐で耐えよ。
6.まことに彼らはそれ(懲罰、または復活の日)を遠いと見る。
7.だが、われらはそれを近いと見る。
8.天が鎔鉱のようになる日に。 
9.そして、山々は羊毛のようになる(日)、
10.また近しい者(近親)も近しい者(近親)を尋ねない(日)。
11.彼らは彼らを見せられている(というのに)。罪人は己の子によってその日の懲罰から身を贖えるならば、と願う。
12.また、己の伴侶や兄弟や、
13.また己を庇護した一族によって(贖えるならばと願う)。
14.さらに、地上の全ての者によって、そうしてそれが己を救うことになるならば、と。
※大天使ジブリール

 アッラーがムハンマド(祝福と平安あれ)に神のメッセージを携えさせて遣い給い、現世と来世の罰で多神教徒たちを怖がらせ給うた時、多神教徒たちは:それは誰のための罰で、誰に下るのかムハンマドにたずねようと言い合いました。そしてアッラーはそのことについて次のように知らせ給いました:
  「求める者が起こるべき懲罰について求めた。不信仰者たちに対して(懲罰が下るようにと祈った)-それ(懲罰)には追い払うすべはない-、階梯の主アッラーから。」

 不信仰者たちに対するアッラーの罰は来世で起きますが、現世で起きることもあり得ます。誰もそれを追い払うことはできません。「階梯の主アッラーから」の意味は、偉大さ、崇高さ、誉べき属性の主であるアッラー、です。また、数々の徳と恩恵の主とも言われます。

 アッラーは続けて仰せになりました:「天使たちと霊は彼の御許まで昇る、その時間が五万年に相当する一日に。」

 霊は大天使ジブリール(彼に平安あれ)を指します。天使の一人である彼が個別で言及された理由は、彼の持つ高徳と尊さです。彼の御許まで昇るとは、諸命令を受け、それを実行するためにアッラーの許に昇るということです。代わって:「その時間が五万年に相当する一日に」、審判の日と言われています。アッラーはこの日を不信仰者たちにとってとても長いもの、五万年に相当するものと成し給いました。それが指しているのは、アッラーが彼らの間を裁き給うまでの彼らの清算を受けるまでの状態です。その後に、地獄の徒は地獄に落ち付き、楽園の徒は楽園に落ち着くのです。

 不信仰者が厳しい清算、目の前の恐ろしい情景、待ち構えている罰を思うと、長いものとなるのです。代わって信仰者にとってこの日は数分しか感じられないでしょう。アル=イマーム・アハマドがアッラーの使徒(祝福と平安あれ)から伝承したところによると、彼(祝福と平安あれ)はこの日の長さに驚いた者から尋ねられて言われました:《私の魂をその御手にされる御方に誓って。それは信仰者には、現世で捧げる義務の礼拝よりも軽くされるでしょう》。

 また違う意味もあります:天使以外が地の一番低いところから高き諸天の上へは五万年以下の時間では昇れないが、天使たちとジブリールはこの距離を一日足らずで昇りきる、ということです。

 続いてアッラーは預言者(祝福と平安あれ)を、不信仰者たちによる審判の日が嘘であるとの主張に対しての不安もアッラー以外の存在へ苦情を訴えることも混ざらない良い忍耐へと誘います。彼らは最後の審判の日は存在しないと考えていますが、アッラーの御力においては確定しておりまた容易なことです:

 「それゆえ、(彼らの嘲罵に)良い忍耐で耐えよ。まことに彼らはそれ(懲罰、または復活の日)を遠いと見る。」

 至高なるアッラーは地球に規定された審判の日を描写し給います:
 「天が鎔鉱のようになる日に。 そして、山々は羊毛のようになる(日)」

 鎔鉱とは、濁った油や溶けた金属を意味します。天の色は黒色に近い緑色に変わります。これは天が濁った油としての描写に関してですが、第二の意味である溶けた金属に関して言うと、物理学者の意見は:天体はガスになった溶融金属から出来ている、というものです。それは流動形と段階を経た激しい熱さの後の状態です。そのため、-アッラーが最もよく御存知ですが-審判の日にはガスが溶けた金属になるくらいに冷えるのかもしれません。代わって山々が羊毛と描写されるのは、山々がばらばらにされるためと各部分の色の相違のためです。

 以上が天と地の様子です。他の被造物については、アッラーが次のように仰せになった通りです:
 「また近しい者(近親)も近しい者(近親)を尋ねない(日)。彼らは彼らを見せられている(というのに)。罪人は己の子によってその日の懲罰から身を贖えるならば、と願う。また、己の伴侶や兄弟や、また己を庇護した一族によって(贖えるならばと願う)。さらに、地上の全ての者によって、そうしてそれが己を救うことになるならば、と。」

 ハミームとは:自分の事を気にかけてくれる近親や友人です。しかし人々すべてに降りかかる激しい恐ろしさやパニックのために、各人は自分の不安だけが気になるようになります。それは誰も自分の近親がどのような状態にあるのかを尋ねないようになるということです。「彼らは彼らを見せられている(というのに)」つまり、お互いがお互いの事を知っているのに、離れて行ってしまうという意味です。そして罪人は、自分が最も愛する人物で降りかかる厳しい試練や罰から自分を救えたらと望みます。援助してくれる自分の子ども、妻、兄弟、家族だけでなく、地上にいるすべてを犠牲にすることで自分をアッラーの罰から救えることが出来たらと望むのです。しかし相応しいと確定された罰からの救いはありません。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP62~64)
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預言者伝57

2014年01月10日 | 預言者伝関連
179.アッラーの使徒(祝福と平安あれ)面前のアブースフヤーン:
  アッラーの使徒(祝福と平安あれ)が命令により火がともされると、アブースフヤーンは盗み聞きをしようと出てきました。「今夜のような火の灯りようといいキャンプの多さといい、こんなもの今までに見たことがないぞ。」すると、マッカから家族を連れてムスリムとして移住してきたアル=アッバースがアブースフヤーンの声に気付きました。「アブースフヤーン、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)さまが人々を連れていらしているのだぞ、なんてことだ。」とアル=アッバースは言って、アブースフヤーンをラバの後ろに乗せました。なぜなら信徒たちの誰かが彼を見て殺してしまうことを恐れたためです。そしてアブースフヤーンはアッラーの使徒(祝福と平安あれ)のもとへ連れて行かれました。

  アブースフヤーンを見たアッラー使徒(祝福と平安あれ)は言われました:
  「アブースフヤーン、アッラーの他に神がいないことをまだ知らないでいるというのか」

  アブースフヤーンは答えます:
  「私の父と母をあなたに捧げます。なんとあなたは忍耐強く、寛大で、親族とのつながりを大切にするおかたなのでしょう!アッラーに誓って、アッラーの他に神がいたとしたらそれは私の役に立たなかったことを悟りました。」

  アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は言われます:
  「気をつけなさい、アブースフヤーン!私がアッラーの使徒であることをまだ知らないでいるというのか」

  アブースフヤーンは答えます:
  「私の父と母をあなたに捧げます。なんとあなたは忍耐強く、寛大で、親族とのつながりを大切にするおかたなのでしょう!ただそれについては、アッラーに誓って、いまだに疑いがあるのです。」

  そこでアル=アッバースがアブースフヤーンに言いました:
  「われわれがおまえの首を切り落としてしまう前に、さあイスラームに帰依しなさい。そしてアッラーの他に神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒であることを証言するのだ。」

  アブースフヤーンはその後イスラームに帰依し、真なる証言の言葉を口にしました。

180.広範囲にわたる恩赦と安全:
  アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は安全と恩赦の幅を広めたため、マッカの住人のうちの安全であることに気を配らずに死ぬことを選ぶような者以外は誰も被害を受けることはありませんでした。そして「アブースフヤーンの館に入る者は安全である。自宅の戸を閉じる者も安全である。マスジドに入る者も安全である」と言われました。

  またアッラーの使徒(祝福と平安あれ)は、マッカに入る際、反抗したり敵対してくる者以外の誰にも武器を使ってはならないと軍に命じました。またマッカの住民の金品や財産に手を付けることも禁じました。

181.勝利の軍を前にするアブースフヤーン:
  そしてアッラーの使徒(祝福と平安あれ)はアブースフヤーンを戦隊が通るところに座らせるようアル=アッバースに命じました。

  勝利の戦隊は波打つ海のように動きだしました。各部族はそれぞれの旗を持って進んでいたのですが、ある部族が通り過ぎてゆくたびにアブースフヤーンはアル=アッバースに彼らが誰なのか、何という名の部族なのかを尋ねつつ「自分とそいつらに何の関係があるのか」と言っていました。そこに緑色の大隊を引き連れたアッラーの使徒(祝福と平安あれ)が通り過ぎました。中にはムハージルーンとアンサールがおり、彼らは皆、鉄で出来た装身具を身につけていました。アブースフヤーンは叫びます:スブハーナッラー!おいアッバース、あいつらは誰だ?アル=アッバースは答えました:ムハージルーンとアンサールを引き連れたアッラーの使徒さま(祝福と平安あれ)だ。アブースフヤーンは言います:あいつらに適う者などいないだろうな。アッラーに誓って、アブー=アル=ファドル(アッバースのニックネーム)!おまえの兄弟の息子の今日の王権は偉大なものになったな。アル=アッバースは言いました:アブースフヤーンよ、これが預言者性なのだ。アブースフヤーンは言いました:それは見事だ。

  そしてアブースフヤーンは立ち上がって、出る限りの大きな声で叫びました:クライシュの衆!これがムハンマドだ!おまえたちには到底かなわない!そこでだ。アブースフヤーンの館に入る者は安全で居られよう。人々は、「おまえなんてアッラーによって滅んでしまえ!われわれにおまえの館が必要だと言うのか」と叫び返しました。アブースフヤーンは続けます:自宅の戸を閉じる者も安全で居られるだろうし、マスジドに入る者も安全で居られるだろう。そして人々は自分たちの家に入ったりマスジドに入るためにばらばらに分かれて行きました。

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P335~337)

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71章解説【4】

2014年01月03日 | ジュズ・タバーラカ解説
25.彼らの罪過(ざいか)により、彼らは(洪水で)溺れさせられ、そして(来世で火獄の火に入れられた。そして彼らはアッラーの他に自分たちの援助者を見出さなかった。
26.そしてヌーフは言った、「わが主よ、地上に不信仰者から一人の住人も放置し(残し)給うな」。
27.「まことにあなたがもし彼らを放置し(残し)給えば、彼らはあなたのしもべたちを迷わせ、背徳の不信仰の輩しか生まないでしょう」。
28.「わが主よ、私と私の両親と私の家に信仰者として入る者、そして、信仰者の男たちと信仰者の女たちを赦し給え。そして不正な者には滅亡しか増やし給うな」。

ここから、不信の行く末と酷く悪い結末を描写している決定的応答がアッラーより寄せられます:
  「彼らの罪過により、彼らは(洪水で)溺れさせられ、そして(来世で火獄の火に入れられた。そして彼らはアッラーの他に自分たちの援助者を見出さなかった。」

 つまり、彼らの数々の罪のために彼らは現世では洪水で溺れさせられ、来世では火獄に入れられる、という意味です。ここでの火獄は、現世と来世の間にある短い期間にある墓の罰を指しているかもしれません。彼らはアッラー以外に罰から助けてくれる存在を見つけることは出来なかったのです。

 そしてヌーフは自分の民に対する呪いの祈願を続けます:
 
「そしてヌーフは言った、「わが主よ、地上に不信仰者から一人の住人も放置し(残し)給うな。まことにあなたがもし彼らを放置し(残し)給えば、彼らはあなたのしもべたちを迷わせ、背徳の不信仰の輩しか生まないでしょう」」

 ヌーフは、地球が治療の施しようのない不信のよごれから清まらなければならないことを悟りました。そのためにヌーフはその主に不信仰者を滅ぼしてくれるよう祈ります:「地上に不信仰者から一人の住人も放置し(残し)給うな」つまり彼らのような者を一人でも地上に生かし給うな、という意味です。不信仰者による不信仰への固執はアッラーの教えへの誘いを停止させてしまい、また人々を導きの道から外してしまいます。また不信仰者たちの子孫は祖先と同じ生き方を辿るため、地球には不信が残り続けます。「背徳の不信仰の輩しか生まないでしょう」アル=ファージルとは、主に背き、真実から傾く人の事を言います。カッファールは、不信において度を越した者を指します。

 ヌーフによる民が滅びるようにとの祈願の傍ら、この祈りは信仰者たちのための慈悲のこもった懇願でもありました:
 「わが主よ、私と私の両親と私の家に信仰者として入る者、そして、信仰者の男たちと信仰者の女たちを赦し給え。そして不正な者には滅亡しか増やし給うな」

 アッラーから遣わされた預言者であるヌーフによるその主からの赦しの願いです。これは自分が人間であること、どんなに主に仕えていても間違いを犯しすべてを全うできないことを忘れないしもべの祈りです。

 また彼の両親ための祈りは、彼らに対する忠誠であり、親孝行について信仰者に教えるものでもあります。

 また彼の家に入った信仰者と、信仰者の男たちと信仰者の女たちのための特別な祈りは、信仰者が信仰者に寄せる思いやりであり、自分に好むように兄弟に良きものを好むこと、そして強い同胞の絆と時間の経過とともに彼らを一つにする純粋な親愛です。

 信仰者たちに向けた愛情とは対照的に、章の終りに不正な者たちに滅びがあるようにとの呪いの祈りが述べられます。「そして不正な者には滅亡しか増やし給うな」タバールは、滅亡、損失の意味です。

 アッラーはヌーフ(平安あれ)の祈りを聞き入れ給い、洪水を送り給うたことで不正者たちは溺れました。代わってアッラーはヌーフと彼と共に信仰していた者たちを、船を彼らに作らせてそれに乗せることで救い給いました。人々は船に乗り、溺れから助かったということです。クルアーンはこの話を数か所で述べています。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP85~86)
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