イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

預言者伝17

2011年01月25日 | 預言者伝関連

بسم الله الرحمن الرحيم
51.マディーナへの移住許可:
  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、アンサール(マディーナの援助者たち)と誓約を交わし終えると、数人の信者が彼らの許に逃げ込みました。これを機に預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、教友とマッカにいる信者たちにマディーナに移住し、アンサールの後につくよう命じます。「至高偉大なるアッラーは、あなた達のために兄弟と安心できる住まいを準備し給うた。」と言われ、人々は次々に出発し始めました。
  しかし預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)ご自身は、「マッカから脱出し、マディーナに移住してもよい。」というアッラーからの御許しが出るのを、マッカで待ち続けました。
  しかし、信者たちのマッカからの移住は容易いものでは決してありませんでした。クライシュの人々はマッカからマディーナへの道に障害物を置いては、数々の試練でムハージルーン(移住者)を苦しめたのです。それでもムハージルーンは移住することをを諦めず、どんなに費用がかかろうともマッカにとどまろうとはしませんでした。中にはアブー・サラマのように妻と子をマッカに置いていかなければならない者や、全財産を放棄しなければならないスハイブのような者もいたのでした。
  ウマル・イブン・アル=ハッターブ、タルハ、ハムザ、ザイド・イブン・ハーリサ、アブドゥッラーフマーン・イブン・アウフ、アッ=ズバイル・イブン・アル=アワーム、アブー・フザイファ、ウスマーン・イブン・アッファーン(全員にアッラーのご満悦あれ)や他の多くの者が次々と移住して行きました。そして閉じ込められたり災難にあった者以外で、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)と一緒に残った者は、アリー・イブン・アビー・ターリブとアブー・バクル(二人にアッラーのご満悦あれ)だけとなりました。

52.クライシュの預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に対する陰謀とその失敗:
  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に、多くの仲間と、統治者がいないマディーナからの援助者が現われたことを知ったクライシュは、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)がマディーナに脱出することを恐れました。もし彼がマディーナの長となれば、自分たちはもう成す術なし・・・と感じたクライシュは、クサイ・イブン・キラーブが所有する「ダール・アン=ナドワ」に集合しました。彼らは何か重要事があると、ここで話し合うのでした。
  一致した意見は、各支族からそれぞれ若者を選出して預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)を暗殺するというものでした。そうすることで復讐の責めを暗殺に加担した各支族に等分するというわけです。そうすれば、アブド・マナーフ家だけでかの各支族に戦いを挑むことはできくなるからです。
  しかしアッラーはあらかじめ預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に、この陰謀について知らせ給いました。そこで預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)はアリーに、彼の上着を着て、彼の寝床で寝るよう命じます。「大丈夫。何も悪いことは起きないから。」
  暗殺を企んだ男たちが、アリーのいる家の戸の前に集まり中に入ろうと準備しています。アッラーは彼らに預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が見えないようにし給い、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、ヤースィーン章の初めから次の句「それでかれらは見ることも出来ない。」(ヤースィーン章9節)までを唱えながら、掴んだ一握りの土を敵たちの頭上に振りかけました。


  ある者が現われて言いました。:そこのお方たち、何をここで待っているのだ?彼らは、「ムハンマドだ」と答えました。「アッラーは君たちを失望させ給うだろう!アッラーにかけて、ムハンマドは用事のためにもう出て行ったぞ。」と男は言いました。
  男たちは外から、アリーが寝床で寝ているのを確認しましたが、寝ているのが預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)であると確信しきっていたのです。しかしアリーが起き上がると、そうではないことが分かり、陰謀は失敗に終わりました。


53.預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)のマディーナへの移動:
  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、アブー・バクルのところにやって来て言いました:「アッラーは私に脱出と移住を許可し給いました。」アブー・バクルは、「ぜひお供させてください、アッラーの使徒よ!」と言いました。「お供しなさい。」と言う預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の言葉に、アブー・バクルは喜びのあまり泣いてしまいます。そしてアブー・バクルはこの旅のために準備していた二頭のラクダと、ガイドとしてアブドゥッラー・イブン・アリーカトを連れて来ました。

(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P159~163)


94章解説

2011年01月18日 | ジュズ・アンマ解説

بسم الله الرحمن الرحيم
94章解説
1. われは、あなたの胸を広げなかったか。
2. あなたから重荷を降したではないか。
3. それは、あなたの背中を押し付けていた。
4. またわれは、あなたの名声を高めたではないか。
5. 本当に困難と共に、安楽はあり、
6. 本当に困難と共に、安楽はある。
7. それで(当面の務めから)楽になったら、更に労苦して、
8. (只一筋に)あなたの主に傾倒するがいい。

 この章は、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の地位と彼の名声の高さについて語り、一つの困難と共に多くの安楽があることを彼と信者たちに吉報として伝えています。だからこそ、人はアッラーの慈悲から失望するべきではありません。

 まずアッラーは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に語りかける形で章を始め給います:「われは、あなたの胸を広げなかったか。」ムハンマドよ、われは導き、アッラーへの信仰、真実を知ることのためにあなたの胸を広く大きくしたではないか、そしてその胸は預言に際する数々の苦難に耐えたではないか、となります。この節は預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)がイスラーム宣教という重荷から来る精神的苦しみにあったことを感じさせます。彼の民がイスラームを拒んでいたためかもしれないし、啓示が彼に下る前に感じていた焦りが原因だったかもしれません。次のアーヤがこのことを指しています:「あなたから重荷を降したではないか。それは、あなたの背中を押し付けていた。」ウィズル(وزر)とは重い荷を指し、ここでは罪を意味します。アッラーは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の背に乗せられた、イスラーム宣教というその重荷を確実に下ろし給うたのです。またアッラーは、人々の心を彼に惹きつけることと人々の心を支配することにおける成功で彼から重荷を軽減し給いました。

 続けてアッラーは御自身の預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に対する恩恵を明確にしつつ仰せ給います:「またわれは、あなたの名声を高めたではないか。」高める、とは上昇という感覚的な現象ですが、同じように地位が上がるなど抽象的にも使われ、ここは後者の意味となります。名声の上昇における預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の価値は、アッラーが彼を使徒として選び給い、彼の名をアザーン、イカーマ、タシャッフド、クルアーンの各箇所におけるアッラーへの呼びかけに結び付け給うた中に見い出すことができます。

 これらの諸節は預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に対する語りかけであると同時に、信者たちにアッラーの恩恵であるイスラームの恩恵を思い出させる語りかけでもあります。イスラームの恩恵は信者の胸を広げ、彼らから当惑の誤りを消し、信仰と導きが欠けた心が生む彼らが感じている精神的苦しみを和らげてくれます。

 この後、章は人生のあらゆる苦難に立ち向かっている人全てに対する吉報の話題に移ります。困難の直後に安楽は訪れること。全ての苦しみは助けに繋がっていることです。平安を広げ、疲労した心の苦しみを軽減する吉報のなんと素晴らしいことでしょう。これこそ、クルアーンが明確にしたことです:「本当に困難と共に、安楽はあり、本当に困難と共に、安楽はある。」クルアーンは困難と共に安楽があることを「インナ(إنّ)」によって強調しており、また繰り返しの表現も強調に役立っています。

 アッラーが御自身の預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に対する恩恵を数え上げ給うた後、彼に、感謝し、崇拝行為に専念するよう指導し給うています:「それで(当面の務めから)楽になったら、更に労苦して、」つまり、現世の仕事から自由になったら礼拝に立て、という意味です。もしくはお前に啓示されたメッセージを人に述べ伝える任務から解放されたら、アッラーに与えられた恩恵に感謝するために崇拝行為に勤しみなさいという意味になります。「(只一筋に)あなたの主に傾倒するがいい。」つまり、お前の意志と願望をアッラーのためにと純粋にしなさい、という意味になります。

 信者も同様に、空いた時間は崇拝行為に没頭するべきです。崇拝行為は人に良識と英知与え、試練と困難の前にした者の心を堅甲にします。また信者は意志と願望を主が満足するものにすべきです。そうすることで信者は安堵感と幸福に満たされ、アッラーの御満足と来世における至福を勝ち取ることが出来ます。


(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/アフィーフ・アブドゥ=ル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP131~133)


預言者伝16

2011年01月11日 | 預言者伝関連

بسم الله الرحمن الرحيم
48.ヤスリブ(後のマディーナ)の長所:
  マディーナが移住の地として、そして宣教の中心地として選ばれたことは、至高なるアッラーの叡智の一つであったと言えるでしょう。マディーナは実に、戦いに耐えられる天然の防壁になる特徴を持っており、それはアラビア半島にあるその他のマディーナに近い町にはないものでした。町の西側と東側は、人や家畜が歩行できないほどの火山岩に覆われていましたが、町の北側だけが露出していました。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、後に起こる部族連合の戦いの際に、この露出し危険に襲われる可能性のある側面に、堀を作ったのでした。その他のマディーナの土地は、ナツメヤシなどの木々に深く覆われていたので、軍がやって来たとしても細い道からしか町に入れませんでした。
  マディーナの民であるアウスとハズラジュの人々は誇り高く、武士道に長け、力強い人々でした。また自由を謳歌しており、誰にも従ったことはなく、部族や政府に税を納めたこともありませんでした。このことはサアド・イブン・ムアーズ(アウスの首長)が、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に言った次の言葉からも明らかです。:「われわれはアッラーに同位者を配し、偶像を崇めていたので、アッラーを崇めることも、かれを知ることもありませんでした。またわれわれは、贈与か買う以外でナツメヤシを食べないことを望みました。」
  以上を含めた様々な背景から、ヤスリブという町は預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)と仲間たちが移住し、落ち着きの場所とするのに最も適した場所であることが分かります。この場所によって、イスラームが強化され、道は前方に開かれ、アラビア半島の各地域が開城し、都市化が進んでいったのでした。

49.マディーナにおけるイスラームの広がり:
  アウスとハズラジュの家々にイスラームはどんどん浸透して行きます。先に帰依した者の英知ある行動と人当たりの良さ、そしてムスアブ・イブン・ウマイル(預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)がマディーナに教師として遣わされた教友)の適切な宣教によって、サアド・イブン・ムアーズ、ウサイド・イブン・ハディルといった2部族の長が、イスラームに入りました。帰依する者の数はどんどん増えていき、最終的には、どのアンサールの家庭にも信仰する男女がいるようにまでなりました。

50.第二次アカバ誓約:
  ムスアブ・イブン・ウマイルは次の年にマッカに戻って来ました。またアンサールの何人かのムスリムも、同族の多神教徒の巡礼者たちとマッカにやって来ました。彼らは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)にアカバで会うことを約束し、ハッジを全うした夜の三分の一が過ぎた時間に、アカバの谷で忠誠の誓約を結びました。その場にいたのは70人の男と2人の女。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)はまだ帰依していなかったおじのアル=アッバース・イブン・アブドゥルムッタリブを一緒に連れて来ていました。
  まず、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が話されると、次にクルアーンを詠まれ、アッラーに祈り、イスラームがより愛おしく思えるような口調で続けて言われました、:「あなた方がご自身の妻や子を守るように、私を守ることを誓ってください。」居合わせていた人々は、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に誓いましたが、彼が自分達を放棄していつかマッカに戻ってしまわないか、と強く確認を求めました。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、「私はあなた方の同胞であり、あなた方は私の同胞。あなた方が戦う者と私は戦い、あなた方が盟約を結ぶ者と私は盟約を結びます。」と言って、彼らを安心させたのでした。そして預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、彼らの中から12人のリーダー(ハズラジュから9名、アウスから3名)を選出しました。

(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P156~159)


95章解説

2011年01月06日 | ジュズ・アンマ解説

بسم الله الرحمن الرحيم

95章解説

1. 無花果とオリーブにおいて、
2. シナイ山において、
3. また平安なこの町において(誓う)。
4. 本当にわれは、人間を最も美しい姿に創った。
5. それからわれは、かれを最も低く下げた。
6. 信仰して善行に勤しむ者は別である。かれらに対しては果てしない報奨があろう。
7. それでも、誰が教えの後、おまえを嘘つき呼ばわりするのか。
8. アッラーは、最も優れた審判者ではないか。

 アッラーはこの章を以下の御言葉で始め給います:
「無花果とオリーブにおいて、シナイ山において、また平安なこの町において(誓う)。」ワーウ و 前置詞は誓いのために使用されます。ここではイチジクとオリーブに含まれる数多くの益においてアッラーが誓い給うています。
 
またアッラーはムーサー(平安あれ)に語りかけ、トーラーを授け給うたシナイ山においても、そして預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)にこのクルアーンを啓示し給うた尊いマッカにおいても誓い給いました。

 誓いの文言の応答は次の御言葉です:「本当にわれは、人間を最も美しい姿に創った。」

 つまりアッラーは人間を最も素晴らしく整った形に創り給うたということです。真直ぐな姿勢、美しい外見、理性の正しさ、適切な行動などといった特徴もそれに含まれます。「それからわれは、かれを最も低く下げた。」つまりかの美しい姿かたちから、老いに付随する外見の衰えに変えられることです。特に、真直ぐだった背骨が曲がり、光り輝いていた顔がしわしわになり、黒かった髪の毛が白くなり、張力と視力が弱まり、力が減って子供のような頭脳になり、痴呆が起こることです。

 それはまさにクルアーンが述べたような次の節の言葉のようです:「またあなたがたのある者は,非常に弱まる年齢まで留めおかれる。」(蜂章70節)

 または:われはこの整った容姿を与えた不信仰者を地獄の民の一人とした、という意味にもとれます。地獄の民こそはどんな醜い存在よりも醜く、どんなに低められた存在よりも低くありますが、かつて彼らが美しい姿をしていたとしても関係はありません。

 続けてクルアーンは、アッラーの御満足を得た人たちの特徴の描写の解明に移ります:
 「信仰して善行に勤しむ者は別である。かれらに対しては果てしない報奨があろう。」

 アッラーの存在と唯一性を信じて、アッラーに命ぜられた善行においてかれに仕え、地獄の火の原因となる禁じられた行為を避けた者たちをアッラーは例外とし給いました。彼らには「果てしない報奨」、つまり途切れることも減らされることもないアッラーからの報奨があります。

 この例外はもしかすると、若いころにアッラーに喜ばれる行為に勤しんでいた人間が老いて理性を失ったり呆けてしまっても彼の行為は若いころと同じように善行を行っていたと見なされ、理性を失った際に取ってしまった行動については咎められないという風に理解できるかもしれません。

 アッラーは次の御言葉で章をしめくり給います:
 「なぜそれでも、おまえは宗教(真実)を否定するのか。アッラーは、最も優れた審判者ではないか。」

 つまり:ムハンマドよ、お前のもとにアッラーからやって来た数々の証拠を見た後で、来世での報復が嘘だ、などという者は一体誰なのだろうか、という意味です。本当に、人間が最も美しい形と驚くべき姿で創造されていることは、アッラーが死からものを蘇らせ給い、報復を可とする能力を備え給うていることを最もはっきりと示している根拠です。「アッラーは、最も優れた審判者ではないか。」つまり、自身の法で裁く者の中で最も優れた審判者がアッラーなのではないのか。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)はこの句を読むたびに、「その通り。そして私はそのことについての証言者の一人であります」と言われていたと伝えられています。

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/アフィーフ・アブドゥ=ル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーン(P134~136)


預言者伝15

2011年01月04日 | 預言者伝関連

بسم الله الرحمن الرحيم
44.各部族に宣教を試みる預言者ムハンマド(平安と祝福あれ):
  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は巡礼シーズンになると、アラブの各部族に自ら赴いてイスラームの紹介をし始めました。「~~族のお方たち!私はあなた方に遣わされたアッラーの使徒です。アッラーは、かれのみを崇め、かれに何者も配さず、あなた方が崇めているアッラー以外に配したものを捨て、かれを信仰すること、アッラーに代わって、かれが私にもたらしたものを解明する私を守るよう、私たちに命じ給いました。」
  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)がこの言葉を言い終えると、アブーラハブが言うのでした。:「~~のお方たち!あいつはラート神、ウッザー神を捨てるよう、そしてあなたがたの同盟者たちがジンを捨て、あいつが持ってきた新しい考えや迷いを受け入れるようあなたたちを唆そうとしているだけだ。だからあいつに従っても話を聞いてもいけません!」

45.アンサールのイスラーム入信の始まり:
  巡礼シーズンに出て行った預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、ハズラジュ族からなる集団に出会い、早速彼らを至高偉大なるアッラーに導き、イスラームを紹介し、クルアーンを読誦しました。
  彼らはマディーナのユダヤ人たちの隣人で、長い間姿を現していない預言者について、ユダヤ人から聞いていたのでした。ハズラジュ族の人たちは、お互いに言い合いました。:「皆の集!ユダヤ人たちに先を越されないようにしようではないか。」このような背景もあって、人々は預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に応じ、信仰に入りました。ハズラジュ族の人たちは、長年の抗争でバラバラになってしまったアラブ部族を、アッラーが預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)を通して一つにし給うことを望んだのです。「私たちは民の許に戻り、あなたがお示しになった教えを彼らに知らせましょう。アッラーがあなたを通して、彼らを一致団結させてくださることになれば、あなた以上に尊いお方はありません。」
  信仰が心に刻み込まれた彼らは、マディーナに戻ると、町の民に預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の存在を知らせ、イスラームへと導きました。その知らせは彼らの間に浸透し、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の名前が述べられない家はないほどになりました。

46.第一次アカバ誓約:
  翌年の巡礼シーズンになると、12人の男性から成るアンサールの集団(ハズラジュ族10名、アウス族2名)がやって来ました。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、彼らと「唯一神信仰、窃盗・婚外交渉・子殺しの断絶、善行における追従」に基づいて誓約を交わしました。
預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、帰ろうとする彼らと共に、ムスアブ・イブン・ウマイルを遣わし、アンサールにクルアーンを読み聞かせ、イスラームを教え、宗教の諸知識を教授するよう命じました。

47.アンサールがイスラームを受け入れた原因:
  当時、多くのアラブの部族がイスラームを拒み、その中でも際立っていたのがクライシュでした。しかしアッラーはマディーナ2大部族のハズラジュ族とアウス族に偉大な恩恵、それはイスラーム拡散のための舞台となるきっかけを与え給いました。まことにアッラーは御望みの者を導き給います。
  そこにはいくつかの要因があり、またそれはアッラーの創造の一つでもあります。まず、マディーナの民とマッカ住民、そしてクライシュの違いがあります。アッラーは、マディーナの民に柔らかさと繊細さ、高慢さの無さ、真実を否定することへの固執の無さを性分として授け給いました。これは、イエメンから使節が訪れた際に、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が指摘した遺伝的特徴に答えを見出すことができます。:「皆さんのところへ、最も繊細で柔らかな心の持ち主であるイエメンの方々が訪れましたよ」。ハズラジュとアウスはイエメンにルーツを持っており、おそらく彼らは古い祖先の特徴を受け継いだものと思われます。またクルアーンの中に、彼らを褒めた言葉を見ることができます。:
「そして以前から(アル・マディーナに)家を持っていて、信仰を受け入れた者たちは、(移住して)かれらのもとに来た者を愛護し、またかれら(移住者〔ムハージル〕)に与えられた(戦利品)に対しても心の中で欲しがることもなく、自分(援助者〔アンサール〕)自身に先んじて(かれらに)与える。仮令自分は窮乏していても。また、自分の貪欲をよく押えた者たち。」(集合章9節)


次に考えられる要因は、この2部族の間に起こっていた内戦です。彼らはこの戦いに疲れ果てていたので、一致団結し、争い事から放免されたいとの希望を持つようになっていました。これは前出の彼らの言葉から察することが出来ます。


次に考えられる要因は、クライシュを含めたアラブ人たち全員に預言者が現われない期間が長く過ぎてしまったことです。彼らは預言者の長期不在のため、預言の本当の意味を理解せず、文盲となり、多神信仰に染まってしまいました。また預言と関わりを持ち、啓典を保有する共同体と離れてもいました。「祖先がいまだ警告を受けず、それで気付かないでいる民に、あなたが警告するためのものである。」(ヤースィーン章6節)とある通りです。

また、ハズラジュとアウスはユダヤ人から預言や預言者についての話を聞き、トーラーの読誦やその解説を聞いていました。それどころかユダヤ人たちはそれらでハズラジュとアウスを脅していたのです。「終末に預言者が遣わされる。私たちは彼と共にあなた方をアードとイラムが滅ぼされたように殺そう。」と言いながら。
これについてのクルアーンの言葉は次のとおりです:「(今)アッラーの御許から啓典(クルアーン)が下されて、かれらが所持していたものを更に確認出来るようになったが、――以前から不信心の者に対し勝利を御授け下さいと願っていたにも拘らず――心に思っていたものが実際に下ると、かれらはその信仰を拒否する。アッラーの誕責は必ず不信心者の上に下るであろう。」(雌牛章89節)
そのためハズラジュ族とアウス族含むマディーナの民の間には無知から成る大きくて深い穴は存在しませんでした。彼らはマッカの民と違って、ユダヤ人を通じてアッラーの慣行や宗教的知識を知り慣れていたのです。そのため預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に巡礼の時期に出会うと、待っていたかのように彼の呼びかけに応じたのでした。

(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P151~156)