イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

Sさんの入信にいたる話

2008年04月30日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)

 Sさんは真面目なカトリックとして育ち、心にはいつも神の存在があったそうです。Sさんは日本人の男性と離婚が成立した後も、日本で働きながら生活をしていました。たまに帰る出身国にある彼女の援助で建った家族の住む家は、ムスリム住民も多く住む地区にあります。かといって、ムスリム住民とのお付き合いはほとんどなく、イスラームについても何も知らないのでした。彼女が実家に滞在している際、早朝にスピーカーから大きな「歌」が聞こえてきて、思わず目が覚めてしまったそうです。これは近所にあるマスジドから発せられる礼拝への呼びかけアザーンでした。彼女の家族はアザーンに慣れているのですが、Sさんは早朝のアザーンはとても迷惑であると感じ、日が昇ってからマスジドに抗議に行きました。マスジドには門番がいて、中に入れてくれません。「音が大きくて眠れないから、小さくしてくださいよね!」と門番に伝え、ひとまず退散。そのときのSさんの服装は、半そで・短パン・サンダルといういでたちだったそうで、あんな格好ではマスジドに入れないことなど少しも思わなかったということです。しばらくした後、Sさんは日本に帰国しました。彼女の始めてのイスラームとの関わりは、この早朝のアザーンだったのです。

 あれからしばらく経ち・・・Sさんは日本で車に置いていた大金を盗まれてしまいます。一生懸命働いて貯めたものだったので、無くなったときは相当のショックを受けたそうです。調べている警官に、「こんなところ(車内)に置いておいたあんたが悪い」と言われてキレたSさんは、「あなたが私の立場だったらそんなこと言えないでしょう!」と怒ったそうですが、当時といい、自国でのマスジドでの抗議の態度といい、改宗前の彼女は今よりもずいぶんと荒々しいものだったようです。所持金が無くなり、友人にお金を借りなければいけないときもあったそうで、当時はかなり苦しんだそうです。

 盗難から1ヶ月。実家から連絡が入ります。「大火事!」Sさんは慌てて飛行機に乗り家族の元へと向かいました。地域一体は燃え尽き、家族も近所の人たちも皆、路上にテントを張ってその日その日を過ごしている様子にとても心が痛んだそうです。マットが無いので、板の上で寝、テントで雨を凌ぐ家族・・・。再建費を出したくても、お金がありません。歩いていると、近所にある、“無傷”の大きな歌を早朝から流すあのマスジドが目に留まりました。周りは黒こげなのに、このマスジドだけはなにも影響を受けていないのです。この頃から、Sさんの心に「イスラームとムスリムの違いとは何なのか」という疑問が沸いていました。一度目の抗議に続き、Sさんはこの建物にはきっとなにか秘密があるに違いない!と思い、再度マスジドに入ろうと試みますが、またもや門番に止められてしまいます。
 
 「中には何があるの?私、イスラームを知りたいから中に入れてください。勉強したいんです。」と言っても門番は、「あなたはここに入れませんよ。」と言うのみなので、首都にある一番大きなマスジドを自力で探し出し、Sさんはそのマスジドで聞いてみようと試みました。

 マスジドの門番にSさんは中に入りたい旨を伝えると、なんと門番はナンパをしてきたそうです。このときの服装も、ムスリマのものとはかけ離れたものだったためでしょうか。ショックを受けたSさんは、そこから離れ、合同礼拝から出てきた、ムスリム老人に声をかけました。「私、コーランが欲しいのだけど、どこで買えますか?私お金はあります。」と伝えると、老人は少し待っていなさいと言い、マスジドに入っていきました。「これは英語の意訳も付いたいいものだから。」と言って、周りの人に見られないように老人はSさんにコーランを渡しました。Sさんは老人に金額を聞いて、おつりはいりませんから、と言って、コーランを受け取った後老人と別れました。なんと老人はコーランの代価を彼女から取ったのです!!

 初めて手にした、イスラームの聖典。少しめくってみて中身を確かめました。「へぇ、いいことが書かれているな。」片手に普通の本を持ち運ぶようにコーランを手にしていたSさんを、マスジド近くの店の女性店員が見つけ、話かけてきました。「あんた、ちょっと来なさい!なんであんたがこれ(コーラン)持ってるの?」(と雑な話し方だったそうです)Sさんはとても不安になり、ムスリムが多くを占める地域にいることに恐怖を覚えたそうです。どうしてさっきから変な人たちばかりなのだろう。地元のマスジドには入れないし、門番にはナンパされるし、今度は女性からもキツク言われる、と。Sさんは正直に答えました。「いろいろあって、イスラームが知りたくなりました。コーランを読めば勉強になると思って、先ほどある老人から頂いたんです。」女性店員は、「あぁそういうことなのね。勉強頑張ってね。ただ、コーランは汚い手で触ったりしないで、大切に扱ってくださいね。」と言ったそうです。そしてSさんに「women in Islam」という英語で書かれた本をプレゼントしてくれたそうです。

 コーランと本を手にしてSさんは滞在先のホテルに戻りました。コーランも女性に貰った本も少し目を通しました。これだけでは物足らないので、イスラミックセンターを電話番号案内を使って探し出し、電車に乗ってセンターに行くことにしました。

 イスラミックセンターに着いたとき、とても感動したそうです。やっと見つけたぞ!と。戸を開くと、男性陣が礼拝していました。「お兄さん、ここはイスラミックセンターですか?」とたずねると、お兄さんはそうだと頷きました。「私は勉強がしたくてここまで来たんです。何をすればいいですか。」と聞くと、「あちらに女性の先生がいますから。」と場所を案内してもらいました。現れた女性の先生は、ゆったりとした服をまとったとても優しい方だったそうです。その方に、火事が近所で起きたのに、そこのマスジドは無傷だったことをきっかけに、イスラームとは何だろうと知りたくなったことを話しました。先生は、「明日、服装を整えて(長い服を着て)もう一度来てください。そのときにすべてお話しましょう。」と言いました。午後8時半まで開いていることを知ったSさんは、先生には一応後日伺うと返事をしましたが、早く話を聞きたかったので、急いでホテルに戻って着替えて、同じ日にセンターに再度足を運びました。

 先生はイスラームの話を詳しく、分かりやすくしてくれ、Sさんはとても納得したそうです。その日から日本に帰国するまでの間、いろいろと勉強したそうです。そして日本に戻る前に、シャハーダをし、ヒジャーブを身に付けるまでに至りました。ちなみにSさんはいつも神様に「私を導いてください」とお願いしていたそうです。

 シャハーダしたその日に、実家の近くのマスジドに行ったそうです。髪を覆い、肌を隠した服装をしたSさんに門番は何も言わず、門を開きました。Sさんはずっと入ってみたかった秘密が隠されたマスジドに入り、中にいた女性たちにあなたはどこ出身?と聞かれました。Sさんはこの近所に住んでいると答えると、女性たちは、この近所で改宗したのはあなた以外誰もいないと言いました。皆とても優しくしてくれたそうです。Sさんの心は信仰で満ちていました。

 イスラームに改宗したSさんの家族は誰も彼女を責めたり咎めたりすることはなかったそうです。十分に年をとり、ものごとをしっかりと捉えているSさんの選択を皆認めたということです。と言ってもSさんは入信したばかりで礼拝の方法さえ分からないまま日本へ渡航することになっていたので、センターの先生に日本に戻ったらよいムスリムを探し出して、一生懸命勉強を続けなさいとSさんにアドバイスしたそうです。神の配慮により、日本に戻ってから、クルアーンの暗記を手伝ってくれる先生が見つかり、その方と2年かけて勉強したそうです。

 盗難にあい、所持金が少ないため、日本に戻ってからも実家修繕のための送金はとても困難だったそうで、給料が入るたびに、出来る限りのお金を家族に送り、その都度、そのお金で出来る修復を家族はしていきました。ところが送金額が小額だったにも拘らず、修繕は着々と進み、現在の家は、火事の前よりも大きくなり、3階建てにまでなったそうです。Sさんは、アッラーはとても寛大なお方で、求めればなんでも下さる、と言いました。

 Sさんは、今までに起こったアザーン、盗難、大火事、門番のナンパ、コーランを売った老人、キツイ言葉を浴びせた女性ムスリマ・・・などはすべて、彼女がイスラームに導かれるための 一筋の道に配置されたものだと後で気が付いたそうです。それぞれは繋がっているということです。彼女が幼少から親しんできた神様は決して私を見放さなかったと。寂しいときや困ったときは、「神様、私を導いてください。」とお願いをし、悪いことが起きれば自分を正すために下ったサインと受け取り、改心するようにしたそうです。


 改宗後、今まで大切にしてきた聖書、十字架などは、もう不要であるからといって捨てたりなんて出来なかったそうです。きれいな布に包んで、大切に扱って欲しい友人にプレゼントしたそうです。今まで通ってきた教会に顔を向け、「あなた(ジーサス)の存在が無ければ、私はイスラームに出会えなかった。ありがとうね。」と涙を流したそうです。彼女の今までの信仰が、イスラームの信仰の土台になっているわけです。

 余談ですが、Sさんがイスラームに出会い、一番感銘を受けたのは、“礼拝”だそうです。他の改宗者に共通することでもあり、「クリスチャンとして一生懸命祈っても、ムスリムが行っている礼拝の熱心さには敵わない。どうしてなのだろう。どうすればあれほどの畏敬の念を持てるのだろうか。」と改宗前に思ったそうです。
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花嫁の冠の著者について

2008年04月28日 | 花嫁の冠【自我浄化】

 花嫁の冠を訳してはじめておきながら、著者の紹介をするのを忘れていました。
 手元にある本書には詳細が載っていなかったのですが、彼のほかの著書を解説したもの(ブーティー博士によるアル・ヒカム アル・アターイーヤの解説)の前書きの中にあったので紹介します。

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 彼は、タージュッディーン(教え・宗教の冠)という尊称を持っていた。名前は、イブン・アターイッラー アッサカンダリー アル・マーリキー(イブン:息子、アターイッラー:アッラーの贈り物、アッサカンダリー:サカンダルの者、アル・マーリキー:マーリキー法学に倣う者)。ヒジュラ暦709年(西暦1309年)没。ヒジュラ暦7世紀の著名な師に数えられる存在だった。エジプトで学業を始め、タフスィール(クルアーン解説)、ハディース、語学、文学をさまざまな師たちから学んだ。そして彼は、模範的に学問を実践する人生を素晴らしく全うし、また、魂の浄化にも努めたが、ある二人の尊い学者の支えによりそれは叶った。この二人は、シャリーアと、アッラーが名付けられた〈内部にある罪〉を治療する魂浄化の基礎を融合した。(お二人の名前などは省略)

 イブン アターイッラーの名は、シャリーアの著名な学者として知れ渡った。彼は人間を魂や欲望から解放するシャリーアの真実と真髄に染まった。またシャリーアによってアッラーの御前で正直者であれるように人間は洗練され、アッラーに完全に満足し、また完全にかれを信頼し、すべてをお任せする(ようになる)。アル・アズハルで彼は教壇に立ち、シャリーアの各学問を教えた。彼に手によって多くの有名な学者が輩出された。たとえば、アル・イマーム タキーユッディーン アッサバキー、アル・イマーム アル・カラーフィーなど・・

 彼が進言や訓戒のために腰を下ろすと、彼の言葉は聞く者の心を奪った。そしてその者たちの魂は彼の言葉に激しく揺さぶられた。彼と同じ時代を生きた同位の人たち、また彼の後の世代の人たちがこのことを証言している。彼らの学派や学問を得た源が同じだったというわけではないにも関わらずだ。

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魂、現世

2008年04月27日 | 花嫁の冠【自我浄化】
 仕事に手を抜いたり、甘美を選ぶことがないよう、気を付けたまえ!(訳者注:すべてのものには、最良・良・不良などと位付けが出来、選択肢が与えられたなら、最良を選ぶのではなく、あえてそうでないものを選ぶようにとの忠告。レベルが低くてもそれで満足することにより、修行が達成されるという考え方。)

 あなた自身の魂(ナフス)にも気をつけなさい。魂があなたを破滅に導こうとし、しかも死ぬまでその主(あるじ)から離れないのだから。ラマダーン月になると悪魔は縛られる(ため、悪さを出来ない)(*)。だがあなたはラマダーン月に人を殺し、または盗みを働く人を見かけるかもしれないが、これらの悪行は、”魂”が原因であるためである。そのため、もし魂が罪に傾いたら、アッラーの罰(があろうであること)と、魂の行いのせいでアッラーとのつながりが切れてしまうことを思い出させなさい。

 毒入りの蜂蜜があるとしよう。これは甘いと知られていながら、害があるため放棄される。預言者(平安と祝福がありますように)は言われている:《現世は、甘美で青々としているものだ。》(**)そして次のようにも言われている:《(現世は)汚い死体捨て場である。》(***)

 不注意者たちにとっての現世は、甘く青々とした魅力的なもの。理性ある者たちにとっては、汚れた死体捨て場(のようである)。

 現世は魂(ナフス)にとって、青々としており、心の鏡にとって、腐った死体置き場である。

 ”甘美で青々としている”は、警告の言葉であり、”腐った死体置き場”は、それ(現世)から逃げるように、という意味である。だからこそあなたたちは現世の甘さに騙されてしまわないように気をつけなさい。現世の(甘い部分にとらわれてしまった場合の)結果は苦いのだから。

(*)アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)は言われた:《ラマダーンがやって来ると、天国の門は開かれ、業火の門は閉ざされ、悪魔たちは縛られる。》(アル・ブハーリーとムスリム出典)

(**)アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)は言われた:《本当に現世は甘く青々としている。そしてアッラーはあなたたちをそれ(現世)を治める代理者とされた。かれはあなたたちがどのように動くか見ておられる。だから、現世をおそれなさい。女性もおそれなさい。》(ムスリム出典)

(***)アル・ヒンディーが『カンズ・ル・ウンマール』内で、アリーより伝わる言葉を紹介している。《現世は死体置き場である。誰でもそれを求める者は、野犬たちと交わることに忍耐するがよい。》(8564)
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罪について

2008年04月25日 | 花嫁の冠【自我浄化】

 次の事柄が罪の中に含まれることを知りなさい:(アッラーとの)約束に背くこと、(アッラーとの)親愛の絆がほどけること、主より(他を)好む・選ぶ、欲に追従すること、羞恥の衣を脱ぐこと、アッラーが満足されないことでかれに挑戦すること。

 表面に見える影響:体のあらゆる部分に濁りが現れる、目が生き生きとしなくなる、仕事が面倒になる、神聖なものを守ることを放棄する、欲望を追い求める、(アッラーに)お仕えすることから喜びが消える。

 内面的な影響:心の硬化、魂が頑固になる、欲望で胸が苦しくなる、(アッラーに)お仕えすることから甘美さがなくなる、あなたをアッラーから離れさせ、忙しくさせるものが多く現れ、インスピレーションが訪れなくなる、欲という名の王国による征服、疑いが交差する、帰り処と長い清算を忘れる。

 ・・・・・・・

 罪があなたの目の前でまじまじと現れたなら、アッラーに助けを求め、かれの許に避難しなさい。そして、「アッラーよ、罪業の惨めさから、名誉あるあなたへの奉仕へと私をお運びください」と言いなさい。 

 ・・・・・・・

 あなたにとっての現世を例えてみると、田舎に出て努力し、糧を備蓄した人のようである。将来のあの日のためのあなたに有益になるものを手に入れたということだ。もし、欲望という名の蛇と、罪という名の蠍をかき集めたなら、あなたは滅びてしまうだろう。人々が食料を彼らが必要になるときに備えて貯蓄していることさえあなたは知らず、あなたを害する罪を貯めつづけるとは、どういうことだろうか!蛇を家に持ち込んで育てている人を見たことがあるか?あなたはまさにそれを行っているのだ。

 あなたに一番害があり、心配なのは、些細な罪である。なぜなら、大罪であれば、その大きさのためにあなたは悔悟するかもしれないが、小さな罪だとそうではないからだ。例えてみると、一匹のライオンに出くわしたところアッラー助けられ、その後に50匹の狼に遭遇して、食べられてしまう人のようだ。アッラーは言われている:「そしてアッラーの御目には重大なことを,軽く考えていた。」(御光章15節)大罪はアッラーにとって卑しいものである。あなたが小さい罪に固執すれば、それらはやがて大罪になる。なぜなら、毒はその少なさで死なせるからである。小さい罪は火から出る火花のようである。この小さな火は、町ひとつを燃え尽くすこともある。

 

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徳島マスジド誕生!!

2008年04月19日 | その他
アッサラームアライクム ワ ラフマトゥッラー
 
2008年4月18日に、正式に徳島マスジドが誕生しました。
 
いろいろな面で、徳島マスジド完成のために力を貸してくださった方々に、アッラーのたくさんの報酬がありますように。
ジャザークムッラーフハイラン
 
マスジドの詳細が書かれた徳島マスジド責任者の英文メールを付けていますので、ぜひお読みください。
 
アッラーのご加護と祝福がありますように。

伊曼
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Date: Fri, 18 Apr 2008 01:52:33 -0700
Subject: [tma-r] Tokushima Masjid, April 18, 2008

Assalamo Alaikom WR WB my dear brother and sisters

Few minutes ago, we paid the price of Tokushima Masjid and got a final contract and the Keys.

Al-HamdoLillaah, Al-HamdoLillaah and Al-HamdoLillaah

In less than four months the full price was collected and the legal steps were done.

On behalf of myself and Tokushima Muslims, I express my gratitude to Allaah (SWT) and then to all Muslims who helped us from Tokushima, Japan, and different places of the world.

Al-HamdoLillaah Who allowed us to share in this task; and used us to establish His House in this land.

If I want to thank people here, the list will never get to an end, but I will just ask Allaah to accept and reward everyone who offered us any kind of help, Duaa, advice, ideas,  plans, guidance or money.

I must mention our thanks to MSAJ that offered us through its members throughout Japan more than 8 Million Yen. JAK and May Allaah accept from you all (We will send a list of the donors as indicated in the MSAJ bank book in a coming e-mail Enshaa Allaah).

Many thanks are due to Kobe Mosque people and its Imam who allowed us to collect money after Jum’aa prayers throughout our Campaign, JAK.

gratitude also goes to all Masjids and Mussalas in Japan, that offered us great help (will mention them later Enshaa Allaah).

Allaah sent us through one trader more than 2.6 Million Yen and other 4 millions from four other traders, one million each.

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I want to offer to all brothers and sisters the experience of success that we got during the past four months.

-          Tokushima Muslims put their trust into Allaah and Allaah Alone.

-          Everybody in Tokushima shared by praying Estikhara, Qada Hajah, Duaa,..

-          They started by sacrificing their money for the Noble purpose before asking others to share.

-           They have shown great sincerity and devotion for the sake of Allaah.

-          Brothers were ready to leave their houses upon request and travel to attend Juma’a prayers or visit Auctions in different cities to collect money from the Muslim attendees.

-          Their wives kept patient and tolerated the absence of their husbands during the the week days and even weekends.

-          Their kids felt the seriousness and they donated their saved coins “Oh uncle, take these money to buy carpets for the Masjid” a 3 years old kid said.  Another child said “Oh Uncle, take my money to build the Masjid, but please make it beatiful”.

-          In Tokushima, Muslims have one very important feature (We Complete one another and never compete).

 

I will finish by those verses of Quraan of Surat Al-Anfal, that I really felt very well

 

"And obey Allaah and His Messenger and do not dispute with one another lest you lose courage and your strength departs. And be patient. Surely Allaah is with those who are patients" Al-Anfal 46

 

"Allaah is All-Sufficient for you. He it is Who has supported you with His Help and with the believers.  And He has united their hearts If you had spent all that is in the earth you could not have united their hearts, but Allah has united them. Certainly He is All-Mighty, All-Wise"   Al-Anfal 62-63 

 

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心は木

2008年04月14日 | 花嫁の冠【自我浄化】
 あなたは魂の修行を望んでいるというのに、あなたを負かしそうなほどの欲で魂を強めてしまっているではないか。あなたは無知になってしまったのか。

 ”心”は木であり、ターア(主にお仕えする)という名の水を注がれる。それに付く実は、あなたが知ることになる様々な事柄である。

 ”目(視覚)”から得られる実りは、訓戒であるべきで、”耳(聴覚)”から得られる実りは、クルアーンを聞くことであるべきだ。また”舌”から得られる実りは、ズィクルであるべきだ。”両手両足”から得られる実りは、善行に努力することであるべきだ。

 もし”心”が乾ききり、実りが落ちてしまったならば、ズィクルを多くしなさい。そして、「治癒が見つかるまで、私は治療を受けない」と口にして、人々に「治療を受けなければ、治癒を見出せないぞ」と人々に言われてしまう病人のようであってはならない。
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悔悟を怠ると糧が止まる

2008年04月12日 | 花嫁の冠【自我浄化】

 肝に銘じなさい:罪にはくれぐれも気を付けるよう。それは糧の享受が止まる原因になりかねない(*)。だからこそ、常にアッラーに悔悟(する姿勢)を求めなさい。願いが受け入れらたなら良いし、しかしそうでないならば、アッラーにお助けを求めなさい。そしてこう言いなさい:

رَبَّنَا ظَلَمْنَا أَنفُسَنَا وَإِن لَّمْ تَغْفِرْ لَنَا وَتَرْحَمْنَا لَنَكُونَنَّ مِنَ الْخَاسِرِينَ


「主よ,わたしたちは誤ちを犯しました。もしあなたの御赦しと慈悲を御受け出来ないならば,わたしたちは必ず失敗者の仲間になってしまいます。」(高壁章23)

 くれぐれも、40年生きてきて一度もアッラーの戸を叩いたことがない者(注:一度も悔悟をしたことがないの意)のようであってはならない。

(*)イマーム・アフマドによる伝承より。預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)は仰った:《しもべは自分の犯す罪が原因で糧を禁じられることがある。》同様に、”悔悟”と”イスティグファール(罪の赦しを求めること)”は、アッラーからの贈り物を享受できるための条件の中に入る。「わたしは言いました。『あなたがたの主の御赦しを願え。本当にかれは、度々御赦しなされる。かれは、あなたがたの上に豊かに雨を降らせられ、あなたがたの財産や子女を増やし、またあなたがたのために、様々な園や(水の流れる)河川を設けられる。」(ヌーフ章10~12)

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幸福の7条件

2008年04月09日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)

احفظ قواعد السعادة السبع (1) لا تكره أحدا مهما أخطأ في حقك (2) لا تقلق أبدا (3) عش في بساطة مهما علا شأنك (4) توقع خيرا مهما كثر البلاء (5) أعط كثيرا ولو حرمت(6) ابتسم ولو القلب يقطر دما (7) لا تقطع دعاءك لأخيك بظهر الغيب


(1)あなたをどんなに不当に扱ったとしても、誰も嫌わないこと

(2)決して心配しないこと

(3)あなたの地位がどんなに高くなっても、シンプルに生きること

(4)どんなに災難が起きても、いいことが起こるだろうと期待すること

(5)持っていなくても、たくさん差し出すこと

(6)心から血が出ていたとしても、微笑むこと

(7)あなたの兄弟を想ってドゥアー(祈願)することをやめないこと

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89. 暁 (アル・ファジュル)【2】

2008年04月08日 | ジュズ・アンマ解説
 続いてクルアーンは、富と貧困、そしてそれらが魂に与える影響について語ります:

 「さて人間は主が御試みのため,寛大にされ恵みを授けられると,かれは,「主は,わたしに寛大であられます。」と言う。だがかれを試み,御恵みを減らされる時は,「主はわたしを,軽視なさいます。」と言う。

 多くの富豪者は、自分たちの大きな富は、アッラーが自分たちに満足している証であり、他の人々を除いた彼らのみにかれの恩恵を特別にしてくださっているのだと思い込んでいます。そして多くの貧困者は、自分たちの少ない財産は、アッラーが彼らを軽視している証と思い込んでいます。この2集団について、クルアーンは続きの節で語ります。「断じていけない。」つまり、ことは人間の思っている通りではない、という意味です。アッラーが糧を大きくしてくださることは、本当は与えられた者への褒美ではないし、その者がアッラーの許で尊い者であることの証でもありません。逆に、糧を限られた者は、アッラーに軽視され、位を低くされてしまっているというわけでもありません。アッラーは糧に余裕を持たせたり、制限することによって、しもべを試していらっしゃいます。そのため、「御試みのため」という言葉で、富と貧困の話を始められています。

 豊かであることは、アッラーから人間への試練であり、恩恵という名の誘惑にどうのように接するかを見ておられます。貧困も同様に試練です。苦しみに耐える姿をアッラーは見ておられます。ときに、恩恵に見えるものが、その人にとって、良くないことであることがありますし、不幸がその人にとって良いことであったりもします。例えば、豊かな恵みに長い時間身を沈めていると、私欲を追い求める徒になり、アッラーへの服従を放棄してしまうことにつながります。同じく貧しさや禁欲は、アッラーへの帰還へ私たちを導いてくれます。

 続けてアッラーは、正しい道を志さず、そして“試み”の意味を理解していない富豪の罪人たちを批判します:

 「断じていけない。いや,あなたがたは孤児を大切にしない。また貧者を養うために,互いに励まさない。しかも遺産を取り上げ,強欲を欲しい尽にする。またあなたがたは,法外な愛で財産を愛する。

 彼ら大金持ちは、孤児たちを大切にするどころか、軽視しています。また、貧者に食べ物を施すことにお互いをせきたてようともしません。彼らは、自分たち、また他人の遺産を激しく貪ります。そして彼らは、お金をとても愛しているため、どんな手を使ってでもお金を集めようとします。アッラーはこのような者たちを、次に続く節で批判します:カッラー(Kallaa、厳しい否定)、つまり、あなたたち、これらの行いを慎みなさい。これは歩むべき健全な道ではない、という意味です。

 彼らの悪い行いをアッラーが暴露した後、恐ろしい約束が告げられますが、これは、悪行者たちがこれを聞くことにより、導きの道を歩けるかもしれないからです。この約束は、最後の審判の日の恐ろしい出来事である、大地の揺れとそれによる破壊の発生などの言及によってなされます。他に、その日を支配される尊厳高きお方、かれの裁き、命令のために列を成す天使たち、罪業者たちに現される地獄・・・:

 「断じていけない。大地が粉々に砕かれる時,主は,列また列の天使(を従え),来臨なされる。また地獄は,その日(目の当たりに)運ばれる。

  この恐ろしい光景を前に、人間は自身の行いの記録を見せられます。このとき彼は反省しますが、それは何の役にたちません。遅すぎるのです。「その日人間は反省するであろう。だが反省したとて,どうして彼のためになろうか。」アッラーに背いた人間がこのような言葉を後悔いっぱいに口にするでしょう:「彼は,「ああ,わたしの(将来の)生命のために,(善行を)貯えていたならば。」と言う。」、つまり、ああ、現世で善行や、来世の自分の生活の益になる行いを積むべきだった、という意味です。クルアーンは、来世のことを“ハヤーティー(Hayaatii)私の生命”と表現しているのですが、来世の生命こそ、生命という名が相応しい本当の生命であることを感じさせてくれます。そのため、しもべが現世で主に背くことは、来世において後悔と虚しさのもとにしかならないことが分かります。もう、後悔の気持ちは益をもたらすことはなく、そこにはアッラーの罰と、罪人を縛る縄があり、現世にはない罰が存在するでしょう:「それでその日,誰もなし得ない程の懲罰を加えられ,また誰も拘束し得ない程に束縛なされる。

  以上の逆境が起こる中、無罪の正義者たちの結末が語られます。アッラーから正義者たちへの吉報である、彼らに準備された報酬:

  「(善行を積んだ魂に言われるであろう。)おお,安心,大悟している魂よ,あなたの主に返れ,歓喜し御満悦にあずかって。あなたは,わがしもべの中に入れ。あなたは,わが楽園に入れ。

  大悟している魂とは、恐れや悲しみにおののかない魂のことです。そして主にお会いすることと、アッラーが信仰の民に約束された良い結末とに安心しています。

  大悟している魂とは、現世でアッラーに背かなかった魂のことです。その行いを手にされているお方にすべてを任せています。

  この大悟している魂にアッラーは直接語りかけています。丁度、ムーサー(平安あれ)に語りかけたように、もしくは、人々を清算し終えた天使の舌からの言葉でもあるようです。甦りの際、または死ぬ際に、「あなたの主に返れ,歓喜し御満悦にあずかって。」と言われます。つまり、アッラーがあなたに準備してくださっている善い報酬に十分に満足し、あなたの主に戻りなさい。自身の行った善行により、アッラーはあなたに満足しているでしょう、という意味です。「あなたは,わがしもべの中に入れ。あなたは,わが楽園に入れ。」、アッラーの側近であるアッラーのしもべたちの中に入っていきなさい、そして天国で途絶えることのない至福に浸かりなさい、という意味です。
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89. 暁 (アル・ファジュル)【1】

2008年04月04日 | ジュズ・アンマ解説
 悪を行う共同体の最後は悪いものであるとの警告が、しもべを善と悪でアッラーはお試しになるというかれの慣習の解明と共にこの章に登場します。また、審判と、支配されるお方である尊厳高きアッラー、その恐ろしい日の人々の行く末がどのようなものであるか・・至福なのか罰なのか・・の解明もなされています。

 アッラーはまず、かれの創造の偉大さを示している重大な事柄すべてにかけての誓いの言葉でこの章を始めます:

 「暁において,10夜において,偶数と奇数において,去り行く夜において(誓う)。本当にこの中には,分別ある者への誓いがあるではないか。

 「暁において」、アッラーは朝の光において誓われていますが、それはかれの驚異的な創造の一つだからです。夜の終わりと日中の到来を指すと、「10夜において」と仰っています。アッラーは、かれの許で徳のある10夜においても誓われています。この10日間ですが、クルアーンの降下が始まったライラトゥルカドルを含んでいるラマダーン月の終わりの10日間のことかもしれませんし、暁と関連していることとして、関心を向けるために述べられているのかもしれません。朝が夜の闇を消し去り、分散させるように、クルアーンは無知と忘恩・不信の闇を消し去り、分散させます。この祝福された10日間は、ズ・ル・ヒッジャ月の初めの10日間とも言われていますが、それはハッジ(巡礼)の儀式で忙しく、この日々に人間は罪から清まるからです。アル・ブハーリーに出てくる言葉にこういうものがあります:《アッラーにとって、この日々(ズ・ル・ヒッジャ月始めの10日間)に行われる善行以上に好まれる日々はないのだ。》

 「偶数と奇数において」、アッラーは、存在するすべての双数と単数において誓われています。創造物と創造主を指しています。アッラーはお一人(奇数)であられ、創造物は雌雄(偶数)に分かれています。「去り行く夜において」、去り行く夜においてアッラーは誓われています。夜と昼の現象がアッラーのお力の偉大さを象徴しています。「本当にこの中には,分別ある者への誓いがあるではないか。」、つまり、これらの誓いに使われた事柄は、理性を持つ者を納得させられるではないか、という意味です。疑問形は、誓いの対象がいかに重要であるかを確定しています。誓いを聞かされる立場の存在は述べられていませんが、以下のことが言えるでしょう:登場した事柄で不信仰者たちは罰せられるだろう。続きのアーヤ(節)がそのことを示しています:

 「あなたはアッラーが,如何にアード(の民)を処分されたかを考えないのか,円柱の並び立つイラム(の都)のことを,これに類するものは,その国において造られたことはなかったではないか。また谷間の岩に彫り込んだサムード(の民)や,杭のぬしフィルアゥン(のことを考えないのか)。これらは(凡て),その国において法を越えた者たちで,その地に邪悪を増長させた。それであなたの主は,懲罰の鞭をかれらに浴びせかけられた。本当にあなたの主は監視の塔におられる。

 アッラーは仰っています:ムハンマドよ、アッラーが昔のアラブであるアードの民をどのように扱ったかを知らないのか。彼らは、オマーンとイエメンの間にあるアハカーフ(砂丘の意)に住んでいました。「イラム(の都)」、アードの一族であるとか、アードが住み着いたある町の名前だと言われています。「円柱の並び立つ」、彼ら(アードの民)は身長が高かったと言われています。円柱の由来は、彼らの住んでいたテントのものであるといわれており、彼らは家畜の牧草を求めて移動しては、テントを建てたということでしょう。他に、円柱は彼らが城を建てるためのものだったとも言われています。「これに類するものは,その国において造られたことはなかったではないか。」、つまり、力、厳しさ、堅固で長身な体を持つこのような部族は今まで創られたことはなかった、ということです。「サムード(の民)」、昔に存在した有名なアラブの部族です。彼らはヒジルと呼ばれるヒジャーズとタブークの間に住んでいました。「岩に彫り込んだ」、つまり、山々の岩を割り、そして彫り、それらから自分たちの住処を作ったという意味です。「谷間」、ワーディール・クラー(地名)です。「杭のぬしフィルアゥン」、杭は、フィルアウンの権力を強化する軍隊を指します。フィルアウンはかつて人々を杭で苦しめ、そして死ぬまで縛り上げていたと言われています。「これらは(凡て),その国において法を越えた者たち」、つまり、不正と敵意において、度を越したという意味です。「その地に邪悪を増長させた。」、国の中に不正と悪と殺戮などすべての罪を増長させた、という意味です。「それであなたの主は,懲罰の鞭をかれらに浴びせかけられた。」、つまり、強烈な罰です。サッブ(Sabb)はアラビア語で元来、溢れる水を浴びせるという意味です。サウト(Saut)は、それで叩かれると痛みを与えるものです。クルアーンの修辞力は、元来の意味を調整し、サウトにおける懲罰の意味に、サッブが意味する”放出・溢れること”を加えました。つまり、サウトが体に当たると、激しい痛みが起こるということです。「本当にあなたの主は監視の塔におられる。」、各人に報復するために、アッラーはすべての人間の行いを見張っているということです。
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