イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

I先生のお話

2009年03月16日 | その他
アッサラームアライクム ワ ラフマトゥッラー

今回も、シリア留学時代にお世話になった、私の大好きなI先生のお話を箇条書きにしたものを送ります。

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I先生のお話

- 普段は良い性格の人でも、怒るとそうでない人は、「良い性格」を備えた人とは言えません。怒ったときにうまく自我をコントロールすることが、性格改善への大切な道です。

- 《للهم حسنْ خُلقي كما أحسنت خَلقي》
  《アッラーよ、私の外見(創造)を良くしてくださったように、私の性格も良くしてください》(鏡を見るときのドゥアー)

- フルクخُلُق(性格):イスラーム法に則っていくこと
  アダブأدَب(礼儀):フルク以上のことを実践すること、つまり、アダブはフルクを上回る。まずフルクを洗練させ、アダブに移行する。

- 嘘をつく人は、穴の上に紙を敷いて歩き、転ぶ人のようです。そのため、穴に普通に転げ落ちるより、惨めです。(紙を敷くという防御策を講じているにもかかわらず、転ぶことを防げていないから。)紙を敷いたことで安全を手に入れたとは限りません。その瞬間に助かっても、次の日に転ぶかも知れませんし、そのうち転ぶであろうという可能性は消えません。

- 嘘が許される三つの状況:
  ①不仲を解消させるとき(仲直りさせるとき)
  ②敵の前(戦争時)
  ③夫婦間・・・といっても、夫婦間なら常に嘘を付き合っても良いというわけではなく、愛情の言葉に関してのみ、それが許されます。

- 「性格の改善」は、自我を厳しく訓練することで得られます。「訓練」とは、自我に逆らうことです。また、他人の為ではなく、アッラーの為に「良い性格」であることです。

- ある教友が、御使い(平安と祝福あれ)のところにやって来て、「どのような行いが一番良いですか?」と質問したところ、彼は、「良い性格だ」と言われました。

- 人間は、怒ったときに最も性格が悪くなるものです。

- 「アダブ(礼儀・マナー)」:例えば、大きな声を出さないこと。
                 『信仰する者よ,あなたがたの声を預言者の声よりも高く上げてはならない。』(49/2)
                 クルアーン解説者たちは、この節を、教友たちが御使い(平安と祝福あれ)に大きな声を出してはならないとクルアーンが命じていると、解説しています。この言葉を私たちのすべての状況に合わせることが大切です。例えば、生徒は教師に声を上げないこと、などです。

- 以上から、「アダブ」が「フルク」を上回ることがわかります。まず性格を改善し、次に礼儀の改善に移るのです。

- かつて、わざわざ遠くからやって来たのに、動物に嘘をついている学者からハディースを伝承してもらうのをやめた人がいます。

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イマン
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H先生の忠言

2009年03月13日 | その他
アッサラームアライクム ワ ラフマトゥッラー

学部在学中に使っていた当時のままのルーズリーフのノートをめくっていると、
週1で行われていた「タズキヤ(浄化)の会」の際に、H先生のお話を日本語でメモしたページに目が留まりました。
アラビア語でメモしたものは字が汚いためかあまり読む気にならないのですが、日本語で書いたものには自然と視線が移ります。

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- 常に忘れてはいけない2事項:①死②アッラー

- 自分を褒める言葉と、自分を批判する言葉を一緒に聞かなければいけません。

- ダアワを志したなら、次のことを肝に銘じること。それは、「あなたはきっと今後、あなたを愚弄する言葉を聞くであろう」ということ。あなたは、舌、心、視線で苦しめられるでしょうが、それは当たり前のことなのです。それでもあなたは、あなたを苦しめる人たちを傷つけてはいけません。

- 「間違いを犯してしまうから」、「自分自身が導かれていないから」と言う理由を並べてダアワをしない人がいますが、それらは悪魔のささやきにしか過ぎません。

- アッラーへ人々を導く(ダアワ)とは、善い言葉を、良い模範となり、英知をもって人々に伝えることです。人々があなたのことを気に入り、あなたの性格を良いと思ってくれることがダアワです。

- あなたが、「私にはふさわしくないから」と言って、ダアワを辞めてしまったら、誰が真実の言葉を語ると言うのでしょうか。敵達は日々、休むことなく、様々な方法で励んでいるというのに。彼らは私たちの崩壊を望んでいるのです。だからこそ、私たちは出来るところからダアワをすべきです。

- アル=ガザーリー師が言われているように、ダアワに携わる者に、「完璧さ」は求められません。私たちは人間なのですから。

- 間違いを起こすことは、決して、恐ろしいことではなく、ごく普通のことです。それは、あなたが「行動している」証拠でもあります。人との交わりが多い人ほど、ミスは多いものです。そのミスの多さが、後の成功の元になるのです。

- 知識を持っている人は、他人にそれを伝える義務があります。

- ダアワに必要なものは、どんどん身に付けて下さい。(英語、インターネットなど)

- やきもちの気持ちを持たないことです(ダアワ活動に成功している人にやきもちしないこと)。

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イマン
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【サラートゥ=ル=ジュムア(金曜合同礼拝)と金曜日に関連したマナー】

2009年03月12日 | 求める者たちの道しるべ

【サラートゥ=ル=ジュムア(金曜合同礼拝)と金曜日に関連したマナー】

計15項目

①木曜日から、また(金曜)前日の夜から金曜日を迎えるための準備に取り掛かること。
 準備とは、掃除、洗濯など。

②金曜当日に、グスル(沐浴)をすること。サヒーハイン(アル=ブハーリーとムスリム)に由来。サラーに出かける直前に済ませるのが最も良い。

③体を清潔にすること、爪を切ること、スィワーク(ミスワークを使った歯の掃除もしくは普通の歯の掃除)、ゴミの片付け、香り付け、持っている服の中で最も良いものを着ること・・・などで、美しくあろうとすること。

④金曜のサラーに、タクビールを唱えながら歩いて行くこと。

⑤人で混んでいるところに無理やり入らないこと。二人でくっついているところに割り込まないこと。すいている場合は別。

⑥サラー中の人の前を横切らないこと。

⑦(サラーでは)最前列を求めること。

⑧イマームが現れたら、任意のサラーと、ズィクルを停止すること。そしてアザーンに応えること、説教を一生懸命聞くこと。

⑨ジュムア後、望むなら、2ラカー、または4ラカー、または6ラカーのスンナのサラーをすること。

⑩アスルが行われるまで、マスジドに留まること。マグリブまで留まるならさらに良い。

⑪金曜日という尊い時間を、心の同在とズィクルをもって大切にすること。

⑫預言者(平安と祝福あれ)祈願を多くすること。罪の赦しを求めるサラーを行うこと。

⑬洞窟章を読むこと。クルアーンを読むこと。

⑭可能な限り、サダカをすること。マスジドの外でサダカを。

⑮金曜日を来世の行いに割り当てること。そして現世のための行いを止めること。

イブン・クダーマの「求める者たちの道しるべ」より

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続【サラー〔礼拝〕の徳】

2009年03月08日 | 求める者たちの道しるべ

前編はここ

(★サラーの真髄を完遂させるもの★の続き↓)

③アッラーへの賞賛、畏敬の念。これらは、①アッラーの尊さと偉大さを知ること、②そして自我の下劣さを知ること、以上の二つに分けられる。自我は隷属されているのである。この二つの知から生まれるのは、静けさと畏敬。
 その一つは:ラジャーゥ〔希望〕。これは畏れの気持ちよりも上位に存在する。強力な攻撃力を持つ王を恐れると同時に、彼の善行を望むように、サラーに立つ者は、サラーで報酬を得ることに希望を持つと同時に、サラーの手を抜くことで罰を受けることを恐れるべき。
 サラーを志す者は、サラーの各動作に心を同在させる必要がある。アザーンの呼びかけが聞こえたら、その呼びかけに従い、応えるために袖をたくし上げる。そして「何に応えるのか」「どのような体で応対するのか」を考察すること。
 自分がアウラ〔へそから膝の間の覆われなければならないところ〕を覆うとき、自分の体の恥事を他人に隠すためにそうしていることを知ること。また内面のアウラと、創造主のみが知る自分の秘密を思い出すこと。アッラーに対して隠せることなどなにもない。後悔、恥じらい、畏れの気持ちを持つと、それは消える。
 
 -キブラに向かって立ったら、自分の顔をアッラーの館に向けたことになるのだから、心をアッラーに向けることはより重要。またアッラーの館の方向以外を取り除かない限りその方向を向くことはできない。心も同じでアッラー以外を取り除かない限り心がアッラーに向くことはない。
 
 -サラーに立つ者よ、タクビール〔アッラーフアクバルと両手を挙げながら唱えること。サラー動作の一部。〕をしたら、あなたの心が舌に嘘をつくことがないように。なぜならあなたの心の中にアッラーよりも大きいものがあれば、あなたは嘘をついたことになるから。自分の強い同意が伴った欲望がアッラーへの服従を上回ってしまわないよう注意すること。
 
 -アッラーの御加護を求めたなら、イスティアーザ〔アウーズビッラーヒミナッシャイターニッラジームと悪魔からアッラーに加護を求める祈願〕とはアッラーの許への逃避であることを知りなさい。心で逃避しないとあなたが発する言葉がうわごとであるということになってしまう。あなたが発する言葉の内容を知るようにしなさい。「アルハムドゥリッラーヒ ラッビルアーラミーン」というとき、心で理解するように。「アッラフマーニッラヒーム」の際には、アッラーの優しさを思い出しなさい。「マーリキヤウミッディーン」の際には、かれの偉大さを。
 
 -ズラーラ・イブン・アビーアウファーは、サラー中に、「ラッパが吹かれる時」(74/8)と読むと、死んでしまった。彼は単にその状況を想像したのが影響して死んでしまった。
 
 -ルクーウ時には、謙遜の念を持つように。サジダ時には、さらにへりくだること。まさにあなたは自我をそれに相応しい場に配置させたのだから。そして、アズカールの意味を味わいながら理解しなさい。
 
 【注意】これら内面的な条件でサラーを行うことは、心が錆から抜けて輝き、心の中に光が現れる要因となる。この光によって崇拝される存在(アッラー)の偉大さがほのめくのである。しかし「知る者」のみしかアッラーの秘密を理解できない。サラーの意味を持たず、形だけのサラーに立つ者は、それを理解しないどころか、そんなものなどないと拒絶する。

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現世をたとえてみると

2009年03月02日 | 心に響くアーヤ

اعْلَمُوا أَنَّمَا الْحَيَاةُ الدُّنْيَا لَعِبٌ وَلَهْوٌ وَزِينَةٌ وَتَفَاخُرٌ بَيْنَكُمْ وَتَكَاثُرٌ فِي الْأَمْوَالِ وَالْأَوْلَادِ كَمَثَلِ غَيْثٍ أَعْجَبَ الْكُفَّارَ نَبَاتُهُ ثُمَّ يَهِيجُ فَتَرَاهُ مُصْفَرًّا ثُمَّ يَكُونُ حُطَامًا وَفِي الْآخِرَةِ عَذَابٌ شَدِيدٌ وَمَغْفِرَةٌ مِّنَ اللَّهِ وَرِضْوَانٌ وَمَا الْحَيَاةُ الدُّنْيَا إِلَّا مَتَاعُ الْغُرُورِ

 あなたがたの現世の生活は遊び戯れに過ぎず、また虚飾と、たがいの間の誇示であり、財産と子女の張り合いに過ぎないことを知れ。(現世の生活を)例えれば慈雨のようなもので、(作物は)生長して不信心者(農夫)を喜ばせる。やがてそれは枯れて黄色に変り、次いで粉々になり果てるのをあなたがたは見るであろう。だが来世においては(不義の徒に)厳しい懲罰があり、また(正義の徒には)アッラーから寛容と善賞を授かろう。本当に現世の生活は、虚しい欺瞞の享楽に過ぎない。

(57/20)

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