イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

77章解説【1】

2012年05月15日 | ジュズ・タバーラカ解説
بسم الله الرحمن الرحيم
1. 次々と送られるものたち(風)にかけて、
2. そして激しく吹き荒れる暴風に(かけて)、
3. また(雲と雨を)撒き散らすものたち(風あるいは天使)に(かけて)、
4. そして(善悪を)分かち区別するものたち(啓典を啓示する天使)に(かけて)、
5. そして訓戒を投下する者たち(天使)に(かけて)、
6. 免責事由として、または警告として、
7. まことに、おまえたちに約束されたこと(復活)は起こるものである。
8. そして星々が消された時、
9. また天が裂けた時、
10. また山々が粉砕(ふんさい)された時、
11. また使徒たちの定めの時が到来した時、
12. 「いかなる日までそれら(使徒たち)は遅延(ちえん)されたか」。
13. 「決定(最後の審判)の日までである」。
14. そして決定の日が何であるかを、何がおまえに分からせたか。
15. 災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに。
16. 昔の者たちをわれらは滅ぼさなかったか。
17. それから、われらは彼らに(彼ら同様の)後の者たちを続かせ(滅ぼし)た。
18. このようにわれらは罪人たちに為す。
19. 災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに。
20. われらはおまえたちを卑しい水(精液)から創ったのではないか。
21. それから、われらはそれを安定した定着地(子宮)に置いたではないか、
22. 定められた期間まで。
23. それでわれらは定めた。(われらの)なんと良き定める者であることか。
24. 災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに。


 この章の内容は、以下のように要約されます:1.審判の日とその恐怖の発生の強調、2.審判の日の到来を嘘であると言う者たちへの脅迫、3.その脅迫が10回に渡って言及され、篤信者たちが享受することになる安楽という吉報も共に述べられていること、です。

 至高なるアッラーは、人々に約束された審判の日の到来が確実で疑いのないことを前提に、章の始まりの部分で、諸々の事柄にかけて誓いの言葉を述べ給います。

 「次々と送られるものたち(風)にかけて、そして激しく吹き荒れる暴風に(かけて)、また(雲と雨を)撒き散らすものたち(風あるいは天使)に(かけて)、そして(善悪を)分かち区別するものたち(啓典を啓示する天使)に(かけて)、そして訓戒を投下する者たち(天使)に(かけて)、免責事由として、または警告として、まことに、おまえたちに約束されたこと(復活)は起こるものである。」

 誓われた諸々の事柄が何を意味しているかにおいて、解説者たちの意見は相違しています。ここではその中からいくつかの意見を取り上げておきます:「次々と送られるものたちにかけて」次々に送られる風、またはムハンマドに次々に投下されたクルアーンの各節にかけた誓い、またはアッラーの命令と禁止のために送られる天使であると言われています。「そして激しく吹き荒れる暴風に(かけて)」吹かれる様子がとても激しい風、または心をその警告によって恐れさせるクルアーンの諸節であると言われます。「また(雲と雨を)撒き散らすものたち(風あるいは天使)に(かけて)」雨を降らすために雲を追い払う風、または人々の心の中に導きと英知を齎すクルアーンの諸節であると言われます。「そして(善悪を)分かち区別するものたち(啓典を啓示する天使)に(かけて)」正と不正を分けるクルアーンの諸節である、または雲を分ける風とも言われます。「そして訓戒を投下する者たち(天使)に(かけて)」アッラーの啓示をかれの人間の使徒たちに伝える天使たちと言われます。「免責事由として」アッラーの御前で言い訳が通用する可能性が残らないよう、被造物の免責事由を消し去るためと言われます。「または警告として」罪を行う際の罰という脅しと警告のため、と言われます。

 しかし至高なるアッラーは何に関して誓いの御言葉を並べ給うたのでしょうか?それは、多神教徒らに約束された審判の日、報奨、罰といったものらが確実に起こることに関しての誓いでした。

 クルアーンの諸節が、審判の日が疑いなく起きることを強調したことは、その日に見られることになる様々な恐ろしい光景を思い浮かばせるのに適切だったのです:

 「そして星々が消された時、また天が裂けた時、また山々が粉砕(ふんさい)された時、また使徒たちの定めの時が到来した時、「いかなる日までそれら(使徒たち)は遅延(ちえん)されたか」。「決定(最後の審判)の日までである」。そして決定の日が何であるかを、何がおまえに分からせたか。」

 星々の光が消し去られ、空の天体が裂け、山々は根元から引っこ抜かれてばらばらにされ、使徒たちは自分らの共同体に対して証言するために顔を出す時間が決められます。しかしこれらの重要な事柄はいつの日にまで延ばされたのでしょうか?「決定の日までである」つまり決定が実行される日です。その時に、アッラーは被造物の間を分け給うのですが、善行者にはその善行に報い給い、悪行者にはその悪行に報い給います。「そして決定の日が何であるかを、何がおまえに分からせたか。」事の重要さと恐ろしさを強調するために疑問文となっています。つまり人間よ、何がその日の恐ろしさや厳しさの程度が如何ほどであるかを分からせたのか、その日の真実は頭脳が理解できる以上に大きなことだ、ということです。

 諸節が審判の日の恐ろしい光景について解明した後、まるである質問者が次のように質問しているようです:その日の到来を嘘だと言っていた者たちはどうなるのか?答ははっきりとした形をとりつつ早急に出されました:「災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに。」報復の日とムハンマドの預言者性を嘘と否定した者たちに死滅あれ、ということです。この節は10回繰り返されていますが、アッラーは大地に起こる危険、共同体の歴史、人間の発生、審判の日における人間の帰り処は至福となるか罰となるかといった10の光景に関する言及の直後に仰せになりました。アッラーは人々に至福について思い起こさせたりかれの怒りで怖がらせ給う際、これらの至福を軽視し嘘であると否定する者たちに災いあるようにとの言葉を以て想起と怖がらせを強調し給いました。以上は彼らが継続して嘘であると否定していることに対する叱責となります。また一つの文章を繰り返したり、一つの話題の中で何度も使うことはアラブでは一般的で、講義や詩では習慣化されたことです。

 続いてクルアーンは、使徒に背いたために滅ぼされた過去の共同体の行く末について私たちに熟考させます:

 「昔の者たちをわれらは滅ぼさなかったか。それから、われらは彼らに(彼ら同様の)後の者たちを続かせ(滅ぼし)た。このようにわれらは罪人たちに為す。災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに。」

 アッラーは仰せになります:ヌーフ、アード、サムードなどの民のように、わたしの使徒を嘘つき呼ばわりし、わたしの諸印を否定した過去の共同体をわたしは滅ぼさなかったか。そして彼らの後に来た他の者たちの中で彼らのように嘘つき呼ばわりし、罪を犯したイブラーヒームの民やルートの民やマドヤンの民も。われらが過去の共同体に為したことは、彼らと同じように真実から背を向けて度を超すような道を辿る他のすべての共同体にも為すのである。

 続いてアッラーは、アッラーの御力を証明する人間の創造の原点へと私たちの意識を向けさせ給います。その御力は人間の死後に生き返らせることにおいて決して無能ではありません:

 「われらはおまえたちを卑しい水(精液)から創ったのではないか。それから、われらはそれを安定した定着地(子宮)に置いたではないか、定められた期間まで。定められた期間まで。それでわれらは定めた。(われらの)なんと良き定める者であることか。災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに。」

 卑しい水とは、男性の精子を指します。アッラーはそれを卑しいものつまり少なくて弱いものという意味で描写し給いました。この水は数百万の精子を含んでいて、その中の一つが卵子に辿り着いて、胎児の始めの姿になります。「それから、われらはそれを安定した定着地(子宮)に置いたではないか」つまりアッラーはそれを独立した安定した場所、つまり子宮に置いたということです。コントロールされた場所での安定や、胎児を腐敗や変化から守る固定されたシステムに照らして、子宮のことをアッラーは「マキーン(定着地)」と非常に繊細に描写し給いました。以上によって受精卵は様々な変化に対応できるための準備をします。また子宮に留まる期間はあらかじめ定められました:「定められた期間まで」そしてその期間を超えることなく完全な容姿を備えた人間として産まれます。その直後にアッラーは仰せになります:「それでわれらは定めた。(われらの)なんと良き定める者であることか」つまり至高なるアッラーは子宮の中で胎児が成長するための期間を定め給うたということです。このような、賞賛され、崇拝されるに相応しい力の持ち主はなんとすばらしいことでしょう。

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP165~168)

預言者伝34

2012年05月08日 | 預言者伝関連

ヒジュラ暦5年シャウワール月
115.塹壕(ざんごう / ハンダク)※、あるいは部族連合軍(アル=アハザーブ)の戦:

  ヒジュラ暦5年のシャウワール月にハンダクの戦は起きました。この戦は、イスラームとムスリムたちの歴史に大きな影響を残し、イスラーム宣教の行方を決定する重要な出来事の一つでありました。またこの激戦は、信徒たちにとって今までに受けたことのないほどの厳しい試練でもありました。
  「おまえ達の上から、そして、おまえ達の下から彼らがおまえ達の元にやって来た時。そして目は逸れ(正視できず)、また心は喉許に達し、おまえたちがアッラーについてさまざまな思いで邪推した時。そこで信仰者たちは試みられ、また激しい揺れで揺さぶられた。」(クルアーン33章10-11節)

  戦が起きたきっかけはユダヤ教徒たちでした。アン=ナディール族の一部とワーイル族の一部が、マッカのクライシュのところにやって来て、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)との戦いを提案したのです。しかしクライシュはアッラーの使徒(平安と祝福あれ)たちとの戦いで受けた苦しみを既に味わっていたため、あらたにムスリムたちと戦いを交える機会を出来るだけ避けたがるのでした。それでもユダヤ教徒の使節は、クライシュにムスリムたちと戦うよう説得し、言いました:ムハンマドが滅んでしまうまで、私たちもあなたたちと一緒に戦いましょう。この言葉を聞いて喜んだクライシュは、戦うことを受け入れ、乗り気になりました。提案に合意した後に、使節は帰っていきました。次に使節達はガタファーン族を訪れ、同じくムスリムたちとの戦いに誘い、他の部族にも、クライシュの同意を得たマディーナを襲う計画に賛同しないかと声をかけて行きました。

  そして最終的に、軍事における合意が成立しました。その主要なメンバーは、クライシュとユダヤ教徒たちとガタファーンで、諸条件において合意していました。その一つが:連合軍にガタファーンから6000人の戦士を参加させる代わりに、ユダヤ教徒たちはガタファーンの人々に、ハイバルで収穫されるナツメヤシを一年分支給する、というものでした。クライシュからは4000人の戦士を、ガタファーンからは6000人の戦士を、合計で10000人の戦士が準備されました。そして軍の指揮はアブー・スフヤーンに委ねられました。

116.英知とは信者が常に探し求めているもの:
  アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は、敵たちが連合軍となってマディーナに向かって来ていることを知ると、すぐに戦うための準備を始め、マディーナに残りマディーナを守ることを決めました。この時、ムスリム軍側には、3000人程度の戦士しかいませんでした。

  そこで教友の一人であるペルシャ人、サルマーンが、マディーナの周りに塹壕(ざんごう:戦いにおいて敵から身を守るために陣地の周りに掘る穴または溝)を掘ることを提案しました。これはペルシャでは頻繁に使われていた戦術だったのです。サルマーンは言いました。:アッラーの使徒さま!ペルシャの地では、敵軍を恐れる時に塹壕を掘ります。

アッラーの使徒(平安と祝福あれ)はサルマーンのアイディアを採り、マディーナ北西部の、敵が侵入しやすい露わになった部分に塹壕を掘るよう命じました。アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は、塹壕作りを教友らに割り当てて、各10人毎に20mほど掘らせました。完成した塹壕の全長は約2.5km、深さは約3.5mから5m、幅は約4.5mかそれ以上ありました。

117.ムスリム間における公平と励まし合いの精神:
  アッラーの使徒(平安と祝福あれ)も塹壕作りに参加しました。そうすることで信徒たちにやる気を起こすためです。当時とても寒く、食料は少なく、やっと飢えをしのげる程度の物しかないか、何もないこともありました。

  アブー・タルハは言っています:私たちはアッラーの使徒様(平安と祝福あれ)に空腹を訴えました。服をめくると、私たちそれぞれの腹の上には(空腹の胃痛を和らげるための)石が一つ置かれていましたが、アッラーの使徒様(平安と祝福あれ)が服をめくられると、石が二つも置かれていました。

  皆、幸せを感じ、アッラーを讃え、文句ひとつ言わずに作業に専念しました。アナスは言っています:アッラーの使徒様(平安と祝福あれ)が塹壕に出かけられると、ムハージルーンとアンサールが寒さの厳しい早朝から、塹壕を掘っていました。彼らには彼らの代わりに掘ってくれる奴隷などおりませんでした。アッラーの使徒様(平安と祝福あれ)が教友たちの喉の渇きと空腹をご覧になると、次のように言われました:
  アッラーよ、本当の生活は来世の生活。それゆえアンサールとムハージルを赦し給え。
  人々は彼に応えて言いました。:
  我らこそ、命ある限り聖戦に参加すると、ムハンマドに宣誓した者たち。

(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P247~250など)