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イスラーム勉強会ブログ

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預言者伝74

2014年09月26日 | 預言者伝関連
使節団の年
ヒジュラ暦9年

228.来訪者たちがマディーナに集結、そしてその影響とは:
  アッラーがマッカを御開きになり給い、預言者ムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)が安泰に戦利品を得てタブークから戻られてからのことです。かつて預言者(アッラーの祝福と平安あれ)は諸王や支配者たちあてに、彼らをイスラームに誘うための手紙を送りました。ある者は礼儀をもって受け取り、ある者は親愛をもって受け取り、ある者は恐れと躊躇の気持ちで立ち止まり、ある者は侮辱と高慢な態度で受け取りました。そのような者は早急な仕返しによってその王権と己自身の破滅が起きたのですが、当時のアラブ人たちは皆、その噂をしては話題にしました。

  またアラブ半島の精神的、社会的中心地であったマッカのイスラーム支配下入り、クライシュのリーダーたちのイスラームへの帰依、アッラーの教えを前にして最も堅甲だった砦の陥落には、アラブ人の中の躊躇していた人たちや様子をうかがっていた人たちの心に深く影響しました。そして彼らとイスラームの間を隔てていた壁は取り除かれたことで、彼らと彼らのイスラーム受容の距離は縮まったのです。

  ムハンマド・ターヒル・アル=ファッタニー(ヒジュラ暦986年(西暦1578年)没のインド出身の学者。アブーバクルの血筋を持つ)がその著作「マジュマウ・ビハール・アル=アンワール(諸光の海が集まるところ」の中で彼は言っています:
  『来訪者たちの年、アラブ人はクライシュがどうするのかを見守りながらイスラームを待ち伏せた。なぜならクライシュは人々の指揮者であり、アッラーの館の民だからだ。そしてマッカが開かれ、サキーフがイスラームに帰依すると、アラブ人は自分たちには敵わないと自覚した。これを機に続々と来訪者たちがアッラーの教えに入っていった。』

  以上すべてに、自然な影響が心に起きました。イスラーム帰依と、マディーナにてアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に会うための道が開かれたことで、導きを得ようとする来訪者と、イスラームがどんなものであるかを知ろうとする来訪者たちがイスラームの中心地に集まってくる様子は、解けてしまった首飾りのようで、散らばった真珠がイスラームの膝元に落ちてきたかのようでした。

  訪問者たちは、帰っていく所に新しい精神と信仰とイスラーム宣教に対する熱意と偶像崇拝、無明時代の名残に対する激しい嫌悪をもちかえりました。

  これらの訪問者の中の一つが、タミーム族の使節でした。彼らの中には部族の中の有力者や有名人が含まれていました。彼らの説教人と詩人と、ムスリムの説教人と詩人の間で討論が行われましたが、イスラームの高徳とムスリムの説教人と詩人の優越性が現われたことをタミーム族のリーダーたちは認め、これを機にイスラームに帰依しました。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は彼らを公認し、豊かに賞品を与えました。

  またアーミル族が訪れ、サアド・イブン・バクル族の代わりにダンマーム・イブン・サアラバが訪れました。彼は宣教師となって地元に帰っていきました。まず初めに言ったのは、次の言葉です:『アッ=ラート』と『アル=ウッザー』は何と悲惨であることか。人々は言いました:なんだと、ダンマーム! ‎尋常性白斑を恐れよ!癩病 を恐れよ!気狂いを恐れよ!ダンマームは言いました:気を付けるがいい!アッラーに誓って、あの二つは害もないし、益もない。アッラーは使徒を御遣いになり、彼に啓典を与え給い、お前たちをそれによって御救いになろうとした。私はアッラーの他に神はなく、彼がおひとりで、共同者がいないこと、そしてムハンマドが彼のしもべであり使徒であることを証言する。私は彼のところからおまえたちのもとへ、彼が命じ、禁じることを携えて来た。その日の夜には彼の村のすべての男女がイスラームに帰依したということです。

  またハニーファ族とともに、ムサイラマ・アル=カッザーブも訪れました。彼はイスラームに帰依した後に背教し、預言者であると嘘をついた人物で、リッダ(背教)の災難を扇動し、後に殺害されました。

  またタイ族とともに、有名な騎士ザイド・アル=ハイル(Al-khayl)も訪れました。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は彼に、ザイド・アル=ハイル(Al-khayr)と名を付けました。

  またかの寛大さで有名な男の息子であるアディー・イブン・ハーティムも訪れ、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の素晴らしい性格と謙虚な態度を見てイスラームに帰依ました。

  続く。

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P377~379)
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68章解説【5】

2014年09月19日 | ジュズ・タバーラカ解説
48.それゆえおまえは、おまえの主の裁決に忍耐し、打ちのめされて(アッラーに祈り)呼びかけた時の「大魚の友(ユーヌス)」のようになってはならない。
49.もし彼の主からの恩顧が彼に達しなければ、彼は叱責を受け、不毛の地に投げ捨てられたであろう。
50.だが、彼の主は彼を選び、義人たち(の一人)となし給うた。
51.そしてまことに、信仰を拒んだ者たちは訓戒(クルアーン)を聞くと、彼らの目でおまえを射落とさんばかりにし(睨み)、そして「彼は狂人である」と言う。
52.だが、これ(クルアーン)は諸世界への訓戒にほかならない。

以上で、嘘つき呼ばわりする者たちを黙らせることで彼らとの話は終了します。後に残っているのは預言者(アッラーの祝福と平安あれ)の心を強化すること、そしてアッラーへの誘いという任務において忍耐するようにとの彼への呼びかけ、預言者ユーヌスがなしてしまったように自分の民を放置してしまわないことだけです。アッラーは預言者ユーヌスに報いとして、想像できないような困難と恐怖を彼に与え給うたのですが、預言者ムハンマドも彼のように主の許しなしに自分の民を放置すれば、同じ状態に陥ってしまうでしょう。

至高なる御方は仰せです:
「それゆえおまえは、おまえの主の裁決に忍耐し、打ちのめされて(アッラーに祈り)呼びかけた時の「大魚の友(ユーヌス)」のようになってはならない。もし彼の主からの恩顧が彼に達しなければ、彼は叱責を受け、不毛の地に投げ捨てられたであろう。だが、彼の主は彼を選び、義人たち(の一人)となし給うた。」

ムハンマドよ、おまえの主が定め給うたことやおまえのことやあの多神教徒たちに決め給うたことに忍耐し、おまえの主が命じ給うたことへ赴け。述べ伝えるよう命じられたことを広めることについては言うまでもない。そして「大魚の友」つまりユーヌス(彼に平安あれ)の状態になってはならない。つまり彼のように急いだり怒ったりすれば、大魚の腹の中にアッラーが閉じ込めてしまったように、おまえが民を導くことを放棄したことに主がおまえを罰し給うだろうから、そんなことはしてはならない、という意味です。「呼びかけた時」己の罪を認めたユーヌスが大魚の腹の中から助けを主に求めた時。彼は、「打ちのめされて」苦悩に満ちて。「もし彼の主からの恩顧が彼に達しなければ」もし主の恩顧が彼に届いて、主が彼に慈悲をかけ、彼を赦し給わなければ。「彼は叱責を受け、不毛の地に投げ捨てられたであろう」民に対する小さすぎた忍耐と彼らからの逃避という罪に対する叱責と非難を受けながら木の生えていない荒野に投げ捨てられただろうが、彼は悔悟したため叱責され続けなかった。「彼の主は彼を選び、義人たち(の一人)となし給うた」アッラーは彼を選び給い、健全さにおける義人とし、彼を全ての悪から守り給うた。

以上は、ユーヌス(彼に平安あれ)の物語でした。クルアーンは数々の章の中で訓戒を示すためにこの物語を述べています。ここではクルアーン中に登場する物語の要約を読んでみましょう。

ユーヌス(彼に平安あれ)の物語:
ユーヌス(彼に平安あれ)はアッラーの御使いたちの一人で、至高なるアッラーは彼をイラクのモスル近郊にあるナイナワーの民に送りました。偶像を崇め、さまざまな罪を犯していたかの民をユーヌスはアッラーへの信仰と己の罪からの悔悟へと誘いました。しかし、彼らは自分たちのやり方に固執して、ユーヌスの呼びかけに応えようとしませんでした。そんな彼らにユーヌスは、「しばらくすれば罰が下るだろう」ことを彼らに警告しました。ユーヌスは自分が負っていた責任をこれですべて全うし、アッラーに命じられていた任務を果たしたと考えました。そしてユーヌスは、自分に従わず、また不信仰に固執する自分の民に怒りを抱きながら町を後にしました。ユーヌスは、アッラーがこの行為を御咎めになることはないだろうとの考えから、アッラーの許可を得ずに町を放棄したのでした。そしてユーヌスは浜辺に着くまで進み続けました。そこには旅立とうとしている船が一隻。ユーヌスは乗り人たちに頼んで一緒に乗せてもらいました。

船は出発し、広い海へと進んで行きました。しかし風が強くなり、そのため波は大きく波打つので船は沈みそうになりました。恐怖に陥った船に乗った人たちは一斉に言いました:われわれの中に罪人が一人いるぞ、と。人々は話し合って、くじ引きでくじを引いた人を船から海に投げ出すことに決めました。そしてこのくじを引いたのはアッラーの御使いであるユーヌスでした。海に投げ出されたユーヌスに、アッラーは彼を飲み込む大魚を送り給いました。(※クルアーンはユーヌスが送られた土地の名や船に乗ってそこからくじ引きの結果投げ出されたことに言及していない。啓典の民の啓典からの抜粋。)

アッラーはユーヌスが傷つくことを望み給わなかったので、ユーヌスは大魚の腹の中で数日間過ごしました。彼は腹の中にいる間、主に懇願し、自分が間違っていたことを認めながら、主を讃え続けて、暗闇-夜と海と大魚の腹の中の暗闇の中で主に援けを求めながら-中で呼びかけました:「あなたのほかに神はありません。称えあれ、あなたこそ超越者。まことに私は不正なものたち(の一人)でした」(21:87)アッラーは彼の祈りを聞き入れ、彼の悔悟を受け入れ、大魚にユーヌスを荒れた大地に吐き出すよう命じ給いました。

アッラーは、大魚の腹から出て病んでいたユーヌスの近くにカボチャを生やし給いました。その葉で出来た陰はユーヌスを太陽の熱さから守りました。ユーヌスが元気になるまで、しばらくの時間が流れました。アッラーは回復したユーヌスに別れを告げたはずの民のところに戻るよう命じ給いました。ユーヌスが去った後、彼が予告していた罰の前兆が現れ始めたため罰が確実に起こることを人々は思い知りました。そんな彼らの心に悔悟の念をアッラーが投げかけ給うたことにより、人々はアッラーに懇願しました。そしてアッラーはその御慈悲と御優しさによって彼らから罰を取り去りたまいました。戻ってきたユーヌスは、10万人以上の民を信仰へと誘い、アッラーからの命令を全うしました。そして人々は導かれ、アッラーは幸せな生活を彼らに授け給いました。

次に、章の締めくくりに移りましょう。アッラーはムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)に話しかけ給います:
「そしてまことに、信仰を拒んだ者たちは訓戒(クルアーン)を聞くと、彼らの目でおまえを射落とさんばかりにし(睨み)、そして「彼は狂人である」と言う。だが、これ(クルアーン)は諸世界への訓戒にほかならない。」

意味:本当に不信仰者たちはおまえを敵対心と嫌悪感に満ちた目線で睨んで来るが、おまえがアッラーからのメッセージを述べ伝えることでアッラーからおまえに与えられた地位からまるでおまえをずり落そうとしているかのようだ。「訓戒(クルアーン)を聞くと」彼らがクルアーンを聞いたり、彼らにクルアーンが読まれたりすると、彼らは預言者を描写して、「彼は狂人である」と言う。預言者の正体に当惑し、また彼を避けようとしながら。けれども彼らは彼が最も理性を持った人物であることを知っている。

しかしアッラーは、クルアーンがすべての人間のための訓戒であると彼らに答え給います。「だが、これ(クルアーン)は諸世界への訓戒にほかならない」この節は、クルアーンが神の啓示であって、ムハンマドが作ったものではないことを示す最も重要な根拠です。もしそうでないなら、自分たちの信仰のせいで迫害を受け耐えている少人数の信仰者に慕われた能力も権力も持たない人間(ムハンマド)が、その民にクルアーンが人々すべてへの訓戒であると、つまりアラブ人だけのものでないと宣言することはどうでしょうか。これが意味するところは、つまりイスラームは大地を覆うことになり、多くの人がイスラームをもって導かれることになるだろうということです。本当にこの予言は神の啓示でない限り、人間が言いだすようなものではありません。クルアーンの中の予言は預言者(アッラーの祝福と平安あれ)の死後数年で実際に起きました。そしてイスラームの拡大は今日まで続いています。イスラームは東西の都市を包容し、数億人の人間がイスラームに帰依しました。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP40~43)
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ハッジを行う方へのアドバイス

2014年09月11日 | ハッジ関連
ハッジはイスラームの5行の一つで、いくつかの条件が当てはまらないと義務とならない崇拝行為です。
その徳は大きいゆえ、行える機会を得た方は、そのことを大いにアッラーに感謝しましょう!
2012年の私のハッジ体験からのアドバイスをご紹介します。
参考になれば幸いです。
せっかく行くのですから、準備はぜひ万端に!

☆出発前☆
- 言うまでもありませんが、ハッジとウムラの行い方を十分に勉強しておくこと。当MLでの講義や、各ウェブサイトに載っている情報だけでもかなり参考になります。写真や動画でハラムモスクや預言者モスクの各門の名称や、イスラームの歴史にちなんだ場所をあらかじめ確認しておくことも忘れずに。

- 利用する旅行会社に、機内食がハラールか確認をとること。トルコエアーやカタルエアーなら元からハラールですが、私が日本から韓国まで乗った飛行機の食事はハラールではなかったです。

- 出国時のバスなどの予約はそうですが、帰りの予約もとりあえずしておくと安心です。

- 女性で月経のある方は、事前に婦人科などでピルの処方をしてもらい、月経のコントロールをしておくこと。

- ビザ発給のためには予防接種を受けなければなりませんが、妊娠の可能性がある人は受けられないそうなので注意。

☆服装に関して☆
- とにかくラクな服装が一番です。もちろん、イスラームに則っている(顔と手以外は見えない)ように。持参する服の数は人それぞれでしょうが、私は安全ピンなど不要の2ピースのヒジャーブ、アバーヤ、ワイドゴムパンツ、キャミORタンクトップなど。現地は湿気の無い暑さのため、風通しの良い服で気持ち良く過ごせます。

- 日本に帰って来る時に寒いかもしれないので、軽いジャケットのような畳んでも場所を取らない物を一つ持って行くと安心です。これはエアコンが良く効いているバスの中などでも重宝します。

- 手洗いしてもとても乾燥していてすぐに乾きます。面倒ではない人はたくさんもって行かずに汚れたら洗って干しましょう。

- 靴:脱ぎ履きしやすく、汚れても良い、軽く、出来れば水に強いもの。無くなってしまったときのために、1足余分に持って行くと安心です。現地で売られているのはあまり質が良くなく、また種類が少ないです。

☆もって行くと良いもの☆
- 風邪薬、痛み止め、ビタミン剤、体温計、のどあめ、マスク、ウェットティッシュ、ポケットティッシュ、おりものシート、無香料の洗濯洗剤、せっけん、シャンプーなど(香料入りは避ける)、洗濯用ひも・洗濯バサミ・ハンガー、サングラス、サンバイザー、帽子、爪切り、櫛、ヘアゴム、ビニール袋、日傘、室内用ビーサン、シーツ、枕カバー用タオル、筆記用具、寝袋

☆カバン☆
- 荷物用:たくさん買い物することを予定しているなら1.大きいカバンと、手荷物用2.軽いキャリーバックかボストンバック。現地では2.を多用します。ミナーへは2.だけを持って行きます。バスでの移動では放り投げられたりするので、汚れても良いものを。軽ければ軽いほど良いです。背中に背負うタイプも良いですがスリに注意。

- 普段用:好みによると思いますが、ななめがけが出来るバッグ。両手が空いて良いです。ポケットがたくさんついていると便利です。

- ハラムに入った時用の靴入れ。

- マイサッジャーダや靴や水を入れる手提げ(丈夫なビニールバッグでも大丈夫です)。

☆その他のアドバイス☆
- ハッジは出発前から既に始まっていることと、そのときから試練に満ちていることを覚えておくこと。イライラを避ける、不満に思わないよう心がける。とくに現地では常にイライラを誘う要因が溢れているので気を付けること。

- 体調管理をどんなにしていても、ほとんどの人がまず喉から調子を悪くし、発熱していくことをあらかじめ知っておくこと。軽い症状(喉、鼻水、軽い熱)は持参の薬で十分だが、高熱が出たら現地の医療機関を頼るべき。自分も発熱するであろうことを覚悟しておく。

- イフラーム後は、マスク・サングラス・ニカーブなどで顔に直に触れるもので顔を覆うことが禁じられることを忘れないように。(これを良しとする見解を採る人もいるが、口論にならないよう気を付ける)

- 現地で野菜を食べることがおそらくほとんどないと思って良い。売られている食事は、フライドチキン、ハンバーガー、ポテトフライなどが多い。食べ物が痛んでいたと言う話は聞いたことはないが、一応気を付けること。

- ザムザム以外は、ペットボトルに入った水を買って飲むこと。

- 外国で使える携帯電話を持っている人は、持参して、現地でSIMを買うと便利。

- wi-fiはあっても弱い。

- 持って帰る用のザムザムは早めに汲んでホテルに置いておくこと。ボトルも早めに買っておかないと売り切れてなくなる)

- 日本円の両替は可能だが、すべての両替商がやっているわけではない。米ドルはどこでも大丈夫。

- 食事と気候の変化のために酷い便秘になるが、水をたくさん飲んでしのぐこと。
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預言者伝73

2014年09月05日 | 預言者伝関連
226.諸戦を振り返る:
  ヒジュラ暦9年ラジャブ月に起きたタブークの戦をもって、預言者(アッラーの祝福と平安あれ)に関連する戦は終わりを告げました。その総数は27、派遣された分遣隊の数は60ですが、そのすべてに戦いが起きたというわけではありませんでした。

  戦争の歴史において流れた血がもっとも少なかった戦いは、タブークの戦までのすべて戦いや、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が派遣した部隊でのものであったことが知られていますが、実際に両側の死者の合計は1018名でした。これらの戦は、アッラーのみがその数を知り給う数の出血を止め(ジャーヒリーヤ時代には頻繁に部族間などで争いが起きて人死ぬことが多かったが、イスラームが伝播されるとその争いは終わったと言う意味)、また数え切れないほどの命と尊厳を守り、アラブ半島の隅々に安全をもたらしました。どれくらい安全であったかというと、ラクダに乗った女性一人がアル=ヒーラ(イラク南部にある古都)からカアバまで旅行できたほどでした。彼女はアッラー以外に何かを恐れる必要がなかったのです。そうなる前のアラブ半島は襲撃や戦いに張り巡らされていて、政府の大きなキャラバンであってもプロの護衛なしでは動くことはありませんでした。

  イスラームのこれらの戦は、クルアーン中にある二つの叡智を基にしています:「そして迫害(フィトゥナ)は殺害よりもより重大である」(雌牛章191節)、「そしておまえたちにとって同害報復には生命がある」(雌牛章179節)またイスラームのこれらの戦は、人類と人間社会に状況を変え、危険を回避するための時間と労力を大きく与えました。またマナーと慈悲ある教えを備えていたため、戦が調教作戦のようになることもありました。その一つが、罰作戦です。

  代わって作戦の成功とその速さに関して言うと、領地の広さは10年の間に274平方マイルも広がったことが挙げられます。ムスリムたちは毎月、一人の人間の損害しか負いませんでした。また敵の負った最大の損害は150人でした。10年が経つころには100万平方マイル以上の土地がイスラームの支配下に入りました。

  かつてアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が軍隊を見送る際、次のようにおっしゃっていました:
  《アッラーを畏れ身を守ること、おまえたちと共にいるムスリムに良く接すること、アッラーの道において、アッラーの御名のもと、アッラーを信仰しない者を襲撃することをおまえたちに命ずる。また欺いてはいけないし、度を越してもいけないし、幼い子供や女性、高齢者、庵の中にいる隠者を殺してはいけない。またナツメヤシの木を抜いてはならないし、木を切ってもならないし、建物を壊してもならない。》

227.イスラームにおける初めてのハッジ(巡礼):
  ヒジュラ暦9年にハッジが義務付けられました。そこでアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はアブーバクルを信徒たちを引き連れて巡礼を行うハッジの指揮者として任命しました。多神信仰の人たちはハッジを行わずに自分の家に留まっていました。アブーバクルとのハッジを望んで300人の人たちがマディーナから出発しました。

  そこで悔悟章がアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に啓示されたので、彼はアリーを呼んで、おっしゃいました:悔悟章の頭からの話を伝えるために、出発しなさい。の日(犠牲祭一日目)に人々がミナーに集まった時に呼びかけて、不信仰者が楽園に入ることはないこと、多神教徒は今年以降巡礼しないこと、裸者は聖殿の回りをタワーフしないこと、アッラーの使徒が誓約を交わした者はその期限までだけが有効であることを伝えなさい。そこでアリーはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)のアル=アドゥバーゥと名を持つラクダに乗って、アブーバクルに追い付きました。アブーバクルが言いました:あなたは(私を)指揮する者(として送られて来たの)か?それとも命令されてここまで来たのか?アリーは答えました:命令されて来ました。そして一緒に出発しました。アブーバクがは人々とハッジを済ませての日になると、アリーは立って、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が彼に命じたことを人々に呼びかけて伝えました。

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P373~375)
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