イスラーム勉強会ブログ

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71章解説【2】

2013年11月29日 | ジュズ・タバーラカ解説
5.彼は言った。「わが主よ、まことに私は私の民を夜も昼も呼び招きました」。
6.「しかし、私の呼び招きは彼らに(信仰からの)忌避を増し加えるばかりでした」。
7.「そしてあなたが彼らを赦し給うよう、私が彼らを(信仰へ)呼び招く度、彼らは指を耳に入れ、服に身を隠し、(不信仰に)固執して、高慢の上にも高慢となりました」。
8.「それからまことに私は彼らに声高に(信仰へ)呼び招きました」。
9.それからまことに私は(呼び招きを)公然とし、またこっそりと密かにもしました」。
10.「そして、私は言いました。『おまえたちの主に赦しを乞え。まことに彼はよく赦し給う御方であらせられた』。
11.『そしておまえたちの上に天(から雨)を豊かに送り(降らし)』、
12.『またおまえたちに財産と子孫を増やし、おまえたちに園々をなし、おまえたちに川々をなし給う』。

 続いてクルアーンは、ヌーフの努力やその民がヌーフの宣教を嫌がった様子を描写します:
「彼は言った。「わが主よ、まことに私は私の民を夜も昼も呼び招きました。しかし、私の呼び招きは彼らに(信仰からの)忌避を増し加えるばかりでした。そしてあなたが彼らを赦し給うよう、私が彼らを(信仰へ)呼び招く度、彼らは指を耳に入れ、服に身を隠し、(不信仰に)固執して、高慢の上にも高慢となりました」。」

 ヌーフはその主に呼びかけます:主よ、まことに私は民をあなたを信仰することへ、あなたを崇めることへ、朝夕休みなく呼びかけました。しかし私によるあなたを信じるようにとの呼びかけは、彼らのさらなる逃避と背信しか招きませんでした。あなたが彼らの罪を赦して下さるために、私が彼らをあなたを信仰することに呼びかける度、彼らはその指を耳の穴に入れて、私の呼びかけを聴くのを避けようとし、そして「服に身を隠し」、顔を覆って私を見ないようにしました。そして「固執して、高慢の上にも高慢となりました」。つまり不信仰に固執し、信仰に対して過度の高慢な態度を取ったという意味です。

 そしてヌーフはアッラーへの呼びかけを継続し、彼の民は不信仰に固執しました。それでもヌーフは民に影響を与えるようなあらゆる方法をとりました:
「「それからまことに私は彼らに声高に(信仰へ)呼び招きました。それからまことに私は(呼び招きを)公然とし、またこっそりと密かにもしました」。」

 ヌーフははっきりと聞こえるように声高にアッラーへの呼びかけを行ったことを告白します。「それからまことに私は公然とし」つまりヌーフはアッラーへの呼びかけを彼らに対して公然と行ったということです。公然と行うとは、あることを発表することであり、秘密の反対です。「またこっそりと密かにもしました」つまり彼らを密かにアッラーへと招いたということです。つまりヌーフは彼らに影響を与えるであろうと考えたさまざまな方法で彼らに呼びかけたのです。

 その最中、ヌーフは彼らに現世と来世の二つの善に興味を持たせようとしました:
「「そして、私は言いました。『おまえたちの主に赦しを乞え。まことに彼はよく赦し給う御方であらせられた。そしておまえたちの上に天(から雨)を豊かに送り(降らし)、またおまえたちに財産と子孫を増やし、おまえたちに園々をなし、おまえたちに川々をなし給う』。」
 ヌーフは彼らにアッラーへ帰って、己の罪を後悔し、主に赦しを乞うよう頼みました。もし彼らがそうすれば、アッラーは彼らの悔悟を受け入れ、どんなに多くても彼らの罪を赦し給うからです。それだけでなく、彼らの土地に豊かな雨を降らせ給い、そしてたくさんのお金と子孫を与え給い、そして実の成る木々のある園、そして彼らの農地を潤す川を作り給うてくださるのです。

 クルアーンの中には、信仰、畏敬、罪からの悔悟には糧の増大があると解説する章がいくつか存在します。至高なるアッラーは高壁章で次のように仰せです:「そして町の住民が信仰し、畏れ身を守ったならば、われらは彼らに天と地からの祝福を開いたであろうが、彼らは嘘と否定した。そこでわれらは彼らが稼いだものゆえに彼らを捕らえた」(高壁章96節)、「またおまえたちの主に赦しを乞え、そして彼の御許に悔いて戻れ、彼は(現世で)定めの期限まで良い享楽でおまえたちを楽しませ給い、それぞれ徳のある者には(来世で)彼の御恵みを与え給う」(フード章3節)

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP80~81)
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【今すぐ始められる崇拝行為】

2013年11月14日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)
【今すぐ始められる崇拝行為】

1.イスラームにおける崇拝行為とは?
→وما خلقتُ الجن والإنس إلا ليعبدون
 「ジンと人間を創ったのはわれに仕えさせるためだけである。」(51章56節)
 クルアーンの中でアッラーが明解に仰せの通り、人間が創られた第一の目的がイバーダ(=崇拝行為)。
 崇拝行為は、アッラーが御好みになり、御満足する善行、善きマナーを身に付けること、アッラーとその使徒を愛すること、回りの人たちと良い関係を気付くことなども含む。
 イブン・タイミーヤ(西暦1200年頃に生きた、シャームの学者)による、イバーダの解説:
 「イバーダとは、アッラーが御好みになり、御満足する言葉、礼拝、ザカー、断食斎戒、巡礼、正直であること、信頼を守ること、親孝行、親戚付き合いを大切にすること、約束を守ること、勧善懲悪、不信仰者と偽信者との戦い、近隣者と孤児と貧者と旅人と奴隷と家畜に良く付き合うこと、ドゥアー、ズィクル、読書などの内面的・外面的行為である。
  また、アッラーとその使徒(祝福と平安あれ)の愛、アッラーに対する畏れ、アッラーへの回帰、アッラーのために教えを守ること、アッラーの裁定に忍耐すること、アッラーの恩恵に感謝すること、アッラーのお決めになったことに満足すること、アッラーにお任せすること、アッラーの御慈悲に希望を持つこと、アッラーの罰を恐れることなどもアッラーのためのイバーダである。」

2.イバーダをする目的とは?
→モラルの確立がもたらされる。
 礼拝は、醜行と悪事からする人を遠ざける。
 ザカーは、それを行う者を清める。
 礼拝断食は、畏れの気持ちを持たせる。
 精神浄化が達成される。

3.イバーダ成立の条件:
 【1】アッラーのためだけであること。
 【2】法に適ったものであること。アッラーが禁じ給うた事でイバーダは行えない。例えば、盗んだもので貧者を助けたり、家族を養うことはできない。
 【3】アッラーが定め給うた義務の全うを邪魔しないこと。イバーダ的行為のために義務の行為を放棄することは出来ない。

4.簡単にすぐできるイバーダ:
 【1】日々続けられるもの(アッラーが御好みのことの一つ:
  (( عَنْ عَائِشَةَ أَنَّ رَسُولَ اللَّهِ صَلَّى اللَّهم عَلَيْهِ وَسَلَّمَ قَالَ سَدِّدُوا وَقَارِبُوا وَاعْلَمُوا أَنْ لَنْ يُدْخِلَ أَحَدَكُمْ عَمَلُهُ الْجَنَّةَ وَأَنَّ أَحَبَّ الْأَعْمَالِ إِلَى اللَّهِ أَدْوَمُهَا وَإِنْ قَلَّ ))
 →良き行いに慣れることで、自信が付き、さらに、アッラーと自分の関係も強くなる。

 【2】ズィクル:アッラーの御名前を唱えることと同時に、アッラーを思い起こすことを指す。
  【1】(فَاذْكُرُونِي أَذْكُرْكُمْ وَاشْكُرُوا لِي وَلا تَكْفُرُونِ)だからわれを念じなさい。そうすればわれもあなたがたに就いて考慮するであろう。われに感謝し,恩を忘れてはならない。
  【2】( يَا أَيُّهَا الَّذِينَ آمَنُوا اذْكُرُوا اللَّهَ ذِكْراً كَثِيراً )あなたがた信者よ,アッラーをつねに唱念〔ズィクル〕しなさい。
  【3】(وَالذَّاكِرِينَ اللَّهَ كَثِيراً وَالذَّاكِرَاتِ أَعَدَّ اللَّهُ لَهُمْ مَغْفِرَةً وَأَجْراً عَظِيماً)・・・アッラーを多く唱念する男と女,これらの者のために,アッラーは罪を赦し,偉大な報奨を準備なされる。
  【4】 ( ألا أنبئكم بخير أعمالكم و أزكاها عند مليككم و أرفعها في درجاتكم و خير لكم من أنفاق الذهب و الورق و خير لكم من أن تلقوا عدوكم فتضربوا أعناقهم و يضربوا أعناقكم؟ ) قالو بلى . قال : (ذكر الله تعالى)
     アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は言われた:皆さんの行いの中で、アッラーのもとでもっとも良く、もっとも清く、そして皆さんの位の中でもっとも高く、金と銀を施すよりも良く、敵と戦ってその首を切り、彼らも皆さんの首を切ることより優ることが何か知らせませんでしたか?
   皆、いいえと答えた。彼は言われた:至高なるアッラーを唱えることです。
  【5】クルアーンを読むこともズィクルである:
     (من قرأ حرفا من كتاب الله فله به حسنة , و الحسنة بعشر أمثالها , لا أقول ((الم)) حرف ولاكن ألف حرف و لام حرف و ميم حرف)
     アッラーの書から一文字読む者はそれが善行となる。善行は10倍である。アリフラームミームを一文字とは言わない。アリフで一文字、ミームで一文字、ラームで一文字なのである。
  【6】最も良いと言われるズィクルフレーズ:
     ●スブハーナッラー、アルハムドゥリッラー、ラーイラーハイッラッラー、アッラーフアクバル
     ●ラーハウラ ワラー クウワタ イッラー ビッラー
     ●アスグフィルッラー
     ●アッラーフンマ アラー サイイディナー ムハンマド

 【3】ニーヤ(意志)をアッラーに特化することで習慣がイバーダに変わる:
    例)朝ごはんを食べる→力を付けて、きちんと元気にアッラーにお仕えできるようにと食事を取ります
      掃除する→清潔を好まれるアッラーのために、自分も清潔であろう
      食事の準備→それを食べる人たちがアッラーにお仕え出来る力を付けられるような食事を作ります
      仕事に行く→他人に頼らず、また家族を養うのは男の仕事。そのアッラーより与えられた義務を全うするために仕事を頑張ります
      散歩する→アッラーに良質のイバーダを捧げられる力を付けるための運動として散歩します
      など
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預言者伝54

2013年11月07日 | 預言者伝関連
166.英知あるハーリドの指揮:
  アブドゥッラー・イブン・ラワーハの殉教後、人々はハーリドをリーダーに選びました。ハーリドは旗を手に取り、軍勢の中に突っ込んでいきました。彼は勇敢で英知のある人物で、戦術にも長けていました。戦いは続き、イスラーム軍は南方へ寄り、敵軍は北方へ引き下がっていきました。夜が更けて人々が散っていくことで、両軍ともに安全を得られたことから、戦いを続けないことに利益があると両方が考えました。

  マハムード・シート・ハッターブ少将(محمود شيت خطاب)が言った通り、撤退作戦は、軍事作戦の中でも最も困難なものの一つです。なぜなら撤退することが敗北につながる可能性があるからです。また敗北は、敗北側に莫大な損失をもたらす災難となります。しかし、ローマ勢力に与えることのできた軍事効果や、後にムスリムたちが参加する数ある戦いにおいて現れた敵に対する影響力を見れば、ムスリムたちの微々たる損失など無かったにも等しいと言えるでしょう。

  ハーリドは少ないとはいえない数の男を軍の後尾に配置し、彼らは人々が朝を迎えたときに大きな騒ぎを起こしました。そうすることで敵たちの心の中に、マディーナから援軍がやって来たとの恐れの気持ちを投げ込んだのです。ローマ軍はムスリムたちを恐れ、言いました:たったの3000人が自分らにこんなことをしでかしたのだから、彼らに数もその強さも分からない援軍などでも来たらいったいどうなるのか、と。そのためローマ軍はムスリム軍を襲うことをためらう結果となりました。このような形でアッラーは信徒たちに戦いを停止し給うたのでした。

167.不可視の知らせを得る預言者(祝福と平安あれ):
  ムスリムたちが戦っていた最中、マディーナにいたアッラーの使徒(祝福と平安あれ)はムウタの戦いで起きていることを教友たちに知らせていました。アナス・イブン・マーリクは次のように言いました:アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はザイドとジャアファルとイブン・ラワーハの死の知らせが届く前に人々に知らせました。彼は言われました:ザイドが旗を取って、殉教し、次にジャアファルがそれを取って殉教し、次にイブン・ラワーハがそれを取って殉教した、と。彼の両目からは、アッラーの刀のうちの刀(つまりハーリド)が旗を取るまで、そしてアッラーが勝利を与え給うたまで涙が溢れ続けました。

  他の伝承では彼が説教壇の上で次のように言われたとあります:《(殉教した)彼らはわれわれと共にいることを幸せに思わない》。(つまり、殉教して楽園に行けて彼らは幸せである、という意味)

168.翼を持つ飛ぶ人:
  またアッラーの使徒(祝福と平安あれ)はジャアファルに関して言われました:アッラーは彼の両手を翼に変え給い、彼はそれで楽園の中を望むままに飛ぶ、と。そのため、「飛ぶ人・ジャアファル」や「翼の主」というニックネームが付けられました。

169.預言者の愛と人間的感情:
  アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はジャアファルの妻に言われました:ジャアファルの二人の息子を連れて来てください。彼らが連れて来られると、抱き寄せてその香りをかぎました。すると彼の両目から涙が溢れました。アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はそのときにジャアファルの死を知らせを受けました。ジャアファルの親族に悲報が訪れると、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はご自身の家族に言われました:ジャアファルの家族に食事を作りなさい。彼らのもとに、彼らを忙しくさせる出来事が起きたためです、と。その時のアッラーの使徒(祝福と平安あれ)のお顔からは、悲しみが表れていました。

170.繰り返す者たちであり、逃げる者たちではない:
  イスラーム軍がマディーナ周辺に近付くと、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)と信徒たちが出迎え、子供たちも一緒に出迎えました。アッラーの使徒は人々とともに乗り物に乗っていました。彼は人々に言われました:子供たちを抱いて連れて行くように。そして私にはジャアファルの息子を連れて来てください。ジャアファルの息子、アブドゥッラーが連れて来られると彼は子供をその両手で抱きあげました。

  出迎えた人々は、戻って来たイスラーム軍に土を放り投げながら、逃げて来たのか!おまえたちはアッラーの道から逃げてきたのだ、と彼らを責めました。しかしアッラーの使徒(祝福と平安あれ)は言われました:彼らは逃げる者たちではない。至高なるアッラーが御望みであれば、彼らは繰り返す者たちである。

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P326~328)
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71章解説【1】

2013年11月01日 | ジュズ・タバーラカ解説
1.まことに、われらはヌーフを彼の民に遣わした。「おまえの民に、彼らに痛苦の懲罰が襲う前に警告せよ」、と。
2.彼は言った。「私の民よ、まことに私はおまえたちへの明白な警告者である」。
3.「おまえたちアッラーに仕え、彼を畏れ身を守り、私に従え」、と。
4.「彼はおまえたちの罪を赦し、定められた期限までおまえたちを猶予し給う。まことに、アッラーの期限は、それが訪れた時には、猶予されない。もしおまえたちが知っているならば」。

 預言者たちの物語や彼らの民とのやり取りのお話は、クルアーンが重点を置き、イスラーム宣教の反論者との議論においては手段とした重要な好影響を与える要素の一つです。また、アッラーの御満足があるだろうとの吉報や、彼に背いてはいけないとの警告や、イスラームの基幹とのそれらの目的の説明や、不信仰者たちからたくさんの危害を受けた後の預言者(祝福と平安あれ)と彼の追従者たちの心の強化のためにも利用されました。

 この章は、預言者ヌーフ(平安あれ)とその民の物語を展開します。その中から、マッカの不信仰者たちの状態とのつながりが見えてきます。ヌーフの民は偶像を崇めていて、マッカの不信仰者たちも偶像を崇拝していました。クルアーンはこの章の中で、ヌーフの民による背信へのしがみ付きを原因に起こる迎える厳しい結末を解明します。その中には、不信仰にしがみ続け、ムハンマド(祝福と平安あれ)のメッセージに呼応しないとヌーフ(平安あれ)の民が受けたような罰がおまえたちにもおこるぞ、とのマッカの不信仰者たちに対する警告があります。

 アッラーはまず、章の冒頭で次のように仰せになります:
 「まことに、われらはヌーフを彼の民に遣わした。「おまえの民に、彼らに痛苦の懲罰が襲う前に警告せよ」、と。彼は言った。「私の民よ、まことに私はおまえたちへの明白な警告者である」。」

 アッラーはヌーフを、偶像を崇めていた彼の民に送り給いました。そして彼に仰せになりました:おまえの民を警告し、彼らの不信仰は良い結末を呼ばないと怖がらせなさい。アッラーから厳しく痛い罰が彼らを襲う前に。そしてヌーフはその民に言いました:私は、皆さんの背信と背徳を警告するためにアッラーから皆さんに遣わされた者。私は既に明解な警告を皆さんに知らせた。

 ヌーフ(平安あれ)の呼びかけの内容ははっきりしており、そこには人間の幸福が込められていました:

 「「おまえたちアッラーに仕え、彼を畏れ身を守り、私に従え」、と。」

 ヌーフの宣教は3部から成り立っています:

 第一:アッラー御ひとりのみを崇め、偶像崇拝を放棄すること。この崇拝は、人々の心を一つにします。崇拝において人々は皆、ひとりの神に向かいます。崇拝の統一には、列の統一が成されます。そして人々を、偶像崇拝の原因となった迷信や思い込みや伝説から解放し、彼らをまっすぐの道に道いてくれます。アッラー御ひとりこそが、真なる崇められるべき御方なのです。

 第二:アッラーへの恐れの心。それは、アッラーに対する恐れから、魂を守ります。アッラーは諸々の罪を禁じ給いましたが、なぜならそれは人々の健康や道徳心を汚し、社会を軟弱にするためです。

 第三:アッラーの使徒(祝福と平安あれ)に服従すること。それは、アッラーの聖法の追従を含みます。なぜならアッラーの使徒はアッラーから聖法を直接、啓示を介して受け取り、ご自身の民にそれを伝え、それに従うよう命じるからです。

 これら3つの柱は、過去の使徒たちが呼びかけた基幹と重なります。そしてヌーフはその民に、それらを行えばアッラーの赦しを得られ、罰から救われると約束しました:

 「「彼はおまえたちの罪を赦し、定められた期限までおまえたちを猶予し給う。まことに、アッラーの期限は、それが訪れた時には、猶予されない。もしおまえたちが知っているならば」。」

 「おまえたちの罪」は、おまえたちの罪の一部、を意味します。つまり信仰する前に犯した罪です。「定められた期限までおまえたちを猶予し給う」つまり、この現世において、アッラーのみが知る定められた期間までおまえたちに猶予を与え、楽しませ給うということです。アッラーこそはおまえたちの寿命を定め給うた御方であるため、罰でおまえたちを滅ぼすことはない、という意味です。「まことに、アッラーの期限は、それが訪れた時には、猶予されない」つまり、アッラーが被造物に定め給うた寿命は期限があるため、増えることも減ることもない。期限という言葉がアッラーに接続されたのは、彼こそがそれを定め、記し給うたからです。「もしおまえたちが知っているならば」おまえたちがその真実を知っていたなら、急いで主の服従に走っただろうに、という意味です。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP78~80)
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