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74章解説【5】

2013年05月30日 | ジュズ・タバーラカ解説
49.それで彼らはどうしたというのか、訓戒から背を向けるとは。
50.彼らはまるで驚いてどっと逃げ出したロバたちのようであった、
51.ライオンから逃げ出した(ロバたちのようであった)。
52.いや、彼らの誰もが開かれた書簡が自らにもたらされることを望む。
53.断じて(そんなことはありえない)、いや彼らは来世を恐れない。
54.断じて、まことに、それ(クルアーン)は訓戒である。
55.それゆえ、望んだ者はそれ(クルアーン)を心に留めた。
56.だが、アッラーが望み給うということがなければ、彼らは心に留めない。彼は畏怖にふさわしく、赦しにふさわしい御方。
  続いてアッラーは、導きに誘おうとした人間から逃げた集団について軽蔑して描写します:
  「それで彼らはどうしたというのか、訓戒から背を向けるとは。彼らはまるで驚いてどっと逃げ出したロバたちのようであった、ライオンから逃げ出した(ロバたちのようであった)。」
  ここでクルアーンは自問します:多神教徒たちはどうしたことだろう。「訓戒から背を向けるとは」つまり彼らに向けられた、このクルアーンを使ったアッラーの訓戒に背を向けている。彼らはそれに耳を傾けて益を受けようとしないということです。「彼らはまるでロバたちのようであった」野生のロバを指します。「驚いてどっと逃げ出した」恐怖のために逃げ出しています。彼らは「ライオン」から逃げました。ライオンを追う狩人たちを指すともいわれます。
  続いてクルアーンは、預言者(祝福と平安あれ)に嫉妬心を抱く者たちの心理状態を描写します:
  「いや、彼らの誰もが開かれた書簡が自らにもたらされることを望む。断じて(そんなことはありえない)、いや彼らは来世を恐れない。」
  クルアーンは、アッラーが御選びになり、そして彼だけに啓示を授け給うた預言者(祝福と平安あれ)に対する嫉妬を明らかします。また彼らの一人ひとりがこの位を渇望していること、そして一人ひとりが自分だけの特別の開かれた書簡が与えられ目の前で開かれることを望んでいることも明らかにします。「断じて(そんなことはありえない)」つまり無益な望みなど捨てるよう、との意味です。「いや彼らは来世を恐れない。」彼らの来世を恐れない態度と、再生と清算に対する否定こそが彼らを腐敗させ、クルアーンによって訓戒を得ることから背を向けさせたのです。なぜなら彼らが来世を恐れたであれば心は改悛し修正されたはずだからです。
  続いてアッラーは次の御言葉で章を締めくくり給います:
  「断じて、まことに、それ(クルアーン)は訓戒である。それゆえ、望んだ者はそれ(クルアーン)を心に留めた。だが、アッラーが望み給うということがなければ、彼らは心に留めない。彼は畏怖にふさわしく、赦しにふさわしい御方。」
  「断じて」つまり来世を甘く見る態度を改めよという意味です。「まことに、それ(クルアーン)は訓戒である」まことにクルアーンは何を信じ、行わなければならないのかを彼らに思い出させる。「それゆえ、望んだ者はそれ(クルアーン)を心に留めた」それより訓戒を得、その中に書かれたアッラーの命令と禁止を実践した。「だが、彼らは心に留めない。」彼らはこのクルアーンから訓戒を得たり益を得ない。「アッラーが望み給うということがなければ」存在するものすべてはアッラーの御望みという存在すべての天命を征服しているものに帰る。私たち人間はその一部でも知ることはありませんが、命令や禁止といったアッラーが私たちに何を望み給うているかは知ることができます。至高なる彼こそは「畏怖にふさわしく」つまり畏れられ、彼の罰が怖いものだと認識されるに値する存在であるということです。それなのになぜ彼を恐れないのか、人々よ!また彼は:「赦しにふさわしい御方」なぜなら彼は彼を畏れ彼の導きに従った者を赦し給うからです。それなのになぜお前たちは主に帰らず(悔悟せず)、自分たちが犯した罪に対する赦しを彼に求めないのか。
  (参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP130~131)
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