イスラーム勉強会ブログ

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美しいクルアーン読誦…

2010年06月30日 | 心に響くアーヤ
涙もの!この女の子はマウフーバです。アッラーの御言葉を聞く者の心に沁み込ませる読み方を与えられたのでしょう。マーシャーアッラー。アッラーが彼女を守り給い、彼女を指導した親御さんに祝福を賜いますように。

Amazing Quran Recitation By a Little Girl (Convert)


識別(25)章61節~77節

天に諸星座を配置し,その間に太陽と照らす月を置かれた御方に,祝福あれ。 (61)

かれこそは,反省し,感謝しようとする者のために夜と昼を設け,交替させた方である。 (62)

慈悲深き御方のしもべたちは,謙虚に地上を歩く者,また無知の徒(多神教徒)が話しかけても,「平安あれ。」と(挨拶して)言う者である。 (63)

また主の御前にサジダ(または)起立して,夜を過す者。 (64)

また,「主よ,地獄の懲罰をわたしたちから追払って下さい。本当にあの懲罰は,苦しみの極みです。 (65)

本当にそれは悪い住まいであり,悪い休み所です。」と言う者である。 (66)

また(財貨を)使う際に浪費しない者,また吝嗇でもなく,よくその中間を保つ者。 (67)

アッラーとならべて,外のどんな神にも祈らない者,正当な理由がない限り,アッラーが禁じられた殺生を犯すことなく,また姦婬しない者で
ある。だが凡そそんなことをする者は,懲罰される。 (68)

復活の日には懲罰は(罪に応じ)倍加され,その(地獄で)屈辱の中に永遠に住むであろう。 (69)

悔悟して信仰し,善行に励む者は別である。アッラーはこれらの者の,いろいろな非行を変えて善行にされる。アッラーは寛容にして慈悲深くあられる。 (70)

悔悟して善行に勤しむ者は,本気でアッラーに悔いている者である。 (71)

嘘の証言をしない者,また無駄話をしている側を通る時も自重して通り過ぎる者。 (72)

また話題が主の印に及べば聾(唖)者か盲人であるかのように,戯らに知らないふりをしない者。 (73)

そして,「主よ,心の慰めとなる妻と子孫をわたしたちに与え,主を畏れる者の模範にして下さい。」と(祈って)言う者。 (74)

これらの者は,その耐え忍んだことにより高い階位の住まいをもって(楽園の中に)報われよう。またそこで歓迎と挨拶の言葉をもって迎えられよう。 (75)

そこに永遠に住むのである。何とよい住まい,何とよい休み所であることよ。 (76)

(不信者に)言ってやるがいい。「あなたがたがわたしの主に祈らないなら,かれはあなたがたを,構って下さらないであろう。あなたがたは
本当に(主を)嘘つき呼ばわりしたが,やがて免れられない(懲罰が)下るであろう。」 (77)
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現世をたとえてみると

2009年03月02日 | 心に響くアーヤ

اعْلَمُوا أَنَّمَا الْحَيَاةُ الدُّنْيَا لَعِبٌ وَلَهْوٌ وَزِينَةٌ وَتَفَاخُرٌ بَيْنَكُمْ وَتَكَاثُرٌ فِي الْأَمْوَالِ وَالْأَوْلَادِ كَمَثَلِ غَيْثٍ أَعْجَبَ الْكُفَّارَ نَبَاتُهُ ثُمَّ يَهِيجُ فَتَرَاهُ مُصْفَرًّا ثُمَّ يَكُونُ حُطَامًا وَفِي الْآخِرَةِ عَذَابٌ شَدِيدٌ وَمَغْفِرَةٌ مِّنَ اللَّهِ وَرِضْوَانٌ وَمَا الْحَيَاةُ الدُّنْيَا إِلَّا مَتَاعُ الْغُرُورِ

 あなたがたの現世の生活は遊び戯れに過ぎず、また虚飾と、たがいの間の誇示であり、財産と子女の張り合いに過ぎないことを知れ。(現世の生活を)例えれば慈雨のようなもので、(作物は)生長して不信心者(農夫)を喜ばせる。やがてそれは枯れて黄色に変り、次いで粉々になり果てるのをあなたがたは見るであろう。だが来世においては(不義の徒に)厳しい懲罰があり、また(正義の徒には)アッラーから寛容と善賞を授かろう。本当に現世の生活は、虚しい欺瞞の享楽に過ぎない。

(57/20)

コメント (1)

感謝

2009年01月29日 | 心に響くアーヤ

アッラーに感謝すること=かれの御意志に沿う行いをすること

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رَبِّ أَوْزِعْنِي أَنْ أَشْكُرَ نِعْمَتَكَ الَّتِي أَنْعَمْتَ عَلَيَّ وَعَلَى وَالِدَيَّ وَأَنْ أَعْمَلَ صَالِحًا تَرْضَاهُ وَأَصْلِحْ لِي فِي ذُرِّيَّتِي إِنِّي تُبْتُ إِلَيْكَ وَإِنِّي مِنَ الْمُسْلِمِينَ

「主よ、わたしと両親に対して、あなたが御恵み下された恩恵に感謝させて下さい。またあなたの御喜びにあずかるよう、わたしが、善行に勤しむようにして下さい。また子孫も、幸福にして下さい。わたしは悔悟してあなたの御許に帰ります。本当にわたしは、服従、帰依する者です。」

砂丘章15節

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本当に、すべての善行は、アッラーの恩恵により完遂されます。
私たちの感謝の気持ちも、アッラーが御望みにならなければ、生まれることはないのです。
「ドゥアーは、イバーダの髄」というハディースが意味するところを
心新たに実践したい今日この頃です・・・

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行い損ではないですか?もしかして。

2009年01月23日 | 心に響くアーヤ

قُلْ هَلْ نُنَبِّئُكُمْ بِالْأَخْسَرِينَ أَعْمَالًا
الَّذِينَ ضَلَّ سَعْيُهُمْ فِي الْحَيَاةِ الدُّنْيَا وَهُمْ يَحْسَبُونَ أَنَّهُمْ يُحْسِنُونَ صُنْعًا
أُولَئِكَ الَّذِينَ كَفَرُوا بِآيَاتِ رَبِّهِمْ وَلِقَائِهِ فَحَبِطَتْ أَعْمَالُهُمْ فَلَا نُقِيمُ لَهُمْ يَوْمَ الْقِيَامَةِ وَزْنًا
洞窟章103~105節

言ってやるがいい。「誰が行いにおいて最大の失敗者であるか、告げようか。」
つまり自分では善いことをしていると、かれらは考えているが、現世の生活においての努力が、凡て間違った道に行ってしまうような者たちである。
これらの者は、主の印、また主との会見を信じない者たちで、かれらの行いは無駄になり、われは審判の日にかれらにどんな目方も与えないであろう。

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☆「アッラーのため」とニーヤされたすべての行い→善行なので報酬をいただける。睡眠、食事、笑顔、外出、勉強、なぁんでもOK。歯を磨くときでさえ、「イバーダに耐える力作りのための食事をするために必要な歯を美しく磨き上げます」というニーヤを持てば歯磨きはイバーダ(崇拝行為)に早変わり!

☆「アッラーのため」とニーヤされず、ハラールでもハラームでもない行い→報酬も罰もない。つまり、なんとなく食べて、寝て、しゃべったらただそれだけということ。

☆「アッラーのため」ではなく、悪意を持った行い→言うまでもなく罪。表向き善行でも中身が悪いと悪行。(偽信仰だともっとヤバイ。)タウバ(悔悟)するまで現世と来世で懲罰を受ける可能性がある。

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アーヤにある、「自分ではいい事をしていると思っているが、実は最高の失敗者」、怖いですね。でも信仰があればとりあえず大丈夫そうです。(後に続いているアーヤを参照。)

私はもともとクリスチャンだったの。世の中に起こるたくさんの不幸で不公平な出来事を見るたびに、神様のことを疑ったわ。神様は慈悲と愛に溢れているはずなのに、どうして世の中はその逆のことばかりなのか、と。どうして悪人を残し給い、善人を召し給うのか、と。こう思っているうちに、無神論者になったわ・・・という某フランス人マダムたち。
彼女はこの世を楽しく、幸せに生きていきたいそうだ。そして、ヘルシーに。
いいですね。

私は彼女にこう言いたい(注意:言ってないし、言う機会ないです。):
現世はダール・ル・イブティラーゥ、ダール・ル・タクリーフ。つまり、試練の場、負責任の場。私たちは楽しく生活して死んで無になるためだけに創られてきてない。この世で苦難を受けるのは、試されるために創造された存在として当たり前のこと。これをどう美しく、罪なく乗り越えられるかを創造主は御覧になっている。だからどんなに苦しく辛いことが自分自身や周りに起こっても、それは試練であるから、忍耐が必要なら我慢し、解決を要するならそれに努めることが大切。もちろん、苦しむだけが私たち被造物の運命じゃない。創造主の御意志に沿おうとすることで、自己の全体的幸福が達成される。苦難を乗り越えることでも、創造主の試練に耐えたということで幸せを感じられるだろう。マダムのように、目の前の不幸のためにさらに不幸を感じて信仰を捨てて何の解決になるのか。結局、最後には最初に信じていた創造主の許へ召されるんですよ、マダム。

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そこの君、清浄ぶらない

2009年01月16日 | 心に響くアーヤ

هُوَ أَعْلَمُ بِكُمْ إِذْ أَنشَأَكُم مِّنَ الْأَرْضِ وَإِذْ أَنتُمْ أَجِنَّةٌ فِي بُطُونِ أُمَّهَاتِكُمْ فَلَا تُزَكُّوا أَنفُسَكُمْ هُوَ أَعْلَمُ بِمَنِ اتَّقَى

かれは大地から創り出された時のあなたがたに就いて、また、あなたがたが母の胎内に潜んでいた時のあなたがたに就いて、最もよく知っておられる。だから、あなたがたは自分で清浄ぶってはならない。かれは主を畏れる者を最もよく知っておられる。

星章32節(53/32)

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「清浄ぶるな」・・・読むとたまにドキッとさせられる御言葉。
自分はいい子だと思い込むな、自分が偉いと思うな、いい気になるな、そんな感じ。
アッラーが私たちを御創りになり、子宮に留まっている頃の私たちの存在全てを熟知される御方なのだから、
かれのみが、誰の信仰が一番篤いのかを御存知であるのはあたりまえだろう。
創られた側である私や他の人が見抜けることではない。
自分の信仰の質を自分で判断
出来ないことくらい、少し考えれば誰でも気付くはずだ。
だから、
清浄ぶっている人が、一番の身の程知らずの者だといえると思う。

コメント (4)

険しい道をとらない人間

2009年01月06日 | 心に響くアーヤ

あなたの人生の目的は何ですか。
楽しいこと、美味しいもの、美しい伴侶、楽な生活を求めることですか。
人生にはもっと深い意味があると思いませんか。
アッラーは、人間は険しい道を選びたがらないと仰っています。
その道を選んだ方が、人間のためになるのに、です。

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أَلَمْ نَجْعَل لَّهُ عَيْنَيْنِ
وَلِسَانًا وَشَفَتَيْنِ
وَهَدَيْنَاهُ النَّجْدَيْنِ
فَلَا اقْتَحَمَ الْعَقَبَةَ
وَمَا أَدْرَاكَ مَا الْعَقَبَةُ
فَكُّ رَقَبَةٍ
أَوْ إِطْعَامٌ فِي يَوْمٍ ذِي مَسْغَبَةٍ
يَتِيمًا ذَا مَقْرَبَةٍ
أَوْ مِسْكِينًا ذَا مَتْرَبَةٍ
ثُمَّ كَانَ مِنَ الَّذِينَ آمَنُوا وَتَوَاصَوْا بِالصَّبْرِ وَتَوَاصَوْا بِالْمَرْحَمَةِ
أُوْلَئِكَ أَصْحَابُ الْمَيْمَنَةِ
وَالَّذِينَ كَفَرُوا بِآيَاتِنَا هُمْ أَصْحَابُ الْمَشْأَمَةِ
عَلَيْهِمْ نَارٌ مُّؤْصَدَةٌ

われは、彼(人間)のために両目を創ったではないか
また一つの舌と二つの唇を
更に二つの道をかれに示した
だが彼は、険しい道を取ろうとはしない
険しい道が何であるかを、あなたに理解させるものは何か
(それは)奴隷を解放し
または飢餓の日には食物を出して
近い縁者の孤児をまたは酷く哀れな貧者を(養うこと)
それから信仰する者になって忍耐のために励ましあい、互いに親切、温情を尽しあう(ことである)
これらは右手の仲間である
だがわが印を拒否する者
かれらは左手の仲間である
かれらの上には、業火が覆い被さるであろう

町章8-20節

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人間は自分の目、口などが創造主によって創られたことを忘れているか、気づいていない。「忘れること」は人間の欠点の一つであるし、一旦知ったのちの忘却なのでましだが、「気づいていない」のは愚かではないのか。
体の各器官の巧妙なつくりが現代になって解き明かされているにもかかわらず、それらの創り主に想いをはせることがないとは。
アッラーは人間に二つの道を示してくださった。
楽な道、困難な道。
善良なる道、悪質な道・・・など。
両者は対極的。
この「町章」では、困難な道について語られている。
人間は楽な道を追求しがちで、反対の困難な道を避け、選ぼうとしない。
その例も述べられている。
(今は存在しない)奴隷の解放、貧者への食事提供。
奴隷解放にはそれなりの財力が必要であるし、貧者への食事提供も同じく財力が必要だ。そして慈悲の心も。
善行は常に楽に成し遂げられるものではなく、何かしら困難さや苦しみ、障害が生じるものであることを思い出させてくれる。
そして、困難を乗り越えることで人間が成長できることは長い人間の歴史が証明していることだろう。

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魂が抜けるとき、ただ見守るだけなのか

2009年01月01日 | 心に響くアーヤ

出来事章(ワーキア、56章)は私の大好きな章の一つ。
↓の部分で泣けます。

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أَفَبِهَذَا الْحَدِيثِ أَنتُم مُّدْهِنُونَ
وَتَجْعَلُونَ رِزْقَكُمْ أَنَّكُمْ تُكَذِّبُونَ
فَلَوْلَا إِذَا بَلَغَتِ الْحُلْقُومَ
وَأَنتُمْ حِينَئِذٍ تَنظُرُونَ
وَنَحْنُ أَقْرَبُ إِلَيْهِ مِنكُمْ وَلَكِن لَّا تُبْصِرُونَ
فَلَوْلَا إِن كُنتُمْ غَيْرَ مَدِينِينَ
تَرْجِعُونَهَا إِن كُنتُمْ صَادِقِينَ

これは、あなたがたが軽んじるような教えであろうか。
またあなたがたは(それを)虚偽であると申し立て、あなたがたの暮らしを立てるか。それならあなたがたは、(臨終の人の魂が)喉もとを塞ぐ時、
見守るばかりなのか。
われはあなたがたよりもかれに近いのである。だがあなたがたには見えはしない。
あなたがたがもし(来世の)報いを除外されているというのなら、あなたがたは何故、
その(魂)を(体内に)呼び戻さないのか。もしあなたがたが、真実(を語っているの)ならば。

81-87節

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クルアーンを開いて・・・・・・・・・・・
じっくり、じっくり、読んでみて。
分かりにくい表現は置いておいて、理解できる部分を吟味してみて。
たくさんのつじつまの合う話があるでしょう。
なのに、信じられない?
これが創造主から人間へのメッセージであることを。
一度信仰して、裏切られる?
いつ死が襲ってくるか分からないのに。

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無存在の期間があったことを思い出せ

2008年12月28日 | 心に響くアーヤ

人間(76)章は、私の好きな章の一つで、ミシャーリー氏の読み(←は私の好きな古い読み。検索すると新しい読みの方がたくさん引っかかる。)を手本に昔、留学時代に暗記したことがあります(が、今読めと言われたらおそらくムリです)。
各アーヤが全てファトゥハタイン(マッドイワドの法則適用のためアーという音になる)で終わり、神秘的です。信者が備えるべき性質、報酬の内容、天国の美しい描写などが登場します。
章全部が好きですが、今回は最初の3アーヤを解説を交えてご紹介します。残りはインシャーアッラー、時間とやる気があれば載せます。

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بِسْمِ اللهِ الرَّحْمنِ الرَّحِيمِ
هَلْ أَتَى عَلَى الْإِنسَانِ حِينٌ مِّنَ الدَّهْرِ لَمْ يَكُن شَيْئًا مَّذْكُورًا
إِنَّا خَلَقْنَا الْإِنسَانَ مِن نُّطْفَةٍ أَمْشَاجٍ نَّبْتَلِيهِ فَجَعَلْنَاهُ سَمِيعًا بَصِيرًا 
إِنَّا هَدَيْنَاهُ السَّبِيلَ إِمَّا شَاكِرًا وَإِمَّا كَفُورًا
 

【1節意訳】:人間には、なにものとも呼べない、長い時期があったではないか。

【2節意訳】:本当にわれはかれを試みるため混合した一滴の精液から人間を創った。それでわれは聴覚と視覚をかれに授けた。

【3節意訳】:われは、人間に(正しい)道を示した。感謝する者(信じる者)になるか、信じない者になるか、と。

人間章1-3節

【1節解説】:このアーヤは私たちに人間の元の姿を思い出させてくれます。実際、人間は気づかれることなく、また忘却され、理解されない存在で、無の中にあり、人間を創ろうとする御方以外知ることのない卑しい液体でした。そしてまだ無の状態にある人間には長い時間が流れました。その後、アッラーは人間を創り給いました。

【2節解説】:われの力でこの人間を卑しい液体(つまり精液)から創造した、という意味です。それは女性の液体(卵子)と混ざります。これらが結合することで、驚くべき創造物が出来上がります。イブン・アッバースによると:「アムシャージュأمشاج」とは、混合物であり、男性液体と女性液体が一緒になり混合することである。一定期間が過ぎる度にその状態は変化する、とのことです。
「試みるためنبتليه」:アッラーは人間を宗教儀礼などで試し給い、感謝する者になるか、それとも忘恩者になるか、まっすぐ歩むのか、それとも道を踏み外し、迷うのかを見極め給います。
アッラーは人間を試み給うために、人間に考える力と区別する能力を授け給いました。人間はアッラーからのメッセージを、見、聞き、創造主の存在を確かめます。聴覚と視覚は、理解と区別のための能力なのです。

【3節解説】:われは人間に導きの道と迷いの道と明解にし、知るようにした、ということです。人間は組み立てられ、外的と内的感覚を与えられた後に、二つの道を示され、選択の余地を与えられます。この後、人間は感謝するのか、それとも忘恩になるのか見極められます。感謝する者とは、信仰し、アッラーの恩恵に感謝し、善い道を歩く者のことを言います。逆は、不幸で破廉恥で、アッラーの恩恵を忘れ、悪いを歩く者です。
(アッ=サーブーニーの解説書を参考にしました。)

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確かに、私は、50年前には存在していなかった。私が「存在」を意思したわけでも、希望したわけでもない。ということは、私は存在させられたということ。現状を見ると、存在させられたと言うより、存在させてもらったと言った方が妥当かなぁ。だって、楽しいことがたくさんあるから。
私が「存在させられた」と理解するなら、「存在させた側」は私に何かを求めていると思うし、
「存在させてもらった」と理解するなら、「存在させた側」に何かお返ししたい気分である。
でもどうすればいいのか、分からない。

それをアッラーは示してくださった。

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放って置かれると考えるのか

2008年12月24日 | 心に響くアーヤ

أَحَسِبَ النَّاسُ أَن يُتْرَكُوا أَن يَقُولُوا آمَنَّا وَهُمْ لَا يُفْتَنُونَ
وَلَقَدْ فَتَنَّا الَّذِينَ مِن قَبْلِهِمْ فَلَيَعْلَمَنَّ اللَّهُ الَّذِينَ صَدَقُوا وَلَيَعْلَمَنَّ الْكَاذِبِينَ
人びとは、「わたしたちは信じます。」と言いさえすれば、試みられることはなく、放って置かれると考えるのか。
本当にわれは、かれら以前の者も試みている。アッラーは、誠実な者を必ず知り、また虚言の徒をも必ず知っておられる。

蜘蛛章2-3節

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真の信仰者と偽信者を区別するため、アッラーは信仰者をさまざまな方法で試されます。それは災難であったり、恩恵であったりします。

この節が下った背景(アラビア語で、サブブ アル=ヌズールسبب النزولといいます):マッカで迫害されていたアンマール・ブン・ヤースィルのような信者たちを対象にこの節が下ったと言われています(イブン・ジャズィー)。不信仰のクライシュ族はイスラームに帰依する人たちを傷つけ、迫害していました。信者たちはそのために胸を苦しめましたが、アッラーがこの節を下すことで彼らに慰めの意を表し給いました。またアッラーは節の中で彼らを戒め給い、起こっていることはすべて、迫害に対する忍耐を培うため、またイーマーン(信仰)にしっかりとしがみつくための試練であることを知らせ給いました。そして、不信仰者を信者に襲わせるのはアッラーの慣行の一つであり、それによってアッラーは信者を御赦しになることも知らせ給いました。これで嘘つきの信仰心が暴かれるのです。(アッ=サーブーニーの解説書より)

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アッラーがあなたに良くしてくださったように、あなたも善行をしなさい。

2008年12月22日 | 心に響くアーヤ

وَابْتَغِ فِيمَا آتَاكَ اللَّهُ الدَّارَ الْآخِرَةَ وَلَا تَنسَ نَصِيبَكَ مِنَ الدُّنْيَا وَأَحْسِن كَمَا أَحْسَنَ اللَّهُ إِلَيْكَ وَلَا تَبْغِ الْفَسَادَ فِي الْأَرْضِ إِنَّ اللَّهَ لَا يُحِبُّ الْمُفْسِدِينَ

アッラーがあなたに与えられたもので、来世の住まいを請い求め、この世におけるあなたの(務むべき)部分を忘れてはなりません。そしてアッラーがあなたに善いものを与えられているように、あなたも善行をなし、地上において悪事に励んではなりません。本当にアッラーは悪事を行う者を御好みになりません。
物語章77節

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この世におけるあなたが務めるべき部分を忘れてはいけない・・・来世だけのために現世を禁欲的に過ごすのではなく、アッラーに与えられた良いものを現世でもありがたく頂戴し、楽しめ、ということです。
良いものを与えられたのであるから、善行というかたちで感謝の気持ちを表すのが妥当でしょう。もちろん、アッラーの恩恵に相応する感謝を被造物である私たち人間が表すことなど不可能ですが、「感謝しようとする態度」が重要なのだと思います。
では、具体的な「感謝」の表し方とは?
それは、アッラーにお仕えすることです。つまり、アッラーが定められた法に則ることです。
もう一つ大切な点。アッラーは自足される御方なので、決して私たちのかれに対する感謝を必要とされません。かれからの恩恵に気づくことは、私たちがかれにお仕えすることを促すきっかけであると思います。
「أحسن كما أحسن الله إليك」
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「アッラーがあなたに良くしてくださったように、あなたも善行をしなさい。」
これは、私が留学していた頃、よく行っていたマスジドでサダカ(施し)を募る人が大きな声で言っていた言葉です。懐かしいですね。とても好きな言葉の一つです。

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