イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

バレル法

2011年10月28日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)

信仰しているし、意志もあるのに、どうして幸福を得られないのか?との疑問に関しての、マイブログ記事です♪

こちらをクリックして読んでください。

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ズ・ル・ヒッジャ月最初の10日間の徳♪

2011年10月26日 | その他

☆彡《この日々(ズ・ル・ヒッジャ月の最初の10日間)に行われる善行よりもアッラーが好まれるものはない。》(アル=ブハーリー)☆彡

アッサラームアライクム

グッと肌寒くなりましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

さて、今年もハッジ(巡礼)の季節がやってきました!
ハッジに行かれる方はそろそろ出発のころかと思います。
出国から帰国までの間、アッラーが護ってくださいますように!
そして彼らの善行を嘉納し、本望である全ての罪の赦しを叶えてくださりますように!

ハッジに行けない、行かないあなたにも実は人生最大のチャンスがありますよ(^_-)-☆
なんと、インシャーアッラー、明日27日夜から始まるズ・ル・ヒッジャ月最初の10日間にはすごく徳があるのです。
冒頭のハディース、目に入りましたか?!
これを機に、ラマダーン中に経験した希望と幸福に満ちた感動を取り戻しませんか?
報奨を祈りながら、ぜひとも善行に励もうではありませんか!

有意義に過ごすためのコツは、事前に計画を立ておくことです。
限られた時間内で、何が出来るか考えてみて、無理のない計画をぜひ今夜のうちに立ててみてください。
礼拝、斎戒、サダカ、クルアーン読誦など・・・いろいろありますよ♪

詳細については、以下リンク先にありますのでご参照ください。


では皆さんにとって素敵な10日間になりますように♪
(御知らせが遅くなってしまいすみませんでした)

ワッサラームアライクム

伊曼

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83章解説【2】

2011年10月25日 | ジュズ・アンマ解説

بسم الله الرحمن الرحيم
18.断じて、敬虔な者たちの書(行状簿)はイッリーユーンの中にある。
19.そして何がイッリーユーンであるかを、何がおまえに分からせたか。
20.(それは)書き記された書である。
21.側近(天使)たちがそれに立ち会う。
22.まことに、敬虔な者たちは至福の中にいる。
23.彼らは寝台の上で眺める。
24.おまえは彼らの顔に至福の輝きを認める。
25.彼らは封印された清酒を注がれる。
26.その封印は麝香である。そして(それを)競って求める者たちは、それを競って求めるが良い。
27.そしてその(清酒)の混ぜものはタスニームから。
28.(タスニームとは)側近の者たちがそれで(そこから)飲む泉を(意味する)。
29.罪を犯した者たちは信仰する者たちを嘲笑していた。
30.そして彼ら(罪人)が彼ら(信仰者)の側を通りかかると、互いに(嘲笑して)目配せし、
31.そして己の家族の許に帰って来た時には、上機嫌で帰って来た。
32.また、彼らを見かけると、「それらの者はまさに迷った者だ」と言った。
33.だが、彼ら(不信仰者)は彼ら(信仰者)に対し監視者として送られたのではなかった。
34.それで今日、信仰した者たちは不信仰者たちを笑う。
35.寝台の上から眺めながら、
36.不信仰者たちは彼らがなしていたことを償われたであろうか。

 かの罪人たちが受ける罰の横で、敬虔な者たちの来世での行き場所をアッラーは解明し給います:
 「断じて、敬虔な者たちの書(行状簿)はイッリーユーンの中にある。そして何がイッリーユーンであるかを、何がおまえに分からせたか。(それは)書き記された書である。側近(天使)たちがそれに立ち会う。」

 断じて:つまり、報復の日の到来を嘘であるとする者たちは、恐れるがいい。そして「敬虔な者たち」がアッラーに従い、あらゆる善を行う人たちであることを知るがいい、という意味があります。彼らの行為は書に書き留められていて、その書は「イッリーユーン」の中にあります。つまり、天のアッラーの許にあります。「イッリーユーン」という言葉は、幸福と高さと地位の向上を連想させ、「スィッジーン」は、狭さと暗さを連想させます。「そして何がイッリーユーンであるかを、何がおまえに分からせたか。」それは、人間の知識と理解の範囲外にあります。「(それは)書き記された書である。」その中には、敬虔な者たちが審判の日には安全と天国という勝利が与えられることが書かれています。「側近(天使)たちがそれに立ち会う。」書に記された敬虔な者たちの行為などの内容を、アッラーの天使が証言し、護ります。

 続いてアッラーは、敬虔な者たちが楽しむ来世における至福を解明し給います:
 「まことに、敬虔な者たちは至福の中にいる。彼らは寝台の上で眺める。おまえは彼らの顔に至福の輝きを認める。彼らは封印された清酒を注がれる。その封印は麝香である。そして(それを)競って求める者たちは、それを競って求めるが良い。そしてその(清酒)の混ぜものはタスニームから。(タスニームとは)側近の者たちがそれで(そこから)飲む泉を(意味する)。」

 敬虔な者たちは、人間が地球上で知り得た全ての至福を超える終わりのない至福の中にいます。彼らは上質の寝床に座り、その場所から、アッラーが彼らに準備し給うた尊い贈り物を眺めるのです。また至福、喜びが彼らの顔に現われます。彼らは天国の、酔わせることはなく、飲みたいときにだけ封が開く酒を飲みます。その酒の封印は麝香、つまりこの酒から芳香が放たれているということです。「そして(それを)競って求める者たちは、それを競って求めるが良い。」競争は元来、誰もが欲しがる貴重なものを得るために、相手を負かすことを指します。この節が指すのは、競争は、いつか消えてしまう現世の欲を追うためでなく、来世の恒久な至福を得るためにあるべきだいうことです。アッラーへの信仰と善行に基づいた、来世に関連することを求める競争は、大地を改善し、発展させます。代わって、現世的な事柄における競争は、相違と崩壊を招きます。

 「そしてその(清酒)の混ぜものはタスニームから。」つまり、天国の酒は、天国の民が飲む飲み物の中でもっとも尊いものでもある、上等の湧水「タスニーム」が混ぜられます。タスニームは高位という意味を持ちます。「(タスニームとは)側近の者たちがそれで(そこから)飲む泉を(意味する)。」つまり、それは天国にある泉で、アッラーの許で恩恵を享受した側近者たちがそこから飲みます。

 続けてアッラーは、敬虔な者たちが罪人たちから受けていた現世での害を解明し給います:
 「罪を犯した者たちは信仰する者たちを嘲笑していた。そして彼ら(罪人)が彼ら(信仰者)の側を通りかかると、互いに(嘲笑して)目配せし、そして己の家族の許に帰って来た時には、上機嫌で帰って来た。また、彼らを見かけると、「それらの者はまさに迷った者だ」と言った。だが、彼ら(不信仰者)は彼ら(信仰者)に対し監視者として送られたのではなかった。」

 罪人たちは、信者たちを嘲笑の的にしていました。彼らが信者の側を通るとき、仲間同士で目配せし合い、それは彼らの行儀の悪さを表していました。そして自分たちの家族の許に帰ると、「上機嫌で帰って来た」。信仰の民になした馬鹿にする行為に喜びながら、嬉しい気持ちで帰っていくのでした。また信仰者を見る度に、指で指し、彼らは迷っているのだと頑なに言い続けました。「だが、彼ら(不信仰者)は彼ら(信仰者)に対し監視者として送られたのではなかった。」つまり、不信仰者は自分ら以外の人間を監視するために遣わされてはいない、という意味です。これは不信仰者たちに対する軽蔑と嘲笑です。

 続いてアッラーは、不信仰者の害に対して忍耐するように信仰者に呼びかける言葉で章を締めくくり給います。なぜなら審判の日には、現世の正反対のことが起きるからです:
「それで今日、信仰した者たちは不信仰者たちを笑う。寝台の上から眺めながら、不信仰者たちは彼らがなしていたことを償われたであろうか。」

クルアーンは迫害された信仰者たちを慰めています。そして不幸な結末が不信仰者たちを待ちわびています。代わって信仰者たちは、至福の中にどっぷり浸かり、寝台に座りながら、不信仰者たちを笑い物にします。ちょうど、現世で彼らが信仰者たちにしていたようにです。ただ、無くなる現世と永遠の来世には大きな差があります。

「不信仰者たちは彼らがなしていたことを償われたであろうか。」このアッラーの御言葉に注意する必要があります。これは非難と、事が確定したことを表す疑問文です。つまり、不信仰者たちは、現世で信仰者たちを嘲笑したことに対する報酬を確かに受けたということです。ではどのような報酬なのでしょうか?それは、地獄の火です。報酬とここで言われているのは、彼らに対する嘲笑のためです。普通、報酬は服従行為に対する報いであるからです。

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/アフィーフ・アブドゥ=ル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP63~65)

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預言者伝24

2011年10月18日 | 預言者伝関連

بسم الله الرحمن الرحيم
78.バドル(マディーナの南西145kmの場所)の戦いの重要性:
  ヒジュラ暦2年のラマダーン月に、バドルの戦いが起きました。この戦いは、イスラーム共同体とイスラーム宣教の運命を決定づける重要な出来事でした。
  あらゆる勝利、開城、国や政治勢力の拡大はすべて、バドルで起きた輝かしい勝利のおかげと言えるでしょう。それゆえアッラーはこの戦いを『識別の日』と名付け給い、次のように仰せになったのです:
  「もしあなたがたがアッラーを信じ、また識別の日、両軍が会戦した日に、わがしもベに啓示したものを信じるならば。」(クルアーン 戦利品章41節)


  この戦いは、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が、アブー・スフヤーン・イブン・ハルブがシャームからクライシュの大きなキャラバンを率いて帰って来る、という知らせを受けたことに端を発します。ムスリムとクライシュの多神教徒は、依然 敵対関係にあり、クライシュはイスラームに対する攻撃を止めず、ムスリムを妨害し続けていました。クライシュはイスラームとの戦いとムスリムを弱体化させるために多大な財産をつぎ込んでいました。 

 当時、イスラームの最大の敵であったアブー・スフヤーンがキャラバンの長としてシャームから戻って来ていると聞いたアッラーの使徒(平安と祝福あれ)は、人々に、キャラバンを待ち受けるよう鼓舞しました。ただ、事を重大視することはありませんでした。なぜなら対象は人ではなく、キャラバンだったからです。
  そしてアブー・スフヤーンがアッラーの使徒(平安と祝福あれ)が待ち受ける場所に辿り着くと、アブー・スフヤーンは、ムスリム達から自分を援護してくれるよう、マッカの人々に援助を仰ぎました。マッカの人々にその助けを求める声が届くと、少数を除いた全員が急いで出陣しました。そしてアラブの各部族が集まり、彼を取り囲みました。

79.アンサール(援助者たち)の応答と彼らの奉仕の姿:
  クライシュが戦いのために出陣したとの知らせを受けた預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、アンサール(マディーナの定住者たち)を意図しつつ教友達に助言を求めました。なぜなら彼らは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)を彼らの土地内で守ることを誓っていたためです。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)はマディーナからの出陣を決心した際、ご自分の傍に誰が一緒にいるのか知ろうとしました。それを知ったムハージルーン(マッカからの移住者たち)は快く彼の呼びかけに応えましたが、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は改めて助言を求め、三度も同様にしました。

その時、アンサールは自分たちこそが求められていることに気付きました。そこでアンサールのサアド・イブン・ムアーズは急いで次のように言いました:アッラーの使徒様!あなたは私たちをご指名ですね。もしや、アンサールはあなたさまを、私たちの土地の中だけで守らせていただくとお思いではございませんか?私がアンサールについてお話し、お答えしましょう。お望みの場所に立ち、お望みの者の綱をつなげ、お好みの者の綱を断ってください。そして私たちの財産からお好みの額を使い、あなたがお望みの物を私たちにお授け下さい。あなたさまが手にされた私たちの物は、私たちが残した物の中でも最も私たちが愛する物となります。あなたさまが私たちにお命じになるとき、私たちはあなたさまのご命令に従います。アッラーにかけて、あなたさまがグムダーン(イエメンにある城)に向かえば、私たちも必ずや一緒に向かいましょう。また海に向かえとおっしゃるなら、あなたさまと一緒に潜りましょう。

 アル=ミクダード(アンサールの一人)も預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に言います:私たちはムーサーの民がムーサーに言ったようなことは言いません。『あなたとあなたの主が、2人で行って戦え。わたしたちはここに座っている。』とは。その代わり、あなたさまの右手となり左手となって、前方後方となって戦いましょう。
  それを聞いた預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の顔は輝き、教友の言葉に喜び、皆、行きなさい。吉報があるでしょう、と言われました。

80.聖戦と殉教において競い合う少年:
  ムスリム達がバドルに向かうと、16歳のウマイル・イブン・アビーワッカースという少年も現われました。彼は預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)にその若さを理由に参戦を認めてもらえないのではと恐れていたので、誰にも見られないよう努力していたのでした。兄であるサアド・イブン・アビーワッカースが彼にそのことを尋ねると、ウマイルは次のように答えました:僕は参戦したいのだけれど、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)に追い返されるのが心配です。もしかすると、アッラーに殉教を授けていただけるかもしれないのに、と。そして彼の言う通りのことが起きました。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)はまだ成人していないウマイルを追い返しました。そのためウマイルは泣いてしまいました。それを見て同情したアッラーの使徒(平安と祝福あれ)は彼の参戦を許し、ウマイルは最終的に、戦中に殉教者として殺されました。

81.準備と数におけるムスリムと不信仰者の差:
  アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は、313人の男たちと急いで出かけて行きました。2頭の馬と、70頭のラクダだけが彼らの乗物でした。一頭のラクダに2,3人が交代で乗り、そこには、指揮官と兵の区別はありませんでした。その中には、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)やアブー・バクル、ウマル、先人の教友達が含まれていました。
  軍旗はムスアブ・イブン・ウマイルに手渡され、ムハージルーンの旗はアリー・イブン・アビーターリブに、アンサールの旗はサアド・イブン・ムアーズに手渡されました。
  ムスリムの出陣の知らせを聞いたアブー・スフヤーンは、南下して、海岸線に向かいました。自分が助かり、キャラバンも無事であることに安心すると、彼はクライシュに伝えました:君たちは君たちのキャラバンを守るためにマッカを出て来たが、もう帰るように、と。そのためやって来た人々は帰ろうとしましたが、アブー・ジャハルは嫌がり、戦いを望みました。その時のクライシュの数は1000人以上。その中にはクライシュの貴族や騎士、勇者が含まれていました。アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は言われました:このマッカの民は、あなた達にその肝の一片を投げつけて来た※のだ。
※肝の一片とは自分の子どものこと。失いたくないほど大切な子どもを手放すほどの戦意があると読み取れる。
(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P215~218)

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サイトのご紹介

2011年10月13日 | その他

アッサラームアライクム ワラフマトゥッラーヒ ワバラカートゥフ

読者の皆様へ

とても活動的な最近の日本人ムスリマ界!
その活動も一つだけでなく、幾分野に渡っています。
今回はそれぞれの活動をちょっぴり紹介します。

1.ままムスび
ままムスびは、日本で楽しくムスリム子育てするにはどうしたらいいか、みんなで考えて行動していこうという活動です。」(サイトの文章より)

教育が専門の日本人ムスリマZさんが主宰している、イスラーム子育てに焦点をあてた活動に関する情報が載っています。
サイトには、毎月違うテーマで、ムスリマママさんたちが子育てに関して投稿しているままムスびのブログが入っています。
(面白いです♪)


2.新兄弟姉妹サポートプロジェクト(SKIP)
このプロジェクトは、日本で新たにムスリムとしての生活を始められる兄弟姉妹をサポートする目的で日本人ムスリムたちによって立ち上げられました…」(サイトの文章より)

全国の日本人ムスリム有志が集まって出来た、入信者をサポートするための活動です。
新しくイスラームの仲間入りをした方に向けた、先輩ムスリムたちのメッセージを詰め込んだNOORが先日出来上がったのを機に、
どんどん活発化していく活動!
入信者にはプレゼントがあったりと、嬉しい情報も。
サポーター募集もしています。
詳しくは、サイトをご覧ください。

3.ティーンムスリマ用SNS「Key」

2世ムスリマのHさんが立ちあげた非公開SNSです(伊曼も登録してもらっています)。
10~20代のムスリマちゃんたちが全国(全世界?)から集まって、日常のことやら、勉強、悩み相談などいろいろな情報を交えながら交流しています。
地方に住んでいてムスリマとの交流がなくてさびしいなーと思ってる子、
たくさんムスリマの友達を作りたい子、
同世代の子と気持ちを共有したい子など集まれー\(^o^)/

登録したい方は、このブログから私にメッセージを送って知らせてください。
お子様のお母様からの連絡もウェルカムです。

アッラーが全ての有益な活動を祝福してくださりますように!

ワッサラームアライクム ワラフマトゥッラーヒ ワバラカートゥフ


伊曼

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ブックマーク欄を編集しました。

2011年10月13日 | その他
アッサラームアライクム ワラフマトゥッラーヒ ワバラカートゥフ
読者の皆様へ

このブログの左側にあるブックマーク欄内にあるリンクの中に、すでに無くなってしまったものや、開かないものがありましたので、
新しいリンクを追加のついでに編集しておきました。

興味深いリンクが少し増えています。
ぜひご覧ください。


伊曼
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83章解説【1】

2011年10月11日 | ジュズ・アンマ解説

بسم الله الرحمن الرحيم
1. 災いあれ、量りをごまかす者たちに。
2. (彼らは)人から量ってもらった時には満杯で取りながら、
3. 彼ら(他人)に量ったり彼らのために秤にかけたりした時には損をさせる者たちである。
4. それらの者たちは自分たちが甦らされる身であると思わないのか。
5. 大いなる日に、
6. (つまり)人々が諸世界の主のために(前に)立つ日に(甦らせる身であると)。
7. 断じて、まことに背徳者の書(行状簿)はスィッジーンの中にある。
8. そして何がスィッジーンであるのかを、何がおまえに分からせたか。
9. (それは)書き記された書である。
10. 災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに、
11. つまり宗教(裁き)の日を嘘として否定する者たちに。
12. そしてそれを嘘として否定するのはあらゆる罪深い度を超す者にほかならない。
13. 彼(度を超す者)にわれらの印・節が読み聞かされると、「昔の者たちの作り話だ」と言った。
14. 断じて(作り話ではない)、いや、彼らが稼いだもの(悪事)が彼らの心を錆びさせたのである。
15. 断じて、彼らは彼らの主(に見えること)から、その日、遮られた者である。
16. それから、必ずや彼らは焦熱地獄にくべられ、
17. それから、「これがおまえたちが嘘と否定していたものだ」と言われる。

 この章の突起した目的の一つが、秤や重さのごまかしの撃退、死後には生前の行為が清算され、善行者には至福の天国が報いとして与えられ、罪業者には地獄の火が与えられるという解説です。

 預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)がマディーナに移住された際、その町の住人は量りを偽るような人たちであったことが伝わっています。そこでアッラーは次のように仰せになり:「災いあれ、量りをごまかす者たちに」、聖句は続きました。その後、人々は正しく量るようになりました。

 アッラーは秤を軽視する人たちを警告し給います:
 「災いあれ、量りをごまかす者たちに。(彼らは)人から量ってもらった時には満杯で取りながら、彼ら(他人)に量ったり彼らのために秤にかけたりした時には損をさせる者たちである。」

 「量りをごまかす」とは:重さを量るときに減らすことです。アッラーはそのような行為をする者に罰があると警告し給います。量りをごまかす者たちは、自分が買う時は十分な重さで受け取るのに対し、売る側になると、客が買うものを少なめに量ろうとします。

 「量りをごまかすこと」は、イスラームの視点において、大罪です。では騙しや欺きや強制等の方法で不当に他人の財産を取ってしまうことについてはいかがでしょうか。まことにそれらの罪は、アッラーが量りをごまかす人たちに約束し給うた審判の日の懲罰が相応しくあります。

 アッラーは、彼ら、他人の財産を不当に貪る人たちについて仰せになります:
 「それらの者たちは自分たちが甦らされる身であると思わないのか。大いなる日に、(つまり)人々が諸世界の主のために(前に)立つ日に(甦らせる身であると)。」

 誰にも責められることはないと思い込んで、間違ったふるまいをする量りをごまかす者たちに疑問と驚きの感情が現われます。彼らは甦り、清算を信じていないため、そのよう行動をとるのです。しかし、彼ら量りをごまかす者たちは、非常に恐ろしい日である審判の日に甦らされることに気付かないのでしょうか?その日、万物の主の御命令に応じて、人々の些細なこと、大きなことのすべてが清算されます。量りをごまかしていたこと、不正に人々のお金を奪ったことももちろん含まれます。

 アッラーは御言葉を続け、仰せになります:「断じて、まことに背徳者の書(行状簿)はスィッジーンの中にある。そして何がスィッジーンであるのかを、何がおまえに分からせたか。(それは)書き記された書である。」

 「断じて」:甦りを否定していること、自分たちが成している悪行に関して、量りをごまかす者たちよ、気を付けよ、という意味があります。次のようにも彼らは描写されます:「背徳者」つまり背信と罪を常時行っている人です。彼らの行為が記された書は、『スィッジーン』の中にあります。行為が最低なため、スィッジーンは大地の一番下にある牢獄と言われます。「そして何がスィッジーンであるのかを、何がおまえに分からせたか。」スィッジーンの恐ろしさを感じさせ、それが何であるかを誰も知ることが出来ないという意味が含まれます。「(それは)書き記された書である。」そこには彼らの行為が記されているという意味です。

 続いてアッラーは報復の日の到来を嘘であるとする者たちを警告し給います:
 「災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに、つまり宗教(裁き)の日を嘘として否定する者たちに。そしてそれを嘘として否定するのはあらゆる罪深い度を超す者にほかならない。彼(度を超す者)にわれらの印・節が読み聞かされると、「昔の者たちの作り話だ」と言った。」

 清算、報復の日を信じない者たちをアッラーは警告し給います。その日を嘘だとする者は、背信、迷い、罪において度を越したすべての者たちだけです。「彼(度を超す者)にわれらの印・節が読み聞かされると、」彼にクルアーンの諸節が読まれると、「「昔の者たちの作り話だ」と言った。」先代が書き残した、信憑性のない話です。

 続いてアッラーは彼らが導きを拒否する秘密を解明し給います:
 「断じて(作り話ではない)、いや、彼らが稼いだもの(悪事)が彼らの心を錆びさせたのである。」

 「断じて」:クルアーンは昔の人たちの作り話だと言った自分の言葉について罪人たちは恐れるべきだ、という意味です。「いや、彼らの心を錆びさせたのである。」彼らの五感と心を覆ったという意味です。「彼らが稼いだもの(悪事)が」彼らが犯していた間違いや罪です。そしてそれらは心に錆ついてしまいました。罪に慣れた心は厚い覆いが被さり、それはアッラーの光を遮ります。またそれは真実、善、慈悲に対する感情を喪失させます。そのため預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は次のように言われました:《信者が罪を犯すと彼の心に黒い点が着く。もし悔悟し、罪を止め、罪の赦しを請えば彼の心は磨かれる。もし(罪を)増やせば、(点も)増える。それこそが、至高なるアッラーがかれの書の中で仰せになった錆である。》(イブン・マージャとアハマドが伝承)「断じて(作り話ではない)、いや、彼らが稼いだもの(悪事)が彼らの心を錆びさせたのである。」

続いてアッラーは、来世における罪人たちの帰り処を解明し給います:
「断じて、彼らは彼らの主(に見えること)から、その日、遮られた者である。それから、必ずや彼らは焦熱地獄にくべられ、それから、「これがおまえたちが嘘と否定していたものだ」と言われる。」

「断じて」:彼らは自分たちの悪行を恐れるべきであるという意味があります。彼らは審判の日、アッラーの尊い御顔を拝見できる機会から遮られます。また魂を純化し、自我を清めた、主との間にある隔たりが取り外されるに値した者たちにしか与えられないこの幸せが禁じられます。彼らこそが、アッラーがクルアーンの中で次のように描写した者たちです:「その日、或る者たちの顔は輝き、かれらの主を、仰ぎ見る。」(審判の日章22~23節)

主から遮る(ヒジャーブ)隔たりは、同時に彼らにとって罰でもあり、これ以上の疎外はありません。最悪なことに、さらに彼らの最後は、不幸で悪いものです。「それから、必ずや彼らは焦熱地獄にくべられ、」苦しめられるために地獄に入るという意味です。そして罰を任されている天使たちに彼らは次のように言われます:「これがおまえたちが嘘と否定していたものだ」つまり、現世でおまえたちが嘘だと言っていた罰だ、ということです。
アフィーフ・アブドゥ=ル=ファッターフ・タッバーラ薯ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP57~63)

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預言者伝23

2011年10月04日 | 預言者伝関連

بسم الله الرحمن الرحيم
73.クライシュのマディーナに住むムスリムたちに対する嫌がらせ:
  マディーナに落ち着き、大きく花開き、日を重ねるごとに力を増し、広がるイスラーム。クライシュは、このような状態が続くことで自分たちの手綱から、ムスリム達が逃れるのを恐れました。イスラームはまさに、成長し、力強い若者のように変化して行ったのです。

  そこでクライシュはムスリムたちに対する敵意と戦意をむき出してきました。彼らの敵意はあらゆる方面から忍び寄りましたが、アッラーはムスリムたちに忍耐し、許すことを命じ、「手を出してはいけません。礼拝に立つように。」と仰せになりました。安寧な生活を送り、容易に崇拝行為に専念し、欲望に勝てるようになるために。

74.戦闘の許可:
  準備が万端に整ったところで、ムスリムたちは戦闘を許可されますが、それは戦いが彼らの義務となったことを意味しません:「戦いをし向ける者に対し(戦闘を)許される。それはかれらが悪を行うためである。アッラーは、かれら(信者)を力強く援助なされる。」(巡礼章39節)

75.アブドゥッラー・イブン・ジャハシュの遠征とアル=アブワーの戦:
 アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は各地に軍や使節団を送り始めました。それらの多くは戦うことなく、小競り合いで済み、多神教徒たちの心に恐怖を投げ込む目的のもので、ムスリムたちの頑強さと活発さを顕現させる動きとなりました。

 その中から、アブドゥッラー・イブン・ジャハシュの遠征についてお話しておきましょう。実はこの遠征に関する聖句が啓示されており、クルアーンはムスリムたちが犯すすべての過失に対応すること、そしてクルアーンはすべての民族、文明にとって裁決において公正な秤であることに焦点を当てているためです。この遠征を簡潔に纏めると:

 アッラーの使徒(平安と祝福あれ)はアブドゥッラー・イブン・ジャハシュをヒジュラ暦2年のラジャブ月に、8人のムハージルーン(移住者たち)と一緒に送りました。アッラーの使徒(平安と祝福あれ)はある書簡を彼に持たせ、2日経つまで読んではいけないと命じました。また、命ぜられたことを実行し、同行者の誰をも強制してはいけないとも命じました。

 2日経過後、アブドゥッラーは書簡を開き、読んだところ、そこには:これを読んだら、マッカとターイフの間にあるナツメヤシの木のところまで進み、そこでクライシュを待ち伏せなさい。彼らの情報を集めておくこと、と書かれていました。それを読んだアブドゥッラーは、「聞き、従います」と言って、「アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は私に、クライシュを待ち伏せるために木の場所まで行くようお命じになった。彼のためにクライシュの情報を集めるためだ。また君たちに強制することも私に禁じられたので、殉教を望む者は前進し、それを嫌う者は帰るが良い。私は、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)のご命令のために進んで行く」と仲間たちに言いました。仲間たちは一人残らずアブドゥッラーと共に進んで行きました。

 アブドゥッラーと仲間は木に到着し、そこに、アムル・イブン・アル=ハドラミーを含むクライシュのキャラバンが通りかかりました。彼らはムスリムたちの近くに滞在しようと足を止めたので、アムルは彼らを見て怖がりました。そこにすでに髪を剃り下ろしたアッカーシャ・イブン・ムフセン(ムスリムの一人)が彼らを見下ろしながら、「皆、心配ないぞ」と仲間に言い聞かせると、クライシュをどうするか話し合いました。それはちょうどラジャブ月最終の日でした。ムスリムたちは言いました:「アッラーにかけて、あいつらを今夜放っておくと、ハラム(聖地)に侵入して、君たちを入れさせなくするだろう。代わって、君たちが彼らと戦うことを選べば、聖月に彼らと戦うことになってしまう。」仲間らは動揺し、クライシュに近づくことを恐れましたが、結局自分たちを励まして、出来る限りの敵を成敗し、戦利品を集めました。ワーキド・イブン・アブディッラー・アッ=タミーミーはアムル・イブン・アル=ハドラミーを弓で殺し、2名を捕虜として捕らえ、アブドゥッラー・イブン・ジャハシュと仲間らはキャラバンと捕虜と共に帰っていきました。

 マディーナのアッラーの使徒(平安と祝福あれ)のところに戻ると彼は言いました:「私は君たちに聖月の間、戦うよう命じなかったではないか。」彼はキャラバンと捕虜を止め、それらの何をも受け取ろうとしませんでした。アッラーの使徒(平安と祝福あれ)がかの言葉を口にした瞬間、遠征に出た人たちは、自分たちは失敗を犯してしまったと悟りました。また彼らの兄弟であるムスリムたちは彼らの行為を嫌い、クライシュは、「ムハンマドとその仲間は聖月を犯し、その中で流血を起こした」と言いました。そこでアッラーは次の聖句を啓示し給いました:「かれらは聖月中に戦争することに就いて、あなたに問うであろう。言ってやるがいい。「聖月中に戦うことは重大事である。だがアッラーの道に近付くのを妨げ、かれを否定し、また聖なるマスジド〔アル・マスジド・ル・ハラーム〕を汚し、そこ(の聖域)に住む者を追放することは、アッラーの御目にはもっと重大事である。迫害は、殺害より遙かに悪い。」」(雌牛章217節)

 イブン・カイイム・アル=ジャウズィーヤ師は『ザード・アル=マアード』の中で次のように言っています:「(聖句が指している)意味は以下の通り。アッラーは御自身の側近たちと敵の間を公平、公正に裁き給い、御自身の側近たちが犯した聖月中の戦いを無罪とせず、それは重大事であったとを知らせ給うた。また敵である多神教徒たちが行っていることは、聖月に戦うことよりもより重大で深刻であるため、彼らこそが非難、恥、罰に相応しいとも仰せになっている。側近たちが多神教徒との戦いを考慮の上決めたとしても、彼らが怠慢であったとしても、彼らが成したタウヒードや服従行為、アッラーの使徒との移住、アッラーの御許にあるものの希求のために、アッラーは彼らを赦し給うのだ。」

 またアッラーの使徒(平安と祝福あれ)はご自身で「アル=アブワーの戦」に臨みました。この戦いはご自身で臨んだ初めての戦いであり、難なく無事に戻りました。そして多くの戦いや遠征がこれに続きます。

76.ラマダーン月の斎戒が義務とされる:
 ヒジュラ暦3年に、斎戒が義務とされましたが、それはムスリムたちの心にしっかりと信仰が備わり、礼拝に慣れ、それを大切にし、諸命令や決まりを受け入れるようになった後のことでした:「信仰する者たちよ、あなたがた以前の者に定められたようにあなたがたに斎戒が定められた。恐らくあなたがたは主を畏れるであろう。」(雌牛章183節)、「ラマダーンの月こそは,人類の導きとして、また導きと(正邪の)識別の明証としてクルアーンが下された月である。それであなたがたの中、この月(家に)いる者は、この月中、斎戒しなければならない。」(雌牛章185節)

(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P209~213)

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