イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

審判の日にアッラーに守られる者

2008年07月24日 | 他の解説

ビスミッラーヒッラフマーニッラヒーミ

久しぶりの更新になってしまいました・・・今回は、私の好きなハディースを紹介します。


عن أبي هريرة رضي الله عنه عن النبي صلى الله عليه وسلم قال : " سبعة يظلهم الله في ظله يوم
 لا ظل إلا ظله ، إمام عادل وشاب نشأ في عبادة الله ، ورجل قلبه معلق بالمساجد ، ورجلان تحابا في الله اجتمعا عليه وتفرقا عليه ، ورجل دعته امرأة ذات منصب وجمال فقال إني أخاف الله . ورجل تصدق بصدقة فأخفاها حتى لا تعلم شماله ما تنفق يمينه ، ورجل ذكر الله خالياً ففاضت عيناه
" متفق عليه

アブーフライラが預言者(平安と祝福がありますように)について伝えたところによると彼(平安と祝福がありますように)は言われた:『アッラーはある7人をご自分の影に入れられるが、その日、かれの影以外の影は存在しなくなる。(その7人とは、)公正なイマーム、アッラーにお仕えする中で成長した青年、マスジドに心を奪われている男、アッラーにおいてお互いを愛し、アッラーにおいて集い、そしてかれにおいて分かれた二人、地位と美を持つ女に声を掛けられても「私はアッラーを畏れる」と言った男、左手が右手の行ったサダカに気付かないほどに隠れてサダカを行う男、一人きりでアッラーを想い、両目から涙が溢れた男である。』(アル・ブハーリー、ムスリムなど)

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☆アッラーの影とは?

 審判の日がやって来ると、人々は墓から呼び起こされ、審判の場に集います。その日はとても暑く、暑さをしのぐものはアッラーの影以外何一つなく、自分の体から出てくる汗でおぼれてしまうほどだといわれています。

☆影に入ることの出来る7種類の人たち

 ①公正なイマーム:イマームという単語を直訳すると、「導師」ですが、他にもいろいろと訳されます。合同礼拝を司る人、学者、統治者など。人々をまとめたり、指導する立場にあたる人に向けられる言葉ですから、それなりの責任を負う立場にあるイマームは常に公正であるよう求められます。常に公正であることは実行してみれば分かることですが、かなり難しく、人々を司る立場にあればなおさらです。このイマームが努力、忍耐して公正を実現することは、審判の日にアッラーの影に入るための切符です。

 ②アッラーにお仕えする中で成長した青年:イバーダトゥッラーは、アッラーを崇め、お仕えすることを意味します。こういった環境で育った青年はアッラーの影に入ることが出来ます。シャーッブ(青年)は一般的に男性を指しますが、アラビア語ではある種の人々(男女混合)を指すときに男性詞を使うことになっているので、ハディースは若い女性も指しているといえます。

 ③マスジドに心を奪われている男:常時マスジドで行われる礼拝や行事のことを考えている人を指します。礼拝の時間を待ちわびたり、アッラーの家であるマスジドに胸を馳せることで喜びを覚えることです。ここでも「男」と出てきますが、女性も含まれています。

④アッラーにおいてお互いを愛し、アッラーにおいて集い、そしてかれにおいて分かれた二人:ムスリムは、信仰上の兄弟である同胞に愛情をもって接します。同胞のつながりのきっかけはアッラーであり、アッラーを信仰することです。ムスリムはアッラーにおいて愛し、集い、分かれる(解散する)のです。

⑤地位と美を持つ女に声を掛けられても「私はアッラーを畏れる」と言った男:ちょうど預言者ユースフ(アライヒッサラーム-彼に平安あれ)が主人の妻に誘惑されたときの立場と重なります。人がうらやむような美貌と地位を備えた女性を強い意志で拒否することですが、それは単に「アッラーを畏れるため」です。アッラーはムスリムに、常に貞節でいるよう命じられています。これは男性と女性に言えることです。

⑥左手が右手の行ったサダカに気付かないほどに隠れてサダカを行う男:サダカは、自由喜捨と訳されますが、貧しい人や必要としている人に金品を与えることを意味します。イスラームではサダカは非常に奨励されたイバーダ(崇拝行為)ですが、おおっぴらにされたサダカは好まれません。むしろ、人に気付かれない、隠れたサダカが好まれます。そうすることで見栄を張る気持ちや見せびらかしの気持ちが抑えられるからです。

⑦一人きりでアッラーを想い、両目から涙が溢れた男:もちろん女性も含まれます。アッラーの創造の素晴らしさ、自分に対する寛大さ、アッラーの優しさや偉大さを想い、感動と畏れをもって涙することです。アッラーのお言葉そのものであるクルアーンを涙して読むことは奨励された行いですし、アッラーを想って涙した目を地獄の火が当たることはないとも言われています。

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みなさんへ

2008年07月07日 | その他
 アッサラームアライクム
 こちらを読んでくださっている方、ありがとうございます。
 最近、クルアーンの解説が滞っていますが、私が使用しているメインのPCが修理中で、これがないことには作業がうまくいかないためです。おそらく、もう少しすると、このブログが始まって1年が経ちます。当時は一年以内でジュズ・アンマ(最終30ジュズ)を終えることが出来るだろうと楽観していましたが、現実は反対で、思ってもいなかった状況に陥ってしまって思うとおりの更新が出来なかったり、違う分野に興味を持ち始めたときはそちらを訳してみたり・・・当初の目標から外れてしまいましたが、これもまあ悪くないな、と今は感じています。アルハムドゥリッラー。
 自分なりの翻訳を進めていきながら、勉強も一緒に出来た気がします。分からない単語が出たら辞書を引いたり、先輩に聞いてみたり・・・先輩の意見というものはやはりとても大切で、私は出来る限りそのありがたい言葉を自分の行っていることに反映させようとしてきました。この姿勢はこれからも続くでしょう、インシャーアッラー。
 これからも、自分のペースでこちらのブログやほかのことを行っていきますので、みなさんよろしくお願いします^^

                                  伊曼
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ズィクルと親愛

2008年07月05日 | 花嫁の冠【自我浄化】
 現世の煩いを重視し、来世の煩いを捨てた人はちょうど、ライオンが襲いに来たにもかかわらずノミに刺されたことに心を奪われる人のようである。アッラーの存在を軽視する人は、つまらないことで忙しくする。しかしかれを軽視しない人は、かれ以外のことで忙しくすることは決してない。あなたの最良の状態とは、来世を得るために現世を失うことである。あなたは現世のために来世を手放しているのだ!

 兵士が恐れをいだくとは、なんと醜いことだろうか。清貧を装いながら現世を求める者のなんと醜いこと。

 ・・・
 かれの愛の甘さを知る前にこの世を去ることがないように。その甘さは、食べ物や飲み物にあるのではない。なぜなら、不信仰者と動物もそれらをあなたと共有するからである。天使とズィクル(アッラーを想う、アッラーの御名を唱える)の素晴らしさを共有し、アッラーのために彼らと一緒になることを目指しなさい。魂は欲望が放つものを受け入れ続けることは出来ない。魂が現世のごみ溜めに沈むと、ムハーダラに適さなくなる。それは、汚い人たちが罪の汚れでアッラーのハドラに入り込めないためである。だからあなたは恥事から心を清めなさい。そうすれば、不可視の戸が開かれるだろう。そしてアッラーに悔悟し、ズィクルと共にかれの許に帰りなさい。ドアをたたき続ければ、いつか開かれるものだ。親切心がなければ、私は決してこのことをあなたに伝えなかったのだ。

 このドアは、あなたをかれのお近くまで運んでくれる。アッラーの唯一性を心が当惑しないようにしなさい。ズィクルする者の最初のレベルは、かれの唯一性を思い起こすことである。彼らがアッラーを想うとき、ドアが開かれるが、それ(かれの唯一性)を思い起こしているからである。当惑の心を持ちならがズィクルすると、追い出されてしまう。そうならないようにするには、二つの欲望を絶つことに頼るといいだろう:腹(食欲)と性欲である。あなたの魂以外にアッラーにおいてあなたに反抗するものはない。

 あなたはなぜこんなにも被造物に愛着を持っているのだろうか。そしてなんとあなたは真実(アッラー)に持つ愛着度が低いのだろうか!

 あなたにアッラーに対する親愛のドアが開かれたなら、あなたはきっと不思議な光景を目にするだろう:夜中の2ラカアの祈り、病人を見舞うこと、貧者にサダカすること、あなたの兄弟であるムスリムに協力すること、道から害を取り除くこと・・・これらはすべて親愛である。しかし剣には前腕が必要であり、あなたにとってズィクルより有益なイバーダ(崇拝行為)はない。なぜならそれは、年寄りやキヤームやルクーウやスジュード(すべて礼拝の動作の名前)が出来ない病人にも可能だからである。
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高慢者と愚か者など

2008年07月01日 | 花嫁の冠【自我浄化】
 誰でも自分の旅立ちが近いと知ると、食料を集めようと急ぐ。
 
 誰でも他人の自分に対する誠意が自分のためにならないと知ると、自分で誠意に力を入れる。

 誰でも計算せずに支出する人は、知らぬ間に損をする。

 また誰でも物事を人に任せたあとにその人の裏切りを知ると、その人を免職にする。
 あなたの魂もこれと同様である。魂はあなたを裏切ったのだから免職とし、魂の行くあらゆる道を窮屈なものにしなさい。

 もし自分の中に、“拒否”、“欲望”、“不注意”を見つけたなら、それらはあなたの特徴であり、“悔悟”、“畏敬”、“清貧”を見たなら、それらはアッラーの御業である。

 ・・・・

 高慢な者がするように、降下してきた助けを払いのけてはいけない。慈雨は、高山の頭に降り注ぐものではなく、へこんだ大地に降り注ぐものだろう。高慢者の心も同じで、彼らから移動してきた慈悲は謙遜者たちの心に降り注ぐ。高慢者とは誰か:よい服を着ない人ではなく、真実を否定する人のことをいう。

 大臣や現世の友だけが高慢の持ち主であると思わないように。夕食を持たない人(貧しい人)も高慢さを持っているかもしれない。なぜなら、彼は汚し、更正せず、アッラーの権利に対して高慢な態度を取ったからである。

 捕虜や牢屋に入っている者だけが災難者であると思わないように。アッラーに背いて、この純正な王国に罪という名の汚れを持ち込んだ者こそが災難者である。 

 ディーナールやディルハムを費やした人は多いが、涙を費やした人は少ない。

 愚か者とは、死んだ息子のために泣き、アッラーから得られなかったもののために泣かない人のことをいう。例えば:私はアッラーを忘れさせてきたもののために(このせいでアッラーのことを忘れてしまったので)泣いているんだ。だが、ここで彼は、彼を忙しくさせていた(アッラーを忘れさせていた)ものを取り上げてくださったアッラーに帰り、喜ぶべきだ。醜いことといえば、白髪が生えてきたというのに子供レベルの脳をあなたが持っていることである。またあなたはアッラーがあなたに望んでおられることを理解しない!もしあなたが理性の持ち主であるなら、(人々に)泣かれる前に、自分のことを泣きなさい。子供や妻や召使や友人はあなたが死んだから泣くのではなく、あなたの死のせいで得られなくなるもののために泣くのである。だから、あなたは彼らを泣くことにおいて追い抜き、こう言いなさい:あなたたちが私のために泣く前に、アッラーから頂いたチャンスを失ってしまったことに対して私が泣くことは私にとってふさわしいことだ、と。 
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