イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

アーダム(アライヒッサラーム)・人間の創造について読み比べる【3】

2008年02月28日 | 他の解説
 『アーダムが食べてしまった木の実の詳細』 

 クルアーン:「だが、この木に近付いてはならない。不義を働く者となるであろうから。」(雌牛章35節)
        「両人がそれを食べると、恥かしいところがあらわになった。それでかれらはその園の木の葉でそこを覆い始めた。」(ターハー章121節)

 クルアーンの文章から、園には知識の木という木が一本あるのが分かります。それはアーダムとハッワーがその木の実を食べて、自分たちが裸であることを知ったことから分かります。
 悪魔がアーダムに囁いて知らせた「永久の木」ですが、もし本当にその実を食べて永久に生きられるとしたら、アーダムとハッワーは死ななかったでしょう。悪魔は単に、アーダムにこの木の価値を素晴らしいのだと思わせ、その木で躓かせました。そして悪魔は、アーダムが知らずにいることを望んだのです。

 旧約によると、蛇がハッワーを惑わし、彼女が夫であるアーダムを惑わしたとあります。つまり、ハッワーがアーダムを陥れたということですが、そのため旧約はハッワーに原罪を負わせました。

 「神は言われた、「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」。人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。そこで主なる神は女に言われた、「あなたは、なんということをしたのです」。女は答えた、「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」。主なる神はへびに言われた、「おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、一生、ちりを食べるであろう。わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」。つぎに女に言われた、「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう」。更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。」(創世記3章)

 クルアーンには、アーダムの妻に罪の責任を負わせる記述はありません。

 「しかし悪魔はかれに囁いて言った。「アーダムよ。わたしはあなたに永生の木と、衰えることのない王権を教えてあげましょう。」」(ターハー章120節)
 「その後悪魔〔シャイターン〕はかれらに囁き、今まで見えなかった恥かしいところを、あらわに示そうとして言った。「あなたがたの主が、この樹に近付くことを禁じられたのは、あなたがたが天使になり、または永遠に生きる(のを恐れられた)からである。」」(高壁章20節)

 ↑を読むと、悪魔はアーダムとその妻を騙したことが分かります。旧約にあるような、蛇に騙された女がアーダムを躓かせたとは言っていません。

アーダム(アライヒッサラーム)・人間の創造について読み比べる【2】

2008年02月26日 | 他の解説
 ②アーダムは土から創られた

 旧約の創世記2章に、アーダムは土から創られたとありますが、1章の天地創造の様子と共に登場する人間の創造に関する部分は、彼が土から創られたと言っていません。
 「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。」(創世記2章7)

 クルアーンにある、人間が土から創られたという部分:「本当にわれは人類を、泥で形作って陶土から創った。」(ヒジル章26節)など。

 旧約もクルアーンも、人間の素は土であるとしていますが、特にクルアーンは、火から創られたジンと、土から創られた人間両者の創造を比較しています。

 そしてクルアーンには、この土がどういうものであるかの説明がありますが、旧約にはありません。アーダムは、まず形作られた泥から、陶器のようになり、そこで主の一吹きが入ることにより骨と血と肉で出来た生きた人間になりました。アッラーがイブリースにアーダムにサジダするよう命じたとき、彼は土から創られたアーダムよりも、火から創られた自分の方が優っていると思い込んでいました。

 クルアーンのいろいろな部分が集中してアーダムは土から、そしてジンは火から創られたことを説明をしますが、これは意味のないことではないのです。この部分を読むことにより、私たちに、”イブリースがアーダムよりも優れていると思うほど火は土よりも優れているのか?””どうしてアッラーは人間を土ではない他のものから創造しなかったのか?”という疑問が浮かんできます。

 アッラーはジンを火から、天使を光から、人間を土から創られました。人間の頭脳で考えた場合、土よりも火と光の方が強くて優れていることが分かります。しかしアッラーはご自身の魂を土に吹き込むことにより、土は理性と感情と信仰と忘恩を備えた人間になりました。これらは天使にもイブリースにも与えられていない性質です。火と光よりも下等の土が、アッラーの魂から吹き込まれ、理性と思考能力を与えられることにより高等になるのです。

 ③アッラーがアーダムにサジダするよう天使とイブリースに命令

 クルアーン:「われはかれを(完全に)形作った。それからわれの霊をかれに吹込んだ時、あなたがた(天使)はかれにサジダしなさい。」と(命じた)。」(ヒジル章29節)アーダムにサジダするようにとの命令が、彼が創られる前に出ていたということです。サジダが実際にされたのは、アッラーがアーダムを人間として創造した後のことでした。ここのサジダは礼拝の単位でもある崇拝的なものではなく、アーダムを敬う気持ちを表すサジダでした。なぜならアッラーは、ご自身以外のものを崇拝するように命じるお方ではないからです。

 旧約にこの話は出てきません。

 ④アッラーがアーダムに悪魔に従うことと禁じられた木の実を食べることを禁止(④以降については一緒に説明していきます。)

 旧約によると、ハッワー(イヴ)に楽園の禁断の実を食べるようそそのかしたのは蛇です。イブリースの名は出てきません。

 旧約:「さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。」(創世記3章1-6)

 ここを注意深く読んで浮かんでくる疑問を箇条書きにします。

 第一:蛇は陸に生息する動物の中で一番狡猾であるとのことですが、園に陸があり、他の生息物があるのでしょうか。そもそも神は動物たちを園に創ったのでしょうか、それとも大地に創ったのでしょうか。

 第二:仮に園に多くの動物がいて、蛇がその一つだとしたら、動物が話したり、理性を持てるものでしょうか。

 第三:蛇は、アッラーがアーダムから隠した、見えない知識を知っていたのでしょうか。知っていたとすれば、どのようにして知ったのでしょうか。

 第四:もし蛇が禁断の実を食べることにより善悪を知ることが出来るようになると知っていたのなら、どうして蛇自身がその実を食べて、善と悪を知る神のようになろうとしなかったのでしょうか。

 これら疑問は、旧約の言及を否定する結果に私たちを導こうとしますが、それは話が論理と理解に反しますし、悪魔が登場する善と悪の競り合いという問題に少しも結びつかないためです。

 クルアーン:「かれは一緒にサジダすることを拒否した。」(ヒジル章31節)
       「またわれが天使たちに、「あなたがた、アーダムにサジダしなさい。」と言った時を思い起せ。その時、皆サジダしたが、悪魔〔イブリース〕だけは承知せず、これを拒否したので、高慢で不信の徒となった。」(雌牛章34節)
       「かれらはイブリースを除いてサジダした。かれはジンの仲間で、主の命令に背いた。」(洞窟章50節)
       「われはあなたがたを創り、形を授け、それからわれは、天使たちに向かって、「アーダムにサジダしなさい。」と告げた。それで外のものは皆サジダしたが、悪魔〔イブリース〕はサジダした者の中に加わらなかった。」(高壁章11節)
       「かれは仰せられた。「ここから落ちてしまえ。あなたはここで高慢であるべきではない。立ち去れ。あなたは本当に卑しむべき者である。」悪魔は答えた。「かれらが甦らされる日まで、わたしを猶予して下さい。」かれは、「あなたは猶予されよう。」と仰せられた。」(高壁章13-15節)

 ここにいくつかの注意点があります。
 
 第一:イブリースはサジダをせず、アッラーの命令に従うことを拒否したため、アッラーは彼を呪い、園から出て行くように命じた。
 
 第二:イブリースは、アッラーに猶予してくれるよう頼んだところ、人間が死後復活する日まで猶予してくださることになった。
 第三:アッラーがイブリースを園から追い出したのであれば、イブリースはどのようにして園に戻り、アーダムとその妻に囁きかけて二人を騙し、迷わせたのか?

 クルアーンの文脈から理解できるのは、イブリースは園から追放されたことと、アッラーはアーダムとハッワーに彼に気を付けるよう注意したことです。しかしイブリースは二人に囁きかけました。ウィスワース(囁き)はもともと、心に届く耳に聞こえない言葉と捉えることが出来るので、イブリースが蛇の姿で園に入って二人に囁いたとは言い切れないでしょう。実際は、イブリースが二人の心に遠くから囁きかけたといえるのではないでしょうか。それに、アッラーがお怒りになり、園から追放されたイブリースが再び園に入ったという事実は正しくありません。アッラーがアーダムとハッワーにしたイブリースに対する注意とは、彼の囁きと騙しから気を付けるように、というものでした。

 旧約に登場する禁断の実:「女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかった。」(創世記3章6-7)
 「主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。」(創世記3章22-23)

 旧約の文章によると、園には善と悪の木と、永遠の木の二つの木があることが分かります。「彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」という表現は、アッラーが推量していると取れますが、心に秘められたことすべてをご存知であるお方の性質とはいえません。

 アッラーが人間を大地で生活させるために創造し、そして死がやって来て、清算の日に復活させられることについて、旧約は全く言及していません。
 
 (園にある木の詳細などについては次回)

アーダム(アライヒッサラーム)・人間の創造について読み比べる【1】

2008年02月24日 | 他の解説

 再び、クルアーンと旧約の読み比べをしたいと思います。今回は、アーダム(アライヒッサラーム)の創造に関してです。 参考文献は前回と同じです。

 旧約は、神はアーダムをご自分の姿に似せた形で創造した、と数回にわたって述べています。(創世記1章27 創世記2章7~8など)
 アーダムの後にハッワー(イヴ)が配偶者として創造され、二人が楽園から追放される様子が続けて登場します。

 クルアーンの中で、「アーダム」の名は25節、25回出てきます。(雌牛章30節など)

 旧約の創世記とクルアーンの言及を一つずつ比較し、似ている部分がある場合は、それぞれの表現にどのような違いがあるのかを見ていきたいと思います。

 ①アーダム創造の理由
 ②アーダム創造の詳細
 ③アッラーが天使にアーダムにサジダするように命令、それを拒否するイブリース
 ④アッラーがアーダムに悪魔に従わうことと禁じられた木の実を食べることを禁止
 ⑤楽園とアーダムとハッワーがそこに住むことについて
 ⑥アーダムがアッラーの命令に背いたこと、罪の話、地上への降下、アーダムの悔悟
 ⑦アーダムがさまざまな名前と側面的な事項を学習することに関連する事柄
 ⑧アーダムはなぜ預言者なのか?なぜ彼は普通の人間でないのか?

             ******************

 ①アーダムを創造するというアイディア、創造の理由

 旧約に、人間は天地創造が始まった6日目に創造された、とあります。アーダムは、繁栄し、増えて、大地を覆うためために創造され、動物や海洋は人間の意志に服従します。

 クルアーンは、他にも創造物があることを告げています。アッラーは天使とジンをアーダムの創造の前にお創りになりました。天使は光から、ジンは火から創られ、アッラーの意思により、三つ目の創造物である人間が土から創られました。

 旧約の文章を読むと、主による人間の創造は、不明瞭な意思によって完遂されたことが分かります。そこには人間創造によって得られる訓戒や目的が言及されていません。

 クルアーンに登場する、アッラーと天使とイブリースのやり取りを復読してみると、アーダム創造には目的があることが分かります。「本当にわれは、地上に代理者を置くであろう。」(雌牛章30節)アッラーがお広げになった大地、人間が生きるために必要な命を与えられたすべてのものは、アッラーが人間を大地を管理する者として任せるために準備が整えられた、ということです。

 ということで、旧約とクルアーン中にある、アッラーの人間創造の目的の違いははっきりしていると思います。旧約には、大地の発展と、動植物を人間の意志に従わせることが目的であるとあります。代わってクルアーンには、第一に大地の発展、第二に邪神と悪魔との戦い、そして来世への移動、つまり清算の日への準備が目的であるとあります。

 それでは、悪魔は旧約のどこに登場するのでしょうか?人間が来世を迎える準備をする目的はどこに書かれてあるのでしょうか?善と悪の競り合いや試練はどこにあるのでしょうか?悪魔は蛇にたとえられたのみです。蛇は悪魔の象徴とされました。

 アッラーのアーダム創造の目的が、大地を発展させることのみで、他にないとすると、試練は存在せず、審判も報酬も罰も存在しないことになります。

(②に続く)   


85. 星座 (アル・ブルージュ)【3】

2008年02月23日 | ジュズ・アンマ解説
 アッラーは、先代の信者たちが迫害された原因を解明しています:

 「かれらがかれら(信者)を迫害したのは,偉力ある御方,讃美されるべき御方アッラーを,かれら(信者)が信仰したために外ならない。かれに,天と地の大権は属する。アッラーは凡てのことの立証者であられる。

 迫害された彼らには、「偉力ある御方」つまり何者も敵わない力強い勝者、「讃美されるべき御方」創造物への慈しみに対し賞賛されるお方であるアッラーを信仰した意外に罪はありませんでした。そのため、彼ら罪業者たちは、主の権力から逃れられないでしょう。「アッラーは凡てのことの立証者であられる」かれは創造物の行いを見ておられるので、彼らの行き過ぎた行いを見逃すことはありません。

 アーヤ中の「立証者شهيد」という言葉は、苦しみにある信者たちに安堵感をもたらします。アッラーが、自分たちの苦しみを見ておられることを知ることにより、彼らはすべての苦しみを忘れます。アッラーがいつか報いてくださるため、彼らの目にはすべての迫害が容易に感じられるようになります。同時に、苦しめている側に神の罰があるであろうことの約束にもなります。

 このアーヤを読むことにより、アッラーの道のために自分たちの命を捧げ、そして苦しめられてきた信者たちへの同情心が私たちの心に起こり、彼らが存在した状況が深刻に感じられます。同時に、罪業者たちへの憎しみで私たちの心はいっぱいになりました。この事件がここで終わったのではなく、来世に公正な清算があることを、アーヤは説明します。

 二つに分けられた集団は、公正なる清算を受けます:

 「本当に信仰する男と女を迫害して,それから悔悟しなかった者には地獄の懲罰があり,またかれらには炎火の懲罰があろう。

 信仰する男と女を苦しめ、彼らの宗教から離れさせるために彼らを火であぶり、そして不信仰から悔悟しなかった者たちには来世で地獄の罰と、そこでの炎の罰があるだろう。

 アッラーの道のために苦しめられた信者たちの報酬について、アッラーはおっしゃります:

 「信仰して善行に勤しんだ者には,川が下を流れる楽園があろう。これは偉大な幸福の成就である。

 アッラーの唯一性を認めて、かれにお仕えし、かれの命令に従った者には、来世のアッラーの許で、川が下を流れる楽園があるだろう、これは偉大な幸福の成就である。

 アーヤがこれら全体的な意味に独立した後、信者たちの心をいたわり、罪深い不信仰者たちへの警告が登場します:「本当にあなたの主の捕え方(懲罰)は強烈である。かれこそは創造をなされ,またそれを繰り返される御方である。かれは,寛容にして博愛ならびない御方。栄光に満ちた,至高の玉座の主。かれは御望みのことを,遂行なされる。

 「バトシュ(捕らえ方)」:暴力的に捕らえる様子です。アッラーの捕らえ方は強烈であり、ときにそれは繰り返されたり、さらに大きくなったりします。この捕らえ方は、高慢者、加害者に対して向けられるものです。アッラーは彼らを苦しみと厳しい復讐によって捕えます。そしてアッラーは、「創造をなされ,またそれを繰り返される御方である。」つまり、アッラーは創造物を最初からお創りになり、審判の日の清算のために、彼らを死から生へ蘇らせます。そしてアッラーは、「博愛ならびない御方。」つまり、仕える者にとって、愛される存在です。そのため、人間がもしアッラーの愛を得られたのであれば、最上級の幸福を得たことになります。そしてアッラーは、「玉座の主。」つまりかれは、誰も横取りできない王権の持ち主ということです。この玉座は、「栄光に満ち」ています。そしてかれは、「御望みのことを,遂行なされる。」つまりかれは、望むものを選び、大地において望むことを実行します。そのため、信者に起きた迫害は、彼らの信仰心を試す機会の他にありませんでした。もし彼らの援助を望まれた場合は、かれのお力の前に立ちはだかるものなど何もなかったでしょう。

 続いてクルアーンは、不信仰者と罪業者の現世における結末について、アッラーが滅ぼしたフィルアウンの民と、大きな音で滅ぼされたサムードの民を例にして言及します:「軍勢の物語が,あなたに達したか,フィルアウンとサムード(の民の)。

 つまり、ムハンマドよ、あなたに先代の罪深い集団の知らせが届いたか?彼らは、使徒と預言者たちとの戦いのために軍を作りました。彼らはフィルアウンとその一族、そしてサムード族でしたが、彼らは犯した罪と不信仰のため滅ぼされました。

 そしてアッラーは、ムハンマド(アッラーの平安と祝福がありますように)の預言者性を嘘とした、マッカの不信仰者たちについての話でこの章を終わらせます:

 「いや,信じない者は(なお真理を)嘘であるとしている。だがアッラーは,背後からかれらをとり囲まれる。いやこれは,栄光に満ちたクルアーンで,守護された碑板に(銘記されている)。

 マッカの不信後者たちは、先代の不信仰者たちに起こった出来事で訓戒を得ないだけでなく、真実を認めない姿勢を貫き続けましたが、アッラーは彼らを包囲しています。つまり彼らはアッラーの手中にあり、丁度取り囲まれた人が、逃げ場を見つけられないのと同じです。「いやこれは,栄光に満ちたクルアーン」つまり、それには多くの現世と来世で有益なことが含まれていて、構造と意味において、他の書物の上を行くということです。「守護された碑板に(銘記されている)。」つまり、クルアーンは天の中にある守護された碑板に、アッラーの許で証明されているということです。守護された碑板とは、アッラーが知りそして運命付けた、起こったこと、起きることが保管されているものです。その真の姿は、人類の知る域を超えています。

徳島マスジド募金のお願い

2008年02月20日 | その他
アッサラームアライクム ワ ラフマトゥッラー

現在徳島マスジドのための募金をお願いしています。以下にある英語の文章をお読みください。

先週の金曜日に、費用の10%である手付金が支払われました。支払い期限は4月20日ですが、まだ1000万円ほど足りません。
詳細をについては、iman2002jp@yahoo.com にメールをを送っていただければ、お返事させていただきます。

振込先をお知らせします。
銀行:徳島銀行 
支店番号:042(加茂名支店) 
口座番号:6488171
名義人:OBARI ABDUL KADER
 
よろしくお願いします。
ジャザークムッラーフハイラン

伊曼
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Dear brothers and sisters, AsSalamo Alaikom WR WB
Let me start by Duaa to Allaah (SWT) to accept from every one who shared with Tokushima Muslims for having their first Masjid.
I ask Allaah to accept your every single Yen that you�ve paid, every advice, thinking, help, phone call, duaa, effort,..etc.
By the grace and blessing of Allaah; and with your efforts and help we could get a good amount of money that made us very confident that our dream of having a Masjid will come true very soon, Enshaa Allaah.
However, instead of buying 217 square meters land, we've changed to buy a 336 square meters land with a two floors building on it (a bit old building that needs to be reformed).
Last Friday, we paid 10% of the price and we had a preliminary contract.
The total price after negotiations has come to 31 Million Japanese Yen.
The best advantage of this option is that once we pay the price, we will be able to pray in a Masjid, and will not have to wait for several years till we build one.
- The net area about 137 square meters in each floor (about 100 persons in each floor)
-It is close to the university and the five daily prayers will be attended by students.
-Its location is in a prominent and well-known area that can be reached very easily and can be seen and recognized as a Masjid.
-Parking: at least 8 cars parking

Dear all,
We have two months period till April 20th, 2008 (decided by the owner) to pay the rest of the money (price) and get the house.
We appreciate the efforts of all; and for sure Allaah will reward you Enshaa Allaah.
Now, we have 21 Million Yen. We are still in need for 10 Million Yen.

Dear brothers/sisters
If you have shared, Jazakom Allaahu Khairan, just please try to encourage others to share.
But if you have not shared yet, we encourage you to hurry.
The reward is guaranteed by prophet Muhammad (SAW), A house in Paradise Or a Palace in Paradise
(Whosoever builds a Masjid for Allaah in the earth, Allaah will grant him a palace in paradise) Narrated by Othman IBN Affaan RAA.

Your counter of good deeds will start to count, immediately, after you pay; and you will share the reward of everyone who will perform prayers at that Masjid from next month Enshaa Allaah.

Dear brothers/sisters: Leave something as (nonstop counting reward) Sadaqa Jareya in this country.We will go and leave but it will remain (may be for thousands of years).
Let your money, continue to be beneficial and offer you permanent good rewards after you leave this country or even after you leave this world life.

Dear brothers/sisters
If Allaah has chosen and decided that this place will be a Masjid, surely, it will be; this is not a matter of discussion.
The concern must be who shared, who gave, who planned, who thought, who offered, who exerted, who prayed, who supplicated, who paid, who conveyed, and who did.

The doers will be rewarded and those who turned their backs will just miss the reward.
The winners will be those who are used by Allaah to fulfill the goodness.

*Allaah says (Behold! You are called to spend in the Cause of Allaah, yet among you are some who are niggardly. And whoever is niggardly, it is only at the expense of his ownself. But Allaah is Rich (Free of all needs) and you (mankind) are poor. And if you turn away (from Islam and the obedience to Allaah), He will exchange you for some other people and they will not be your likes.)
*Part 26, Surah Muhammad, No.47 Verse 38
Yours

Ashraf Abdel Azim

Tokushima

85. 星座 (アル・ブルージュ)【2】

2008年02月18日 | ジュズ・アンマ解説
 彼ら以外の多くの信者も、暴力、空腹、のどの渇きなどで苦しめられました。災難の激しさのあまり、座る状態を保つことが出来なくなった人がいるほどでした。

 熱い気候の中、「星座章」は下りました。それは信者たちを慰め、彼らに降りかかった災難を和らげました。そして彼らの信仰を心に定着させ、迫害に耐えるように呼びかけました。危害を加えている不信仰者たちには来世に罰があるだろうと警告しました。

 アッラーは、天とそこにある諸星にかけて誓いを立てることで、この章を始めます。「諸星座のある天において」人々の視線を創造主の偉大さと、限りのない主のお力の証拠であるその美しさを持つ天に向けさせます。これらの諸星を創造できる存在は、反逆者たちに復讐することが出来るのです。

 同じく最後の審判の日でもアッラーは誓いを立てています:「約束された(審判の)日において」かれはこの日、人々の行いを清算します。約束された日と名付けられたのは、アッラーがこの日がやってくることに疑いなどないと約束したことにちなんでいます。  また、審判の日に創造物が証言する事柄や、その日に起こる恐ろしいこと、厳しいことでもアッラーは誓いを立てています:「立証する者と,立証されるものとにおいて」立証するものは金曜日で、立証されるものはアラファの日であるという説や、立証する者は、ムハンマド(平安と祝福がありますように)であり、彼はその日自分の共同体(ウンマ)に立証する、という説があります。

 アッラーはこれらすべてにおいて、背教を嫌がる人々を始末するために杭を掘り、そこで人々を燃やした杭の人々に呪いがあることを強調し、誓いを立てています。彼らは火の回りに腰掛けて信者たちを眺めていましたが、彼らの嫌がらせはとても厳しいものでした。アッラーはこのことについて:「坑の住人は滅ぼされ,火には薪が接ぎ足される。見よ。かれらはその傍に座り,信者に対してかれらが行ったこと(の凡て)に就いて,立証される。」と、おっしゃっています。

 アッラーは、信者たち向けられたこの迫害を否定し、これを犯した者についておっしゃっています:「坑の住人は滅ぼされ」、つまり一番厳しい呪いをかけられた、という意味です。呪いとは、イブリースに起きたのと同様に、アッラーの慈悲から永遠に離されることを意味します。この呪いは、信者を、ただその人の信仰を原因にして迫害し、危害を加える者すべてに適用します。

85. 星座 (アル・ブルージュ)【1】

2008年02月16日 | ジュズ・アンマ解説
【解説】  

 人類の昔と現在の歴史上で、盲目で嫉妬深い部族主義を生み出す宗教迫害よりも醜く、そして暴力が原因の悲劇はありません。

 クルアーンは、イスラーム以前に起きた宗教迫害について私たちに語ってくれています。それは、『アスハーブ・ル・ウフドゥードゥ、杭の住人』の話の中にあります。クルアーンは、先代信者たちがアッラーを信仰するゆえに受けた嫌がらせや懲罰をその中で表現しています。アッ・タバリーなどの歴史家が伝えたように、この物語は次のように要約されます。ヒムヤルの地の王、ザーナワースはユダヤ教徒でしたが、ナジュラーンの住民がキリスト教を信奉しているという知らせが届くと、悲観しました。王はヒムヤルにいる兵隊とイエメンの部族を集めて彼らのもとに向かいました。王は彼ら(キリスト教徒)を集めて、彼らをユダヤ教に入るよう呼びかけ、死か入信のどちらかを選ばせました。彼らは死を選びました。王は彼らに杭を掘り、彼らの一部を燃やし、剣で殺し、ムスラ(死体の耳を取ったり、内臓を出したりして傷つけること。侮辱を意味する。)を徹底的に行いました。それは2万人を超える死者が出るほどでした。  サヒーフ・ムスリムにも似た話があります。要約は、不信仰の王の民がアッラーを信仰したため、王が信者用に杭を堀り、そこに火が点けられました。王は言いました:背教した者は置いておけ、信仰を頑なに守る者は火の中に投げ込め。そのため多くの信者が燃やされてしまったということです。

 宗教迫害の中に、イスラーム宣教の初期の信者が受けた苦しみがあります。その一人に、ビラール・ブン・ラバーフがいました。彼はウマイヤ・ブン・ハラフの奴隷で、ウマイヤは彼を昼間の熱い時間に連れ出し、暑いマッカの砂漠の上に投げつけていました。そしてビラールの上に大きな石を載せることを命じ、彼に「アッラーに誓って、お前が死ぬかムハンマドを裏切り、『アッラートとアルウッザー』を拝むまで、お前はずっとこのままだ」と言いました。アッラートとアルウッザーは偶像です。ビラールはこの苦難の中、「お一人、お一人…(つまり、アッラーはお一人である)」の言葉を繰り返しました。

 信仰のために迫害された者:アンマール・ブン・ヤースィルとその両親です。マフズーム族は昼の暑い時間に彼らを連れ出し、高熱の砂の上に彼らを放り投げました。母親は懲罰のため亡くなってしまいました。

私たちに語りかけるアッラー

2008年02月04日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)
アブーザッル(ラディヤッラーフアンフ)によると、預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)によると、崇高なる主はおっしゃった:

《わたしのしもべたちよ、実にわたしは自分自身に不正を禁じた。そしてそれをあなたたちにも禁じた。だから、あなたたち同士で不正しあってはいけない。
 
 あなたたちは皆、わたしが導いた者以外迷いの中にある。だからあなたたちはわたしに導きを求めなさい、そうすればわたしは導きを与えよう。

 わたしのしもべたちよ、あなたたちは皆、わたしが食べさせる者以外空腹である。だからあなたたちは私に食べ物を求めなさい、そうすれば私は食べさせよう。

 わたしのしもべたちよ、あなたたちは皆、わたしが着せた者以外裸である。だからあなたたちはわたしに着るものを求めなさい、そうすればわたしは着せてあげよう。

 わたしのしもべたちよ、実にあなたたちは夜に昼に間違いを犯す。だがわたしはすべての罪を赦す。だからあなたたちはわたしに罪の赦しを求めなさい。そうすればあなたたちを赦そう。

 わたしのしもべたちよ、あなたたちは決してわたしに害を加えることは出来ないし、わたしに益をもたらすことも出来ない。

 わたしのしもべたちよ、あなたたちの最初の者と最後の者、人間とジンのすべてが、あなたたちのうちで一番の敬虔の持ち主と一緒になったとしても、それがわたしの所有物を越えることはない。

 わたしのしもべたちよ、あなたたちの最初の者と最後の者、人間とジンのすべてが、あなたたちのうちで一番の薄情者と一緒になったとしても、わたしの所有物が減ることはない。

 わたしのしもべたちよ、あなたたちの最初の者と最後の者、人間とジンのすべてが一つの広場に立ち、皆がわたしに頼みごとをしたら、わたしはすべての人の欲しいものを与えるだろう。だが私の所有物が減る様子は大洋に浸けられた糸がそこから減るようなもの。

 わたしのしもべたちよ、実にわたしは、あなたたちの行いを数えている。そしてそれを清算しよう。そのときに善を見出した者はアッラーを賞賛するがいい。それ以外のものを見出した者は自分自身以外を責めてはいけない。》(ムスリム出典)

洞窟章12節

2008年02月01日 | 他の解説

 金曜日にこの章を読むことはスンナで、ダッジャールから守られると言われます。だから読んでくださいね!! (意訳:http://www.isuramu.net/kuruan/18.html

  この前、某シスターに洞窟章12節「それからわれは,かれらを呼び起こし,2団のどちらが,よくかれらの(滞在)期間を計算出来るかを知ろうとした。」について質問された。

 すべてを知っておられるアッラーが、どうして「知ろうとする」必要があるのか?

 本文の動詞を直訳するとやはり同じような、「われは知るために」という意味の日本語になるし、ネットや書籍の意訳も↑のように出ている。

  私は今までこのことを疑問に思ったことがなかったけれど、今回指摘を受けて、そういえばそうだな・・・と解説はどうなのだろうと興味を持った。

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 先ほどの節についてですが、やはり日本語の表現だと意味が伝わりにくいのかな、と思います。 ちなみにこの表現の詳細な解説は(私が持っている中で今すぐ確認が取れる)アラビア語の本にはありませんでした。

 アラビア語では、「われはOOを知るために(彼らを起こした)」とあります。ほかの節ではアッラーは私たちを試すために創造した、や、答えはすべてアッラーが知っているはずのことばかりについて、審判の日にアッラーが預言者イーサーに質問をする場面、預言者ムーサーが初めて預言者として呼びかけられたとき、アッラーが彼が持っていた杖について「お前が持っているものは何か?」と質問する場面など、アッラーが知っているはずなのに預言者に質問したり、クルアーンにその表現があったりしますよね。

  預言者ムーサーは持っていた他愛ない杖が後に海を分けることになることなどそのときは知らなかったでしょうが、その瞬間が来たとき、きっと、アッラーが以前この杖についてお尋ねになったな、あのとき私はこの杖がどうなるかなんて知らず、無知であったが、アッラーは未来も過去もご存知なのだ、と思ったかもしれません。

 (少々強引ですが)そしてそれらはすべて、私たち信者のための訓戒になるのではないでしょうか。アッラーは英知を伴わないことは決して起こさないので。

  アッラーが全てをご存知であることに疑いの余地はありませんから、少しでも疑問があれば、その都度調べてはすっきりした方が自分の信仰心維持のためにいいですよね。
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  という自分なりの答えを言ってみたけど、何か足りないような表現。

  ということで先輩に聞いてみた。

  先輩の持っているコルトビー氏(コルトバ出身の昔の学者)の解釈本には、「عبارة عن خروج ذلك الشيء إلى الوجود ومشاهدته، وهذا على نحو كلام العرب، أي لنعلم ذلك موجودا وإلا فقد كان ا

لله تعالى علم أي الحزبين أحصى الأمد」 とあるらしい。
  う~~む、昔のアラビア語の言い回しは難しい……

 「知る」とは、何か(something)が「存在」に出現・姿を見せる(他に見られる存在になる)こと。これがアラブ人たちにおけるこの単語の意味である。つまり(このアーヤの「知る」という意味は)、われがそれを知る(上記の解説の意味、われが人間にそのことを知らしめる)ために、ということである。そうでなくても(上記の解説の意味・・・姿を見せるという意味を持つこと)至高なるアッラーは2団のどちらが期間を正確に知ることが出来るかを知っておられる-------------という意味?になる。

  アラビア語で読めばフムフムと分かるけど、日本語に直すと意味不明!!

  つまりまあ、「アッラーはもともとご存知だけどそれが人間の目の前に現実に現れるようにさせたということ」みたいな感じ。

  先輩曰く、「他の章でも、例えばアッラーは誰かが悪い事をするのを御存知だけど、最後の審判の日にその人が言い訳できないようにそれを現実の世界に存在させ、誰の目にも明らかにさせるというような意味もあるよ」とのこと。ふむふむ・・・・・・
 さ、洞窟章を読みましょう!