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イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

67章解説【4】

2014年11月28日 | ジュズ・タバーラカ解説
19.それとも彼らは彼らの上に(翼を)広げては畳む鳥の方を見たことがないのか。それらを(空中に)把持するのは慈悲あまねき御方のほかにない。まことに彼はすべてのことについて見通し給う御方。
20.いや、誰がその者、(つまり)慈悲あまねき御方を差し置いておまえたちを援けるおまえたちのための軍隊である者だ(というの)か。不信仰者たちはまやかしの中にいるに他ならない。
21.いや、誰がその者、(つまり)おまえたちに糧を与える者である(というの)か。いや、彼らは高慢と(真理)の忌避に固執した。
22.己の顔をうつ伏せにして歩く者がより導かれているのか、それとも真っすぐな道の上を姿勢良く歩く者がか。
23.言え、「彼こそはおまえたちを創生し、そしておまえたちに聴覚と視覚と心を作り給うた御方。わずかにしかおまえたちは感謝しない」。
24.言え、「彼こそはおまえたちを大地に撒き散らし、(増やし)給う御方であり、そして彼の御許におまえたちは追い集められる」。

不信仰者に向けられた脅迫の御言葉の後の続くのは、鳥の創造に顕在するアッラーの御力について観察、熟考を促す御言葉です:
「それとも彼らは彼らの上に(翼を)広げては畳む鳥の方を見たことがないのか。それらを(空中に)把持するのは慈悲あまねき御方のほかにない。まことに彼はすべてのことについて見通し給う御方。」

ムハンマドよ、彼らは彼らの上を飛んでいる鳥たちを見たことがないのか。鳥たちは翼を「広げては」つまり空中を飛ぶ際、その翼を広げることで、風に乗ります。「畳む」は、翼を広げた後に、翼を閉じることです。それは、降りようとするときと、上方へ飛ぼうとするときに行われます。「まことに彼はすべてのことについて見通し給う御方」まことにアッラーは、視覚と熟知の主であり、彼の計画に欠陥が起こることはない、という意味です。

鳥には、多くの種類が存在しており、凶暴なものもいれば、その逆もいます。また見た目の美しいもの、美しくさえずるもの、叫ぶもの、首や嘴が長いもの。羽の相違、色の相違、驚くほど美しい模様を持つもの。以上は、アッラーの御力の素晴らしさを示しているといえるでしょう。

次に、不信仰者の行動を非難するかたちで彼らに語りかけます:
「いや、誰がその者、(つまり)慈悲あまねき御方を差し置いておまえたちを援けるおまえたちのための軍隊である者だ(というの)か。不信仰者たちはまやかしの中にいるに他ならない。いや、誰がその者、(つまり)おまえたちに糧を与える者である(というの)か。いや、彼らは高慢と(真理)の忌避に固執した。」

かつて預言者(アッラーの祝福と平安あれ)が不信仰者たちをアッラーの懲罰があることで脅迫すると、彼らはいつも自分たちの力を言及し、自分たちの軍隊の支持に傾倒しました。そこで至高なる御方はおっしゃいました:おまえたちを援け、アッラーの懲罰から守ってくれる軍隊とは誰か。「不信仰者たちはまやかしの中にいるに他ならない。」つまり、アッラーに忘恩である者は、欺き、アッラーの懲罰から守ってくれるとの不正な思い込みの中にいる他にない。「いや、誰がその者、(つまり)おまえたちに糧を与える者である(というの)か。」アッラーが糧の原因である降雨などの供給を止め給うたときにおまえたちに糧を与えてくれる者は誰なのか。「いや、彼らは高慢と(真理)の忌避に固執した。」いや、彼らは引き続き、不正をなし、真理から遠のき続けた。

真実が後、誰が最も良い状態にあるのでしょうか?信仰者か、それとも不信仰者か:
「己の顔をうつ伏せにして歩く者がより導かれているのか、それとも真っすぐな道の上を姿勢良く歩く者がか。」

顔をうつ伏せにしている者とは、転びそうになりながら歩く者とも言えます。なぜなら前が見えないためか、道にある欠陥のためです。不信仰者はこのような状態にあり、迷いと心理から遠のいた道を選んだために滑りから身を守れずつまづきながら歩くのです。代わって信仰者は、姿勢良く、足取りよく、己の歩く道をしっかり見ながら歩きます。転ぶことから安全に、曲がった所のない真っすぐな道を歩きます。なぜなら信仰と導きと心理の道を選んだからです。

またアッラーは、人間に対する彼の恩恵を解明し給います。彼こそが人間を創り、聴覚と視覚と理性を人間に与え給うたことと、そのことをアッラーに感謝する人間は少ないことです:
「言え、「彼こそはおまえたちを創生し、そしておまえたちに聴覚と視覚と心を作り給うた御方。わずかにしかおまえたちは感謝しない」。」

この聖句に登場する、聴覚、視覚、心の順番は、これらの遂行の順番となっています。まず聴覚は、生後数週間の子どもに始まります。視覚は生後三ヶ月で始まり、心、つまり自覚と判断する力は、これらの後にならないと完結しません。

また、創造と繁殖もアッラーから人間への恩恵です:
「言え、「彼こそはおまえたちを大地に撒き散らし、(増やし)給う御方であり、そして彼の御許におまえたちは追い集められる」。」

つまりアッラーは人間を創り、増やし給うた御方です。人間への恩恵の対象になっているのは、まさに創造と繁殖です。もしアッラーが人類を創り給うて、成長と繁殖の特性を定め給うていなかったなら、人類は惨事をきっかけに消えてしまう存在であったことでしょう。また死後の帰りどころがアッラーおひとりであることもいわれます:「そして彼の御許におまえたちは追い集められる」清算のために審判の日に人々が集められることをいいます。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP20~22)
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預言者伝78

2014年11月21日 | 預言者伝関連
235の続き:
  アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は礼拝を終えるとラクダに乗り、アラファの丘へ移動しました。ラクダに乗ったまま彼は日没になるまで祈願し続けました。貧者が食べ物を求めるような仕草で、胸のあたりまで手を挙げて、祈り続けました:『アッラーよ、まことにあなたは私の言葉を御聞きであり、私がどこにいるかを御覧であり、私の見えないところも見えているところもすべて御存知で、私のことであなたに隠れていることは一つもありません。私は惨めな貧者、助けを求める懇願者、恐怖に震える者、己の罪業を認める者です。貧者の懇願をいたします。惨めな罪人としてあなたに縋ります。盲目の恐れる者として祈願いたします。その首はあなたのために垂れ下がり、そしてその瞳はあなたのために涙で溢れる者として。あなたのために体も鼻も謙虚に従います。アッラーよ!わたしのこの祈りで私を不幸な者とし給わないでください。わたしに、お優しき、慈悲深きお方であってください。責任を持つ者たちの中で最も良き者よ、与える者たちの中で最も良き者よ。』

  そこで次の聖句が啓示されました:『今日、われはおまえたちにおまえたちの宗教を完成させ、おまえたちにわれの恩顧を全うし、おまえたちに対して宗教としてイスラームを是認した。』(食卓章3節)陽が暮れる頃になると、アラファを離れて、ウサーマ・イブン・ザイドを後ろに乗せて静かに出発しました。お乗りになっていたラクダの綱を体にしっかりと引っ張っておられたため、ラクダの頭が彼の座っていたところに届きそうでした。そして、『皆、静けさを保つように。』と言われました。アッラーの使徒はこの移動中にもタルビヤ(アッラーフアクバル・・・と巡礼者が唱えるフレーズ)を唱えて、ムズダリファに着くまで続けておられました。その後、呼びかけ人にアザーンを行わせました。続いてイカーマを唱えられ、荷を降ろし、家畜を座らせる前にマグリブの礼拝を行いました。人々が荷を降ろすと、アッラーの使徒は礼拝への呼びかけをさせ、イシャーの礼拝を行いました。そして黎明を迎えるまで眠られました。

  黎明の時間に入るとすぐに礼拝を行いました。そしてラクダに乗ってアル=マシュアル・アル=ハラーム(マッカ東方にある巡礼者用のテント地)に向かいました。そこでキブラに向き、祈願、タクビール(アッラーフアクバルということ)、タハリール(ラーイラーハイッラッラーということ)、ズィクル(祈念、唱念)を始めました。空が明らむと、つまり陽が昇る前になって、アル=ファドル・イブン・アッバースを背後に乗せてムズダリファを出ました。彼(アッラーの祝福と平安あれ)はその間ずっとタルビヤを唱えていました。またアル=ファドルに投石のための7小石を集めさせました。ムハッスィル(地名)の中ほどに着くと素早く移動されました。なぜなら昔、象の民が罰を受けた場所だったためです。ミナーに着くと、ジャムラトゥ=ル=アカバに行って、陽が昇ってから、ラクダに乗ったまま投石を行い、タルビヤを止められました。

  そしてミナーに戻り、人々に修辞に富んだ説教をされました。説教の中で、の日の神聖さや行ってはいけないこと、そのアッラーの許での価値、マッカが他に秀でて神聖化されていることをお知らせになりました。またアッラーの書に従って人々を導く者に聴き従うことを命じました。また彼から祭儀を引き継ぐこと、彼の死後にお互いの首を切り落とし合うような不信仰者に戻らないこと、彼の代わりに宣教することを命じました。そして説教の中で彼(アッラーの祝福と平安あれ)は言われました:

  『おまえたちの主を崇め、5(つの礼拝)を行い、(ラマダーン)月に斎戒断食し、指導者に従いなさい。そうすれば、主の楽園に入るだろう』そこで人々に別れを告げた時、人々は、『別れの巡礼』と言いました。

  次にミナーにある場に移動し、63頭の雌ラクダを屠りました。その数はご自分の年齢にあわせたものでした。残りの37頭(計100頭)はアリーに屠らせました。全てのが終了すると、床屋を呼んで、頭髪を剃りました。剃られた髪の毛は彼に続く人たちの間で分けられました。続いてラクダに乗ってマッカに移動し、訪問のタワーフ(周回)を行い、ザムザムの飲み場に行き、立って飲まれました。そして同日中にミナーに戻り、一泊しました。朝になると陽が傾くのを待って、陽が傾いてから歩いて投石に行かれました。まず最小のものから、次に中、最後に最大つまりジャムラトゥ=ル=アカバで投石しました。なおアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はミナーで2つの説教をされました。一つは既述のの日と、二つ目はの日の翌日です。

  3日間のタシュリークの日に投石を行うまで遅らせました。そしてマッカに向かい、別れのタワーフを深夜に行いました。そして同行者たちに出発を知らせ、マディーナに向かいました。

  ハンム池に到着すると、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は説教し、その中でアリーの徳について言われました:『わたしが誰かの保護者であるとしたら、アリーもその者の保護者である。アッラーよ、彼を援助する者を援助し給え。そして彼に敵対する者に敵対し給え。』

  ズ=ル=ハリーファに着くと、そこに一泊しました。マディーナが目に入ると、3度、タクビールを唱えられて、『ラーイラーハ イッラッラーフ ワハダフ ラー シャリーカ ラフ、ラフルムルク ワラフルハムドゥ、 ワフワ アラー クッリ シャイイン カディール、アーイブーン ターイブーン、アービドゥーン、サージドゥーン、リラッビナー ハーミドゥーン、サダカッラーフ ワアダフ、ワナサラ アブダフ、ワハザマルアハザーバ ワハダフ』と言われてから昼間のうちにマディーナに入られました。

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P388~391)
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67章【3】解説

2014年11月14日 | ジュズ・タバーラカ解説
13.そして、おまえたちは言葉を秘めるなり、表すなりするがいい。まことに、彼は胸中にあるものについてよく知り給う御方。
14.創造し給うた御方が(秘密と公然を)知り給わないことがあろうか、彼は緻密にして、通暁し給う御方であらせられるというのに。
15.彼こそはおまえたちに大地を低く(耕し、歩き易く)し給うた御方。それゆえ、その方々を歩き、彼(アッラー)の(援け給うた)糧を食べよ。そして彼の御許にこそ復活はある。
16.おまえたちは天におわします御方から安全なのか、(つまり)彼が大地におまえたちを呑み込ませ給い、すると途端に、それが波立つことから。
17.それとも、おまえたちは天におわします御方から安全なのか、(つまり)彼がおまえたちに小石をまき散らす強風を送り給うことから。それでいずれおまえたちはわが警告がいかなるものかを知るであろう。
18.そして彼ら(マッカの多神教徒)以前の者たちもかつて嘘と否定した。それでわが峻拒(しゅんきょ)がいかなるものであったか。

かつて、ある不信仰者たちが預言者(アッラーの祝福と平安あれ)に敵対することで話し合っていました。彼らはお互いに、「ムハンマドの主(つまりアッラー)に聞こえないように隠れて話せ」と言っていました。そこでアッラーは彼らに仰せになりました:おまえたちが話すことを秘めても公にしても、まことにアッラーはおまえたちの内部にあることを、それがおまえたちの舌によって暴かれる前から御存知である。

アッラーが人間の秘密や心に秘めるものを御存知であることについてクルアーンが知らせているところが意味するのはつまり、人間の心にアッラーに対する畏敬の念を植え付けたり、あらゆる罪を心から追い払うことはアッラーがお決めになることである、ということです。そのため人間はどんなにその罪業を隠そうとしても、その一つもアッラーに隠されることはないのです。

続いてクルアーンは、アッラーの御知識がさまざまなものに及んでいることを示す論理的根拠を出します:「創造し給うた御方が(秘密と公然を)知り給わないことがあろうか、彼は緻密にして、通暁し給う御方であらせられるというのに。」生物を創造し給うた至高なるアッラーこそが、疑いなく、より御存知であられる、という意味です。これは、アッラーの御知識が全てに及んでいることに関する建設的・論理的・驚異的根拠です。また自動車や時計を作る者はその詳細やそれらの各部が担っている働きについて知っているものです。生き物を創り給うた至高なるアッラーはそれらの創造主である故にそれらについてよく御存知であるのです。また彼は、「緻密にして、通暁し給う御方であらせられる」つまりものごとの詳細を知り給い、それらの諸真実に通暁し給うているという意味です。

次にクルアーンはアッラーの被造物たちに対する思いやりや恩恵の解明に移ります:
「彼こそはおまえたちに大地を低く(耕し、歩き易く)し給うた御方。それゆえ、その方々を歩き、彼(アッラー)の(援け給うた)糧を食べよ。そして彼の御許にこそ復活はある」アッラーは大地を「低い」と形容し給いましたが、おまえたちに対して従順である、という意味です。人間に対する大地の従順さはすべての時代にある自然現象ですが、現代においてはそれが顕著に表れています。人間は大地をその利益のために利用してきましたが、大地から得られる利益の活用を放棄することはけしてありませんでした。それはつまり人間が利益を得るために大地を征服している、ということは、至高なるアッラーが人間のために大地を従順なものとすることでの恩恵とし給うたことの確証なのです。

「それゆえ、その方々を歩き、彼(アッラー)の(援け給うた)糧を食べよ」の意図するところは、大地の方々、隅々、山々を歩き、アッラーがおまえたちのために大地から出し給うた糧を食べなさい、です。このクルアーンによる指導は、糧を得るために大地を歩くこと、そして無関心と怠慢に依存しないことを人々にせき立てます。他には、「アッラーの糧」という表現には、生活の構成要素は全ての人間の手元に十分備わっているべきであるので、誰もそれを独占してはならないことの強調の意味があります。「そして彼の御許にこそ復活はある」審判の日には清算のためにおまえたちは生きて墓からアッラーの御許へ行く、という意味です。

人々にアッラーの彼らに対する恩恵に関する解明が終わった後は、不信仰に対する懲罰の警告に戻ります。利用に適した扱いやすい大地は、反抗する馬のように不安定になって人々を呑みこむかもしれません。アッラーは仰せです:

「おまえたちは天におわします御方から安全なのか、(つまり)彼が大地におまえたちを呑み込ませ給い、すると途端に、それが波立つことから。」

おまえたちは安全であるから、天におします御方の御力、権力、玉座つまりアッラーを恐れないのか、という意味です。アッラーの支配は大地に及んでいるのにここで天のみが言及されたのは、大地で崇められている偶像ではなく、天にてその御力を行使し給うているのが本物の神であるとの指摘のためです。他に次のようにも解釈できます:天におわします御方である創造主が「大地におまえたちを呑み込ませ給」うことから安全なのか。つまり大地が彼らをそれに染み込ませ、その中に消し去ることから。「すると途端に、それが波立つことから」その行き来において荒れる。

懲罰は、大地が人々を呑み込むことだけに留まらず、他にもあります:
「それとも、おまえたちは天におわします御方から安全なのか、(つまり)彼がおまえたちに小石をまき散らす強風を送り給うことから。それでいずれおまえたちはわが警告がいかなるものかを知るであろう。」

至高なるアッラーがその権力で「小石(ハースィブ)」をまき散らさないから安全なのか。ハースィブ:ロトの民に振ったような天からの小石または小石を引き抜くほどの強い風。「それでいずれおまえたちはわが警告がいかなるものかを知るであろう」不信仰者たちよ、いずれおまえたちが懲罰に見舞われる際にわれのおまえたちに対する警告の真実が現れるだろう。

そしてクルアーンは、使徒を嘘つき呼ばわりしてしまったために過去の諸共同体が被った出来事を例として示します:
「そして彼ら(マッカの多神教徒)以前の者たちもかつて嘘と否定した。それでわが峻拒(しゅんきょ)がいかなるものであったか。」

おまえの民が生まれる前に存在していた者たちは自分らの使徒を嘘つき呼ばわりしたのだ、ムハンマドよ。そこで彼らに懲罰を下すことでのわれの彼らに対する拒絶がいかがなものであったか、という意味です。まことに崩壊と滅亡の跡はこの懲罰を物語っています。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP15~17)
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預言者伝77

2014年11月07日 | 預言者伝関連
235.のつづき:
  続いてアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は、「ラッバイカッラーフンマ ラッバイク、ラッバイカ ラー シャリーカ ラカ ラッバイク、インナルハムダ、ワンニイマタ ラカ ワルムルク、 ラー シャリーカ ラカ。(アッラーよ、御前に参りました。あなたに共同者はおりません。称賛と恩恵と王権はあなたに属します。あなたに共同者はおりません。)」と唱え始めました。彼と共に人々は増えたり減ったりしました。減っても彼はその人たちを責めることはなく、タルビヤ(上記の文句)を唱え続けました。なおアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)とアブーバクルのラクダに乗せた背荷物は同じものでした。

  ズー・トワーに着くと、土曜の夜はそこに宿泊しました。ちょうど、ズ・ル・ヒッジャ月4日のことでした。そこで黎明の礼拝を済ませ、沐浴も済ませてから、マッカに向かいました。そして同日中にマッカに到着し、そのまま聖マスジドに入りました。すでに太陽が昇っていた時間でした。館を目にした瞬間に、言いました:「アッラーよ、このあなたの館に更なる尊さと威厳を増やし給え」。そして両手を挙げてアッラーフアクバルと唱えて言いました:「アッラーよ、あなたは平安であり、平安はあなたから来ます。わたしたちを平安の中に生かし給え」。

  マスジドに到着すると、館に向かいました。黒石に近付くと、それに手を触れました。彼は決してそれを求め争うことはしませんでした。そして館を左手にして進み、初めの3周を急ぎ足で行いました。

  アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は足早に、歩幅を縮めて、片方の肩を露出しました。黒石に近付くたびにそれを指さして、杖でそれに触れました。タワーフが終わると、イブラーヒームのお立ちどころの背後に来て、「イブラーヒームの立ち処を礼拝の場とせよ」(雌牛章125節)と唱え、2ラクアの礼拝を捧げ、礼拝を終えると、黒石に向かい、それに触れました。次に向かいの門から出てサファーに移動しました。近付くと、「まことにサファーとマルワはアッラーの諸々の象徴(の一部)である。」(雌牛章158節)と唱え、アッラーが始め給うたことで私は始めます、と言いました。次にその上へ館が見えるところまで登りました。キブラの方へ向いて、ラーイラーハイッラッラー、アッラーフアクバルと唱え、ラーイラーハ イッラッラー ワハダフ、アンジャザ ワハダフ、ワナサラ アブダフ、ワハザマル アハザーバ ワハダフ(おひとりなるアッラーの他に神はなく、彼はその約束を果たし給い、しもべに勝利を与え給い、おひとりで部族連合軍を打ち負かした御方)と言いました。

  マッカには4日滞在しました:日曜、月曜、火曜、水曜。木曜の日の出後に、信徒たちとミナーに向けて出発しました。到着するとそこでズフルとアスルの礼拝を行い、泊りました。木曜の夜でした。太陽が昇ると、そこからアラファへ向けて出発しました。アラファのナミラに彼のためにテントが張られていたのでアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はそこに滞在しました。正午を超えたところで乗っていたメスラクダのカスワーで移動しました。アラファの地の中心地にまで来ると、ラクダに乗ったままの状態で、人々に説教しました。それはイスラームの諸基幹が定められ、多神信仰と無明時代の悪習慣が壊され、各集団がその禁止を認めた禁止事項が決められた偉大な説教でした。それらは:血、財産、尊厳です。また無明時代の諸事項が彼の両足の下に埋められました。また無明時代の全ての利息が無効とされました。女性に良くするようにとの遺言もなされました。また彼女らの権利と彼女らが負う義務が明確にされました。つまり出来る範囲で、糧と衣料が彼女らに与えられるべきだ、ということです。

  また共同体のメンバーたちに、アッラーの書にしがみ付くよう遺言しました。そしてそれにしがみ付いている限り、決して迷うことはないと知らせました。次に、彼らはそれ(アッラーの書)の責任を問われるとも知らせました。おまえたちは何と答え、何と証言するのか?と言わせました。人々は言いました:私たちは、あなたが確かに述べ伝え、(任務を)完遂し、助言くださったことを証言します。そこでアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は両手を天にあげて、3度に渡って、アッラーに今の彼らの言葉の証人となってもらえるよう求めました。そしてこの場に居る者はいない者に伝えるよう命じました。説教を終えると、アザーンを命じられてビラールが呼びかけて、ゾホルの礼拝2ラクアが行われました。続いてアスルの礼拝も2ラクア行われました。金曜日のことでした。

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P386~388)
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