イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

心の強化プログラム【2】

2015年06月29日 | 心の強化プログラム
インシャーアッラー、数日後に聖なるラマダーン月を迎えるので、ラマダーン月に関するお話と義務の斎戒断食についてお話します。

この義務の奇跡についてお話する前に、イスラームの義務には必ず何らかのメリットがあり、禁止には必ず何らかのデメリットがあることを皆さんに注目してほしいと思います。そのため、イスラーム法学書の多くが冒頭に掲げる法則は、“まことにアッラーはメリットがあることだけを命じ給い、デメリットがあることだけを禁止し給う”なのです。至高なるアッラーが御望みであれば、きっと私たちに、すべての彼の御命令に含まれている効用(禁止の理由であるデメリット、義務に含まれているメリット)を解明し給うたことでしょう。しかし、至高なるアッラーは、全ての効用を言及し給うことなく、命令と禁止を示し給うた事が、私たちには分かります。
アッラーがそれらを隠し給うた理由:
1.人類に研究する機会を与え、イスラームの奇跡が時間の経過とともに現れるようにするため。1400年前から現在に至るまで、イスラームの諸規則のメリットが科学的研究によって発見され続けています。かつて、それぞれの集団に送られた預言者たちは、アッラーから派遣されたことを証明する奇蹟を持っていました。しかし、最後の啓典であるクルアーンが下された際には、アッラーはその最後の啓典自体に「イスラーム法の諸規則における奇蹟」を入れられました。そうすることで、日を追うごとに人々に奇蹟が現れ、各時代に、“至高なるアッラーが存在し、この教えはアッラーからのものである”こと、“かれのみこそが崇拝されるに相応しい創造主アッラーである”ことを示す証拠になります。
ここでは、科学的研究が到達し解明された、クルアーンとスンナに述べられている奇蹟については述べません。本題に入る前に、このポイントに注目して頂く事が目的なのです。

2.諸規則のメリットが隠されていることにおける第二の叡智:諸規則が啓示された当時の人間の理解が、そのメリットを認知出来なかったからです。なぜなら、人間の理性で解明できる広範な科学的研究が、当時は存在していなかったためです。そのため、これら諸規則が啓示されると、教友たちは純粋に「崇拝行為」としてそれらを実践しました。彼らには、諸規則が持つメリットに関する知識は、例えば、禁酒は、理性を酩酊から守るためであると言明されているケースの様に、少ししかありませんでした。そして、諸規則のメリットが隠されていることにおける最大の叡智は、“崇拝の対象(アッラー)のために行う”という、崇拝する者の心の中に実現されるべき「しもべ性」なのです。ですから、私たちは、“アッラーが崇拝されるに相応しい御方だから、彼を崇拝する”のです。一方、崇拝行為の成果は、アッラーからの恩恵です。そのため、どのような崇拝行為も、“しもべ性を実現するためにかれを崇める”、と意識すべきです。私たちが諸規則の成果(メリット)をどんなに知り尽くしても、「しもべ性の実現」が、常にその目的であり続けます。しかし、多くの人たちがこのことを見逃してしまっています。例えば:断食が持つさまざまなよく知られたメリットに基づいて、ダイエットや健康のために断食を好む人がいますが、そのような人には、断食は崇拝行為であって、それ以外ではないと、そして私たちはアッラーのためだけへの崇拝を断食に意図していることを、注意しなければなりません。そこから得られるメリットは、感謝すべきアッラーからの一方的な恩寵なのです。

*断食における科学的奇蹟:
断食には、個人や社会に還元される肯定的な大きなメリットが多くあります。初めに、個人に帰る断食の肯定的影響である身体的、精神的、心理的影響について話します。
身体的影響:
断食は身体にマイナス影響を与えると思っている人が多くいます。しかし、研究結果はその逆のことを示しています。つまり、断食は免疫力を高め、身体を肥満のあらゆる危険から守ります。人は、食事が原因で肥満になることもあれば、環境や社会や人からのストレスで肥満になることもあります。食事に関して言えば、断食によって食事の量は確実に減ります。黎明から日没まで食事を断つためです。
心理的影響:
ラマダーンの断食はその他諸々の崇拝行為を伴います。罪の赦し乞い、クルアーン、ズィクル(念唱)、サダカの捻出など。預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は、断食の月に善行を多くすること、その他の崇拝行為をお勧めになりました。これらはすべて、精神的プレッシャーを紛らわして、安楽をもたらしてくれます。また断食は、腎臓結石の生成から身体を保護してくれます。血液中のナトリウム値を上げ、カルシウム塩の結晶化を制止してくれるためです。

・断食は人間の性的欲求を弱めます。とくに若者については、その欲求が精神の不安定をもたらすことは知られています。未婚の若い男女が、特に、このことを悩んでいると思われますが、断食は、断食する人が持つ、性的欲望が原因となっているすべての不安定を除去することを科学が証明しています。
後世になって科学がそのことを証明しましたが、預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は1400年前に次のようにおっしゃっているのです:≪若者たちよ、あなた方のうち、可能な者は結婚しなさい。出来ない者は、断食をすること。なぜなら、それは彼にとって欲を抑えるものになるのですから。≫預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は、結婚できない者は、断食することで結婚出来る時まで乗り切りなさい、と助言されたということです。

悔い戻る者たちの道しるべ【6】-(2)

2015年06月25日 | 悔い戻る者たちの道しるべ
しかし、罪を小さく見るのではなく、大きめに見るべきです。私たちが罪を小さく捉えると、それはアッラーの御許で大きくなり、私たちが罪を大きく捉えると、それはアッラーの御許で小さくなるのです。

真正アル=ブハーリーの中で、教友アナス(アッラーの御満悦あれ)は、次のように言いました:

《まことにおまえたちは、われわれが預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)の時代には重罪とみなしていた、おまえたちの目にとって髪の毛よりも細い行動(些細な行為)をしている。アブーアブドゥッラー曰く:つまり(身の)破滅を指している。》(アル=ブハーリー)

そのため、イーマーン(信仰)の各ステージには、「罪の格付け」があるかのようです。尊い教友たちが犯す罪は、私たちが善行だと思うものであるかもしれないのに、彼らにとっては、罪なのです。

教友ハンザラ・アル=アサディーが次のように言いました:

《私を見かけたアブーバクルが言いました:ハンザラよ、君の調子はどうだ?私は、:ハンザラは偽信仰に陥ってしまった、と言いました。アブーバクル:スブハーナッラー!なんということを君は言うのだ?私は。:われわれは、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が火獄や楽園について想起させてくださるあまり、まるでそれらを目の前に見ているかのように思うのに、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の許を出て、妻や子供達や金儲けに急ぐと、たくさん忘れてしまうのです、と言いました。アブーバクルは言いました:アッラーにかけて、私も同じことが起きる。そこで、私とアブーバクルは、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)を訪れました。私は:アッラーの使徒様、ハンザラは偽信仰者になってしまいました、と言いました。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は:どういうことか?と言われ、私は:アッラーの使徒様、あなた様が火獄や楽園について想起させてくださるあまり、まるでそれらを目の前に見ているかのように思うのに、あなた様の許を出て、妻や子供達や金儲けに急ぐと、たくさん忘れてしまうのです、と言いました。するとアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は次のように言われました:私の魂をその御手の内にされる御方にかけて。おまえたちが、私のそばにいるときのような状態を保って、思い起こし続けているようなことがあれば、必ずや天使が、おまえたちの寝床でも道すがらでも握手してきたことであろう。しかし、ハンザラ。一時、一時なのだ。と、三度、言われました。》(ムスリム)

司会:

己が偽信仰に染まっているのではと恐れていたのですね。

先生:

その通りです。

司会:

アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の回答はどのようなものだったのでしょうか?

《おまえたちが、私のそばにいるときのような状態を保って、思い起こし続けているようなことがあれば、必ずや天使が、おまえたちの寝床でも道すがらでも握手してきたことであろう。しかし、ハンザラ。一時、一時なのだ。と、三度、言われました。》

一時は服従の期間、一時は背く期間であると捉える人がいますが、けっしてそのような理解が求められているのではありません。ある時は煌めき、ある時は無気力になるということです。アッラーの御命令に常にまっすぐな信徒であっても、煌めく期間の到来に喜んだ次に、無気力な期間が来たために萎縮することもあるのです。なぜなら、その時の彼には、高いところにおわすアッラーが不在だったためで、このことが彼を苦しめるのです。

教友アリー(アッラーの御満悦あれ)は次のように言っています:”自我には前進と後進がある”。彼は、自我には服従と罪がある、とは言いませんでした。前進と後進。自我が前進しているときは、自発的行為を成就できるように働きかけ、後進しているときは、義務行為を成せるように働きかけてあげてください。預言者(アッラーの祝福と平安あれ)の教友たちは、自分たちの情熱が緩んだり、前進が弱まったりすると、それを大きな罪と捉えていたのです。一方、後世の信仰者の一部には、はっきりしている確実な罪を犯しながら、「アッラーはたびたび赦し給う、慈悲深き御方」と言っています。これは、信仰が弱い証拠です。

アブーフライラは言いました:私は、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が次にように言われるのを聞きました:

《アッラーにかけて、1日に70回以上、私はアッラーに罪の赦しを乞い求め、彼に悔悟する。》(アル=ブハーリー)

他の伝承には、100回以上、とあります。

アッラーの使徒の罪の赦し乞いとは何でしょうか?アッラーの使徒はどういったことの赦しを乞われていたのでしょうか?過去の罪だけでなく、未来にわたる罪もあらかじめ赦されたお方だったのではなかったのでしょうか?

ラマダーンを知ろう!【6】

2015年06月17日 | ラマダーン特集

 前回の続きです

 6、(罪にならなくても)余分な言動を慎むこと。
 陰口や噂話は普段から禁じられますが、ラマダーン中はさらに気を付けましょう。
 
 預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は言われました。
 《誰でも嘘と嘘の行いをやめない者の飲食断絶は、アッラーにとって何の価値もない。》(アル=ブハーリー、アブー・ダーウード、アッ=ティルミズィー、アン=ナサーイー、イブン・マージャ出典のアブーフライラのハディース)

 ラマダーン中、ケンカに遭遇してしまったら、「私は斎戒をしているのだ」と声を出して言うことがスンナです。

 根拠は、アル=ブハーリーとムスリムが出典したアブーフライラのハディースです。
 《誰でもサウムをしているときは言葉に注意し、叫ばないこと。誰かが罵ったり、叩いて来たら、私は斎戒をしている、と言いなさい。》
 
 ラマダーン以外の時期にサウムをしている場合、自分を律するつもりで小声で言いましょう。(周りの人に自分がサウムしていることを見せびらかしていると誤解されないために)

 7、サウムを無効にしない合法の楽しみ(耳に聞こえるもの、目に見えるもの、感触あるもの、匂うもの)を放棄すること。

 例えば、良い香りのするものを嗅いだり、触ったり、眺めたりすること。
 これは、サウムの叡智に合わない娯楽であり、これらはすべて好ましくない行いです。
 
 8、家族を普段より豊かに養うこと、親戚に最善を尽くすこと、貧者への施しを多くすること。

 《彼(アッラーの祝福と平安あれ)は人々の中で一番気前の良いお方だった。特にラマダーンになってジブリールが彼に会うときには気前の良さが増した。》(アル=ブハーリーとムスリムより)

 9、日中と夜中の時間の余裕があるときに、勉学とクルアーン読みとその学習に勤めること。念唱と預言者祈願に勤めること。

 《ジブリールはラマダーン月の毎夜、預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)に会って彼にクルアーンを教えていた。》(アル=ブハーリーとムスリムより)

 同じく、善行に励むことも大切です。
 ラマダーン月の善行は義務に匹敵し、善行ポイント(報奨)が何倍にもなります。

 10、ラマダーン月最終10日間にイイティカーフ(お篭り)すること。モスクにお篭りするので、禁じられたものから身を守り、やらなければならないことを実行するには最適です。これは、10日間のどれかにあるとされるライラトゥ=ル=カドゥルに出会えることを願って行う崇拝行為です。
 
 ムスリムが伝えるハディースによると、預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は最後の10日間に入ると、それ以外の日よりもまして精進しておられた、とのことです。
 
 アーイシャ様(アッラーの御満悦あれ)は言っています。《預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は最後の10日間に入ると、夜を通して礼拝に立ち、家族を(礼拝などのために)起こし、女性から遠ざかりました。》(正しいハディースであるための条件に適ったハディース)


ラマダーンを知ろう!【5】

2015年06月17日 | ラマダーン特集

 サウム(断食・斎戒)のスンナ(預言者の慣行)とマナー

 
1、少しの水でも良いので、断食前に何か体内に入れること。この食事をアラビア語でスフールといいます。これをぎりぎりまで遅らせることが良いとされます。

 断食に備えるためにスフールは大切です。
 このことは、サヒーハイン(アル=ブハーリーとムスリムのハディース書二つ)にあります。《皆、スフールをとりなさい。スフールには祝福があるから。》

 アル=ハーキムが伝える正しいハディースによると、《サハル(夜中)の食事(=スフール)で昼間のサウムに備えなさい。そして軽い昼寝で夜の礼拝に備えなさい。》

 アル=イマーム・アハマドが伝えたハディースに、《信者たちが断食明けの食事を急ぎ、断食前の食事を遅くしている間は、まだ私の共同体は健全である。》というのもあります。

 2、日が暮れたのが確実に分かった時点で、礼拝前に急速に食事をして断食を解くこと。

 ナツメヤシを最初に食べることが好まれます。無いなら、甘いもの、無いなら、水です。何でも3などの奇数にすることが好まれます。3個食べる、3回に分けて飲む、などです。

 預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)の行いに倣って、マグリブの礼拝前に断食を解くことが好まれます。(ムスリムが出典したアーイシャ様(アッラーの御満悦あれ)のハディースと、イブン・アブドゥ=ル=バッルが出典したアナスのハディースに拠る)

 奇数が好まれる理由は、アナスが伝えるハディースが根拠になっています。
 《アッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)は決まって、礼拝前に何個かの生ナツメヤシで断食を解き、生ナツメヤシが無ければ乾燥ナツメヤシを召し上がっていました。乾燥ナツメヤシが無いときは、何口かで水を飲んでいらっしゃいました。》

 3、断食明け食事直後に、伝承された祈願文句を使って祈願をすること。

 《アッラーフンマ インニー ラカ スムトゥ、 ワ アラー リズキカ アフタルトゥ、 ワ アライカ タワッカルトゥ、 ワ ビカ アーマントゥ、 ザハバッザマウ、 ワブタラティルウルーク、 ワ サバタルアジュル インシャーアッラーフ タアーラー、 ヤーワースィアルファドゥル イグフィル リー、 アルハムドゥリッラーヒッラズィー アアーナニー ファスムトゥ、 ワ ラザカニー ファアフタルトゥ》

 《اللهم أني لك صمت، وعلى رزقك أفطرت، وعليك توكلت، وبك آمنت، ذهب الظمأ، وابتلت العروق، وثبت الأجر إن شاء الله تعالى، يا واسع الفضل اغفر لي، الحمد لله الذي أعانني فصمت، ورزقني فأفطرت》

 (アッラーよ 私はあなたのために斎戒し、あなたの糧で斎戒を解き、あなたにおすがりし、あなたを信じました。渇きは去り、体の隅々が潤いました。至高なるアッラーが御望みであれば、報奨は確定します。寛容なる御方よ 私をお赦しください。彼の御力添えのおかげで私は斎戒を全うし、彼の糧によって私は断食を解きました。その御方に賞賛がありますように。)

 4、他の斎戒者に食物を勧めること。一粒のナツメヤシでも、一口の水であってもかまいません。彼らを満腹にすることが一番良いです。

 5、ファジュル(夜明け)前に交わり、月経、出産から清まること(=グスル)。

 つづく(10まであります


ラマダーンを知ろう!【4】

2015年06月17日 | ラマダーン特集

ライラトゥ=ル=カドゥルが隠されている理由

 皆がそれに出会えるように、と崇拝行為に心をこめさせるためです。
 
 ライラトゥ=ル=カドゥルに言うと良いドゥアー(祈願文句)に、
 「アッラーフンマ インナカ アフッウン、 トゥヒッブルアフワ、 ファアフ アンニー」というのがあります。ぜひ、たくさん言いましょう。

 (アッラーよ、あなたは赦し給う御方、赦しを御好みです。私を御赦しください、の意)

 (اللهم إنك عفو، تحب العفو، فاعف عني)

 これは、アーイシャ様(アッラーの御満悦あれ)が伝えたことによります。
 彼女は言いました。
 「アッラーの使徒様、ライラトゥ=ル=カドゥルがやって来たら、私は何を言えばいいでしょうか?」

 それに答えて彼はお答えになりました。
 「アッラーよ、あなたは赦し給う御方、赦しをお好みです。私をお赦しください、と言いなさい。」
(アブー・ダーウードを除く五人のハディース学者出典)

 次のような兆候があります。
 ウバイ・イブン・カアブが預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)について伝えたところによると、《ライラトゥ=ル=カドゥルの朝、太陽が昇ると、それは白く光線がない。》(アフマド、ムスリム、アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィー出典)

 これと同じ意味合いのハディースはが多く伝えられています。

 ということで、ラマダーンの日々はもちろんのこと、最後の10日間はライラトゥ=ル=カドゥルを狙って幸せをつかみましょう!
 


ラマダーンを知ろう!【3】

2015年06月17日 | ラマダーン特集

 今回は、ライラトゥ=ル=カドゥル(ليلة القدر)について。

 日本語意訳クルアーンには、”みいつの夜”や、”決定の夜”と訳されていますね。 
 
 ライラトゥ==カドゥルは尊く、祝福され、多大な徳のある夜ですから、この夜に精進するのは良いこととされ、この夜の祈願は受け入れられ、叶うとされます。

 アッラーは仰いました。「決定の夜は千ヶ月より良い。」(決定章3節)
 つまり、この夜の祈りと行いは、この夜を除いた千月に行うものとくらべものにならない、ということです。

 預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は言われました。
 《ライラトゥ=ル=カドゥルに、信仰を持って、報奨を願って祈りに立った者は、今までに犯した罪が赦される。》(アル=ブハーリーとアブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーとアン=ナサーイーが出典したアブーフライラのハディースより)

 預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)の奥様アーイシャ(アッラーの御満悦あれ)によると、ラマダーン月最後の十日間に入ると、彼は夜通し祈りに立ち、家族を起こし、妻たち(と性関係を持つこと)から遠ざかった、とのことです。(アル=ブハーリーとムスリムの正しい伝承であるための条件に適ったハディース)

 ライラトゥ=ル=カドゥルは、ラマダーン月最終十日間の奇数日のどれかにあたるとされています。根拠は預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)のお言葉、《ラマダーン月の最終十日間の奇数日にそれ(ライラトゥ=ル=カドゥル)を求めなさい。》(アビー・サイード アル=ホドリーとアブー・ザッルのアル=ブハーリーとムスリムの正しい伝承であるための条件に適ったハディース)

 ラマダーン月27日がライラトゥルカドゥルであるという説が、学者の間で一番強いです。根拠は、

  ウバイ・イブン・カアブ(教友)が言った言葉です。「アッラーに誓って、イブン・マスウードはそれ(ライラトゥ=ル=カドゥル)がラマダーンにあることと、それが27日であることを知っていたが、おまえたちがその日にだけに努力することを嫌って知らせなかったのだ。」(アッ=ティルミズィー出典)

 などがあります。

つづく

 次回は、なぜライラトゥ=ル=カドゥルがいつなのか明解にされていないのか、などをみていきましょう!インシャーアッラー。


ラマダーンを知ろう!【2】

2015年06月17日 | ラマダーン特集


 サウム(断食)にはメリットがたくさんある、と前回ご紹介しましたが、続きを見ていきましょう。

 サウムは、私たちが公私におけるアッラーの監視に敏感になれるよう鍛えてくれます。食べ物などを断つ人には、アッラー以外の監視者はいません。

 サウムは、意志を強くし、決断力を大きくしてくれます。また、忍耐を教えてくれますし、精神浄化を手伝ってくれます。

 サウムは、規律正しくあることを教えてくれます。なぜなら断食者は、決められた時間に食事を取ることが定められているからです。サウムを実行することによって、世界中のムスリムが一体感を得られます。信者たちが同じ時間に断食し、同じ時間に食事を摂るのは、彼らの主がおひとりで、彼らの崇拝行為が一つだからです。

 信者はサウムによって慈愛と兄弟愛、そして相互協力の心をはぐくみます。
                                          などなど。

 まぁ、「メリットがあるから…」という意志ではなく、「アッラーが命ぜられたから、行う」という心構えでラマダーン月を過ごすのが一番信者らしいと思います。

 続いて、ラマダーン月と、ライラトゥ=ル=カドゥル(ليلةالقدر)の徳について。

 まず、ラマダーン月とラマダーン月の断食の徳について伝えるハディースを紹介します。

 《月々の長はラマダーン月であり、日々の長は金曜日である。》(アッ=タバラーニー出典のアブドゥッラー・イブン・マスウードによるハディース)
  
 《しもべたちがラマダーン月(の徳の大きさ)を知ったならば、きっとラマダーン月が一年ほどあれば良かったのにと思うことだろう。》(アッ=タバラーニーなどが出典)

 アッ=タバラーニーがウバーダ・イブン・アッ=サーミトがアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)について伝えたところによると、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はラマダーン月のある日、言われました。
  
  《祝福多きラマダーン月がおまえたちにやって来た。アッラーはこの期間、おまえたちを覆い給い、慈悲を垂れ給う。罪を消し、祈願を聞いてくださる。アッラーは、この期間におまえたちの(善行の)競い合いを御覧になり、天使たちは(おまえたちのその様子を見て)驚くだろう。おまえたちも善いところをアッラーに見せるがよい。まことに不幸な者とは、威厳あるアッラーの御慈悲を禁じられた者のことを言うのである。》

 《五回の礼拝、金曜日から金曜日、ラマダーンからラマダーンは、大罪を犯さない限り、その間に犯した罪の償いになる。》(ムスリム出典のアブー・フライラのハディース)

 《ラマダーンの間、アッラーからの報奨を願って、心を込めて礼拝に立った者は、以前に犯したどんな罪も赦される。》(アル=ブハーリー他6本で認められたアブー・フライラのハディース)
 
 つまり、ラマダーンの夜をタラーウィーフなどの礼拝や念唱、罪の赦しを求める祈り、クルアーン読みなどで明かした者には、アッラーから約束された報奨が与えられる、という意味です。

 サルマーンは言いました。
  「アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がシャアバーンの最後の日に私たちに説教をされて言われました。《皆、偉大な祝福された月がおまえたちを覆おうとしている。この月には、千月に勝る日があり、アッラーはこの月の斎戒をおまえたちに課し給うた。また、この月の夜の礼拝を彼にお近づきできる手段となし給うた…》

つづく 


ラマダーンを知ろう!【1】

2015年06月17日 | ラマダーン特集

 明日か、明後日からラマダーン月に入ります。
 なぜ、開始日がはっきりしないかというと、太陰暦を使っているイスラーム暦は目視で新月の確認をするからなのです。そのため、地域によって、ラマダーンやイードの日がずれることもよくありますが、これはいたって普通のことです。

 少しラマダーンについて、お勉強しましょう。
 法学書を参考に、要点を書き出してみます。

 サウム(断食)の定義:断食するに相応しい人が、意志を伴って日の出から日の入りまで、ムファッティラート(断食を無効にするもの)を断つこと。

 つまりサウムは、食欲と性欲を断つこと。
 食欲を断つとは、昼間、体内に五感で捉えられるものが入るのを避けることです。

 断食するに相応しい人とは、月経・出産後でない、理性を持ったムスリム(イスラーム帰依者)です。

 意志とは、イバーダ(崇拝行為)とアーダ(習慣)を隔てるもので、行動を迷わずに起こす、と心にに決めることです。

 サウムのメリットはたくさんあります!
 物理的・心理的メリットがあります。

 サウム(断食)は至高なるアッラーにお仕えすることです。信者はこれを行うことで、限り無い報奨を得られます。その一つが、『アッ・ラッヤーンالريان』(*)と名付けられた、断食者たちに準備された特別な門から天国に入ることです。そしてサウムは、罪業が原因によるアッラーの罰から私たちを遠ざけてくれます。アッラーにお仕えすることで、信者はアッラーが施行された法の上を正しく歩くことができます。それは、サウムが、”禁止事項を避け、神の命を遵守する畏敬の念を私たちの中に実現させてくれる”からです。アッラーは仰せです:「信仰する者たちよ、おまえたちには斎戒が書き定められた、ちょうどおまえたち以前の者たちに課されたように。きっとおまえたちは畏れ身を守るだろう。」(雌牛章183節)

 (*)アッ・ラッヤーンについて:アル=ブハーリーとムスリムとアン=ナサーイーとアッ=ティルミズィーが伝えたハディース。サハル・イブン・サアドが預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)について伝えたところによると、預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は言われました:「楽園にはアッ=ラッヤーンと言われる門があるが、審判の日、断食者がそこに入って行き、彼ら以外の者が入ることはない。彼ら(断食者たち)が入り終えると、門は閉じられ、誰も入ることは無い。」

 サウムは信者が多くのマナーを学ぶ機会です。サウムは精神を鍛え、悪魔の誘惑とも戦います。信者はサウムをすることで、禁じられたものを目の前にして忍耐する訓練をします。忍耐の対象が禁じられたものの他に、強い欲、大きな災難であったりもします。目の前で作られる美味しそうな食べ物、美味しそうな香り、冷たくて美味しい水…主の許しの時が来るまで、断食する人たちはひたすら待ちます。

つづく 


預言者伝【番外編6】

2015年06月04日 | 預言者伝関連
アリー・イブン・アビーターリブ(アッラーの御満悦あれ)もアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)を描写して次のように言いました。アリーは、彼を良く知る人たちの一人であり、彼とより多く接した人物であり、彼について解明するのに相応しい人です:

ووصفه علي بن أبي طالب ـ رضي الله عنه ـ وهو من أعرف الناس به،، وأكقرهم عشرة له، وأقدرهم على الوصف والبيان، فقال:
لم يكن فاحشا، متفحشا، ولا صخابا في الأسواق، ولا يجزي السيئة بالسيئة, ولكن يعفو ويصفح، ما ضرب بيده شيء قط، إلا أن يجاهد في سبيل الله، ولا ضرب خادما ولا امرأة، وما رأيته منتصرا من مظلمة ظلمها قط ما لم ينتهك من محارم الله تعالى شيء، فإذا انتهك من محارم الله، كان من أشدهم غضبا، وما خُيِّر بين أمرين إلا اختار أيسرهما، وإذا دخل بيته كان بشرا من البشر، يفلي ثوبه، ويحلب شاته، ويخدم نفسه.

彼は下品なお方ではなかったし、下品さを持つお方でもなく、市場の中で、大声で叫ぶ人でもありませんでした。悪に悪で報うことはなさらず、(罪を)消し、赦免なさいました。彼はご自身の手で何かをたたかれたことはありません。アッラーの道のために奮闘努力する以外には。また、召使や女をたたかれたこともありません。ご自身に降りかかった不正が至高なるアッラーの禁忌に触れない限り、彼がそれに復讐なさるのを私は見たことがありません。しかし、もしアッラーの禁忌に触れた場合は、彼は誰よりもお怒りになりました。二者のどちらかを選択なさる際は、かならずより易しい方を選ばれました。家に入られると彼は他の人間の一人と同じであられ、ご自身の衣服をダニからきれいにされ、羊の乳を搾られ、ご自身のことはご自身でなさいました。

كان يخزن لسانه إلا فيما يعنيه، ويؤلفهم ولا ينفرهم، ويكرم كريم كل قوم، ويوليه عليهم، ويحذر الناس، ويحترس منهم، من غير أن يطوي على أحد منهم بشره، ولا خلقه، ويتفقد أصحابه، ويسأل الناس عما في الناس، ويحسن الحسن ويقويه، ويقبح القبيح ويوهيه، معتدل الأمر غير مختلف، ولا يغفل مخافة أن يغفلوا ويملوا، لكل حال عنده عتاد ولا يقصر عن الحق، ولا يجاوزه،

彼は、ご自身に関係のあること以外には、その舌を留めておられました。彼ら(教友たち)と親しくされ、彼らが離れていくようなこともされませんでした。また、各集団の気前の良い人に寛大に接せられ、その者を彼らのリーダーとして任命されました。また、人々に注意し、誰一人にもその微笑や性分を断ち切ってしまうことなく、彼らに用心されました。(姿の見えない)教友たちを探され、人々の間で起きていることを人々に尋ねられました。良きことには良く接され、そしてそれを強化され、醜きことを醜いとされ、そしてそれを弱められました。彼は相違されることはなく、中庸でした。彼らが油断したり飽きることを恐れて彼ご自身が不注意になることはありませんでした。いつの時も彼は準備万端で、真実を遠慮することはなく、その度を越させることもありませんでした。

الذين يلونه من الناس خيارهم، وأفضلهم عنده أعمهم نصيحة، وأعظمهم عنده منزلة أحسنهم مواساة ومؤازرة ولا يقوم ولا يجلس إلا على ذكر، وإذا انتهى إلى قوم جلس حيث ينتهي به المجلس، ويأمر بذلك، يعطي كل جلسائه نصيبه، ولا يحسب جليسه أن أحدا أكرم عليه منه، من جالسه أو فاوضه في حاجة صابره حتى يكون هو المنصرف، ومن سأله حاجته لم يرده إلا بها أو بميسور من القول، وقد وسع الناس بسطه وخلقه، فصار لهم أبا وصاروا عنده في الحق سواء

彼に追従する人たちは人々の中でも最善の人たちです。彼の許でもっとも徳のある人は忠告を誰より聴く者です。また彼の許でもっとも地位の偉大な者は誰よりも(金銭と魂で人々の生活の改善に努めるような)慈善と協力に誠意を込める者です。ズィクルなしでお立ちになったり、お座りにはなることはありませんでした。人々の集まりにいらしたら、空いているところにお座りになり、周りにもそうするようお命じになりました。集まっている人たちそれぞれに分け前を与えられました。彼と同席している人は、自分よりも他人がより尊いとは考えませんでした。彼と同席したり、または何かの用のために話に来た人に対して彼は相手が席を離れるまで耐えられました。また、誰かが彼にお願いをした際は、彼はそれを拒絶することはなく、必ずそれに応えるか、平易な言葉で応えました。彼は人々に彼の喜びをお拡げになったことで、彼は彼らの父となり、真実において彼らは同等になりました。

مجلسه مجلس علم وحياء وصبر وأمانة، ولا ترفع فيه الأصوات، ولا تؤبن فيه الحرام، ولا يثنى فلتاته، متعادلين يتفاضلون فيه بالتقوى، ويوقرون فيه الكبير، ويرحمون فيه الصغير، ويؤثرون ذا الحاجة، ويحفظون الغريب.

彼の集まりは知識と羞恥と忍耐と信頼の集まりでした。そこで大声が上げられることはなく、非合法なことが咎められることもなく、彼の(起こることはないが)過失について広められることもありません。彼ら(教友たち)は平等で、集まりの中では畏敬において優越を付け、集まりの中では年長者を敬い、子どもを慈しみ、必要のある者を大切にし、外来者を保護しました。

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P420~422)