イスラーム勉強会ブログ

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悔い戻る者たちの道しるべ【10】-(4)

2016年05月13日 | 悔い戻る者たちの道しるべ

”人々と接すれば彼らの権利をないがしろにせず、人々に話しかければ嘘をつかず、人々に約束をしたらそれを破らない者。彼こそはムルーア(男らしさ※)が完結し、廉潔さが現れ、彼との兄弟付き合いが義務となり、彼の陰口を話すことが禁じられる者である。”(教友の言葉)※アラブ民族の間に伝わる伝統的な男らしさの概念

 

もしある人が他人の権利をないがしろにしたり、嘘をついたり、彼らと交わした約束を守らなかったりした場合、彼の廉潔さは崩れ落ちます。しかし学者たちは、廉潔さを崩し落とさないけれどもそれに傷を付ける数多くの事柄があると述べています。例えば、卑劣な者たちとの付き合い、路上で守るべきマナーを遵守しない、女性について話す、ナツメヤシ一粒分でも秤をごまかそうとする、非合法なものから一口だけでも口に入れようとする、などです。他にも、路上での放尿、外を裸足で歩くこと、路上での飲食。学者たちは廉潔さを傷つける多くのシーンを挙げています。しかし私がここで皆さんに言いたいのは、低劣な者との付き合いについてです。次のアッラーの御言葉がその意味を示しています:

「信仰する者たちよ、アッラーを畏れ身を守り、誠実な者たちと共にいよ。」(悔悟章119節)

 

これこそが、人を罪から守ってくれるものです。99人の人を殺した男についての先述の有名なハディースには預言者(アッラーの祝福と平安あれ)からの教訓があります。つまり、違う世界が罪人を利息の地とその環境から遠ざけた、ということです。ですからあなたも善良な環境にいなければアッラーの御命令にまっすぐに決してなれなません。あなたが誰と付き合っているかであなたが誰か私には分かるのです。

 

司会:

善良ではないかもしれない環境にいる人たちに失望感を与えてしまうのでは?

 

先生:

ここで指針があります:劣悪な環境で生活するという運命の中に私が置かれている場合は、周りの人々とは違う高い礼節を身につける必要があります。理性上だけの話ではありません。私は周りの人々とともに生活していますが、彼らが陥ってしまっているような過ちに溺れず、彼らが入りきっている欲望にも溺れず、彼らの卑しさと同じにもなりません。満足できない環境で生活する人はいますが、それはその人の運命です。しかし己の礼節で周りの人たちの汚点から遠ざかることで、アッラーはその人の追従姿勢にお力添えしてくださります。

 

司会:

反逆的で罪深い環境で罪を犯してしまったけれども悔悟したい人についてはどうでしょうか。この環境を捨てない形で彼に示すことのできる指針はありますか?

 

先生:

アッラーが仰せの言葉を私も言いましょう:

「われらがその心をわれらの想念(唱名)から逸らせたために己の欲望に従うことになった者に従ってはならない。」(洞窟唱28節)

 

身体は彼らと共にあっても、彼らには従わない。この御言葉には大きな教育的指針が含まれています。

 

司会:

何にも逆らえない若い女性について。飲酒する父親が彼女に言います:酒を持ってこい、と。このようなことがたいていの場合、起きています。しかし彼女はアッラーの道標を辿ろうとし、アッラーへの服従に忠実で、アッラーに逆らうことを拒否し、アッラーの御満足を切願しています。彼女はどうすれば良いのでしょうか?

 

先生:

質問に答える前に、この混合状態の中にあるアッラーの英知を解明しましょう。劣悪な父親から清廉な女の子が生まれることもあれば、劣悪な女の子が善良な父親から生まれることもあります。これらから見える英知は、劣悪な父が規律正しい清らかな娘を見ることで、もしかすると「アッラーを思い起こすかもしれない」ことです。アッラーが善良な人と劣悪な人を一つの家族に混ぜ給うたのは、善良な人が劣悪な人に気づきを与え、彼の模範となるほかにありません。それに何人もの父親がその娘のおかげで導かれていますし、妻の手によって更正した夫も数多くいます。まさにこの混合状態には素晴らしい教育的英知があるのです:あなたが教師だとしたら、良い生徒と悪い生徒を隣同士に座らせたでしょう。そうすることで悪い生徒が良い生徒から良き態度の一部でも学び取ってくれるかもしれないからです。しかし悪い生徒2名を隣同士に座らせて起こるのは爆発です。ですから混合状態はアッラーの偉大なる英知の一つなのです。私たちはこのアッラーを知る清らかな若い女性に次のように助言しましょう:あなたがアッラーと強固につながる時、このつながりがあなたに高レベルの英知と抵抗を与えてくれるでしょう。ほかにも真理における雄弁な舌も与えてくれるでしょう。もしかするとアッラーは劣悪な環境にいるこの若い女性を父親の更正のためにまっすぐの道に導き給うかもしれないのです。信仰の真実は、周りに向かってそれを体現することでしか信仰者の心に留まっていることはありません。信仰者は否定的でなく、自分の殻に閉じこもっているだけでもなく、人生から撤退している人もでもありません。

ある飲酒している父親は息子が礼拝しているのを見かけるたびに彼を殴っているのですが、息子は懲りずに父親を何十年もかけて悔悟するまで助言し続けたことで父親が息子の価値を思い知ったという話を私は知っています。

ほかにも、シャームの酒場の持ち主の話も知っています。彼の娘は父親の(糧から得られる)食べ物を一切口にしませんし、父親から金銭をもらうこともしません。もし彼女が巨額が欲しいと父親に頼めば、父親は躊躇なく娘に与えられるのにです。しかし娘は父親の糧が非合法であるのを知って、アッラーの御命令に従おうとしたのです。信仰者とは、自分の知らぬ間に己のまっすぐな姿勢によって偉大な宣教者になっている人なのです。行動による宣教は舌による宣教よりもより影響があります。貞節、信頼、正直も宣教なのです。

 

司会:

次回も「正直な悔悟」についての話を続けます。

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預言者伝【番外編19】

2016年05月05日 | 預言者伝関連

彼(アッラーの祝福と平安あれ)の勇敢さと恥じらい:

 

彼(アッラーの祝福と平安あれ)は、恥じらいと勇敢さをまとめて備えていらっしゃるお方でした。しかし多くの人たちは、この二つの性質は矛盾しあっているものだと考えていました。恥じらいに関しては、教友アブー・サイード・アル=フドリー(アッラーの御満悦あれ)が伝えている通りです:彼(アッラーの祝福と平安あれ)は、カーテン後ろの処女よりも恥じらい深く、彼が何かをお嫌いになるときは、私たちは彼の表情からそれを察しました。(アル=ブハーリー)また、彼がお嫌いになることで誰かと対面することを彼の恥じらいが彼を制することもありました。そういうときは、誰に委託していらっしゃいました。教友アナス(アッラーの御満悦あれ)は伝えています:※スフラの跡を付けた男が彼(アッラーの祝福と平安あれ)のところにいたのですが、彼(アッラーの祝福と平安あれ)はお嫌いになることで誰かと顔をあわせることを避けていらっしゃいましたので、男が立ち上がった時、「お前たち、スフラをやめるよう、あの男に言えば良いのに」と人々におっしゃいました。(アッ=ティルミズィー)

 

※スフラ:女性用の黄色く着色する香料。男性は芳香を付けることだけが好ましいとされる。

 

彼(アッラーの祝福と平安あれ)の奥様、アーイシャ様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)は、誰かが彼の嫌い行為をしているとの知らせを受けると、「~~と言っている~~はどういったことか」とはおっしゃらず、「~~を行っている、または言っている人々はどういったことか」とおっしゃってその行為を禁じていらっしゃり、行為をしている人物の名を挙げることはありませんでした。(アブー・ダーウード)

 

勇敢さについては、騎士の中の騎士、若者の中の若者のアリー(アッラーの御満悦あれ)の言葉で十分でしょう。彼は言いました:私たちは状況が厳しくなり、戦火が激しくなると、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)を盾にして身を守りました。彼の他に敵に最も近い者はいないのです。バドルの日、私たちが敵に最も近い預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)を盾にしたのをあなたは見たでしょう。

 

教友アナス(アッラーの御満悦あれ)は言いました:預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)は人々の中で最も素晴らしく、寛大で、勇敢なお方でした。ある夜、マディーナの住人が怖がることが起きました。人々は音のする場所へと向かったのですが、そこには先に向かった預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)が彼らを出迎えて、おっしゃいました:「恐れることはない、恐れることはない」。彼は馬鞍を付けていないアブー・タルハの馬に乗っていらっしゃいました。またその首には剣がぶら下がっていました。「これ(馬)は※早く走った」とおっしゃいました。

※マンドゥーブと名を付けられていたこの馬は遅く走ることで知られていたが、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に与えられた祝福により、とても早く走ったとのこと。

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