イスラーム勉強会ブログ

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悔い戻る者たちの道しるべ【9】-(1)

2015年12月17日 | 悔い戻る者たちの道しるべ

司会:今日は、”心からの誠実な悔悟”についてお話しいただきます。”誠実な悔悟”とは何でしょうか?その構成要素は?その条件は?

 

先生:”誠実な悔悟”とは、その放棄がないことを言います。初期段階の悔悟ほど罪人に容易です。彼とアッラーの間にあった覆いが一秒のうちに剥ぎ取られ、アッラーが彼の心に”アッラーは赦してくださった”という感覚を投げ込み給い、アッラーもその事実を受け入れ給うたことで山のような重みから解放されるようなものです。人間はアッラーに悔悟の受け入れを懇願すると、アッラーはそれを受け入れ給うことで御応え下さります。人は言います:主よ、私はあなたに悔悟します。アッラーは仰せになります:しもべよ、われはそれを嘉納する。アッラーがある預言者たちに語り給うたという話が伝承されています:ダーウードよ、われが背く者たちを待っており、彼らが罪を放棄することを熱望していることを彼らが知れば、彼らの手足は私への愛のためにバラバラになり、私への熱情のために必ずや死ぬであろう。以上は 背く者たちに対するわれの望みであるが、では(アッラーを求めて)やってくる者たちではどうであろうか?

 

司会:しもべを必要とし給わないアッラーに讃えあれ!

 

先生:ある知識者がアッラーを求めて言いました:主よ。あなたの御慈悲が「私は至高なるおまえたちの主である」(フィルアウンの言った言葉)と言った者のものであるとしたら、「至高なる私の主を讃えます」と言った者へのあなた御慈悲はどのようなものなのでしょうか?あなたの御慈悲が「おまえたちに私以外の神がいるのを知らない」(フィルアウンの言葉)と言った者のものであるとしたら、「アッラーの他に神は無し」と言った者へのあなたの御慈悲はどのようなものなのでしょうか?

 

誠実な悔悟の熟した成果の一つは、アッラーが地球の隅々にいるものたちと天使に罪人の全ての間違いと罪を忘れさせ給うことです。その条件は、背いたしもべがアッラーに帰ることです。そこで諸天と地で呼びかけ人が、「皆の衆、誰々を祝いなさい。彼はアッラーと和解した」と呼びかけるのです。

 

私は本当に、誠実な悔悟は信仰者の披露宴と感じています。最大の喜びの日です。つまりアッラーと新しい一ページを捲るのです。過去は忘却とともに折り畳まれます。”おまえが諸天と地を埋めるほどの罪でわれの前に現れてもわれは気にすることなくおまえを赦そう”とアッラーは仰せなのです。

 

「言え、「己自身に仇して度を越したわがしもべたちよ、アッラーの御慈悲に絶望してはならない。まことに、アッラーは罪をそっくり赦し給う。」」(集団章53節)

 

あなたの罪がどんなに大きくても、アッラーの御慈悲はあなたの罪よりも大きいのです。至高偉大なるアッラーは次のようには仰せにならなかったのでしょうか:「だが、わが慈悲は全てを広く包む。」(高壁章156節)

 

誠実な悔悟とは、己の罪のせいで激しく苦しんだしもべによって結ばれるものです。彼は生きている間このような罪を二度と繰り返さないと決心するのです。この誠実な悔悟こそが悔悟する者の胸を押し付ける重みが取り除かれたことを感じさせるのです。

 

修辞力に富んだお言葉を話されていた預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は、背中に食物と飲み物を乗せたラクダに乗った田舎者についておっしゃいました。疲れを感じた彼は休憩のために腰を下ろしました。目が醒めると、そこにラクダはおらず、彼は死を覚悟しました。彼はショックのあまり泣き出してしまうのですが、泣き疲れて眠ってしいました。目が醒めると今度はラクダが目の前にいるではありませんか。喜びのあまり、「主よ、私はあなたの主であなたは私のしもべです!」と間違って叫んでしまったほどでした。教友アナス様(アッラーの御満悦あれ)によると、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:《ある男が荒野の中、食物と飲み物を乗せたラクダに乗っていたが、いなくなってしまい、失望してしまい、木の下の影で横になった。すでにラクダのことは諦めていたが、目の前にそのラクダが現れた。彼は鼻皮をつかんで、喜びのあまり、「アッラーよ、あなたは私のしもべで、私はあなたの主です:」と間違えてしまった。まことにアッラーはこの男よりもしもべの悔悟を喜び給うのだ。》(ムスリム)

 

誠実な悔悟は、深いところにある悔悟です。まず、激しい後悔で始まり、次には表現できない幸福が続きます。学者たちが誠実な悔悟について言った中でも特に素晴らしいのがイブン・アル=カイイム(アッラーの御慈悲あれ)のものです:”あなたがとても気に入っている人物が敵にさらわれてしまい、あなたと彼の間に隔たりができてしまいました。あなたは敵が彼を酷い方法で痛めつけたり、さまざな方法で苦しめることを知っています。あなたが彼にとって彼らよりもふさわしいのに、です。この人物はあなたが植え、育てました。ふと彼は敵の手から逃れて、約束の時間を設けることもなくあなたの目の前に現れました。彼はドアの前であなたを褒め称え、歓喜し、助けを求め、あなたについてこようとしています。このような人物に対するあなたの喜びは一体どれほどの大きさであるでしょうか。あなたは彼を自分にとって特別な人物とし、あなたの近くにいることに満足し、誰でもない彼を優先したのです。しかしあなたが彼を存在させたのでもなく、創造したのでも、あなたの恩恵を豊かに与えたのでもありません。至高偉大なるアッラーこそがしもべを存在させ、創造し、形作り、彼の恩恵を豊かに彼に与え給うたのです。その上彼はそれをしもべに完遂することを御好みなのです。そうすることでしもべは彼の恩恵を表わすことになります。しもべはアッラーからそれを享受し、彼に感謝し、恩恵の主の愛される存在となり、彼に従順で崇める人となり、そして彼の敵に立ち向かい、彼のために怒り、敵に背きます。”

 

以上の素晴らしい言葉は、信仰者がアッラーに悔悟する際に知っておくべきアッラーの本質を語っています。

 

教友アブーフライラ様(アッラーの御満悦あれ)によるとアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:

《まことにアッラーは、おまえたちの誰かが乗り物を失くしたのちにあらためてそれを見つけるよりも、おまえたちの誰かの悔悟を喜び給う。》(アッ=ティルミズィー)

 

http://nabulsi.com/blue/ar/art.php?art=7192&id=205&sid=801&ssid=882&sssid=895


預言者伝【番外編14】

2015年12月10日 | 預言者伝関連

人間らしい繊細な感情と愛の高貴さ:
預言者としての任務・宣教の責務、高くそびえ立つ山々でさえも抱えられない人間としての悩み・悲しみ・重荷の中、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の中に人間らしい繊細な感情と人間特有の高貴な愛がそれらの最も美しい形で現れました。諸預言者に際立っている彼の厳格さと決心の強さ、宣教の道・アッラーの御名前の高揚・アッラーの御命令の遂行の前で何かが優先されることはないのですが、彼は彼の呼びかけに応じ、アッラーの道のために力と魂を捧げ、ウフドの戦で殉教した誠実な教友たちをお亡くなりになるまで忘れることはありませんでした。彼はいつも彼らを思い出し、彼らのために祈り、訪問しました。この愛情はこの戦が起きた場所にも向かいました。教友たち(アッラーの御満悦あれ)は彼について伝承しています:彼はおっしゃいました:《この山はわれわれを愛し、われわれもこの山を愛する。》(アル=ブハーリー)教友アナス様(アッラーの御満悦あれ)によると彼(アッラーの祝福と平安あれ)の目の前にウフド山が現れるとおっしゃいました:《この山はわれわれを愛しており、われわれもこの山を愛する。》アブーフマイド様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:私たちはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)とタブークの戦から戻って来る際にマディーナに近づいた時におっしゃいました:《これはターバである。そしてこれはわれわれを愛し、われわれも彼を愛する山である。》(アル=ブハーリー)

教友ウクバ様(アッラーの御満悦あれ)によると、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はある日お出かけになり、ウフドの戦で亡くなった人たちのために祈りを捧げました。(アル=ブハーリー)また、ジャービル・イブン・アブディッラー様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:私はアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がウフドの仲間を思い出して、ああ、アッラーに誓って。かの仲間たちと共に(ウフド)山の広場で天に召されたかった、とおっしゃるのを聞きました。(アハマド)

また彼(アッラーの祝福と平安あれ)は、父方のおじであり、乳兄弟であり、また彼のために怒り、マッカでは彼を庇い、ウフドの戦で殉教し、戦死者の中で彼以上に見せしめにされたことはないハムザ様(アッラーの御満悦あれ)の死を使徒らしく耐えられました。しかしウフドからマディーナに帰られた際、アブドゥ=ル=アシャハル家の館のそばをお通りなり、聞こえてきた鳴き声や死者に対する悲しみの声が彼の心を揺さぶりました。そしてその瞳には涙が溢れ出ました。《しかしハムザのために泣く者はいない》とおっしゃいました。

彼(アッラーの祝福と平安あれ)のこの人間らしい感情が預言者としての、そして宣教における責任を後回しにしたり、アッラーのための行動を止めることはありませんでした。預言者伝の著者たちは、教友サアド・イブン・ムアーズ様とウサイド・イブン・フダイル様(アッラーの御満悦あれ)がアブドゥ=ル=アシャハル家の館に戻った際、女たちに帯を締め、出かけて行き、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)のおじのために泣くよう命じたところ、その通りに彼女たちがしたことを伝承しています。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がマスジドの門のところで彼女たちのハムザ様の死を悲しむ鳴き声をお聞きになると、彼女らのもとに赴きになり、おっしゃいました:《さあ、皆さん戻りなさい。アッラーがおまえたちを慈しみ給うよう。もう十分してくれた。》他の伝承によると彼はおっしゃいました:《これは何だ?》アンサールが女たちにさせたことだと知らされると、彼は彼らが赦されるよう祈り、彼らについて良いことをお話しになりました。そしておっしゃいました:《これは私が望んだことではない。》泣くことをお好みにならず、それを禁止されました。この逸話以上にきめ細やかな対応を実はワハシーになさいました。ワハシーはアッラーの獅子、アッラーの使徒の獅子と呼ばれたハムザ様(アッラーの御満悦あれ)を殺した人物です。アッラーが信徒たちのためにマッカを開き給うた際、ワハシーはどうしたら良いか分からず、シャーム方面かイエメンか他の国に移ろうかと考えました。この世がとても暗くなってしまった時、「おい、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はその教えに入った者を殺すことはないぞ」と言われて、心からの信仰告白を唱えました。そしてアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)のところに行き、彼(アッラーの祝福と平安あれ)も彼を怖がらせることなく、ワハシーのイスラームを受け入れられました。そしてワハシーは彼(アッラーの祝福と平安あれ)にハムザを殺した話をしました。話し終えた時、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の中である感情が動きました。それは彼の預言者という高貴な立場を邪魔して、ワハシーの帰依を否定したり、己を怒らせたり、仕返しにワハシーを殺したりするようなものではありませんでした。ただ、次のようにおっしゃっただけでした:どうか、おまえの顔を現さないように、わたしがおまえを見ることがないようにしなさい。ワハシーは言いました:私はアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に見られないように隠れていました。アッラーが彼を召し給うた時までそうしていました。

他の伝承には:彼(アッラーの祝福と平安あれ)が私をご覧になった際、おっしゃいました:おまえがワハシーか?私がその通りですと答えると、おまえがハムザをころしたのか?とおっしゃいました。私は:あなた様がお聞きになった通りですと答えたところ、では、おまえの顔を私から遠ざけることは可能か?とおっしゃいました。(アル=ブハーリー)

また、墓のそばにお座りになり、悲しさがこみ上げてお泣きになるということもありました。《これはワハブの娘アーミナの墓。》とおっしゃいました。それは彼女が亡くなって長い月日が流れてからのことでした。