イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

83.量を減らす者 (アル・ムタッフィフィーン)【2】

2007年12月26日 | ジュズ・アンマ解説
 アッラーは続けておっしゃいます:
 「断じていけない。罰ある者の記録は,スィッジーンの中に(保管して)ある。スィッジーンが何であるかを,あなたに理解させるものは何か。(そこには完全に)書かれた一つの記録(がある)。

 断じていけない:量を減らす者たちの甦りを否定する姿勢、彼らの悪行が清算されることを否定する姿を厳しく批判します。クルアーンは彼らを、フッジャール(Fujjar)と表現します。罪ある者、という意味です。つまり、忘恩不信と罪業に浸る者のことです。彼らの行いが記録されている書簡はスィッジーン(スィジンという監獄が語源)の中に保管されています。これは彼らの地位の低さのため、大地の一番奥深いところにあるといわれています。
  「スィッジーンが何であるかを,あなたに理解させるものは何か。」:スィッジーンの恐ろしさと、それについて知るものはいないことを示唆します。
  「(そこには完全に)書かれた一つの記録(がある)。」:そこに彼らの所業が記されます。他人がそれを見ると、その持ち主が善い行いをしていなかったことが分かる証拠になるでしょう。

  続いて、報復の日をうそとする人たちにアッラーは警告をします。
 「災いなるかな,その日,嘘であると言って来た者たちよ,審判の日を,嘘であると言って来た者たちこそは。これを嘘であると言って来た者は,反逆者,罪人に外ならない。わが印が,かれらに読誦された時,かれらは,「昔の物語だ。」と言った。

 アッラーは清算と報復の日を信じない人たちに罰があることを警告します。この日を否定するのは、恩恵不信と迷いにおいて度を越した人や、罪業を過度に行う人以外にいません。
 「わが印が,かれらに読誦された時,」:彼らにクルアーンの節が読み上げられると、彼らはそれを「昔の物語だ。」と言いました。伝説というものは、昔の人たちが記した、根拠はなく信憑性もない話です。

  アッラーは続けて、彼らが導きを拒否する秘密を解明します。
 「断じてそうではない。思うにかれらの行った(悪)事が,その心の錆となったのである。
  断じてそうではない:彼ら罪深い人たちが、クルアーンのことを昔話だとするのがどれだけ重大であるかを表現するため、強い否定形が使われています。
 「かれらの行った(悪)事が,その心の錆となったのである」:彼らの感覚と心に覆いがされたという意味です。
 「かれらの行った(悪)事」:彼らの悪行が、心の中で錆となってしまいました。悪事に慣れた心には、分厚い覆いがされ、アッラーの御光からさえぎられてしまいます。そのため、真実、善、慈悲の感覚が失われてしまいます。このことについて預言者(平安と祝福がありますように)は言っています:《信者が一つ罪を犯すと、心に黒いしみが付く。悔悟し、罪を止め、赦しを求めれば、心は輝くでしょう。罪が大きくなると、(しみも)増える。それこそが、アッラーがかれの本の中で言われた「錆」である。》(イブン・マージャとアフマドより):「断じてそうではない。思うにかれらの行った(悪)事が,その心の錆となったのである。

83.量を減らす者 (アル・ムタッフィフィーン)【1】

2007年12月22日 | ジュズ・アンマ解説
 83.量を減らす者 (アル・ムタッフィフィーン)

 【解説】 
 この章の一番大きな目的は、計量上の騙しの排斥です。生の後に死が訪れて、人々は生きていた頃の行いの清算を受けます。無罪の人たちの報いは至福の天国で、破廉恥な人たちの報いは地獄の火でしょう。

 預言者(平安と祝福がありますように)がアル・マディーナにやって来たころの町の人々は、秤を正しく扱わずに計量していたと伝えられています。そこでアッラーは次の御言葉を啓示されました:「災いなるかな,量を減らす者こそは」言葉は次の節に続きます。この後、人々の秤に対する姿勢は改善しました。

 至高なるアッラーは、秤などの計量器を遊ぶように扱う人たちを警告します。

 「災いなるかな,量を減らす者こそは。かれらは人から計って受け取る時は,十分に取り,相手にわたす)量や重さを計るときは,少なく計量する者たちである。

 アッラーは、重さを少なくする人は破滅し、罰を受けるだろうと警告します。彼ら量を減らす者たちは自分が買う側になると、十分な量を受け取りますが、売る側になると量や重さを減らします。

 量と重さを減らすことは、イスラームにおいて大きな罪です。では、強奪や横取り、スリなどはどうなるのでしょうか。そして、騙し、裏切りなどで人々の糧を不正に貪ることはどうでしょうか。これら全ての罪は、アッラーが量を減らす者に対して行った警告である、来世における厳しい罰が課されるに値します。

 人々の財産を不正に消費する悪人についてアッラーは仰っています:

 「これらの者は,甦ることを考えないのか,偉大なる日に。その日,(凡ての)人間は,万有の主の御前に立つのではないか。

 ここで、疑問詞と感嘆詞が使われています。量を減らす者が清算を受けないと思い込んで、このように間違った行動をする様子に驚嘆しているためです。彼が正しくない行いをする理由は何でしょうか。それは、彼が甦りや来世の清算があるとは思っていないからです。ですが、量を減らす人たちは一度も自分たちが恐ろしい日である最後の日、全ての人が世界の主とかれの裁きのために墓場から起き出す日に甦るのでは、と気に留まったことは無いのでしょうか。主はこの日、人間が行った全ての大小の行いの清算をされますが、量や重さを減らしていたことも、人々の財産を不正に貪ったことも清算されるでしょう。

イード・ル・アドハーの犠牲家畜

2007年12月19日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)

 アッラーにお近づきできることを願って、犠牲祭(イード・ル・アドハー)当日に、ラクダ、牛、羊、ヤギの中から選ばれた動物が屠られます。

 根拠クルアーンより:「あなたの主に祈り、犠牲を捧げなさい」(アル・カウサル章2)
 根拠スンナ(預言者(平安と祝福がありますように)の慣行):《彼は2匹の白色で立派な角を持った羊を自らの手で屠り、アッラーの御名を唱えてタクビールを言い、2匹の首の上に足を置かれた》(アル・ブハーリーとムスリムより)

 英知:
 犠牲を捧げることは、崇拝行為(イバーダ)です。
 犠牲を捧げることにより、預言者イブラーヒーム(彼に平安と祝福あれ)が実行した「犠牲を捧げる」の意味を確認できます。アッラーは彼に、自分の息子を犠牲に捧げるよう命じましたが、これはアッラーから与えられた試練でした。アッラーの言いつけを実行しようとしたイブラーヒームを認め、代わりにアッラーは彼に下した羊を屠ることでよしとしました。
 イブラーヒームと息子のイスマーイール(二人に平安あれ)のアッラーへの無垢な信仰、そして彼らのアッラーの命令を忠実に実行する姿を私たちは見習うべきです。

 他に、イードの日に貧者、必要とする者を慈しみ、そして家族に喜びを与えることも、犠牲の重要な英知の一つです。犠牲を捧げることにより、ムスリム兄弟の絆が深まり、それぞれの心に愛情と団結力が植えつけられます。


82. 裂ける (アル・インフィタール)【3】

2007年12月14日 | ジュズ・アンマ解説
 そしてクルアーンは、天使が書き留めたものに基づいた人間のクライマックスについて明らかにします。

 「敬虔な者は,必ず至福の中にいる。罪ある者は,きっと火の中にいて,審判の日,かれらはそこで焼かれ,そこから,逃れられない。

  彼ら敬虔な者たちは、天国でアッラーに与えられたものに浴します。彼らこそアッラーのご命令に従ってきた者たちです。アッラーにお仕えすることは、すべての善と高徳な行いを含み、個人と社会にも益をもたらします。代わって罪業者は、多神教徒でアッラーのご命令に反し、すべての悪を合法とする人たちのこといい、彼らに相応しい報酬は地獄です。

 「審判の日,かれらはそこで焼かれ,」報いの日、彼らにこの日は熱く当たります。
 「そこから,逃れられない。」彼らは地獄から出ることはありません。

  最後にクルアーンは、人間の頭脳が最後の審判の詳細を把握出来ないことを、その日の偉大さを強調しながら明言します。

 「審判の日が何であるかを,あなたに理解させるものは何か。一体審判の日が何であるのかを,あなたに理解させるものは何か。

 この部分は、報酬の日の恐ろしさは、人間の想像以上であり、かつ人間の知っている範囲外であることを説明します。 その日、人間は他人に何か益になるものを与えることが出来ず、誰かが自分を害から守ってくれることもありません。すべての人間はアッラーの手中に納まるのです。

 「その日,どの魂も外の魂のために(役立つ)何のカも持たない。命令は,その日アッラーのもの。

  命令はアッラーお一人のものになります。その日、いろいろな王権、党首、主張は消え去ります。王権はお一人であられるアッラーのみに属します。

82. 裂ける (アル・インフィタール)【2】

2007年12月09日 | ジュズ・アンマ解説
 続けてクルアーンは、不信仰者たちの反抗と彼らの主への不服従の原因を解明します。

 彼らが報復の日(最後の審判の意)を嘘であるとすることが原因であるとアッラーは仰っています:
 「いや,あなたがたは審判を嘘であると言う」不信仰者よ、アッラーの恩恵を不信仰と悪行で返していることを恐ろしく思え!それ以上にあなたたちは審判を嘘であると言う。清算の日を嘘であると言うことは、世界を征服しようとするすべての悪の原因です。もし人間がこの日が来ると信じるなら、自分の行いの一つ一つを見張るようになり、そして自分を清算するようになるでしょう。そうすることによって悪と、主が満足しないすべてのことから遠ざかることが実現します。

 続いてクルアーンは、周りに存在するアッラーの繊細なる監視について人間を振り向かせます:
 「本当にあなたがたの上には2人の看守(天使)がいるが、かれらは気高い記録者で、あなたがたの所行を知っている」 人々よ、あなた方の上には行いを数えては記録する天使がいることに留意しなさい、という意味です。それぞれの人間に天使が付いていて、右側には善行を書き留める天使、反対側には悪行を書き留める天使がいます。
 「かれらは気高い記録者」アッラーによって気高くされた彼らはあなたたちの行いを書き留めます。
 「あなたがたの所行を知っている」彼らはあなたたちの善行と悪行を知っていて、その上それらを数え上げます。そのため人間は自分が監視も行いに対する清算もなく、遊びやなんとなくという感覚で創造されたと考えるべきではないのです。

ズ・ル・ヒッジャ月は来週11日から始まります

2007年12月08日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)

ビスミッラーヒッラフマーニッラヒーミ

タイトル通り、ズ・ル・ヒッジャ月はおそらく11日から始まります、インシャーアッラー。
そして、9日目(12月19日)がアラファの日で断食がスンナになりまして、10日目(12月20日)がイードルアドハー(犠牲祭)になります、インシャーアッラー。

ぜひ善行に精進しましょう!


ズ・ル・ヒッジャ月の徳

2007年12月07日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)

وقال صلى الله عليه وسلم : " ما من أيام أعظم عند الله ، ولا أحب إلى الله العمل فيهن من أيام العشر ، فأكثروا فيهن من التسبيح ، والتحميد ، والتهليل ، والتكبير "
 [ رواه أحمد والطبراني ] .

預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)はズ・ル・ヒッジャ月について言われました:

「これよりもアッラーのもとで偉大な日々はありませんし、この10日間に行われる行いよりもアッラーに好ましいものはありません。ですから、この間にタスビーフ(スブハナッラーと言うこと)とタフミード(アルハムドゥリッラーと言うこと)とタフリール(ラーイラーハイッラッラーと言うこと)とタクビール(アッラーフアクバルと言うこと)を多くしなさい」(アフマドとアッ・タバラーニー出典)

★ズ・ル・ヒッジャ月最初の10日間の徳について★
1 アッラーがクルアーンの中で、この10日間で誓いをされている。(アル・ファジュル章参照

2 アッラーがこの日々に、タスビーフとタフミードとタフリールとタクビールを多くすることを命令されている。

3 この10日間にタルウィヤの日が含まれていて、タルウィヤの日はズ・ル・ヒッジャの8日目に当たります。8日目にマッカに到着した巡礼者たちは、9日までをミナーで過ごすために出発します。彼らはゾホルとアスル、マグリブとイシャーの礼拝を短縮して行い、ファジュルを行うまでミナーにとどまります。その日はちょうど、ズ・ル・ヒッジャ月9日目にあたります。8日目にミナーに泊まることは巡礼におけるスンナですので、ムスリムはこれを遵守し、避けるべきではありません。

4 この10日間には、巡礼が成り立つ柱の一つであるアラファの日が含まれています。これがないと、巡礼は有効になりません。「ハッジ(巡礼)はアラファだ」と、預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)も言われました。
巡礼者たちはズ・ル・ヒッジャ月9日目に太陽が昇った後、アラファへ一斉に向かいます。アラファに着いたら、ゾホルとアスルを前者の時間に短縮かつ一緒に行います。その後はひたすら祈願し、アッラーの御前にたたずんで、この偉大な日を過ごします。

5 アラファの日の断食。預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)は巡礼に参加していない人々に断食するよう促しました。しかし巡礼に参加している人は、礼拝や祈願に体力を使うべきなので、断食しません。巡礼に行っていない者はこの日に断食をすることが好まれますが、これは預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)の残された言葉によるものです:アラファの日の断食は、2年間(の過ちなど)を洗い流す。過去と、未来と。(ムスリムとアフマドとアッ・ティルミズィー出典)

6 この10日間は、アッラーの道のためのジハードに優ります。これも預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)の言葉に拠ります:「この日々(ズ・ル・ヒッジャ月の最初の10日間)に行われる善行よりもアッラーが好まれるものはない。」皆が言いました:「アッラーの預言者よ、アッラーの道のためのジハードよりもですか?」「アッラーの道のためのジハードよりもです。しかし自分自身と自分の財産を持って(ジハードに)出かけて、何も戻ってこなかった者は別です。」(アル・ブハーリーなどが出典)

7 この10日間には、動物を犠牲にする日があります。これは預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)の慣行で、アッラーにお近づきできるものとして、彼は人々に犠牲をささげるように促されました。これにより、貧者の必要を埋め、私たちの父であるイブラーヒーム(彼に平安あれ)の慣行を体現することが出来ます。巡礼者・非巡礼者、男性・女性にかかわらず富に余裕がある者は犠牲を捧げるべきです。なぜなら、純正なイスラームの教えの大切な儀式であるからです。アッラーは仰せられています:(犠牲の)肉も血もアッラーに届かないがアッラーに届くのはあなたがたの畏敬の念である、他の箇所ではこう仰せられています:あなたの主のために祈り、犠牲を捧げなさい。

善行を多くしましょう
★断食を行う
★親族訪問
★サダカ(喜捨)
★ズィクル(念唱)
★任意の礼拝
★畏敬の念を持って集中してクルアーンを読む
★アッラーにたくさんのドゥアー(祈願)をする
★預言者たちや使徒たちの中で最良の方であり、私たちの模範である預言者ムハンマド(アッラーの平安と祝福がありますように)に祈願する
 


82. 裂ける (アル・インフィタール)【1】

2007年12月06日 | ジュズ・アンマ解説

久しぶりになってしまいました。すみません。
ハッジが目の前までやって来ました。私は今年も行けそうにないですが、ぜひ近いうちに行けるといいなぁと思っています。これを読んでいるハッジに行くご予定の方は、ぜひ私にもドゥアをお願いします!
あ、そうそう。ハッジに行かない人は、断食などスンナの行いがいくつかあるので、自分の復習をかねて、次回まとめてみよう…と思います。インシャーアッラー。



82. 裂ける (アル・インフィタール)

 この章は、清算の日についてや、その日に起こる恐ろしい大地の変動の様子、その直後にある人間の行いに対する良い報いと罰が与えられる様子を解説します。それらは、主の権利に怠慢で、報いの日を否定する者たちに対する叱責の中に見られます。

 アッラーは、この章を審判の日の様子の描写で始めます。
 「天が,微塵に裂ける時,諸星が散らされる時,諸大洋が溢れ出される時,墓場があばかれる時,それぞれの魂は,既にしたことと,後に残したことを知る」

  アッラーは仰っています:「天が,微塵に裂ける時」つまり、裂けちぎれる様子です。今までの地球の規則が終わり、大地そのものに大きな変化が起こることが、この節の意味しているところです。
 「諸星が散らされる時」天から星が落ちる様子です。諸星が天体の法則から離れることを意味します。
 「諸大洋が溢れ出される時」真水と塩水が混ざる様子です。山々や大地に大きな変化があると、このようなことが起こるのかもしれません(アッラーのみがご存知)。
 「墓場があばかれる時」墓場が掘り返され、死人が生き返った状態でそこから出てきます。
 これらすべての変動があるとき、「それぞれの魂は,既にしたことと,後に残したことを知る」つまり、それぞれの魂は行ったアッラーへの服従と、履行出来なかったアッラーの権利と服従について知ることになります。

  そしてクルアーンは、アッラーの権利をきちんと履行しない人たちに、アッラーの彼らに対する恩恵を思い出させながら語りかけます。
 「人間よ,何があなたを恵み深い主から惑わせ(背かせ)たのか」何があなたを現世で主を背かせ、かれに対する義務を怠たらせたのか?そしてあなたは罪に走ったのか?かれこそは、表現できないほどのものをかれの寛大さからあなたにお授けくださった主であられます。
 「かれはあなたを創造し,形を与え,(均整のとれた体に)整え」かれはあなたを無から存在させ、この完璧な姿をお与えになり、体の各部分は生き物としてちょうどよく均衡に配置されています。
 「かれの御心の儘に,形態をあなたに与えられた御方である」その形態は、長すぎずそして短すぎません。アッラーはそのような行き過ぎた形態からあなたを遠ざけられました。

  人間の創造の均衡さは、その体の構造、頭脳の構造に現れていますし、大地の管理者に相応しい人間としての精神の構造にも、創造の均衡さが現れています。他にも人間の身体構造の完璧さとその神秘さを示唆するもの(消化器、循環器、呼吸器など)はたくさんあります。医学生はそれらを長年かけて研究していきます。