退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「失われたもの」について

2017-03-01 02:02:20 | Weblog
快晴。風なくおだやか。

能村庸一「実録テレビ時代劇史 ちゃんばらクロニクル 1953-1998」を読む。

「映画」がやがて「テレビ」に押されてゆく時代背景。
「電気紙芝居」だと揶揄されつつ映画界の人間も加わって。

個人的な記憶をたどった次第。
中でも中村梅之助の「遠山の金さん」が懐かしい。

この主題歌が耳に残る。
「よー よよよい よよよい よよよいよい めでてぇな」も同様。

小川真由美の「女ねずみ小僧」あるいは中村敦夫の「木枯らし紋次郎」など。
「水戸黄門」「大岡越前」は言わずもがな。

西郷輝彦&松坂慶子の「江戸を斬る」の主題歌がなかなか。
そういえば「大江戸捜査網」のオープニングも。

「死して屍拾う者なし」のナレーションよ。
歌謡曲では玉置宏、時代劇では芥川隆之の「名調子」があったもの。

NHK大河ドラマの「歴史」にふむふむ。
こちらはあまり観ていないので「そんな時代もあったね」と。

そろそろ「時代劇の最期の時」が近づきつつあるのか。
松方弘樹も亡くなって北大路欣也が「最後の砦」なのかもしれず。

「王道の芝居と貫録」を合わせ持つ人材がギリギリのような。
高橋英樹はバラエティばかりだし松平健も本領を発揮していず。

「最後の花火」をどこかで打ち上げていただきたいところ。
今となっては歌舞伎方面にも「役者」は多くないし。

ある種の「重厚さ」は二度と戻らない「哀しさ」たるや。
たとえば山形勲あるいは安部徹といった人の「存在感」はもう過去の作品でしか確認できない。
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