退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「楽しい歴史と車窓から見える稲の成長ぶりあるいは昔から『残念な人』であること」について

2019-06-23 02:05:47 | Weblog
くもりのち晴れ。洗濯物は干せばよかった。

「漢詩を読む④」読了。

いやはや何とも楽しい時間を過ごさせて頂きましたという感じ。
中国の歴史を辿ったのも同様に。

本書は本来そばに置いておいて
ふと思い出した時にページをめくる類いのものだろう。

ここまで来たら漱石に倣って自ら漢詩を作ってみるか。
平仄その他について学んでからのことではあるけれど。

ここでもどうなるかは気分次第。
また「老後の愉しみ」が増えたということでよろしく。

「少年老い易く学成り難し」とはいうけれど
「老年老いも無く学成り易し」ということもある。

むやみに力を入れることなく楽しめる境地はむしろ「融通無碍」かも。
そこが「桃源郷」やもしれず。

さて。

毎日電車に乗るのだけれど窓越しに見える田んぼがなかなか。
確実に少しずつ伸びる稲を確認するのが楽しい。

束の間農家になった趣き。
もちろんそれを可能にする労働について詳細は知らないまま。

そうそう。

中学の頃なぜか生徒会とやらに加わることになり。
当時の会長は「米一粒を大切にしよう」などという標語を掲げたりしたのだったか。

ただし彼は何年か前に自死したと風の噂で聞いたような。
その理由については知らないまま。

「副会長」とは名ばかりで何もしなかった記憶がある。
他の候補と「同点」で「決選投票」に。

面白いのは当時の彼女が同じクラスの副会長候補に投票したこと(副会長は当選枠がふたり)。
彼女がこちらに投票していれば「決選投票」はなかったことになるわけで。

当時は大して気にも留めなかった無邪気。
今となってはささやかに趣き深い。

その彼女とは卒業後「自然消滅」。
後に彼女の友人からこちらの高校に様子を見に来ていたことがあるのを知らされて。

昔から「自分のこと」しか考えていないことを確認する。
このざまでは「ひとり上手」になるのも当然。

「残念な人」であることをあらためて。
どこか「異様に鈍感」なので関係各位には「申し訳ない」。
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