退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『風流』とインチキ野郎の『プライド』の謎」について

2018-11-17 02:10:05 | Weblog
くもり。おだやか。

「鷗外歴史文學集 第七巻」で「伊沢蘭軒」の続きを読む。

かつては漢文が「当然の教養」だったことはわかるのだけれど
やはりここまで個人にこだわる著者の姿勢は謎。

教科書にも載っている「高瀬舟」の考え方からすれば
「足るを知った」上で「風流」を貫く姿こそが尊いということなのか。

ようやく明日読了できそうなので終わりを確認したい。

それとは別に。

知り合いの若い男子はよく嘘をつく。
まるで「本当のこと」を喋ってはいけないかのように。

「わかった?」とこちらが聞くと「わかりました」と言うのだけれど
進めるべき作業は一向にはかどらないまま。

「わかってないじゃん」と言うと「大丈夫です」と答える。
「大丈夫じゃないでしょ」と繰り返すと「いや大丈夫です」と。

敢えて「嘘をつくな」と言ったところ「もういいです」とも。

この「圧倒的に貧しい自己完結ぶり」はいったいどこから生まれるのだろう。
「何も出来ていない事実」を否定してまで何を「維持したい」のか。

もしそれがある種の「プライド」のせいだとするなら。
こちらとしては本気で「馬鹿者っ!」と一喝するよりなく。

まともな努力もしないで何が「プライド」か。
自らの愚かさを隠すだけならそこに「成長」はありようもなく。

もちろんレベルの如何は問わない。
それにしてもこうした輩がなぜ育ってしまうのかと思うことしきり。

「一度失敗を認めたらすべてがパー」といった「世界」のせいだとしたら。
やはり「大人が悪い」。

「プライド」は「確かな結果」に支えられて成立するものでないと。
ここでも「試行錯誤」が許されない「現実」がある模様。

もっともこうした「歪んだ世界」が現実となって久しい。
「失敗は成功の母」という言葉の意味をあらためて。

「デタラメやインチキはしない」という「倫理」を
どこの世界でも思い出したいものではある。

「卑怯」という言葉をもっと身近に置いて。
堂々と「負けられる」からこそ堂々と「勝てる」ことを忘れずに。
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