退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「確かな目と簡単にはホメないこと」について

2018-04-20 02:11:03 | Weblog
『快晴。スーツの背中が焼ける日差し。

伊藤洋司「映画時評集成 2004-2016」を読む。

「蓮實門下生」としては見事に「伝統」を受け継いでいる印象。
その上で「師匠」を超える評論がないことの問題も指摘していて。

「時評」としてはあまりインパクトがないのがいささか残念。
筆者が採り上げている映画をほぼ観ていないことに気付く(「ベスト300」は別にして)。

個々の作品に関する評論を読んでみたい。

むしろ著者に「時評」を任せるのがいいのかどうかという疑問など。
本書が2作目だというのも同様に。

青山真治とともにとにかく映画をよく観ている。
なるほど「映画に愛されている」のだと「映画の愛人」としては思うことしきり。

「確かな目」をもっと生かしていただきたいもの。
出来れば「授業」も受けてみたい。

それとは別に。

昔から相手をホメるのが下手。
「自分が本気でスゴい」と思ったものしかホメないから。

それ以外のものについては「ウンコ並みの扱い」をしてしまい。
「ホメたつもりがそう受け取られないこと」もしばしば。

巷では「ホメられたい人々」が増えているので「時代」とは「逆行」しているかたち。
ちょいと叱られたくらいで「やる気」がなくなるならそもそも「やる気がなかった」と思うだけ。

自らが「のうのうと生きていること」が実は「他人を蹴落としていること」。
その種の「センス」がない人々はやたらに「傷付く」のが上手で。

一見「弱者」である者たちがいとも簡単に「強者」になる事実もあり。
「数の多少」で判断されるものについては「留保」したい気持ちが強く。

「お客様は神様です」という扱いがポイント。
クレーマーに毅然とした態度で向かい合えない情けなさよ。

「他人に阿る」だけの「商売」はやがて「時代」とともに消えるのみ。
それは「歴史」を振り返ればわかることだったり。

「言いたいこと」も言わないまま「ちまちま」や「グズグズ」に付き合う気は毛頭ない。
「自分の貧しさ」を「合理化」することなかれ。』でまた寝る。
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