雨のちくもり。蒸し暑いこと夥しく。
昨日は久方ぶりの仕事場の飲み会。
いささか酒が足らず帰宅後シャワーを浴びて飲み直したところ。
気付かぬうちに爆睡。
「恐怖 ダリオ・アルジェント自伝」を読む。
やはり「妙な人」と言うよりない内容。
「サスペリア」(’77)がよく知られていて。
2000年以降の後期の作品は観ていないのだけれど。
「歓びの毒牙」(’70)のお洒落な恐怖は知っておいていいかも。
ベルトルッチやセルジオ・レオーネあるいはジョージ・A・ロメロとの関係など。
「デモンズ」シリーズも含めてホラー映画に大いに影響を与えた人であるのは確か。
ゴブリンの音楽はジョン・カーペンターも真似をしたり。
それにしても。
娘たちも含めて「女性との関係」が微妙。
かつて「捨てられた恋人」に「復讐」したり。
おそらくは「そばにいたら厄介な人」で。
本人の姿が「ほぼホラー」だったりする。
斎藤淳子「シン・中国人」を読む。
異様なスピードでの「変化」がかの国にもたらしたものよ。
「世代間の断絶ぶり」も大きく。
「生き延びるための壮絶さ」がわが国とは比べものにならないほど。
「不動産バブル」も今は弾けて。
悪いが「こういう環境の下」では暮らしたくないと思うことしきり。
もっとも「生まれ」を選ぶことは出来ず。
北京にすべてが集中する現実は韓国に似て。
もちろんわが国も同じく。
この種の「アジア的なもの」はどう処理したらいいのだろう。
のんびり暮らしている自分には想像もつかず。
マル激を観る。
今回は「間違いだらけの水害対策」について。
ただし内容が非常に難しい。
基本は「官僚による『自分たちは間違っていない』と言うためのアリバイ作り」。
とはいえ本編の主張を共有するのはたぶん「無理筋」。
簡潔に言うなら「自然の複雑さはわれわれの脳が要求する単純さには馴染まない」。
少なくとも「防災」は不可能なので「減災」しかないことを「共通認識」にしたいもの。
「正しいこと」が伝わらないことをあらためて。
現在の「劣化」を思えばどうしようもなく。
ニムロッド・アーントル「バッド・デイ・ドライブ」(’23)を観る。
設定はヤン・デ・ボン「スピード」(’94)。
リーアム・ニーソンもすでに72歳。
マシュー・モディーンはこんな風になったのね。
アラン・パーカー「バーディ」はもう40年前になるのか。
残念ながら「オチ」がダメ。
「論理的にありえない」から。
犯人も動機もわからないまま物語は進行するものの。
それでこれですかといった趣き。
ノーマ・ドゥメズウェニの警部はもっと魅力的であってしかるべきなのに。
彼女をもっと活かしてもらいたかったところ。
それにしても。
「家族」は崩壊して久しいというのにこのパターンが繰り返されるのはなぜ。
かくもかように「幻想」が維持されるのは。
それが「数少ないもの」だからだと思っていいはず。
昨日は久方ぶりの仕事場の飲み会。
いささか酒が足らず帰宅後シャワーを浴びて飲み直したところ。
気付かぬうちに爆睡。
「恐怖 ダリオ・アルジェント自伝」を読む。
やはり「妙な人」と言うよりない内容。
「サスペリア」(’77)がよく知られていて。
2000年以降の後期の作品は観ていないのだけれど。
「歓びの毒牙」(’70)のお洒落な恐怖は知っておいていいかも。
ベルトルッチやセルジオ・レオーネあるいはジョージ・A・ロメロとの関係など。
「デモンズ」シリーズも含めてホラー映画に大いに影響を与えた人であるのは確か。
ゴブリンの音楽はジョン・カーペンターも真似をしたり。
それにしても。
娘たちも含めて「女性との関係」が微妙。
かつて「捨てられた恋人」に「復讐」したり。
おそらくは「そばにいたら厄介な人」で。
本人の姿が「ほぼホラー」だったりする。
斎藤淳子「シン・中国人」を読む。
異様なスピードでの「変化」がかの国にもたらしたものよ。
「世代間の断絶ぶり」も大きく。
「生き延びるための壮絶さ」がわが国とは比べものにならないほど。
「不動産バブル」も今は弾けて。
悪いが「こういう環境の下」では暮らしたくないと思うことしきり。
もっとも「生まれ」を選ぶことは出来ず。
北京にすべてが集中する現実は韓国に似て。
もちろんわが国も同じく。
この種の「アジア的なもの」はどう処理したらいいのだろう。
のんびり暮らしている自分には想像もつかず。
マル激を観る。
今回は「間違いだらけの水害対策」について。
ただし内容が非常に難しい。
基本は「官僚による『自分たちは間違っていない』と言うためのアリバイ作り」。
とはいえ本編の主張を共有するのはたぶん「無理筋」。
簡潔に言うなら「自然の複雑さはわれわれの脳が要求する単純さには馴染まない」。
少なくとも「防災」は不可能なので「減災」しかないことを「共通認識」にしたいもの。
「正しいこと」が伝わらないことをあらためて。
現在の「劣化」を思えばどうしようもなく。
ニムロッド・アーントル「バッド・デイ・ドライブ」(’23)を観る。
設定はヤン・デ・ボン「スピード」(’94)。
リーアム・ニーソンもすでに72歳。
マシュー・モディーンはこんな風になったのね。
アラン・パーカー「バーディ」はもう40年前になるのか。
残念ながら「オチ」がダメ。
「論理的にありえない」から。
犯人も動機もわからないまま物語は進行するものの。
それでこれですかといった趣き。
ノーマ・ドゥメズウェニの警部はもっと魅力的であってしかるべきなのに。
彼女をもっと活かしてもらいたかったところ。
それにしても。
「家族」は崩壊して久しいというのにこのパターンが繰り返されるのはなぜ。
かくもかように「幻想」が維持されるのは。
それが「数少ないもの」だからだと思っていいはず。
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