退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「眠りやすさとあれこれ」について

2015-10-15 02:58:44 | Weblog
『日本晴れ。日差しもうららか。

セス・ロイド「宇宙をプログラムする宇宙」を読む。

「0と1」があれば「計算」ができるということ。
「量子のゆらぎ」が「宇宙」を生んだことなど。

「宇宙」を「コンピューター=計算機」として見なすと
これまた「不可思議な世界」が浮上する。

「何もなかった場所」に何事かを生み出すのは「ゆらぎ」という「不均衡」。
「先入観」にとらわれずわれわれはもっと「接触」した方が面白そう。

その一方。

深夜NHKで「”消えた”子どもたち」』と書いたのは2日前。

「曽根中生自伝 人は名のみの罪の深さよ」を読む。

著者は一時期の日活を支えロマンポルノでも活躍した監督。
相当に鋭い感覚の持ち主だった模様。

残念ながら「いい観客」ではなく
ほとんど観たことがない作品ばかり。

最後には映画界から姿を消し何故か特許など取ったりして。
こういう人生もあるのだと知っておくことは悪くない。

タイトルはもちろん「早春賦」の冒頭「春は名のみの風の寒さや」から。
個人的には「夜をぶっとばせ!(BLOW THE NIGHT) 」(’83)をきちんと観たい。

とりあえずyoutubeにあったので載せておく。

池内了「科学者心得帳」を読む。

本書の出版は2007年で4年後の9・11東北大震災前。
著者の説くところは重々わかり現在でも通用する内容。

もっともやや「理想主義的」すぎて「実現」は難しそう。
「現在の生活」を維持するために川内原発再稼働を喜ぶ人々もいるのだから。

ただ「正しいこと」を現実にするためには「時間がかかる」というのには納得。
それにしても「地方の貧困」に付け込む「政策」にはうんざり。

その意味で「沖縄vs政府」の戦いの行方が気になるところ。
少なくとも「義」は「沖縄」にある。

そうまでして「守らなければならいもの」があると思う人々がいるのはわかる。

そんなものは捨ててしまえ。
もっとラクに楽しく安全に暮らせるはずだから。

深夜に深作健太「ケンとメリー」(’13)を垣間見る。

監督はちょいとマシになったのかどうか。
物語の展開とカットはやや微妙だが「幸福感」はある。

RCサクセション「雨上がりの夜空に」に免じるといったあたり。
それとマレーシアの人々にも。
コメント
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