退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「夢のようであることもしくは母国語の理解」について

2015-10-11 01:22:40 | Weblog
晴れ。深夜になって降る。

昨日も寝てしまう。

今宵もクインビー。
20人以上の歯医者の団体が来て夢のよう。

営業の人の見事なさばきに大いに感心する。
「なるほどこれが『営業』か」。

自分が出来ないことを過大評価するきらいはあるとして
それでも素敵。

あらためて「集客力のない自分」を反省したした次第。
もっともその種の「能力」は今後も伸びるとは思えず。

金森修「科学の危機」を読む。

著者はどうやらいい意味での「昔の左翼」。
「金のために生きるのは貧しい」というあたりには賛同する。

「もっともなこと=理想」と「現状を踏まえた上での対応=現実」。

これらは「同時進行」で効力を発揮するものらしい。
「対抗勢力」は参考にしていただきたいもの。

やはり基本は「普通の人々が賢くなること」か。
とはいえ「現状」はどうやらそうもいかず。

先日「四日市公害」を抑え込んだ田尻宗昭を扱ったTV番組を終わりがけに観る。

岩波新書の「黄色版」を読んでいれば知っているはずなのに。
そうか、そもそも「岩波」でない新書を読むのも難しいのか。

つくづく思うのは「言葉のまともな理解力のなさ」。
何事かに賛成か反対かはどうでもよく。

「好きキライ」によって圧倒的に理解力に差が生じる体質が「普通」な現在
その種の「先入観あるいは体質」をどう扱うかが相当に大事かもしれない。
コメント
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