退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ややこしさ」について

2015-10-27 02:59:11 | Weblog
晴れ。おだやか。

ウィリアム・ブロード&ニコラス・ウェイド「背信の科学者たち」を読む。

プトレマイオス、ガリレオ、ニュートン、ドルトン、メンデル、ミリカン。
歴史上の優秀な「科学者たち」も「実験」によるデータを都合よく利用。

「自説」のためあるいは「名誉」のために
「証拠」を「捏造」するのは昔からよくあることらしい。

まして研究に必要な「予算」を得るためなら
現代の科学者たちも同様なことをするのはある意味「必然」か。

もちろんそうでない科学者たちが大勢いるのはわかっている。
ただ「人」として「まとも」かどうかは「科学の才能」とは無関係なのがポイント。

「見たいものしか見ない」結果
自説に有利な「証拠」しか見えないこともあったり。

事ここに至ると「客観性」などというのは
われわれからはるかにかけ離れたもののようで。

だからこそ「チェック」が必要にはなるものの
「権威」に目くらましされ「専門性のタコツボ化」が進めばそれも難しく。

どこまでも「宙ぶらりん」でいられる「体力」を維持するべく
できるだけ謙虚でいたいものではある。

それぞれの育った「環境および年月」は人を何事かに執着させる。
その「バイアス」はどうにも取り除きようがないと知りつつ。

もっともある種の「強引さ」が「望ましい結果」を生み出すこともあるのだから
何とも「ややこしい」と言うよりない。

いやはや。

あらためてもっと「いいものに触れなければ」と思うことしきり。
コメント
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