作演出: 三谷幸喜
出演: 野村萬斎/深津絵里/大泉 洋/浦井健治/浅野和之
<あらすじ> 年に一度の人間ドッグの後、(バリウム飲んだのに・・)せっかくのお休みを無駄にしてはならじと三軒茶屋へ。前にもこんなことあったなあ・・ シス・カンパニーのこの舞台のチケット先行が震災の直後だったことを思い出します。本当にいけるのかなあと思いつつ、いくつかのチケットは手放しながらもこの舞台は観たいと。 さて、<ベッジ・パードン>とは。コックニー訛りのひどい女中アニーの聞き返し『I beg your pardon』(「すいません、もう一回言って?」をあだ名にした呼び名でした。 この物語は、もちろん熟達した(と、思っていた)自分の英語が英国でまったく通じないことに焦りを感じる漱石、コックニー訛りで「H」の発音ができないアニー姉弟、日本人なのにわけあって日本語で喋りたがらないソータロー、いろんな人たちの「コンプレックス」が渦をまいています。本当はそこそこ喋れるのにアニー以外の人の前では緊張してうまくコミュニケーションをとれない漱石。何故アニーの前ではスラスラと言葉が出るのか。それは結構残酷な理由でした。そういうことって誰にもあるけれど、そういうことだったのか・・・・と、アニーがさらりと言ってのけたひと言が結構胸にささりました。差別をするもの、されるもの。無意識の差別、思いこみ。
文豪・夏目漱石が、明治政府からの命を受け、
文部省第1回給費留学生として、英国・ロンドンへと旅立ったのは、明治33年(1900年)のこと。
出発直前まで、熊本第五高等学校(現・熊本大学)で教鞭をとっていた漱石(本名:金之助)は、
この時すでに33歳。
身重の妻・鏡子と幼子を残しての2年間の単身留学は、
大きなカルチャーギャップと生来の神経症的な性質もあいまって苛酷極まりないものであった・・・
という定説だが、彼がロンドンで綴った文章には、度々<ベッジ・パードン>なる女性が登場する。
下宿の使用人だっという実在の女性は、
孤独な留学生・漱石にとって、どんな存在だったのだろう?
(シアターガイドより)
三谷さん特有のウィットに富んだ笑いに溢れてはいるものの、鋭い批判精神のようなものも感じる舞台でした。笑わせられながも「言葉」に対する三谷さんのこだわりを強く感じます。そう。大事なことは、きちんと「言葉」で伝えなければいけない。当初はもっとシリアス路線で考えていたらしいのですが、震災を受けて、とびきりのコメディにしてしまおう!と決意されたそうです。そういえば、前作「国民の映画」は余震で中止になった日もありましたっけ。ポスターのイメージそのままなのは萬斎さんと大泉洋さんだけなので、このポスター撮影の後、いろいろなことが変更されたんだろうなあと思います。
野村萬斎さんはもう、本当に気品に満ちて完璧な立ち居振る舞いに、張りのあるすばらしい声。大泉洋さんはあてがきみたいな面白くてずるくて悲しいソータロー(彼のコンプレックスもかなり悲しい)だし、深津さんは可愛くて切なすぎ。浦井くんは今までみたこともないような浦井くん。見せ場もありますよ~ミュージカルファンへの粋なサービスもにくい。その中にあって、浅野和之さんの怪演11役凄過ぎます!いえ凄いなんてものじゃありません。3時間で11役!「叔母との旅」では10役でしたが、(あの時は衣装替えなかった)今回は老若男女、人間以外にも・・・・瞬間移動もあり、もう、それを観るだけでもチケット代以上のものがありました。
この劇場の2階最前列はちびな私には目の前のバーが邪魔になった記憶がありましたが、2階B列センターはこの作品的にはベスト・ポジションのように思いました。アニーのお部屋は2階なので、1階と2階の窓が一度に開く場面もばっちり。舞台美術も本当に素敵で、英国の下宿屋さんをのぞいている気分になれました。