なぜ、今ごろこの作品2つを借りてみたかというと、最近韓流にどっぷりはまっている長女が、韓流ドラマ「ミス・リプリー」が滅茶苦茶おもしろい!と、リビングのTVを独占していたからなのです。この「ミス・リプリー」チャン・ミリという少女が日本で韓国人の母に捨てられ、父は亡くなり、悲惨な少女時代を送った挙句、働いていた博多の風俗店のようなところを逃げ出して韓国へ渡り、東大卒と学歴詐称してぐんぐんのし上がっていくという話ですが、正直突っ込みどころ満載な作品。でも、JYJのユチョンくんが出ていたり、主役チャン・ミリさんがとっても美しいのでまあいいか・・的な感じ。殺人が起きてないのもいいです。
・・・・が、「リプリー」って?という娘たちの???には答えなくちゃね。そこでまず借りてきたのが1999年作品「リプリー」。マット・デイモンとジュード・ロウ、グィネス・パウトロウにケイト・ブランシェットと、実力派ぞろりの作品。特にジュード・ロウの美しいこと!最近はワトソン博士@シャーロック・ホームズなど、渋い役柄も多い彼ですが、金持ちで、傲慢で、移り気な若僧セレブがどんぴしゃりです。
知っている方も多いと思いますが、ざっくりあらすじを説明すれば、イタリアに行ったまま帰ってこない放蕩息子を心配した父グリーンリーフ氏が、トム・リプリーという貧しいピアノ調律師を息子の同窓生と間違え、息子の連れ戻しを依頼します。引き受けたトムは息子ディッキー・グリーンリーフに接触。太陽のような輝くばかりの金持ちボンボンに眩むような憧れと愛を感じます。ディッキーの趣味をなぞり、彼の好みに全てを合わせるトム。でも、次第にトムに飽きたディッキーは冷徹な突き放し方をし、更にトムの劣等感の一番深いところをグサっと突いてあざ笑う。逆上したトムはディッキーを殺し、彼になり替わる。ディッキー殺し隠ぺいのために更に罪を重ね、無限地獄に堕ちていくトム・・・・・
この映画、音楽も風景描写もものすごく美しく、賛否両論あったエンディングも私はすばらしいと思いました。たぶん、初めてありのままの自分を素直に愛してくれた人に、自分の素晴らしいところを語らせながら、その相手を・・・・絶望の底なしの深さが突き刺さるような終わり方で、私も娘たちもしばらく席を立てませんでした。
「『太陽がいっぱい』と終わり方違うね」という夫の言葉に、無性にそっちも観たくなり、さっそくレンタル。昔観たときは確かモノクロでしたが、なんとカラーになっていました。デジタル技術おそるべし。しかも、「リプリー」でマット・デイモンが着ていたシャツと、こちらでアラン・ドロンが着ていたシャツの色が同じ!すごいです。アラン・ドロンが若い!そしてめちゃくちゃ美しい
ルネ・クレマン監督のこのあまりにも有名な作品は「リプリー」と同じ原作(パトリシア・ハイミス)ではありますが、主人公の出身地や名前が少し違っていました。(ディッキーではなくフィリップ)そして、金持ちボンボンでも、ジュード・ロウほど無垢な残虐さ(次女は、「まるで映画『悪人』の時の岡田将生みたい・・と言ってました)は見せず、あっけなく殺された時にはちょっと同情したくなる感じも。アラン・ドロンの美しさが恐ろしさに拍車をかけているように思えました。。そして、トム・リプリーが全てを手に入れ、人生で最高の喜びにひたっているときにあの有名なメロディーに乗せてふいに訪れる衝撃のラスト・・・・
こちらも、何度もみていたにもかかわらず。やっぱり観終わったあと、しばらく席をたてませんでした。。
1999年の「リプリー」では、あの金色の巻き毛の、吸い込まれるような瞳がキラキラ美しいジュード・ロウが何故にアラン・ドロンの役ではなかったのか話題になった記憶がありますが、ジュード・ロウはまさに金持ちディッキー・グリーンリーフにぴったり。そしてまた1960年の「太陽がいっぱい」のアラン・ドロンは貧しいトム・リプリーにぴったり。かといってこの2人がこの作品で共演したら、どっちも美しすぎて全然説得力なかったことでしょうね。。
つまり、何が言いたいかというと、この2つの作品は同じ原作でもまったく違う印象の映画になっているということです。「リプリー」のマット・デイモンとジュード・ロウは月と太陽。月が太陽になろうとして真っ黒に燃え尽きる話。「太陽がいっぱい」も基本はそうなのですが、トムは本当は自分が太陽になるべき人間だと確信して行動したように私には思えるのです。ぞくっとするような美しい男が緻密に冷静に事を進める恐ろしさと、成し遂げたと思った瞬間の恍惚とした安堵の笑顔、ふりそそぐ太陽・・・
全然関係ないかもしれませんけど、いたんだよね~ディッキー・グリーンリーフ@ジュード・ロウさんみたいな人たち。大学時代(地方から出てきた人たちに多かったけど)バイトもせず、学生なのに大きなマンションに住み、ブランド品で身を固め、お金は使いたい放題で自分の車で通学しているような人。コンパの時に「あら、ヨットにお財布忘れてきちゃった。カードならあるけど。」と、パパのカードを出したりする人。公立小中高で育った私は、どんなに背伸びしても絶対かなわない世界の人っているんだなあと思いました。(今でもそれは思うけど。)
そんな話をしていたら、女子大に通っていた次女も「いたいた~そういう人バイトしてないのにいっつもお金いっぱいもってた」と相槌。平民ほとんど大学出身の長女だけが、「いなかったな~みんなボンビーだったよ。」と笑ってました。いいのよ、苦労を知ってる方が幸せつかめるんだからね。