原作 アーサー・ミラー
演出 ジョナサン・マンビィ
出演 堤真一、松雪泰子、黒木華、溝端淳平、小野武彦ほか
あらすじ
17世紀、マサチューセッツ州セイラム。ある晩、戒律で禁じられた魔術的な「踊り」を踊る少女たちが森の中で目撃される。その中の一人は原因不明の昏睡状態に。これは魔法の力か? 悪魔の呪いか? セイラムを不穏な噂が駆け巡るが、少女アビゲイル(黒木 華)は「ただ踊っていただけ」と主張する。彼女の真の目的は農夫プロクター(堤 真一)の妻エリザベス(松雪泰子)を呪い殺すことにあった。雇い人だったアビゲイルと一夜の過ちを犯したプロクターは罪の意識に苛まれ、以後、彼女を拒絶していたのだ。プロクターに執着するアビゲイルは、敬虔なエリザベスを〈魔女〉として告発。アビゲイルに煽られ、周囲の少女たちも悪魔に取り憑かれたように次々と〈魔女〉を告発していく。大人たちの欲と思惑もからみ合い、魔女裁判は告発合戦のごとく異様な様相を呈していった。悪魔祓いのためセイラムに呼ばれた牧師ヘイル(溝端淳平)は、自身が信じる正義のありかが揺らぎ始め─。
いや、こわかった~久々に背筋も凍るというか、黒板を爪でひっかいたというか。。。
ぎりぎりにコクーンに滑り込んだため、プログラムを読む間もなくいきなり幕開き。いきなりの問題シーンその異様な興奮に巻き込まれそうになりました。怖い。。。。
このお話は、1692年、アメリカのセイラムで実際に起きた事件がベースにあるそうです。もともと、この「森の中の呪詛のダンス」は、少女たちの遊びのような好奇心から始まったことらしいのです。・・・そういえば、日本にもあった。「こっくりさん」で狐つきになっちゃった女の子だの、「お狗さま」が憑りついちゃっただのっていう話。集団ヒステリー状態とか、異様な興奮からトランス状態に陥る話。もとを正せば病弱な妻で満たされなかった欲情を少女に向けた農夫と、彼を自分の物にすべくその妻を殺してやりたいと単純に考えた小娘という図なんですけど、この少女、アビゲイルが只者ではない。いるいる。こういう子。妙なカリスマ性を持って周囲を支配し、操りまくる。「私に従わなかったらどうなるかわかってんだろうね!」と、絶対的な自信を持って。そんな小娘と取り巻きの少女たちの神をも恐れぬ無邪気な欲望と、周囲の大人たちの思惑や計算や保身の感情が複雑に絡み合い、事態はどんどん泥沼化していきます。自分の中の「善きもの」とは何か。「善きもの」であるために自分の全てをさらけ出し、あらゆる秘密を吐き出してもなお救われない現実。そそそそ・・そんじゃ、どうしたら許してくれるのどうしたらこの状況から抜けられるの・・・・抜けられないんだよ、何やっても「るつぼ」とは。。興奮したり 熱狂したりするたとえや、 とにかく色々な物が混ざり合って訳の分からない状態になって いる様な状態。まさに「どつぼにはまってどっぴんしゃん」的な息苦しさに、めまいがおきそうな舞台でした。
黒木華さん、すごいです。「小さなおうち」や「真田丸」で見せたような楚々として芯の強い日本のおなごじゃない。もう、すごい!少女の一途さに潜む怖さ、残酷さ全開。もう、本当に恐ろしく狡猾で、神をも恐れぬ一直線な悪女なんだけど、ある意味純粋なのかもしれないと思わせてしまうとこがすごい。堤さん演じるプロクターを手に入れるためならその妻を呪い殺すことも厭わない。あの女を殺して墓の上で彼と踊りたい。。。一瞬だけ窮地に立たされますが、回避できたと知った瞬間に勢いを取り戻して更に大きな悪の翼を広げちゃう。翻弄される大人たち。ここが本当に怖い
堤さんの存在感も半端ないです。神を敬い、妻を愛しながらも、自分の犯した罪によってどんどん追い詰められてゆくさまがすごい。自分とは何か。守るべきものとは。考えさせられるました。汗と涙でぐちゃぐちゃになった渾身のプロクターの捨て身に圧倒されました。役の後ろに堤真一が見えない。プロクターにしか見えないすごさ。
溝端くんも、蜷川さんの薫陶を受けた成果がはっきりと見てとれました。あんな演技ができる人だったんだ!
情念で火のように舞い踊るアビゲイルと少女たちの赤
静かな強さを見せつける妻エリザベスの青
大地に生きる農夫プロクターの茶色
少女たちに翻弄され、正しい裁きに苦悩する大人たちの黒
少女たちの告発や関係者の密告などによってによってあまりに多くの人が処刑されたり投獄されたりしたために、セイラムの街は飼い主を失った牛がうろついたり、空き家が増えたり、実際大混乱に陥ったそうです。「宗教」って恐ろしい。もうすぐハロウィン。渋谷の街にあふれるハロウィングッズに「魔女」を見つけては不思議な感情にとらわれる私なのでした。